し ご と |
以下 次ページ 教師としての しごとの 記録
│ なまへ かざり よそひ │ 体言系 相言系 用言系 ────┬────┼─────────────────────── │文呼応2│ 対照詞 評価詞 叙法詞 こ し│か ざ し│ : : : │ │ ………………………………………… と な│制 限 詞│ : : : │語限定1│ 決定詞 程度詞 様相詞 の じ├────┤ │ │ | │こ と ば│ ↓ ↓ ↓ は な│自 用 語│ 名 詞 ←── 状 詞 ──→ 動 詞 ├────┤ | イ/ナ 語 尾 ク/ニ │ ・ ・│語付属辞│ 助 辞 ──→ 述定辞(ダ) 複語尾 品│語補助詞│ 後置詞 ↑ │あ ゆ ひ│ └───────────────┘ 語 │ │ : : : │述語助辞│ 認識辞 評情辞 行為辞 │ ……… │ …………………………………………………… 詞│文補助詞│ [節後置] (従節)つなぎ → (主節)むすび ────┴────┼─────────────────────── │ 用言化 用言化 体言化 か わ り み │-だった/だろう -かった/だった -するの/こと │ 転 成 │ 相言化 体言化 相言化 │(鉄の 意志) 語幹/-の (うがった 考え) ────┬────┼─────────────────────── │さしだし│ 題目語 状況語 陳述語 ふ は│設 定│ : : : た├────┤ ┌───────────────┐ み ら│ほねぐみ│ | ↓ き│ │ 補 語 ←連体 修飾語 連用→ 述 語 ・ ・│骨 格│ ↑ (連体節) 機├────┤ └───────────────┘ 文 │つけたし│ : : : 能│付 加│ 独立語 評釈語 挿入語 |
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■この図式は、富士谷 成章の『脚結(あゆひ)抄』や『挿頭(かざし)抄』に見える言語思想を 直接の土台にし、森重 敏『日本文法通論』p.137の「第一機構」の組織図をもじって というか ヒントにして、ひねりだしたものです。
▼作図能力が低いため、二次元の平面図になっていますが、できれば、三次元の「三角柱」のイメージで見ていただけると、ほんとは ありがたいのですが ……… 。さらに 調子に乗って 言ってしまえば、「かわりみ(転成)」のところで 二度 ひねりが入って、「ふみとしての はたらき(構文機能)」の三角柱が「ことのはの しなじな(語の品詞性)」の三角柱を すかし見る位置に もどってくる、しかも「メービウスの帯」のように ……… っていうのは、いくらなんでも 虫がよすぎる、というか、ついに 気がふれたか と思われるかもしれませんね。……… 幻視(vision)の中の ことだま か ………
●私の目に いまだ ほのかにしか 見えていないものを あえて とらえて、むりやり 可視化したものにすぎませんが、この図式に 具体的な肉づけを 与えていくことが可能かどうかが、私の 遠い はるかな研究課題となっています。
◆うえの 組織図に はってある リンクは、「かざし(副用語)」に関しては、網羅性の 点で 不十分な 点が あるにしても、おおよそ 分類の 基本は 一致していますが、「あゆひ(付属辞)」の 「叙法性」関係に関しては、リンク先の 論文は すでに ふるびていて、この 組織図の 分類の しかたとは 一致しておらず、おおよそ どんな ものを さして いっているのかを しめすにすぎない ものと なっています。叙法性組織に関しては、大学の 最終年度の 講義に その みとおしは のべましたが、論文としては あらたに かきなおす ために 努力している ところで、この サイトの ノートの ほうにも すこしずつ かきためていきたい と おもっております。「古稀」までには なんとか したいと おもっていますので、もう しばらく 時間を おかしくださいます よう。
★なお、品詞分類の 基礎事項について「ことばの しなじな」も 参照されたい。
【研究論文】
【口頭発表】
【解説・批評・意見】
【論文集成】
◆「しごとの あらまし や ねらい」についての「自己点検・自己評価」的な 注釈は、こちらを ご覧下さい。
【もと 大学教員として 義務づけられていた 「自己点検・自己評価」を やや 我田引水的ながら のこした ものです。】
<研究会の 注記>
【研究報告】の欄にある「空中分会」というのは、昔々、ぼくらが まだ三十代前半のころ、やはり 国語研の若手だった村木 新次郎 氏、石井 久雄 氏らとともに、そのころの ぼくらにとっては あまりに強力な先輩研究者だった 高橋 太郎 氏や 宮島 達夫 氏らの圧倒的な影響から 自分たちの研究の自立性を守ることも考えて、若手だけで、いつ空中分解してもいい、言いたいことを言い合おう、そんな気持ちで はじめた研究会。所外からは、松本 泰丈(ひろたけ) 氏、鈴木 泰(たい) 氏、金田 章宏 氏、少し遅れて、岡田 袈裟男(けさお) 氏、Martin Holda(マーチン ホゥダ) 氏らが 参加した。松本 泰丈 氏が 最年長で、議論が白熱したり 散漫になったりした場合に、うまく まとめてくれたように 記憶している。毎月ないし隔月に一回ぐらい 例会をもったように思うが、昭和末期ごろ、各自の勤務先の仕事や勤務地の都合などで、いつともなく 空中分解していた。
私も、かなりの数 発表させてもらって、たいへん勉強になったが、当時の記録の整理が 十分でなく、また 電子資料化も できていない こともあって、ここには、外語大に うつった年の一編にだけ リンクを はった。これが、私の 空中分会 最後の発表となった。
その他の 陳述論に関わる 若書きの原稿は、おいおい 羞恥心の うすれゆくままに、書き直し 書き足して、論文の形に まとめてゆきたいと思っている。もう一つの柱であった 日本語研究史・改革運動史に関わるものは、題して「日本語学 外史」、こちらは「官を辞して」のち、まとめることになるだろう。ただ、資料の探索と発掘、そして それらをつないでいく年表の整理は、体力の衰えないうちに ということで、在職中もつづけたいと思っているのだが、いかんせん、ここ数年 ネットサーフィンなどに うつつを抜かし、自転車とボートを遠ざけていた報いか、足腰の急速な衰えは 目をおおわんばかりのものがあり、古本屋通い 図書館通いが 少々 億劫(おっくう)になって来ている。
「白馬日本語研究会」は、その「空中分会」の空中分解後 しばらくして、こんどは 高橋 太郎 氏や 金子 尚一(ひさかず) 氏や、のちに 宮島 達夫 氏ら、年輩の研究者も迎えて、年に一回 夏休みに、長野県白馬村の白馬岳の麓にある共立女子大寮で4泊ほどの合宿をはって、朝から晩まで カンカンガクガク(侃々諤々)の議論や ケンケンゴウゴウ(喧々囂々)たる放談をする、かなり お行儀は悪いが なかみの濃い研究会。日程なかばの半日、写真のようなツアーも入れて、健康にも気を使っている。ふだんから「腹ふくるること」の多い「横着」な「口舌の徒」工藤らの <救済と鞭撻> のための会でもある、という うがった観察もある。
ただ、白馬の夏は けっこう 暑く、とりわけ 気のせいか 長野オリンピック開催前後から ひどくなったようで、来年あたりから 合宿の場所をもう少し涼しいところに かえようかと、思案中である。
2002年は、軽井沢で 合宿を もった。気候は ここちよかったが、やや俗化しすぎたところもあり、議論に熱中するには 不向きな面も あった。
2003年は、岡田袈裟男氏の おちからで、立正大学の 軽井沢研修施設で 合宿をもつことができた。気候も 研修設備も 申し分なく、また、夜の懇親会も 他の宿泊客に気がねなく おこなえた。しばらく ここに ごやっかいになりそうである。会の名前の問題は、いつものことながら あと追いになるだろう。――― 研究会の なまえは、会費納入の 銀行口座名を かえる わずらしさから かえない まま、なんとなく 通称「白馬日本語研究会(軽井沢)」に おちついてしまった。その 研究会も、岡田氏の 今年度 定年退職に ともなって、2016年なつを 最後に いったん 幕を とじた。
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工藤 浩 / くどう ひろし / KUDOO Hirosi / Hiroshi Kudow