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松下大三郎

明治11年(1878)遠江國(現静岡県)に生まれ、昭和10年(1935)脳溢血(再発)のため死去。享年58歳。明治30年國學院大学在学中に生育地方言の記述「遠江文典」を同窓会雑誌『新國学』に三回連載。卒業論文の『俗語文典』を明治32年から1年半にわたって雑誌『國文学界』に連載し、34年『日本俗語文典』(誠之堂)として刊行。同年から39年にかけて、和歌索引の『國歌大観』、古典47種収録の『國文大観』を編集・刊行。明治38年宏文学院教授として清国留学生に日本語を教えはじめ、大正2年には自ら日華学院を創立し経営にあたる。その過程で、明治39年『漢訳日語階梯』(誠之堂)を刊行。さらに大正6〜11年にかけては邦文タイプライターの改良・特許出願に力を注ぎ、大正11年アインシュタインの来朝に際しては『國學院雑誌』に「ア氏の相対性原理は迷妄なり」を載せるなど、破天荒な多芸多才ぶりを発揮する。大正12年國學院大学講師となり、13年『標準日本文法』(紀元社)を刊行、15年教授に昇進。その後も、昭和2年『標準漢文法』(紀元社)、3年『改撰標準日本文法』(紀元社)、5年『標準日本口語法』(中文館書店)、5年『改撰標準日本文法(訂正版)』(中文館書店)と、精力的に研究活動をつづけたが、翌6年脳溢血に倒れ、それ以降後遺症のため学問的執筆活動はなく、最後の著作の第三篇「詞の本性論」により、昭和7年病床の中で文学博士号を授与された。まさに波瀾万丈の生涯で、学問体系は同時代人の理解はえられにくく、いわば歴史に生きる研究者であった。 → 松下文法
【参考文献】
徳田政信編(1974)『改撰標準日本文法』解説篇(勉誠社)
塩澤重義(1992)『国語学史における松下大三郎 ― 業績と人間像 ―』(桜楓社)

(工 藤 浩)



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