はじめ | データ | しごと | ノート | ながれ


副 詞

 副詞が語を文法的に分類した <品詞> の一種だという点は動かないが、日本語文法ではその認定のしかたに大きく異なる二つの立場がある。一つは、それ自身語形変化せず、もっぱら連用修飾機能に働く品詞とする立場であり、もう一つは、体言や用言のように主語・補語・述語といった文の骨組み成分とならず、それに副える形で補助し調節する機能に働く品詞とする立場である。前者は、西洋文典接触以降の大槻文彦、山田孝雄、橋本進吉といった流れで、教科文典も多くこの立場であり、後者は、古く富士谷成章の「かざし(挿頭)」に淵源をもち、近くは松下大三郎から森重敏、川端善明、渡辺実といった流れである。もっとも目立つ相違点は、いわゆる状態副詞を含むか否かであるが、その差を生む根底には、前者が無活用という形態が先で 連用という機能が後だとすれば、後者は非骨組み・補助・調節という機能が先で 活用など形態は後だ、という方法上の差がある。西洋文典の術語でいえば、adverb を動詞添えと理解するのが前者で、adverb をことば添えと理解し小詞 (particle) に近い発想で考えるのが後者だといってもよいかもしれない。
 教科文典では通常、「わざわざ ゆっくり(と) すぐ(に)」などの状態副詞、「やや もっと 非常に すごく」などの程度副詞、「けっして おそらく(は) もし(も)」などの陳述副詞(または呼応副詞)、の三つに下位分類されるが、問題の状態副詞をしばらく除いていえば、形態の面では、用言のように断続・テンス・ムードで活用することもないし、体言のように格・とりたてで曲用することもなく、構文の面では修飾語を受けることもない。それは、体言や用言が文の中で主語・補語・連用修飾語・連体修飾語・述語などの種々の構文的機能に立ち、曲用や活用によってその諸機能を表わし分けるのに対して、副詞は構文的機能がほぼ単一に固定した語であるために曲用や活用をもつ必要がなく、意味の面ではとりたてられたり修飾されたりするだけの属性概念性がないという事情による。活用や曲用をもたず一つの機能に固定されているという点は、接続語にのみなる接続詞、独立語にのみなる感動詞、それに少数派だが連体修飾語にのみなる連体詞も同様であり、いずれも文の骨組みをなす主語や述語になりえず副次的依存的な機能にほぼ固定しているところから山田孝雄は「副用語」と総称し、接続詞・感動詞をも副詞の一種とした(連体詞は認めなかった)。松下は感動詞は副詞と認めず接続副詞は認めた。こうした小異はあるが、状態副詞を棚上げにしたここまでの説明においては、各々の立場にくいちがい・矛盾は生じない。副詞の下位分類の細部は各項目に譲り、問題の状態副詞の検討に移ろう。
【状態副詞】は、動作や変化のしかた(様態 manner)、あるいは出来事のありかた(状態 state)を表わして、主として動詞を修飾する副詞であり、語構成上「おのずと ゆっくり(と) ついに すぐ(に)」のように着脱可能な語尾ト・ニをもち、ト語尾系には「バタリと バタンと バタッと バタバタ(と)」の型をした <擬音擬態語> が多く、また「道々 いきいきと おそるおそる ちかぢか 重々」などの <畳語(重複)> の形も多いことも、この副詞の語構成上の特徴としてあげられる。「情態副詞」の創設者山田孝雄は、いわゆる形容動詞の語幹「静か 堂々」などをも情態副詞と扱ったが、のちに文語でナリ タリ、口語でダの語尾をとって活用する「静かなり 堂々たり/静かだ」などは形容動詞という品詞として立てるのが通説となっている。したがって現在のいわゆる状態副詞は、形容動詞と意味機能に一定の共通性をもちながらも、活用しえない点でいわば取り残された語群である。擬音擬態語や畳語という特殊な語構成をした語が多いこと、また語尾にト・ニをとるものが多いことは、こうした事情による。と同時に、具体的で形象的な意味をもつ本来の擬音擬態語からしだいに一般化された意味を獲得しながら「かなりはっきり(と) ずいぶんのんびり(と)」など、副詞一般と異なり程度修飾を受けうるようになったものや、さらに「ぴったり(と)合う ぴったりな(の)服 服がぴったりだ」のように、不整合ながら活用を半ばもつに至るものも存在し、両者の間は連続的につながっている。ここに、両者の共通性を優先させて、これら状態副詞を、形容動詞とともに用言または体言の一種と考え、副詞から除こうとする説が出てくる根拠がある。
【挿頭の系統】は、富士谷成章(1778)『脚結抄』の大旨において「名をもて物をことわり よそひ(装)をもて事をさだめ かざし(挿頭) あゆひ(脚結)をもてことばをたすく」と述べ、体言にあたる「名」、用言にあたる「装」、助詞・助動詞にあたる「脚結」に対して、副用語にあたるものを「挿頭」と呼んだことにはじまる。挿頭の中には現行の状態副詞は含まず、指示詞「こそあど」を含んでいて、意味・機能の面で、感動・応答・接続・陳述・評価・程度・指示など、なんらかの点で「話し手の立場(基準)」に関与しつつ「ことばをたすく」る語群を一類として考えたのである。松下大三郎は、副詞を「叙述性の無い詞であつて、属性の概念を表わし他語の上へ従属して其の意義の運用を調整するもの」と規定し、状態副詞の大部分は「威風堂々と行進する」のように独自の主語「威風」をとれ述語になれるつまり「叙述性」が認められるので「(無活用の)動詞」――形容詞を含めた用言(verb)に相当する――として除く。森重・川端・渡辺については詳論できないが、状態副詞とそれ以外の副詞とのあいだに叙述性・述語性の有無という機能の差があることを重く見て、活用の有無より優先させる点では共通する。成章の後継を自任する山田孝雄の「副用語」も定義上、非自用語⇒非述語=非用言が本質であったはずであり、形容動詞を含む情態副詞を副詞=副用語とすることは理論的には調和しにくいのである。矛盾と考えないのは、ナリ・タリに内在するアリを山田が「存在詞」という独立の品詞としたことと関係しよう。つまり「静かなり」は一語ではなく「静か(に)」が存在詞アリとともに述語を構成する二語(「静か」自体は述語の補充部分としての賓格)だと考えるのだろう。奇妙に時枝の形容動詞否定論と似てくる。山田は存在詞の普遍性から、時枝誠記は詞辞の非連続性から。残念ながら副詞の解説としてはこれ以上立ち入れない。
 こうして、意味機能の面で「ゆっくり のんびり どっしり たんまり」など動作の様態や量的な状態を表わすものは、状態副詞から除くことができるし、少なくとも構文機能を重視する立場からは除いた方がすっきりするのであるが、通常この副詞の中には、このほか「かつて / まだ もう / ようやく とうとう / 突然 不意に / たちまち すぐ」など時に関するもの【⇒時の副詞】や、「わざと あえて ことさら(に) / つい 思わず うっかり」など動作主の意志性に関するものや、「みずから 直接 かわりに / 一緒に 互いに かわるがわる / おのおの めいめい それぞれ」など行為者間の関係のありかた(広義のボイス性 diathese)に関するものや、「ただ 単に / とくに おもに / すくなくとも せめて / せいぜい たかだか / たった わずか」など名詞句の取り上げ方に関するもの【限定副詞・とりたて副詞とも。⇒陳述副詞】なども、吟味しないまま放り込まれている。これらは、もちろん用言・体言にもどすべきものではなく、副詞の下位組織の中にきちんと位置づけなければならない。まさに「ハキダメ」の感のあった状態副詞は、解体・再編成が必要なのである。その作業は現在も進行中である。なお用言研究も、たとえば「はやく すばやく せわしく (?おそく) ゆっくり のんきに のんびり あわてて …」などの(連用)修飾法のセットの中で、意味機能の研究がより広く深く進行するであろう。
【参考文献】
 富士谷成章著 松尾捨治郎校註『かざし抄』(1934 大岡山書店)
 山田 孝雄(1908)『日本文法論』(宝文館)
 松下大三郎(1928)『改撰標準日本文法』(中文館)
 森重 敏(1959)『日本文法通論』(風間書房)
 渡辺 実(1971)『国語構文論』(塙書房)

(工 藤 浩)



はじめ | データ | しごと | ノート | ながれ