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「べきだった」「べきであった」「べきでした」の事実性factivity

             98/08/21〜24    白馬日本語研究会
                                工 藤  浩  

0)ベキダの過去形としては、「べきだった」「べきであった」「べきでした」「べきでありました」「べきで 御座|ございました」の諸形が考えられるが、実例が見つかったのは前の3つで、あとの2形は、私のデータ集からは検索されなかった。

0-1「べきだった-」   165例

■終止■
★べきだった★。     50例
★べきだった★、     6例
★べきだった★」     23例
★べきだった★と     15例
★べきだったように★   1例(−も思う)
★べきだった★――    1例
★べきだった★……    1例
■終助詞■
★べきだったよ★     3例
★べきだったわ★     1例
★べきだったか★     1例
★べきだったかな★    1例
■推量■
★べきだったかも★    4例
★べきだったろう★    4例
★べきだったでしょう★  4例
■ノダ■
▼べきだったの▼     28例(−だ・です・である・かもしれない・さ)
▼べきだったん▼     6例(−だ)のみ
■接続■
◆べきだったのに◆    7例
◆べきだったが◆     5例
◆べきだったし◆     1例
■連体■
●べきだった●連体    3例
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0-2「べきであった-」    67例
■終止■
べきであった。       34例
★べきであった★、     1例
★べきであった★と     3例
★べきであった★」     1例
★べきであったか★     2例
■推量■
★べきであったろう★    5例
★べきであったかも★    2例
■ノダ■
▼べきであったの▼     5例(-だ・である)
■接続■
◆べきであったが◆     11例
◆べきであったにもかかわらず◆1例
■連体■
●べきであった●連体    2例
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0-3「べきでした-」     8例
■終止■          5例
■終助詞■         2例(-ねえ・よ)
■接続■          1例(-が)
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1)当為的様相性(しかるべしさ)を表わす「-ベキダ」と「-ナケレバナラナイ」との違いのひとつとして、その過去形の表わす「事実性(factivity)」に違いがあることは、すでによく知られたことかと思われる。
    彼は、きのう行っておくべきだった。しかし、横着をして行かなかった。
   ?彼は、きのう行っておくべきだった。だから、無理をして行った(のだ)。
    彼は、きのう勉強しなければならなかった。しかし、遊んでしまった。
    彼は、きのう勉強しなければならなかった。だから、友達のさそいを断った。
「−べきだった」は、[そうすべきだったのに、そうしなかった]という<不実行>の含み(非リアル性)があるのに対し、「−なければならなかった」の方は、その点中立的で、実行した場合もしなかった場合もある。「−ナケレバナラナイ」の方が、まともなテンスを持っている点で、より客体的な<必要性>とでもいうべき様相性を表わすのに対し、「−ベキダ」の方は、まともなテンスを持たない点で、より主体的な<当為性>とでもいうべき様相性を表わす、という両者の性格の違いの、文法的な現われのひとつと考えられる。
 以上の「通説(ないし通念)」は、大筋では間違っていないと思われるが、これをより確実な学説に高めるためには、いま少し検討しておかなければならないことがある。
 先に掲げた「−ベキダ」の過去形の例のうち、多くは、実際にはそうしなかった・そうならなかった、という不実行・非リアルの用法であるが、なかに、必ずしも非リアルを含意しないものも、少数ながら見られた。とりわけ、「べきであった」という文語体的な形には多く見られた。
 以下、しばらく話を単純化するために、句点で切れた形のみに、考察の範囲を限定する。
「べきだった。」        50例
【非リアル】          39例
【リアル】            5例
「〜というべきだった」       4例(「と呼ぶべきだった」1例含む)
「〜て然るべきだった」      2例

「べきであった。」       34例
【非リアル】          14例
【リアル】           13例
「〜というべきであった」     6例(うち2例漢字)
「〜てしかるべきであった」    1例

「べきでした。」         5例
【非リアル】           4例
【リアル】            1例
2)最初に慣用句的な用法を片づけておこう。
 まず、「〜というべきであった」「〜というべきだった」の例

「というべきであった」 6例
A:\テクスト集\新潮テクスト\百冊テクスト\国盗り物語19.txt(758): 信長の斬新な戦術といってよかった。この偵察行は、単に偵察将校として光秀個人を出発させるのではなく、光秀に一軍をひきいさせ、敵地に強行侵入させてその情況を肉眼で見て来させるのである。後世の西洋戦術でいう威力偵察■というべきもので■、信長の天才的創意▼というべきであった▼。
A:\テクスト集\新潮テクスト\百冊テクスト\国盗り物語21.txt(373):  その茶道好きは、道三の系譜をひいている▼というべきであった▼。道三のもとから濃姫が嫁いできたとき、織田家の家庭にはじめて茶道がもちこまれたといっていい。
A:\テクスト集\新潮テクスト\百冊テクスト\楡家の人々第一部.txt(166):  院代勝俣秀吉は、そういう歴史的風俗的な意味合をこめて、小さい躯をそらすようにして楡病院の正面を飾る円柱の列を眺めわたした。その柱は一言にしていうならばコリント様式のまがいで、上方にごてごてと複雑な装飾がついていた。一階、二階の前部は、そうした太い華やかな円柱が林立する柱廊となっていたが、階上は半ば意味のないもったいぶった石の欄干を有するところから、バルコニーと呼んだほうがふさわしいかも知れなかった。さらにもう数歩を退いて眺めれば、屋根にはもっとおどろくべき偉観が見られた。あまり厳密な均衡もなく、七つの塔が仰々しく威圧するように聳えたっていたのである。一番左手のものは、おそらくビザンチン様式を模したもので、急勾配な傾斜をもってとがって突っ立ち、先端にはまるで法王でも持っているような笏にも似た避雷針がついていた。次の塔はもっと丸みをおび、おだやかに典雅に自分の存在を主張していた。そうして実に七つの塔がすべて関連もなく、勝手気ままに、それぞれ形を異にしながら、あくまで厳然と人々を見おろしているさまは、それがどんな意味合であれ吐息をつくほどの一大奇観▼というべきであった▼。なかでも珍妙なのは、正面玄関の上の時計台に指を屈せねばならなかった。それは他のすべての塔、すべての円柱、いや建物全体とかけ離れていた。ほとんど中国風、というより絵本で見る竜宮城かなにかを思いおこさせた。それでもそれは、とにかく中央にでんともったいぶって位していたのである。
A:\テクスト集\新潮テクスト\百冊テクスト\TAROU.TXT(5770):  ボウリング場を出ると、太郎は心身共に軽くなってマーケットに寄って、夕飯のおかずを買って帰った。そろそろ初鰹も出始めた。ちゃんとたたき風に、まわりに焦げ目をつけた奴である。それを一人前買って帰ると、太郎は特製のタレを作った。ニンニクをたっぷりとおろし、ニラとネギをうんと細く刻んだのを混ぜて、そこに醤油をかけて、少なくとも、二、三十分はおく。それはもはや醤油の原型を感じさせず、■むしろ■、こってりとしたソース▼というべきであった▼。たとえ、鰹が少しまずかろうと、その臭気ふんぷんたるソースはその分だけ、鰹の味をカバーした。
A:\テクスト集\新潮テクスト\大正テクスト\藤十郎の恋・恩讐の彼方に.txt(537):  が、暫(しばらく)して実之助の面前へと、洞門から出て来た一人の乞(こ)食僧(じきそう)があった。それは、出て来ると云うよりも、蟇(がま)の如く這(は)い出て来た■と云う方が、適当であった■。それは、人間と云うよりも、■むしろ■人間の残骸(ざんがい)▼と云う★べきであった★。肉悉(ことごと)く落ちて骨露(あら)われ、脚の関節以下は処々爛(ただ)れて、永く正視するに堪(た)えなかった。破れた法衣(ころも)に依って、僧形(そうぎよう)とは知れるものの、頭髪は永く延びて皺(しわ)だらけの額(ひたい)を掩(おお)うていた。老僧は、灰色を為(な)した眼をしばたたきながら、実之助を見上げて、
A:\テクスト集\新潮テクスト\大正テクスト\夜明け前.txt(6994):  ある日の午後、彼は突然な狂気に捉とらえられた。まっしぐらに馬籠の裏道を東の村はずれの岩田というところまで走って行って、そこに水車小屋を営む遠縁のものの家へ寄った。硯すずりを出させ、墨を磨すらせた。紙をひろげて自作の和歌一首を大きく書いて見た。そして悦んだ。その彼の姿は、自分ながらも笑止▼と言う★べきであった★。そこからまた同じ裏道づたいに、共同の水槽のところに集まる水汲くみの女どもには、眼もくれずに、急いで隠宅へ引き返して来た。
「〜というべきだった」 3例
A:\テクスト集\新潮テクスト\百冊テクスト\TAROU.TXT(5751):  桜岡のように、理数と英語とが同時にできるのは確かに少ないだろうから、それは■一般的に考えれば■、いい案だ▼と言う★べきだった★。
A:\テクスト集\新潮テクスト\百冊テクスト\国盗り物語18.txt(795):  光秀は、敵のことながらその作戦のまずさにいらだつ思いがした。奇妙な感情▼という★べきだった★。
A:\テクスト集\予備テクスト\天声人語85-89\TJ870707.TXT(4): 地価のことで「臨時行政改革推進審議会から適切な助言を得べく措置した」■ともいう■。それはそれでいい。■しかし、これは本来■「何としても地価を下げるため、一刻も早く名案をまとめるよう頼んだ」▼という★べきだった★。
 この「〜というべきであった」という形は、『国盗り物語19』の例が示すように、<〜というべきモノであった>という意味であり、そう名付けたり、判断したりすることは、その当時において起こりうべくもないものであるとすれば、<非リアル>性は、問題にならないだろう。この用法においては、<むしろ〜と言うべきモノであった>という、名づけや類別のふさわしさを表わしている"というべきである"。
 なお、最後の『天声人語TJ870707』の例の「いう」は、本動詞としての、当事者の「言う」行為を表わしていて、<非リアル>の用法と"言うべきであった"かもしれない。
 次の「〜と呼ぶべきだった」も、ここに入れておいてよいだろう。
新潮テクスト\百冊テクスト\HOSI.TXT(282):  さらに、この会社に対する補助金を、政府が支出する方法も妙なものだった。まず、国内製薬が仕事をして欠損を出したら、それを埋めることに使用する。つぎに、資産の償却と積立金にあてる。第三に、資本金に対して年八分の利益配当を保障するために使われるのである。会社がいいかげんな運営をして赤字を出そうが、なにもせず遊んでいようが、資本金には年に八分の配当が必ずつくのであり、将来にわたってこれがつづけられる。▼産業奨励というより▼、資本擁護と呼ぶ★べきだった★。政府の製薬業界への恩恵は、国内製薬がこのようなしかけで独占することになった。なにが恩恵なのかわからない形で……。
 次の「〜してしかるべきであった」「〜してしかるべきだった」も、同様に扱っていいだろうか。
A:\テクスト集\新潮テクスト\翻訳テクスト\ヴェニスに死す.txt(15):  低俗なものからも、また過激なものからも同じ程度に遠ざかって、彼の才能は広範な大衆の信仰と、気むずかし屋の讃美し要求する関心とを同時に勝ちうるようにでき上がっていた。こうしてすでに青年時代から業績へ業績へと四囲に駆り立てられて――それはしかも非凡な業績である――彼はかつて怠惰というもの、若者らしい呑気な暮し振りというものを味わったことがなかった。三十五歳になってウィーンで病をえた時、ある烱眼な観察者がある席上でこう言ったことがある、「ねえ、アシェンバハは昔からこんなふうにしか生きてこなかったのです」――語り手はこう言いながら左手で握り拳をこしらえてみせた。「決してこうじゃなかった」と言って、手を拡げて椅子の肘掛の外へだらりと垂らしてみせた。‡事実そのとおりだった。つまり‡彼の勇敢にして道徳的な所以は、まさしく彼の本性が決して逞しくはなかった点に、絶えざる緊張に適したものではなかった点に、いや元々そういう生れつきではなかった点に▼求めてしかる★べきであった★。
予備テクスト\新聞雑誌\「新聞と顔写真」を考える.txt(378):  神戸の事件では、「加害者の人権より、被害者の人権が無視されている」との批判が出たが、『フォーカス』をきっかけにした被疑者の人権論議の裏返しで語られたのは‡不幸だった‡。▲当初から▲、正面から、▼論じられて然る★べきだった★。
新潮テクスト\翻訳テクスト\ホームズ07.txt(214): 「そうか、夫人の小間使だね。大金がわけもなくつかめる誘惑にお前が負けたのは、‡無理もなかろう‡。お前よりは利口な人でさえ、そうだったのだからね。お前のやりかたは、しかし、‡もうすこし‡▼思慮があってしかる★べきだった★。
 最初の「求めてしかるべきであった」は、やはり「求めてしかるべきモノであった」と等価であり、「求めてしかるべきである」と言い換えても、「語り口」の違い以外に差は出ない。しかし、「してしかるべきだった」の方は、不実行(や思慮のなさ)に対する不満の含みがあからさまである。この差をどう考えるべきか。

3)次に、<間接的心理描写文>とでもいうべき文脈(いわゆる心中文)における「べきだった」「べきであった」「べきでした」を問題にしよう。

★べきだった★        5例
A:\テクスト集\新潮テクスト\百冊テクスト\SATETSU.TXT(1467):  ▼江藤は▼床の上に両手をついて、頭を垂れた。もはや彼には自分自身を支える力はなかった。彼がみずから描いた未来の人生構図も、そのために今日まで積み重ねてきた努力も、野心も、自負も、希望も、ことごとく崩れ去って跡形もなかった。残るものはただ屈辱と暗黒の未来ばかりだった。彼は床に倒れ、冷たい床板に額を打ちつけながら泣いた。泣いたというよりは叫んでいた。絶望の叫び、悔恨の叫びだった。床板に打ちつける彼の頭の音が、静かな留置場のなかに重く無気味にひびいた。▼いまこそ、彼は死ぬ★べきだった★。しかしながら▼彼の悔恨も絶望も▼、その本質は、自分が出世栄達の道を失ったことについての悔恨であり、とりも直さず彼のエゴイズムそのものであった。罪への悔悛ではなくて、やり直しの利かない失敗を嘆いているだけであった。
A:\テクスト集\新潮テクスト\翻訳テクスト\異邦人2.txt(70):  ▼検事は▼、人間の裁きが、臆するところなく処罰することをあえて期待する、といった。しかし、あの犯罪のよびおこす恐ろしさも、この男の不感無覚を前にして感ずる恐ろしさには、及びもつかないだろうと、はばからずにいい切った。同じく▼彼によれば▼、精神的に母を殺害した男は、その父に対し自ら凶行の手を下した男と同じ意味において、人間社会から抹殺さる★べきだった★。いずれにせよ、前者は後者の行為を準備し、いわばそれを予告し、正当化していたのだ。「諸君、私は確信しておりますが」と声高に彼は付け足した。「この腰掛にすわっている男が、明日この法廷が裁くべき殺人事件についても、また有罪だと申すとしても、私の考えがあまりに大胆すぎるとはお思いにならないでしょう。この男はその意味において罰せらるべきです」ここで、検事は汗にきらきらした顔をぬぐった。
A:\テクスト集\新潮テクスト\百冊テクスト\国盗り物語13.txt(898): 信長は半町ばかり行ったとき、かたわらの猪子兵助に声をかけ、「いま、須賀口で妙なやつを見た」といった。信長の視線は一瞬光秀をとらえたようだったが、▼当の光秀は▼見られたことに気づかなかった。むしろ信長を見たつもりであった。見るのはむろん不敬といっていい。顔を伏せ視線を地に落しつつ領主の通りすぎるのを待つのが、路上の礼儀である★べきだった★。信長のいう「妙なやつ」とは、「おれを見たやつがある」という意味であった。あれは誰か、と猪子兵助にきいたのである。猪子兵助も、軒下の光秀に気づいていた。
新潮テクスト\百冊テクスト\SATETSU.TXT(669):  それは女の打算だった。康子の虚栄心からうまれた打算だった。賢一郎が自分と結婚できるだけの社会的な資格を取るかどうか。資格がとれなかった時には、父が何と言おうと、自分には拒否権がある。…… ▼こういう推察が当っているとすれば▼、◆賢一郎としては◆、いま直接に求婚するというのは▼最も拙劣な方法だった▼。だから今のうちは当り障りのない交際をしながら、黙って実力を蓄える★べきだった★。試験に合格したときには、正々堂々と求婚する。正式に母から伯父に話を通してもらう。愛の言葉も、愛の手紙も必要ではない。資格と均衡と手続きとだけがあればいいのだ。あの尊大な、虚栄心の強い娘は、愛の言葉では気持を崩されはしないが、階級と地位と名誉とには抵抗力を持たない。その弱点をつかまえることだと、▼彼は思っていた▼。
新潮テクスト\百冊テクスト\大江03飼育.txt(234):  ▼僕は▼黒人兵に注意をあたえてやる★べきだった★。僕は大人たちの腰のあいだをすりぬけて倉庫の前の広場に腰をおろしている黒人兵のところへ駈け戻った。黒人兵は彼の前に立ちどまって息をつく僕を、どんよりした太い眼球をゆっくり動かしながら見あげた。僕には、彼に何を伝えることもできない。僕は哀しみと苛だちにおそわれながら、彼を見つめているだけなのだ。黒人兵は膝をかかえたまま、僕の眼を覗きこもうとしていた。受胎した川魚の腹のように丸い彼の脣はゆるく開かれ、白く光る唾液が歯茎の間から流れた。僕は振りかえり、書記を先頭にした大人たちが部落長の家の暗い土間を出、倉庫に向って近づいて来るのを見た。
★べきであった★    8例
A:\テクスト集\予備テクスト\雑テクスト\羊の歌.txt(439): 汗をふきながら、疾風のようにとびこんで来て、「ぐずぐずしちゃいられねえ、おい、大変なことになったぞ……」。「ほう、そうかねえ、敵の戦艦が真二つになって、消えちまったのか」と鈴木助教授がいう。「ハワイを乗っとっちまえ、ということだ」。大さわぎをしているところへ、教室から渡辺助教授が帰って来て、研究室に居合せた人々は、そろって本郷通りの喫茶店「白十字」へ出かける。英文科の中野好夫助教授や倫理学科の吉満義彦講師の加わることもあった。「ハワイでゴルフをするなんてのは、痛快じゃないか」「痛快かもしれませんが」と渡辺助教授はいう、「相手の本土が無きずでしょうから、戦争はひどくなると思いますよ」「なに、こっちは絶対不敗の態勢だ」「そうあって欲しいですね」「どうもカッちゃんは悲観的でいけないねえ」――というところで、辰野教授は、大声一番、「ぼくは大東亜戦争大賛成だ」という、「ただし…」。その「ただし」の後で少し休んで、「ただし前途有為の青年を殺すのではなく、年の順に上から兵隊にとるとすればだ。参謀本部の連中とか、鈴木君やぼくのように前途無為の方から、戦場に送っちまえというのならば、ぼくは大東亜戦争大賛成だね」。▼辰野先生は▼、いくさのはじめの頃、日本軍の大勝利をよろこんでいた。「真珠湾」は、「痛快な」活劇であった。「天皇陛下」は尊ぶ★べきであった★。しかし権力をほしいままにした軍人と軍国主義に便乗した人々の心情は、充分に見抜いていて、突然、思いがけないことを言出すことがあった。私はまた中島講師の人柄を好んでいた。決して陰険な策をめぐらさない人であり、私のような青二才を相手にしても、対等に接して、飾らず、かくさず、忽ちうちとけた空気をつくり出すことのできる人であった。■リアル    ≒べきものであった
A:\テクスト集\新潮テクスト\百冊テクスト\HANAOKA.TXT(1229): 「嫂さん」 小陸は頷かずに続けた。声の調子に急に意地の悪さが響いた。「嫂さんが目が見えやんようになるほどの薬を飲んでも後悔してなさらんのは、それは何故ですのん。こわい薬やと分っていても、お母はんと競争して飲みくらべをしたのは、ほなら何故でしたん。兄さんが名高うなったんで世間はお母はんも嫂さんも偉いというて褒めてますけれどものし」「小陸さん、ほんまにあなた何を云い出してなさるんよし」 ▼加恵は▼慌てていた。心の中でぎくりとするものがあったが、それは振り捨ててしまう★べきであった★。加恵は小陸の口を封じるために言葉を続けた。「お母はんは立派なお方やったのやしてよし。私はほんまにそう思うています。おかげで私は医家の女として少しはお役に立てたのやし。それは、実の親子とは違うたのやよってに、お母はんも私をお気に召さんことは多かったやろうし、私も意地はったときがないとは云いまへんえ。けどそれは誰とでもありがちなことやったのやしてよし。お母はんを賢い方や立派な方やったと私は心底から思うてますよし。泥沼やなんどと、滅相もない」■リアル≒べきものであった
A:\テクスト集\新潮テクスト\百冊テクスト\国盗り物語17.txt(637): (義昭は、かんちがいしている) とおもわざるをえない。▼信長にすれば▼、天下の武家から尊崇されている義昭の「血」こそ尊重す★べきであった★。だからこそ苦心惨澹のあげくこの上洛を遂げ、義昭をしてその「血」にふさわしい征夷大将軍職につけたのである。■リアル≒べきものであった
A:\テクスト集\新潮テクスト\百冊テクスト\国盗り物語18.txt(458): 【そのひとつは、信長は京に屋敷をもとうとしないことであった。将軍館をつくり、御所を造営しても、この男は自分の京都屋敷をもとうとしなかった。(御志が大きい証拠だ) 藤吉郎はそう理解している。………】 いま一つの理由は、経済問題である。京に無用の屋敷をつくる費用があれば、それを軍事費として投入す★べきであった★。
A:\テクスト集\新潮テクスト\百冊テクスト\国盗り物語21.txt(562):  ▼弥平次光春は、ながい吐息をついた。自分の命は光秀とともにある、と叫ぼうとしたが、横に斎藤利三がいる。利三にまず言わせる★べきであった★。利三は途中から随身した男で、主従の感情は弥平次とはまたちがうであろう。
A:\テクスト集\新潮テクスト\翻訳テクスト\アンナ・カレーニナ8.txt(218): 【しかし、リョーヴィンは、自分がなにをなすべきかをはっきりと知っていたばかりでなく、それらをいかになすべきか、どんな仕事がほかのものより重要であるかを、同じく十分心得ていた。】 ▼彼は、労働者をできるだけ安く雇わなければならないということを知っていた▼。しかし、前渡金をやってほんとの相場よりも安く彼らを縛るのは、たとえそれが有利であっても▼してはならないことであった▼。飼料の足りないときに、百姓たちに藁を売ることは、かわいそうにはちがいないが、悪いことではなかった。しかし、料理屋や居酒屋はたとえそれがいい収入になっても、廃止す★べきであった★。森林の盗伐は、できるだけ厳重に取締る必要があったが、家畜が畑を荒したからといって、罰金をとってはならなかった。たとえ番人たちをがっかりさせ、百姓たちのこらしめにならなくても、つかまえた家畜は放してやらないわけにいかなかった。
A:\テクスト集\新潮テクスト\百冊テクスト\KINKAKU.TXT(792):  私はむしろ目の前の娘を、欲望の対象と考えることから◆遁れようとしていた。【これを人生と考える◆べきなのだ。前進し獲得するための一つの関門と考える◆べきなのだ。今の機を逸したら、永遠に人生は私を訪れぬだろう。】そう考えた私の心はやりには、吃りに阻まれて言葉が口を出かねるときの、百千の屈辱の思い出が◆懸っていた。▼私は▼決然と口を切り、吃りながらも何事かを言い、生をわがものにする★べきであった★。柏木のあの酷薄な促し、「吃れ! 吃れ!」というあの無遠慮な叫びは、私の耳に蘇って、私を◆鼓舞した。……私はようやく手を女の裾のほうへ◆辷らせた。【……… そのとき金閣が現われたのである。……… 下宿の娘は遠く小さく、塵のように飛び去った。】
A:\テクスト集\新潮テクスト\百冊テクスト\KINKAKU.TXT(1631):  言葉は私を、陥っていた無力から弾き出した。俄かに全身に力が溢れた。とはいえ、心の一部は、これから私のやるべきことが徒爾だと執拗に告げてはいたが、◆私の力は無駄事を怖れなくなった◆。徒爾であるから、▼私は▼やる★べきであった★。
★べきでした★        1例
A:\テクスト集\新潮テクスト\百冊テクスト\錦繍.txt(175):  ▼私は▼由加子との関係がそんなに長くつづくとは思っていませんでしたし、どちらかと言えば、早く清算しなければならぬと考えていたくらいです。だがもう一方では、由加子という女に対する未練も根強く抱きつづけていました。「きょうは、あの男につき合ってやるのか」と私は言いました。由加子は何も答えませんでした。由加子はそうするつもりなのだと私は気づきました。何もかも由加子の自由である★べきでした★。私にそれを邪魔する権利などない。けれども、嫉妬という感情は不思議なものです。私は「清乃家」で待っているからと、いつにない怒りを含んだ口調で言うと、がちゃんと電話を切り、社の車を帰させてから、タクシーを拾って嵐山まで行きました。
 この<間接的心理描写文>というのは、最初のSATETSU.TXT(石川達三『青春の蹉跌』)で言えば、直接引用的には、
    江藤は「いまこそ、私は死ぬべきだ」と考えた。
とあるのが、いわば素直な表現であるものを、「神の視点」から思考動詞を叙法の中にとけ込ませた表現である。『異邦人』の「彼によれば」では、「彼」の立場からは「べきだ」とあるところを、一挙に作者の立場から「べきだった」と、いわば、はしょった形で表現したことになる。これらは、元の「中核文」では現在形(超時用法)であると推定されるため、リアル−非リアルの対立そのものがない、というべきである。
 最後の「べきでした」は、「私」という一人称で過去が語られる長い段落の一部であるが、問題の箇所は、やはり一般的な建前論である。あるいは当時の建前論であって、今としては否定したいものなのであろうか。

4)以上のように考えてもなお、大岡昇平『野火』に見られる次のような「べきであった」5例は、特異であると言わねばならぬ。「狂者の手記」ゆえの、「狂者」の視座ゆえの特異性であろうか。
A:\テクスト集\新潮テクスト\百冊テクスト\NOBI.TXT(72): 【私はいつか歩き出していた。歩きながら、私は今襲われた奇怪な観念を反芻していた。その無稽さを私は確信していたが、一種の秘密な喜びで、それに執着するものが、私の中にあったのである。……】 ▼歩哨は▼すべて地平に上がる煙の動向に‡注意す★べきであった★。ゲリラの原始的な合図かも知れないからである。▼事実▼不要物を焚く必要から上がる煙であるか、それとも遠方の共謀者と信号する煙であるかを、煙の形から見分けるという困難な任務が、歩哨に課せられていた。(三 野火)
A:\テクスト集\新潮テクスト\百冊テクスト\NOBI.TXT(705): 【▼伍長が▼先導した。私が最初この畠へ上って来た道を逆行して河原へ降り、暫く流れに沿って下ってから、最初の屈折点で、別の丘へ取りついた。……】 北を‡目指す★べきであった★。東西両海岸の米軍の連絡は既に成っていたが、オルモック街道がリモンの北で二つに分れ、一つがパロンポンに向っている地点がある。そこから半島に入ることが出来るであろうという、▼伍長の判断であった▼。(二二 行人)
A:\テクスト集\新潮テクスト\百冊テクスト\NOBI.TXT(93):  ▼私は▼既にその男に対する警戒を解いていた。我々は一般に比島人の性格を見分けるほど、観察の経験も根気も持っていなかったが、絶えず私の視線を迎えて微笑もうとしている彼の顔は、単に圧制者に気に入られようとする、人民の素朴な衝動のほか、何ものも現わしていないように思われた。それに、これは私が生涯の終りに見る、数少ない人間の‡一人である★べきであった★。(三 野火)    ≒はずであった
A:\テクスト集\新潮テクスト\百冊テクスト\NOBI.TXT(521):  膝から下が保護されている場合、地に匍う動物は無視することが出来る。▼私は▼銃口を下げて彼等を脅かしつつ、忙がしくあたりに眼を配った。犬の声によって警告された人間の方が、‡懼る★べきであった★。(一六 犬)
A:\テクスト集\新潮テクスト\百冊テクスト\NOBI.TXT(618): 【 野を斜めに横切った川の橋へ来た。橋板を軍靴で踏む音が、ごとんごとんと耳に響いた。私はその低い欄に腰を下し、流れる水に見入った。 水は月光を映して、燻銀に光り、橋の下で、小さな渦をいくつも作っていた。渦は流水の気紛れに従って形を変え、消えては現われ、渦巻きながら流れて行き、また引き戻されるように、溯行して来た。】 ▼私は▼その規則あり気な、繰り返す運動を眺め続けた。一人になってから、こういう繰り返しが、いつも私の関心の中心であったのを思い出した。それは自然の中にあるように、人生の中にも‡ある★べきであった★。【 昨夜からの私の行為は、この循環の中にはなかった。しかし結果は、一人の比島の女を殺すことで終った。あれは事故であったが、しかしもし事故が起ったのが、私がその循環からはずれたためだったとすると、やはり私の責任である。】(二〇 銃)
5)以上、「-ベキダ」過去形のリアル用法は、「べきであった」という文章語的文体形に顕著であり、文章論的に、作者の視点の問題が絡んでいることは確かである。
 とともに、結局は文章の構造から出てくることではあるが、たとえば、不実行の非リアル用法が、基本的に個別・具体的な出来事を表わす動詞文(記述文)における用法であるのに対し、リアル用法は、動詞文に限らず、存在(詞)文・名詞文・形容詞文にもまたがる判断文における用法であるといったような、述語あるいは文の陳述的なタイプに制約(条件)をもつのではないかということも、文法論としては逸することができないように思われる。


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