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かざし ノート

現代かざし抄 ―― なおがき ――   程度性・評価性と 叙法性   文構造の 二重性


■現代かざし抄 ―― なおがき ――

 近現代の 学界の 趨勢について あれこれ 批判がましい ことを いうのにも つかれた。ものとの 親密な つきあいの 世界に もどりたい。てを だしかねていた「かざし」の 世界に。きょうは「なおがき」と 称して 備忘録の つもりで、わかい ころに かんがえていた アイデアの うち 今後も かんがえを ふかめていきたい ことどもを、かたち ととのわない まま しるさせて もらう。

1)はたらき(構文機能)による かざし分類の システム化について

 これは いわずと しれた、「かざし抄」が 作歌用語辞典として 形式順 50音順に ―― 伝統的な いろは順で ない ことにも 注意。―― 内容的 機能的には 無秩序に 採録されていた のにたいして、語彙・文法的な 機能に もとづいて システム化を はかりたい という こと。これは 活字論文としては「「情態副詞」の 設定と 「存在詞」の 存立」(2010)の なかに、

    「あはれ いさ いで」などの <なげき・感動>
    「え かならず げに よも」などの <かたりかた・叙法>
    「うたて よし あまり いと」などの <ねぶみ〜ほど・評価〜程度>
    「かく ここら さ しか いく なに」などの <さししめし・指示>
    「いま つねに まだ」などの <とき・時間>
    「ことに たとへば まして」などの <とりたて・対比>
    「ともに おのづから まづ また」などの <かかわり・関係>

といった、共通して <はなしての 基準や たちばが 関与する もの>が、一類として あつめられていて、素材表示的(referential)な 意味を もった ものは 意識して さけられている、と みとめる ことが できるのでは ないか と おもわれる。
という ところまでは のべてあるが、まだ 分類に 苦慮している 例も のこっているし、関係の とらえかたも まだ 平板で 非階層的である。それに みがきを かけて、「現代かざし抄」を 「あゆひ抄」の レベルの 厳密さにまで もっていきたいのである。


2)語の かざしと 文の かざし ―― 2段がまえの システム ――

 これは つぎの「語と 文の 組織図」の「かざし」の 欄が 「様相1」の「規定詞 程度詞 様相詞」の レベルの ものと、「陳述2」の「取立詞 評価詞 叙法詞」の レベルの ものとの 2段がまえに なっている ことの 説明である。「あゆひ」の ほうも 2段がまえに なっている こと、いわば 語関係と 文関係である ことを きちんと 理論化しなくては ならないと おもっている。
         │ なまへ     かざり     よそひ
         │ 体言系     相言系     用言系
────┬────┼───────────────────────
    │(陳述)2│ 取立詞     評価詞     叙法詞
 こ し│かざし │  :       :       :
    │    │   …………………………………………
 と な│副用語 │  :       :       :
    │(様相)1│ 規定詞     程度詞     様相詞
 の じ├────┤  │       │       |
    │ことば │  ↓       ↓       ↓
 は な│自用語 │ 名 詞 ←── 形容詞 ──→ 動 詞
    ├────┤  │  イ/ナ 語 尾 ク/ニ  │
 ・ ・│(様相)1│ 助 辞 ──→ イ/ダ     複語尾
    │あゆひ │  │               ↑
   品│    │  └───────────────┘
 語  │付属辞 │  :       :       :
   詞│(叙法)2│ 認識辞     評情辞     行為辞
────┴────┴───────────────────────

3)「見越しの評価」について ―― つなぎと むすびへ ――

 これも いわずと しれた 渡辺実の いいだした ことを うけて、それと 奥田靖雄の 構文論的な みとり図との ドッキングを はかる こころみだが、もうすこし 具体的に いえば、

  よほど さすが せっかく ―― かざしにおける 評価と 因果との 関係 ――

など 評価と 因果との 両方に かかわる 語が めにつく ことに 注目しつつ、それが「こしかたへの 評定」と「いまの 評判」と「ゆくすえへの のぞみ(欲求 期待)」といった 時間性 意志性と からんで なりたっている ことにも かんがみ、

  ものごとの 評価や ありさまの 程度と、できごとの 時間的 因果的な 関係や ことがらの 叙法的な 関係など

を 統合的に みる 視野と 眼力の 必要を ときながら、語形変化を もたない「かざし」の、機能的には 単一の ものの さまざまな ありかた ―― つまり 既成の 論理の わくには おさまらない、日本語独自の 品詞(小詞)の システムとして 論じていきたい。
 従来は「けっして(否定)・おそらく(推量)・もし(仮定)」といった 単純(simple)で 純粋(pure)な ものか、「とても(不可能/程度)・なかなか(非実現/程度)・おおかた(推量/数量)」といった 二面的 選択的な ものが 注目される 傾向が つよかったが、今後は こうした「よほど・さすが・せっかく」や そのほか「よもや・まさか/かならず・絶対/あまり・まるで」といった 二重的 連関/融合的な ものも、単に かわった ものとしてでなく 基本的な ありかたとして とらえる 方法が もとめられるのである。ことばを ことばで とらえる ことの むつかしさ、いわば「ちで ちを あらう」凄惨な 事態も ときに さけられない かもしれない。

 次回以降、はなしを できるだけ 具体的に するように、個々の かざしの 記述に つきたいと おもうが、わたしは 辞書編纂者に なった わけではなく、あくまで 文法論者である つもりだから、文構成に かかわる 意味や 機能の 土台となる「カテゴリカルな意味」に 注目して 話題も えらばれる ことに なる。カテゴリカルな意味や 構文的な 機能などに みとおしが たっていれば「程度と 評価」とか「程度と 肯否」とか「評価と 因果」とか いった ように、語彙的な カテゴリカルな意味と 文法的な 意味や 機能とが 題名に えらばれるだろうが、いつも そう うまく いくとは かぎらない。迷路の なかを ひきずりまわされている ように 感じられる ときも あるだろう。まえもって おゆるしを えておきたい。あくまで 試行錯誤を くりかえす ノートなのである。
ついでに おもいだしたので しるしておくが、『日本語文法・連語論(資料編)』(1983)の 実質的な 著者である 奥田靖雄が、単行本化に あたって「動詞さくいん」を つける ことに 最後まで 抵抗していた ことを おもいだす。語彙論と 連語論との 方法 目的の ちがいが おおきな 理由だったと おもう。「事項索引」を つけずに「動詞さくいん」を つける ことは、奥田の 本意では けっして なく、まわりの ものの いわば はかりごとであった。奥田が ついでに 予想していた とおり、学界の なまけものが この 本を じびきがわりに つかう「理論家」的な「盗用」が いちじ はやった。


■程度性・評価性と 叙法性

 程度とか 評価とか いわれる ものは どちらも、顕在的な ふたつの ものの 比較の なかで くだされるか、潜在的な 基準との 比較に もとづいて くだされる、ひとつの ものの ありかた 状態である。ひとつの ものの 状態を 他の ものの 状態と どういう 関係で とらえるか という 認識主体との かかわりである。[主体+客体]関係の 表現と いうべきなのである。
 比較を あらわにした ものも、かくした ものも あるけれども、かくれた 基準に もとづく 比較すら ぬきに した、純粋に 単独の ものは、状態の 相対的な 量の 把握である「程度」も、社会生活(交換/使用)から みた 性質(価値)の 判定である「評価」も、認定 判定の くだしようが ない と いっても よい。
 ふたつの モノ(語)の 比較は それを ふくむ ふたつの コト(句)において じっさいには おこなわれる とすれば、比較表現の 問題は 当然 句関係としての「接続」=「複文」の 問題に ひろがる。比較を あらわす 日本語の「より」や 英語の "than" が、語格関係を あらわす 格助詞/前置詞ではなく、句格関係 つまり「接続(助)詞」[または「比較(助)詞」の 新設]と する、品詞論的な 処理は、この 句関係を うつしだした ものなのであり、渡辺実の「見越しの評価」も この 側面に 注目した ものであろう。
 そして 評価作用の 根柢に ある「可否(情)・好悪(意)・正否(知)」の、主文述語の 陳述面への あらわれとして、論理的な 肯否作用(両極性)や 認識的な 叙法性(判定の 確実性)への 関与も みられるだろう。と いうより、そうした 認識 叙述の わくぐみ=座標軸が さだまらなくては、評価や 程度を くだす ことが できないであろう。程度の 表現が 基本的に 肯定呼応か 否定呼応か どちらかに かたより、評価が 肯定/否定され 確認(確定/予定)された 事態全体に対して くだされる 性格を もつのは そういう わけなのである。未確定 未実現の 事態、つまり 未確定未来の 推量叙述文や 未実現事態の 命令文では、まともな 評価は くだせないのである。程度測定は、未来推量の 叙述文では おこなえるが、命令文では おちつきの わるくなる ものが おおい。こうした 両者の 性格が 大同にして 小異を もつのは、おもしろい。日本語の「かざし」は、日本語の 論理の 「たからの やま」である。
 以上の ような ことを いう とき、わたしの あたまには つぎの ような かざしが とけない なぞとして たちふさがっている。いま ここには こころおぼえとして 要点を 列挙しておく だけに とどまるが、意の ある ところを くんでいただきたい。

《事態の 結末の 否定的評価 / 行為(努力)の 効果の 実現願望》
 せっかく ここまで きたのに、途中で やめるなんて もったいない。
 せっかく ここまで きたのだから、最後まで きちんと やろう。

《原因/動機と 結果/目的との 関係における 程度と 評価》
 よほど つかれていたらしく、すぐに ねてしまった。異常な 原因の 推定
 よほど がんばらないと、合格は むずかしい。   異常な 努力の 必要
 よほど 異常事態が ない かぎり、だいじょうぶだ。 通常事態での 評価(保証)

《外面状態からの 内面状態の 推量。両者の 真実性の 肯否による 虚実》
 さぞ つらかった ことでしょう。
 さも つらそうに していた。/ いかにも つらそうに していた。

《目的(基準)との 関係での 状態の 評価(程度)的な 推量》
 あまり おおきいので、はこに はいらなかった。
 あまり おおきいと、はこに はいらない。
 あまり おおきくは なかった。/ あまり おおきくない ほうがよい。

《程度と 評価と 不確定性》
 案外 おもしろくて、聴衆の 評判が よかった。
 案外な ことに、きのう かれは こなかった。
 案外 かれは こない かもしれない。
「よほど(< よっぽど < よきほど)」については さらに、
【用法パターン】
1) 結果からの 順当な 異常原因の 推定:よほど つかれていたらしく、すぐに ねてしまった。
2) 二者を 比較しての 意外な 評価結果:いもうとの ほうが あねの ほうより よほど しっかりしている。
3) 現状認識からの 異常な 努力の 必要:よほど がんばらないと、落第するよ。
4) 現状からの 通常の ばあいでの 評価:よほど 異常事態が ない かぎり、だいじょうぶだ。
5) 不実行に おわった 意志行為の 状態:よほど なぐりつけてやろうか と おもった。

【意味的な つながり】
1) 現状結果からの 原因評価が「よきほど」に おこなわれる 異常な 過去の 推定
2) あたりまえでない 評価を あえて くだす 「よきほど」の 意外な 超時の 比較
3) 現状に あたりまえでない 努力が 必要であると 警告する 異常な 未来の 予告
 cf.「けっこう・てきとう・いい加減 / なかなか・まさか」(評価 逆転・下落)
4) 現状認識から 通常の 異常でない 事態を 評価・保証する 通常の 現在の 評定
5) 不実行/我慢に おわった 意志行為の 遂行直前には いたる 程度 評価の 状態
 cf.「あわや・あやうく・すんでの ところで/まさか」(過去 将然/予想 否定)
という ような へりくつを こねる ことも できそうに おもうが、茶谷恭代(2003)『現代日本語の副詞の研究 ―「よほど」の意味と用法 ― 』(東京外国語大学 修士論文 未公刊)という くわしい 記述 分析も あるし、なお 研究は 博士論文に むけて 進行中だと きくから、その 成果に 期待する ことに する。へらずぐちは これ以上は つつしんで、<程度−評価・肯否−叙法>という かざし(副詞)の 諸要因が 相互に 作用しあう ことは 不思議な ことでは ない という ことを 確認するに とどめておきたい。


■文構造の 二重性

 「な」(体言 名詞)を もて「ものを ことわり」、「よそひ」(用言 動詞)を もて「ことを さだめ」て、ほねぐみが つくられる「ことば」(句)を「たすく」る やくめを もつ、「かざし」(副用語 副詞)と「あゆひ」(関係語 助詞)の システムの なかに、
【いま、「 」内に 冨士谷 成章 の、( )内に 山田 孝雄 の ことばを もちいて、ことわけて 粗描のみ こころみる。】

    句の かざし と 語の かざし : それぞれ 小詞と 副詞 と わたしは よびわける
    語の あゆひ と 句の あゆひ : それぞれ 接辞と 助辞 と わたしは よびわける

という 二重の ものを わたしは 想定したいのだが、そのことが なぜ 必要に なるのか、すこしばかり かんがえてみたい。

 「語の かざし」とは、規定詞(連体詞)・程度詞(程度副詞)・様相詞(状態副詞の 一部)を さすのだが、規定詞(連体詞)が 名詞に かかり、程度詞(程度副詞)が 形容詞に かかり、様相詞(状態副詞の 一部)が 動詞に かかる という ぐあいに、関係する あいては 語=品詞的に だいたい きまっている。( )内は 通称。それにたいして、「句の かざし」とは、とりたて(副)詞・評価(副)詞・叙法(副)詞を さすのだが、とりたて(副)詞が 名詞に、評価(副)詞が 形容詞に、叙法(副)詞が 動詞に と、それぞれ かかわる ことを 中心的な 用法と しつつも、他の 品詞と かかわる 用法も けっして 排除は しない。「かかる」と「かかわる」と、いいわけた ことにも 注意していただきたい。「語の かざし」より「句の かざし」は 文のなかでの 関係の 独立性が たかいのである。

    とりたて:たとえば 少女Bの ような、⇒ たとえば 〜した とする。/ たとえば くらかった ばあい、……
    評  価:さいわい あかるかった。⇒ さいわい 〜した とする。/ さいわい 晴天だった ばあい、……
    叙  法:けっして いこうとしなかった。⇒ けっして おおきくは なかった。/ けっして 病気では なかった。

この 二種は 基本的には <語>と <文>という ことばの 分節に 対応している と かんがえられ、関係の 形式面から いえば、

    a) 語と 語との 関係:主従/包摂 関係 < 橋本「連 文 節」 時枝「入れ子型」
    b) 句と 句との 関係:対等/合同 関係 < 成章「うちあひ」 川端「句的体制」

という ような ちがいが あると わたしには おもえるのである。語の レベルの 関係が 橋本進吉の「連文節」や 時枝誠記の「入れ子型構文」で おおよそ とらえられる ような 主従(包摂)関係に あるのだ としたら、句の レベルの 関係は、川端善明の「副詞は 語的形態に 句的体制を もつ」という ことばが 暗示する ように、のべかた(陳述)的な まえおき(設定)句の 結晶としての かざし(陳述小詞=句の かざし)と 後続の 句本体とが 「うちあふ」関係(成章)、つまり 呼応し 相関する 関係に あるのである。
 わかりやすく する ために、この ちがいを やや 乱暴に 拡大して、関係の 内容面にも 言及すれば、

    a) 統語(連語)構造における 修飾関係 : 従属 → 主要 に まとまり、
    b) 構文(陳述)構造における 呼応関係 : 凝縮 → 展開 へ ひろがる。

という 逆の 方向性を もった 二重性の ように おもわれる。表現過程に そって いいかえれば、語と 語とが まとまって、連語に 拡大し、句と 句とが うちあって、句が 文に 展開し、さらには 複文にまで 拡張するのである。

    「あゆひ」については、単位性の 問題も あり、別に 論じた ほうが いい と おもう。
    ただし、基本的な みかたの おおすじは おおよそ 並行的だと いっていい と おもう。

 こうした 二重の くみたて(表現構成)が、質的には 複雑多岐に わたり 量的には 無限に 存在する 素材世界を 表現してみせる 可能性(創造性)を もたねばならぬ 文の くみたて(作品構造)には 必要なのである。「文の線状(条)性」という、ことばが 宿命的に もつ 基本的な 形式上の 制約のなかで、すこしでも 複雑な「文の 包摂(上下・階層)−並立(同位・相補)性」を 明確に ゆたかに しめしたい という、ながい 言語表現の 歴史のなかで つくりあげられてきた ものなのだろう と おもわれるのである。
 みちすがら、すこしぐらい「むだ・冗長」や「みだれ・混線」が みられたから といって、おおさわぎする ことは ないのだ。


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工藤 浩 / くどう ひろし / KUDOO Hirosi / Hiroshi Kudow


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