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東京外国語大学 日本語学科


最終講義










こと-ばの かた-ちの こと

―― 現代かざし抄の おおむねに ――



















工 藤 浩






2010年2月12日




0)はじめに

「かざし」とか 副詞とか いわれる ものは、不変化詞(形態的に 不変化の 語)が おおい。
 近代文法の ちち 山田 孝雄の なやみも、良識と「理論」との くいちがいに あった。
「陳述副詞はかかる性質のものなるが、又其の意義の差によりて述語の様式に特別の関係
を有せり。之を述ぶるは文典の職にはあらねども 一 二 概括して示さむとす。」として、
「確説或るは断言の陳述副詞:肯定的;かならず 是非  否定的;決して え さらさら
 設説的のもの:仮設のもの;もし  仮容のもの;たとひ よし」などを あげている。
                    (山田 孝雄(1908)『日本文法論』p.530-1)

 山田は はたして 無駄な 無用の ことを したのだろうか? ―― そんな ことは ない。

  kata(型・形) と koto(事・言)   / kata-ti と koto-ba
  同根:「かた-し」「かた-む」    /「かた-る」
  複合:「す-がた(姿)」       cf.「す-はだ(素肌)」「す-あし(素足)」


1)W. フンボルト(1836)『(通称)カヴィ語研究序説』(亀山 健吉 訳(1984)『言語と精神』)

「言語は、出来上がった作品(エルゴン)ではなくて、活動性(エネルゲイア)である」
「言語は、限られた手段を使いこなして、無限の用法を作り出さなくてはならない」
などの ことばで 有名な 人文学者だが、「形式」については、

  外的言語形式:知性 感覚の レベル    「音声形式」とも いう
  内的言語形式:理性 精神の レベル    <知・情・意>の精神の綜合作用

言語形式(Form der Sprachen / Sprachform)は;
[一般的には]
・精神は分節化した音声を思考の表現にまで高めてゆく役割を果すわけであるが、精神のこういう仕事の中にみられる恒常的なもの、同じような形態を取り続けているものを、できるだけ完全にその関連性において把握し、できるだけ体系的に表現したもの

[具体的には]
・発話の構成・構文の規則などを遙かに超えた拡がりを持っているのであるし、更に語を形成する時の規則をすら大幅に超えたものである。

   言語の完成=音声形式と 内面的な言語法則とが 結合したとき
         言語を産み出す 精神の活動に常に支えられた 綜合(=創造)作用

 マルティ・ポルツィヒ・ヴァイスゲルバーなど、いわゆる「新フンボルト学派」には ふれずに、新大陸 アメリカで 人類学者としても 活躍した E. サピアに すすもう。


2)E. サピア(1921)『言語』 [3種の邦訳(木坂千秋・泉井久之助・安藤貞雄)あり]

  第3章:言語の 音声          (「形式(form)」には いれていない)
  第4章:言語における 形式(form in language):文法的手順
  第5章:言語における 形式(form in language):文法的概念
  第6章:言語構造の 型 (「一般的な 形式(general form)」とも いっている)

  文法的手順:語順・合成法・接辞法(派生)・音韻交替   (大から小への方向)
        擬音・擬態という音象徴の重複(畳語)   (⇔言語記号の恣意性)
        語に超分節的にかぶさるアクセント    (⇔言語記号の分節性)

   内的形式/外的形式 (第6章)
     ラテン語:外面的に 有形式 内的形式を 有す
     シ ナ語:外面的に 無形式 内的形式を 有す  
   「"内的無形式"が ある」というのは 幻影であると 信じざるをえない。

「個々の音は、正確にかんがえれば、けっしてことばの要素ではない。なぜなら、ことばは、有意味な機能体であるが、音そのものはなんの意味ももたないからである。」(第2章 ことばの要素 冒頭部)

「ここに興味があるのは、前の図表中に表わした三つの互に交錯する分類法(概念の型、手法、統合の程度による)のうち、最も早く変化すると思われるのは統合の程度であって、手法は修飾されうるが、しかし遥かに変化はしにくく、概念の型(conceptual type =第5章)は、とりわけ最も永く持続する傾きがあることである。」  (第6章末尾 泉井訳p.141)

 L. ブルームフィールド・服部 四郎といった 技巧派には、あえて ふれずに おいて、最後に、日本の「文法的な かたち」の 最前線の かんがえかたに ついて みてみよう。


3)奥田 靖雄(1984)『ことばの研究・序説』ほか (この本の題、サピアの本の 副題から)
  サピアの 文法的な形式の かんがえを さらに 大の方向に すすめた。

3-1 副詞(不変化詞)       文・連語の 構造 (文・コトの むすびつき・かたち)
 (a) ゆっくり はなさない。  [ゆっくり はなさ]ない。
 (b) しばらく はなさない。   しばらく [はなさない]。
 (c) ろくろく はなさない。  cf. ×ろくろく おもく/事故では ない。
 (d) けっして はなさない。  cf. ○けっして おもく/事故では ない。

3-2 アスペクト         コトの 配置 (連文・複文の つながりかた・かたち)
 (a) その晩、金沢の ○○ホテルに とまった。  翌日 能登に むかった。   <連鎖>
 (b) その晩、金沢の ○○ホテルに とまっていた。夜中 地震が あった。    <共存>


3-3 モダリティ         段落の 構造 (場面・舞台の くみたてかた・かたち)
3-3-1 記述と 説明(的推量)   説明(explanation)の 構造    [説明され−説明し]
  朝から浮かぬ顔をしている。 酒を飲み過ぎたのだ(ろう)。
  朝から浮かぬ顔をしているが、酒を飲み過ぎたのだ(ろう)。
  酒を飲み過ぎたのだ(ろう)。 朝から浮かぬ顔をしている。
  酒を飲み過ぎたのか/のだろう、朝から浮かぬ顔をしている。

3-3-2 根拠と 推定       証拠性(evidentiality)の 構造     [証拠−推定]
  道行く人が傘をさしている。  雨が降ってきたらしい/ようだ。
  道行く人が傘をさしているところを見ると、雨が降ってきたらしい/ようだ。
  雨が降ってきたらしい/ようだ。道行く人が傘をさしている。
  雨が降ってきたらしく/ようで、道行く人が傘をさしている。

 このように、ことばの かたちに ついては、フンボルト、サピア、奥田 靖雄といった 研究者に うけつがれて、さぐりを いれられ あきらかに されてきた ように みえる。
 時間の 関係で まことに 残念ながら、E. バンヴニストの 論理や 心理との 関係に ついての かんがえには ふれない まま、まとめに はいろう。ソシュール・チョムスキーといった アイデアリストに ふれずに はなしが すすめられた ことには ほっとしている。


4)コト(koto)と カタ(kata)
 専門術語としての「form:かたち」という 術語は、一般に 内容 または 質料(素材 materia)に 対して こと(しごと・できごと)が おこる「しかた・ありかた」を いう 術語   (ex. 料理で いえば「つくりかた・いたみかた」。 平凡社『哲学事典』改変)

  koto  知覚不能 : kata  知覚可能  ※ 母音交替形として ペアを なす
  事の  なかみ  : 個別・具体的な「かたち」   一般・抽象的な「かた」
  言の  こころ  : 無意志的な「ありかた(状態)」 意志的な「しかた(方法)」

 ことの 「みとめ(認識)」や 「かんがえ(思考)」は、ことばの かたちに、しかた ありかたに いたるまで、とりつかれている という さだめに あるのか。(#)

 コトと カタとは 一方だけでは なりたたずに、同時に からみあって 成立する。 合掌

 合掌した とき、みぎの ては ひだりの てに さわっているのだろうか、さわられているのだろうか。言語的には ヴォイス(voice, 態diathese)の 問題であり、ことばと ことがらとの 対応が 一対一の 対応ではない ことを ものがたるが、みぎてと ひだりてとは てを あわせる という ことがらにおいて からみあい、ついには とけあうのであろうか。(##)

<コト なくして カタ なし、カタ なくして コト なし>と いって いいだろうか。
                                 ふたたび 合掌


▼ 当日は、表紙を ふくめて 原稿 A4 4ページ、印刷 A3 1枚 両面ずり、できあがり 2つおり A4 4ページ パンフレットじたてに した プリントを 配布した。

★ 当日 プリントには のせず、ぬきよみした 詩の 一節(下線部)の 出典は、つぎの 金子みすゞ「ほし と たんぽぽ」。

    あおい おそらの そこふかく、
    うみの こいしの そのように、
    よるが くるまで しずんでる、
    ひるの おほしは めにみえぬ。
       みえぬ けれども あるんだよ
       みえぬ ものでも あるんだよ
    ちって すがれた たんぽぽの、
    かわらの すきに だァまって、
    はるの くるまで かくれてる、
    つよい そのねは めにみえぬ。
       みえぬ けれども あるんだよ、
       みえぬ ものでも あるんだよ。

● しめくくりの (#)の ところで マルクス+エンゲルス共著の 『ドイツ・イデオロギー』のことを、(##)の ところで メルロ=ポンティの 『知覚の現象学』のことを、おもいうかべていた。案の定、それは 当日 すなおに いえる 雰囲気では なかった。「L. ブルームフィールド・服部 四郎といった 技巧派」とか 「ソシュール・チョムスキーといった アイデアリスト」といった ちょっかいが、外国語大学を しらけさせた のであろう。



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