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山田文法批判 ノート

1)述格 と 存在詞   2)テンス と ムード   3)便宜 と 比喩


0)はじめに

山田孝雄博士は肇国神話の現在性を説いて、「二千六百年前の事実がこれを輪切りにすれば中心の年輪として存在してゐる………だから 神武天皇様の御代のことは昔話としてでなく、現に存在してゐるのである。」(中央公論、昭和十八年九月、「神国日本の使命と国民の覚悟」)といわれた。まことに「縦軸(時間性)の延長即ち円(空間性)の拡大」という超国家主義論理の巧妙な表現というべきである。(丸山眞男1946「超国家主義の論理と心理」『世界』同年5月号 『増補版 現代政治の思想と行動』(未来社)所収による)
 思想史は 思想史と し、日本語学は 日本語学と して、おくればせながら 日本近代文法学の ちちとも よばれる 山田文法を めぐって、その 出発点としての 概念装置・術語体系を 内在的に 批判しなければならない。さいきん でた 斎藤・大木編2010『山田文法の現代的意義』(ひつじ書房)を ざっと ひろいよみしての 率直な 痛切な 反省である。すねかじりに おわりたくは ない。
 以下、『論』は 『日本文法論』(1908<明治41>年刊「此の書を手にとりもちて思ふ哉 いのちをかけてかきし昔を」晩年の 詠草)の、『講義』は 『日本文法講義』(1922<大正11>年刊 日大講義草案を もとに)の、『概論』は 『日本文法学概論』(1936<昭和11>年刊 東北帝大講義草案を もとに)の、 それぞれ 略称と する。すべて 発行所は 寶文館。
 この「ノート」は、もともと 論集『山田文法の現代的意義』の なかに のせた「「情態副詞」の 設定と 「存在詞」の 存立」という 論文の 補説として かいた ところが あるので、 ―― それは、論文の 原稿執筆時 ちょうど 大学の 定年退職期を むかえ、研究室の 本が 実質的に つかえない 環境で かかざるをえない はめに おちいった ため、論の 展開が やはり あらくなったので、刊行後 補説を 必要とした からであり、―― この 論文を よんでいる ことを 前提にして かいている ところが ある。あわせて よんでくれる ことを 希望する。

 また、よみなおしてみて、この 初稿は、否定的な 面ばかり かいていて、それを 歴史的に 肯定的な 面の なかで あつかっていない など、一面的な あつかいを してしまった ところが ある。しばらく ときを おいて、研究史として 全面的に かきなおしたい。「日本近代文法学の父」と いわれる ゆえんも きちんと かかなければいけない。


1)述格 と 存在詞 ―― 山田文法の 大黒ばしら 「位格・文要素」:「述格・陳述」の 絶対「統覚」性 ――
1-1「述語 用言」の 要素主義 ―― 混合と 化合 ――
 山田は、述体の 文(句)において「述語 用言」に、文(句)の 中心・統一的な ちからとして、心理的な 統覚/論理的な 繋辞(決素)/言語的な 陳述を、みとめた。文全体から「述語 用言」という 部分に しぼりこむ、そこまでの 抽象は、現在でも 常識的と いってよく、主述の 相関にか;述語一本にか;という 問題は のこるが、ひとまず みとめてもよいだろう。
 しかし「言語の形に於いては分つべからざる」(『概論』p.698) 属性と 陳述とを、賓格と 述格とを きりはなして その 相関関係を みようとしない まま、陳述・述格の ほうを あらわす 形式用言(存在詞)の 部分をこそ 用言の 本質だと みなしてしまうのは、その 両者の 成分を もった 実質用言(動詞・形容詞)を たんに たし算の 関係の 混合物としか みていない ことを しめす ものである。この 両者(実質用言)が、文の レベルにおいて、ものがたり文・しなさだめ文(佐久間鼎)、現象文・判断文(三尾砂)、現実性判断・観念性判断(森重敏)、動詞文・形容詞文(川端善明) といった ように、なまえや とらえかたの ちがいは しばらく おくとして 種類を ことにする こと、両者が たんなる 混合ではなく、かけあわされる ことによって いわば 化学変化を おこす 化合物に なる という だいじな ことを 山田は みおとしている、と いわなければならない。属性と 陳述とを あわせもった 実質用言 つまり 動詞や 形容詞は 文の レベルにおいて ことなった 現実態=述語として はたらく(機能する)のである。山田には そこが みえていない。山田も、分析だけでなく 総合の 必要な ことを いい それなりに 実践も しているが、その 総合は いわば たし算(分析結果の 総和)でしか ない。要素主義的な 偏向を のこした ままの 総合である。ゲシュタルト的な「全体」の 独自性が わかっていない。やはり 19世紀的な 統覚心理学の 時代の 基礎教養(パラダイム・研究方法)なのである。
 ただ これは、山田の いきていた 時代全体の 歴史的制約と いうべき ものであって、松下文法など 他の 文法にも あてはまる ことであり、個々の 文法学説の 批判としては 要求が 酷であろう。だが ここには、研究史上の ながれ・趨勢を はっきりさせる ために、明示的に 問題を 指摘しておく ことにする。そして、この 山田の「述体の句」の、[主体+属性]陳述・[主格+賓格]述格 という 文構造の 図式的な とらえかた ――― 陳述・述格の「絶対性」――― が、かの 時枝文法の「入れ子式」構文観 ――― すべての 文は、<文末の辞が つつむ>という 共通点から、「月よ」(詞+辞)に 結局は 収斂する 「一語文」的理解に なる、つまり "構造なき 構文観・陳述論" ――― と、ほんの 一歩の ちかさに ある という ことも 指摘しておきたい。陳述・述格は、構造を 包摂して 対立関係や 相互作用の ない、別レベルの「統覚」なのであった。外見に だまされては ならない。時枝文法が 山田文法の "おにっこ" だと 称する ゆえんである。山田は 「位格」を 「句論」ではなく 「語の運用論」で とき、松下には 「詞の相関論」は あっても 「断句論」は ないに ひとしく、時枝の 語と 文とが 「質的統一体」だ と いうのは、くちさきだけ みかけだけである。(語+零記号の辞)=句=文は いずれも つまりは <詞+辞>の「入れ子」である。どの くろうとの 文法学説も、要素主義であった。橋本文法も である ことは わざわざ いうまでも あるまい。要素主義を 脱して、文の くみたてに 体系や 構造を 発見する ためには、ゲシュタルト心理学者 佐久間鼎や 「場の理論」の 洗礼を うけた 哲学者 三尾砂 という 文法の しろうとを 必要とした ことを わすれては ならない。「象牙の塔」に こもりがちな 学界を 現実の 生活世界に ねざした ものに するには、ときに しろうと的な みかたも 必要なのであった。それが、国粋思想の はなやかだった 昭和 戦中期に おきた という ことが 皮肉といえば 皮肉ではあるが、山田文法が 自然落下すべき 爛熟期を むかえていた からであろうか。時代が 「言語論的 転回」期を むかえていた からであろうか。それとも、言語問題が 思想問題に なりにくかった から、ふだんなら あいてに しない ような 有能な 人物が 言語の ことを 論じてくれた という だけの ことであろうか。たしかに、かれらの 全体主義・場理論を 政治むきに 応用したら/されたら、危険 きわまり なかっただろう。

はなしは 脱線する ようだが、東大国文科 昭和10年卒業ぐみに、亀井孝 高羽五郎 井上誠之助 中村通夫 水野清 …… といった、しる ひとぞ しる 錚々たる メンバーが いたのも、国史科に 国粋的・狂信的な 平泉澄が いたのを きらって、国文科の より 中立的な 橋本進吉の もとに きた ためだ という 伝説が 1960年代までは あった。みんな、ひとくせも ふたくせも ある 人物で、個性的な 活躍を して、後継者には めぐまれなかった ようである。そだてる 条件も 意志も なかったのだろう。

1-2 存在詞の とりだし ――― 『講義』『概論』 教師としての 堕落 ―――
 『論』においては「純粋形式用言」と 位置づけていた「あり」を、独立品詞なみに 「存在詞」として 特立した 理由として、『概論』p.199 には、「性質は動詞にも形容詞にも通ずる点あり、意義は形容詞に似、形は動詞に似たり。用法の広きこと用言全般に影響するものなれば、特立させるのが便益多し。名目は便宜の為に存在詞と名づくべし。」と いうけれども、用法の 広さ 「便益」から いえば、「陳述辞」と いうべきでは なかったか。ことは、ほんとうは 「便益・便宜」では すまされないのだ。ことの 重大さ ――― 自立語=語彙性=物質的基礎性と 付属語=文法化=関係的機能性との ちがい ――― が 山田には わかっていないのである。意味(面)の 抽象性・形式性 という 側面しか めに はいらない ようである。「存在詞」存立 という 重大な 処理を するには、語の 形式面(自立性/付属性)・機能面(実質性/関係性)の 観察が できていない という 点で 致命的な 欠落が あるのである。橋本文法(形式文法) 以前、渡辺文法(機能文法) 以前 という あたりまえの ことを、一世紀後に なっても わざわざ いわなくてはならない ことを かなしむ。「根源的な問題への姿勢」とか、「百年の不易流行」とか という みかたも、あるらしい。
 「存在の存在詞」つまり 自立語としての 存在の 動詞用法は、特立の 理由に なっていないのだから、「存在詞」全体を 特立する ことは 合理的な 理由を もっていない ことに なる。しいて いえば、「性質は動詞にも形容詞にも通ずる点あり」という 点だけである。ただ、この点は、国学者も とっくの むかしに 気づいていて、山田も 指摘する ような あつかいの ゆれを 学者間に みせていたのであり、それは、「存在詞」を たてる ことで 解決できる ような ことではないのである。 自立語としての「存在」という 特異な 意味に 由来する 問題であって、それは 西洋でも、have動詞=所有動詞とともに be動詞=存在動詞と なづけられて その 特異性に 注目されて きているのである。もちろん、その 助動詞用法にも 西洋でも 注目が あつまっているが、本動詞用法と 十把ひとからげに あつかう という 乱暴な あつかいは いくらなんでも していない。
【補記】国学者の たとえば 冨士谷成章は、たしかに「こと」(動詞) 「さま」(形容詞)とは べつに、「孔(ありな)」(ラ変動詞)を たて、ついでに「形容動詞」も 「在状(ありさま)」として たてるが、『あゆひ抄』本文においては 「有倫(ありとも)」(陳述辞)も べつに たてている。説明に やや ゆれた 混雑も あるが、特異性(機能相違点)も 普遍性(形式共通点)も、ともに みぬいている のである。

1-3「なし」を 存在詞に いれない 理由 ――― 時間空間の 有無 ―――
 「なし」を 存在詞に いれない 理由としては、やはり『概論』(p.213-214)で、「あり」が 動詞全般と おなじように「時間空間を予想」し、「なし」が 形容詞一般と おなじように「時間空間を絶したる観念」を もつ という ことを 指摘する ところまでは まちがっていないが、『論』その他の テンス否定の 箇所で 山田自身が 論拠に している「超時」的な 用法を 用言一般が もっている こと、「存在」表現を 一般的に 問題に する 以上、その「超時」用法を 無視は けっして できない ことを わすれている。論は、まちがっては いないが、たけが たりない と いうべきだろう。結論が さきに あって、理屈を あとから こねている、記憶力の わるい 熱血教師 という 雰囲気が ただよう。東北帝国大学の 講義草案からと いう 『概論』の くちぶりからして、「存在詞」に関する 学生の 質問を いたけだかに しりぞける ばかりで、みづからの 論の 不足を 反省する ところが みえない(「俗人」の「価値なき」「通俗的見解」)。きく みみを もたない 熱血教師 というのも こまりものである。念のために いえば、「なくあり>なかり」の 存在を いうのは いいけれど、この 用法の ひろさは、説明存在詞 つまり「陳述辞」の 特異性であって、存在詞 特立の 理由には ならない ことは 前節にも のべた とおり。
 この 両者を「別種の語とする所にわが国語の哲理的根拠の深きを見るに足るべきもの」(p.214)だと みえを きっているが、この みえが「時間」「空間」という <状況・ばめん>がらみである ことは 記憶しておいて よいだろう。


2)テンス と ムード ―― 山田文法の 精髄 「複語尾」:「陳述の状態(曲折)」による 述語の 統一・整頓 ――
2-1 時(tense)の 否定 ―― 『論』(1908)以来の 根本視点 ――
 山田は、『論』の 2か所で 時(tense)に とくに ふれている。複語尾・あゆひ論として 『論』p.412-442 の「文法上の時の論」、副詞・かざし論として p.516-522 の「時及処の副詞につきて論ず」の 2か所である。
 山田は、いかにも 国学者らしく、「時」を 考察するにあたって まず、「時其の者の概念(の起原)」という「根本に遡」ろうとする(本義主義・根本主義)。また、「主観」「視点」「観察点(現在)」を 基準にする という、現今の deixis 性を 強調する(主観基準主義)。――― ここまでの 学問の 根本態度自体は まちがっていない。
 しかし、岡澤鉦次郎の「時間式・動作式」というのは、推測するに 現代風に いえば テンス・アスペクトの ことかと おもわれ、岡澤は ここで、西洋語が tense 式 あるいは temporal aspect 式と 称すべき 言語である のに対し、日本語は 真に aspect 式と 称すべき 言語だ という ふうに 「性質上の差」を 指摘しようとした ものと おもわれるが、それを 山田は、「全くは了解すること能はざるが故に」と 簡単に きりすてて、ハイゼなどに 代表される 旧説に もどる という 復古的な やくわりを はたしてしまう。すくなくとも 時間観念に 関しては、革新的・進取的とは いえず、守旧的・退嬰的である。【この あたり、出典が あきらかで なく、また 当時の 雑誌を 完備した 図書館に しらべに でかける 体力も ないので、てもとに ある 岡澤の 単行本や 小林好日『国語学の諸問題』所収の「時化」に関する 論文などから 推定した。山田の 混乱の 責任が 岡澤の 理解と 説明にも あったのか どうか という 問題については 態度を 保留する。この 件の くわしい ことと、ついでに 仙台の 地を 舞台に 山田孝雄・小林好日・岡澤鉦次郎の 三者が 研究の 内外において どんな 関係に あったのか という ことについても、わかい ひとに 期待する。】
 のちに 佐久間鼎や 三尾砂に よって「しなさだめ文」とか「判断文」とか なづけられる ものが 超時間である ことを 指摘する ことも、時間表現の「主観(基準)」との 関係を 強調する ことも、それ自体は けっして まちがっていないが、論理に あれも これも という 両義性(ambiguity)や 矛盾形態を いれる ゆとりが なく、あれか これか という 叙法(mood)面への 一面的な 形式論や 固着図式(固定観念)に おちいってしまったのは、直情的なのが 国学の 伝統だ とはいえ、まことに おしまれる ことである。

2-2 いわゆる「現在」に つぎの 三種の 異類が ある と し、
   1)相対的の 現在
   2)恒時 ―― 時間の区別を超絶
   3)純粋なる断定 ―― 時間其の者を超絶
岡田(正美?)の「恒時」や スヰートの「中性時」を 批判している。
 このあたりの 論理の はこびは、「現在(形)」「過去(形)」という 語形の 区別と、「現在」「過去」「未来」という 意味の 区別とを、混同している ところが ある ように みえる。テンスを 否定すべきだ という はげしい おもいこみが、ひとの 学説を、その 典型的ならざる 用法の 説明を、すなおに よめなく させている ようにも みえる。まるで だだっこである。
 p.432 に「時の区別を認むる基礎を Occurrence 即 出来事(動詞)に認めむと欲す」と 指摘するのは よいが、岡澤の ただしく 指摘した テンスと アスペクトとの「二様の見解」つまり「時間式」「動作式」を 誤解 ないし 曲解して、「時間式」と いうよりは 「思想式(mood)」と いうべきだ と 我田引水したのは なんとも いただけない。「先入観」とは こういうのを いうのだろう。たしかに 熱血的では あり、正義漢に こわい もの なし ではある ようだが ………
 アスペクトの 概念は 山田文法には 欠落している と おもう。p.441に「客観的の時の関係的状態」として 別に 論ずる と いっているが、『論』『概論』には、否定の ための ひととおりの 言及 という 以上の 言及は ない と おもう。

2-3「吾人の説明」として、
   1)「現在」は 思想の直接表象=意識其の者直接の活動
   2)「過去」は 回想作用。おなじ 過去界の 事実「終る/終りき」=直接に表象/回想
   3)「未来」は 予期設想。おなじ 未来界の 事実「行ふ/行はむ」=直接に表象(決定)/予期
と テンスを 否定し、叙法(mood)的に とらえる かんがえかたを しめしているが、「法(mood)」については、メークルジョンの 説明の うちの "manner"の 意味を とりちがえたのか、「形体の用法」[活用(の種類)の こと?]と 誤解している ようにも みえる(p.441)。ご愛嬌と いうべきだろうか。それとも、ふるくは 大槻文彦・三矢重松から 金沢庄三郎・安田喜代門を へて、ちかくは 寺村秀夫の ムード(法)の 受容・認識の しかた とともに、まじめに 批判すべきだろうか。話題は、「きれつづき」(断続)という 文のなかでの はたらき(構文機能)と、「ムード」(mood 叙法)という 文法的な カテゴリー(文法義の タイプ)との あいだの、研究史的な 複雑な 関係に なる。河野六郎に したがえば、前者は アルタイ型の 言語には あるが、印欧語には ない。動詞に、テンス・ムードを もつ 定形か、もたぬ 非定形か、という 用法の 区別が ある だけである。西洋文典に まなんだ 研究者たちが、その 模範に 不足が あるとは しらずに、あれこれと 苦渋 決断して、効用を 調整 折衷した ところである。

2-4 この 節の 末尾には、

 今、吾人は西洋の文典にてもかの時の三別といふ陳套なる説をすてゝ思想の状態を以て区別すべき必要ありと思ふ。然れども、かれの文典の観念は羅馬時代より流伝して、その根底かたく、加之自家の語を以て最進歩せるものなりなどと誇称せるが上に、他の語法と比較して真理を発見せむの熱心なく、一切自家の体制を以て他の語族の文法をさへ律せむとする如き驚くべき僻見有せるものなれば、到底一朝一夕に吾人の所説に賛同することなかるべし。見よかの民族心理学の創建者とも称すべきヴント氏の所説を。氏の如き思想家にありても、なほこの見易き理に思い至らず Tempola を既定の真理の如く説きて平然たり。吾人は到底わが国語の研究によりて世界の文法学に一大革新を与へざるべからず。ヴント氏の民族心理学の如きは、唯僅に印度欧羅巴語族の心理学にすぎず。吾人の前途多忙なるかな。(p.441-2)
と まくしたてて 意気軒昂な ところを みせている。ヴントの 民族心理学に 代表される 西洋中心主義に 異議もうしたてを している ところまでは その 意気や 壮と すべきであるが、敵に にせて おのれを つくった というか、「とき」と「陳述」とを 択一的に かんがえる ばかりで、述語の「陳述」のなかで 《テンス・アスペクトと ムード・モード(様相)との 相関》が おきる 可能性を かんがえても みようとしなかった。しかし たとえば 「-た」「-けり」の 語形が、現象記述文「V-した」「V-しけり」においては 《過去》(テンス)として あらわれたり、判断説明文「N-であった」「N-なりけり」においては 《想起》(ムード)として あらわれたり するし、「V-しようとする」「V-せむ(とす)」といった 動詞(現象記述)文の 形式においては、無意志事態「〜なる」の 文では 《直前相》(アスペクト)として あらわれ、意志行為「〜する」の 文では 《意向相》(モード)として あらわれる。それを 形態−意味の 相関する 分析の 方向に すすまなかったのは、研究史的には どうして なのだろうか。

 山田孝雄の 激昂しやすさは、国学の 伝統、創始者 荷田春満や 大成者 平田篤胤 ゆずり かもしれない。丸山眞男流に いえば、賀茂真淵 本居宣長も ふくめて、<国家的、政治的危機>において <過去>が <突如として「思い出」として噴出する> のかもしれない(『日本の思想』p.12)。たとえば、もっとも 学者として 綿密周到に みえる 宣長に おいてさえ、『古事記伝』本文の 実証性・論証性と 総論末尾の「直毘霊(なほびの みたま)」の 狂信性・論難性との 落差を みればいい。
「(物にゆく) 道 < み+ち [cf. いの-ち かた-ち etc.]」という、やはり 空間 > 時間 > 人間(じんかん)にかかわる 比喩的な ことがら (道義 道理 道徳)を めぐって、論難・誹謗が 官学(体制派)としての 儒学に はげしく なげつけられる(cf. 和辻倫理学)。石川淳流に いえば、半神半俗の「魔」の 世界である(『日本の名著21 本居宣長』解説)。それに くらべれば、山田孝雄など まだ かわいい ほうだ と いうべきであろうか。山田孝雄の 新国学の 生涯に、宣長の「魔」の 世界、もしくは 篤胤の「平田神道」に 匹敵する ような、おどろおどろしい ものが あっただろうか。

 諸人を ふるいたたしめんと ならば、その みにおいて 魔を もたざるべからず(バクーニン 石川淳 撰訳)

2-5 副詞の 総論の 最後、下位分類の 直前に おかれた「時及処の副詞につきて論ず」という 節においては、いわゆる 時の副詞に つぎの 2つが ある と している。
   1)時間的形式を あらはせる もの     ―― 体言
   2)属性の 時的制約を あらはせる もの  ―― 副詞
時間・空間の 本性は、「一切事物の存在の普遍的形式」であり「最高概念 根柢 本原」であるから、副詞でなく 体言で あらわされて 当然だと している。ここまでは いいが、
かかれば吾人の国語がこの一切事物を統括せる形式と観念の附属物たる副詞との間に明瞭なる区別をなせるは実に我が国民心理のいかに明晰なるかを表明するものといはざるべからず。吾人は今之を闡明にし得たるを感謝せざるを得ず。惟ふに西洋語にても其れらの文典にこの時間空間の形式を示すものを Adverb of Order と一括しながら、なほ之を以て副詞となし、且この性質を闡明にし得ざりしは、主として其の国民心理の不純なるに帰因せずばあらず。吾人は以上の理由によりて所謂時及場所の副詞といふものを説かざるなり。(p.519)
と ナショナルな ものが やはり 噴出してくる。係助詞「は」についての 有名な 国語教師時代(青年期)の 「思い出」より、この 時間空間に関しての ほうが よほど 悲憤慷慨が はげしい。学問化・客観化が たりない から という ことであろうか。それとも、かれの 国粋思想にとって <突如として「思い出」として噴出する> ような 「思い出」(原体験)が なにか 時間空間という 状況・ばめんに 関連して あったのであろうか。丸山も いう とおり、「年輪」という <巧妙な表現>も 時間空間に 関連しており、気になる ところである。ちちおやの 不本意な 中学校退職に ともなっての 自分の 中学校退学、以後 独学、という かれの 一生を 左右し、のちに 年齢の 詐称行為まで ひきおこさざるをえなく させた 事件(佐藤喜代治「山田孝雄伝」)の ときにでも、なにか あったのだろうか。このときか どうかは ともかく、なにか 前-学問的な ものの 存在が 推測・想定されるのである。ひとは 知性のみにて いくるに あらず、と おもう。
 それは ともかく として、ここ 副詞論では 「すでに・かつて」は 追憶、「やがて・いまだ」は 予想という 心的情態の「時的意義を装定するもの」だと し、これらが 副用語であって、概念語ではない という ことが 前面に うちだされ、「時」自体の 否定には 論理の 展開上 なっていない。
 「時の副詞」を 特立せず 「情態副詞の中に編入」したのは 消去法によって であり、他の 情態副詞と「修飾方法も亦相似たり」と いう。他の 情態副詞一般と 同様、論理は 緻密に 展開している とは お世辞にも いえない。ただ、このあたりの 事情については、『山田文法の現代的意義』で 設定を 否定した ことに 関係する ことなので、これ以上 ふかいりしない。
 ただ ここでは、山田文法の「時」の 基本認識は、論理形式としては 体言の かたちで 肯定され、言語形式としては あゆひ(複語尾)としては 否定され、かざし(副用語)としては 肯定される、という 珍妙な 図式になる ことだけを 確認しておく。

2-6 以上の 全体に 対して、つぎの ように 原則的「理念的」に 批判できるだろう。川端善明「時の副詞」から 引用しておく。
志向作用には必ずその志向対象が相関していなければならない。意識は常に何かについての意識である。過去・現在・未来は、回想・直観・予期なる志向三作用の対象的性質として求められるのである。(川端善明1964「時の副詞(上)」『国語国文』33-11 p.7上段 原文 たて2段ぐみ)

動詞のテンスが文における主体的意味としての、右のごとき回想叙述・直感直叙・想像叙述のその形式で現にあるにしても、否、現にそうであるならば、その主体的作用に相関する客体的対象としての過・現・未を、文=発言の内容的時として他方に表現し得ないということは、あり得ないであろう。むしろ、両者は本来的に相関的なのである。(同上論文 p.7下段。「表現し得ない」は、原文では 傍点強調)

理念的な過現未とアスペクトの完了・未完了は、現在【=発話時】としての述語的実現において交渉するのである。現在【=発話時】のプライオリティが両者を交渉させるのである。テンスとアスペクトにおける現在【=発話時】のプライオリティは、それぞれの主体的作用の側面が、必ず現在【=発話時】において成立するという根本的に自明な事実に、実は裏付けられている。(同上論文 p.8下段。「主体的作用の側面」という 強調と【=発話時】という 注は、引用者の もの)
 これら とくに 前二者は、直接的には、細江逸記『動詞時制の研究』に対する 批判である と いうが、じつは やや 論述の 混雑ぎみの 山田文法の 批判も 当然 射程に いれた ものであったろう。言語形式のみならず、論理形式の 理解としても、一面観に おちいっている ことを わすれない ように しよう。
 ここでの 山田の 論理操作は、のちの 時枝の 詞辞非連続説と うりふたつの ふたご、もしくは みためは ことなるが じつは「ちちおや と おにっこ」の 関係に ある。直情・猛進的な 優等生とでも いうか、テンス・アスペクト・ムードが ないまぜ(複合的)になった 言語の 実相の 分析に たえられず、その どれか ひとつに わりきらないでは いられない 単純な 頭脳・論理と 評すべきである。「厳密なる二分法」(『概論』p.77)という それ自体は 精密・緻密な 研究手法の、もっとも わるい かたちでの あらわれである。かつては「杓子定規(しゃくしじょうぎ)な やりくち」という いい 比喩的表現も あったが、もう イメージ喚起力は なくなっている かもしれない。対象(現実)と 方法(論理)と、適用すべき ばしょを まちがえているのである。
 研究史の 発展の しかた、学説の うけつぎかたに 関しては 「ヘーゲルの説きけむ弁証法」を うんぬんした 山田も、体系(組織)的記述においては、排中律に したがう「古典(形式)論理」のみを「論理的」と みなした うえで、「快刀 乱麻を たつ」ごとく 単純明快な かたちで 適用する ことを めざした という ことなのであろう。弁証法理解の 当時の ひとつの ありかたを しる うえで 興味ぶかいが、理解不足は ともかくとして、原理の 理解の しかた自体に まちがいが あったと いうよりも、その (現実への) 適用条件に 不都合が あったと いうべきなのであろう。


3)便宜 と 比喩 ―― 山田文法の 精華 「国粋思想」:感動と 希望の 独自「喚体」性 ――
3-1 主観主義(方法論) 批判
 言語に「としての 論理」(動詞形容詞の 区別)、「主観基準」(テンスの 否定)が 適用されるべきである ことは、言語という 表現(人間の 行為)を 問題に している 以上 あたりまえの ことであって、時枝も 強調した ように、通常「きりかぶ」と よばれる 指示対象(referent)が、規範・慣用(norma)どおり「きりかぶ」と よばれる ばあいも あれば、比喩的に「いい こしかけ」と 表現される ばあいも あるのであって、けっして その 主張は まちがいではないが、いきすぎると 言語の 問題に 純客観の ものが あたかも 存在するかの ように 誤解し、それを 「根本から」排斥しようとして、論理展開の 偏狭さと 包容力の 貧困さとを もたらす となると、ことは みすごす わけにも いかなくなる。

3-2 複語尾論(形式論)・希望論(内容論) 批判

これら(複語尾)は用言の語尾の複雑なるものなるを以て用言の活用と同時に説くべき性質のものなれど、その各に又それぞれ活用を具有して頗複雑なれば、これを用言の本幹たる語尾と同時に説くは混雑を来すを以て別に一括して説かむとす。(『概論』p.205-206)
と いい、「形と性質とに於いて」「整然たる対応をなせる」複語尾組織を 希望の「たし」(中世以降 時代錯誤)という おきてやぶりを つかってまで 図式的に のべる(『概論』p.312-315)。「存在詞」とともに やはり「便宜」を もとめて 教師としての 誘惑に まけたと いっていい。松下文法の ように、動詞の 活用表(paradigm)に すすんで 文法範疇の 発見に いたらなかったが、複雑で「混雑を来す」のは、対象が ではなく、山田の あたまが なのであった。ほぼ 同時代の 三矢重松にも 芳賀矢一にも 松下大三郎にも 小林好日にも、こころみる ことが できて、山田に できない 道理は ない。ただ、創始者 山田に あまり おおくを もとめては いけない とすれば、後世の 山田文法学者は、師説(「(複語尾を)用言の活用と同時に説くべき」こと)を 継承しようともせず 批判しようともせずに、ただ 解説・礼賛する だけの 山田の もっとも いみきらう なまけものであり、現実を きりひらく ことを しない 三流解説者だと いわなければならない。山田文法を うけつぎ 発展させようとする 少数の 例外は、必然的に 独自の システムを 構築する 方向に すすんだ。森重 敏、川端 善明 ……… あとは、baka < waka < woko・尾籠 > biroo な はなし。「ふがい ない 大学教授」(句読点 あえて 不記載) ――― これは 連体・喚体? 倒置・述体? ……… こんにゃく問答? 禅問答?

 終助詞(体言呼格)が からむ 喚体も あり、古代は、動詞未然形接続の 終助詞「な・ね」や「熟語」(分析的形式)の「まくほし」「まほし」が からみ、中世以降は、動詞連用形接続の 複語尾「たし」が からむ 述体も ある、といった<希望>の 表現を めぐっては、問題が おおい。連体句を 必要条件と せず、助詞を のぞけば 自立語一語で 「未開展の句」ならぬ 「喚体の句」に なりうるのも 希望である。「もが」「もがも」といった 多音節の 助詞が 一次的な ものとも おもわれず、それこそ「存在詞 あらぬ=なき」の 省略を 想定したくなる、つまり 述体を 想定したくなり、また 述体「動詞+てしがな」との 連絡も つけたくなるが、どうだろう(cf. 浜田敦の 希求表現論)。『論』から『概論』へ 説明の 発展が すこしも みられず、先述の ような、複語尾「たし」の 強引な 挿入に よる こどもだましの 説明が まかりとおった ことは、手段(単純な 要素性)と 目的(複雑な 体系性)とを とりちがえた 背理 と いってよく、広義の 精神活動に関する 既成の 体系 ――― カント以来の「知・情・意(心的要素) ― 真・善・美(目標価値)」の 三位システム ――― に 言語の 体系(日本語)を ねじまげてでも つじつまあわせを する 論理主義 というか 心理主義 というか、原理主義 というか、おもいこみの すさまじさ、熱血教師の わるい 硬直面を、みさだめておくべきである。あんがい「希望喚体」が 山田文法の アキレス腱に なる のかもしれない。信奉者は いまでも よに おおい ようであるが。
 「みず!」は、「喚体の句」という 日本語独自の 文なのか、「未開展の句」という いわば 一語文に ちかい ものなのか、「略体の句」という 「述体の句」の 省略文なのか、山田文法は はたして じゅうぶん 理性的に 論理が 展開しているだろうか。「万葉記紀歌謡」という 古代韻文の 独自性【顕著な 体言どめの 表現性】に、理論が 不当に ひきずられていないか、冷静に みなおしてみる 時期ではないか。
「ま(く)ほし」については、『論』も『概論』も まったく ふれる ところが ない。『平安朝文法史』『奈良朝文法史』の、いわゆる ク語法に 関連する「熟語」の 部で、特異な ものとして かんたんに ふれるに とどまる。淵源が 問題なのであって、「熟語」=「分析的形式(analytical form)」/「複合辞」などとして 積極的な 記述の 対象に なっている わけでもない。どうして なのだろうか。視座・視角の 方向性の 問題だろうか。文語(文章語)文法か 口語(口頭語)文法か という 対象の 差だろうか。古典語文法か 現代語文法か という 時代の 差だろうか (cf. 英文法の O. イェスペルセン、国文法の 佐伯梅友:湯沢幸吉郎:中村通夫/田中章夫:森田良行:永野賢)。「まほし・たし」ともに 和文にのみ もちいられ、訓読文では 副詞「ねがはくは・こひねがはくは・こふ」によって 表現される、という(築島裕)。『漢文訓読によりて伝へられたる語法』(1935)には、「ねがはくは・欲す」についての 言及は あるが、「まほし・たし」については ない。文法として、おおきな 落丁・乱丁が あるとしか いいようが ない。「希望喚体」の 存在の 独自性が めくらましに なっているのだろうか。(2011/04/11 築島裕氏 ―― 旧版『国語学辞典』(1955)の「山田孝雄」の 項の 執筆者で、最年少編集委員。学界・学会の 理解の しかたの 典型 ―― の 訃報に 接し、訓読語について 補筆)【じつは 山田俊雄の「資料」実質執筆か。】
3-3「もとより おこり、いきおい おのづから(つぎつぎに) なる ことわり[理り<事割り]」古学 存疑 ―― 知 と 信 ――

 思想史家の 発言を いま いちど 引用させてもらう。
山田孝雄博士は肇国神話の現在性を説いて、「二千六百年前の事実がこれを輪切りにすれば中心の年輪として存在してゐる………だから 神武天皇様の御代のことは昔話としてでなく、現に存在してゐるのである。」(中央公論、昭和十八年九月、「神国日本の使命と国民の覚悟」)といわれた。まことに「縦軸(時間性)の延長即ち円(空間性)の拡大」という超国家主義論理の巧妙な表現というべきである。(丸山眞男1946「超国家主義の論理と心理」『世界』同年5月号 『増補版 現代政治の思想と行動』(未来社)所収による)
「神武天皇の 昔話(神話)」や「神国日本」を かたる 精神と 「年輪」という 比喩の 使用と どちらが さきに あるか といえば、当然「神武天皇」「神国」が 信じこまれた ものとして さきに あり、「年輪」という 表現が、便益・便宜の ある 修辞、単純・巧妙なる 比喩として あとに くるのである。その「年輪」という 比喩表現に 知・真(論理・真理)を もとめるのは バカげた ことだろう。没論理の 時枝文法も 比喩を 多用した ことで 有名である。
 信じこまれた ことを 比喩で かたられた ばあい、それを 言語学・日本語学が 論理分析し 批判する ことは できない。「天地自然」な ことを うたがう ことは、「漢意(からごころ)」の なせる「作為」=虚偽 なのである(ある 地方在住の インテリかんぬしの 生前の くちぐせ)。信・信仰の 告白 そのものは、もはや かたち・形式に もとづく ことば学(philology)の てには おえない ことである。なかみ・内容に もとづく 宗教学・思想史としての 分析・批判しか もう ありえない ような 気がする。【ちなみに、さきの インテリかんぬしは、気にいらぬ 書斎派の 宗教史学者や 文化人類学者を けむに まくのを 自慢に していた。】ことば学に できるのは、知に ふみとどまれず、信に はしった ことを 指摘する ことまで であろう。もっとも、自己の 行為を ことば学に 限定しなければならない 必然的な 理由も 必要も ないのであるが。わたしも ことば学者である まえに ひとりの 生活人なのである。
 本居宣長 平田篤胤ら とくに 後者を けぎらいせずに じっくりと よみなおしてみる とともに、その 受容の されかたも 幕末 明治 大正期、昭和 戦前 戦中 戦後期 と 注意ぶかく たどってみた ほうがいい ように おもう。橋川文三・藤田省三(思想史)や 磯田光一・桶谷秀昭(文学史)らの しごとには まなぶ ものも おおく ありそうである。
 山田孝雄(1875-1958)が かつて 在籍していた 東北帝国大学には、日本思想史の 村岡典嗣(1884-1946)も ほぼ 同時期に 在籍していたのである。また、平田派の 国学を 信奉した やまぶかい 地方の 人間の、ひとつの 典型的な すがたは、島崎藤村が 長編歴史小説「夜明け前」(二部構成 1932・1935 刊)に 克明に えがいて くれてもいる。
 山田の「信」の よってきたる「状況」の そとぼりを うめていく ことについては、ことば学にも まだ できる ことが ある かもしれない。もうすこし ことば学に こだわってみよう と おもう。自分なりの 視座や 方法を もっている から。<状況(時間空間)> <存在> <希望> という、たがいに からみあう 三題ばなしとして まとまる かもしれない。(ひとまず おわりに する)


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工藤 浩 / くどう ひろし / KUDOO Hirosi / Hiroshi Kudow


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