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<日本語文法五つの焦点>               (『言語生活』406, 1985-9)

副   詞

                        工 藤  浩

 「副詞」ってナニ?という人は、本誌の読者にはいないとは思いますが、あるいは、記憶がうすらいでいる人がいるかもしれません。念のため、通説のポイントだけおさらいしておきましょう。事典風にまとめれば、

副詞 品詞の一つ。活用しない自立語のうち、主として連用修飾語になるもの。ふつう「ついに・すぐ(に)」「おのずと・ゆっくり(と)」などの状態副詞、「もっと・非常に・極めて」などの程度副詞、「けっして・たぶん・どうぞ」などの陳述副詞、の三つに下位分類される。
といったところでしょうか。副詞という品詞の決めては、「主として連用修飾語になる」という、文のなかでの機能・役割です。そこで、構文論が未発達な段階では、「副詞は品詞論のハキダメだ」とよく言われたものですが、それは実は「連用修飾語は構文論のハキダメだ」というのと表裏一体の関係にあったのです。「連用修飾語」には、主語と連体修飾語と独立語以外のすべての文中成分が投げ込まれているのですから。……すこし先を急ぎすぎたようです。順を追って考えていきましょう。

 副詞は、形態の上では、用言のように活用することも、種々の助動詞や接続助詞を付着させることもなく、また体言のように、種々の格助詞等を付着させること(格変化)もありません。つまり、広い意味での文法的な語形変化をもちません。形態的には不変化詞とでも消極的に名づけるほかはないのです。したがって、活用現象や助詞助動詞のはたらきにしか目が向けられていなかった形態主義的「語性」論においては、副詞の問題はジャマなものであり、できればなくしてしまいたいものでした。いわゆる時枝文法(とその亜流)は、この研究の段階の典型です。
 ここまで極端でないものも、体言や用言のように語形変化によって明快に輪郭づけられる品詞の境界線を危うくするような例、たとえば「力まかせに・心から」「進んで・改めて」などがあれば、ともかく副詞というハキダメに掃き出しておこう、といった趣きのものでした。そのためには「連用修飾語になる」というまにあわせのレッテルの方が好都合だったとも言えます。内容を吟味せずに、なんでも放り込めますから。

 目につきやすい語形態から研究が出発するのは、自然であり、当然なことでもあります。しかし、研究の深まりは、なぜ用言は活用するのか、なぜ体言は格変化(格助詞を付着)するのか、という問題をさしだします。単なる現象記述に安住しない以上、それは必然です。しかし、この問題に答えようとしたのは語性論者ではなく、構文論者でした。単語は文の中でこそ現実態として機能する、文の中での役割こそ一次的なものだ、と見方を逆転させる必要があったのです。
 つまり、こうです。用言は文の中で、終止述語として、中止述語として、あるいは連体修飾語として機能する、その複数の機能を表わし分けるために、活用したり、一定の位置(語順)に立ったりするのだ;また述語として機能するからには、肯定か否定か、断定か推量か、平叙か疑問かといった種々の述べ方(陳述的な意味)を表わす必要がある、そうした複数の陳述的意味を表わし分けるために、助動詞を付着したり活用したりするのだ;と考えるわけです。同様にして、体言は文の中で、主語、補語(目的語)、連体語等として他の成分と結びつく、それを表わし分けるために格変化するのです。要するに、活用や助詞助動詞の付着という語形変化は、文の中での意味・機能を表わす手段なのです。しかし語形変化が、その表現手段のすべてではありません。動詞や形容詞の終止か連体かという機能は、一次的には語順(位置)が表現していますし、「行く?───行く。」という疑問か平叙かという意味は、イントネーションが表わし分けます。語形変化は、構文的な意味・機能の表現手段の一部なのです。

 このように考えてくれば、語形変化をもたない副詞も、文法的な形づけをもたないもので、便宜的に意味分類しておけば十分だ、というようなものではないことがわかります。副詞が語形変化をもたないのは、自らの単一の語形態と、語順(位置)と、どんな語と組み合わさるかという共起関係(分布)、という構文的な形づけとで表わしうる程度の、体言用言と比べれば単純な、しかし純一な意味と機能とをもっていることを示しているのです。こうして副詞は、本格的な構文論の時代をむかえてはじめて、積極的な意味をもつものとして、まともな研究の対象となりえたのです。
 したがって、副詞の研究は「連用修飾語」という雑多な成分を解体・再編成する作業とともに、文、あるいはその中核である述語の階層的構造とどのように関係するか、ということを問うものとして出発します。文の陳述論の展開とともに、かつての陳述副詞もその内部がかなり精密に腑分けされるようになりましたし、述語動詞のテンス・アスペクトの研究の進展とともに、かつて状態副詞の中にまぎれこまされていた「時の副詞」も取り出されました。また、どのような述語動詞と共起するかということを主な手がかりとして、「わざと・おもわず」等の意志(無意志)の副詞をはじめ、いくつかの細分の試みもなされています。
 他方では、状態副詞のうち動作の様子を表わす「ゆっくり・のんびり」等は、助詞「は・も」を付着したり、程度限定を受けたりする点で、他の副詞一般とは異なり、形容詞・形容動詞の連用形副詞法と類似するところから、いわば連用形のみの(不完全)用言と扱い、副詞から除こうという立場も、かなり説得力をもちはじめています。
 以上はほんの一部です。構文論と一口に言ってもさまざまな立場があるわけで、「ハキダメ」をどう分類・再編成してみせるかについて、いままさに諸説が飛びかっているところです。

 最後に、副詞の表現・文体的役割について一言。最近盛んになりつつある談話分析、テクスト言語学などと関係するところもあるかもしれません。副詞は文構造の観点からすれば、主語・補語・述語のような文の必須の骨組み成分とは異なり、その骨組みの上に必要に応じて、付加的・拡大的にはたらく随意的な成分です。しかし表現の観点からすれば、構造的に必ずしもなくてもかまわない成分が、いわばわざわざそこに表現されてあるのですから、表現的・情報的な必要度はそれだけ高いのだ、とも言えましょう。「のたのた歩くな。さっさと歩け。」のような場合、禁止や命令の焦点・眼目は、副詞の方にあると言ってよいでしょう。一般に、構造的に必須なものほど、表現・情報的には、冗長なリダンダントなものになりがちです。だとすれば、副詞という随意的成分の、ことばとしての役割を十全に捉えたいと思えば、構文論にのみとじこもっているわけにもいかない、ということになりそうです。
 構造性ぬきの表現論は安易に流れますが、表現性ぬきの構造論はせせこましくこりかたまるようにも、思われます。

(くどう ひろし 国立国語研究所 主任研究官 日本文法学)


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