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奥田靖雄論 ノート

構文論的アプローチ   形態論  カテゴリカルな 意味   言行為  言語活動と ことば

体系と 構造    文の 人称性     はたらきかけ と もようがえ     主観と客観

説明   (用例 おそるべし)   現実・可能・必然   (現実・可能・必然と まちのぞみ)

説明(4) 会話「のだ」の なぞ   2つの「してもいい」  2つの 動詞論  2つの modus

 

構文論的アプローチ

 言語学研究会編『日本語文法・連語論(資料編)』が まとめられたのが 1983年の こと、奥田靖雄が 宮城教育大学を 定年退官し 『ことばの研究・序説』を まとめるのが 1984年、翌年から 「文のさまざま」を 『教育国語』に 連載しはじめ、『ことばの科学』の 創刊に いたるのが 1986年(企画は 1983年)であって、連語論と 区別される 意味での「構文論的アプローチ」が めだってくるのは、この ころの ことなのであるが、この ことの 意味を 当時の 研究会の メンバーが どれだけ 理解していたか、さいきん 暗然たる おもいに しずませられる 情報に 接したのを 機に、すこしばかり おぼえがきを したためて、研究の おおきな 方向性を たしかめておきたい。くちの わるさは あらかじめ おゆるしを ねがっておく。
 『ことばの科学』創刊号は、村上 三寿「うけみ構造の文」と 佐藤 里美「使役構造の文」と 奥田 靖雄「現実・可能・必然(上)」との 3つで 構成されている。文の ボイス性「zalogovost'(文における主体・客体の関係)を全体としてとらえようとしている」(創刊にあたって) まなでし ふたりの 論文と、叙法性(modality)に かかわる 奥田みづからの 論文とで 構成されている。けっして 形態論的な カテゴリー としての うけみや 使役の ボイスと ムードを 研究対象と しているのでは ないのである。「これらの論文に展開されている、構文論的なアプローチは国語学者たちが手をつけずにいた領域である」(創刊にあたって)という ことは、どこまで 貫徹できているか という 点で、つまり 理想と 現実との ギャップの 問題として、論文の あいだの 差と なって あらわれても いるだろうが、目標として めざしていた ものは「構文論的なアプローチ」なのであって、「形態論的なアプローチ」なのではない。
 奥田の 論文を「動詞の 可能表現の 分析的形式」の くわしい 記述としては よんでも、「文論」として とりわけ「述語論・述語体系論」として よんだ ものは、はたして なん人 いただろうか。村上・佐藤の 論文の 題名に「○○構造の文」とある ことを 深刻に うけとめて、「文論」とりわけ「主語論」の 資料として かんがえた ものは、いったい どれほど いただろうか。
 1970年代後半の 「すがた(aspect)」や「たちば(voice)」をめぐっての 相互批判と その後の 展開は、はたして「動詞の「たちば」をめぐって」「品詞をめぐって」「形態論的なカテゴリーについて」といった かたちで まとめられていい ものだったのであろうか。こまかい 現象に めくばりの よく きいた いい 集約だとは おもうが、おおきな 研究の 方向性を ふまえた 総括として あれで よかったのであろうか。なにが 問題に なってくるのか、具体的な 論点・争点については、「言語学研究会文法の 成立と 展開 ―― 質疑と討議のために ―― 」(月末金曜日の会 2007年 3月)を みていただきたい。

 ところで、単語レベルの 研究領域(語論)を「形態論」と よんで なんの うたがいも もたない ものは、文レベルの 研究領域(文論)における「構文論的なアプローチ」と 「意味・機能(論)的なアプローチ」との 区別が つかない という ことも おこってくるのではないか と おもう。語論を 形態論と よんでしまえば、文論が 意味・機能論に なってしまうのは 自然の いきおいである。そして その 末路は どう なってしまうのか? という ことについては、すでに かいた ことがある(「モダリティ3」『日本語文法事典』)ので、くりかえさない ことにする 。ただ、方法としての「構文論的なアプローチ」と その 研究対象としての「構文論的なカテゴリー」は、それぞれ「形態論的な もの」と「意味・機能(論)的な もの」との よせあつめではない、という ことだけは はっきりと いっておきたい。
 ロシアの アスペクトロジーも、マスロフも ボンダルコも、ときに まちがう ことが ある、と いってのける だけの 気宇壮大な ところが ないと、というか、自分の 研究・研究方法に 一本 すじの とおった 信念や 自負が ないと、奥田を 精神(Geist, genius)において 継承した ことには ならない のではないか。「古人の あとを もとめず、古人の もとめたる ところを もとめよ」[柴門ノ辞(許六離別ノ詞)]と、芭蕉も 空海(弘法大師)の ことばを 換骨奪胎して いっている ではないか。

いわずもがな とは おもいつつ、ひとこと。"Geist" は W. von フンボルトの、"genius" は E. サピアの 愛用した ことばである。これは 文献的に あきらかである。この ふたりを 愛した 唯物論者 奥田 靖雄 は、「愛用」は しなかったが、執拗に「主観主義」批判を くりかえした ひととしては 意外な ほど、「精神」や「こころ」を かたった ひとだった ように おもう。オールド・マルキストとしては かわった ひとだった。「前衛党」「スターリン主義」に コンプレックスの ない ひとだった。ただ「トロツキズム」には てきびしかった。分派活動と みなせば 容赦なかった。組織者として 冷厳であった。かれの「集団主義」の 特徴であり、やっぱり 旧左翼(old Marxist)だな と おもい、新左翼としての 自分が 奥田と「和解」できなかったのも、けっきょく そこ 組織論の ちがいに あったのだ と おもう。
 なお、奥田は 自分の 著作の 題名には 「形態論」という 語を つかっていない と おもう。「動詞論」や ただの「動詞(の 終止形)」で とおしている と おもう。なぜか、その 意味や 理由については 別に じっくり かんがえたい。鈴木重幸や 鈴木康之との 「分業の 約束」という 理由だけでは とけない と おもう。「連語(論)」という 語は つかっているのだから。


形態論

 鈴木重幸(1972)『日本語文法・形態論』の 理論面での「指導的な地位」に ある 奥田靖雄が みづからの 著作には 「形態論」という 語を つかっていない ようだ と 気づいたのは、「形態論主義」批判の ことばに 接した ときの ように おもう。いま 関係文献を よみかえしてみて、形態論時代から 構文論時代へ という うごきが あった とすれば その はざかい期に 位置する 論文「連用、終止、連体 ………」にたいする、松本泰丈(1978)編『日本語研究の方法』の 解説だった ように おもう。そこには「国文法批判」という ことばとともに「形態論主義への警告」という ことばも あった。当時 国語研 新入所員として、鈴木重幸(1972)『日本語文法・形態論』や 高橋太郎(1975)『幼児語の形態論的な分析』を 一生懸命 よんで 理解しようとしていた ところに、「形態論主義への警告」というのは ショックだった。形態論に プラスの 面と マイナスの 面とが ある という ことの あらわれなのだろう と おもわざるを えなかった。
 奥田も その 二面性を みていたのだ と おもう。「学校文法批判」「国文法批判」を くりひろげるには、形態論が ない、形態論的カテゴリーが ない、と いう ふうに、「形態論」という ことばが 実体を ともなって つかえる。うまくすれば アメリカ流の「形態論」の 流行にも 便乗できる かもしれない ――― こういう 俗な ことを ぼくらは つい ばかに してしまうが、奥田は その点 冷静に 戦略を 判断できる ひとだった ように おもう ――― 。奥田靖雄(1978)「アスペクトの研究をめぐって」については、『方法』の 解説では、「形態論の研究の方法論」を 提出していて 重要だ と 一般化して 意味づけている。この「アスペクトの研究」の 論文が 形態論時代の 最後の 論文に なる。
 しかし、語論 つまり 語の 文法論を 形態論と よんでしまえば、文論 つまり 文の 文法論が まるで 形式を もたない「意味・機能論」に なってしまう おそれも じゅうぶん でてくる。ソ連の A.V. ボンダルコなども、一方で 『形態論的なカテゴリーの理論』を かきながら、アスペクトロジーや 機能文法に 関連して、アスペクチュアリティや モダリティを 「機能・意味」的な カテゴリーだ と 主張していた。状況論的な プラグマチクスに 傾斜していく ソ連の あたらしい ながれを よこめに みながら、「構文論的アプローチ」を とろうとする 奥田としては、この ことばは ぜひ さけたい ところだっただろう。
 ふるいけれども こころから 敬服する V.V. ヴィノグラードフの 文法関係の 主著も 『ロシア語 (単語をめぐる 文法学説)』という なまえであって、研究分野としての 「形態論」という 意味では "morphology" という 語を つかっていない。"morpholoical" を「形態的な (制限/類型/メンバー)」という 意味で つかっている だけである。いわゆる 屈折語を 中心とした ヨーロッパの 言語を 対象とする 用語としては、 "morphology" という 語を むろん 無視は できないが、文(形式)論をも 志向する 研究者にとっては ジャマにも おもわれた のではないだろうか。ヴィノグラードフも 奥田も、語の 形式、文の 形式 といった「言語の 形式」を 重視した 研究者である。ふたりとも 激動の 政治的な 季節を いきぬいてきた おとこである。奥田は ひとまず おくとしても、ヴィノグラードフは マール時代 スターリン時代を いきぬいてきた 人物である。ふところは ふかい。現状の さきを みとおす ちからも とびぬけて つよい。そんじょ そこらの 理論秀才とは、洞察力の ふかさにおいて 大局観の ひろさにおいて けたが ちがうのだ。「品詞論」の 存在は あるいは 普遍的 かもしれないが、「形態論」の 存在が 普遍的と いって よいか どうかは、おおいに 疑問であろう。
 奥田が、「愛着」を「いまもなおたちきりがたい」として、自著の なまえに もらった という E. サピア(木坂千秋訳)『言語 ―― ことばの研究序説 ――』も、ヴィノグラードフと おなじように、"morphology" という 語と その 形容詞形は つかっているが、研究分野としての ことばではなく、「語形態(法)」という くらいの もじどおりの 意味で もちいている ことは あきらかだし、「ラテン語の型の形態法(morphology)が必然的に言語発達の最高水準をなすかのやうに主張してやまない言語学者」や その「進化論的偏見」を 批判してやまなかった サピアであるから、この 語を 普遍的と みなしていた 気づかいは もちろん ない。
 周辺から せめていく 戦法に したがうなら、奥田が 不変化詞としての 副詞の 問題を 形式論・機能論において よく とりあげたのを どう 理解するか、と いってもいい。形態変化(形態法)を もたない 品詞。……… たかが 副詞、されど 副詞 ……… まじめぶって いえば、日本の 学校文法批判 という 特殊状況においては、形態論という 舶来の 伝統的な ことばは 個別的に やくだつが、一般文法論においては、形態論という てあかの しみついた ことばは 本質論・普遍論の じゃまになる、というのが 奥田の みとおしだった のではないか と おもう。「単語をめぐる研究をかれのライフワークのひとつとして、それにうちこんでいる」と、みづから 解説する(『方法』解説 p.329) 奥田である。比較的 まとまっている 北京外国語学院での テキストが、『日本語動詞の研究 動詞論』であり、それを かきなおした ものと みなされるのが「動詞の終止形」(前者 第2章 相当)や「動詞(その1) ―― その一般的な特徴づけ ――」(前者 第1章 相当)であって、「動詞形態論」でないのは、だてや 酔狂ではない と おもわれるのである。
 以上で おもな 問題の 指摘は おわるが、ふたつ 注釈を くわえておきたい。ひとつは、新川忠(1975)「形態論」について。これは「言語学の用語」という シリーズの 解説として かかれた もので、奥田の 強力な 指導が あった と みられる ものだが、これは「形態論主義への警告」の 逆で、形態論を 構文論に 解消しようとする 変形文法などの「構文論主義」にたいして、「形態論という特殊な文法部門」の 相対的独立性を 主張する 必要が あった ために かかれた ものである。欧米という コップの なかの あらしと いっても いい わけだから、形態論という 欧米の 通用語でも いいのである。もうひとつは、鈴木重幸(1976)「明治以後の四段活用論」について、『方法』の 解説が、「大槻のくるしみ」は 1966年の「学校文法批判 ― 文節について ―」の ほうが よく とらえている かもしれない、と 評している ことである。これは、解説者 奥田にとって、自分の 協力して かいた ――― 言語学研究会という「集団」の しごととして かいた ――― 1966年の「学校文法批判 ― 文節について ―」の ほうが、構文論と 形態論との 関係の なかで なやみくるしむ 大槻文彦の「うみのくるしみ」を よく 理解して 位置づけている、という ことだ と おもう。これに 先行する 論文「四段活用論の成立」にたいして、やはり『方法』の 解説は 「鈴木が日本語の文法現象をとらえたかぎりでしか、国学派のひとたちの労作をよみとることができないというのも、やはりひとつの真実だろう」とも 批判しているが、この「国学派のひとたちの労作」にたいする 奥田の 批判的な 位置づけ うけつぎかたが、はじめに ふれた「連用、終止、連体 ………」(の 前半)なのである。


カテゴリカルな意味

 できごと 判断の 表現としての 文だけなら、かずは すくない とはいえ ゴリラや チンパンジーも もっているが、それとは 別に 単語を もっている と みなされるのは 人間だけで、文と 単語とを もつ ことが 人間言語の 本質的な 特徴である ことは、W. von フンボルトの「分節化」「形式」以来 明言されている ところ ――― その 20世紀的な 表現は、マルティネの「二重分節性」「記号素」――― だから、単語の ことに ライフワークとして うちこむのも、「構文論的アプローチ」を 領導する とはいえ けだし 当然だが、その 単語・品詞において、語彙と 文法とが きっても きれない ものとして むすびついていて、内容と 形式との 関係で 統一されている ことを 証明する 事実として、奥田が とくに 論じている 概念・用語が、「カテゴリカルな意味」である。この ことばの くわしい 内容については、「単語をめぐって」を はじめ 奥田の 諸論文に 直接 ついて みてもらう しか、わたしには かんたんに 解説する ちからは ないが、この ことばに 奥田が ことのほか 執心していた という ことだけは、ここに ふれておきたい。
 「単語をめぐって」という 論文には、奥田としては めづらしく 参照注が つけられ、ソ連の カツネリソンや 日本の 宮島達夫に ふれられているが、『方法』や『序説』の 解説では、ふたりの 概念が 語彙的な だけの ものである のにたいして、自分 奥田のが 連語論・文法論との かかわりの なかで うみだされてきた「オリジナル」な ものである ことが 強調されている。その 連語論の 集成である『日本語文法・連語論(資料編)』の「編集にあたって」では、わざわざ、

ついでだが、カテゴリカルな意味特徴は、単語を語彙的な意味の観点から語彙の下位体系にまとめあげる、integratedな意味特徴とはことなるものだろう。(p.12)
と ことわっている。念のために いえば、宮島は 『動詞の意味・用法の記述的研究』の 第3部1.2「語い的意味と文法的性質との関係」の 「(4) 文法的性質は語い的意味の形式的側面に関係する」という 項の なかで、
ここで語い的意味の形式的側面とよんだものは、見方をかえていえば、範ちゅう的な側面といってよいかもしれない。すなわち、「かえる」という動作を規定すれば「もといた場所への移動」というようなことになるだろうが、つまり「移動」ということは「かえる」の上位概念なのであって、どのような上位概念に属する動作であるか、どのような範ちゅうにはいる動作であるかを明らかにするのが、文法的性質の役わりだといえるのである。(p.671)
と いっている だけであって、「カテゴリカルな意味」という ことばを つかっている わけでも ないのである。ここの 後半で 宮島が「上位概念」という ことばを つかっているのにたいして、語彙の 下位体系において、いわば「下位概念」に distinct する(区別する) はたらきと 「上位概念」に integrate する(まとめあげる) はたらきとを もつ、語彙的な 意味の 内部での 上位下位という (包摂・階層)関係 ――― より おおまかな 特徴か、より こまかな 特徴か という、いわば 量的な 関係 ――― とは、「カテゴリカルな意味」は ことなる と、責任編集者の なまえにおいて 奥田は わざわざ いっているのである。たしかに、ほぼ 同位語と みなせる「(やさいを) いためる」「(まめを) いる」「(いもを) にる」「(さかなを) やく」「(たまごを) ゆでる」も、その 上位語と みなせる「(材料を) 料理する」「(素材を) 調理する」も、「カテゴリカルな意味」としては すべて「もようがえ」に まとめられるであろう。同様にして、「(だいこんを) きる」「(まきを) わる」「(いちごを) つぶす」「(かみを) ちぎる」も、その 上位語の「(ものを) 切断する」「(ものを) 破壊する」も、すべて「もようがえ」に まとめられるであろう。……… と つみかさねていく ことによって、「もの[の もよう]を かえる」が もっとも 上位に ある、とは いえる かもしれない。そうだとすれば、上位関係に ある(上位語・上位概念である) という ことは、「カテゴリカルな意味」にとって 任意的な 条件ではあるが、必須の(義務的な) 条件ではない という ことになる。「もようがえ」という 「カテゴリカルな意味」にとっては、トートロジカル(同語反復的=恒真的)には なるが、[(ひとが +) ものを + もようがえ動詞] という 連語構造・文法構造を 共有する という 一点が 必須(義務条件)なのである。「もようがえ」の なかみ については、むろん 別に じゅうぶんに 論じる 必要が あるが。
 じっさい、奥田の 主張する、<語彙と 文法との 統一>という ことの 基本的な 重要性は、山田文法の 副詞論、「陳述副詞」「情態副詞」の あつかいに おいても はっきりと 明白に あらわれてくる という ことは、わたしも 大学の 最終講義「こと-ばの かた-ちの こと」で はなしの マクラと オチに つかい、いちばん あたらしい 論文「情態副詞の 設定と 存在詞の 存立」では、その 誤謬の よってきたる 原因について あたまの かたい 学者にも わかる ように 明言しておいたが、やはり 根本には、<語彙的な もの><素材・実質的な もの>という「物質的な もの」を 土台として あつかうか どうか、という 問題が あるのである。
 「単語」が そうであるなら、「品詞」も 当然 おなじように 問題になる と おもわれるが、<品詞が 文法的な 種類か、語彙・文法的な 種類か>という 問題に 関連して、議論が どの ふかさで 展開されているか という ことについては、やや こころもとない 感じを いだいている。奥田にも「品詞のこと」という 未公刊プリントが ある という。佐藤里美編 奥田靖雄著『にっぽんご宮城版』の 記述 その他から、奥田の いいそうな ことは おおよその 見当は つくが、論拠は なにに しているのか、なぜ 未公刊の ままに しておくのか など、やはり 奥田著作集の 刊行が またれる。


言行為

 実質的な 奥田の 絶筆と なってしまった「説明(その4)」(『ことばの科学 10』2001年)に、ソシュールの "parole" の 訳語に 由来すると おもわれる「言行為」という ことばが、25ページほどの 論文で 2度だけ しかも 第1節にだけ つかわれている。念のため、文脈とともに、引用しておこう。

・こうして、言行為としての説明の文のさまざまなすがたをみうしなうばかりか、言語的な意味としての説明の出発点的な、基本的な特徴をみおとすことになる。…… しかし、…… (第1節の 最初の 段落)

現代言語学の一般的傾向に忠実であれば、話し手と聞き手との相互作用としての話しあいのなかで使用される、言行為としての説明の文のはたらきをしらべることは、それの現実のすがたへの具体化としてぼくにはさけることができない。pragmatics を意識しているわけではないが、具体的な場面のなかで使用するということから生じてくる、「のだ」をともなう説明の文の《場面的な意味》もしらべなければならない。(第1節の 末尾。文字装飾は、工藤。)

<注>"parole" の 小林英夫訳は、厳密には「言」である。『国語科の基礎』p.9 には (通用の 語として) 引用の ある「言行為」という 訳語が、なに だれに 由来するのか くわしい ことは わかっていない。
 くわしい ことは わからないが、追悼集の 発言 その他から 察する ところ、この 論文の 推敲・校正は 奥田自身は すでに 病床に あって できなかった、つまり 著者にとって 草稿・未定稿と みなすべき ものであった 可能性が たかい。元気で いれば、すくなくとも 校正の 過程で かぎかっこ(「」) または「いわゆる」を つけた 可能性も すてきれない。もし これが 口述筆記であってみたら、 ……… 臆測は 臆測を うむが、このへんで やめておく。ただ「言行為(はたらき 場面的な意味)」という ことばが 「言語的な意味」との 対比の なかでしか もちいられていない ことにも 注意しておきたい。
 にもかかわらず、解説者が 奥田の 病気中 という あわただしい なか とはいえ、
・このあたらしい論文で、奥田は、「初歩的な」機能をになう文から、このような「高級な」論理を表現する文への展開過程を、具体的な言行為としての文の観察をとおしてあとづけた、とみることができる。

・こうして、言語体系のなかでの文の一般的な文法的な意味と、言行為のなかでの発話の具体的な文法的な機能とは、潜在と顕在との関係のなかに、あるいは一次的なものと二次的なものとの関係のなかにとらえられる。

・「のだ」をめぐる、奥田のふたつの論考は、テキストのなかでの、そして、言行為のなかでの文の研究という、かたるにはやすく、その実行はきわめて困難な課題にたちむかうための方法論、分析のモデルを具体的に提示している、という意味で、これからの日本語研究への指針の役めをはたすことになるだろう。
などと、この 用語を 注釈ぬきに 有意義な 記述方法として 解説したり、鈴木重幸が、奥田の 死後 2006年に なって、
奥田は手きびしくソシュールを批判するが、ソシュールの提出した見解のうち、積極的なものは、自分たちの理論の中に位置づけて、自分たちの理論をゆたかにするという態度をとっている。ソシュールのラングとパロールの区別は、奥田の《言語》と《言語活動》の区別のなかに、批判的に いかされている、ということができる。(「奥田靖雄の初期の言語学論文をよむ」[『ことばの科学 11』pp.36-37])
と もっともらしく 解説している ことに、わたしは 釈然としない ものを 感じる。
 わたしの てもとには、1996.2.24 づけの「発話について」と 1999.10.28 づけの「プラグマチカ」という 口頭発表用の ワープロ版 プリントが ある。活字に なっていない 段階の ものである。どなただったか 会員の かたから いただいた ものだが、ほかにも ある かもしれない。ほんとうに 著作集による 集成を 期待している。
 それは ともかく、これらの 草稿で 奥田は、陳述論 モダリティ論の 理論的 基礎づけを おこなっている ように わたしには おもえる。そのさい 「現代言語学」一般 なかでも ガク(V. G. Gak)の 1982年の 論文を 紹介しながら、作業を すすめる。その 過程で「言行為」という ことばも でてくる。つまり ソシュール以後の、とりわけ ソ連に うけつがれた「現代言語学」の 用語としての「言行為(parole)」である。しかも、その 結論は、1996年の「発話について」の 段階では、
おなじ文を言行為のなかでとらえるという、まったくアプローチの問題として理解することで、文と発話とをくべつする必要もない、ともいえるだろう。言語体系のなかの文にはかけている、さまざまな特徴が、言行為のなかで機能する文にあたらしくそなわってくる、という事実を承認するだけでじゅうぶんであるともいえる。この問題の解決はあとにのばしたい。(「発話について」の 末尾)
という ものであるし、1999年の「プラグマチカ」にいたっては、ガクの 1982年の 論文を くわしく 紹介しておきながら、1990年の 論理主義的言語学者 アルチュノーヴァの 事典解説を「精密であるほど、難解であって」という 理由(口実)で 「ガクを紹介するにとどめる」と 弁明するのだ。アルチュノーヴァの 「難解な」事典解説! それにたいして ガクは その後 1986年の『フランス語の理論文法 構文論』[補訂第2版(1981 初版。未見)]に 「文のプラグマティックな諸相」という 一章を もうけて 解説する 伝統的な 言語学者・フランス語学者である ―― 古代語からの 歴史も ふくむ 自分の 学問を 言語学 linguistics と いわずに、博言学・文献学 philology と いう くらいである。この 場面・文脈で、アルチュノーヴァにたいして「精密」「難解」と 評するのを 皮肉と おもわない バカが いようか。もし いたら、その ひとには 「よみかた」教育が 必要である。かつて「文の 分類」に関して、1980年の 論理主義的な ソ連版 アカデミー文法より、1979年の チェコ版 アカデミー文法を 「伝統修正」的だ という 理由で 作業仮説に 採用した 奥田である(「文のこと」「まちのぞみ文(上)」『教育国語』80 85)。「革新」とは、ただしくは この 意味で もちいるべきであろう。現況や 伝統から うきあがった「精密」さに どれほどの 価値が あろうか。「難解」や「ついてゆけない」が 文字どおりの 意味でなく もちいられるのは、ごく ふつうの ことであろう。
脱線だが、わたしが 外語大に うつった 1986年以降に なっても、つまり 原本が でて 7年以上 たっても、言語学(チェコ語)の 千野栄一が やはり ソ連版より チェコ版の ほうが いい と さかんに 学内で いいふらしていた ことを おもいだす。むろん チェコ プラハへの ソ連軍侵攻(軍事介入)の 問題の 影響も あったろう。ただの 紹介者ではないな と みなおしたのだが、あの 自信の かげには、言語学的には 河野六郎や 亀井孝の ささえも あったのかもしれない と いまは おもう。『言語学大辞典』の 編纂過程であった。
 以上の ように、奥田は、「現代言語学」の なげかける 問題を みづからの 問題として うけとめながら いかにして「伝統的言語学」を こえふとらせていくか、という 試行錯誤の 基礎づけの 過程で、他律的に「言行為」という ことばも つかっているのである。うえに 引用した ボールド体の 部分の もっている 意味あいを もういちど よく あじわってみてもらいたい。奥田の 晩年ちかくの なやみや まどいや ためらいを、解説者も 鈴木重幸も 理会できていないのではないか と おもわれる。だが まだ それは 我慢しよう。奥田にも ひとを まどわす いいまわしが あった。研究の 大成を みずに、業なかばにして 脳梗塞に たおれたのであってみれば、やむをえない 面も あった、と いうべきなのであろう。
 しかし、奥田の 一周忌を 記念して ひらかれた シンポジウム(2003.03.22)で、奥田の 研究の 歴史を ソシュールの ラング・パロールという 用語で ぶったぎってみせた、ある パネリストの 報告は、奥田言語学に 一貫する 方法に関して あまりにも 無知で 鈍感な 所業であった。奥田は ソシュールを、初期の「日本における言語学の展望と反省」(1952)では「主観主義」と よび、還暦直後の「言語の体系性」(1980)では「構造主義」と よんで 批判している。<ソシュール(観念論)の 批判>が 奥田言語学の 底流を 脈々と ながれている という ことが、この パネリストには わからない のである。「ひいきの ひきだおし」とは こうした しわざの ことであろう。(2015補訂)
【補記】発言の 趣旨を かえる 必要は ないが、生前の 喜寿記念の『ことばの科学8』の「おいわいのことば」にも、
   奥田の、ラング(言語)の言語学からパロール(ことば)の言語学への展開の過程は、………
と「言語学研究会を代表して」編集委員4名の 連名で かかれていた ことに さいきん(2012年 奥田没後10年) 気づいた。奥田も、新世代との 雑談では 学界主流や「ヨーロッパの言語学」に 妥協した いいまわしも ときに していたのであろうか。
 さきの『ことばの科学10』の 解説には、「言行為」への 言及は あっても、ソシュールの 用語だとの 言及は ない。奥田晩期、周辺の 誤解は どのあたりまで ひろがっていたのか、また それを 解説者(地方在住)は どこまで つかんでいたのか。
 よみごたえが あって 学問的検討に あたいする 解説は 『ことばの科学7』で おわった ように おもう。それを「今回はぼくの名まえでかくことにする」と いって 口述を うちきったのは、「世代交代」への 決意だったのか。(2012補記 2015補訂)
 ところで、解説者を「言語の世界のおくぶかさに慄然と」させた という 奥田の「論文のしめくくりにあることば」とは、
最後におことわりしておくが、このような論理的な関係の記述における「のだ」の使用のばあいの一般化は、ぼくにとっては、いまのところ、手におえない仕事である。こういう使用例もあるということの指摘にとどめておく
という ものである。つまり、プラグマチカの 研究対象としては 「使用のばあいの 一般化・体系化」が できない/できていない、という 表明であって、伝統的な 言語学における 「意味の 一般化・体系化」の ことではない。この 表明を どう 意味づけて うけとるか ―― 事実にたいする 謙虚さか、プラグマチカにたいする ふてぶてしさか、言語現象にたいする ある あきらめ(明 諦)か etc. ―― については、わたしも 最終的な「解決は あとに のばしたい」と おもう。そして、「しておく」の 研究者に、この ばあいの「しておく」の「表現的な 意味」「場面的な 意味」を きいて 参考に したい と おもう。「最後に … しておく」以上、基本的な 文字どおりの 意味の「準備」でも なさそうだし、わかい ひとが つぎの 論文の「準備」の ために、課題を 列挙し まとめて おく というのでも ないだろう。無意志的な 自動詞「 … 指摘にとどまる」ではなく、意志的な 他動詞「 … 指摘にとどめておく」のは、いったい なんの ためだろうか。「手におえない仕事」は、不可能表現だが、主体可能だろうか 客体(状況)可能だろうか。ヤフー検索によれば、「手に負えない こども/激情/日本/ゴミの山/クセ毛」と でてくる。ずいぶん 客体(状況)の がわに かたよった 不可能表現の ような 気がする ………… こんな ことを かんがえる ばあい、ソシュールの ラング・パロールという、あたまの なかの (観念論的な) 区別による アプローチと、奥田たちの 言語(language)・言語活動(speech) という、現実の なかの (唯物論的な) 区別による アプローチとでは、具体的な 手法(てつづき)が ことなる ものとして たちあらわれてくるだろう。ソシュール学者に 意見を きいてみようとは、わたしは おもわない。そんじょ そこらの ソシュール学者よりは、わたしの ほうが まだ ましな 言語感覚を もっている と おもう。しかし、大量に データを もっている 研究者の 意見は 別だ。よく きいてみる 価値が あるだろう。
 「積極的なものは、 ……… ソシュールのラングとパロールの区別は、奥田の《言語》と《言語活動》の区別のなかに、批判的に いかされている、ということができる。」なんて、そんな のんきな ことでは ないのである。いまさら そんな ことを いっていては、奥田(「言語と言語活動」)も、ガーディナー(A.H. Gardiner The Theory of Speech and Language 訳述本 あり)も、肝心 かなめの ところが まったく よめていなかった ことに なるのでは ないか。
【補注】奥田の「言行為」という ことばの 由来は まだ つきとめていないが、『コセリウ言語学選集』(全4巻)に、「言行為」という ことばが、ソシュールの parole の 訳語としても、それに 批判的な コセリウ独自の ことばの 訳語としても、ガーディナーの Speech の 訳語としても、つかわれている ことに 気づいた。この コセリウ選集は 1980年代はじめの 翻訳であって、奥田に 直接には 関係ない と おもわれるが、わたしが 注目したいのは、日本の ドイツ言語学の 伝統において、ふるくから 言行為 という ことばが、ソシュールの parole の 訳語としての つかいかたを 中心としつつも、その 改変・修正に あたる ことばとしても つかわれてきたのではないか、という ことである。また、ガーディナーの Speech を 言行為と 訳している ことに関しては、じつは、奥田の「言語活動」という ことばよりも、わたしは 「ことば」(一般面で) または「ことば行為」(行為面を 強調して)という ことばを つかってきたのである。「言語活動」の 「言語」というのが 日常語としては ふさわしくないし、「活動」も 「行為」に くらべて、人間の 意志に かかわる 面で よわい ような 気も するから、であった。Speech を「ことば」と 訳すのは、ひとは ちがうが、サピアの 木坂訳以来の 伝統でもある。奥田の「言行為」という ことばも、ソシュールの 訳語と かんがえる 必要は なく、むしろ ガーディナーの Speech の 訳語に ちかい ものとして みる ことも、かりに それが せますぎるとしても、サピアの ことば(用語法)も ふくめて 「ことば(行為)」の 漢語的表現として 学界うけ・一般うけも ねらって つかっていた と みる ことも できるのではないか、と おもえてきたのである。調査中の ことではあるが、ひとこと おぼえがきと する。

【補記】従来なら「言語活動」と いっていた ところに、「言葉行為」という 用語が「二次読みのこと」(1995『教育国語』2・19, p.18)に、「ことば行為」という 用語が「文のこと・その分類をめぐって」(1996『教育国語』2・22, p.2)に もちいられている。現代言語学の とりこみの 試行錯誤の なかで、ソシュールの パロールではなく、サピアや ガーディナーの Speech に ちかい ものとして、この「言行為」も【未公刊プリントでは】もちいられていた と みるべきであろう。(2012/04/02 補)

【追補】2015年 奥田著作集 言語学編の 刊行後、ある 必要が 生じた ため 「言行為」を ネット検索した ところ、獨協大学 ドイツ語学科 教授だった 下川浩氏(1942年生)が 2013年度の 授業で つかっておられた 数件が ヒットした。プロフィールに よれば、氏は 大久保忠利氏の 影響下に 「日本コトバの会」の 会長まで つとめた ひとである らしい。ウェブ上の レジュメ(らしい もの)では この語は、オースティンの 遂行論や サールの "speech acts"の ながれを 紹介 批判する 文脈で でてくる とともに、自分らの 基礎用語としても (無規定で) つかわれている。大久保氏との 関連で いえば、もともとは ソシュールの "parole" 系統の 訳語であった 可能性も すてられない。あるいは 複数起源の 合流した ものと みるべきかもしれない。ともかく「日本コトバの会」の つかっていた 用語である とすれば、奥田靖雄が「言語学と国語教育」(1963/1970)の 冒頭部に 紹介した 背景や 表現の ふくみ(意味あい)は、やや 複雑に なる。(2015/05/02 補)


言語活動と ことば

 奥田は、1959年 「言語と言語活動」という 論文を、 第一節「文法指導における機能主義」、第二節「指導要領における文法」から かきはじめている ように、この 論文を 運動の なかで かいている。わたしも、ふるく よんだ 記憶に たよって さきの「言行為」という 節を かいたが、こんど よみなおしてみて、いくつか 重要な ことを よみおとしていた ことに 気づいた。当時は よみとばしてしまっていたのだ と おもう。傍線は ひいてあるが、記憶に のこっていなかった。
 この 論文には、「言語」と「言語活動」について かかれている だけでなく、「言語作品」や 「言葉 Speech」についても かかれていた。この、最後の「言葉 Speech」についての 記述が ある ことが わたしの 記憶から すっぽり ぬけ、自分の かんがえの ように かんがえてきた ことを はづかしく おもう。第六節「言語作品」には 「言葉は言語活動と言語作品からなりたっている。」と あり、「補注」には 「わたしの用語「言葉」Speech には ………」と ある。
 さらに、第七節「よみ・かきの指導」という なまえの 節で、つぎの ような だいじな ことを いっている。わたしの 記憶に のこっていないのは 運動論めかした かきかたの せいだったのかもしれない。

単語とか文法とかいう現象は、個人の言語活動のそとに、歴史=社会的に存在するといったが、それは言語活動のなかに、それの構成要素として実在しているのであって、個人の言語活動のそとには、どこにも実在しない。したがって、言語活動の結果である言語作品をとおさないかぎり、わたしたちは言語を認識することはできない。言語の認識は、言語作品のなかに実在するものの抽象化であり、一般化である。こうして、わたしたちは言語と言葉とのちがいをみるだけでなく、このふたつの現象の相互関係をはっきりつかまえなければならなくなる。
という きわめて 重要な ことが かかれている。
 漢字か かなか という ちがいは あるが、わたしの「ことば」と「ことば行為」という ちがいについても すでに わかった うえで その 相互関係についても 力説している。補注で、ソ連の 教科書「心理学」(の 訳語)が 話題に なっている だけであった ため、うっかりしていたが、この 段階で サピアも ガーディナーも 実質的に 吸収した うえで、議論している ことは あきらかである。
 もう わたしの こころの なかでは 確信に かわっている。――― 晩年 自分で 推敲できなかった 論文に 由来の 未詳な「言行為」という ことばが たかだか 2度 でてきた という 外見を、本文批判ぬきに 問題に した こと自体が まちがっている、と。


体系と 構造

 鈴木重幸(2006)「奥田靖雄の初期の言語学論文をよむ」は、「言語の体系性の提唱などのソシュールの見解も、わたしたちは批判的にうけついでいる。」と のべつつ、(注)の なおがきで、奥田(1980)「言語の体系性」を みる ように 指示している(『ことばの科学 11』p.37)。論理的には、支離滅裂としか おもえないのだが、ソシュール ――― あくまで Ch. Bally と A. Sechehaye が 講義の 著者として 再構した ソシュール、「構造主義・近代言語学の父」として 世評 たかき ソシュール、ついでに 小林英夫によって かたくるしく しかし 根底は ロマンチックな 精神で とらえられた ソシュール ――― と 奥田靖雄との あいだを とりもち 調停する としたら、つぎの ような 事情なのであろうか。奥田(1980)が 冒頭で かたる つぎの ような ことば、
ソシュールにとっては、言語は構造であって、《体系》という概念は余分である。実際、ソシュールから構造主義がでてくるとしても、言語への体系的なアプローチはでてこない。(『ことばの研究・序説』p.189)
という ことが、いわば 構造と 体系との 区別が、鈴木には わかっていないのだ と かんがえる しか なくなってくる。
 かんたんに まとめれば、部分としての 要素(element)が 構造(structure)という 関係(機能 function)を もって むすびついている 全体が 体系(system)である。要素という 実質ぬきに 構造という 関係(機能)の「網の目」だけを 実体(entity)として 重視するのが 構造主義である。そこでは、部分的な 関係や 機能に 注目する ことが 主眼と なり、全体を トータルに とらえようという 体系的・システマチックな アプローチは でてこない、というのが、にくづけを はいでしまえば、奥田の 用語法の 内的核心であり、また 外的状況にたいする 批判の 骨子ではないか と おもわれる。
 それにたいして、体系と 構造とは シノニム(同義・類義)であって、一方は 学問的には むだだと かんがえる ソシュールか、せいぜい パラディグマチックな 体系と、シンタグマチックな 構造という つかいわけを する L. Hjelmslev と おなじ 世界に、鈴木や その「わかい友人」も、いるのではないか。はっきり いってしまおう、奥田が 批判し 理論的に のりこえようとした 構造主義の 世界に である。奥田(1980)を 「むずかしい論文であるが」なんて ひとごとみたいに いう たちばに いるのだろうか、リーダー格の なかまが 胃を いためながら なんとかして かきあげた 論文を かんたんに むずかしい なんて いわないで、先入見を すて、はを くいしばって、しっかり きちんと よむべきでは なかったか。ひとりでは 無理だと いうなら、読書会・勉強会を 組織しても よかった。ほんとに 友人だと いうなら、「わかい友人」と 討論・意見交換しても よかった。
 民科以来の「反体制」精神は、いったい どこに いってしまった のだろうか。「わかい友人」の 疑問に こたえたり している うちに、平和ボケ「イデオロギーの終焉」観にでも おちいってしまった のだろうか。とどの つまり「反体制」精神は、『文法と文法指導』の 解説者(松本泰丈<奥田靖雄)の あたまの なかにだけ あった ことに なるのだろうか(p.360)。
 奥田は あのとき ソシュールの なにを てきびしく 批判したのか、鈴木は いま どこを 批判しよう というのか。

 奥田靖雄が『ことばの研究・序説』(1984.12. まぼろしの 初版初ずり)の「あとがき」に、「そこには拙速の原理がちゃんとはたらいている」(p.303)と かいた、60歳代なかばの「あきらめ」の 境地が、わたしは、当時(30歳代後半)は 実感できないで いたが、ちかごろ みにしみて わかる ように なってきた。強靭な 意志と 高遠な 理想を もった、しかし 孤独な 組織者だった ように おもう。奥田が たおれて はや 10年に なる。「民間がわ」に 奥田著作集を だしていく だけの ちからが まだ のこっている ことを ねがっている。機関誌の 発行も ふくめて、持続こそ ちからである(持続する こころざし)。
 以上は むろん 研究史には なっていない。組織が 歴史・継続を なさない おそれの ある ことが 問題なのだ。わたしが どうして この ノートを かきはじめたか、なにに いらいらしているのか、すこしは わかってもらえるだろうか。


文の 人称性

 『ことばの科学 11 奥田靖雄 追悼号』(2006)で ほとんど 唯一 すくわれるのは、村上三寿が「文の人称性について」を かいている ことである。かれが たんなる「形態論的な うけみ」の 研究者でなかった あかしである。今後にも 期待しよう。
 ただ あらくても、全体の システムの 展望が ほしかった。概観・みとり図が ほしかった。全体を 構成(再構)する「部分・かけら」でなければ、構成(再構)が できない「くず」という ことになる。研究が すすんで 部分と みなしうる ように なるまで、おくらいりに ならざるをえない。
 「はなし手自身、きき手、第三者に対する一定の態度」である「パーソナルな意味」(奥田の 用語法と 定義)、それを 乱暴に いいかえて、まわりの 人間関係・ものごと関係にたいする はなしての 態度(関係表示)という ような ものである とすれば、村上が 最後に、今後の 問題と している「不特定なもの、一般化されているもの、人称のないもの(非人称)といったタイプの文とあわせて」(p.294)、まず その 相関関係を みておかなければならなかった と おもう。せまい 意味での いわゆる 基本的な「人称性」が、<特定人称>として 位置づけられるのであれば、そこに、普遍・抽象的な「ことがら」と 分化しながら、個別・具体的な「できごと」の 世界が、そして、特殊・反復的 ないし 一般・習慣的な「習慣・ならわし」や「慣習・しきたり」の 世界が、ひらかれてくる と かんがえられる。人称性が、陳述性 つまり「モダリティ(叙法性)」「テンポラリティ(時間性)」と かかわってくるのも、「あとがき」に ある「特定性・不特定性の問題」と かかわってくるのも、この あたりに かかわりの「最初の環」が できるのではないか と おもわれるのである。
 よみごたえを 感じつつ、ちょっと ものたりなさも 感じたので、よけいな おせっかいを してみた。

 わたしの より くわしい かんがえかた については、ずいぶん ふるびていて、かきなおし かきたさなくては ならない ことも おおいが、それまでの まにあわせに、工藤浩(1989)「現代日本語の文の叙法性 序章」の「0 はじめに」と「3 文の構造・陳述的なタイプ」とを みていただければ ありがたい。具体的な 記述への 適用例としては、同(1996)「どうしても考」の なかに しめしてある。陳述性一般の なかに とけこんでいる ばあいが おおく、どこと 特定は できない。


はたらきかけ と もようがえ

 『ことばの科学 11 奥田靖雄 追悼号』(2006)に 「まつもと ひろたけ」という なつかしい なまえを みつける。「に格の名詞と形容詞とのくみあわせ」『言語の研究』(1979)以来 四半世紀、研究会の 刊行物からは なまえを けして、主として『国文学 解釈と鑑賞』を 拠点に しごとを つづけてきた まつもとが、「はたらきかけともようがえ」という 論文を 『ことばの科学 11 奥田靖雄 追悼号』に よせている ことも ひとまず よろこばしい ことであった。
 奥田「を格…」の 論文に かかわって、「はたらきかけ」の 観点からは「結果のむすびつき」が、「もようがえ」の 観点からは「ふれあい」が、<他動詞構造のなかでの周辺へのはみだし>である ことに ふれながら、G.A. クリモフらの 内容的類型学の たちばから 問題を ひろげようと こころみている。「を格…」の 連語システムの 「立体構造」性にも ふれ、「他動詞連語構造の内的な発展」も あつかわれている。ギリシア神話の「さわっただけでモノがさまがわりするはなし」や「にらむだけでヒトがいしになってしまうはなし」に ふれ、抽象的な「かかわりのむすびつき」を 「はたらきかけ=もようがえ」という「出発点的な意味」へと つれもどす ような「形式的=言語的」な ちからについても、奥田「を格…」論文の「かんがえさせてくれる」ものと 評価する。しかし、そのさきは かたらない。学問の ひきつぎかたは、会内部に いる ひとと くらべても、正確で 正統的だと おもう。問題は その ひきついだ あとに かかる。
 淡々とした と いうべきか、しまりがない と いうべきか。こだわりのない と いうべきか、つっこみのたりない と いうべきか。むだのない と いうべきか、ものたりない と いうべきか。その 文章の とらえかたも かんたんには さだまらない。ただ、知的で 周到な 文体である とは いえる ように おもう。問題の 解決は 期待しない ほうがいい かもしれないが、問題の 提示の しかたは 正確で 精緻だと おもう。三上章と 三尾砂とを たして 2で わった ような タイプの 研究者と いっていい かもしれない。組織に おとなしく おさまっていられない タイプ かもしれないが、いれば 組織は 活性化する と おもう。組織の 包容力 という ことも 「かんがえさせてくれる」ひとである。
ひとも なき ゆめは かれのを かけめぐる (芭蕉布 ひるあんどん日記)

主観と客観

 もう いまから 15年以上 まえに なる。宮島達夫(1994)『語彙論研究』を 刊行後 おくってもらった ときの こと、お礼の てがみで だったか、全体が 5部構成である うち 分量が もっとも おおいのが 第4部「単語の文法的性質と意味」であり、もっとも ふるい 論文が その部の 最後の 第9章「文法体系について ―― 方言文法のために ―― 」(もと 1956年)である ことを たしかめながら いくつかの 儀礼的な 質問を した ところ、いつもなら うてば ひびく ような ご返答が いただけるのだが、その、文法が 宮島氏の 出発点である こと、その後も 文法に 関心を もちつづけている ことについては、めずらしく 肯定も 否定も なさらなかった。「本書は、現代日本語の語彙論的研究をあつめた論文集である。古代語・近代語や方言の語彙についてかいたものは、はぶいた。」と「あとがき」で わざわざ ことわっている にもかかわらず、最古の 第9章は えらばれているのである。デビュー作は、だれにとっても だいじな なつかしい 出発点なのである。
 その 宮島が『ことばの科学 11 ―― 奥田靖雄 追悼号 ――』(2006)に 「言語研究における主観と客観」という 文章を かいている。文章の なかみについては、あとで ふれるとして、末尾に つぎの ような やや なぞめいた ことばを のこしている。

しかし、ただしい科学的な結論は1つしかない、といってほかの議論を抑圧した事実をみたあとでは、客観的な科学の建設をそれほど素朴に信じることはむずかしくなっている。
 これが 『文法教育』から『にっぽんご 4の上 文法』への 変革期や、その後の 相互批判の ことを さしているのか どうか ――― その後、奥田は 単独で わかい 国語教師たちと 教科書づくりを はじめる ――― 、ちょっと 気がかりでは ある。

 が、その 組織論に かかわる ことは、あらためて 別に よく しらべてから かんがえる こととして、この「言語研究における主観と客観」は、たとえば 円熟期の「単語の 本質と現象」(1983)、「言語の あいまいさ」(1991)などと くらべてみると、やや 形式論理的に 排中律的に 議論が すすめられていくのである。つまり「ソシュールの逆説」(言語における 社会と 個人の 問題。社会言語学者 ラボフの ことば)から はじまって、客観なき 主観、主観なき 客観 が あたかも 存在するかの ように 議論が 展開されていく。おわりの「3.客観主義の限界」で、「価値の問題にふれずに純粋に客観的な分析だけにおわることは、ゆるされないだろう。」と のべて、1956年「教科研テーゼ」の 「すぐれた日本語」や それとの 対比で 「ただしい日本語」という 問題に ゆきつくのである。そのさい、
「すぐれた日本語」とは、どのようなものか。この問題に、この場でこたえようとすれば、主観主義におちいるだけである。………「ただしい日本語」の研究さえ、主観的な評価を無視することはできない。まして、「ただしい」から「すぐれた」に達するには、飛躍が必要かもしれない。………
と、《評価》を たんに「主観的な評価」と とらえて 問題に している ところなど 宮島らしくも なく、1956年「教科研テーゼ」の ことばを 対象にした「言語研究における主観と客観」の 議論としては 単純すぎる ようにも 感じられるが、この「主観と客観」の 議論には、奥田 生前最後の「企画・監修」に かかる 『ことばの科学 10』が、奥田自身の「説明(その4) ―― 話しあいのなかでの「のだ」―― 」の ほか、樋口文彦「形容詞の評価的な意味」や 佐藤里美「テクストにおける名詞述語文の機能 ―― 小説の地の文における質・特性表現と《説明》―― 」(佐藤自身の あとがきによれば、奥田の「のだ」の 分類の あてはめ) などから 構成されている ことも 無関係ではない と おもう。
 まさに「主観と客観」両者に またがって はたらく《評価》や《質規定》や《説明》の 問題が、奥田の「科学の 建設」にとっても 重要な 課題であったのだ と おもわれる。しかも、生前最後に「話しあい」の「のだ」、つまり もっとも「初歩的な」対話・弁証(dialogue, dialectics)の 場面における「のだ」の はたらきかたに たどりついたのである。「10号までは おれは がんばる」と いっていた という 奥田 (『ことばの科学 11』編集後記)。もえつきて、いい ときに しんだ とも いえる。

 1951年の「言語過程説について(1)」(『コトバの科学』第4号)において、マルクス エンゲルス スターリン、フンボルト サピア などの きらびやかな なまえで かざりたてながら、はでに 言語と 思想との 関係について 哲学的な 原理的な 考察で 日本言語学を はじめ、2001年の「説明(その4) ―― 話しあいのなかでの「のだ」―― 」(『ことばの科学』第10集)において、現代の プラグマチカの 流行を 意識しながら、じみに 日常的な 対話場面での 説明「のだ」の 構造について 文法的な 記述的な 分析で 日本言語学を しめくくる。理論と 実証を かねそなえた かたちで「唯物弁証法」を 日本言語学に ねづかせた 最初の 研究者 奥田靖雄の 激動の 20世紀後半を いきぬく さまは、一貫していた ばかりでなく、ねじ状に コイル状に 円環していた ようにも おもわれるのである。
 宮島達夫も、「情態副詞と陳述」(『副用語の研究』1983年)を かいていた ころなど、「主観性」「評価性」について 微細な ちがいまで よみとり 記述する するどさに、わかい わたしなど したを まいて 感嘆していた ものである。
【宮島氏の 学位と 記念論集に まつわる 臆測は まちがっていたので、削除する。仁田義雄氏の ご教示に 感謝する。】


説明

 奥田 靖雄は、「説明」という なまえの 論文を 『ことばの科学』に 4つ かいている。

                        ページ 号 (刊行年月)
    説明(その1)──のだ──        173-216 4(1990年9月)
    説明(その2)──わけだ──       187-219 5(1992年2月)
    説明(その3)──はずだ──       179-215 6(1993年9月)
    説明(その4)──話しあいの「のだ」── 175-202 10(2001年8月)

 最後の「説明(その4) ── 話しあいのなかでの「のだ」──」は、おそらく 形式的にも 内容的にも 未完の 未定稿だと おもう。したがって つぎの 広狭 ふたつの ことは、じつは わからない と いうべき かもしれない。その 広狭 ふたつとは、せまくは、《たずねる・おしえる》といった「初歩的な機能」の 用法から はじまって、評価・反対・意見・(課題)解決の 用法に および、最後に 問答(会話)体を なさない ひとりの ことばの 内部の「論理の展開過程」の 用法の 記述で おわる ── まとめ・総括・展望といった 一般論で しめくくられない ── 、この 論文の 末尾の 文(一般論の 一部か)の うちの ことば「論理的な 関係」が、いったい なに・どこまでを さしているか ── どこまで 一般化していいか ── という ことも、ひろくは、《説明》という用語を どう 一般化して 理解すべきか、という ことも、奥田自身は 論じつくす ことなく このよを さってしまって くわしい ことは わからない という ことである。解説には、そうした 執筆過程についての 客観的な 情報が いっさい ないので、のこされた 作品だけから 推定するしか ない。

【補記】佐藤里美2015「著作集の編集にあたって」(「奥田靖雄著作集刊行記念 国際シンポジウム」予稿集 p.32)に よると、この 「説明(その4)」の「草稿段階のプリント」として、16(1997.10.23)、17(1999.12.19)、18(1999.12.28 瀬波)、19(2000.10.14 北京大学)の 4つの プリントが あげられているので、うえの「未完の 未定稿だと おもう」という 発言は 撤回すべきであろう。ただ、「まとめ・総括・展望といった 一般論で しめくくられない」という 性格については かわり ないので、それが 奥田の ちからが つきた からなのか、説明(その5)以降として「つもりだ」などを 予定していた からなのか は ともかく として、以下の 文章は しばらく のこす ことに する。著作集刊行委員会から 奥田晩年の「説明(その4)」、「現実・可能・必然(その4)」などに関して、探究の 実情や 刊行の 経緯などの ご意見を きかせていただければ ありがたく おもう。 (2015.04.18. 補)
 寺村秀夫が「説明のムード」として「はずだ・わけだ・ところだ・ことだ・ものだ・のだ」を ふくめている ことは 生前の 著書(U)で たしかめうるが、奥田の ばあいは 残念ながら そうは いかない。《説明》のカテゴリーに、どの 範囲・外延の ものを ふくめるかが きまらなければ、当然 カテゴリーの なかみ・内包も 論理的には きまらない。のこされた 部分から 全体を 推定するしか ない。はたして 可能か。あまり 自信は ないが こころみてみよう。
 まず、《説明》という 用語は、二重の 意味に 理解すべきだ と、奥田は 2度 別の ばしょで いっている。つまり 2種・2類の 意味で つかわれている。多義語だから、注意しないと 混乱する。
 ひとつは、いわば 場面構造的に、<説明1(の構造) = 説明2(の 文) + 説明され(の 文)>という 等式の なかで もちいられる。説明2の ほうを ソシュールの "signifiant"(能記) と おなじように 「説明し」という 連用形(現在分詞相当)名詞で 表記する いいかえも できる と おもうが、そして "signifiant" の ことを "signe" と よぶ よの ならいに、ソシュールも 不満を もらしていた ようだが、そうなる よの ならいには それなりの わけ(必然性)が あるのかもしれない。形式的な 部分が 全体を 代表する という 一般傾向が ほかにも おおく みられる。「な(名)は 体を あらわす」って ことなのかな。……… 政治や 社会の 方面にまで 一般化されると、ちょっと こわい けどねぇ。なまえ・レッテルで なかみまで 代表されて ………
 ふたつめは、語彙体系的に 上位下位関係 というか 「中和」現象に からんで というか、「のだ」を 説明の ことば とする 単語の (下位)用法と、「わけだ・はずだ」などを ふくめた カテゴリーの (上位)用法である。こちらは 他の 中和現象から 推定しても 混同の おそれは すくない と おもう。最少文脈の ばあい 「説明の カテゴリー」と「説明の のだ」という 連語で いいわければ 問題は 生じまい。【ただし これは、じっさいの 通じあい(communication)では という ことであって、研究対象としては、よほど 注意して かからないと 混乱する と おもう。実例は 枚挙に いとまが ない。「動物」論「そば」論「さけ」論 ……】
 ここでは このあと、カテゴリーの ほうの「説明」を 問題に し、「のだ」の ほうについては これ以上 ふれない ことにする。「のだ」への 下降・具体化については、データも たいして もっていないので、奥田の 研究に つけくわえる ことが ほとんど ない。一人称文・二人称文について だけ、ほんの ちょっと 別の 記述を したい ところが ある けれど。説明の カテゴリーへの モダリティへの 上昇・一般化の ほうは、後進の ものとして、もし おぎないの 労を とれる ものなら とりたい と おもう。【わたし自身は、奥田と かなり ちがった システムを 構想しているので、おぎないと いっても あくまで つぎはぎに しか ならない。本来は、研究会の 次代を になう かたの 発展増補版を まつべきなのだ と おもう。】
 さて 最初の「説明(その1)──のだ──」では、「本質を あばきだす こと」とか、「物のあいだの法則的な関係、原因・結果の関係を あかるみに だす、論理的な操作」とか、「直接的な経験では とらえることができないから、説明を もとめる」とか、《説明》の 基本的な (ただし 論理学的な 一般的な) 特徴づけを こころみている。そのうえで、3番めの「説明(その3)──はずだ──」では、「はずだ」が 《説明》に いれられる 根拠として、おおよそ、「はずだ」の「出来事の当然さの判断」は、「思考・想像の流れ」において、対象と なる 文の 前後に 配置されて、「ふたつの出来事のあいだの(広義の)因果の関係を論理的に確認すること」だ と している。こうした 点から 推測すると、おそらくは 《説明》の 範囲としては、複合事態に かかわらない「ところだ・ことだ・ものだ」は はいらない 可能性が たかい。つまり《説明》の 範囲は その4で 基本的には 網羅している ───「10号までは おれは がんばる」という ことばは だてではなかった という ことになる。ただし、企画・監修−執筆途中の 段階までは。─── が、他の できごとを 根拠とする 推定・伝聞 evidentiality(証拠性) の「ようだ・みたいだ・ふうだ」や「らしい・そうだ」との 関係に いうべき ことを のこしていて、論じれば それだけ 一般化も 精密化されただろう と 推測する。おおくが「形式名詞 + だ」の かたちに 由来する という ことから、「歴史文法」として、「連体(修飾)節」との 関係や 「ときに・ばあいに/くせに・ために/のに・ので」といった「接続(助)詞」との 関係にも、いいたい ことが あったのではないか と 推察する。こまかい 注記を くわえれば、「はずだ」については、[あとがき]で、
モダリティの構造において、「はずだ」をともなう文がどこに位置するか、ということは、いまのところ、ぼくにはかいもくみえない。かなりさきのことであるだろう。
と かいている。わたしにとっても、「はずだ」(推論)は 位置づけ 未詳である。奥田にとって、《説明》に いれられるにしても 周辺的だ という ことだろう と 想像する。「かいもく みえない」と いわれても、どこと となりあわせ と みていたのだろう と 空想も してみる。なお、初版の p.203 に「はずだ」と「つもりだ」との 誤記が あったのも 気になる。「つもりだ」も、「予定」と 「実現」との 対立に《説明》の 周辺現象をも みていたのであろうか。「うっかりミス」にも 五分の たましいを みてとるべきか とも 妄想してみる(誤用の 文法)。すべては なぞの ままである。

 おおぶろしきを ひろげれば、古代語と 近代語とを 2大別する 特徴としては、いわゆる 通説の「終止・連体同形化」や「係結びの消滅」などより、テンスの 対立を もった 「連体 + 形式名詞」の 「文法化」――― 文中の 接続助詞化、文末の 助動詞化・終助詞化。接続助詞という ことは、複文=複合事態を つくる ことである ことに 注意。――― の ほうが、「格」関係表現の 発達 ――― いわゆる 格が 語格と すれば、いわゆる 接続は 句格、ついでに 連文関係・段落構造は いわば 文格。――― とともに 重要な メルクマールに なる という 歴史観が なりたちうる と おもうが、その たちばからしても、やはり 頂上を 目前に 奥田は たおれた 気がして、無念だったろう と おもう。
連文・文章段落について、ひとこと。文より おおきい はなしや 文章が 文法論の 対象ではない と ふるくから 強調しておきながら、後年、奥田が アスペクトや モダリティの 記述に 「段落の構造」を といた ことについて、ひとこと すれば、これは 矛盾ではなくて、あえて いえば、連文・段落は、義務的な(法則的な) 「かたち・形式」の 体系(システム)は もっていなくて、文法論の 対象には ならないが、その 並置(ならべ) という (もっとも 原始的な) 文法手順(E. サピア)による 「構造・機能」は もっており、文法を 記述する 条件・状況・環境(とりまき)を なす、 と 奥田は かんがえていたのだ と おもう。具体的に いえば、ふたつの できごとの つらなり・連鎖か、であい・共存か という 連文・段落構造の ちがいが アスペクトの 対立「する−している」の 機能の ちがいに 対応し、根拠と 推定との セット という 連文・段落構造の なかに あらわれるか、ラシサや ヨウスの 記述(描写)の つらなり・連鎖 という 連文・段落構造の なかに あらわれるか、という ことが、「らしい・ようだ」の 多義選択を きめる ひとつの 状況・環境であろう。「どうやら」と 「いかにも」との どちらの 叙法副詞を つかうか といった、文内の 呼応という 語彙・文法的な 構文論的な 条件・環境も、「らしい・ようだ」の まえに たつ 語の「カテゴリカルな意味」という 語彙的な 内容(外的な 条件・状況・環境では ない)も、もちろん ある けれども。いやに 教師的で 啓蒙的な ものいいで もうしわけないが、念のために 誤解の ない ように、ひとこと しておきたい。

用例 おそるべし ――― 十年後に つけたし】

 「繊細な言語感覚で、大量の実例から、日本語のなかに隠された法則的な事実をひきだし、それを体系化する」ことに 奥田言語学の 特徴を みようとする 意見(須田義治『アスペクト論』あとがき)も あり、奥田言語学の だいじな 一手法(実証性)を ついた ことばだ とは おもうが、「宮城教育大学につとめていたときにかいた、言語学にかかわる、ぼくの論文をあつめた」と いう『ことばの研究・序説』の 大半は、それ以前の 連語論時代の ものと ちがって、実例は ない。説明のための 典型例 pattern としての 作例は あるが。第3期は「文をしらべるための方法をさがしもとめた」方法的な 摸索期であった と いうべきなのであろう。
 この 著書の あと、自身の ことばで いえば 文の「通達/構造的なタイプを具体的にしらべていく第4期」に はいって、「おしはかり」以降 実例が 復活するが、その 用例カードは、自分で つくった ものではなく、学生や 研究会の なかまに つくってもらった ものであった らしい。連語論時代の 奥田の 用例が 四迷 漱石 藤村など 言文一致〜自然主義小説を 中心とした もので、よみごたえの ある 作品からの 用例であった(『連語論』pp.339-340)のに対し、後期の ものは 戦後の 中間小説的な 作品が おおく、かろやかな プロットの ワンパターンな 表現ばかりで、わたしには よみごたえが 感じられない ものが おおい。としを おうごとに「現代小説」の 比率が たかくなっていく 傾向が あり、構造的な 理解/分析が よそごとに なっていく ように みえる。ついでに 念のために いうが、電子化資料の 機械検索による 大量の データを ほこった ところで、原作品を しっかり よみこんでいなければ、表面を かいなでに した 記述の 羅列に なったり、内容の あやふやな 分析の 粉飾に なったり、に おわる。
 「説明(その1・4)」が 力作 労作である ことは もちろん みとめるが、用例が 流行作家の 中間小説的な ものに かたより、推敲が ゆきとどかない ための、紋きりがたの オンパレードの ゆえなのか、「のだ」の 諸用法の パターンが でそろっていない ように 感じられるのである。とくに 草稿段階に とどまったと 推測される「話しあい」の 現場用法(その4)において その感が つよく、わたしの もっている とぼしい 用例に くらべても、「のだ」の 多義・多機能を 定式化するのに 必要十分な 用例が 駆使されている とは いいがたい ように おもう。「のだ」の「初歩的な機能」の 用法から はじまり、「対話/問答(dialectica)」のなかで はなしの なかみが「弁証法的(dialectic)な 発展」を しめす 用法の 記述/一般論が ないのは、さぞかし 唯物弁証法論者 奥田としては ものたりない おもいだっただろう と おもう。その おもいが 脳梗塞を さそったのでなければ いいのだが。戦後の 作品に かぎっても、「問答体」(インタビュー形式の もの。「ひとりふたやく」も ふくむ)の 作品の ほか、討論による 知的交流の ふかまりや 議論の たかまりを しめす ような「対談/座談 速記録」も あっただろうに、と おしまれるのである。
 弟子たる もの、奥田の しのこした こと いいのこした ことを すこしでも おぎなう ように、「説明(その5/補遺編)」を かきついでいくべきだ と おもう。ついでながら、「現実・可能・必然 ―― すればいい、するといい、したらいい ―― 」(2002 北京外語大)という 晩年の 論文の、副題に しめされる 分析的な 形式の 位置づけの 問題も あって、「まちのぞみ文(下)」が とうとう かかれておらず、奥田の「第4期」(完成期)も 未完の まま 無念の 状態の ままである ことも、わすれるべきではない。

   用例は、上質の ものを よみこなせる かぎり 大量に 分析し、システム化を はかるべきである。   (2012/06/10 補)


現実・可能 ・必然

 奥田 靖雄は、4つの「説明」の ほか、「現実・可能・必然」という なまえの 論文を 『ことばの科学』に 3つ かいている。この、あわせて 7つで、『ことばの科学』に 奥田名義で かいた すべてである。『ことばの科学』の「編集と発行にすべてをかけておられた」(11号編集後記)とも いわれる 奥田は、この 2つの カテゴリーの 解明に なみなみならぬ 意欲と 精力とを そそいでいた と みていいだろう。

                        ページ 号 (刊行年月)
    現実・可能・必然(上)          181-212 1(1986年11月)
    現実・可能・必然(中)          137-173 7(1996年10月)
    現実・可能・必然(下)          195-261 9(1999年 7月)

 しかし、この ドイツの 哲学者 カントに 淵源する 論理的な カテゴリー「現実・可能・必然」 ――― 自覚しようと しまいと、当然 ドイツ語の 叙法(Modus)システムに 制約されている。アリストテレスの 普遍的だと 称する 10範疇も、古代ギリシア語の 体言(noun)と 用言(verb)の 文法的な 範疇(カテゴリー)に もとづいている ことは バンヴニストの つとに 証明した ところ。カントの 独自性が 可能と 必然とを えらびだし 様相性の カテゴリーを 構成した ことに ある にしても、その 選択の 母体が ドイツ語の 叙法(Modus)システムに ある ことは、まず うごくまい。哲学・論理学の いう 普遍性とは ざっと こんな ものであり、母語被制約性の はたらいている ことの あきらかな ばあいも すくなくない。――― を 日本語に 適用する ことについては、当初から 疑問を 呈しておいた(「現代日本語における叙法性 序章」4-3節 1989年)。
 奥田の「現実・可能・必然」の こころみは、結局 すべて 論理学・論理主義への 敗北に おわった、と いってよい。「現実・可能・必然」の (上)「することができる」の 記述にたいする 10年後の ベリャエヴァによる「反省」(『ことばの科学7』「発行にあたって」)、(中)「していい」「してもいい」の 記述における 同人と シャトゥノフスキー(と ボリフ)への 依存(わくぐみの 借用)、(下)「しなければならない」の 記述における シャトゥノフスキー および ツェトリン への 全面依存(記述の あてはめ)、それは、奥田の 記述能力の 限界を 意味する というよりは、記述を おこなうべき ところ・わくぐみの 適用が まちがっている のである。日本語に ふさわしくない わくに、無理に あてはめる ためには、「論理的な もの」「意味的な もの」に 屈服して それで 充当する しか ないからである。わたしの (上)にたいする 評価は、10年まえの「することができる」の 記述の ほうが まだ 日本語の 事実を 正確に 反映している、である。非実現と 不可能の とらえかた(否定が 介在している ことに 注意)に、歴史文法的に みて さかだちが みられるが。こういう 言語形式に もとづかない 研究の ことを 論理主義的な 偏向と よぶのだ という ことは、奥田も 百も 承知の はずだが、研究の 初期の 段階では 奥田といえども 例外ではなかった、という ことなのだろう。
 《説明》の カテゴリーは てなおしして つかえるが 《現実・可能・必然》の カテゴリーは それ自体としては 日本語の 文法カテゴリーとしては つかえない ――― うらで ささえる 論理的な カテゴリーとしては もちろん つかえるし、つかうべきである ――― と おもう。そもそも、「必然」が「否定 + 不可能(可能 + 否定)」という 二重否定(しなければならない・せざるをえない)に 因数分解でき、「可能世界」ひとつ あり、あと 否定や 演算子などの 論理記号が あれば、論理(学)の システムが つくれる ことは、様相論理学の 初歩ではないか。「必然」が 問題になる としたら、言語(学)的には「しなければならない」や「せざるをえない」などの 構成(複雑 成分)性と ふるくから ある「べし」などの 一語(単純 要素)性が なぜ うまれるか、また 意味の ずれかた 意味変化の 方向は どのような ものか といった「語彙化・文法化」「形態化・語構成」の 問題として である。「必然」――― 多数の 基本的な 行為の 必要性・義務性と、少数の 周辺的な 事態の 必然性・宿命性とに わけた として ――― は、「任意性・偶然性」との 関係も もたざるをえない。そのさい それは、「いつも・かならず」「とかく・きまって」「ときに・ときどき」「たまに・たまたま」といった 「恒常性・習慣性・反復性・稀少性」の《とき・時間性 temporality》の カテゴリーとの 関係も 考慮せざるをえない。《可能》も、行為の 可能、つまり 能力・実現・難易・いきおい(不随意)の 方向の もの ――― おれる・おることができる・おりやすい・おってしまう ――― と、事態の 可能、つまり 可能性・蓋然性・確率性・傾向性・いきおい(不本意)の 方向の もの ――― おれるかもしれない・おれそうだ・おれがちだ・おれやすい・おれてしまう ――― とに、わける 必要が ある。むろん 対立が とけあい、相互移行・相互浸透が おこる ところも ある。たとえば、「し/なり やすい(難易/確率)」、「して/なって しまう(不随意/不本意)」、「して/なって は いけない(禁止/危惧)」など。そうした ところに 着目しながら 展望を もって 記述を はじめるのが、日本語の 言語事実から 出発する という ことなのである。
 「わたしたちは、ソヴェート言語学のさしだした一般的な命題を、日本語に機械的にあてはめようとしたことはない。日本語の具体的な研究のなかに発見できるものだけをうけとめて、うけとったものをすこしは発展させ」(『方法』「はじめに」iv)る ところまで、論を ねかせ ねりあげていく 時間の ゆとりが、ひとりの すぐれた 研究リーダーだった 連語論時代から 構文論時代前期の 奥田と ちがって、「円満」な「世代交代」を こいねがう 組織管理者を つとめざるを えなかった 晩期 構文論時代末期の 奥田には ゆるされていなかった のかもしれない(『ことばの科学7』「発行にあたって」1996)。年齢から くる あせりも あった ことだろう。いたしかたのない ことなのであろうか。ともあれ、さきがけに つづき、それを のりこえて、さきに すすむ しか ない。
 行為の 当為面(root 用法)と 事態の 認識面(epistemic 用法)とに わける まえに、《必然》と《可能》とを 法助動詞(Modals)の 上位システムとして とらえようとするのは、イギリスの 言語学者 F. パーマー Modality and the English Modals.(訳本『英語の法助動詞』) も 主張している ことで、近代印欧語的な とらえかたとしては 是認すべきなのかもしれない。古代日本語にも、ひょっとしたら 適用可能かもしれない。川端善明らの 論理還元主義が なりたちうる ひとつの 根拠であろう。しかし、それを 近代日本語にも あてはめようと する ことは 無理・無茶 という ものである。つとに 近代語学者 中村通夫が 実証的に あきらかに した ように、「せむ」が 「しよう」と 「するだろう」とに、「すべし」が 「すべきだ」と 「するはずだ」とに システム的に(それぞれの 否定形も 想起せよ) 分化する 近代日本語にも 適用しようと するのは、対象ぬきの 状況ぬきの、いきすぎた 普遍主義である。西洋中心主義と はっきり いった ほうがいい かもしれない。ひとつの レベルで 行為(しごと)の 当為面と 事態@(できごと)の 認知・認識@(みとり)面とが 対立的・相補的な 関係で ならぶ とともに、その 行為の 当為面も 意志的な 事態A(しわざ)として 認識A(みとめ)・確認し 表現(表出・叙述)する 対象にも なる という、階層的・包摂的で (動的な)「弁証法」的な 関係にも たつ。けっして 静的な 対立関係に 固定されている わけではないのである。認識の 基底において、行為の 当為面と 事態の 認識面とに わけて 対立的に とらえた うえで、認識の 深化と 表現の 拡大 という 過程的な 言語構造(通じあい)に つなげていこう という わたしの とらえかたに、行為主体・認識主体を 重視する ことになる という 性格に 関連して、戦後の 「主体性論争」(文学・哲学)や 新左翼・全共闘運動を 連想した むきも いる かもしれない。たしかに、奥田を 組織論以外で 「オールド・マルキスト」と よぶ としたら、それは 学問的には この 意味において であろう。《現実・可能・必然》が、唯物弁証法の 基本的な カテゴリーだ としても、そのまま したがう わけには いかない。その「普遍性」に ひとつの 疑問例を、「停滞」アジアの かたすみから 提出したい と おもう。なにしろ、「天皇制」という 日本独自な 制度も あって、ふるくから、その 位置づけに関して「オールド・マルキスト」の あたまを なやませても きたのだから。 学問の 方法が 対象の 構造に 規定される というのが ただしいのなら、理論の わくぐみの 普遍性を うたがってみるのが、ただしい 学問姿勢 という ものでは ないだろうか。
 学問する とは、「ガ クモンする=我 苦悶する」ことでも ある と シャレて、すこし 気楽に なっておく ことにする。

 わたしの もう すこし くわしい かんがえかたについては、ふるいが、活字になった ものとして、「現代日本語の文の叙法性 序章」(1989年。東京外国語大学での 最初の 講義案を もとにした ものであった)を、より あたらしい かんがえとしては、まだ 活字に なっては いない(推敲が じゅうぶんでは ない)が、おなじく 東京外国語大学の 最終年度の 講義案「2009年度 叙法性研究の 諸問題 プリント」を、みていただければ さいわいである。奥田との わかれと ひとりだちの みちすじであった。


現実・可能・必然と まちのぞみ ――「すれば/すると/したら いい」の 位置づけ】

 「まちのぞみ文(上)」が でた とき、はしりがき的 おぼえがき(1986)を かいて、疑義を 呈しておいた。「現実・可能・必然(上)」の ときも 序章(1989)に 疑念を 注記した。この 疑問:奥田説は 日本語の システムに ふさわしくない のではないか という 疑問は いまも わたしの あたまを さらない。だが はずかしながら、では 日本語に ふさわしい システムは おまえに つくれているか と いわれた とき、これだ と しめせる ものが いまだに 完成していない ことを 正直に 白状しなければならない。
 わたしの ばあい、行為系と 認識系とに 二大別する ことを 基底に かんがえる ことは ほぼ かたまっており、その 分水嶺の 位置に、動作様態相「し/なり やすい(難易/確率)」「し/なり そうだ(予想/前兆)」、動作態様相「して/なって しまう(不随意/不本意)」「Nを/が してある(準備/設置)」、動作評価態(あるべかしさ)「して/なっては いけない(禁止/危惧)」「して/なっても いい(許可/許容)」などを 位置づけ、両系を したから ささえる 位置に 評情(評価+感情)系を 想定する ことも ほぼ みとおしは つけているが、そのさきの くわしい 模型図が 安定した ものに まだ なっていない。いまのところ、三角柱の 各表面に 配置する ことを かんがえているが、あるいは 四角柱に すべきかもしれない とも まよっている。
 「すれば/すると/したら いい」の かたちが、条件・状況を ととのえれば できごとの 実現が 可能(「いい」状態)に なる という 可能表現の 一種と かんがえるか;できごとの 実現にたいする はなしての 期待や 願望(「いい」感情)を あらわす「まちのぞみ」の 文と かんがえるか;奥田は 死の 直前まで ゆれていたのだ と おもう。奥田の わくぐみの なかで かんがえれば、その 両面性を もつ モダリティが;あるいは それを つなぐ 形式が;モダリティの システムの なかで おなじ レベルに ならばない という、理論的な 処理に 困難な 問題が もちこまれたのである。「現実・可能・必然」は、「まちのぞみ文(希求文)」と ならぶ「ものがたり文(平叙文)」の 下位類なのである。「おじ−おい」関係に 相互移行/浸透関係を みとめる 必要が できるのだ。
 自分の システムの 問題ではない とはいえ、実現可能性が 事態(客体)面の 問題であるのにたいして、まちのぞみ性(希求性)が はなして(主体)面の 問題である というように、関係自体が 相関関係に ある ことは いなめず、どんな システムを 構想する にしても さけては とおれない 問題である。ただ わたしの ばあいは、行為系にしても 認識系にしても、叙法性は すべて [客体+主体] 関係として とらえられる わけだから、難問には ならない。行為(する)系ほど 実現可能性=手段適切性が;認識(なる)系ほど まちのぞみ(希求)性=期待性が;前面に でるだろう とは 予想されるので、やはり この 形式も その 両面的な ふるまいを 説明できる ような 位置を 熟慮して 用意しなければならない ことになるだろう。
 感情「すき/きらい」と 評価「いい/わるい」は、行為系と 認識系とを したから ささえる 位置に あって、行為系よりに 感情が;認識系よりに 評価が 位置づくだろう。こまかい 部分は まだ 位置づけ不明だが、いまの 段階での ひととおりの あゆひの システムについては、「しごと」の「語と 文の 組織図」の 付録「あゆひの システム」を みていただければ さいわいである。
 さらに おおわくを、知・情・意の 三項鼎立の イメージで かんがえるか、認識―行為:評価―感情の 四項並立(二重二項対立)の イメージで かんがえるか、という 問題にも ひろがっていき まだ 最終的な 決着は つけられていない。

      知 ―― 意   認識―行為
       \ /     |  |
        情     評価―感情

 

説明(4) 会話「のだ」の なぞ

 うえの「説明」の ところで、「説明(その4) ── 話しあいのなかでの「のだ」──」は、おそらく 形式的にも 内容的にも 未完の 未定稿だと おもう と かいた ことに 関連して、【補記】で 4種の「草稿段階のプリント」の こと(奥田著作集刊行記念シンポでの 新情報)に ふれて、刊行の 経緯について 説明を もとめた ところ、ありがたい ことに、編集委員 佐藤里美氏から 4つの プリントの コピーが おくられてきた。まだ ざっと みた かぎりであるが、最後の「2000.10.14 北京大学」の プリントが ほぼ そのまま (誤記訂正のみで) 活字に なっている ように みえる。「未完の 未定稿」という 表現は したたらずなので 撤回するが、やはり 以下に のべる ような 点から かんがえて、刊行 活字化の ために 加筆 改稿を かんがえていたが、2001年4月8日 脳梗塞に たおれて はたせなかったのだと 推定していい と おもう。

 完成原稿としては 不可解な 点を はじめに 列挙する。

   ・(その1)に ある、「のだ」記述を めぐる 言語学と 論理学との 分担の 議論(1節)や 反省(22節)が (その4)には ない。
   ・(その1)の 4節に ある「歴史的な発達の過程」の はなしの 展開が (その4)には みられない。
   ・(その4)の 3節に/おしえる/機能から 「そうすることをあい手にもとめている」用法にも ふれているが、
    「はやく かえってくるんだよ」のような 親子関係の 会話では ごく ふつうの 説諭(命令)用法に すすんでいかない。
   ・(その4)の 8節に「論理の展開過程」の 用法に ふれながら、会話文から 地の文への 歴史的・論理的な 展開が とかれない。
   ・(その1)の あとがきに 「永野賢・三上章・林大の研究の流れ」に ふれ、(その4)の はじめに (会話用法指摘の) 林大を ぬきに、
    「十年たった今」の「研究史的な必然」を いうのは 研究史としては 異様である。

 おもな ものだけで ざっと こんな ものである。なかには、「仲間」に あつめてもらった という 用例カード自体が かたよっていた おそれも ある。明治 大正時代の 用例が きわめて すくなく、現代の 日常生活や 親子関係などに 無縁な「風俗小説」の えがく 場面に かたよっていた のかもしれない。奥田の 連語論時代の 記憶に たよった 仮説と おもわれる もの(その1の 4節)が これでは 実証されない。用例は、なかまに たよるのではなく、機械(パソコン)に たよって、自分で あつめて 分析しなくては、責任の とれる 実証研究には ならない。

 脱線と いうには かなり 深刻な 研究手法に かかわる 問題であるが、これぐらいで 上記の 推定の 問題に もどろう。最初の 論理学との 関係については、(その1)では 「言語学者の仕事は、… 文法的な性格、体系のなかでの位置、テンス・ムード、文体を … 歴史的な成立の過程のなかで あきらかにすることで、完結する」と いい、「どくとくなもの」(形式)が あれば 「テキストの構造 文の配置」にまで 領域を ひろげてもいいが、「テキスト論的な事実としての論理的なむすびつきの具体的な内容をいちいちあきらかにしていく作業は、論理学者の仕事になるだろう」と 領域を 限定する。そして、テキスト論的な事実を (ひととおり よみかた教育に やくだつ 程度には) 記述した うえで、「いろいろの文の文法的な特徴とのかかわりのなかで、《説明の構造》をとらえていないのが、この論文の最大の欠点である」と 反省した あげく、「文の文法的な形式の研究」に 「構文論的な研究にもどるべきなのだろう」と いうのである。「文法・形式」という ことばが こころに ひびく。
 これに とおく 呼応するのが、(その4)の 末尾、解説者を「言語の世界のおくぶかさに慄然と」させた という 奥田論文の 末尾、

最後におことわりしておくが、このような論理的な関係の記述における「のだ」の使用のばあいの一般化は、ぼくにとっては、いまのところ、手におえない仕事である。こういう使用例もあるということの指摘にとどめておく。
という ことばである。この問題(の 一般化)は、言語学者ではなく、論理学者や テキスト論者の しごとだと いうのである。「とどめておく」のは、論理学者たちの「テキスト論の成立に期待している」(その1 p.210) からなのであろう。しかし、解説者を まどわせた ように、奥田の 論が やや したたらずでも あったのである。さきに「一般論で しめくくられない」と 不足を いったのは この 意味である。すくなくとも、地の文の テキスト論的な 記述と、はなしあいの文の 会話論(談話論)的な 記述とにおける 「論理的な関係の記述」を おなじように かんがえて いいか どうかは 論及する 必要があった のではないか。「使用例の 指摘」の 段階で それは 記述の しかたの 問題に くいこんでくるだろう。
 つぎに「歴史的な発達の過程」、はなしあいの「のだ」が さきで、地の文の「のである」が あとだ という 成立の 問題については、用例カードの 蒐集母体の 問題が からむ ようなので、これ以上 ふかいりしない ことにする。ただ、おなじ 談話体といっても、『福翁自伝』には すくなく、『海舟座談』には おおい。後者のほうが 前者より 「会話的」な 座談なのである。『福翁自伝』のほうは、自分の 過去を 客観的に 記述した 報告、むしろ「講談」に ちかい。いうまでもない ことだが、「のだ」は 場面様式や 表現様式(文体)の ちがいに よる 使用の 差が はなはだ おおきい。文末様式の ひとつとして 意識された ことは、「言文一致文体」の 成立過程を たどっても ほぼ あきらかである。用例を あつめる 母体の 選択には もうすこし 気を つかうべき ではないか。「友情」が しらず しらずに あだに なる ことも ある。(いいすぎたら ごめん)
 「説諭(命令)用法」については、すくなくとも (その4)の 第3節の 前後に、

   ・いい子は はやく ねるんだよ。   いちおう 主−述の 説明(説諭)。   つたえる(のべたてる) 文
   ・いい子で さっさと ねるんだ。   主語なし−命令文として 機能。    はたらきかける 文

といった、文の モーダルな タイプの 段階的な 移行の 記述が 必要である。会話文場面の 記述としては かかせない。こんな 用例が めだって でてこない ようでは、蒐集母体が まちがっているのである。家庭生活を えがいた 小説や 映画シナリオなどで 用例の 補充が 必要である。
 (その4)の 第8節の「論理の展開過程」の 用法を 歴史的に 位置づける ことについては、「歴史的な発達の過程」と 関連する ことで、あるいは「望蜀の嘆」である かもしれないので、これ以上は ふかいりしない ことにする。ただ 奥田の 見解を ききたかった。
 最後の 研究史上の 林大の 位置づけについては、本文に とりあげる 以上、林大を 無視するなど 不当だ という ことは、げんきで 論文化する のであれば 当然 気づく はずである。(その1)の あとがきまでは 正常である。(その4)でも 最低限 あとがきで、会話用法を 指摘した 先駆者として 言及するのが 礼儀であろう。林大1964「ダとナノダ」(講座現代語6)は、学界に 理解されない まま 不当に 無視されている だけに、奥田の 沈黙は おしまれる。「学校文法的な 解釈に こだわっている」('82講義) 林大の、研究史上の 正確な 位置を 公刊論文で 正式に ききたかった。このままでは、「永野賢・三上章・林大の研究の流れ」のうち、いちばん 学校文法的で 批判しやすい 永野賢だけを 研究史として あつかい、三上章(テキスト上の 逆順=配置)や 林大(会話文的な 応答 → 説明 説得) といった 研究史の 積極的な ながれを とりあげない なんて、どう かんがえても、自分自身の 研究を 研究史に 位置づける うえで ゆるせない はずではないか。「研究は 研究史である」(1996)のでは?

 未定稿である ことを 証拠だてる 例ではないが、晩期の 特徴として、こまかい 事実を 指摘しておきたい。(その4)の 第2節に、

   「だれと あっていたんだ?」――「しっている 人よ。」
   「いつ ここに きたんだ?」――「いまです。」

といった、初歩的な説明の文では 「一語文」的な《記述のかたち》で じゅうぶんなのに、

   「おや、なぜ?」――「のみたくないから、のまないんです。」

のように、「なぜ」の 疑問の ばあいは、《出来事》に「のだ」を ともなうのが 義務的である ことを 指摘している 箇所が あるが、前者が「名詞 Nダ」であるのに対して、後者が「用言 Vノダ」である ことに ふれて、「の」が 形式名詞(ないし 準体辞)として 媒介している ことを 記述し 移行を 分析しないのも、連語論時代から 構文論前期を しる ものとしては ものたりない。晩期の 奥田は、ロシアの「機能文法」の《論理意味》的な カテゴリーに 圧倒されたのか、意味分析に のめりこみ、言語形式(の 契機性)が みえてこない というか 軽視する 傾向に あった。
 また 第7節に、「評価(的な 判断)」が 問題に され、できごとの 特徴づけ 意味づけや 意見の くいちがい 対立などが 記述されるのだが、文の かたちが 動詞文から 形容詞文に 基本的に かわる という 指摘は みられないし、まして、「それで いいのだ!」といった 卑俗な ギャグ(赤塚不二夫)が どこに 位置づくのかは まったく わからない。賢人 奥田にとっては、わざわざ あからさまに する 価値も なかったのか。いったい だれを よみてに かんがえていた のだろう。

 奥田を 研究者として 信頼し 尊敬している からこそ、草稿 未定稿の 段階の せいなのだ と おもいたい のだろうか、
 それとも、研究の 質は データの 質に 結局は 規定される という、認識の 冷厳な 因果律の あらわれ なのだろうか。

 

2つの「してもいい」

 奥田は、「文の意味的なタイプ」(1988)と 「現実・可能・必然(中)」(1996)との 2つの 論文において 「してもいい」の 記述を している。対象への ちかづきかた(approach)も 記述の わくぐみも ずいぶん ちがう。古稀(70歳)直前の 前者では、テーマは あくまで タイトルどおり 文の 意味の 問題として あつかわれており、4つの パラグラフから なる 論文の うち (2)だけが「してもいい」の 記述に あてられていて、後半の (3) (4)は、文の対象的な内容の 一般化に あたって 重視すべき こととして 主語述語の 構造的な むすびつき(二語文性)と、その「陳述性 predicativity」に あらわれてくる「モーダルな意味 modus」の 問題が とりあげられる のである。「してもいい」の 記述は、副題の「対象的内容と モーダルな意味との からみあい」という ことの 例として あつかわれていて、「便宜的なものにすぎない」と いうけれども、場面の ちがい(会話/独話)や 状況の ちがい(具体/抽象)や 人称性(人間関係)の ちがいも 条件として 的確に 規定されていて、よみやすく 整理された、文レベルの 意味記述だと いっていい。もっとも、奥田には 図式的すぎる と みえていた のかもしれない。
 喜寿(77歳)直前の 後者では、ものがたり文(叙述文)の 下位体系の ひとつとしての 可能表現として、「していい」と「してもいい」という とりたて形か どうかという 語構成(〜形態)論的な ペアを とりあげて 比較しながら、モーダルな意味や 場面的な意味や プラグマチカルな意味を 区別して 記述しようとしている。語論と 文論と プラグマチカとを 総合する こころみと みられ、なんどか よみなおしては みたが、わたしには 「こころ あまりて ことば たらず」のように おもわれて、じゅうぶんには 理解できていない。「していい」と「してもいい」という 区別も かならずしも (文脈として) 分明とは いえず、また その意味が 文法的な「モーダルな意味」なのか 非文法的な「プラグマチカルな意味」なのか、それとも 場面に しばられ 人称性に 関与する「場面的な意味の 変容」なのか、奥田の いいたい ことが よく よみとれない。前者の わくぐみが 先入見と なって 理解を じゃましている のであろうか。

 よく わからないので、ながい あいだ だまっていたが、奥田靖雄著作集 刊行記念の 国際シンポジウム(2015/03/07)の「奥田論文を読む」でも、この問題は すどおりされている ようなので、ひとつの 問題提起として あえて 疑問を だす ことにする。自分の よみの あささを 暴露する だけに おわる おそれも じゅうぶんに あるが、としを とると、そうした 羞恥心も うすらいで いってくれる。
 後者「現実・可能・必然(中)」が 発表されたのは『ことばの科学 7』において であった。この巻の 解説は「今回はぼくの名まえでかくことにする」と わざわざ ことわって、奥田名義で かかれている。この論文集の 全体を まとめての 解説としては 最後に なった。研究会の「世代交代」を 意識(決意)しての (移行)処置だろうと おもわれる。自分の 論文についての 解説では、大半は ベリャエヴァに したがった (上)「ことができる」に対する 反省で ついやされ、(中)「して(も)いい」については「ふたつの かたちの 相互関係、相互移行についての、まったく あたらしい 考察であって、それが どこまで 正当であるか、ぼく自身 わからないで、こまっている」と のべる だけである。「していい」と「してもいい」との 形態的な セットを 比較対照する 語論としての 章と、「してもいい」が 文のなかで どのように 条件づけられて 意味分化するか という 文論としての 章とを 独立した 章として 記述した うえで、その 全体を 関連づけてくれたら もうすこし わかりやすく なっただろうに と おもわれるのだが、そんな 定石や 常道の はるか うえを いく「まったく あたらしい 考察」なのであろうか。
 「正当さ」について ひとりで こまってしまう というのは、研究会に 相互批判が ないから という ことではないのか。「円満に … 世代交代」が できているか どうか 以前の 問題であろう。わたしは、「完了/パーフェクト問題」前後の ころから 研究会に 出席しづらい 雰囲気に なっていて、1年に1回の「白馬日本語研究会」だけを たよりに 研究を つづけていた ころである。だから 70歳以降の 奥田が そして 研究会が どんな 状態であったのかは しらない。発表段階で 初歩的な 質問も うけられない 研究会で、奥田は なにを めざしていたのだろう。
 「文の意味的なタイプ」(1988)では、ききての いる はなしあいの 場面での「許可」用法から、記述は はじまっている。「現実・可能・必然(中)」(1996)では、「規範可能」から はなしが はじまり、最後は 「してもいい」の「本質的な規定」は 「《私》は《私》の 意志を のべる」だと 結論づけられる。ききては 《私》の 意志で どうにでも あやつれる 人間であるかの ような あつかいである。"communication" は「伝達〜通達」ではなく、「(言語)交通」(マルクス)か 「通じあい」(西尾実)か 「つたえあい」(西江雅之)のように 訳すべきである。漢語では「交-」 和語では「-あい」が 必須である。言語の 考察も 記述も ここ「社会的な 対象的な 活動」から はじめるのが 原則であろう。これは 「シャカに 説法」なのか、「との、ご乱心!」なのか。ベリャエヴァらの「(論理)意味論的な整理」の みごとさに ひとりで 圧倒されて、日本語の 現実よりも 一般的な 意味(論理関係)的な 整合性のほうが 優先されてしまうのである。(上)で いえば、日本語の テンス形式の あらわれかたより、(普遍)意味的な「時間のありか限定」の ありかたのほうが 「正確」な 整理だ という ことに なってしまうのだ。
 よみかた教育に やくだつ ように、具体的な テキスト論的な 整理が めざされた ことは むろん だいじな ことである。教科研国語部会としては、この「二次読み」の 質をも 規定しかねない 具体的な さまざまな 意味の 記述が、言語学的に 整理されていようと いまいと、貴重な ものである ことは わたしにも よく わかる。しかし、よみての ことを 捨象しても テキスト論は ひとまず 成立するが、ききての 存在を 無視しては 言語の はなしあい(会話)は なりたたない。言語場を 構成する 必須の 要素(契機)である。
 また、(個別)言語学としては、(かりものの 普遍的な) 意味的な整理より、民族語特有の 形式(構造 くみたて)に あらわれてくる 意味の 記述のほうが かんたんには みえないが 本質的だ という ことを わすれては いないか。言語学の 本領は 「形式」の 発見に ある。「形式 かたち form」は、かんがえや その 通じあいを 形成する(かたちづくる form) ものである。言語の 内容と 形式の 関係は、分離可能な 物体としての なかみと いれものの 関係では ない。ウィスキーと グラス、おさけと おちょことは、わけられるし いれかえても もの自体としては かわらない。しかし「ウィスキー」「おさけ」という ことば(言語)は /ウィスキー/ /オサケ/ という 形式(音形)が なくては 意味(イメージ 対象物)自体が おもいうかばない(喚起されない)。もじどおり、言語の 形式と 内容とは きりはなせないのである。しかし こんな 比喩 解説の 不整合な すきまに、言語学の「論理主義」は 即物的 かつ 普遍的に しのびこむのである。奥田も わかい ころ、(おそらく) 自戒の念も こめて、「論理主義批判」を 執拗に くりかえしていた のではなかったか。ひとの 欠点は みえやすい ものである。だからこそ、他者の 存在する 研究会のなかで、言語研究は 集団的に おこなわれるべきである、のではなかったか。「を格連語」(1960/1968)の、「(動詞「みる」の)語彙的な意味のあり方」(1961/1967)の 初心に、「現実・可能・必然(上)」(1986)の 初志に かえるべきだった のである。『ことばの科学』創刊号(1986)で たからかに 宣言された「構文論的アプローチ」は、その後 ソビェート・ロシアの「機能文法的アプローチ」に ひきずられて、変質していないか。たしかに、「ソビェート言語学のさしだした一般的な命題を、日本語に機械的にあてはめようとしたことはない」(『方法』まえがき)と、かつては いえた。ブルィギナら ロシア言語学者の なまえや 引用に みちあふれた プリント(「述語の意味的なタイプ」1988)は 未公刊の ままに して、「時間の表現」(1988)の 検討を へた うえで、「動詞論」(1992)などの 教科書に くみこんでいこう という 創業の 意気に まだ もえていた。


 「あてはめ」研究に 関連して、奥田は「現実・可能・必然(下)」(1999)の 解説で 自分の 研究を「明治の学者がスウィートにまなんだ、そのレベルである。」(『ことばの科学9』p.10)と 一見 謙虚そうに のべているが、「明治の学者」は、まなびかたは 幼稚でも、上昇期の 健康な ナショナリズムに ささえられて 『日本文法論』(明治41年)という 日本初の 近代的な 大文法を うんだのである。「複語尾」を 動詞の 活用から きりはなして あつかった ことは、形態論的に 不徹底であった のだろうが、日本文法学の 独立の ためには 必要な「便宜」であったとも かんがえられる。なんなら「歴史的な 必然」と いいかえても いい。このほうが 国学の 研究成果を 最高の レベルで 継承するのには 有利だったとも いえるのである。「… そのレベル」と いうが、それの 属する 歴史的な 段階によって しごとの 意義や 評価も かわるだろう。たしかに、西洋諸語の must(英)、mussen(独 ウムラウト略)、dolzhen(露) などの 研究の 蓄積には めを みはる ものが あるだろう。しかし 「現実・可能・必然」という わくぐみ自体、西洋諸語や 古代日本語「すべし」には あてはまっても、近代日本語「すべきだ・しなければならない」には あてはまらない。古代語「すべし」(コトの 妥当〜当然性)は、近代語では 「すべきだ」(行為:義務)と「する はずだ」(認識:推論)とに 分化している のである。「せむ」が 「しよう」(行為:意志)と「するだろう」(認識:推量)とに 分化した ように。(cf. 中村通夫1948『東京語の性格』)

    せ む─┬─しよう   行為:意志    すべし─┬─すべき なり──すべきだ   行為:義務 cf. すべい (関東方言)
        └─するだろう 認識:推量        └─すべき はづ──する はずだ  認識:推論 cf. 来たる(べき) ○○
    #否定の「せじ」「すまじ」も、かたちは 分析的に 複雑に なるが、基本は 同様であろう。例は 略す。

 そして その「すべきだ」の 周辺に、「しなければ ならない・しない わけには いかない・せずには いられない・せざるを えない」といった《行為しないことの 不可能》の 構成を した「必要」や「不可避」の 類義形式が、近代に あらたに 発生したのである。奥田は、こうした 日本語の 歴史的な 変化を みた うえで 「〜表現の内的な発展の法則」を とらえようとは しないで、シャトゥノフスキーの ロシア語の 分析を 普遍的な 論理意味的関係と みなして、そちらのほうを 優先する 論理主義に おちいっている のである。
 こんな ことでは、「歴史は くりかえす。…… 二度めは 茶番(Farce)として。」(ヘーゲル−マルクス)という ことに ならないだろうか。
……… とか いわれかねない 外見に 身を やつしては いても、その こころは、『日本文法論』以来の 《標準文法》の 完成を 期する、「道をきりひら」いた 世代から わかい 世代への「ねがい」(傘寿の 遺書)に あった、なんて ……… 。奥田なら やりかねない かも。

 自分の 流儀に ひきつけて いうと、すべき「つとめ」を つみかさねる ことが、したい「ねがい」への みちを きりひらく ことになる のだろうか という といかけを、「したいこと と すべきこと」という テーマに かかげた ことも、かつては あったっけ。
 細部に わたる 議論は ひとには 退屈だろうと おもって おおきな 論点だけに かぎったが、もとめられれば 用意だけは してある。著作集が でて あれこれと よみかえした 機縁から、とうとう 回顧的に 沈黙を やぶってしまったが、かんがえてみれば 奥田が いきて かえってきて こたえてくれる わけでも なく、この 文章も、一方的な ままで、双方向の 議論に なる はずは ないよねぇ。

 

2つの 動詞(ムード)論

 こんどの 著作集に 「動詞論 ―― 終止形のムード ――」という、同名の 2つの 未公刊プリントが 掲載され、一般に 公開された。1994年12月の 教科研国語部会 瀬波集会の 講義プリントと、1995年2月の 琉球大学集中講義の プリントである。前者は 著作集 16ページ分の 分量が あり、後者は その 前半の かきなおしで、9ページ分の ながさである。「… 全文を掲載したのは、両者の内容上のへだたりがおおきく、ほとんど別論文にちかいと判断したためである」と、「初出一覧」に 編集委員会の ことわりがきが ある。

 論文構成の あらましは、前者が、
   (1) 総論:動詞の ムードの かたち と 文の モーダルな意味との 関係
   (2) 直説法@:テンス 現在 過去 未来
   (3) 直説法A:周期的な 過程
     (1) 単純な くりかえし
     (2) 習慣
     (3) 時間的な 一般化
の ようであり、後者は、
   (1) 総論:動詞の ムードの かたち と 文の モーダルな意味との 関係
   (2) 直説法:現在 推理法 説明 回想 たしかさ、モーダルな意味の 階層的な構造
     形態論的な事実=動作の客観的なあり方:[現実/可能/必要/欲求]動詞の 系列
の ようである。むろん、全体に かきなおしの あとが みられるのだが、おおきな ちがいとしては、前者の (3)節 つまり「時間の 非ありか限定」が 後者には なく、後者の (2)節の「動作の客観的なあり方:[現実/可能/必要/欲求]動詞の 系列」を「形態論的な事実」と みなすべきだ との 言明が 前者には みられず、前者では (1)節 総論の 最後に「動詞の過去テンスの表現する《回想性》は「したい」という欲望動詞にまでひろがっている。」(言語学編(2) p.175)と、いわば モーダルな意味の 複雑さ(過去テンスの 回想性)を しめす 例として さりげなく でてくる だけだ、という 点が 注目される。
 この「動作の客観的なあり方」(modus とも)のなかに、現実動詞 可能動詞 必要動詞とともに 欲求動詞「したい」を ふくめて システム化するのは、「動詞論」(北京外国語学院 1992 言語学編(2) p.22)と この 琉球大学での「動詞論 ―― 終止形のムード ――」(言語学編(2) p.195) という 大学の 講義プリントであり、「欲求動詞」を システムとしては しめさないのが、『にっぽんご 宮城版』(1984〜93。佐藤里美編 未公刊)と この 瀬波集会での「動詞論 ―― 終止形のムード ――」という、教科研で 教科書づくりに かかわっている 教師むけの プリントなのである。『にっぽんご 宮城版』は、「したい」を 動詞の希求法として あつかっている からであろう。
 教科書づくりが いちおう おわっていた 1994年12月の 段階では、奥田は (modus としての) 欲求動詞 という あつかいの 方向に かたむいていたと みるのが 自然だろうが、しかし また 「動詞論」(1992)では、「さて、まちのぞみ文をこのように分類できるとすれば、そして、それぞれのタイプのまちのぞみ性を表現する手段として、動詞の分析的なかたちがあるとすれば、形態論はこれらのかたちをムードとして記述しなければならない」(言語学編(2) p.104)とも いっている。「動詞論」(1992)には、形式論理的には「矛盾」が ある。この、形態論的な 事実として 欲求動詞 という「モドゥス」なのか、希求法 という「動詞終止形のムード」なのか という むつかしい 理論的な 選択を、小中の 教育(教科書)や 大学講義という 教育実践のなかで どちらが 理解されやすいか 教育効果が あがるか と、実践的に 解決(選択)を はかろうとしていた、とも かんがえられる。さらに 臆測を たくましう するなら、modus と mood とに 同根の 移行関係や 同一物の 二面性が あって(発見されて)、矛盾が「止揚」できて 両立しうる かもしれない。派生動詞が 語形を へらせば、語形に 変質する。過去形「た」は、完了動詞「たり」から できた のだ。

 奥田晩期の「説明(その4)」も 「現実・可能・必然(中)」も 「現実・可能・必然(その4)」も なぞに つつまれていて、いくつもの「してもいい」選択の みちを 後進に のこしておいてくれたのだ とも みえてくる。奥田が 意図しようと しまいと、複数の 選択肢が われわれに 課題として のこされた ことは まちがいない。「研究は 研究史である」[(中)の 掉尾]とは、この 意味に うけとめるべき なのであろう。

 

2つの modus

 気楽に なりたい。気楽に なろう、なるべきだ と 自分に いいきかせる。どうせ たかが HPぢゃないか。だれも まともに よんぢゃくれない。いいたい ことを 気ままに かけるのが HPの いい ところぢゃないか。それを 気おって どうする ………。以下は そんな お気楽な はしりがきである。わかい ときは、「走り書き的覚え書き」なんて 中野重治を 気どった ものだが、そんな てらいも きえていく。
 尊敬すべき 人間が 一見 常道を ふみはずした 行為に およんだ とき、ひとは、そこに なにか だいじな 秘密が かくされている んぢゃないかと うたがってみる だろう。奥田の "modus" の ばあいも そうだった。「文のこと」(1985) や「文の意味的なタイプ」(1988)の ころまでは ちょくせつ 質問できたが、「動詞論」(1992)の ころからは、プリントは いただける こともあったが、質問は できなかった。
 文のモーダルな意味と、(派生)動詞の「動作のあり方」の カテゴリーとが、どうして おなじ "modus”と よばれるんだ、おかしいぢゃないか、「動詞論」を よんだ とき、そう おもった。文の 陳述性と 語の カテゴリー(派生体)とが、おなじ "modus”と よばれ、区別するには かろうじて「モーダルな意味」と「モドゥス」といった 訳語で いいわける という 用語法に なっとくが いかなかった。ついでに「現実・可能・必然」というのは、文を あつかうのか、語を あつかうのか、はっきりせず ぬえ的だ、とも おもった。
 ただ、2つの modus に、客体側の 根拠(土台)と、それを みる 主体側の こころがまえ(みがまえ)といった 対応 ないし 連絡する ものは あるな、とは 感じていた。それが、うえの「2つの 動詞論」を かいている うちに、おおきな 問題として たちあらわれてきた のである。このさきは まだ うまく 言語化できない。できないけれども、なにか しゃべりたい。はじを わすれた ぼけ老人に なった か …

 図式化すれば つぎのように なるだろう。

     客体の 語の ありかた [modus] ← 主体の 文の とらえかた [modus]
     → 文の対象的な内容    《みる》      形式(モーダルな意味)

ちなみに、動詞のムード[mood]は、奥田によれば、単語への 構文機能の 固定化である。

 ということは、他の 条件を すべて 捨象して、骨格だけ 図式化すれば、つぎのような 変換関係も 仮定できるだろう。

     (語の) modus1 + mood → (文の) modus2

 動詞の 文法的な 派生態 modus1 と 動詞の 語形 mood とが くみあわさり 干渉しあって、文の 陳述性の 土台 modus2 を くみたてていく みちすじと、その逆の 沈殿 定着 成形の すがたが おぼろげに うかんでくるのであるが、まぼろしであろうか。―― 語(客体)と 文(主体)との 統一において modus と まとめ、客体面と 主体面との 対立において 「動詞の モドゥス」と「文の モーダルな意味」と よびわける のである。

 もっと しっかり 論理化しなくては と おもう ぐらいだから、まだ 完全に ぼけきっては いない ようだ。

 

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工藤 浩 / くどう ひろし / KUDOO Hirosi / Hiroshi Kudow


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