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「どうしても」考

工  藤   浩


0 はじめに───概観をかねて───
0-1 「どうしても」の語構成の由来
0-2 概観

「どうしても」の用法記述
1-1 不可能と共起する用法
1-2 <非実現> と共起する用法
1-3 <趨勢〜不可避> と共起する用法
1-4 <意志> と共起する用法
1-5 <希望> と共起する用法
1-6 <必要> と共起する用法
1-7 <判断> 用法
1-8 <略体> の用法
1-9 第1節のまとめ

「どうしても」の陳述的性格
2-1 文の対象的な内容と時間性───個別・具体性───
2-2 文の陳述的なタイプ───叙述文性───
2-3 いわゆる「陳述度」───従属節の用法───
2-4 結び

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0 はじめに───概観をかねて───
 比較的に成立が新しく、現に句的形態を保っている副詞「どうしても」を取り上げて、文の中での諸用法を記述しながら、語における多義・多機能の定着のしかたの一端を探ってみたい。

0-1 「どうしても」の語構成の由来は、
   未定副詞「どう」 + 形式動詞逆条件形「しても」
 (あるいは 未定副詞「どう」+形式動詞中止形「して」+係助詞「も」)
であり、
   彼女は、いくら食べても、太らない。       <非実現>
   どんなにすすめられても、彼は行こうとしない。  <否定意志>
   誰がどんなに反対しても、私は行く。       <意志>
   どんなことが起こっても、君は行きなさい。    <命令>
   誰がなんと言おうと(も)、間違いは間違いだ。   <判断>
のような複文において、主文の陳述が「あらゆる条件のもとで(いつも)成り立つ」ものとして差し出しながら、主文をいわゆる全面否定あるいは全面肯定に導く、 <全称> 的な条件句の構造がもとになっている。
 「どうしても」は明治期以降のデータに限っても、その副詞化の程度に差が認められるのだが、その形式動詞部分「しても」は、@「どう手をつくしても」「どう試みても」などの行為を代行するばかりでなく、A「どう見ても」「どう考えても」などの知覚・思考作用や、さらに、そうした個別的な行為や認知作用を想定しにくいB「(事情が)どう(で)あっても」のような状況をも代理するようになっている。概して、@は否定呼応用法に、Aは判断用法に、Bは意志・希望・必要用法に多く見られる。
 なお、本稿の資料は文字資料であるため、アクセントについては、資料からはなにも言えないが、一語としての/ドーシテモ/だけでなく、句=二語としての/ー シモ/ が混じっている可能性がある。本稿では、疑わしきものも対象として扱うことにする。


0-2 概観
以下しばらく、細部にわたる記述がつづくので、はじめに概観の意味で、共起する述語形式による分類に従って、その典型例と、手元の資料(全 381例)での用例数とを挙げておく。二面性・二重性をもった境界事例的なものも、あえてどこかに押し込んであるので、この数値は、おおよその見当をつけるためのものと受け取っていただきたい。

  1)不可能:どうしても 食べられない/食えない    114例 29.9%
  2)非実現:どうしても 見つからない/わからない    50例 13.1%
  3)趨 勢:どうしても まちがってしまう/〜しがちだ  33例  8.7%
  4)意 志:どうしても 行くと言った/行こうと思った  55例 14.4%
  5)希 望:どうしても 行きたい/来てもらいたい    41例 10.8%
  6)必 要:どうしても 行かなければならない/必要だ  40例 10.5%
  7)判 断:どうしても 我が軍の負けだ/尋常ではない  40例 10.5%
  8)略 体:どうしてもと言われるのでしたら………    8例  2.1%

このうち1)不可能から5)希望までの「どうしても」が用いられる文は、 <出来事や行為> についての「記述文」としての性格が強い。そのうち1)不可能と2)非実現と3)趨勢が、動作主体の意図や期待に反する出来事 <思い通りにならないこと> の描写だとすれば、4)意志と5)希望は、そうした困難を乗り越えようとする動作主体の意志的行為 <思い通りにすること> の表現(表白)である。また、以上の1)〜5)の「記述文」に対して、7)判断用法の文が、ものごとの関係や特徴についての「判断文」であるとすれば、6)必要用法は、行為的必要と判断的必然とにまたがり、両者をとりむすぶものである。3)趨勢に入れておいた不可避表現(ex.セザルヲエナイ)も、判断文性をあわせもつ。
 記述文的なものはもちろん、判断文的なものといっても、「どうしても」が現われる文の表わす事態は、個別・具体的な事態が多く、一般・抽象的な事態は少ない。これは、否定の「とても・到底」や、傾向性の「とかく・えてして」などの、類義的な副詞との基本的な相違点であって、「どうしても」に従属句的性格が残っていることの現われかと思われる。
 なお、否定形式と共起する例は全体のほぼ半数に上り、「どうしても」の基本的特徴をなすが、そのうち「どうしても 行きたくない・行こうとしない」のような否定希望・否定意志の形と共起する例は、本稿では、それぞれ希望・意志の用法に組み入れた。それは、この用法の「どうしても」自体の意味が、否定に多い@行為的なものというより、希望や意志に多いB状況的なものだからでもあるが、また、それらを外すことによって、いわゆる「否定呼応」という漠然とした規定が、1)不可能と2)非実現という二つに(さらに抽象すれば、期待の非実現という一つに)明確に限定しうるからでもある。


1「どうしても」の用法記述

 用例数の多さから言っても、推定される歴史的成立の古さから言っても、用法記述は、「不可能」形式と共起する例からはじめるべきであろう。

1-1 不可能と共起する用法(114例)
1-1-1 まず、形態の面で整理すると、接辞「-e-(ru)」の付くいわゆる「可能動詞」や接辞「-[r]are-(ru)」の付く動詞可能態の否定体と共起する例は、それぞれ50例と25例あわせて75例ある(以下、両者を合わせて、総合的形式の可能態と呼ぶ)。

・そしてその晩は腹が痛んでどうしても東京に帰れないから、いやでも横浜に宿ってくれと言い出した。(或る女)
・………飯は………石油の臭いがしみ込んでいた。………彼にはどうしても一杯しか食えなかった。(田園の憂欝)
・駒子は、どうしても、相手を思い出せなかった。(自由学校)
・裕佐には運命の真相はどうしても信じられないのだった。(青銅の基督)
・寝たが、蝨の夜襲が激しく、どうしても眠られないので、表に出ると、よい月夜である。(麦と兵隊)
 分析的形式「(─ことが/は)できない」と共起する例は、32例ある。
 イ)「することが(ハ) できない」(22例)
・その生活の幹だった杉山が、私を残してまた慰問興行に出かけると、私は、どうしてもあの人と生活することは出来ない、と思いはじめた。(火の鳥)
・自転車屋とか鍛冶屋とかは、いわば、自分等の仲間うちの小者であるだけに、駒平の気性としてはどうしても[払いを]延ばすことは出来なかった。(生活の探求)
 ロ)「動作的名詞(が) できない」(10例)
・自分の考え得る理念ではどうしても解決できないことである。(女坂)
・葉子はひったくるようにさそくに返事をしようとしたけれども、どうしてもそれが出来なかった。 (或る女)
イ)には、次のような、分析的形式の間に挿入された例も、6例あったが、
・私がこの牢屋の中にじっとしている事がどうしても出来なくなった時、またその牢屋をどうしても突き破ることが出来なくなった時、畢境私にとって一番楽な努力で遂行できるものは自殺より外にないと私は感ずるようになったのです。(こころ)
この現象は、ロ)のような構造も可能な「出来ない」の独立性の高さによると言うべきだろう。まさに分析的形式たるゆえんであり、文法化(grammaticalization)の程度が歴史的には問題になりうる。「どうしても」の方も、「する」の具体的な動作性が文脈から読み取れる場合も多くて、単語としてのひとまとまり性が弱く、アクセントも、句=二語としての/ー シモ/の形がまじっている可能性があり、副詞への語彙化(lexicalization)の程度が問題になりうる。

1-1-2 以上が、もっとも用例数が多く、副詞「どうしても」の出発点をなす基本用法とみなされる、不可能形式と共起する用法であるが、用いられている文の「不可能」の意味を詳しく見ると、超時間的な、人間の能力や物の性能についての否定はそれほど多くなく、テンスの対立をもった個別的ないし反復的な出来事で、動作主体に意図・期待されていた出来事の <非実現> を表わす場合が多い。形は違っても意味的には、次の1-2)節の非実現の用法に近い[奥田靖雄(1986)参照]。「どうしても」自体も、意味的には行為・努力性が、機能的には動詞句的性格───たとえば、「どのようにしても」「どうしていても」「どうしなくても」など、種々の語形を持ちうることなど───が、まだ残っているものもある。とくに、総合的形式の可能態による文は、先にあげた例のような、個別的な出来事の非実現が多く、次のような、反復ないし習性を表わす例は、さほど多くない。
何か嘘をつくと、その夜はきっと夜半に目が覚めた。そうしてそれが気にかかってどうしても眠れなかった。 (田園の憂欝)
・彼は酒はどうしても好きになれなかった。(暗夜行路)
・それは嫌だと同時に、またどうしても憎み切れないものがある。(河明り)
 分析的形式によるものは、前小節に示したような習性的な <気性や能力> の例が、総合的形式の可能態の場合よりは多いが、それでも非実現の意の用例を上回ることはない。
 なお、複合動詞形式の「し得ない」と共起した例が2例あったが、これは2例とも能力不可能と考えられる例である。
・………その根本概念は若いわれわれは何の苦もなく理解するのに、彼らにはどうしても理解し得ないのである。(革命期の思惟の基準)
 ただ、同じく能力不可能(を表わし得る形式)と共起してはいても、類義語「とても」と比較してみると、
  どうしても─┬─彼らには 理解(することが)できない/し得ないのである。
  と て も─┘
「とても」の方が、その人間の基本的能力の側面から不可能だと一般的に判断しているのに対し、「どうしても」の方は、目的遂行のための努力を試みた末に不可能(非実現)だったと認識されるという意味合いをもつ、といった差が読み取れよう。

1-1-3 境界事例
 以上の中心的用法の他に「するわけにはいかない」という分析的形式と共起する例が5例あったが、これは、
・………少し事情がございまして、経済的にも、そのほかの理由からも、どうしても学校をやめる訳にはゆかないんです。 (人間の壁)
・………あれは正式のものじゃないから、次の内閣へ引継がせるという訳にはどうしてもいかないからね。(シナリオ日本沈没)
など、社会状況や道理や道義等の観点からの < deonticな不可能> を表わし、後述の否定意志や拒否の用法に近い。この点は、次のような総合的形式の動詞可能態の場合でも、
・今の場合、二人はどうしても一緒には置かれぬ。どちらかこの東京を去らなくってはならん。(蒲団)
・目の前の母が、悔悟の念に攻められ、自ら大罪を犯したと信じて嘆いている愍然さを見ると、僕はどうしても今は民子を泣いてはいられない。僕がめそめそして居ったでは、母の苦しみは増すばかりと気がついた。(野菊の墓)
などの例では、社会通念や対人的な配慮からそうは出来ないこと(すべきでないこと)を表わし、「するわけにはいかない」と同様、後述の必要や意志の用法に近づく。
 また「する気になれない」という不可能形式の場合、
・が、思い出しただけで、彼らのうちの誰かに向って思い切って言いだしてみるという気にはどうしてもなれなかった。(生活の探求)
のような例では、文字通り、その意図(「気」)をもつことの不可能〜非実現だが、
・今の生活に不満を感じだしたのはずいぶん久しいことだ。ところが、どうしても、それをすぐよす気になれなかった。(暗夜行路)
の例では、「よしたくなかった・よそうとはしなかった」といった、否定の願望や意志の意が、裏面にすでに準備されているように思われる。(1-4-2参照)
 次の例は、不可能性と1-3)趨勢との重なり・二重性を示すものとして面白い。
・しかし私はどうしても溢れ上がってくる憤怒の感情を押えることが出来ないのだ。(麦と兵隊)
・彼は書いてみることで多少でもこの事柄をはっきりさすことが出来るだろうと考えた。そして書いたが、やはりある所まで来ると、どうしても理解できないものに行き当たった。(暗夜行路)
前者は[自然の勢い+不可能]であり、後者は[不可能+なりゆき]である。二者択一的に、どちらか一方とのみ呼応すると考えるべきではなく、不可能と趨勢との隣接性による境界事例と解すべきだと思われる。
「行為しない(でいる)ことの不可能」を表わす次の例も、1-3)の不可避「せずにはいられない」に連なっていく例として、興味深い。
どうしても私は映画人を、あのノッペリした大衆向けの均一菓子のような顔を軽蔑せずにいることができない。(火の鳥)

1-2 <非実現> と共起する用法(40例+相当形10例=50例)
1-2-1 <無意志的な状態変化や出来事> を表わす動詞の否定体と共起する例が、40例ある。たとえば、
・私には、どうしてもわかりませんわ。   (木石)
・うまい口実がどうしても見つからなかった。(故旧忘れ得べき)
・結論がどうしても出て来ない。      (私の人生観)
・明子はやす代に手でそれを示しこちらへ向けさせようとするのだけど、やす代は自分の感傷にいっぱいなのか、どうしてもそれをさとらない。(くれない)
・そのことがどうしても腑に落ちないのよ。 (厭がらせの年齢)
のような、認識や理解に関する動詞が目立つが、その他、次のような動詞句があった。
気心が知れない 見当らない 考えつかない 気が起こらない 気が済まない 情がうつらない まとまりがつかない 足がむかない 引き込まれて行かない 意識を離れない 上がらない 泣き止まない なじまない はっきりしない 止まらない なおらない はまらない  
これらの例は、先にも触れたように、事態の単なる不成立・不生起ではなく、その場面での「主役」───話し手、または語り手の視点の置かれている登場人物───が期待していたり意図していたりする出来事の <非実現> である。
 奥田靖雄(1986)が主張しているように、現代共時態の「可能」表現の記述としては、形態の面では、総合的形式「読める・起きられる」より、むしろ分析的形式「することができる」の方を基本形式とみなし、意味の面では、非実現より、能力可能や条件可能の方を基本とみなしてもよい、と思われる。だが、歴史的順序としては、形態の面から言えば、自発の接辞から可能の接辞が、自動詞からいわゆる可能動詞が、そして、発生の「出で来る〜出来る」から可能の「できる」が、それぞれ並行的に成立してきたのだと考えられているが、意味の面でも、テンスの対立をもった個別的な出来事の自動・自発的表現による非実現用法から、その出来事の非実現の反復の中で、習慣あるいは一般的事実として捉えられるようになって、条件不可能や能力不可能の用法が成立し、さらにそれが肯定の可能にも拡大されたのだ、と考えられる。こうした流れの中で考えるなら、副詞「どうしても」が用いられる文の「不可能」性は、動作主体の能力的な不可能(in-ability)というよりは、自動・自発性や意図・期待的な性格を残した出来事の <非実現(ir-realization)> という性格のものと言うべきかと思われる。
 なお、次の例は、主格の「月」を有情と見るか、無情と見るかで、解釈が変わる。
・月が出そうでありながら、どうしても顔を出さなかった。(麦と兵隊)
「出ない」「現われない」という非実現か、擬人化された「月」の否定意志「顔を出そうとしない」か。両者は、こうした意志性の有無・強弱で、転換ないし連続する。
                 ┌─a)気づいてくれない。  <非実現>
  田中さんは、どうしても 私に─┼─b)教え(てくれ)ない。  <二面的>
                 └─c)教えようとはしない。<否定意志>
の例で言えば、a)無意志動詞の他行自利態の否定「気づいてくれない」が非実現、c)意図形式の否定「教えようとしない」が否定意志であることははっきりしているが、b)「私に教え(てくれ)ない」は、主題の「田中さん」の立場からは否定の意志であり、話し手の「私」の立場から言えば、期待の非実現であって、この二つは両立しうる。
・[わたしは]父が上京して何をやりたいのだと言った時にも、言下に政治学と答えた。飛んだ事だといって父がそれではどうしても承知してくれなかったから、じゃ、法学と政治学とは従兄弟同士だと思って、法律をやりたいと言って見た。(平凡)
のような例では、この文(および段落)の主題は、省略されているが語り手の「わたし」であり、「どうしても」が呼応する従属節の述語は「してくれない」という他行自利の利益態の形をしているので、語り手「わたし」の立場からの期待の非実現の意味の方が主だと判断してよいと思われるが、いつも相互排除的に分類できるわけではないし、また、すべきものでもあるまい。

1-2-2 以上のほか、次のように、形式的には否定形式ではないが、意味的に、1-1)不可能や1-2)非実現に近い <困難や不都合> などを表わす例も、便宜上、ここに挙げておく(のべ10例)。これらは、観点を換えれば、1-7)判断用法と解されるものも多い。 <否定・評価的> な形容詞的述語が、不可能・非実現と判断とを取り結ぶのだと考えられる。
・キリスト教の考えに如何に徹底して行っても、それから近世社会主義の考えを全面的に導き出してくるのはどうしても無理であり、また、(ものの見方について)
・それはどうしても駄目な時は仕方がない。 (友情)
どうしても力に余るなら、再びそろそろと下して、下から駒平に受け止めてもらえばいいはずだった。 (生活の探求)
どうしても三万円位の不足なんですよ。  (シナリオ水俣)
・入りづらいわけはないと思うても、どうしても入りづらい。(野菊の墓)
・彼が寮にとどまっていたのは、中学生時分に雑誌で見たり耳で聞いたりして憧れぬいていた寮生活にどうしても離れがたい愛着があって、………わけのわからぬ未練があったからだ。 (故旧忘れ得べき)
どうしても都合わるければだけれど………あれを見ないのは惜しいわ。(真知子)
・「どうしても困ってるもんですから」と女は、やはり小さな声でいった。(子を貸し屋)

1-3 <趨勢〜不可避> と共起する用法(33例)
1-3-1 趨勢(傾向性)
 1-1)不可能や1-2)非実現とは逆に、述語は文法的に肯定体をとるが、意味的に、その場の有情主体にとって望ましくない事態であるという点は、共通する。
・二幕目、三幕目………鈴むらさんはどうしてもそこに悲しい破局の来ることばかりが思われた。 (末枯れ)
・何しろ父親がいないものですから どうしても甘やかしてしまいますので、なんとかお力になってくださいね。 (シナリオ寅次郎恋歌)
・………折りに触れ読みかじったところから判断するから、どうしても得手勝手な考えを、お話することになると思うが、その点は、ご勘弁願いたい。(私の人生観)
・自分の成長が、女房的なものにどうしても掣肘されそうなの。(くれない)
・………きんは若い者はどうしてもものを粗末にしがちだからと言っていた。(故旧忘れ得べき)
など、形態は一様でなく、さらに、次のような無意志的自動詞(句)も多い。
どうしても駿介は緊張し硬くなるのだが、人々の態度には別に変わったところはなかった。(生活の探求)
・今はそりゃ、昔のような生活じゃないからね。どうしてもぶつかるのだろうな。(くれない)
などのほか、「出て来る 起こる 見える 鈍る 含む 気がとがめる 気を使う」などが、資料には見られた。意味的には「とかく・えてして」のような、事態の一般的・潜在的な生起確率を表わすものと比べて、より個別的な出来事の生起の蓋然性の高さ(趨勢〜傾向性)を表わすことが多い。その点は、副詞「いきおい」の方にむしろ似ている。「ややもすると・どうかすると」などの句的形態のものは、両者の中間であろうか。

1-3-2 ここで <不可避> と呼んでおく「せざるをえない」「せずにはいられない」(「ならずにはいない」)など、 <否定の不可能> という構成をもつ二重否定形式───構文的な機能としては、「決して」などと共起しない点で肯定(断言)的である───は、次のような無情主体の場合は、上の <趨勢> 用法と大差ない。
・………要するに知覚に関する選択や工夫や仕上げ、いわば知覚の概念の変換式には、でたらめとは言えぬとしても疑いの余地あるものがどうしても入って来ざるを得ない。(私の人生観)
・が、来てからのすべてが苦しみだった彼にはその苦しい思い出はどうしてもこの土地と一緒にならずにはいなかった。(暗夜行路)
だが、次のように人間が主体になると、「せずにはいられない」は避けようとしても避けられない衝動的な行為(前2例)、「せざるをえない」は決意ないし義務的な含みをもった意志的な行為(後2例)となり、後述の希望や意志や必要の用法に近づいていく。
・………彼が居眠りをしているのを見ると、小関はいらいらして来て、………嫉妬めいたものが胸にたぎってどうしても邪魔をせずにはいられなかった。 (故旧)
・そうは云いながら、志村については、この間から考えている次の事だけはどうしても云わずにはいられなかった。 (生活の探究)
・しかし事態がここまでまいりますと、教育の現場を圧迫し、わたしたちの職場を危うくする政党の態度には、どうしても反対せざるをえない。不当に退職を要求されて、泣き寝入りするわけには行かないと思うのです。(人間の壁)
・三木は軽々しく和賀の前身を口外するような男じゃない。しかし、彼としてはどうしてもその過去の重要な問題にふれざるをえなかったのであります。(シナリオ砂の器)
これらの二重否定の形式は、全体で <趨勢〜不可避> を表わすわけだが、避けられないという意味で <不可能性> と接し、避けるべきではないという意味で <意志〜必要性> と接する、橋渡し的な位置に立つ用法と見てよいだろう。

1-4 <意志> と共起する用法(46例+相当形9例=55例)
1-4-1 意志動詞の直叙形「する」と共起する例は、20例あるが、その大部分は、
・まァ好いでせうと芳子はたつて留めたが、どうしても帰ると言ふので、名残惜しげに月の夜を其処まで送つて来た。(蒲団)
のような間接話法的な引用文に用いられた例であって、終止の位置に用いられた例は、次の2例のみである。
・「どうしても私は別れます。あの男と一緒に居たのでは、私の女が立ちません。」(あらくれ)
どうしても田島先生を獲得する。私は身体じゅうの筋肉を振い立たせるようにして自分に言い聞かせた。 (火の鳥)
しかも、うち一例(後者)は「自分に言い聞かせた」心理文(独白文)であり、類義語「ぜったい」や「ぜひ」が、会話文の言い切りに盛んに用いられるのと性質を異にする。前者『あらくれ』の例は、あるいは、まだ完全には副詞化していない例と見るべきかもしれない。
 意志形「しよう」と共起する例も、次の4例しかない。
『ひとりごと』のようにいった。「………どうしても、おみのと一日も早くいっしょになろう。それにはできるだけ稼ごう。」(子を貸し屋)
・五百助は、先刻から、頭にある着想を、どうしても、今夜は、決行しようと心を決めた。(自由学校)
・いえ、こいつがどうしてもコーヒー呑もうなんてムリヤリ誘うもんでね…(寅次郎)
・私はそういう姿を見ると、どうしても彼女を庭へ引っ張り出そうとした。(風立チヌ)
最初の例は、会話文でなく「ひとりごと」の心理文である。でなければ、やはり不自然だろう。「どうしても」は、第2例以下のような間接話法的な用法はあるが、会話の場面での(申し出的な)決意文の「しよう。」とは、共起しにくいように思われる。この点も、次のように用いうる「ぜひ」との相違点の一つである。
・「もし無ければ、どこか捜して見て、是非一冊贈らせるやうにしませう。」(破戒)
 「するつもりだ」と共起する例は2例あったが、こちらは、その穴埋めをするかのように、ともに会話場面での聞き手の行為についての念押し文であった。ただ、これはデータが少ないせいで、用法がそれに限られているわけではないであろう。
・「君はどうしても僕とこから持って行くつもりかね。」(暢気眼鏡)
・「お前どうしても明日立つつもりかい。」     (桑の実)
   cf. 彼はどうしてもそこへひとりで行くつもりなのだ。(作例)

1-4-2 <否定意志> と共起する例は、20例あった。意志用法46例中20例で、「どうしても」は、やはり否定的文脈に多用されるという性格が強い。念のために言えば、否定意志というのは、行為しないという意志であって、意志行為の欠如や非実現ではない。
・………伸子はどうしても、この問題は成就させまいと決心した。(伸子)
・僕はこれでも高等学校の教師で一生終る積りはどうしてもなかったんです。(真知子)
・その診察を押しつけられた伍助院長は、悠子の内診に手を焼いたと云っていた。やはり極端な羞恥を見せて、どうしても台に乗ろうとしないので………(本日休診)
・加治木は、どうしても、金を引っ込めなかった。(自由学校)
・もしも君のほうでどうしてもくれないという事になればそれまでの話だが、………と、もってのほかの見幕でした。(暗夜行路)
 その他「言わない 話さない 放さない 許さない 応じない 別れない 帰らない 聞き入れない」など、意志動詞の否定体と共起する例がある。否定意志の主体は、前の2例のように、話し手、または語り手が視点をおく「主役」の例もあれば、後の3例のように、主役の「相手」の例もある。つまり、語り手の視点は必ずしも関与的ではない。1-2)の非実現との相違点であるが、境界が複雑なことは前述したとおりである。
 次の例は、否定の意志「行かない気だ」に近いのか、不可能「行く気になれない」に近いのか、微妙ではあるが、その積極性からここに入れるべきだろう。(1-1-3 参照)
・じゃ、どうしてもまあちゃんには嫁(イ)く気はないのね。(真知子)
 次の例の <否定意志> 「承知しない」は、否定条件形「─ないと」と組み合わさって、 <義務〜命令> 的に働く(斜体部分参照)。(否定)意志の用法と必要の用法とを橋渡しする例と言ってよいだろう。
・「はよう、いって、曽田三年兵殿に思いきりなぐってもらってこい………」<中略>「地野上等兵殿が、行ってなぐってきてもらえといわれました………」<中略>佐藤はそのまま帰って行ったが、曽田が木谷の後のところに近づいたとき再び彼のところにやってきて、どうしても彼になぐってもらってこないと承知しない、もしなぐってもらってこなければ、地野上等兵自身、ここへ来て曽田に話があるから、と言っているというのだ。(真空地帯)

1-4-3 なお、次のような意味的に <拒否や反対> を表わす例も、便宜上、ここに入れておく(のべ9例)。「いかん・不賛成だ」のような語構成的に否定要素を含むもののほか、「嫌だ」のような否定的評価の形容詞がある。判断用法と隣接するものだろう。
・今はいかん。わし、あんたの嫁さんになることは決めたもの。嫁さんになるまで、どうしてもいかんなア。(潮騒)
・で、あなたはどうしても不賛成? (蒲団)
・ここのお内儀さんとの約束だから、息子にお嬢さんを貰うことは承知するが、息子をこの家の養子にやることはどうしても嫌です。(河明り)

1-5 <希望> と共起する用法(41例)
1-5-1 願望「─たい」(13例)
・………しかし私はどうしてもやっぱり東京へ出てどこかの学校へ入りたい。(平凡)
わかりたい………これだけは………これだけは、どうしても。(シナリオ人間革命)
のような直叙形の「したい」と共起する例は、13例中2例のみである。その他は、
・彼はどうしても五十円は得たいと思った。 (生活の探究)
・僕は、今日、どうしても、決着をつけたいんです。(自由学校)
結婚したいの………どうしてもあなたとね。   (シナリオ日本沈没)
・………そう思うと、もうどうしても誰だかわかりたくってたまらなくなりました。(銀河鉄道の夜)
など、間接話法的な引用文の例や「のだ・らしい」などの認識系の叙法形式を伴う例が多い。つまり、希望の主体的な表出というより、希望の客体的な叙述(表白)である。

1-5-2 否定の願望(9例)
 直叙形5例、「のだ」形・過去形各1例。(他は、連体形・条件形各1例。後述)
どうしてもそんな男に勝たせたくないどうかして市村君のものにしてやりたい。 (破戒)
どうしても野島さまのわきには、一時間以上は居たくないのです。(友情)
・彼女はみね子が今朝持ち出した問題にはどうしても母を関係させたくなかった。(真知子)
肯定の場合と比べて、否定になると直叙形の割合がふえるが、これは「どうしても」の用いられる文が、他の用法でも全体に叙述文に片寄ることから見て、否定自体が叙述文性をもつためではないかと考えられる。

1-5-3 希求「─てもらいたい」の例も、引用4例、「のだ」2例。
・だけど皆は、どうしても、この前の相談のとおりエミちゃんに入ってもらいたいって言ってるんです。(火の鳥)
・僕はどうしても君に可愛がってもらいたいのだ。(冬の宿)
・今までの話は、僕はあなたにお目にかかってどうしても聞いて戴きたくなったのですが、これをあの娘に直接話したら………」(河明り)
1-5-4 本形容詞「ほしい」と共起する例は、5例。直叙言い切りの例はない。
・………あたし、どうしても、あの太一ちゃんを子にほしいと思うのです。(子を)
・向うがどうしても君をほしければ、君が長沼君に逢ったことを、向うが積極的に言いふらすんだ。 (火の鳥)
1-5-5 <命令や依頼> と共起する例は、それぞれ5例と3例あるが、すべて、地の文での間接話法的な引用文である。例も少なく、主文(直接話法)の例もないので、節として立てず、希望のなかに入れておいてよいものと思われる。
・そうしてどうしてもこの犬を繋げ、それでなければ俺は通れぬ、と言い張った。(田園の憂欝)
・津田山市でもってあと十人ほど、どうしても退職してもらうようにという割り当てだ。(人間の壁)
・その患者さん、内科の宇田先生に、どうしても注射してくれと強要して、帰ろうとしないんで御座います。(本日休診)
・あなたのおっかさんがきまして、民や、決して気を弱くしてはならないよ、どうしても今一度なおる気になっておくれよ、民や………民子はにっこり笑顔さえ見せて、 <以下略> (野菊の墓)
最後の『野菊の墓』の例は、やや特異な会話文と言うべきかもしれないが、その意味は、依頼ではなく、希望あるいは激励である。現代では「きっと」「ぜったい」と異なり、「どうしても」が会話で単刀直入な命令文や依頼文に用いられることは、まずないといっていい。このことは、願望や希求の肯定・直叙形と共起することが少ないことと合わせて、「どうしても」の叙法的な性格を暗示するように思われる(詳しくは第2節)。

1-6 <必要> と共起する用法(40例)
1-6-1 「なければ ならない(いけない・だめだ、を含む)」(26例)
 現在形の例(18例)をあげると、
・………必要がある。また多摩川はどうしても武蔵野の範囲に入れなければならぬ。(武蔵野)
・昨夜出されたきりで、ものも云えない宮口を今朝からどうしても働かさなけアならないって、さっき足で蹴ってるんだよ。(蟹工船)
・………その手紙には、極力二人の恋を庇保して、どうしてもこの恋を許して貰わねばならぬという主旨であった。(蒲団)
最後の例は、引用文での動作主体が第一人称者であるため、 <意志> もしくは <願望・依頼> 的な含みをもつ。しかし全般には、行為の義務・決断という当為・指令性より、事態の必要・不可避という記述・判断性のまさった例の方が多い。
 過去形(8例)では、当然のことながら、事態の必要性の意味の方がまさっている。
・それをふせぐためにもどうしても、そこまで行かなければならなかった。(真空地帯)
また、次のような「勢い」と共存した例はどう見たらよいか。
・その頃からお嬢さんを思っていた私は、勢いどうしても彼に反対しなければならなかったのです。(こころ)
「勢い」が趨勢性(さらに因果性もか)を、「どうしても」が必要性を、それぞれ分担していると見るか、それとも「どうしても」が一面としてもつ趨勢性を「勢い」が補強していると見るか、むつかしいところである。次も、「結局」と「─なくなる」と共存していて、趨勢〜不可避と、必要との関係の近さを見せている。
・結局あの娘のことを考えてやるのには、どうしても、海にいるという許婚の男の気持ちを一度見定めてやらなければならなくなるのだろう。(河明り)

1-6-2 次のような <否定条件+不都合な事態> という構造の例が、7例ある。必要用法と評価的な判断用法との連続性を示すものである。 
・殊に医学の研究材料に供する病人は、どうしても都市を選ばねば、十分に患者を学生に手懸けしむること困難である。(総長就業と廃業)
 次は「心淋しくて─ならない」という感情的評価性と趨勢〜不可避性との組合せが、「酒を飲まなければ」という動作の否定条件と共存する面白い例。
・一日に一度はどうしてもカッフェーか待合にいって女給か芸者を相手にくだらないことを云いながら酒を飲まなければ心淋しくてならないような習慣になった。(つゆのあとさき)
1-6-3 「(……が)必要だ」は5例あるが、これは判断用法とまたがる例である。
・人間の魂が救われるということのためには それほどの肉体の犠牲がどうしても必要なのであろうか。(青銅の基督)
・………このころの日本の文化を知るためには、この人の主著「往生要集」を読むことがどうしても必要である。(私の人生観)
次は、必要性のほか、趨勢性とのかさなりもある。
・そこで、どうしても政治の仕事には、組織化というものが必要になってくる。(私の人生観)
その他、次のような、語彙的性格の高い例があった(2例)。
・それでもわたくしはどうしてもこの方たちをお助けするのが私の義務だと思いましたから、前にいる子供らを押し退けようとしました。(銀河鉄道の夜)
・観測機が足りない?! いや、1台余分にいるんだどうしても1台!(日本沈没)
前者は「義務だ」にのみかかると見れば、次の判断用法に入る。後者も「どうしても一台だ!」の類の「はしょり文」的な解釈をすれば、やはり次の判断用法に入ることになる。が、境界事例と見ることの方がだいじなのだと思う。

1-7 <判断> 用法(40例)
 この用法の「どうしても」が用いられる文は、基本的に <判断文> 、つまり形式的には、名詞文・形容詞文・状態動詞文、および認識的助動詞のついた文である。「どう見ても・どう考えても」といった意味であるが、やや古めかしい文語体的な例が多く、戦後の作品にはあまり見られない。

1-7-1 名詞文は、10例。
・そこでその捉え方だが、これはどうしても瓢鮎図のやり方であって、大津絵のやり方ではない。(私の人生観)
次の『破戒』の2例は、やや疑義もあるが、述語「うそだ」にかかっていると見る。
・日頃自分が慕って居る、しかも自分と同じ新平民の、その人だけに告白(ウチアケ)るのに、危ない、恐ろしいようなことがどこにあろう。「どうしても言わないのは虚偽(ウソ)だ。」と丑松は心に恥じたり悲しんだりした。
・ある人は蓮太郎の人物を、ある人はその容貌を、ある人はその学識を、いづれも穢多の生まれとは思われないといってどうしても虚言(ウソ)だと言い張るのであった。
次の例は、「働き掛けられない」「仕方がない」という <不可能> の意も結果的に含むが、文法的には名詞(句)述語と呼応していると見るべきであろう。
どうしても私は世間に向って働き掛ける資格のない男だから仕方がありません。(こころ)
次の例で、「私の子だ」という判断・主張は、「私の子にしたい・する」という願望ないし意志と紙一重である。
・最後の病床で、堺屋の妻は、木下の小さい体をしっかり抱き締めて、「この子供はどうしても私の子」とぜいぜいいって叫んだ。すると生みの親は………(河明り)

1-7-2 形容詞・状態動詞文は、境界事例も入れて、18例。
・数多い感情づくめの手紙──二人の関係はどうしても尋常ではなかった。(蒲団)
・………いよいよその道に入るとなれば、どうしても、今の姿では、ウツリも悪く能率も上がらない。(自由学校)
後者の例は「ウツリも悪く」がなく「能率も上がらない」だけなら、1-2)の非実現との差は微妙で、紙一重である。
 次のような <感情的な評価> の判断文もここに入れておく。
・………自分のしたことが悔いられてならない。どうしても可哀相で溜まらない。民子が今はの時のこともおまえに話して聞かせたいけれど、私にはとてもそれが出来ない。(野菊の墓)
・口にこそ言い得ぬけれど、昨日今日は、どうしても青木さんが自分の血つづきの方ででもあるように物恋しい。(桑の実)
これらも、1-3)趨勢に近い面をもつが、次の例では、「とかく」と共存して用いられており、趨勢用法と重なる。
どうしても青木さんのやっていられるようなお仕事では、とかく収入も不定なので、奥さんは来られて間もないのに、………月末の工面をされるようなこともたびたびであった。(桑の実)
次の例では、「手はない」全体から、「すべきでない」「してはもったいない」といった不許可〜評価的な含みをもつ。
・ともかくやっとこさ四国くんだりから二十二頭の牛を引っ張り出して来ておいて、大会が終ったからといってそいつをおめおめ返してしまう手はどうしてもない。(闘牛)
次は、 <機会のないこと> を表わし、意味的に <不可能> に近い。
・和尚は殿様にあって話をする度に、阿部権兵衛が助命のことを折りがあったら言上しようと思ったが、どうしても折りが無い。(阿部一族)
・………友には内々でいろいろと奔走してみたが、どうしても文学の雑誌に手蔓がない。(平凡)
 次のような <不満足> の例もここに挙げておく。
どうしてもそんなことは理屈に合わん。(破戒)
・もっともこれは少し他に用事もあったから、その用事を兼ねて私は絶えず触れていたが、どうしてもどう考えて見ても、これでは食い足らん。どうも素人の面白い女にぶつかって見たい。(平凡)

1-7-3 <推定や様態> の助動詞と共起する例が6例ある。これは現在では、「どうやら」「どうも」が主として担う用法である。
・それで見ると、本船がどうしても負けているらしいことが分ってきた。(蟹工船)
・岡は両方の頬をあかく彩って、こう言いながらくるりと体をそっぽうに向けかえようとした。それがどうしても少女のような仕草だった。(或る女)
<推量や確からしさ> の叙法形式と共存する例は6例あるが、すべて名詞文・状態動詞文の形をした判断文であり、推量などの叙法性の部分にはとくに関与していないと見るべきかもしれない。
・こうして聴いていると、どうしても琴に違いないと、感心して聴き惚れていると、十分と経たぬ中に、………(平凡)
 なお、次のような例では、
・人間というものは妙なもので、若いときに貰った奴がどうしても一番好いような気がするね。(破戒)
・一緒の時には、どうしても、外から見れば女房は女だと言う気があるでしょうからね。(くれない)
「どうしても」は、「一番好い」「女だ」という判断にだけでなく、そのような気がしてしまう趨勢や、その気になりがちな傾向の意にも関係しているだろうか。作品の年代を考慮しなければ、現代人の語感からすれば、趨勢の用法に入れられてしまうかもしれない。過渡的・中間的な用法と考えるべきだろうか。

1-8 <略体> の用法(8例)
どうしてもと言われるのでしたら、お文になされませ。(シナリオ婉という女)
・明子がどうしてもというのなら一人は僕が連れてゆくが。(くれない)
・できるかどうかわからないが、とにかくやる所まではやってみる。しかしそれは、お前がどうしてもという場合だけだ。(暗夜行路)
・こうボサボサになってはどうしても今夜こそはと固い決心をしてからでも、尚三日ばかり経って漸くのことで、 <中略> 理髪店の敷居を小関は跨ぎ得た。(故旧)
どうしてもはっきりと事務長の心を握るまでは………葉子は自分の心の矛盾に業を煮やしながら、 <中略> 黙ったまま陰欝に立っていた。(或る女)
のような慣用化した略体の言い回しがあるが、すべて意志・希望・必要の系統のものである。そのほか、映画シナリオには、文字通りの絶句ないし中断の例もあり、こちらは不可能や趨勢の系統もあるが、これは例示するまでもないだろう。


1-9 第1節のまとめ
 意味・用法の <派生関係> は、期待の非実現・不可能を出発点に置いて、一元的に考えれば、次のような派生・移行関係を考えることもできるだろうか。
期待の非実現  ┌──回避することの不可能───趨勢(傾向)
 ならない   │  セズニハイラレナイ セザルヲエナイ   シテシマウ シガチダ
  |     ├──意図スル/シナイコトノ不可能 ───希望・意志
不 可 能───┤  スル気ニナレナイ /シナイワケニハイカナイ  シタ(クナ)イ シヨウ(トシナイ)
 できない   ├──不在・欠如の不可能 ───必要
        │  ナシニハスマサレナイ ナクテハコマル    シナケレバナラナイ
        └──他の認定思考の不可能───判断
           Xニハ見エナイ  Xトハ思エナイ    Yトシカ考エラレナイ Yダ
 あるいは、出身母体である全称的な従属句構造が否定系列にも肯定系列にも用いえたことを根拠に、多元的な関係を考えるなら、「どうしても」の諸用法の <組織図> を、次のように描いてみることも許されるだろうか。覚え書きに記しておきたい。
[複文構造][文の対象的内容][記 述 性  〜  (二重否定)  判断性]
 否定系列:望まぬ事態の描写─非実現〜不可能─趨勢〜不可避─┐
              (困 難〜拒 否)…………………┼─判断
 肯定系列:志向的行為の表白─願 望〜意 志────必 要─┘


2「どうしても」の陳述的性格

 前節においても そのつど 注記してきたが、残された紙幅の範囲で「どうしても」の陳述的な性格について、まとめておくことにしたい。

2-1 文の対象的な内容と時間性───個別・具体性───
 第1節で見てきたように「どうしても」の用法は、いずれの用法をとってみても、個別・具体的な出来事や行為に用いられるものが多く、一般・抽象的な事象に用いられるものは少ない。これは、不可能の「とても・到底」などや、生起確率(傾向)の「とかく・えてして」などの類義語との相違点の一つである。この個別・具体性は「どうしても」に、句的性格つまり具体的出来事性が残存していることの現われかと思われる。たとえば、
・「駄目だよ、お婆さん、そんな錐ではとても喉はつけない。皮膚をひっかいて、痛いだけだ」と美濃部は笑った。(厭がらせの年齢)
・「とても食えるもんじゃないよ、可哀想で………」(シナリオ女生きてます)
とても私たちの稼ぎではインフレに追いついて行けません。(本日休診)
・もう一息という処でその神は、とかくそんな悪戯をやりたがるのだ。(青銅の基督)
・「事業というものは、えてしてこんなもんですよ。」(闘牛)
のような、一般条件的な、あるいは超時間的な、不可能性や傾向性の文において、「とても」や「とかく・えてして」の代わりに、「どうしても」を使うことはできないだろう。
 なお、希望や必要の用法の場合は、「ぜひ・絶対」などの類義語も、ほぼ同様に具体的で、この点での差は出ない。

2-2 文の陳述的なタイプ───叙述文性───
2-2-1 先にも触れたように「どうしても」は、命令文・決意文といった意欲文(表出文)のタイプには用いられず、命令形や意志形と共起するにしても、それは間接引用(話法)的な場合に限られる。希望も、直叙形(現在形言い切り)による表出的な(半意欲文的な)文は少なく、説明形「したいのだ」や過去形「したかった」など、叙述文化したものの方が多い。
 また、場面的には、独話・独白が多く、相手がいる場面でも相手に働き掛けてはいない。この点「ぜひ・絶対」が、「──してください」「──するといい(です)よ」など、聞き手への働き掛けを表わす文にも容易に用いられるのと、顕著な差を見せる。これは、副詞「どうしても」の叙述文性(記述〜判断性)の強さの現われであり、逆に言えば、意欲文性(表出〜要求性)の弱さのあらわれであると思われる。
・「そりゃ一度ぜひあったげよう。」(子を貸し屋)
・「はア、是非、ご高教を仰ぎたいと、思っております」(自由学校)
・「将来の亭主教育も、是非、今のうちから、指導してあげなさい。」(自由学校)
・「そう、またあしたかけるわ。ね、絶対内証にしておいてよ。」(火の鳥)
のような、聞き手を前提とした、承諾や申し出、あるいは要求的な文に、「ぜひ・絶対」の代わりに「どうしても」を使うことは出来ない。

2-2-2 <疑問文> のタイプに関しては、中立的疑問文に用いられた例はないが、念押し疑問文の例は多い。終助詞「─ナ・─ネ」の形の文を除いても、次のような例がある。
・「ではどうしても五時のでお立ちになるんですか?」(桑の実)
・「そう。どうしても出て行くの?」(旅の重さ)
・「お前はどうしても愛子さんでなければいけないのか? どうなんだ。」(暗夜行路)
・ご飯はどうしても食べられませんか。[手紙文]  (くれない)
・「やはりどうしてもお願い出来ますまいか。」 (青銅の基督)
・「どうしても自首はしてくれんか?」 (宵待草)
・「で、貴方はどうしても不賛成?」   (蒲団)
・「どうしてもいかんのか」       (潮騒)
念押し疑問にしても、命令・申し出にしても、「聞き手めあて」という点では同じであるにもかかわらず、「どうしても」が念押し疑問に用いられて、命令・申し出には用いられないのは、念押し疑問が yesの答えを予想しつつ確認するという意味で、叙述文性を半面にもつためであると考えられる。単純化して言えば、「どうしても」が関与する陳述性は、芳賀綏(1954)の言う「述定」性であって「伝達」性ではない、ということになるだろう。


2-3 いわゆる「陳述度」───従属節の用法───
 南不二男(1974)のC段階(およびB段階のうち、まともなテンスをもちうる「ので・のに」)の従属節に相当する、因果節・並立節(が・けれども・し)および中止節に「どうしても」が用いられた例は、数多くあり、問題も少ないので省略する。

2-3-1 「どうしても」が <条件節> に用いられた例は、「とても・ぜひ」などの類義語と比べると、かなり多いが、「すると」の条件形───厳密には、契機(きっかけ)形というべきか───の例はない。

「─たら」
・「しかしどうしても思い出せなかったら、無理しなくてもいいですよ」(野火)
・「だからね、あのどうしても栄子が見れなかったらね、私でも見ると思ってね、やろうと思ってたわけ、それを………」(極私的エロス)
・いいか石川、どうしても行きたかったら俺達が納得する返事をしてからにしろ。(狭山の黒い雨)
・旦那様が私をどうしても手放したくないんだったら、そんなことおっしゃると思って?(女坂)
「─ば」
・向うがどうしても君をほしければ、君が長沼君に逢ったことを、向うが積極的に言いふらすんだ。(火の鳥)
どうしても都合わるければだけれど………あれを見ないのは惜しいわ。(真知子)
・「追川君がどうしても分からなければ、二日でも三日でも、膝詰談判をする。」(木石)
・「どうしても、適当な会員が獲られないとすれば、窮余の策として、そうでもする外はない。」(自由学校)
「─(ん)なら」
どうしても力に余るなら、再びそろそろと下して、下から駒平に受け止めてもらえばいいはずだった。(生活の探求)
・「どうしてもお気が済まないんなら、あたしが行きます。」(自由学校)
・いんや、だめだ、どうしても行くんなら、母ちゃんを殺してから行け!(田園に)
・「そりゃ私だって、みねちゃんがどうしても困るんならなんとかしないじゃないけれど。」(真知子)
以上の文の「どうしても」の部分に否定の「とても」や願望の「ぜひ」を代入しようとしても、むつかしいものが多い。つまり「どうしても」は、「とても」や「ぜひ」より「陳述度」が低い、ということになると思われる。ただ、これは、「どうしても」が「とても」と比べて事態の個別・具体性が高く、広義の時間性(temporality)をもつこと、「ぜひ」と比べて対人伝達(もちかけ)性が低く、叙述性が高いこと、といった陳述的な意味(性格)をもつことの、構文機能的な現われだと思われる。

2-3-2 <連体節> に用いられた例も少なくないが、用法別に言えば、不可能・趨勢といった出来事系の連体節に多く、希望・必要といった行為系の連体節には少ない。この差自体には、従属節述語の表わす、不可能や必要といった叙法形式の方の陳述度の違いも関係しているだろうが、それだけではない。「どうしても」のつかない不可能や必要の連体節〜連体句と比べて、「どうしても」のついた連体節は、質的にも量的にも、制限がはるかに強いのである。
 連体節を暫定的に分類・整理して、例文を並べて置く。

a) <不可能・趨勢> の場合
a-1)補語としての名詞(純然たる連体)
・やはりある所まで来ると、どうしても理解できないものに行き当たった。(暗夜行路)
・倫はその頃になって東京から帰ってきた日宇都宮の宿で、預かった金のことを夫に向ってどうしても打ち明けられなかったわけがあさましくのみこめて来た。(女坂)
・この場の雰囲気にどうしてもなじまぬもの、そぐわぬものは自分には感じなかった。 (生活の探求)
・………しゃべることではどうしても現われてこない思想というものがあって、………(私の人生観)
・ほかの海女たちは、どうしてもきこえてしまう内緒話に割り込んできた。(潮騒)
a-2)述語名詞
・それは倫としてはどうしても白川以外に解くことのできない情願なのである。(女坂)
・私は男としてどうしてもあなたに満足を与えられない人間なのです。(こころ)
・緊張したり、神経質になったり、絶望したりする役をどうしてもやれない人だった。(火の鳥)
・そうしてみると、この夫婦は、どうしても合うことの出来ぬ平行線のようなもので、どちらがいいのでも悪いのでもない、………(冬の宿)
・同年兵の姿は………浮かんできた。………一期の上等兵進級のときどうしても彼が学課でおいつくことの出来なかった山田など。(真空地帯)
・これは小柄で、どうしても固い感じを免れぬ痩せ形の女であった。(故旧忘れ得べき)
a-3)形式名詞(状況語的・程度限定的・接続節的)
  <状況語的>
・それはどうしても駄目な時は仕方がない。 (友情)
・お島はどうしてもぴったり合うことの出来なくなったような、その時の厭な心持ちを思い出しながら、……… 帰ってきたが、 (あらくれ)
・あるいは、また、自分たちがどうしても用事のために手を放せないときなどだと、………(子を貸し屋)
  <程度限定的>
・それがどうしても動かすことの出来ぬ堅固な決心であった。(阿部一族)
  <接続節(逆接)的>
・初めのうちは、どうしても信じられなかったことが、仕舞には、そうとより思えなくなってしまったくらいだ。  (多情仏心)
a-4)準連体の「−Nがある」式(工藤浩1982 pp.78-80 参照)
・「お手紙で、あの娘と僕とにどうしても断ち切れない絆があることは判りました。」(河明り)
・それは嫌だと同時に、またどうしても憎み切れないものがある。(河明り)
・だけど唯一人、どうしても気心の知れない人があるの。(青銅の基督)
・………中学生時分に雑誌で見たり耳できいたりして憧れぬいていた寮生活にどうしても離れがたい愛着があって、………(故旧忘れ得べき)
・………という表面の事実には、どうしても拘らずにいられない気持ちもたしかにあった。(多情仏心)
b) <希望> の場合は、次の2例だけである。
 純然たる連体(1例) ただし「−たくない」ではなく、動詞の「−たがらない」。
・………この作家の楽屋裏には、どうしても舞台には出たがらぬ分裂した心の悩みがあったようである。(私の人生観)
(この文の構造は、「楽屋裏に 悩みが ある」という存在構文であって、「−Nがある」式ではない。念のため)
 準連体の「−Nがある」式(1例)
・君にどうしても頼んでおきたいことが出来てね」(シナリオ華麗なる一族)
c) <必要> の場合は全8例、そのうち5例が準連体の[−Nがある]式である。
・次の仕事のためにどうしても手に入れなければならぬ本がある。 (くれない)
残りの3例は、つぎに示すが、
・また出るにしても、盆前にはどうしても一度帰らなければならぬ家の用事を控えている体であったが、……… (あらくれ)
・研究会に顔を出しているのでどうしても買わねばならぬテキストの外、………これら以外には乏しい小遣いでは到底手の出せなかった小関は………(故旧忘れ得べき)
これだけは日本のためにどうしても生かさなければいけない人間を、まず選定してください、一万から十万ぐらいまでにね。(シナリオ日本沈没)
最初の例は、準連体の「用事がある」タイプの変種と見るか、述語名詞「体であった」にまでかかると見るか、いずれにしても純然たる連体の例ではなさそうだ。2番めの例は先行する「ので」節も含めて、やや落ち着きが悪い。
   研究会に顔を出しているので、どうしても買わねばならぬテキストがあったが、その外、………これら以外には乏しい小遣いでは到底手の出せなかった小関は………
のように、「−Nがある」式にした方が落ち着くのではないか(少なくとも現代では)。最後の例は、三上章(1953)の言う「トイフ抜け」の「連体まがい」だろう。つまり許容度の低い例と思われる。

2-4 結び
 以上を要するに、「どうしても」がつくことによって、「とても」や「ぜひ」ほどではないにしても、やはり不可能や希望や必要の従属節の「陳述度」は高まると言えそうである。たしかに「どうしても」は条件節や連体節に収まるという点で、南不二男(1974)のB段階の副詞だと一応は考えられるのだが、それとともに、三上章(1953)の口まねをすれば、同じB段階(軟式)の条件節や連体節の「ムウ度を硬化させる作用」が、つまり、多少ともC段階(硬式)寄りの従属節に変える力が「どうしても」にもある、と考えられるのである。
 そして最後に、「どうしても」という副詞が、そうした陳述度の硬化という構文的機能をもつのはなぜかといえば、文の対象的内容の個別・具体性という広義の <時間性> と、記述的ないし判断的な叙述という広義の <叙法性> とに関わる、という陳述的な性格を、副詞化した「どうしても」が、みずからの語彙的な内容としてもつに至ったためなのである。

 そうした語彙と文法との もしくは 意味と機能との 相互作用の具体相に、どこまで 本稿が せまりえたか、心もとない かぎりだが、ひそかな ねらいと ねがいは、そこに あったのである。


【引用文献】
奥田 靖雄(1986)「現実・可能・必然(上)」(『ことばの科学』むぎ書房)
三 上  章(1953)『現代語法序説』(刀江書院 1972年増補復刊 くろしお出版)
南 不二男(1974)『現代日本語の構造』(大修館)
芳 賀  綏(1954)「"陳述"とは何もの?」(京都大学『国語国文』23巻 4号)
Palmer, F.R.(1979)[飯島 周(訳)1984]『英語の法助動詞』(桐原書店)
工 藤  浩(1982)「叙法副詞の意味と機能」(国語研『研究報告集 3』秀英出版)
─────(1989)「現代日本語の叙法性 序章」(『東京外国語大学論集 39』)

[付記] 紙幅の関係で、「資料一覧」は省略させていただくが、本稿の資料は、工藤 浩(1982)の資料と同一なので、ご参照いただければ、と思う。

【1979.9.礎稿。1993.8.第1節 改稿。1994.8.第2節 改稿。1996.3.最終稿。2001.9.末尾の一文 補】


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