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3 現代日本語の叙法性(modality) ── その中核と周辺 ──

3.0 はじめに
 渡辺実1953の <叙述−陳述連続説> や 南不二男1964の <文4段階理論> などが先鞭を付け、その後の研究が明らかにしてきたように、文の組み立てにおいて、たとえば次のように図式化しうる <階層性> が関与することは、わたしも認める。
          太郎    花子      写真  見       (素材)
                  に       を  せ(る)      A
           (が) 特に   は  全く       ない     B
       多分   は                   だろう  C
    ねえ              ね              ね D
    ―――――――――――――――――――――――――――――――
    ねえ、多分 太郎は 特に 花子にはね 全く 写真を 見せないだろうね
 しかし、同時に、つぎのような文法的な諸範疇の <対立性> も認める。要は、構造の中において諸要素が、<階層(包摂)性> と <対立(相補)性> という二つの軸において ふるまう、その ふるまいかたを ともに とらえることが必要だと考える。
    陳述性 predicativity と その下位範疇
    a) 叙法性 modality      する/しろ/しよう
      a1) みとめかた (polarity)   する/しない
      a2) ていねいさ (politeness) する/します
      a3) もちかけ方 (phatics)   よ/ね/さ
      a4) 評価性 evaluativity   あいにく  にすぎない
       a5) 感情性 emotivity    いやはや  てならない
    b) 時間性 temporality     した/している/する
    c) 題述関係 theme-rheme    φ /は/が
      c1) とりたて (focusing)   だけ/しか/さえ
3.1 ムード・モダリティの定義
1)H. Sweet(1891)『新英文法 序説』における "mood" の定義
  主語と述語との間の 種々に区別される諸関係を表す文法形態
 これは、日本では山田孝雄の「陳述」に受け継がれており、
2)O. Jespersen(1924)『文法の原理』における "mood" の定義
  文の内容に対する 話し手の 心の構え (attitudes of the mind)
 これは、日本では時枝誠記の「辞」に、その精神は受け継がれており、
3)Vinogradov(1955)「構文論の基本的な諸問題」の "modal'nost'" の定義
  発話内容と現実との様々な諸関係を表わす文法的形式
 これは、日本では奥田靖雄の「モダリティ」に受け継がれている。

3.1.1 本発表での 叙法性 の定義
  話し手の立場から定められる、文のことがら的な内容と、場面(現実および
  聞き手)との関わり合い(関係表示)についての文法的な表現形式
この定義を分析的に説明すれば、次のようになる。
 ・言語場における必須の四契機である、話し手・聞き手・素材世界・言語内容
  という 四者間の <関係表示> だ、ということ。
 ・叙法性は、客体面と主体面との相即(からみあい)として存在する、ということ。
   客体面 : 文の <ありかた> 存 在の「様式 mode, mood」
   主体面 : 文の <語りかた> 話し手の「態度・気分 mood」

3.1.2 定義の例証
1)助詞「か」における、<疑問> 性と <不定> 性との からみあい
 文末の終止用法「あした行かれますか?」において、<疑問性> が表面化し、文中の不特定詞用法「どこか遠くへ行きたい」において、<不定性> が表面化し、そしてその中間の「どこからか、笛の音が聞こえてくる」のような 挿入句的な間接疑問句の場合に、<疑問性> と <不定性> とは ほぼ拮抗する。
2)助動詞「ようだ」における、<様態> 性と <推定> 性との からみあい
「まるで山のようなゴミ」「たとえば次のように」などの「連体」や「連用」の「修飾語」用法においては、ことがらの <比喩性> や <例示性> といった ことがらの <様態性> の面が表立っており、「どうやら まちがったようだ」のような「終止」の「述語」用法において、主体的な <推定性> が表面化することになるが、「だいぶ疲れているようだ/ように見える」のように、<様態性> と <推定性> とが ほぼ拮抗する場合も多いし、「副詞は まるでハキダメのようだ」のように、<様態性> ないし <比喩性> の叙述に とどまることもあって、複雑である。意味解釈の方向は、あるいは副詞の使用によって、あるいは連文構造の中で定まることが多い。

3.2 モダリティ分類の基準
3.2.1 時間性(テンス・アスペクト) との関係
1)前接部のテンスの対立があるかどうか。(降ったようだ/*降ったりそうだ)
2)後接部のテンスの対立があるかどうか、また どんな意味か。
  前から、あなたと一緒に来たかったのです。 まともな過去からの願望
  ぼくだって、あの時、行きたかったのに。  叶えられなかった過去の願望
  あしたの遠足、ぼくも行きたかったなあ。  叶えられない現在の願望 

3.2.2 みとめかた(肯否) との関係
「したくない」は、「したい」という希望の欠如ではなく「しない」ことの希望であるし、「すべきで(は)ない」も、「すべき」ことの否定ではなく「しない」ように「すべきだ」という当為である。こうした形態と意味との「矛盾」は、ときに若い世代に「行かないべきよ」などと言わせたり、熟年世代でも、断筆宣言をした筒井康隆氏などをして「書くべきか書かざるべきか」などと擬古的表現を採用させたりもしている(いまのところ対句形式に限られている)ようである。また、欧文直訳体の法律文では「条例で助役を置かないことができる」などと可能形式の前に否定が来ることもあるようだが、この「可能」は「許容」(deonticな可能)の意味にずれている。

3.2.3 疑問文化
「彼も来るだろうか」は、中立的質問ではなく、熟考疑問ないし疑念の意味に変容するし、通常「?彼も来るにちがいないか」「?あした行くかもしれませんか」などとは言わない。「彼も来るにちがいないのか」「あした行くかもしれないのですか」とは言うが、いずれも念押しもしくは詠嘆(気づき)の意味にずれていることに注意すべきである。なお、井伏鱒二の「山椒魚」の結末部(後の改稿で削除された部分)に見える、「それでは、もうだめなようか?」や「おまえは今、どういうことを考えているようなのだろうか?」などを、どう見たらいいだろうか。

3.2.4 人称性との相関
「ぼくたちも行こう」が、「きみたちも行くのなら、……」といった聞き手を排除した一人称複数の場合は <決意>、「みんなも行くようだから、……」といった聞き手を含めた一人称複数の場合は <勧誘>、という二義性をもつことは、よく知られている。先生が生徒に言う「田中君、おしゃべりは やめましょう」は、話し手は含まないだろうから、「田中君、おしゃべりは やめなさい」に近い <遠回しの命令>だろう。また、命令文も「「貧乏人は麦を食え」と蔵相が発言した」といった間接引用の場合は、一般人称文として「貧乏人は麦を食うべきだ/方がいい/ってもらいたい」といった<当為>ないし<希求>の意味に ずれていくだろう。

3.3 文の構造・陳述的なタイプ
    a) 独立語文 ── テンス・人称 分化せず 「ここ・いま・わたし 」
    b) 意 欲 文 ── テンス・人称 制限あり  通常 主語なし文
        命令・依頼文、勧誘・決意文を含む
    c) 述 語 文 ── テンス・人称 制限なし  主語・主題(題述関係)が分化。
        叙述文、疑問文を含む
 この「構造・陳述的なタイプ」の違いを無視すると、分析に無理が生じる。(cf. 5.討論)

3.4 叙述文の叙法形式の二大別 (一覧表は紙幅の関係で省略させていただく)
    A 基本的(主体的)叙法性 ─「叙述の様式」
     テンスを持った出来事を受ける。自らはテンスが、ないか または 変容する。
    B 副次的(客体的)叙法性 ─「出来事の様相」
     用言語基に接尾。連体形を受けるものも、テンスの対立は、ないか または 中和する。
     派生用言・用言複合体として 自らがテンスを もつが、超時に かたより、意味変容も伴う。

<参考文献>
    Sweet, H.(1891) A New English Grammar, Part I. Introduction. Oxford UP.
    Jespersen, O.(1924) The Philosophy of Grammar. George Allen & Unwin.
    Vinogradov,V.V. (1955) "Osnovnye voprosy sintaksisa predlozhenija" In Vja.
    渡辺 実1953「叙述と陳述 ── 述語文節の構造 ──」(『国語学』13/14)
    南不二男1964「述語文の構造」(国学院大『国語研究』18)
    工藤 浩1989「現代日本語の文の叙法性 序章」 (『東京外国語大学論集』39号)
    工藤 浩2005「文の機能と 叙法性」(『国語と国文学』82巻8号)

(工藤 浩)


5.討論

工藤:司会者の具体例にある、@「君らは彼らと話し合った」……… D「君らが彼らと話し合いなさい」、E「君らが彼らと話し合えぱなあ」などに対して、それぞれのモダリティ・叙法観ではどのように分析されるか、という問い方自体に1つのバイアスがかかっているのでは。これは命題部分の共通性がまずあって、モーダルな変容がかぶさっているという立場。じっさいは、「この部屋暑いね」と平叙で言うか「窓を開けてください」と命令で言うか「クーラー入らないの」と疑問で言うかの選択。命題とモダリティとは無関係にバラバラにあるのではなく、互いに作用しあっている。

司会:事柄的な内容のありようとモダリティのありようとに相関関係があるのは、当然のことでおっしゃる通り。記述の手段としては、どちらかを固定しておいて、そこに入るうる命題、モダリティは、という問いかけはできるだろう。ここで事柄的内容を同一にした文を例示して答えてもらおうとしたのは、皆さんの枠組みでモダリティを具体的に分析すると、どうなるのかということのため。

大鹿:@「君らは彼らと話し合った」は叙実法の直接的と言われるもの、A「条件が整ったので、君らは彼らと話し合うだろう」、B「条件が整えぼ、君らは彼らと話し合うだろう」は、複文の「ので」「ば」を問題にしているのだろうが、複文と叙法との関連についてはまだ十分考えていない、ただ、それを除けば叙実法の聞接的。C「君らは彼らと話し合いますか」は疑問文で、疑問文自体は叙述文の1つのタイプと捉えている。叙法は、叙実法。D「君らが彼らと話し合いなさい」は命令文で、文が出来上がっている原理が違い、私の場合にはモダリティに入らない。E「君らが彼らと話し合えばなあ」は叙実法の直接的、自分の希望を叙述したもの。

工藤:先は一般的に述べたが、この@からEは、命令文をメンバーにするため、主語を「君ら」にしてしまった。そのため、日常生活の中で「君ら」と言って、@のように断定に言うのは不自然。また、Dも「(君たち、)彼らと話し合いなさい」の方が自然。これが先ほど言ったモダリティ抜きに命題を登場させようすると、変になるという例。

司会:命令でも疑問文でも人称の問題を本当は考えなければならないと思っている。

益岡:@、このままだったら対話ということになるので、文末に「でしょ」とでもいった対話文を特徴づけるモダリティを考えている。AB、たとえばBは、条件表現全体に対して前件の部分が真偽判断のモダリティに関わっているもの。CDは発話類型に関わるもの。Eは、発話類型の方で言えば願望、対事態的な方だと評価。



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