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*ことばの相談室*               (『言語生活』299, 1976-8)

「もし線路に降りるときは」という言い方


〔問い〕
 国鉄大阪環状線を走る電車、その扉のわきに、ステッカーが貼ってあります。『非常用ドアコック』「腰掛の下のハンドルを引けばドアは手で開けられます」とあって「もし線路に降りるときは、特にほかの汽車や電車にもご注意下さい」と書かれています。この「もし──とき」の呼応は正しい用法といえるのでしょうか。広辞苑では一応、「ば」「なら」「たら」と呼応する、となっているのですが………(大阪府東大阪市 亀岡正睦)

〔答え〕
 「もし線路に降りるときは………」という非常用ドアコックの掲示は、東京の国電にもあります。以前わたしもそれを見て、おちつきのわるい表現だなと感じたことを記憶しています。(後半の「特に………」という言い方も、足元にもご注意という気持ちでしょうが、やや舌足らずの感がします。が、ここでは除外して考えることにします。)こんど質問をうけたのを機会に、何人かの人にどう思うかたずねてみましたところ、変だと答えた人がやはり大部分でしたが、なかには「見なれたせいかもしれないが、別に変だとは感じない」という人もいました。これはどういうことなのでしょう。
「もし」は、仮定表現の形式と呼応して用いられる語で、呼応副詞とか陳述副詞とか呼ばれます。亀岡さんが「もし──ときは」というのは正しい用法かと疑っておられるのは、「とき(は)」がそれ自体として仮定の意味を表わす語ではないのですから、もっともな疑問だと思います。しかし結論を先に言ってしまうと、「もし──とき」という用法がまちがいだと言いきることはできません。

 国立国語研究所にある、小説や雑誌などから集めた「もし」の用例カードを見てみますと、「ば・たら・なら」と呼応している例が多数を占めています。その点、亀岡さんの引用された『広辞苑』(第二版)の記述は、代表的な用法の指摘だと解するかぎり正当なものです。しかし、「もし」の呼応がその三つに限られるというわけではありません。まず、
  もしその心配がなかったとしても、私は感情的なものをその手紙に書けなかったろ
   う。(「火の鳥」)
のように、逆接条件の「ても」と呼応する場合がありますし、順接条件に限っても、
  我々が若し生活を一緒にするやうになる、なかなか大変なことだと思ふの、私。(「伸子」)
  もし見つかるようなことになってはもうおしまいだとも思った。(「真空地帯」)
のように、「と」や「ては」とも呼応します。以上のいわゆる助詞助動詞のほかにも、
  もし彼女が世界に一人きりだとして見たまへ、としごろになるとなにはすてても、
   相手をさがして歩かなければならなくなる。(「友情」)
  「もしピストルでも出された日にはこれだからね」と、宮本は両手をあげて見せた。(「暗夜行路」)
のように、「として見たまへ」という命令−放任の形や、「た日には」という慣用句が、仮定表現として「もし」と呼応して用いられています。
  もしこのケースで野手が中継をあやまったりした場合は、投手はホーム・カバーに行きます。(雑誌)
  もしあなた自身がうぬばれを持っている場合には、………(雑誌)
のような「もし──場合(には)」の例もけっこう多くあり(特に雑誌)、不自然さはありません。<……したら(すれば etc.)、その場合>というぐらいの意味で、仮定の意味を内に含んでいると考えられます。
問題の「もし──ときは」も、この「もし──場合」とほぼ同様に考えられます。
  もしドイツまたはドイツと同盟を結んでいる他のいずれかの国の間の武力的闘争に、
   締結国のいずれかがまきこまれたときは、軍事的その他の援助を与える。(雑誌)
  もし、そのうちの一つについて有罪の言渡をするときは、他の訴因について無罪の
   言渡をする必要はないのである。(雑誌)
のような例は、まちがいとは言えないでしょう。「ドイツまたは………まきこまれたときは」「そのうちの………するときは」という全体に、仮定条件節に相当する意味が読みとれます。つまり、「もし──ときは」という言い方が、一般的にまちがいだ、とは言えないのです。

 では、「もし線路に降りるときは」はどこが変なのでしょうか。そこで、問題の文を次のように言いかえてみましょう。
  もし避難のためにやむをえず線路に降りるときは、………
  もし事故がおきて線路に避難するときは………
こうすると、わたしにはずっと受け入れやすくなります。どうでしょうか。もしそう言えるとしたら、問題の表現のおかしさは、「線路に降りるときは」という部分が「もし」と同居するのにふさわしいほどの仮定的な意味を思い浮べにくいことにある、と考えられます。仮定の意味を本来的にもつ「ば」や「たら」などとちがって、「………ときは」が条件節を形づくるのには、上接部分の意味が大きく関与していると思われます。はじめにふれた、別に変だと感じないという人は、「事故」「避難」のようなことばを内心で読みこんでいるからではないかと推察されます。
 ところで、
  もし雨が降った場合、遠足は中止です。
  もし雨が降ったとき、遠足は中止です。
の二つをくらべると、後者の「とき」の方が、やや落ち着きの悪さを示すのではないでしょうか(さきほど「場合」と「とき」はほぼ同様と言いましたが、こうしたちがいがあるのです)。しかし、
  もし雨が降ったときは、遠足は中止です。
と、「は」をつけるとおちつきがよくなります。また、
  たいがいの人なら、あきらめてしまう。
  たいがいの人、あきらめてしまう。
の二つの意味をくらべてみてください。「は」という助詞には、条件表現に近い面もあることがわかるでしょう。そのためか、
  もし御用のある方は、このベルを押して下さい。
  もしパンフレットご入用の方は下記まで。
のような表現に、ときどきお目にかかるわけです。国電のステッカー以上に、落ち着きが悪いと感じる人が多いでしょうが、<御用があるのなら、その方は>の短縮表現としての 取り柄があるわけです。では、次はどうでしょう。
  もし水があがってこないのは、塩のふりこみにむらがあったのか、菜が乾きすぎたのですから、………(雑誌)
この例は漬物のつけ方の話で、<水があがってこなかったら、それは>のつもりでしょうが、ここまでくれば明らかにまちがいだと思われます。こうしてみますと、国電の例は、「よい表現」とももちろん言えませんが、これらにくらべれば、受け入れやすさ(許容度)が高いと言えます。

(工藤浩・国立国語研究所)


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