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「かざし」のこと その1
――「かざし」を 論じて 「ことばの しなじな (品詞)」に およぶ ――
2008/04/06 くどう ひろし
1)ことばの 反省は、特異な ものへの なづけから はじまった。
いわゆる副詞の 自覚的反省も、例外ではなく、対象化の時期は 東西を問わず、他に おくれた。成立時期が あたらしく、性格づけにも あいまいさを のこした ために、「はきだめ」あつかい という うきめにも あった。
「かざし」の発見の過程は、「てにをは」という共通母胎からの分離の過程であった。
それは、印欧語研究の流れでいえば、adverb(副詞) より particle(小詞) に ちかい とらえかたであった、と みるべきであろう。
その形態的な発生においても、間投詞系から と思われるものが ある。
さあ まあ もう :対人・対物の なげき系からだろう
ああ おう なあ のう はあ ほう やあ よう :対人・対物の なげき系
ああ か(く) さ し そう etc :指示系
2)テニヲハからの かざしの 分離 ―― particle(小詞) としての あつかい
2-1『姉小路家手似葉傳』の第八(巻)では「たましゐを入(てよむ)へき手似葉」として、
その増訂本にあたる『春樹顕秘抄』では、「第十九 魂を入る手爾葉の事」として、
「たゝ・なを・なと・いとゝ」が、副助詞「さへ・たに」と一緒に挙げられている。
また、両書とも 第一(巻)「はねてにはの事」として、
か かは かも
とともに、次のような疑問詞(未定指示詞)が 一緒に挙げられている。
なに なそ なと いつ いつく いかに いかなる いかてか いくたひ たれ いつれ
2-2 栂井道敏『てには網引綱』(1770刊)は、
「てには用意の事」の二項めに、次のように批判している。
「近代てにはの諸注に 魂を入るてには とて「ただ「猶「さへ「だに「など「いとど」等を出せり この説いかが 「さへ「だに」は てにはにて「唯「猶「など「いとど」は 詞なるを相混して抄出せる その理なきに似たり かかる杜撰なる書を 秘伝などいふ事 かたはらいたき事也」
2-3 鈴木朖『言語四種論』(1824刊 1803には成)の「テニヲハノ事」には、
「テニヲハハ、モロコシニテハ語声、又語辞、又助辞、又嘆辞、又発語辞、又語ノ余声ナド云類ヒニ惣ベテ当レリ。辞ハ辞気トモイヒテ、心ノ声也。」云々と、中国語との対比の意識があり、
「〇詞ニ先ダツテニヲハ、ハタ、又、イデ、アニ、ナドカ、ソモソモ、マダ、ナホ、
此内 ソモソモノソ、マダノマ、ハタ、ナホハ、本ハ詞ナルガ、変ジテ テニヲハノヤウニナレルナリ。」という とらえかたをしている。
2-4 富士谷成章『脚結抄』(1778刊)『挿頭抄』(1767刊)の「挿頭」
文における 位置(語順)
「ことばを助」けるものとして、脚結と ひとくくり。
いわゆる情態副詞を含まず、指示詞(疑問詞を含む)を含む。
話し手の立場や態度に関するもの:指示 接続 陳述 評価〜程度
接頭辞も含み、形態的独立性(単語性)は重視していない。
3)印欧語(ラテン語)の 副詞との であい
しかし、同時に 対象的(referencial)な意味をもつ「主要な品詞」から転じたものも、ときとともに おおくなってくる。それは、意味・機能の多様化・精密化、それを形態的に識別する必要からして、間投詞系からだけでは まにあう はずもなく、必然であろう。
と同時に そこに、いわゆる情態副詞系と かざし(狭義副詞系)との 連続と不連続との、程度差と質差との、見定めと見極めとが、難問として学者の前に立ちはだかる。
3-1 大槻の副詞
副詞ハ動詞ニ副ヒ、或ハ、形容詞、又ハ、他ノ副詞ニモ副ヒテ、
其意味ヲ種々ニ修飾スル語ナリ.
3-2 山田の副用語:文の骨子たる自用語に依存するもの
cf. かざし:ことばを助くる
情態副詞を立て、英独語の adverb に引きずられた点、大槻と同断だが、
形式用言(存在詞)「あり」の 独自性=独立性 を重視しすぎたためだろうか?
3-3 時枝の副詞:詞辞峻別論(非連続説)の 矛盾の集約 時枝文法の アキレス腱
・連体詞と副詞を、
「連体修飾語か、連用修飾語以外には用ゐられない」もので、
「格表現がその語の中に本来的に備つてゐると見るべきもの」だとした。
・陳述副詞を「云はば、陳述が上下に分裂して表現されたもので、
「無論……だ」「決して……ない」「恐らく……だらう」を一の辞と
考へるべきであらう、とした。
cf. 鈴木朖の「詞ニ先ダツ テニヲハ」
*時枝文法の亜流においては、理論的「整合性」をまもるために、
鈴木一彦の「副詞の整理」や、水谷静夫の品詞からの「解消」論を、必要とした。
この合理化によって 内容豊かな副詞論(句論)が生まれることは、ついに なかった。
3-4 奥田−重幸−新川ら(言語学研究会)の副詞
情態副詞と形容詞との関係の扱い
意味<相言>としての共通性を どう見るか
機能<連用>と<連体>の差を どう見るか
「属性の属性」と「ものごとの属性」との <ちがい> を どう あつかうか
4)「かざし」的 とらえかたの 復活
4-1 松下の副詞:他の概念の運用に従属する属性の概念を表して
他詞の運用を調節するものであって、叙述性の無い詞である。
いわゆる形容動詞は、「静止性の動作動詞」
いわゆる情態副詞は、「無活用」の「形容動詞」/「象形動詞」
外延は「かざし」に近い。――「運用を調節」「叙述性の無い詞」
#松下の定義の前半、とくに「属性」の意味が 現行の哲学用語に わずらわされて 理解できなかったのだが、ここは非専門語的用法として、「概念の運用(≒作用〜用法)に従属(依存)的に持つ固有の性質」というぐらいの意味であり、その機能が「他詞の運用を調節する」ことだ、ということではないかと、いまは かんがえている。
4-2 森重の副詞:応答詞の分化に応ずる 副詞と助詞との系列 ―― 第二機構
・すぐれた着眼であるが、応答詞―間投詞からの類推分化的位置づけが主であり、
「副詞に独自な分化」を認めてはいるし、記述もしているが、遡源的である。
・群数・程度量副詞の「独自な分化」と それに対応する「副助詞」における、
二重の(両者の間の・他の副詞助詞との間の)アンバランスを見よ。
・これは、応答詞―間投詞からの類推分化を軸にした分類であって、
「主要な品詞」から述語の様相性との呼応(打合い)のなかで発展してきたものを
とらえて位置づける組織(体系)になっていないからではないか。
4-3 川端の副詞:「助動詞的言語層」との呼応を問題化=森重の一面の克服
「語的形態の中に句的体制をもつもの」
「後続する句の全態に(様相的に)関与するもの」を副詞とする
「量性の関係的意味をもつ」[関係的な量性の限定 とも]
【補】以上の ような 論理を さきだてた 方法と 記述を つまり 論理主義的な 偏向を たださねばならない。また、その 範囲も 成章の「かざし」や 松下の「副詞」よりは ひろい。ていねいな ふわけと 概念規定の 深化とを 必要と する。
4-4 渡辺の副詞:素材表示職能(+) 関係構成的職能(+) 統叙の職能(−)
その下位区分は「構文的職能」によるもので、体言・用言のそれとパラレル。
情態副詞・形容動詞は、体言類に属し、それぞれ情態詞・状名詞とする。
5)精密化と多様化という「近代(語)化」をへてきた品詞を、その歴史的動態(展相)を
ふくめて どう構造化しうるか という問題として、あらためて とらえなおしてみたい。
cf. 体系と展相:山内得立、森重敏
補) なにに 副えるのか:adverb の verb は、動詞か ことば(詞)か
動詞に 副えるのか、文に 副えるのか。
S. Greenbaum(1969)の「adverbials」の「disjunct, conjunct, adjunct etc.」への解体・再編成
付録)富士谷成章の めざした 分類法
■脚結五部 凡五十名
五属(たぐひ)
詠(ながめ) や よ かな も
疑(うたがひ) か や
願(ねがひ) ばや もが てしか
誂(あつらへ) よ や ね なむ
禁(いさめ) な ゆめ
十九家 ぞ を は も に と し の へ ら
のみ だに より なむ ごと もて がほ
ながら がてら
六倫(とも) べし(可) ず(不) む(将) あり(有) ぬ(去) く(来)
十二身 て し
めり なり ゆく あふ やる かぬ
る(被) す(令) す(為) ごと(如)
八隊(つら) み く げ
かし なべ もの はた がて
■かざし抄 見出し項目 分類 ―― 五十音順配列にした ある「あきらめ」
成章の すかしみ あらづかみ した もの
成章の 早世(42歳)が おしまれる ゆえん
▼なげき
▼ほど〜ねぶみ
▼とき
▼さししめし・コソアド
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