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陳述副詞

 山田孝雄が創設した副詞の下位類で、述語用言の二大要素としての <属性> と <陳述> とに対応して「語の副詞」を「属性副詞」と「陳述副詞」とに二大別した、その一つ。山田の「陳述」という用語が批判・修正を受けてきたため、陳述副詞も多少の異同がある。
 機能面で叙述副詞、形式面で呼応副詞と呼びかえられながらも、ほぼ共通理解となっていることは、否定・推量・仮定などの文法的な意味を補足したり明確化したりする副詞で、「けっして 行かない」「たぶん 行くだろう」「もし 行ったら」のように一定の文法形式と呼応して用いられる、ということであろう。代表的な語例として、<否定>:けっして 必ずしも / たいして ちっとも / ろくに めったに、<推量>:きっと おそらく / さぞ、<否定推量>:まさか よもや、<依頼〜願望>:どうぞ どうか ぜひ、<疑問>:なぜ どうして / はたして いったい、<条件>:もし まんいち 仮に / たとえ / いかに いくら、<比況>:あたかも さも まるで、などが通常あげられる。
 典型的な陳述副詞は、情態・程度の属性副詞とは逆に、もっぱら述語の陳述的な側面にかかわって、属性的な意味の側面には関係しない。その現われとして、(1)それを取り除いても文の属性的内容=知的意味には変化がないこと、(2)用言述語だけでなく体言述語にも自由に共起しうること、という二つの副次的な特徴が指摘される。山田は「いやしくも さすが」など必ずしも呼応現象をもたないものも、断言(強める意)を要するものとして陳述副詞としているが、この二特徴はあてはまる。逆に、一般に陳述副詞の代表的な例とされるものの中にも「大して ろくに さぞ」など、否定や推量と呼応するとともに、程度や情態の属性的な意味をあわせもつものがあり、これらは上の二特徴はあてはまらないし、疑問と呼応する「なぜ どうして」は、状況語的な意味をもつため、体言述語とも共起しうるが、取り除けば判定疑問文にかわってしまう。また、比況「ようだ」と呼応するものについては、比況自体を <陳述> とは認めず、似かよいの程度を限定する程度副詞の一種とみなす説もある。こうした、いわば中心的典型的でないものについては、陳述性という意味機能を重視するか、呼応性という形式を重視するか、また陳述あるいは叙述という概念をどう捉えるか、という問題がからんで説がわかれるのである。
 渡辺実は、陳述副詞にあたるものを「後続する本体を予告し誘導する」機能をもつ「誘導副詞」と捉えなおした上で、「もちろん我輩は大政治家である / 幸い京都に住むことになった」など「後続する叙述内容に対する表現主体の註釈を表わすもの」や「せめて半額でも…… / おまけに 次男まで……」など「素材概念を誘導対象とするもの」をも一括する考えをしめしている(ちなみに渡辺の陳述副詞はいわゆる感動詞をさす)。これを受けて工藤浩は、山田孝雄以来の陳述副詞を、(1)叙法副詞:たぶん(…だろう) どうぞ(…してください)、(2)評価副詞:あいにく(雨が降ってきた) 奇しくも(その日は父の命日だった)、(3)とりたて副詞:ただ(君だけに) 少なくとも(十年は)」、の三種に下位区分する形で拡充することを提案し、その概略を記述している。
 なお、以上とは術語も規定のしかたも大きく異なるが、森重敏は、応答詞の分化として系列づけられる「第二機構」に「群数副詞」「(実現)程度量副詞」として位置づけ、川端善明は「情意の句装定」(複文)から単文化する道筋に「望・不望(の副詞)」「確認(副詞)」「関係副詞」「陳述副詞」などを位置づけて、複合事態(複文・連文)の意味・機能論として示唆に富む視角と興味深い分析とを示している。
【参考文献】
 山田孝雄(1936)『日本文法学概論』(宝文館)
 渡辺 実(1971)『国語構文論』(塙書房)
 森重 敏(1959)『日本文法通論』(風間書房)
 川端善明(1983)「副詞の条件」(『副用語の研究』明治書院)
 工藤 浩(2000)「副詞と文の陳述的なタイプ」(『日本語の文法 3 モダリティ』岩波書店)

(工 藤 浩)



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