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程度副詞

 状態性の意味をもつ語にかかって、その程度を限定する副詞。組み合わさる語は「非常に大きい/大変静かだ/かなりゆっくり歩く/ずいぶん疲れた/ずっと昔」のように種々の品詞にまたがるが、程度副詞が単なる意味分類ではない文法的な(下位)品詞として認められているのは、主として動詞と組み合わさる情態副詞に対して、程度副詞が <種々の形容詞(いわゆる形容動詞を含めて言う)と組み合わさるのを基本とする> という特徴をもつからである。構文型の面で、(1)社会標準や個人予想という「隠れた基準」に基づく[Nは__A]型:たいへん ずいぶん すこし / けっこう なかなか、(2)他との比較に基づく[N1は N2より__A]型:もっと ずっと はるかに よけい(に)、(3)時間的変化量をはかる[Nは__Aニナル]型:ますます いよいよ だいぶ、に下位区分しうる。
 意味の面で程度副詞に近いものとして、量副詞「たくさん いっぱい」や概括量副詞「ほとんど はぼ」がある。量副詞は形容詞と共起しない点で一応区別できるが、程度副詞の中には「ごはんを__食べた」のような量副詞の用法に立つものが、「すこし かなり もっと」などをはじめ少なからず存在する。概括量副詞は「正しい 満員だ 同時だ」のような非相対量的な形容詞と共起し、意味的にもその非相対的な状態への近づきの程度を表す。これに対して、通常の程度副詞は非相対量的な形容詞とは共起しにくく、相対量的な形容詞と組み合わさるのであり、両者はほぼ相補的な分布をなす。「ほとんど・ほぼ」のこの用法を極限的な程度を表す特殊な程度用法とみなせば、さらに「まるで いかにも さも」など比況と呼応する副詞も、似かよいの程度を極限的に限定する特殊な程度用法とみなすことも可能である。「ほとんど/まるで/ちょっと 馬のような顔」を比較。
 形態・構文機能の面では、「すこし ちょっと 多少 / いくらか」のような数量名詞性をもつものが例外となるが、その他の程度副詞は、(1)とりたて助詞「は・も」などを下接しない。(2)「だ・です」を伴って述語に立つこともない。(「あんまりだ」「随分な人」などは形容詞に転化したものとして別扱いすべきだ)(3)修飾語を受けえない。(cf. ほんのすこし、もうちょっと)という特徴をもつ。これは、「は」でとりたてたり、主語の属性を規定したり、他の語によって限定されたりするだけの属性概念性がないためである。この三つの特徴は、陳述副詞と共通し、情態副詞とは相違する特徴である。
 陳述的な面では、程度副詞は <肯定・平叙> の文にほぼ限られる。「*相当寒くない」などと否定形式と共起することは通常なく「さほどさむくない」などと言うのがふつうだ。否定と呼応する副詞の中に「ちっとも たいして さほど あまり 全然」など程度副詞の性質を兼ねそなえたものがあり、それらとの張り合い関係の中でいわゆる程度副詞は肯定文にかたよるのだが、両者をあわせて<程度性>と<肯否性>とは相関する概念だとも言える。また「*たいぶ たくさん 作れ/ってくれ/ろう」のように、命令・依頼・勧誘・決意など、ことがらの実現をはたらきかける叙法とは、累加性の「もっと もうすこし 一層」などを除いて、ほぼ共起しない。[非動態性]や[無意志性]という意味特性を想定しうる。また <肯定・平叙> とはつまりは陳述的に無標の出発点的な形式でもあった。
 要するに、程度副詞は、いわゆる情態副詞と陳述副詞との中間にあって、陳述の面では肯定・平叙の叙法と関わって評価性をもちつつ、ことがらの面では形容詞と組み合わさって程度性をもつ、という二重性格をもつものが大半である。精密な記述と厳密な体系化または再編成は今後の課題として残されている。
【参考文献】
 山田孝雄(1936)『日本文法学概論』(宝文館)
 渡辺 実(2002)『国語意味論』(塙書房)
 工藤 浩(1983)「程度副詞をめぐって」(『副用語の研究』明治書院)

(工藤 浩)



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