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古九谷山水図と八種画譜

古九谷の花鳥、風景、人物画などが中国明時代後期に出版された八種画譜を参考にして描かれたということは既に定説として広く知られていますが、実際に古九谷のどの皿が八種画譜のどの絵を元に描かれたかというのを見たことがありませんでしたので今回調べましたところ、昭和43年9月と10月の陶説186号、187号に斎藤菊太郎氏が「古九谷山水図と八種画譜」という論文を掲載されており、古九谷と八種画譜との対応について写真付きで詳細に記述しておられることがわかりました。
しかし、この古書は多くの人が目にすることができるものではありませんので、そこで取り上げられていた数点の画題を改めてネットに掲載させていただき、古九谷に興味を持っておられる多くの方々に見ていただきたいと思います。斎藤先生の論文は主要な部分を抜粋して出来るだけそのまま記載しますが、絵の拡大図やコメントなどを筆者が一部追加しています。なお、古九谷についてはカラーの写真を掲載しました。

八種画譜は江戸初期の頃わが国に伝えられ狩野派や土佐派の画家たちに影響を与え、絵師の仕事の手本とされたものです。前述の論文で、斎藤先生はそれぞれの古九谷と八種画譜および画譜に付された漢詩について細かく研究・分析されておられます。以下、掲載順序は多少前後するものがありますが、斎藤先生の論文に沿って記載していきます。 
(1) 古九谷 松下人物図九角皿と八種画譜 友人夜訪図
 

@対座して酒を酌みかわす主客と風炉で酒を温める子供
振り返って見るのは、松(or 鳥?)と月の違いはありますが同じ構図です。
 
以下に斎藤菊太郎氏の論文を記します。(青字部分。以下同様)

八種画譜には、
 簷間清風簟 ・・・ 軒端にむしろを敷いて清風を楽しみ
 松下明月杯 ・・・ 松下に明月を賞して杯をとる
 幽意正如此 ・・・ これこそ願いとも言うべき思い
 況乃故人来 ・・・ 況んや親しき友の来るをや
という白居易の五言詩が付されています。
明月の夜に遠来の友人を迎えて、松韻を楽しみ、酒をくみかわす主人の喜びを、一気に詠いあげた詩です。図絵の主客二人のたたずまいと、小孩(こども)が風炉で酒をあたためる姿は「八種画譜」も色絵古九谷も、図様は全く同じです。画譜では詩意に従って、軒端近くの松樹のもとに筵を敷いて、月の出を待つ間もあらず、折から山の端にかかった明月を振向いて、主客ともに感に耐えぬ風情がうかがわれます。色絵にあっては、老松を配するばかりで、月明の夜、杜鵑(ホトトギス)が空の一角を横切る瞬時の一声をとらえて、さらに詩情をこまやかにするところがあります。


(2) 古九谷 色絵独釣図木瓜形皿と八種画譜 葭川獨泛図
 

@釣り人が乗る舟
籠のような舟の形がそっくりです。
 

A飛び立った鳥
今まさに水面から飛び立った鳥は、羽ばたきながら後を振り返っています。
 

B潜る鳥
頭を水中に入れておしりを持ち上げた鳥と、その後ろをゆったりと泳ぐ鳥の構図が同じです。
 

八種画譜には、
 独舞依盤石 ・・・ 独り舞う鳥は盤石にとどまり
 群飛動軽浪 ・・・ 群なす飛禽は軽浪に浮べり
 奮迅碧沙前 ・・・ 喜々としてさわがしき碧沙の前
 長懐白雲上 ・・・ 想いを馳せるに涯なき白雲の上
という廬照鄰の五言詩が付されています。
「五言唐詩画譜」(八種画譜)に載せる図絵と、梅沢美術館に蒐蔵される色絵古九谷「独釣図木瓜形皿」と比較すれば、色絵が墨刷木版画に拠って作画されたものであるのは一見して明らかです。不可思議のことには、画譜ではこの詩の題を「葭川獨泛」と記していますが、入矢教授によると、正しくは同じ作者の「浴浪鳥」と題す一首で、「葭川獨泛」と題する五言古詩は以下に示すように別にあるということです。
 倚櫂春江上
 横舟石岸前
 山瞑行人断
 迢超独泛仙
いま改めて画譜の木版画をみると、釣にも倦みあきた態で舟中に躰を横たえ、群がる飛鳥と、波の間にうかぶ水禽とを、見るとはなしに眺める趣向の図です。恐らく木版画下絵作者は「浴浪鳥」一首の詩に拠るばかりではなく、「葭川獨泛」の詩意をも同時に借りて、合わせて一図の構図を得たものでしょう。詩題を「浴浪鳥」とすべきにも拘わらず、誤って「葭川獨泛」としたのは、その間の思いちがいとみなされるところがあります。
色絵古九谷の図絵では、墨刷木版画を画材の資としながらも、中古以来のいわゆる独釣図の態に倣っています。もともと「浴浪鳥」と言い「葭川獨泛」と言い、いずれも病弱な作詩者が抱く道教的な思索をのべたもので、情を外景の事象に寄せて抒べれば事足りる類の詩句ではありません。むしろ内面的な詩魂の表現が主で、これらの詩意を図絵化するのは、殆んど不可能に近いものがあります。
それにも拘わらず、「八種画譜」中のこの五言詩を選んで陶画に仕立てた意慾には、ほとほと敬畏の念さえいだかしめるものがあります。墨刷木版画では、群飛する水禽を字句に即しすぎて図絵化したため、実はいささか騒々しすぎて、孤独の憶いを吐露する作詩者の意図からは、ほど遠いものがあります。古九谷の色絵では、木瓜形の皿の縁を、重圏の方格で囲んだ上、色紙形の白地に原図を簡略化して、孤舟の人と水禽二三を描くにとどめています。周縁の文様が煩瑣であるだけに、見込み中央の白地の色紙が静寂にみえます。しかもこの煩瑣な方格重圏の四方に、さらに木瓜形の小窓を四つ配して、ここにそれぞれ双鳥を描いて、群飛する水禽の詩意に添って意匠した巧みさは、到底凡夫の陶工のよくするところではありません。


(3) 古九谷 色絵帰漁夫図皿と八種画譜 江邨夜帰図
 

@灯火を持った漁夫と山なりの橋
釣竿を担いで灯火を持った漁夫の様子と、渡っている山なりの急な橋は全く同じ構図です。
 

以下に斎藤菊太郎氏の論文を示しますが、斎藤先生が論文中で挙げられた古九谷は、見込の絵は上記の皿と同じ意匠のものですが、縁飾りは百花手の深鉢になっています。(右図参照)

見込を取りまく縁飾りは、野鳥と共に萩・菊・桔梗など秋の野をいろどる百花繚乱とした細密画で、別名を百花百鳥深鉢と言われます。八角重圏で囲んだ中心に山水人物画がありますが、背に魚籃を負った漁夫が帰路をいそぐところで、右手に燈をかかげて籃、小渓にかかったけわしい橋を渡る姿が描かれています。見るからに古九谷盛期も爛熟期の焼成で、白眉の名品です。
色絵古九谷のこの帰漁夫図が、「五言唐詩画譜」の項斯「江邨夜帰」の五言絶句に拠るものであるのは、これもまた他言を必要としないでしょう。
 月落江路黒 ・・・ 月落ちて川面はくらく
 前邨人語稀 ・・・ 前村には人声さえほとんどない
 幾家深樹裏 ・・・ 二三の家は木の間の陰に深くかくれている
 点火夜漁帰 ・・・ ともしびをつけて、今この道を夜漁より帰る
墨刷木版画の漁夫が燈をかかげて、折から山なりに反った小橋を渡る姿は、色絵でもそのまま写されています。両岸の秋色はたけなわで、色絵では、樹の間に見えかくれする村はづれの家を省略しています。
八種画譜」に倣った色絵古九谷の山水人物画は、銅鑼鉢をはじめ九画皿、木瓜形皿または深鉢など、いづれも古九谷としては盛期のうちでも爛熟期の焼成であることは、四者ともに等しいと思われます。


(4) 古九谷 牡丹図捻皿と八種画譜 番椒(とうがらし)図/牡丹図
  
色絵古九谷の花鳥図は、初期柿右衛門の赤絵花鳥図が焼かれた年次からはやや遅れて、雁行して焼成されたであろうことは想像に難くありません。色絵古九谷の赤絵技法は、初代柿右衛門に倣うものであるのは論ずるまでもありませんが、古九谷の花鳥図は、その山水人物図同様に、ここでもまた八種画譜を作画の資として用いられた節が多分に窺われます。ただ初期柿右衛門の花鳥図が、八種画譜の布置法をそのまま用いて、太湖石を中心とする構図を一歩も出ないのに較べると、色絵古九谷の花鳥図では、画材の資を画冊から取り入れながらも、それがあからさまの直模でないだけに、遂に人に気づかれず今日に及びました。
ここでは単刀直入に古九谷の色絵牡丹図についてだけ触れておきたいと思います。遺品としては梅沢美術館の牡丹に蝶を配した大皿に勝るものはありません。裏文様が色絵のションズイ捻手文様であるばかりでなく、器皿の形態そのものまでが、表裏ともに捻手に彫刻されています。さらに大皿の牡丹図としては東博蔵に名品があり、前者と共に縁文様はありません。これについで四周に亀甲つなぎの文様帯を布置する梅沢美術館の大皿と、さらに稀有な八角皿の牡丹図があります。重文に指定されるもので、四周は沙綾形、よもだすき、七宝つなぎ、毘沙門菱等、ションズイ文様で意匠された豪華な名品です。但しこれには挙羽蝶は描かれていません。
もとより牡丹図は桃山金碧隙壁画以来、恰好の画題でした。大覚寺宸殿襖絵として残る山楽筆の岩と牡丹図、または智積院の等伯襖絵の一部にも、豪放華麗な岩と牡丹の図が見出されます。しかし、古九谷色絵の場合、慶長好みの金碧牡丹図に啓発されるところはあったにせよ、加賀大聖寺藩の然るべき目付役が、藩窯の陶工に差し示した絵手本としては、これを上述の金碧隙壁画とするよりは、むしろ八種画譜とするに如かずと考えたのでしょう。敢えて言えば、「草木花詩譜」(八種画譜)の巻頭を飾る牡丹図が即ちこれです。この木版画牡丹図の点景としては蜂が描かれていますが、例えば同じ画冊の番椒図にみえる挙羽蝶を、前図の蜂に替えさえすれば、色絵古九谷の牡丹図の趣向は、殆どそのまま成立すると言えます。挙羽蝶がしばしば画冊に出てくるのはすでに述べましたが、「草木花詩譜」では、全四十五図のうち、五図までが挙羽蝶で占められています。
しかし古九谷色絵では、初期柿右衛門の赤絵のように、墨刷木版画の全図をそのまま陶画に取り入れるのではありませんでした。太湖石は一二の例外はありますが、必ず省いて、現代的に牡丹花を大写しとし、蝶との組合せに止めたところに、古九谷花鳥画としての特徴が窺われます。まさに後の古九谷花鳥画の定型を生む基本型が、この牡丹図に要約し尽くされたものがあると言えるでしょう。古九谷色絵のうち、八種画譜に画材の資を借りて、尚且つ出藍のものは桃樹双鳥図をはじめ桜花尾長鳥図または翡翠図大皿の他、輪花中皿に見える菊花小禽図、または青手古九谷の瓜図等、数え上げればきりのない話です。


(5) 古九谷 山水銅鑼鉢と八種画譜 岸花図
 
最後に銅鑼鉢です。これを最後にしたのは、同じ岸花図をもとにしたと思われる柿右衛門の赤絵皿があり、両者を比較するためです。

銅鑼鉢の外側はむぎわら手の三角文つなぎ(古く言う雁木文)で飾られています。内面の縁文様はションズイ丸文つなぎが例によって取り巻いていますが、見込の山水人物図には、岩のそばだった岸の陰に小舟が一艘描かれていて、岩上には老樹の花が、今を盛りと咲きほこっています。舟中の漁夫は、思わず漕ぐ手をとめて、この華麗な花を振り返りざまに見上げている趣向の図です。上部の空間には遠山が五彩で描かれています。この色絵鉢は染付でションズイ丸文の下絵を描いたうえ、五彩でいろどる、いわば染付併用の色絵で、絵の趣向も色彩も、共に美しいものです。
八種画譜には、
 可憐岸辺樹 ・・・ いとおしや岸辺の樹
 紅蕋発青条 ・・・ 紅の花蕋青条を発するを
 東風吹度水 ・・・ 東風吹いて水を渡るあたり
 衝着木蘭橈 ・・・ 思わず漕ぐ手の橈とどまりぬ
という張籍の五言詩が付されています。
唐代の詩で木本の花を詠ずる場合、牡丹の花はしばらくおき、多くは梅花か、さもなくば桃李または芙蓉、柳絮などを賛美するのが常ですが、「岸花」にみえる木の花は、あからさまには何の花とも言いきらぬところがいいと思います。花蕋青条を発すると言って、さらに東風吹いて水を渡ると言うのであるから桃花流水の趣です。これを桃桜のいづれとも、読む者の好むところに従って解してもいいのです。大聖寺藩の陶工は、たまたま八種画譜をひもといて、この詩とこの図を大和武士の桜花に見立てて、作画の意慾を動かしたのでしょう。八種画譜の木版画と古九谷の山水図を比較すると、色絵は決して墨刷の直模ではありません。木版画の小舟の櫂は、色絵では棹に変えられ、小舟の布置も陶画では見込の中心におきかえています。しかし、漁夫が岩上の花を振り返りざまに見上げる風情は、両図全く相等しいものです。まさに八種画譜のこの図を作画の資として、陶画に仕上げたと言う他はないでしょう。

丸皿の中央やや右寄りには岩上に桃樹があって、その岸に近く苫をかけた小舟が描かれ、舟中には人物二人がいますが、一人は坐し一人は棹を止めて桃花を見上げている趣向の図です。背景には江をへだてて廟観の甍が雲間にそばだって、幢幡のひるがえる様子が遠望されます。この図は、東博蔵の色絵古九谷山水銅鑼鉢と等しく、原図が「五言唐詩画譜」(八種画譜)の「岸花図」に出るものであるのは、いまくどくどしくのべるまでもないでしょう。     

初期柿右衛門の赤絵にみえる太湖石を配した花鳥図が、いづれも八種画譜的であると委しくのべましたが、いまそれを裏書きするように、八種画譜の同じ「岸花図」を陶画の資としながら、奇しくも色絵古九谷と柿右衛門赤絵との全く異なった二種の山水図色絵皿を見出すことは、筆者にとって感慨深いものがあります。色絵古九谷と、柿右衛門赤絵との差が、問わず語りに示されている明確な実例で、敢えて追記したのはそのためです。

以上、斎藤菊太郎先生に敬意を表して(筆者)

近世日本陶磁器の系譜