白磁唐花文角皿 肥前・有田窯「承応弐歳銘」
(佐賀県立九州陶磁文化館「新収蔵品展」)

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「承応弐歳」−伊万里と九谷をつなぐ年号

高台に書かれる銘として良く知られる「角福」は、伊万里にも九谷にも見られます。もとは中国で使われていた吉祥を意味する銘款のひとつで、特定の窯や作者を示すものではなく広く使われていました。また、年号を表す銘としては「大明成化年製」などが知られていますが、「承応弐歳」という銘も伊万里、九谷両方に見られるものです。
右記の白磁角皿は伊万里で、見込みには陽刻で唐花文様が施され、全体は糸切り細工によって成形されています。また裏面には染付で唐草文が描かれています。
この皿は、陽刻が施されていることから、色絵の素地として作られたものではないかもしれませんが、下記の古九谷の彩色が施された角皿と比べて見ると、高台内の「承応弐歳」の銘や縁紅には類似性が認められ、素地(染付け含む)としては同じ産地で作られた可能性が考えられます。


               古九谷 承応貳才銘 五三桐文方形小皿

もう一つ、肥前楠木谷窯の古九谷様式の製品で「承応弐歳」の銘を持った皿を紹介します。
この皿は、山辺田窯に続いて色絵磁器を焼き始めた楠木谷窯の製品で、山辺田は大皿中心、楠木谷は中小の皿といった器種の違いで分業していたようです。また、楠木谷では素焼を行うなど技術の差もあり、次第に有田の窯は楠木谷系の技術を受け継いでゆくことになりました。高台内に「承応弐歳」の銘があります。(出典:青柳慶介、荒川正明『古伊万里 磁器のパラダイス』)

   色絵柘榴文輪花皿(出光美術館蔵) 江戸時代(1650年代) 径22.0cm

また、楠木谷窯跡からは「承応弐歳」の銘を持った色絵素地陶片も発掘されています。なお、この銘を持った製品は楠木谷1号窯跡だけで出土しています。(出典:別冊太陽「色絵絢爛」)

以上の4つの「承応弐歳」銘を通して見ると、上記4つの素地は楠木谷窯で焼かれ、古九谷様式の絵付けをされたか、またはされる予定だったと考えることができます。すなわち、「承応弐歳」は山辺田窯など有田西部で始まった古九谷様式の絵付けを楠木谷窯で始めた時期を示すのではないかとも思われます。
なお、肥前磁器に記された年号銘としては「承応貮歳銘」(承応二年)は最も古いものであり、またこの年は肥前において正式ルートによる最初の肥前磁器輸出が始まった年でもあります。(『オランダ商館記録』)。

では、承応二年以前の楠木谷窯ではどのような製品を作っていたのでしょうか?上記の「承応弐歳」の銘を持った色絵素地陶片の発掘層より古い層から出土した小皿が別冊太陽「色絵絢爛」に紹介されています。菊の花が重ねて陽刻されており、高台内には「芭蕉」の銘があります。

           楠木谷窯跡出土 染付菊花重文変形小皿
この皿は彩色されていませんが、これと同様に菊花を重ねて陽刻した素地に彩色した色絵皿が伝世しています。これは所謂「松ヶ谷手」(または初期鍋島)と呼ばれている色絵です。

九州陶磁文化館蔵 色絵菊花重文変形小皿
また、同じく別冊太陽「色絵絢爛」には、高台内に上記楠木谷窯出土の変形小皿と同じ「芭蕉」の銘が記された、出光美術館蔵の六角形変形小皿が掲載されています。この文様は古九谷の鉢や皿でも見られる祥瑞手の丸文と同じ意匠です。

       出光美術館蔵 色絵丸文散し変形小皿

     古九谷 色絵椿鳥丸文台鉢
従って楠木谷窯では、有田西部の窯で古九谷様式の色絵が作られていた頃には「松ヶ谷手」(または初期鍋島)の色絵を製作しており、承応二年の前後で古九谷様式の色絵製作を始めたのではないかと推測されます。


また、有田から素地を移入して加賀で絵付けをしたという説に基づいて、石川県九谷焼美術館の中矢副館長は、「色絵の技術が先行して加賀に入ってきたのではないか、その絵具でもって絵付けする素地が有田から移入されたのではないか、その記念すべきときが承応2年であったのであろう」との見解を示されています。ヨーロッパの王侯貴族たちも、中国の白磁や伊万里の白磁の素地を輸入し、自分たちで絵付けをして焼いて楽しんだという事実を挙げて、同様に、有田に素地を発注したときの銘ではないかと解釈されたものです。

一方、加賀九谷産とされる磁器で「承応貮歳銘」を持つものが陶説67号 昭和33年10月号に紹介されています。
記事を書いた久志卓真氏によると「この色絵大鉢は径一尺五寸五分もある大きいもので、同じ承応弐歳銘の柘榴文のもの(当時、元大聖寺の清水直次郎氏所蔵であった、外輪に松竹梅、見込に柘榴が描かれた皿)のような上手のものではなく、如何にも原始古九谷らしい雄渾な趣があり、これこそ九谷創始期のものに相違ないと肯首出来るものである。素地は鼠色に近く、青九谷の大鉢の一尺五寸位のものに類型を求めることが出来る。」ということです。こちらの「承応貮歳銘」は、「二重角福」のように二重の線で囲まれています。
筆者は、この文中にある「承応弐歳銘の外輪に松竹梅、見込に柘榴が描かれた皿」が上述の現出光美術館蔵の色絵柘榴文輪花皿ではないかと推測しています。

陶説67号 昭和33年10月「承応弐歳銘 古九谷五彩樹下人物図鉢」
(径 一尺五寸五分、高さ 三寸五分)


上記文中の「素地は鼠色に近く」が、この鉢が加賀産であることを窺わせます。
 (注)肥前山辺田窯の製品も灰色ががった光沢のある素地であり、このことだけで加賀産とは言い切れません。

下の写真は筆者が所有する初代徳田八十吉作の六角杯で「九谷原石を使用」したものです。素地の色が鼠色(灰色)であるのがおわかりいただけるかと思います。


初代徳田八十吉作 六角杯 九谷原石使用

ちなみに、江戸時代後期に作られた再興九谷の作品では、九谷原石とは異なる花坂陶石なども使用されましたが、花坂陶石も「焼成によって灰色に着色される」という特徴は九谷原石と同じです。

近世日本陶磁器の系譜