江戸初期 色絵素地を生産した窯
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色絵素地

江戸時代前期、色絵付を施す前の色絵素地となる磁器は、肥前のいくつかの窯と加賀の九谷で製造されていました。伝世品や出土品の色絵と見比べることによって、色絵の様式と、その素地を供給した窯との関係を推測することができます。

江戸初期 色絵素地を生産した窯肥前では、寛永20年(1643年)に柿右衛門が赤絵付に成功してから寛文年間に赤絵町が制定されるまでの約30年間は、染付では初期伊万里から藍九谷、藍柿右衛門への移行期であり、色絵では鍋島焼の初期色絵から古九谷様式、柿右衛門様式への移行期にあたり、素地の様式、色絵の様式共に大きく変化した時代でした。
更にこの期間の後半には、加賀の九谷でも素地の焼成と色絵付けが小規模ながら行われていました。
これを見ると、古九谷様式の色絵については主に肥前の山辺田窯、楠木谷窯で焼かれていますが、加賀の九谷でも倣って焼かれたことがわかります。

 
 
近世日本陶磁器の系譜