近世日本陶磁器の系譜
筆者紹介
     
 日本における「近世」とは、安土桃山時代と江戸時代を合わせた時期のことを言います。
この時期には、大名の茶陶趣味の広がりや戦乱の終結による民需の増大、および各藩の産業振興策により、全国各地に陶磁器の産地が生まれました。特にその初期においては、「やきもの戦争」と言われる文禄慶長の役の終結時に西国大名に連れられて日本に来た韓人陶工が大きな役割を果たし、その後は有田や六古窯の一つ瀬戸、或いは京都の技術が他の陶磁器産地に伝わり、各地での開窯に大きく貢献しました。また、明の滅亡、オランダ東インド会社の活動といった国際情勢もその後の発展に大きな影響を及ぼしました。
本稿では、これらの要因に着目して近世日本の陶磁器の歴史を再検討することで、互いに影響を及ぼし合いながら発展してきた日本の陶磁器を全体的に俯瞰したいと思います。
また、これまで文字で説明されることが多かった陶磁器の歴史を、写真や図表を多用して視覚的に把握・理解し易いようにしました。



(番外編) 二人の法親王
乾山と猪八について調べてゆくと、三人の法親王(出家した皇族)が二人の人生に深く関わっていたことがわかってきました。そのうちの一人は、乾山がお伴をして江戸に下向したことで有名な公寛法親王ですが、私は別の二人の法親王に注目しました。
その二人とは、公寛法親王亡き後輪王寺門跡となった公遵法親王と、猪八が窯を築いてお仕えした聖護院門跡忠誉法親王です。

不思議な共通点を持った二人の法親王について調べることで、猪八の動向がわかるのではないかと考え、色々な文書から調べてみました。


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