■ローマ字年表

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■日本のローマ字運動や、日本語のローマ字表記関連の年表です。

はじめに

以下は、下記の参考文献から抜粋した引用をふくむ、筆者独自の年表です。参考文献には、下記に記述した以外の史実についての記述もありますし、ここに記述した史実に対してもここに記述した以外の記述もあります。最後の「注意がき」を無視しないでください。

参考文献

  1. 橘田広国(著)、Nippon no Rômazi-undo:日本のローマ字運動、1992年7月29日、 日本ローマ字教育研究会(発行)
  2. 小泉保(著)、日本語の正書法、1978年5月1日、大修館書店(発行)
  3. 坂本賞三・福田豊彦(監修)、新選日本史図表(改訂15版)、1991年2月20日、第一学習社(発行)
  4. 天野景康(編著)、ローマ字文の手ほどき、1974年、財団法人標準ローマ字会(発行)

凡例

  1. [ ] でかこんだ番号は、上記の参考文献のうちの、よりどころとしたものの番号です。とくに記述がないものは、[1]にもとづいています。
  2. 「>1999-01-02」とか「<1999-01-02」とかは、それぞれ「1999年1月2日のできごとに関連あり」という意味です。「<」はその時点からみて過去の、「>」はその時点からみて未来のできごとをあらわします。これは文献[1]でのかきかたをまねたものです。

ローマ字年表

第0期 外国人によるローマ字

1591 天正19か?
■現存する日本最古のローマ字日本語版使徒行伝 サントスの御作業の内抜書(Santos no Gosagveo no uchi Nuqigaqi) が出版される(ポルトガル式ローマ字)。[2]
1592 文禄1
■天草において、信心録(Fides no Dŏxi toxite P. F. Luis de Granada amaretaru xo riacu)(<Dŏxi>の<ŏ>は、<o>のうえに< ⌒ >を上下さかさまにしたような記号(ブリーブ)がついたもの(LATIN SMALL LETTER O WITH BREVE))、ドチリナ・キリシタン(Doctrina christan)口訳平家物語(Nifonno cotoba to Historia uo narai xiran to fossvrv fito no tameni xeva ni yavaragetarv Feiqe no Monogatari)が刊行される。(ポルトガル式ローマ字)[2]
1774 安永3
■杉田玄白・前野良沢が 解体新書 を訳出。このころ、「蘭学者式ローマ字」あるいは「オランダ式ローマ字」というべき書記様式がととのってくる。[2]

第1期 日本人によるローマ字—ヘボン式と日本式のあらそい

1866 慶応2
■12月: 前島密(まえじま・ひそか)が、漢字廃止論である『漢字御廃止之儀』を将軍慶喜に建白した。
1867 慶応3
■4月: ヘボン(Dr. James Curtis Hepburn)の和英語林集成 第1版』が刊行される。 >1872-07
■10月: 大政奉還[3]
1872 明治5
■南部義籌(なんぶ・よしかず)が文部省にローマ字採用に関する建白書を提出。[2]
7月: ヘボンの『和英語林集成 第2版』が刊行される。<1867-04
1874 明治7
西周(にし・あまね)が『明六雑誌』に『洋字ヲ以テ国語ヲ書スルノ論』をかく。[2]
自由民権運動の展開[3]
■10月?: 広島師範学校付属小学校で、日本の学校としてははじめてローマ字がおしえられた。
1882 明治15
■谷田部良吉が『東洋学芸雑誌』に『羅馬字ヲ以テ日本語ヲ綴ルノ説』を発表。[2]
1884 明治17
■「羅馬字会」設立。[2] >1885-01-17
■12月: 外山正一(とやま・まさかず)が、『東洋学芸雑誌』39号に、『羅馬字会を起すの趣意』を発表。[1]
1885 明治18
■1月17日: 外山正一、谷田部良吉、神田乃武らが「羅馬字会」を設立。[1] <1884
■5月18日: 羅馬字会から『羅馬字にて日本語の書き方』の小冊子がでる。
■8月: 田中館愛橘(たなかだて・あいきつ)が、『理学協会雑誌』第16巻に『理學協會雜誌を羅馬字にて發兌するの發議及び羅馬字用法意見』を発表(日本式の原典か?)。
1887 明治20
■4月: ヘボンの『和英語林集成 第3版』が刊行される。ほんとうの書名は、『改正増補和英英和語林集成』。<1872-07
1889 明治22
■2月: 大日本帝国憲法・皇室典範公布[3]
1894 明治27
■8月: 日清戦争はじまる[3]
1895 明治28
■4月: 日清戦争おわる(下関条約・三国干渉)[3]
1904 明治37
2月: 日露戦争はじまる[3]
1905 明治38
■5月: 日露戦争おわる(ポーツマス条約)[3]
■12月7日: 「ローマ字ひろめ会」が組織される。([4]では、設立 明治38年10月とある。)
1908 明治41
■5月22日: ローマ字ひろめ会が「標準式」つづりの採用を決定。(現在のいわゆるヘボン式) ([4]では、明治38年 とある。また、「標準式ローマ字」や「標準式ローマ字綴り方」ともかかれているが、この文書では「標準式」に統一する。)
1909 明治42
■4月3日〜6月16日: 石川啄木(いしかわ・たくぼく)がローマ字日記をかきのこす。
■7月10日: 日本式つづりによる図書出版その他の事業を目的とする「日本のローマ字社」(NRS)設立。田中館愛橘・芳賀矢一を相談役とし、田丸卓郎を事務指図役とする。
1910 明治43
6月: 田丸卓郎(たまる・たくろう)が「ローマ字ひろめ会」から日本式つづりによる"Rômazi Sinbun"を出版するようになる。 >1911-07-01
1911 明治44
7月1日: "Rômazi Sinbun"が"Rômazi Sekai"と改題される。<1910-06
1912 明治45/大正1
■4月: 「ローマ字ひろめ会」から日本式つづり賛成派が絶縁。田中館愛橘と田丸卓郎は脱退。"Rômazi Sekai"はこの年の6月号から「日本のローマ字社」から刊行される。<1911-07, >1913-07
1913 大正2
■7月: 中央気象台がローマ字つづりを日本式に統一する。<1912-04, >1917-09
1914 大正3
■7月: 第一次世界大戦勃発[3]
■9月14日: 土岐善麿(とき・ぜんまろ)が中心となり、日本式ローマ字の実行団体「東京ローマ字会」が設立される(現在の「日本ローマ字会」のもと)。<1909-07-10, >1921-01
■10月18日: 田丸卓郎(著)『ローマ字国字論』が「日本のローマ字社」から出版される。
1915 大正4
■5月5日: 「日本のローマ字社」が財団法人となる。理事は芳賀矢一・大河内正敏・田中館愛橘・田丸卓郎(事務指図役)、事務取扱役は土岐善麿。<1909-07-10
1917 大正6
■9月: 陸軍省陸地測量部は、地図の地名のローマ字つづりを日本式に統一。<1913-07, >1922-08
1920 大正9
■11月15日: 田丸卓郎(著)『ローマ字文の研究』が「日本のローマ字社」から刊行される。
1921 大正10
■1月: 東京ローマ字会を改組して、「日本ローマ字会」(NRK)が設立された。会長は田中館愛橘。副会長は田丸卓郎。機関誌名を"Rômazi Sekai"とした。<1914-09-14, >1926-03-27
1922 大正11
■8月: 海軍水路部は、海図のローマ字つづりを日本式に決定。<1917-09, 1925-06
1923 大正12
■4月: 京都ローマ字会設立。
■9月: 関東大震災[3]
1925 大正14
ラジオ放送開始(東京放送局)[3]
■6月: 日本海軍水路部の地名のローマ字つづりは日本式をもちいることが万国水路中央局をへて各国に通知された。<1922-09, >1928-06-07
1926 大正15/昭和1
■3月27日: 「日本ローマ字会」が、田中館愛橘・田丸卓郎・芳賀矢一らによって、社団法人として設立した。<1921-01
1927 昭和2
■7月2日: 鉄道大臣小川平吉達571号で『鉄道掲示規則』をだし、鉄道掲示のローマ字つづりがヘボン式になる。 >1938-03-08
1928 昭和3
■6月7日: 海軍省は、省内でのローマ字つづりを日本式に統一。<1925-06, >1928-08
■7月: ロンドンでひらかれた「万国地理学会議」が、日本の地名のローマ字表記のつづりを統一してほしいと、日本政府に要請した。 >1931-09-22
■8月10日: ロンドンでの「万国船舶信号書」(のちの国際信号書)改訂会議に内閣・外務・逓信・海軍の各官庁会議のうえ、日本式ローマ字つづりを使用するよう訓令。<1928-06-07, >1929-09-04
1929 昭和4
■9月4日: 陸軍省は、部内一般のローマ字つづりを日本式に統一。<1928-08-10, >1936-03-03

第2期 ローマ字つづり統一へ—臨時ローマ字調査会

1930 昭和5
国際連盟知的協力委員会が、ローマ字使用勧告の動議を採択。そのなかに、ローマ字つづり方の一定していない国ではなるべく速かにそれぞれの国語の性質に適切なつづり方に統一すべきこと([2]の原典のママ) という項目をふくめた。この動議は、委員本会議を満場一致で可決通過した。[2]
■11月25日: 「国語のローマ字綴方」を調査することを目的とする「臨時ローマ字調査会」の官制公布。文部大臣を会長として、各省次官、関係官庁長官、学識経験者36名を委員に任命。
■12月15日: 「臨時ローマ字調査会」第1回総会ひらかれる。
1931 昭和6
■1月13日: 「臨時ローマ字調査会」第2回総会ひらかれる。
■4月: 「臨時ローマ字調査会」は、専門的調査のため、臨時委員として、二荒芳徳神保格・末広厳太郎・桜根孝之進・宮崎静二・菊沢季生の6氏を任命。 >1933-07
■5月15日: 「臨時ローマ字調査会」第3回総会ひらかれる。田丸卓郎は、「日本式ローマ字の立場」を3時間にわたってのべ、そのつかれから、この晩から床につき、1932年9月22日になくなった。
■6月30日: 「臨時ローマ字調査会」第4回総会ひらかれる。
■9月: 満州事変[3]
■9月22日: パリでひらかれた万国地理学会第6部会は、田中館委員提出の『日本式綴り方による日本地名統一の希望』を満場一致で可決。<1928-07
1932 昭和7
■5月15日: 五・一五事件[3]
1933 昭和8
■3月: 日本が国際連盟を脱退[3]
■5月: 「臨時ローマ字調査会」第8回総会ひらかれる。
■7月: 「臨時ローマ字調査会」第9回総会ひらかれる。のちに第1次主査委員会をひらいて審議すると決議。<1931-04
1934 昭和9
■2月: 「臨時ローマ字調査会」第1次主査委員として、柴田徹心・佐伯功介・神保格・宮崎静二・菊沢季生・新村出の6氏を選任。栗田文部次官を委員長として3月6日会合。7月14日までに12回会合。
■7月: 「臨時ローマ字調査会第1次主査委員会」は、「日本式綴り方は理論的に一貫せるものと認む」との結論に達する:
  1. ハ行のフを hu とする。
  2. 拗音は(子音 + y + 母音)の連続である。
  3. サ行タ行ナ行について、日本式の表わし方がいけないと理論的にいうことはできない。これに反し標準式(すなわちヘボン式)はサ行タ行及びその濁音ナ行カ行等の表わし方について態度一貫せず。
  4. はねる音はすべて n を以て表わす。
1935 昭和10
■11月21日: 「臨時ローマ字調査会」第12回総会ひらかれる。
1936 昭和11
■2月26日: 二・二六事件[3]
■3月3日: 南洋庁は庁内公用のローマ字は日本式にする公式通知をだした。<1929-09-04
■6月13日: 「臨時ローマ字調査会」第13回総会ひらかれる。
■6月26日: 「臨時ローマ字調査会」第14回総会ひらかれる。第3次主査委員会作成の原案を承認決定。主として日本式つづりによる。「ジヂ」「ズヅ」の区別をみとめない点のみヘボン式の方針をとりいれ、両者の妥協をはかったといわれた。臨時ローマ字調査会官制は6月30日廃止。 >1937-09-27

第2期 「訓令式」の時代—日本式の勝利

1937 昭和12
■7月7日: 日中戦争おこる[3]
■9月21日: 内閣訓令第3号でいわゆる「訓令式」ローマ字公布。
官報(昭和十二年九月二十一日), 第3217号, 567ページ, 1937年9月21日, 大蔵省印刷局発行
■11月2日: 朝鮮総督府鉄道局は、駅名標示のつづりかたを訓令式に統一。 >1938-03-08
1938 昭和13
■1月31日: 文部大臣官房通牒で、各地方長官・関東庁長官あてに、旅券のローマ字つづりは原則として訓令式によることを通知。<1937-09-21
■3月8日: 鉄道省が、ローマ字つづりを訓令式に統一。<Huzi>(冨士), <Tubame>(つばめ)など。1927-07-02
■11月25日: 文部省図書局長は、英語科教授におけるローマ字のつづりかたを訓令式によるよう通牒。 >1942-04
1939 昭和14
第二次世界大戦はじまる[3]
1940 昭和15
■9月: 日独伊三国軍事同盟調印[3]
1941 昭和16
■6月1日: ドイツがドイツ文字を廃止してローマ字を採用。
■12月8日: 真珠湾攻撃。太平洋戦争開始[3]
1942 昭和17
■4月: 文部省が、英語教科書に併記をゆるしていたヘボン式ローマ字を削除、訓令式に統一を指令。<1938-11-25

第3期 敗戦によるヘボン式の復活とローマ字教育の開始、そして内閣告示

1945 昭和20
■8月15日: 敗戦[3]
■9月3日: 連合軍最高司令部は、指令第2号で、公共のたてものや駅などの名称を英語でかかげ、ローマ字は「修正ヘボン式」によることと命じた。
"Transcription of names into English shall be in accord with the Modified Hepburn (Romaji) system."
1946 昭和21
■3月5日: マッカーサー総司令官の希望で、アメリカから教育視察団来朝。
■3月30日: アメリカ教育視察団の報告書に、日本の民主化を進める方策として,日本語のローマ字表記をすすめる(文献[1]の原典のママ) とあった。第2章「国語の改革」のなかに、ローマ字教育について言及: 日本の国字は学習の恐るべきさまたげになっている…….小学校時代を通じて生徒はただ国字の読み方と書き方を学ぶだけの仕事にほとんど勉強時間をさかなくてはならない.……カナよりローマ字の方が長所が多い……ローマ字の採用は国境をこえて知識や思想を伝達するうえに偉大な寄与をなすであろう.(文献[1]の原典のママ)
■4月18日: 次官会議で官庁用語および文章をやさしくすることをきめ、進駐軍関係および鉄道駅名など地名のローマ字表記は標準式(修正ヘボン式)とし、国民関係は訓令式とすることを報告した。
■6月15日: 文部省は「ローマ字教育協議会」をつくり、第1回総会をひらく。
■6月29日: 文部省ローマ字教育協議会第二回総会で、議長を土岐善麿とし、国民学校にローマ字をいれるについての小委員会を設置した。<1946-06-15, >1946-10-22
■7月11日: 文部大臣田中耕太郎は、衆議院憲法特別委員会で、来年度からローマ字を初等教育にいれると言明。 >1947-04
■9月11日: 国語審議会もうけられる。
■10月22日: 文部省ローマ字教育協議会は、総会で、小委員会案の、ローマ字つづりかた(訓令式)・わかちがきのしかた・符号のつかいかたなどの「ローマ字教育を行うについての意見」を決定し、文部大臣に答申。<1946-06-29, >1947-01-20
■11月10日: 新日本社から、ローマ字同志会(編)『ローマ字文章法』がだされた。わかちがきの説明書。田丸卓郎の『ローマ字文の研究』でのわかちがき方式がむつかしすぎるとして、かんたんな方式を提案。主として柴田武(しばた・たけし)の著による。「東大システム」とよばれる。
■11月16日: 当用漢字(1850字)現代かなづかいが内閣告示と訓令ででる。
1947 昭和22
1月20日: 文部省が ローマ字教育の指針:国民学校におけるローマ字教育実施要項 を発表。<1946-10-22, 1950-03-20, >1960-07-01
第4学年で1年を通じて40時間以上とする。指針のローマ字教育の必要と方針には、以下のようにある:
必要—(1) ローマ字は世界共通の文字であり,これが相互の理解を深め,国際社会をうちたてるうえに役だつ.
(2) ローマ字は能率の高い文字である.一般国民の生活水準が高められる.
(3) ローマ字は一般国民に国語の特質・構造に関する正確な知識および能力をえさせる.
方針—国語教育の徹底充実ということに求められるべきである.

(文献[1]の原典のママ。ただし「丸つき数字」は「カッコつき数字」におきかえた。)

この ローマ字教育の指針 のなかに、「第四 ローマ字文の書き方」がある。訓令式の補足のような内容。ただし、長音の字上符は訓令の<¯>(マクロン)から<^>(アクサンシルコンフレックス)になっている。

■3月: 教育基本法・学校教育法公布[3]
■4月: 小学校・中学校でローマ字の授業がはじまる。
■5月3日: 日本国憲法施行[3]
■7月26日: 苫米地義三(著). 鉄道掲示規程. 運輸公報. 第490号, 達第398号にて、「第四條 公告表中駅名標には、ローマ字を併記しなけ ればならない。」、「第八條 掲示に使用する文字は、左の各号による。(中略)六 ローマ字のつづり方 改修ヘボン式(別表一) によること。 」
1948 昭和23
■1月: 文部省は、ローマ字教育調査委員会準備会をひらく。
■2月16日: 当用漢字別表(俗称教育漢字)881字が内閣告示ででる。
■5月: 教育研究所(いまの国立教育研究所)に、ローマ字教育実験調査委員会ができた。
■7月21日: 文部省が、ローマ字入門教科書として、中学校用に、"Watakusitati no Mati"をだす。
■7月30日: 文部省が、ローマ字入門教科書として、小学校用に、"Tarô San"をだす。
■9月1日: 文部省教育研修所は、ローマ字教育実験学級を1年生から6年生まで、日本式27学級、訓令式32学級、ヘボン式13学級、計72学級(児童数3,632人)つくり、国語以外をすべてローマ字でおしえる学級を希望により指定した。教科書は算数だけしか用意できなかった。 >1951-03-31、 >1951-06-25
■10月12日: ローマ字調査会を文部省がつくる。
1949 昭和24
■2月20日: 中学校用ローマ字教科書"SEKAI"が文部省版としてだされた。
■3月1日: 文部省が小学校5年生用教科書"MATI"をだす。
■3月10日: 文部省が小学校6年生用教科書"KUNI"をだす。
■6月: ローマ字調査委員会をローマ字調査審議会と改称。<1948-11-09
1950 昭和25
■2月20日: 文部省が、小学校のローマ字教科書、4年生用"TARÔ SAN"、5年生用"MATI"、6年生用"KUNI"、中学生用"SEKAI"をだす。<1949-03-01, 1949-03-10
■3月20日: 文部省が、『改訂ローマ字教育の指針』をだす。<1947-01-20, >1951-07
■4月1日: ローマ字調査審議会が廃止され、国語審議会がローマ字のことをあつかうことになった。<1949-12 >1953-03
■4月1日: 検定によるローマ字教科書使用開始。
■6月26日: 国語審議会ローマ字調査分科審議会「つづり方部会」は、第1回部会をひらく。このあと、1952-02-25までに24回ひらく。
■7月10日: おなじく「分かち書き部会」は第1回部会をひらく。このあと、1952-01-28までに16回ひらく。 >1950-11-28
■9月22日: 第2次アメリカ教育使節団の報告書が連合軍総司令部から発表。第6章国語の改革のなかでの勧告1〜4のうち:
1. 一つの方式のローマ字をもっとたやすく世間一般に採用することができるような方法を研究すること。
2. ローマ字教育を小学校の正規の教育課程として採用すること。<1946-03-30
■11月20日: 国語審議会「ローマ字教育部会第1回部会」をひらく。このあと、1952-03-17までに16回ひらく。
1951 昭和26
■3月31日: 文部省が、「ローマ字実験学級の調査報告MEH2032」をだす。B5版、本文36ページ。<1948-09-01
■6月25日: 文部省は、「ローマ字教育実験学級」を全国に20学級つくり、3年連続実験調査研究をはじめる。(1954年3月まで)
■7月: 学習指導要領(試案)がでる。ローマ字教育の指針 と1958年の指導要領の中間にあるが、ローマ字教育については、もっとも詳細にのべてある。<1950-03-20, >1958-10
■11月28日: 旅券法公布。旅券法施行規則第5条の第2項で 氏名はヘボン式ローマ字によって旅券面に表記する。 とある。
1953 昭和28
テレビ放送開始[3]
■3月12日: 「ローマ字つづり方の単一化について」が第18回国語審議会で可決。文部大臣に建議。<1950-04-01, >1953-08
■8月: 小中学校のローマ字つづり方の学習について が「文部省初中級教育局」調査局長から通達。昭和30年度から「さきの単一化されたつづり方」で実施となる。 <1953-03, >1955-04
筆者注: 「さきの単一されたつづり方」とは、1953年(昭和28年)3月12日の「ローマ字つづり方の単一化について」をさすものとおもわれる。)
■11月15日: 東大ローマ字会の後藤篤行が、東大ローマ字会の分ち書きの研究 を日本ローマ字会から発行。
1954 昭和29
■3月10日: 文部省が、学術用語集「数学篇」「物理学篇」をだす。ローマ字・漢字・英語の対照式。ローマ字つづりは、1953-03-12の「単一化」の方式による。
■7月1日: 文部省は 中学校高等学校学習指導法国語科編 をだす。第6章ローマ字学習指導に32ページをつかい、かんでふくめるようなていねいな(文献[1]の原典のママ)解説をしてある。
■8月20日: 平井昌夫(編著)『ローマ字教育の指針 全文と解説』四版がローマ字教育会からでる。
■12月9日: ローマ字のつづり方が内閣告示第1号で告示され、ローマ字のつづり方の実施についてが内閣訓令第1号で公布された。内容は、1937年(昭和12年)の内閣訓令第3号の内容に対し、 同時に1937年(昭和12年)内閣訓令第3号は廃止された。

第4期 戦後のおわりとローマ字教育の衰退

1956 昭和31
■7月: 経済白書で「もはや戦後ではない」
1958 昭和33
■3月: 教育課程審議会は、小学校4年以上におけるローマ字教育の必修と、ローマ字教科書の廃止を決議、文部大臣に答申。 >1968-10
■10月: 文部省が、改訂学習指導要領を発表。ローマ字の指導にあてる時間を、第4学年で年20時間、第5・第6学年で年10時間ずつに削減。 <1951-10
1959 昭和34
■2月7日: 文部省は、「小学校教育課程移行措置要領」を通達し、ローマ字を課していない場合は新指導要領に従ってローマ字の指導を行なうようにすること。 とした。
1960 昭和35
■7月1日: 文部省が、初等教育研究資料 第24集、小学校ローマ字指導資料を教育出版(株)から発行する。第1部は「ローマ字学習指導実験研究報告」、第2部は「『ローマ字文の書き方』解説」。第2部の「ローマ字文の書き方」とは、1947年(昭和22年)の ローマ字教育の指針 にかかれているもの。 <1947-01-20
1961 昭和36
■4月: 小学校でのローマ字教育が必修となる。必修となったものの独自の教科書がなくなり国語教科書の中に10ページほどにちぢめられてしまった。この必修の時からローマ字教育は衰退の道をたどった。歴史のひにくである。(文献[1]の原典のママ) <1958-10, >1962-04
1962 昭和37
■4月: 中学校の国語教科書にローマ字がはいり必修となる。 <1961-04

(筆者注: 現在、中学校ではローマ字はおしえられていないので、どこかで廃止になったとおもわれるが、いつかはしらべきれていない。2001年11月11日)

1964 昭和39
東京オリンピック開催[3]
■11月: 国会図書館の図書カードを訓令式からヘボン式にあらためようといううごきがあったが、労組の反対でとりやめとなった。
1967 昭和42
■10月: 教育課程審議会は、「小学校のローマ字教育の大幅削減」を答申。
1968 昭和43
■2月: 当用漢字音訓表と当用漢字別表(いわゆる教育漢字)が発表された。 >1973-06-08
■5月31日: 文部省は、小学校学習指導要領改定案を発表した。ローマ字教育はますます縮小され、小学校第4学年の項に、この学年で,ローマ字による日常ふれる程度の簡単な単語の読み書きを指導するものとするという程度になった。(文献[1]の原典のママ) <1958-10

第5期 現代

1970 昭和45
大阪で日本万国博覧会開催[3]
1972 昭和47
■日本語のローマ字表記の米国規格、ANSI Z39.11-1972, "American National Standard System for the Romanization of Japanese", American National Standards Institute, 1972 が、ANSI (American National Standards Institute) からでる。ヘボン式を基本とし、「ん」をすべて<N>にしたもの。1994年10月6日に廃止。
■日本語のローマ字表記の英国規格、"SPECIFICATION FOR THE ROMANIZATION OF JAPANESE", BS 4812 : 1972, BRITISH STANDARDS INSTITUTION, 1972 が、BSI (British Standards Insititution) からでる。米国規格とほとんどおなじ内容。
1981 昭和56
■10月1日: 常用漢字1945字公布。内閣告示第一号。
1986 昭和61
■10月25日: 道路標識にローマ字をそえることが、建設省令として官報に公示される。
1987 昭和62
■12月7日: 梅棹忠夫(うめさお・ただお)『あすの日本語のために』をくもん出版からだす。「I」から「V」までのうち、「I」と「II」はローマ字論。
1988 昭和63
■6月20日: 梅棹忠夫が『日本語と事務革命』をくもん出版からだす。
■7月25日: 野村雅昭(のむら・まさあき)が『漢字の未来』を筑摩書房からだす。
1989 平成1
■3月20日: 吉本ばななの小説『TUGUMI』が中央公論社からでる。単行本の題名としてローマ字を正式としたというのでは,日本ではじめてのものである。(文献[1]の原典のママ。)
■9月1日: 国際標準化機構(ISO)から、日本語のローマ字表記に関する国際規格、INTERNATIONAL STANDARD, ISO 3602, "Documentation -- Romanizatio of Japanese (kana script)", Firtst Edition, 1989-09-01, International Organization for Standardizationがでる。いわゆる訓令式、正確には1954(昭和29)年の内閣告示から第2表をのぞいて、「長音」の解釈を整理したもの。
1994 平成6
■梅棹忠夫が日本ローマ字会の会長になる。
1999 平成1
■日本ローマ字会から『「99式」日本語のローマ字表記方式』が発表される。

注意がき

  1. できごとの内容と年月日は参考文献にもとづいていますが、できごとの文言については、筆者(海津知緒)が、筆者のこのみの用字・用語・文体に適宜変更しました。
  2. ただし、「原典のママ」とかいた部分は、句読点のうちかた、漢字・ひらがな・カタカナのつかいわけ、おなじよみかたの漢字のつかいわけ、おくりがなのおくりかたなどは、原典のとおりです。しかし、原典にはたてがきのものあります。また、以下のものは、ソフトウェアの仕様や設定、ハードウェアの表示域の幅など、この文書をご覧になる環境に依存します。かならずしも原典どおりにはなりません。
    1. 段落内の改行位置
    2. 文字と文字のあいだの間隔
    3. 行と行のあいだの間隔
    4. 段落と段落のあいだの間隔
    5. 文字の字体やおおきさ
    6. 太字・下線・斜体など、文字の装飾のぐあい
    7. そのほかいろいろ
  3. できるだけ参考文献に忠実に記述していますが、参考文献との、この文書をご覧になるかたにとって意味があるちがいがないことを保証するものではありません。また、史実とのちがいがないことも保証するものではありません。ご心配のむきは原典を参照するか、独自の方法で史実を確認してください。
  4. 引用部分の原典は紙に印刷された文書であり、上記の引用部分は、それを転記するかたちで筆者が機械可読形式でHTMLをもちいてコンピューターに入力したものです。
  5. この文書は、筆者(海津知緒)のインターネット上のウェブサイトのなかの、筆者の著作物の理解をたすけるための参考資料としての目的で参考文献を引用、または参照・要約して作成したものであり、それ以外の目的でもちいられるべきものではなく、参考文献が意図している目的でもちいられるべきでもありません。

変更記録

第1.1版 (2000年?月?日)
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第1.2版 (2000年7月24日)
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第1.3版 (2001年10月22日)
第1.4版 (2001年11月11日)
第1.5版 (2005年3月6日)
第1.6版 (2024年4月15日)

版:
第1.6版
発行日:
2024年4月15日
最終更新日:
2024年4月15日
著者:
海津知緒
発行者:
海津知緒 (大阪府)

KAIZU≡‥≡HARUO