■「新見(にいみ)」のヘボン式つづり

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質問:

2001年11月27日 火曜日 午前9時46分:

こんにちは。初めてホームページを拝読させていただきました。

早速ではございますが、ローマ字についての相談があります。

現在、大学の事務員をしているもので、ヘボン式ローマ字を使う用事があるのです。ちょうど悩むことがありまして、このようにメールを書かせていただきました。

無事に届いて読んでいただければ幸いです。

新美さんというお名前の方のヘボン式ローマ字表記で悩んでいます。

表記はNiimiとなるのでしょうか?それともNimiとなるのでしょうか?

もしかして愚問かもしれませんが、困り果てていてどうしようもありません。

どうぞよろしくお願い申し上げます。

回答:

ご質問ありがとうございます。

べつのメールにて、くわしいことをうかがったところ、下記のような事情でした。

「イ列長音」の表記については、いままでこのサイトではあまりかいていませんでしたが、かなり奥がふかいです。今回、このご質問をいただいたことに感謝します。

ご質問の件、<新見>のフリガナが<にいみ>であるとして、結論からかきますと、
  1. 貴学の大学要覧にしたがうと<Nīmi>(2文字めはマクロン(¯)つき小文字I)。
  2. パスポートのつづり(外務省式)にならうと、ふつうは<Niimi>だが、本人が、<にいみ>の<>の部分の発音は長音であると主張すれば、<Nimi>にできる可能性あり。
  3. パスポートのつづりとおなじにしたければ、本人にたずねる以外に方法はない。氏名とそのフリガナから、他人がかってに判断することはできない。

大学要覧のつづりとパスポートのつづりは、おなじではありません。パスポートでは、長音の表記であるマクロンをいっさい省略します。したがって、大学要覧の「(注)」のところにのっている例の、<大野>の<Ōno>は<Ono>に、<大小野>は<Oono>に、<飯田>は<Ida>になります。ただし、2000年4月からは、オ列長音について<H>をつかったつづりもみとめられたので、<大野>は<Ohno>に、<大小野>は<Ohono>にすることもできます。

ちなみに、パスポートのつづりは、旅券事務所では「ヘボン式」といっていますし、外務省でもふだんは「ヘボン式」といっていますが、「長音表記を省略する」という部分が「ヘボン式」ではない、ということは外務省では認識していて、その点をつっこまれると、「じつは、ヘボン式に外務省独自の修正(長音表記省略)をくわえたもので、『外務省式』とよんでいます」とこたえるとおもいます。2000年8月24日に電話でといあわせたときはそうでした。しかし、現場の旅券事務所の職員は、長音表記省略もふくめて「ヘボン式」だと認識しているかたがおおいとおもわれます。貴学の大学要覧にのっているつづりは、「ヘボン式」とよばれる典型的なつづりだとおもいます。すなわち、長音はマクロンを母音字のうえにつけてかきあらわします。

卒業証書では、マクロンがついた文字はつかえるのでしょうか。もしつかえるなら、この大学要覧の記述にしたがうならば、長音はマクロンでかくことになります。

もし、マクロンがついた文字がつかえないならば、しかたがありませんから何らかの代書法をかんがえなければなりません。そのときにパスポートのつづりにしたがうというのは、国際的な個人の識別の観点からは、よい方法だとおもいます。

さて、まず、大学要覧にしたがった場合ですが、大学要覧には、長音の表記に関する規則がかかれていないので、「(注)」の例から帰納的に類推するしかありませんが、<井伊>は<Ii>、<飯田>は<Īda>ということですから、<井伊>のふりがなが<いい>、<飯田>のふりがなが<いいだ>であるとして、

ということのように類推されます。

ということになると、<新見>のフリガナである<にいみ>の<>の発音は、<にい>の2文字で、<>という漢字1文字のフリガナだとおもわれますから、長音であるということになり、<Nīmi>になります。

この推測にもとづいて、ほかの例を演繹すると、

椎名(しいな)
Shīna
志井(しい)
Shii
新田(にいだ)
Nīda
仁井田(にいだ)
Niida

のようになるとおもいます。

つぎにパスポートにならう場合ですが、大阪府・兵庫県・京都府の旅券事務所の、それぞれ本所に電話でたずねてみました。多少の意見のちがいはありましたが、まとめると以下のようなことになりそうです。

  1. 長音はオ列とウ列のみで、ア列・イ列・エ列の長音の存在は、基本的にはみとめない。
  2. オ列長音と母音の/オ/の区別、ウ列長音と母音の/ウ/の区別は、フリガナをよりどころとするのではなくて、本人の希望をよりどころとする。

    例: <子馬>のローマ字表記は、本人の希望により、<KOUMA>、<KOMA>、<KOHMA>のどれにもなりうる。(オ列長音については、<H>をつかった表記がみとめられている。)

  3. ア列・イ列・エ列の長音についても、本人がどうしてもと主張すれば長音とみとめることもありそう。
  4. 長音かどうかについての本人の希望について、旅券事務所の担当者が非常識だと判断した場合は、希望するつづりの使用実績(クレジット・カードの刻印など)の提示をもとめる場合がありそう。

最後のふたつについては、事務所や担当者によってばらつきがありそうです。しかし、最初のふたつは、だいたいどこの事務所でも、どの担当者でもおなじ見解のようです。

たとえば、<新見>(<にいみ>)はどうつづるか、という質問には、みっつの事務所とも、<NIIMI>とこたえました。

しかし、一般的に長音かどうかをどうやって判断しているか、という質問になると、文字と音声を混同した発言や、イ列の長音などかんがえられない、という感じの発言や、「ヘボン式には長音はない」という発言までとびだし、ちゃんとした見解はでないようです。あまりしつこくきくと、おこられます…。

というわけで、<新見>さんのローマ字つづりですが、パスポートにならうならば、<NIIMI>でまずまちがいはないだろうとおもわれますが、<Nīmi>もありえなくはありません。

さらに、2000年4月から、オ列長音については、<H>をつかった表記がみとめられました。/オータ/と発音する<太田>さんは、<OTA>と<OHTA>のふたつのつづりから、どちらかをえらぶことができるようになりました。というか、えらばなくてはいけなくなりました。どちらにするか、いちどきめると、すくなくともおなじパスポートについては変更できません。(再発行なら可能かもしれません。)

したがって、他人の氏名や、そのフリガナだけをみて、パスポートのローマ字氏名のつづりを100%判断するのは不可能です。

どうしてもパスポートとおなじつづりにしたければ、卒業予定者全員におうかがいをたてて、パスポートのローマ字氏名を文書で申告してもらうしかないでしょう。パスポートをまだもっていないかたは、パスポートを取得していただくか、自分の住所のある都道府県の旅券事務所(「パスポートセンター」などともいう)に、自分のなまえのパスポートでのつづりがどうなるかといあわせてもらって、それを申告してもらうしかないとおもいます。

他人がきめて文句をいわれるより、本人にきめてもらうのがいちばんです。

最近、小学校や中学校では、卒業証書にかく生年月日の年の表示を、西暦でするか、和暦(元号)でするかのおうかがいのおてがみをだしているようです。もし、貴学でおなじようなことをしておられるなら、そのときに同時にたずねるとか…。

なお、みせていただいた大学要覧(うえに引用したもの)には、「このローマ字表は外務省が規程しているものです。」とありますが、この文章の解釈には注意が必要です。

まず、そもそも多義的です。

解釈可能なひとつの意味としては、このローマ字表記方式をつくった、つまりその内容をかんがえ、きめて、「ヘボン式」というなまえをつけたのが、外務省だ、という意味がかんがえられます。

もうひとつの意味としては、あらかじめ「ヘボン式」とよばれる方式があって、それをパスポートにつかうということ、を、外務省がきめたという解釈です。

パスポート(旅券)の氏名の表記については、

旅券法施行規則
第五条 法第六条第一項第二号の氏名は、戸籍に記載されている氏名について国字の音訓及び慣用により表音されるところによる。
ただし、公の機関が発行した書類により表音が確認できる場合であって、かつ、外務大臣又は領事官が特に必要と認める場合はこの限りではない。
2 前項の氏名はヘボン式ローマ字によって旅券面に表記する。ただし、外務大臣又は領事官が、その氏名が出生証明書等によりヘボン式によらないローマ字表記が適当であり、かつ、渡航の便宜のため特に必要があると認める者については、この限りではない。
(第三項略)

(2000-01-08時点のhttp://www.asahi-net.or.jp/~EZ3K-MSYM/charsets/ryoken-5.txt から引用。文の途中の改行を削除。)

となっています。旅券法が公布されたのは1951年(昭和46年)のことで、このころにはすでに「ヘボン式」というなまえで俗によばれる、ローマ字表記方式の慣習があったようです。ですから、「外務省がヘボン式をつくった」のではなくて、「パスポートにはヘボン式をつかうということを、外務省がきめた」とかんがえるほうが妥当だとおもいます。(ただ、法律をつくるのは国会であって行政ではないので、そういう意味ではこの解釈もおかしいかもしれませんが…。)

ちなみに、「ヘボン式」というのは、わたくしの解釈では、

これらの方式をまとめて、抽象的な、あるいは共通項的な概念として存在するものとおもわれます。ヘボン博士ひとりの手によるものではなく、羅馬字会やローマ字ひろめ会との合作です。その最終形態が「標準式」とおもわれます。

しかし、こんにち一般に認識されている「ヘボン式」と「標準式」では、多少ちがいがあります。「標準式」ではかなりバリエーションをみとめていて、たとえば、

などです。

また、「修正ヘボン式」ということばももちいられていますが、これも実態はよくわかりません。ヘボンの辞書の第1版のつづりに対して羅馬字会が修正したものをさすのか、「標準式」のことをさすのか、あいまいです。

ちなみに、敗戦の1945年(昭和20年)、連合軍最高司令部は、指令第2号で、公共のたてものや駅などの名称を英語でかかげ、ローマ字は「修正ヘボン式」によることと命じたそうです。原語では、

"Transcription of names into English shall be in accord with the Modified Hepburn (Romaji) system."

となっていたそうです。すくなくとも、この時点で「ヘボン式」(Hepburn System)ということばはつかわれていたとおもわれます。(旅券法が公布されたのは、この5年後の1951年です。) (■ローマ字年表をご参照ください。)

また、英国規格(BS 4812:1979)の規格書のなかには、「この規格のつづりは、撥音の<ん><ン>をすべて<n>でかくことをのぞいて、修正ヘボン式にもとづいている」という意味の記述があるので、逆にいえば、BS 4812:1979に、「<b><m><p>のまえの撥音の<ん><ン>は<m>でかく」という規則をくわえてあものが「修正ヘボン式」といえるかもしれませんが、BS 4812:1979には「修正ヘボン式」の出典がかかれていないため、あまりあてにできません。

ところで、ヘボン式やパスポートだけでなく、そのほかのいろいろな方式で、イ列長音の表記がどうなっているかというと、これはなかなかおもしろいです。

国際規格(ISO 3602:1989)
基本的には<î>だが、<>のまえに形態素境界(複合語のきれめや、用言の語幹と語尾のきれめなど)がある場合には<ii>。例: おにいさん onîsan, ひいらぎ(柊) hîragi, いいん(医院・委員) iin, きいろ(黄色) kiiro, うつくしい utukusii
英国規格(BS 4812:1979)
すべて<ii>でかく。そのほかの長音はマクロンを母音字のうえにつけてかく。
昭和29年内閣告示
すべてアクサンシルコンフレックスをつけて<î>とかく。ただし、大文字の場合は<II>でもよい。
昭和12年内閣告示
すべてマクロンをつけて<ī>とかく。
文部省のローマ字教育の指針 ローマ字文のかきかた(昭和22年)
すべて<ii>でかく。■ローマ字教育の指針とその解説―2-2 を参照。
ヘボンの「和英語林集成」第1版
<ī>
羅馬字会の羅馬字にて日本語の書き方
<ii> 例: ニヒナメ(新嘗) Niiname, メシイ(瞽者) meshii, イヒワケ(言訳) iiwake, チヒサキ(小) chiisaki, キイ(紀伊) Kii, ヒイテ(引) hiite
ヘボンの「和英語林集成」第3版
<ii>
ローマ字ひろめ会の「標準式
<î>または<ī>、かっこつきで<ii>のつづりもある。例: 兄さん nîsan, nīsan (niisan)
田中館愛橘(たなかだて・あいきつ)の 理學協會雜誌を羅馬字にて發兌するの發議及び羅馬字用法意見 (いわゆる「日本式」)
しらべきれていません…。
社団法人日本ローマ字会の「99式
<ii>

このようにかなり混乱しています。この原因としては、形態素境界をもたないイ列の長音の語がすくないということがあるとおおもいます。逆に、形態素境界のある<>がおおいということもいえます。形容詞の終止形と連体形などです。

<i>のうえにマクロンやアクサンシルコンフレックスをつけると、かっこうがわるい、とのかんがえもあったようです。<i>の点と、マクロンやアクサンシルコンフレックスがかさなるからだとおもいます。ですから、<i>のうえにマクロンやアクサンシルコンフレックスをつけるときには、点をとってからつけるほうがよいというかんがえかたもあります。おそらく、このページがブラウザーで表示されるときのフォントの字形はそうなっているのではないでしょうか。しかし、この字形は、タイプライターや活字などで、<i>と、<¯>や<^>の合成(かさねうち)によってつくることができず、それゆえに敬遠されたという経緯もありそうです。

また、<>でかくア列の長音、<>でかくイ列の長音、<>でかくエ列の長音をもつ語ですが、たしかにすくないです。

ア列:
おかさん、おばさん、ばや(婆や)、あ(例: あいえばこういう。あ、よかった。)、さ、な、は、ま、や、な、ま、わ、スタ
イ列:
おにさん、おじさん、じや(爺や)、じ(爺)、し(椎)、ひらぎ(柊)、ちさい、したげる(虐げる)、ひでる(秀でる)、ひき(贔屓)、しぎゃく(弑逆・弑虐)、にづま(新妻)、ミラ、ひ(一)、み(三)、い(飯)、いえ、しか(詩歌)、「ひおばあさん」・「ひまご」などの「ひ」(曾)、(「いわけ」、「いなずけ」などは微妙…)
エ列:
おねさん、バレ、え、ね、へ

これ以外になにかありましたら、ぜひおしえてください。

ながくなってもうしわけございませんでした。ここにかいたことは、ちかいうちにこのサイトのほかのページの記述にも反映させたいとおもっています。

貴重なご質問をいただき、ほんとうにありがとうございました。

≡‥≡海津知緒(KAIZU Haruo)


変更記録

第1.1版(2001年11月29日)
新規登録。
第1.2版(2001年11月30日)
SīnaShīnaに修正、SiiShiiに修正、ア列・イ列・ウ列の長音の例を追加。
第1.3版(2001年12月1日)
イ列長音の表記が混乱している原因について追記。
第1.4版(2001年12月8日)
誤字訂正。「スタア」追加。
第1.4.1版(2002年2月3日)
単独文書に分離。
第1.5版(2002年12月14日)
和英語林集成第1版と標準式のリンクを追加。
第1.6版(2003年11月14日)
修正ヘボン式に関する記述を追加。標準式の資料を資料室にまだのせていないむねの記述を削除。

版:
第1.6.1版
発行日:
2003年11月17日
最終更新日:
2003年12月6日
編著者:
海津知緒
発行者:
海津知緒 (大阪府)

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