■平成日本語ローマ字論

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注意: このページの文章は2000年にかいたもので、記述内容はふるくなっています。かならずしも、著者の現在の意見や思想をそのまま反映しているわけではありません。改定がおいつかず、そのまま公開しています。(2002年1月3日 海津知緒)

■日本語の表記法として、いまの「カナ漢字まじり表記」なんてやめて「ローマ字表記」にしてしまったほうがいいかもしれない! そんなエキセントリックなアイデアに興味があるかたに。

はじめに

日本語はカナ漢字まじり表記でかくのがあたりまえ、とおもわれているかもしれません。

しかし、日本語の表記法として、いまのカナ漢字まじり表記は最適なものなのでしょうか。「日本語らしい」かきかたなのでしょうか。

1 日本語はなぜ漢字でかかなければならないか

1.1 漢字は日本のものではない

漢字は、日本語の表記のためにつくられた文字ではありません。中国で中国語の表記のためにつくられた文字です。

日本人は、もともとは日本語をかきあらわすための文字をもっていませんでした。そこに、たまたまおとなりにあった中国から「漢字」がつたわってきて、その「漢字」でむりやり日本語の発音をかきあらわすということをはじめました。日本語と中国語は、音韻構造においても文法においてもまったくことなります。そのため、日本語の表記に漢字をつかうことは、いろいろぐあいがわるいところがあります。

よく、日本語をローマ字でかいたり、カタカナ表記の外来語を多用することを、「西洋かぶれ」といって批判する意見があります。国粋的なたちばからの意見がおおいようです。「日本語はカナ漢字、それもできるだけ漢字をつかってかいてこそ日本語である」というわけです。

しかし、日本語をローマ字でかくこと、つまり西洋の文字をつかうことや、カタカナ表記の外来語を多用ること、つまり西洋の語彙をつかうことを、「西洋かぶれ」というなら、漢字をつかって日本語をかくことは、「中国かぶれ」にほかなりません。なぜなら、漢字はもともと日本語のためにつくられた文字ではなく、中国で中国語をかきあらわすためにつくられた文字だからです。とくに字音語のおおくは、中国語をそのまま日本語の音韻で発音しているものです。(Kono danraku, 2000-08-04 ni kakikae.)

「西洋かぶれ」を批判して、この「中国かぶれ」を批判しないのは、国粋的意見としては不公平だとおもいます。

1.2 同音異義語は漢字のせい

日本語の表記に漢字をつかわなければならない理由として、「同音異義語のくべつ」をあげる意見があります。

たとえば、「貴社の記者が汽車で帰社した」をかなやローマ字でかいたら、4つの「キシャ」が意味のちがうべつの語であるということがわかりにくくなる、というわけです。また、おなじ「みる」でも「見る」「観る」「看る」「診る」「試る」のように漢字をつかいわけることによって、意味のちがいが明確になるというわけです。

しかし、これは、はなしが逆です。これらは、漢字をつかいだしたからおこってきた習慣なのです。

「貴社」「記者」「汽車」「帰社」などは、日本語本来のコトバ、すなわち和語(やまとことば)ではありません。漢字がつたわることによってあらたに日本語に導入された、「漢語」という名の外来語です。

中国語の音韻は日本語よりもおおく、また「四声(しせい)」というものもあって、日本語ではおなじ/キ/や/シャ/になってしまう発音でも、その微妙なねいろやたかさの変化のぐあいによっていろいろことなった意味に、すなわちことなった「語」になって、ことなった「文字」(漢字)でかきあらわします。中国語では、これらの語のちがいは、文字のちがいによって目でみてもわかりますが、耳できいてもききわけることができます。

しかし、日本語の音韻体系には中国語ほどおおくの音韻がなく、「四声」もないため、本来はちがう発音である「貴」「記」「汽」「帰」がみんなおなじ/キ/という発音になってしまい、耳できいても区別がつかなくなったのです。だから漢字をみなければ意味がわからないのです。これは健全な状態といえるでしょうか。言語の音声での伝達能力をひくめているのです。目の不自由なかたには迷惑なはなしです。

漢字というのは、中国語では1文字で1音節をあらわすと同時に1語をあらわします。「見」「観」「看」「診」「試」は、中国語ではそれぞれべつの「語」です。当然、発音もことなります。英語にも「see」「look」「watch」などがあるのとおなじことです。

しかし、日本語にはもともと「みる」という語しかないのです。朗読して耳できけばみんなおなじ/ミル/にきこえるコトバを「見る」「観る」「看る」「診る」「試る」のようにかきわけるのはナンセンスです。(このような漢字のつかいわけは、小説や詩などのいわゆる「文芸作品」によくみられます。しかし、このような漢字のつかいわけは「文芸」ではありません。「文字芸」です。)

ほんとうにそれらの意味のちがいを区別する必要があるのなら、耳できいてもわかる、ことなった発音をもったべつのコトバにするべきです。

1.3 わかちがき

日本語のかな漢字まじり表記は、欧米の言語の表記のように「わかちがき」をしません。したがって、すべてカナでかくと、コトバのきれめがわかりにくくなって、よみにくくなります。

ところが、ところどころに漢字があると、コトバのきれめがわかりやすくなって、よみやすくなります。また、漢字でかかれる部分は、名詞であったり、動詞など活用語の語幹であったりすることがおおく、文法的な構造をよみとるうえでもやくだちます。

しかし、これらを漢字でかくことのナンセンスさは前述のとおりです。逆に、表音的な表記であるカナ文字表記の部分でわかちがきをしないことが不自然であり、不合理です。そしてその原因は、やはり漢字なのです。

表音的表記をつかっているほかの言語でもみな単語単位のわかちがきをしています。日本語がわかちがきをしていないのは、漢字がところどころにはいるために、わかちがきの必要性に気づきにくくなっているためです。

中国語ではわかちがきをしません。漢字をずらずらとはなさずにつづけてかきます。(ただし、句読点のようなくぎり記号はあります。)しかし、もともと中国語では1文字が1語なのですから、これで単語単位にわかちがきされているのとおなじなのです。

漢字が日本語の表記に導入された当初、万葉仮名というものがありました。これは、漢字の中国語での発音を、それとにた日本語の音韻にあて、1文字1音で日本語を表音的にかきあらわしたものです。《大和》の意味の/ヤマト/という音声をあらわす<八間跡>、《君》の意味の/キミ/という音声をあらわす<岐美>などです。これらは、おなじ「漢字」でかかれていても、中国語のように一文字一文字に語としての意味があるのではなく、カナ表記とおなじように何文字かでまとまってひとつの語をあらわします。この時点でわかちがきの必要性に気づくべきだったとおもうのですが、漢字のつかいかたが「表語的」から「表音的」にかわっても、「表語的」なつかいかたである中国語のかきかた、すなわちわかちがきをしないかきかたをそのままつかってしまったようです。

1.4 偶然と惰性

たしかに、いまの日本語は漢字をつかってかかないとよみにくかったり、意味がわかりにくかったりするところがあります。しかし、それは漢字をつかいだしたからそうなったのであって、日本語がもともとそういうものであったわけではありません。漢字をつかいだしたことによって日本語がそのようにかわってしまったのです。

日本語を漢字でかく必然性はありません。合理的でもありません。伝統的でもありません。漢字をつかって日本語をかくといういまの習慣は、日本が中国のとなりにあったという偶然と、惰性の産物です。

2 なぜ漢字はだめか

2.1 教育と漢字

小学校の下級生の宿題のほとんどは、計算ドリルと漢字のかきとりです。小学校でならう漢字は約1000字です。昭和五十六年十月一日内閣告示において「一般の社会生活において現代の国語を書き表すための漢字使用の目安」とされた常用漢字は1945文字です。つまり、小学校を卒業しただけでは、まだ「一般の社会生活」においてもちいられる漢字が十分によみかきできないということです。

ローマ字ならどうでしょうか。26文字、大文字小文字をかずにいれても52文字。1学期か2学期のあいだにおぼえてしまえるのではないでしょうか。この時点で「文字」をおぼえるのはおわり。あとは、「ことば」をおぼえるだけです。

ローマ字でかかれていれば、どんなむつかしいことばでもコエにだしてよむことができます。意味がわからなくてもよむことはできます。

漢字では、よみかたをしらない漢字はコエにだしてよむことができません。コエにだしてよむことができれば、こどもはおとなに「ねえ、○○ってどいういう意味?」ときくことができます。

つづりと発音が一致していない場合でも、つづりをおぼえていれば発音もたずねることができます。その場ではきけなくても、あとででも、どこででもきくことができます。しかし、文字がよめなければ、その文字をおとなのところにもってゆくか、文字のところにおとなをつれてきて、「ねえ、この字、なんてよむの?」ときかなければなりません。

うちの近所のアイス・スケート場のリンクには、「滑走は左廻りで」「手袋は必ず着用」とおおきな看板にかかれています。この掲示につかわれている漢字のうち、<滑><廻><袋>は小学校ではならわない漢字です。小学生でも高学年になればこどもたちだけでスケートにきます。「ひだりまわりですべろう」「かならずてぶくろをしよう」とかけば、小学生の下級生でもよんで理解することができます。「ひだりまわり」がわからなければ、ちかくのおとなやともだちに、「ねえ、『ひだりまわり』って、どういうこと?」とたずねればよいのです。

また、外国人が日本語を勉強する場合、会話は1年もあればそこそこできるようになるようですが、カナ漢字まじり文のよみかきは1年ではとてもむりなようです。

カナ文字やローマ字だけでかくのであれば、基本的にははなしている音声の音節をそのままカナ文字つづりやローマ字つづりにおきかえればよいのですから、はなすことができる文章は、かくこともかんたんにできるはずです。また、逆に、耳できいて理解できる文章は、カナ文字やローマ字だけでかかれていれば、よむこともかんたんにできるはずです。

日本語の音節は、よくつかわれるものは100ちょっとですから、それに対応したカナ文字やローマ字のつづりをおぼえることは、何千字もの漢字と、それぞれについて音・訓の何とおりものよみかたやおくりがなのおくりかたをおぼえるのにくらべれば、はるかにかんたんなはずです。

英語やフランス語、ドイツ語、スペイン語などのように、自分の母国語の表記がローマ字をつかっているのであれば、日本語のローマ字つづりをおぼえるのは、カナ文字つづりをおぼえるよりかんたんなはずです。

漢字の音・訓をおぼえて、同音異義語の漢字のつかいわけをおぼえることは、漢字の意味、 すなわちもとの中国語の意味をおぼえることにほかなりません。日本語のカナ漢字まじり表記をおぼえることは、日本語だけではなく、中国語も勉強することになります。

漢字をおぼえることは、外国語の単語のつづりをおぼえることににています。英語などでは、30文字程度の文字(アルファベット)をよこに何文字かならべてひとつの単語をつくり、単語ごとにくぎってかきます。文字だけをおぼえても、単語のつづりをおぼえていなければ文章はよみかきできません。とくに英語はつづりと発音の関係が複雑ですからなおさらです。

漢字は、部首のくみあわせて1文字、すなわち1語がなりたっています。英語などがアルファベットをよこにならべて1語をつくるのに対して、中国語は部首をタテ・ヨコ、ウエ・シタ、ウチ・ソトなど、二次元にならべて1語をあらわすのです。

英語などが少数の文字をおぼえてからそのくみあわせであたらしい単語をおぼえてゆくのに対して、中国語や漢字がきの日本語というのは、あたらしい単語をおぼえると同時にあたらしい文字をおぼえてゆくのです。しかし、部首の数は約260個ほどもあり、しかもすべての漢字がこの有限の数の部首のくみあわせでできているわけでもありませんから、やはりおぼえるのはむつかしいとおもいます。

2.2 漢字はかけない

自分がかきたい漢字を、辞書や、パソコンのカナ漢字変換の機能のせわにならずに自在にかけるひとがどれだけいるでしょうか。最近はワープロの普及で、漢字がかけないひとがふえているというはなしもききます。わたしもたまにてがきで文章をかくと、漢字がおもいだせないことがしばしばです。

また、日本語のカナ漢字まじり表記には、正書法というものがありません。おなじ語をカナでかくか、漢字でかくかとか、おくりがなのおくりかたをどうするかとかいったことに、標準とよべる規則がないのです。おなじ文章を朗読して、10人のひとにかきとらせたとしたら、全員がおなじつづりになることは、まずありません。こんな状態で、「1文字いくら」で原稿料をははらうのもどうかとおもいますが…。

じっさい、こまるのは、校正のときです。ひとつの文書のなかで、たとえば<組み合わせ>とかいてあるところと<組み合せ>とかいてあるところと<組合わせ>とかいてあるところと<組合せ>とかいていあるところがあったとして、いったいどれがまちがいでどれにあわせればよいのか、あるいはみんな意味があってかきわけているのかは、著者にきいてみないとわかりません。

2.3 漢字はよめない

かくほうはかけないことがあっても、よむほうはよめないことはないだろうとおもわれるかもしれませんが、そうでもありません。

いちばんよめないのは固有名詞、すなわち人名や地名です。<上村将一>さんは、/カミムラ・ショウイチ/さんなのか、/ウエムラ・マサカズ/さんなのかは、本人にきくほかありません。

もっとも、固有名詞というのは、「意味がない」という意味において「コトバ」ではありませんから、例としてあげるのはよくないかもしれませんが…。

固有名詞以外でも、よみかたがわからない漢字というのはけっこうあります。たとえば、<その他>。これは/ソノタ/とよみますか、/ソノホカ/とよみますか。<今日>も、/キョウ/とよむのか/コンニチ/とよむのか、すぐにはわからない場合がよくあります。<等>も/トー/とよむのか/ナド/とよむのかなやむときがあります。

流行歌の歌詞になると、いわゆる「あて字」というものがあります。<女>とかいて/ヒト/とよませたり、<瞬間>とかいて/トキ/とよませたりのたぐいです。まあ、こういうのは、よめないことを承知でわざわざフリガナをふってかくのがふつうではありますが…。

2.4 道具と漢字

文字をきれいにかきたい、おなじ文字はいつもきまったかたちでそろえてかきたい、という人間の欲求はつよいようで、ふるくはタイプライター、最近ではワープロやラベル・ライターの人気の理由はその辺にあるかもしれません。

しかし、なにもワープロやラベル・ライターのようなハイテクをつかったたいそうな道具ではなくても、文字をきれいにかくための道具というのはむかしからいろいろあります。

テンプレート
文字のかたちにほそい溝をきりぬいた定規。製図などでよくつかわれる。
ステンシル
文字のかたちにくりぬいてあなをあけた板(いた)や型紙(かたがみ)。これを文字をかきたいものの表面にあて、そのうえからインクやペンキをぬったりスプレーでふきつけたりすると、あなのあいた部分のかたちに色がつく(文字がかける)しくみ。
インスタント・レタリング
文字のシール。文字をかきたいところにこすりつけて転写する。
スタンプ
1文字1文字べつになったハンコ。

しかし、これらはみな、ローマ字(アルファベット、あるいは英数字)か、カナのものです。テンプレートというのは、おさつ(紙幣)ぐらいのおおきさにすべてのローマ字、あるいはカナがおさまっていますが、漢字というのは常用漢字だけでも1945文字もあるのですから、とてもおおきなものになるか、何枚もにわかれてしまいます。いや、それ以前に、漢字では画数がおおすぎてテンプレートにするのはムリです(あなをあけるのですから…)。ステンシルもおなじ。

インスタント・レタリングは、画数のおおさの問題はありませんが、文字数のおおさはどうしようもありません。ローマ字のものは、A5判ぐらいのおおきさにすべてのローマ字がはいっていて、よくつかう文字は、おなじ文字がいくつもはいっています。そして、文字の書体や色やおおきさごとにべつのシートにわかれていて、いろいろな種類があってつかいわけることができます。漢字のインスタント・レタリングというのもあるにはあるのですが、1文字ごとにちいさなシートにわかれていて、自分が必要な文字だけをかうようになっています。書体も3種類程度で、色、おおきさもあまりバリエーションがありません。しかし、それでも常用漢字1945文字だけそろえても、画材屋さんのおみせのスペースをかなりとってしまいます。ローマ字のインスタント・レタリングは、その何分の1かのスペースで何倍も書体や色のバリエーションをそろえることができるでしょう。スタンプも同様です。

タイプライターに関していえば、「和文タイプ」というものがありました。しかし、これはローマ字のタイプライターとは使用目的がことなります。ローマ字のタイプライターは「清書」の道具でもありますが「速記」の道具でもあります。しかし「和文タイプ」は漢字の活字を1文字1文字ひろってタイプするため、「清書」の道具でしかありえず、「速記」の道具にはなりえませんでした。

2.5 コンピューターと漢字

20年ほどまえ、「漢字に電気は通じない」といわれていました。コンピューターで漢字を入出力すること、画面や帳票に漢字を表示したり印刷したりすることは不可能とおもわれていました。

しかし、技術の進歩、とくに1980年代なかごろからの16bitパソコンの普及にともない、コンピューターでも漢字を入出力することがふつうにできるようになりました。ワープロもできました。

しかし、こんにちでも、漢字がローマ字(英数字)とおなじように入出力できているかといえば、そうではありません。余分なてまや資源を消費しているのです。

パソコンの画面に文字を表示したり、プリンターで文字を紙に印刷したりするには、文字のかたちをデータとして磁気ディスクやメモリーにもっていなければなりません。この「文字のかたちのデータ」を「フォント(font)」といいます。文字をコンピューターで処理するためには、文1文字1文字にコンピューターの内部処理用のコードがつけられています。たとえば<A>なら「41」、<漢>なら「3441」といったぐあいです。そして、どの文字コードのデータをどういうかたちでディスプレイに表示したりプリンターで印刷したりするかは、フォントによってきまります。

さて、ローマ字なら、その文字の数は数字や記号、アクセント記号つきの特殊文字をいれても256文字以内におさまります。この256という数字は一見はんぱにみえますが、コンピューターにとってはきりのいい数字です。メモリーやディスクの容量をあらわすのに「バイト」(byte)という単位をつかいますが、1バイトで表現できるデータの数が、この256なのです。つまり、ローマ字なら、1文字を記憶するためには1バイトの容量があればよいわけです。

しかし、漢字は常用漢字で1945文字、JIS(日本工業規格)の「X 0208 情報交換用漢字符合」でさだめている第1水準の漢字が2965文字、第2水準の漢字が3390文字あります。とにかく、256文字をこえています。ということは、漢字1文字は1バイトでは記憶できないということです。そのため、漢字1文字を記憶するには2バイトの容量をつかいます。ちなみに、2バイトでは、65536とおりのデータを表現できます。

もともとコンピューターは英語の国で開発されたもので、コンピューターがあつかう文字はローマ字(英数字)しかありませんでした。だからプログラムのほうでは「1文字=1バイト」とおもって処理すればよかったのです。しかし、漢字もあつかうようになると、「1文字=1バイト」としてあつかう部分(ローマ字の部分)と、「1文字=2バイト」としてあつかわなければならない部分(漢字の部分)ができてきました。そのためにプログラムが複雑になり、プログラムのおおきさもおおきくなりました。すると、機械で部品の数がふえると故障する確率もふえるのとおなじで、バグ(プログラムのミス)の発生確率もおおきくなります。おなじワープロでも、「英語版」ではちゃんとうごくのに「日本語版」だとちゃんとうごかない、ということがよくあります。

そもそも、ワープロやOS(オペレーティング・システム: コンピューターをうごかすための基本ソフトウェア)などのコンピューターのソフトウェアのほとんどは、海外でまず「英語版」が開発され、そのあとに「日本語版」などの「各国語版」がつくられます。このとき、おなじローマ字をつかっているフランス語版、ドイツ語版、スペイン語版などはすぐにできますが、日本語版や中国語版は2、3か月かかります。これは、文字コードが英語版とおなじ1バイトか、2バイトかのちがいによるものです。

ローマ字だけでなく漢字もつかいたいがために、日本のユーザーは欧米のユーザーにくらべて最新のソフトウェアをつかうために余計にまたされるだけでなく、品質的にも信頼性におとるものをつかわざるをえません。これは「日本語」という「言語」のせいではなく、「漢字」という「文字」のせいなのです。

また、漢字はローマ字にくらべて文字のかたちが複雑で文字数もおおいことから、フォント・ファイルのおおきさがローマ字のものよりもおおきくなります。どれだけおおきくなるかというと、バイト数にしてざっと2ケタちがいます。ローマ字(英数字)のフォント・ファイルは、1書体がだいたい数十キロバイトですが、漢字のフォント・ファイル(日本語フォント・ファイル)は1書体が数千キロバイトあります。それだけ磁気ディスクが余計に必要になるということです。フロッピー1枚にはとうていはいりきりません。また、コンピューターのかぎられた磁気ディスク容量のなかで、ローマ字のフォント・ファイルならいろいろな書体のフォントを格納しておけるところが、漢字のフォント・ファイルの場合はよりすくない、かぎられた書体のフォント・ファイルしか格納しておけません。

漢字はローマ字にくらべて文字のかたちが複雑である(画数が多い)ということは、画面に表示したりプリンターで印刷したりするときに、よりおおきい解像度を必要とすることになります。極端なはなし、ローマ字ならタテ7個、ヨコ5個の点(ドット)の明暗のくみあわせで表現できますが、漢字の場合はタテ・ヨコ16ドットずつでもじゅうぶんではありません。すくなくとも24ドットずつの解像度が必要です。小型の液晶ディスプレイで英数字とカナしか表示できないのはこのためです。

漢字をコンピューターで表示するだけでも、ローマ字だけのときにくらべて余分な資源を必要とするのです。この差は、いくら技術が進歩してもなくなるものではありません。

一方、漢字をコンピューターに入力するほうはもっと大変です。ローマ字はキーボードで入力します。ローマ字は数字や記号とともに50個程度のキーにおさまって配置され、これは両手の10本の指でじゅうぶんにあつかえる範囲です。キーにはそのキーをおすとどういう文字が入力されるかが印刷されていますから、それをみて自分が入力したい文字のキーをおせばよいのです。

しかし、何千字もある漢字がおなじキーボードでおなじように入力できるわけがありません。ローマ字を入力するときとおなじキーボードで漢字を入力するために、特別なソフトウェアが開発されました。「かな漢字入力フロント・エンド・プロセッサー(FEP)」などとよばれるものです。コンピューターで漢字を入力するには、いわゆる「英語版」のコンピューターの基本ソフトウェアにくわえて、このソフトウェアを追加で導入する必要があります。また、このソフトウェアを稼動させるために、日本語版のソフトウェアでは英語版のソフトウェアにくらべて余分なメモリーを必要とします。また、このソフトウェアは、キーボードから入力したカナ文字やローマ字を漢字に変換するために、「辞書」とよばれるファイルを磁気デ ィスク上にもたなくてはなりません。この辞書ファイルのおおきさが数千キロバイトあります。やはりフロッピー1枚にははいりきりません。

パソコンの磁気ディスク装置には、本体に内蔵されている大容量のハード・ディスクというものと、小容量ながら小型でとりはずしや携帯が可能なフロッピー・ディスク(ディスケット)というものがあります。本体のハード・ディスクがこわれると、パソコンをつかうための基本制御プログラムであるオペレーティング・システム(Window95、WindowsNT、MacOS、OS/2など)が起動できなくなります。これではなにもできません。そこで、フロッピー・ディスクにおさめた小型のオペレーティング・システムでとりあえずたちあげて、復旧作業をすることになります。しかし、カナ漢字を表示したり入力したりするためのフォント・ファイルや辞書などはフロッピー・ディスクにはおさまりませんから、このときはいやでもローマ字しかつかえないことになります。

まとめると、コンピューターで漢字をあつかうことはたしかにできるようになりましたが、以下のような余分なワークロードやコストがかかっていて、そのために品質(信頼性)もさがっているということです。

2.6 コンピューター・リテラシーと漢字

「リテラシー」(英語でliteracy)とは、「よみかき能力」のことです。「コンピューター・リテラシー」とは、コンピューターをしごとやあそびの道具としてつかいこなす能力のことをさします。

最近のコンピューターの基本操作のつかいがっては、CUI (Character User Interface) から GUI (Graphic User Interface) への変化や、マウス、アイコン、オブジェクト指向、機能の視覚化、メタファー(英語で metaphor: たとえ)などをつかうことにより、したしみやすく、つかいやすいユーザー・インターフェースになることによって向上してきているとおもいます。人間がわの能力はかわっていなくても、相対的コンピューター・リテラシーは向上してきているとおもいます。

欧米のコンピューターと日本のコンピューターを比較したばあい、基本操作のつかいがってには大差はありませんが、文字の入力に関してはおおきなちがいがあります。どちらも基本的にはタイプライターとおなじキーボードをつかっていますが、日本のキーボードにはローマ字のほかにカタカナが追加されていて、[英数]キーと[カタカナ]キーによって、「英数字モード」と「カタカナ・モード」をきりかえています。さらに、ソフトウェアとして「かな漢字入力フロント・エンド・プロセッサー(FEP)」を追加することにより、かな漢字の入力を可能にしています。

ローマ字だけの入力ならSHIFTキーのつかいかた(大文字や記号の入力のしかた)さえわかれば、いちおう文章の入力ができますが、かな漢字の場合は、「かな漢字変換」や「ローマ字かな変換」の操作をおぼえる必要があります。しかし、操作が複雑(変換・無変換・次候補・前候補・全候補・文節きりなおし・単漢字変換など)であったり、いろいろな入力モード(ヒラガナ・カタカナ・ローマ字・半角・全角・文字コードなど)があったりしますし、メーカーによってつかいがってがちがったりします。そのため、いろいろとこっけいなことがおこります。

エンド・ユーザー研修

たとえば、企業で「人事記録システム」とか「給与計算システム」とかいったコンピューター・システムをあらたに導入するとします。そのような場合、ふつうは「エンド・ユーザー研修」というものをおこないます。つまり、現場でそのシステムをつかう社員に対してそのシステムのつかいかたを教育するわけです。

このようなシステムは、ふつうはコンピューターの知識がないひとでもその業務の知識があればつかえるように設計されています。ですから、このようなエンド・ユーザー研修では、「コンピューターのしくみ」などのコンピューターに関する専門知識の教育はしません。「人事記録システム」なら「人事記録」の、「給与計算」なら「給与計算」の業務にそったシステムのつかいかたを教育するわけです。ほとんどの業務はメニューから番号をえらんで入力したりとか、マウスでアイコンをクリックしたりすればできるようになっています。

しかし、ひとたび人名や住所などのデータ入力で、漢字を入力する段になるとおおさわぎです。コンピューターをさわったことのないひとに、カナ漢字変換やローマ字カナ変換のしかたをおしえるのはホネがおれます。

本来は「人事記録システム」 や「給与計算システム」の研修のはずが、「漢字の入力方法の研修」におおくの時間をとられてしまうことになります。もちろん、ローマ字だけの入力なら、こんな余分な時間はかけずにすみます。

ブラインド・タッチ

キーボードをみないで、原稿や画面だけをみながらタイプすることを「ブラインド・タッチ」といいます。狭義では、原稿だけをみて画面をみないこと、すなわち入力された結果をそのつどたしかめずにどんどん入力してゆくことをいいます。

これができると、しごとの生産性がグンとあがります。どのキーがどこにあるかをおぼえればできるわけです。1週間から1か月も練習すれば、だれでもできるようになります。しかし、それはもちろん、ローマ字でのはなしです。

かな漢字まじりでかくとなると、狭義でいうほうのブラインド・タッチはまずむりです。カナを漢字に変換するときには、おなじカナ文字つづりに複数の漢字の候補があり、そのなかから自分の所望の漢字を選択することになりますが、これをブラインドでやるということになると、どのカナ文字つづりに対するどういう漢字が何番めの候補になっているということを全部おぼえておく必要があります。それはまず不可能です。

速記

タイプライターが速記録につかわれていることからもわかるとおり、ローマ字だけならワープロでも速記が可能です。しかし、かな漢字まじりでかくとなると、変換キーをおしたり、複数の漢字候補から所望のものをえらんだりするてまがかかるため、速記は困難です。カナ漢字変換プログラムが文節や複合語のきれめをまちがって認識してしまったときに、それをただしくきりなおしてやるということをしますが、こんなことをしていてはとてもおいつきません。

他人のコンピューター

自分のコンピューターはすらすらつかいこなすひとが、他人のコンピューターをかりると仮名漢字変換のしかたがわからず、初心者にぎゃくもどりしてしまうということがあります。仮名漢字変換の操作方法がメーカーによってことなるからです。

出張さきで現地のコンピューターをかりて電子メールをおくるとか、パソコン通信なかまのオフライン・ミーティング(ネットワーク上で、つまりオンラインではなすのではなくて、じっさいにあって、すなわちオフラインではなすこと、つまりは宴会)で、ノート型パソコンをみんなでまわして「よせがき」をつくったりするときなどです。

このとき、カナ漢字が入出力できればまだいいのですが、外国にいったときなど、ローマ字しかつかえないコンピューターしかないことがふつうです。こんなとき、どうしますか。日本語をすてて英語でかきますか。ローマ字でかいても、日本語は日本語です。

パスワード

パスワードというのは、コンピューター・システムの使用を開始するときに入力する「あいことば」のようなもので、本人しかしらないはずのものです。銀行のキャッシュ・カードの暗証番号のようなものです。

パスワードの入力のときには、他人にみられるとこまりますから、自分が入力した文字が画面に表示されないようになっているのが普通です。まったくなにも表示されなかったり、あるいはなにを入力しても「*」で表示されたりします。

ですから、カナ漢字変換の機能をそなえたシステムの場合、本人は英数半角で入力しているつもりが全角になっていたり、カナになっていたりして、ただしいパスワードとは認識されずにうけつけられない、ということがおきてしまいます。

欧米のコンピューターなら、つまりローマ字だけのコンピューターなら、おなじキーをおしたときに入力される文字は、大文字か小文字かしかありません。(「CAPS LOCK」(キャピタル・ロック)というモードになっていると、SHIFTキーをおさずに入力しても大文字になってしまいます。) ですから、そのことだけ気をつければよいのですが、日本のコンピューターの場合、つまりカナ漢字変換機能をそなえたコンピューターの場合は、たとえば[A]キーをおした場合に入力される可能性のある文字としては、半角の<a><A><チ>、全角の<a><A><チ><ち><ア><あ>の9とおりがかんがえられます。

漢字があるために、日本のコンピューター・リテラシーは欧米のコンピューター・リテラシーにくらべてつまらないところでおとっているといえます。これは、「日本語」という「言語」のせいではなく、「漢字」という「文字」のせいです。

日本語でもローマ字でかくようにすれば、欧米なみのコンピューター・リテラシーを発揮することができるはずです。

2.7 ファッションと漢字

Tシャツやハンカチやお皿などのデザインで、英語やフランス語の文章がずらずらとかいてあるのがときどきありますよね。でも、カナ漢字まじりの日本語文がかいてあるのはあまりみたおぼえがありません。「魂」とか「嵐」とかの漢字1文字だけをかいたものや、お経や中国の詩のような漢文のように「漢字だけ」というのはときどきみかけますが、「カナ漢字まじり」というのはあまりみかけません。

ふたむかしぐらいまえ、水森亜土というひとのイラストがはやりました。彼女のかくイラストには、かならずといっていいほど文字がそえてありました。フランス語か、ローマ字がきの日本語でした。「Ohisama poka poka, ii kimochi」などといったぐあいです。

これはどういうことでしょうか。どうも、「カナ漢字まじり文」というのは、ビジュアル・デザインとしてかっこよくない、というふうにうけとられているのではないでしょうか。ローマ字だけや漢字だけならそれなりにカッコいいとおもわれているようにおもいます。英語だからカッコいいとか、フランス語だから、中国語だからカッコいい、というわけではないようです。日本語でもローマ字でかけばそれなりにカッコいいとおもわれるようです。

渡辺淳一の原作による『失楽園』という映画が話題になりましたが、あのポスターには、かなりながい日本語文がローマ字でかいてありました。「失」と「楽」、「楽」と「園」のおおきな漢字のあいだに、ちいさくかかれていました。あれも、ビジュアルなデザインのカッコよさをねらったものだとおもいます。

流行歌のタイトルでも、ときどきありますね。たとえば、いまてもとにある月刊『歌謡曲』1997年7月号(通巻225号)のタイトル別インデックスをみると、

の4曲があります。

現在は休刊になってしまいましたが、「ジャップ」という季刊のファッション雑誌の編集長、伊島薫(いじま・かおる)さんは、写真につける文章やタイトルにグラフィック・デザイナーが英語をつかいたがるのは、ローマ字(ラテン文字)のみためのカッコよさに理由があるのではないかとかんがえるいっぽうで、日本人むけの日本語のファッション雑誌で英語をつかうのはおかしいともおもい、「ローマ字がき日本語」で誌面を構成することをおもいつきました。1996年冬の号(No. 11)から部分的にローマ字化の実験をはじめ、1997年秋の号(No.14)から、完全ローマ字化をはたしました。

「カッコよさ」というのは主観的なものですから、わたしの意見をおしつける気はありませんが、もし、みなさんが「カナ漢字まじりがき日本語」をすてて「英語」や「フランス語」かなにかでかきたいとおもったとき、その理由が「カッコよさ」にあるとしたら、「ローマ字がき日本語」もちょっとためしてみてください。しょせん日本人ですから、外国語より日本語のほうがかんたんですし、日本語でもローマ字でかくと、けっこうカッコいいかもしれませんよ。たとえば、歌のタイトルだけでなくて、歌詞をローマ字でかいてみたりしては?

3 なぜカナ文字はだめか

ここまで、日本語を表記するのになぜ漢字がぐあいがわるいかということをのべてきました。漢字のまずいところをまとめると、以下のようになります。

ここで当然みなさんがおかんがえになることは、「じゃあ、べつにローマ字でなくてもカナ文字でいいじゃないか」ということです。

たしかに、カタカナかヒラガナだけをつかうようにすれば、コンピューターの文字コードも1バイトですみますし、テンプレートやインスタント・レタリングも実用になります。しかし、現在の日本では、ローマ字による略語や略称、外国の人名や地名の表記などで、日本語文中にもローマ字をつかわざるをえません。つまり、カタカナかヒラガナだけでは実用にならず、ローマ字との併用になります。

ローマ字の大文字・小文字、記号、これにカタ文字やカナ文字でつかわれる記号などをいれると、カナ文字をカタカナかヒラガナのどちらかだけにしても、コンピューターの文字コードとしては1バイトでは不足します。コンピューターでカナ漢字がつかわれるようになるまえは、1バイト・コードにむりやりカタカナをのせたことがありました。このときは英小文字をはずしてかわりにカタカナをあてはめたり、おなじコードを英数字のモードとカタカナのモードにきりかえたりしてつかっていました。このため、ローマ字だけをつかっている外国とのデータ通信や、国内においても異機種間のデータ通信において、文字コードの非互換性の問題がおきてきました。つまり、「文字ばけ」といって、あるコンピューターではただしい文字で表示されるデータが、べつのコンピューターではべつの文字や意味のない図形で表示されてしまい、意味をなさなくなったり、まるっきりよめなくなったりするのです。

コンピューターは英語の国で開発されたものですから、どこの国のコンピューターでもローマ字は基本機能として共通にあつかうことができます。また、現代の先進国・文明国といわれるくにぐにのおおくでは、ローマ字がつかわれています。ローマ字以外の文字、たとえばロシアのキリル文字、アラビア文字、ヘブル文字、ギリシャ文字などには、ローマ字への転写法がISO(国際標準化機構)でさだめられています。ローマ字どうしでも、字上符などがつく、つかないといった若干の字形のちがいはありますが、カナ文字とのちがいにくらべたら微々たるものですし、代書法もあります。

カナ文字は日本でしかつかわれていない文字です。国際化社会のコンピューター・ネットワーク上における諸外国との情報戦で対等にわたりあいたいなら、ローマ字をつかうべきです。

4 ローマ字で日本語をかくうえでの問題点

4.1 よみにくい?

ローマ字がき日本語文について、まずいわれるクレームは、「よみにくい」ということです。しかし、そんなこと、あたりまえじゃありませんか。だって、わたしたち、現代日本人は、ちいさいころからカナ漢字まじりがきの日本語文をよむ訓練をずーっとしてきたし、それしかしてないんですから。小学校の4年生で日本語のローマ字がきをならいますが、授業の回数にして、3回か4回かぐらいのもんです。それ以外は、学校でも日常生活でも、カナ漢字まじりがきの日本語文をよむことしか練習していないんです。つまり、その「よみにくい」というのは、「よみなれていない」のまちがいです。

じゃあ、これからうまれてくる赤ちゃんが、あるいは日本語を勉強しようとする外国人が、カナ漢字まじりがきとローマ字がきのどちらが習得しやすいとおもいますか。何千字もの漢字をおぼえ、それぞれに対して何とおりもの音よみ、訓よみをおぼえ、おくりがなのおくりかたをおぼえるのと、大文字・小文字の区別をいれても52種類のローマ字と、それらをつかった二百数十個(そのうちふつうにつかわれるのは百ちょっと)の日本語の音節のつづりをおぼえるのと…。

また、カナ漢字まじりがきの文章は、速読がしやすいといわれます。いわゆる「ななめよみ」とか「ひろいよみ」というやつです。漢字の部分だけをひろってさーっとよめば、なにがかいてあるかだいたいわかるというわけです。しかし、「〜してください」と「〜してはいけません」とか、「〜である」と「〜でない」など、ヒラガナの部分によって意味がまったく逆になってきますから、それはちょっといいすぎではないかとおもいます。

もちろん、わかちがきをしないカナ漢字まじりがきにおいて、漢字が単語の認識に貢献していることはまちがいありませんが、ローマ字がきの文章、たとえば英語の文章でも、なれれば「ひろいよみ」ができます。

単語のつづりにはそれぞれ独特のかたちがあります。つづりがながかったり、みじかかったりはもちろんですが、とくに小文字でかくと、<g><y>のようにしたにとびだしている部分があったり、<i><j>のようにうえに点があるものがあったり、<t>のようによこ棒があったりします。これらのかずやならびや場所によって、単語のつづり全体をひとつの模様としてみたときには独特のかたちがあります。大文字ばかりでかいた文章がよみにくいのは、これらのかたちの変化がとぼしくなるためです。なれてくると、単語をそのつづり1文字1文字をみて認識するのではなく、全体のかたちをイメージとしてとらえて認識するようになります。そうすれば、「ひろいよみ」もできるようになります。

4.2 同音異義語がくべつできない?

現在カナ漢字まじりでかかれている日本語文をそのままローマ字になおしたときに問題になるのが、この問題です。ただしくは「同音異義語」というより、「同綴異義語」(どうてついぎご)、すなわち、「つづりがおなじで意味がちがう語」の区別です。漢字でかいたときに「子牛」「格子」「公私」「講師」「行使」「厚志」「公司」「公子」「高士」「孔子」などのようにべつの文字になる語が、ローマ字でかくとみんなおなじ<kousi>になってしまい、区別がつかなくなるというものです。日本語のローマ字がきを実践するには、まずこの「同綴異義語」を整理して、必要に応じてあたらしい語をつくらないといけないからたいへんだということです。

しかし、これは前述のとおり、はなしが逆です。漢字をつかっていたからこうなったのです。これらの漢語はもともとの日本語、すなわち和語(やまとことば)にはなかったもので、漢字の導入によってできた語です。文字がかわればコトバもかわるのです。

ローマ字をつかうようになれば、自然と整理されて、あたらしいコトバもできてくるでしょう。それには時間がかかります。現代の漢語のおおくは明治以後につくられた語で、100年以上の歴史があります。ローマ字がき日本語によるあたらしいコトバができるのにも、おなじぐらいの時間がかかるでしょう。(これは、(社)日本ローマ字会の会長、梅棹忠夫さんがよくおっしゃっていることです。)

また、同綴異義語には、漢語だけではなく和語もあります。たとえば<huku>=<ふく>は《拭く》《吹く》がありますし、<kiru>=<きる>は《切る》《着る》があります。

じつは、これらは音声のうえではアクセントで区別されています。その意味では、「同音異義語」ではないのです。もともと文字をもたなかった日本人としては、音声で区別されていればよかったのです。しかし、その音声を文字で表記することになったとき、区別できないのではこまります。

ですから、日本語のローマ字表記にはアクセント記号を導入する必要があるかもしれません。しかし、アクセント記号のついたローマ字はコンピューターの基本機能としてはあつかえません。なぜならコンピューターは英語の国で開発されたもので、英語がそのような文字をつかわないからです。アクセント記号やそのほかの符号つきの文字をつかうフランス、ドイツ、スペインなどではどうしているかというと、意味をとりちがえるおそれがない場合は省略しますが、それですまない場合はそれらの文字をもった独自の文字コード(いちおう国際規格はある)をつかうか、符号のつかない文字をつかった代書法をつかうかします。漢字やカナ文字ほどではありませんが、やはり不便です。

日本語のローマ字表記において、アクセント記号つきの文字をつかうか、あるいはおもいきってつづりがちがうべつの語におきかえるか、あたらしい語をつくるかは、その不便さと困難さのかねあいでしょう。ただ、アクセント記号を導入するとしても、アクセントは方言によってちがいますから、どの方言を日本語の標準として採用するかをきめなければなりません。これはなかなかやっかいです。現在は、いちおう東京方言が「標準語」というふうに、一般にはうけとられているようですが、これはテレビやラジオのアナウンサー以外にはまったく強制も教育もされていません。「標準語」のアクセントをただしく認識している日本人は、それなりの専門教育をうけたかぎられたひとびとだけです。

4.3 かきかたのきまりがない?

日本語のローマ字がきを実践しようとしたひとが、まずつきあたるのが、この問題です。日本語のローマ字がきの規則、あるいは規格は、あるにはあります。

などです。(くわしくはこのホームページの、「■ローマ字のいろいろ」をご参照ください。)

しかし、これらにはおおきくふたつの問題があります。

  1. 「わかちがき」の規則がない。
  2. <フェ><ティ><ツァ>など、外来語や擬音語・擬態語でつかわれる特殊なカナ文字つづりに対するローマ字つづりがない。

ということです。「BS 4812 : 1972」と「ANSI Z39.11-1972」では、いちおうこれらについても記述があります。しかし、わかちがきについては、つぎの文献を参照せよ、となっています。

Manual of romanization, capitalization, punctuation, and word division for Chinese, Japanese, and Korean, sec 8-11. Cataloging Rules of the American Library Association and the Library of Congress: Addtions and Changes, 1949-1958. Washington, D.C.: Library of Congress, 1959, pp 48-56.

わたしはまだこの文献をみたことがありません。入手は日本ではかなりむつかしそうです。

これらの問題を解決するため、わたしなりにかんがえてみた結果が、このホームページの「■海津式ローマ字」です。興味がございましたら、ご一読ください。

5 日本語はローマ字でかかなくてはいけないか

さて、最後にもうしあげたいことは、わたしは「日本語の表記をローマ字化せよ」と主張しているわけではない、ということです。わたしが主張したいことは、つぎのようなことをのぞむなら日本語の表記をローマ字化するしかない、ということです。

もし、つぎのようなことをのぞむなら、現在のカナ漢字まじり表記ほど最適なものはないでしょう。

さて、日本語のため、日本人のため、日本文化のため、日本という国家のため、さらには人類のため、地球のためには、どうするのがよいのでしょう。日本語は、国際化社会のなかでいきのこるべきでしょうか。そういうむつかしいことは、わたしにはわかりません。わたしにわかるのは、いままでのべてきたような、かんたんなことだけです。

おわりに

ここにかいたことは、わたしの想像や直感であったり、推測であったりすることがおおくあります。ちゃんとした論文にするなら、それらについてきちんと文献にあたったり、統計的調査をしたりして、検証をすることが必要でしょう。しかし、わたしには本来のべつのしごともあれば、ほかの趣味もあるし、家族サービスもするし、睡眠もとらなければなりませんので、そういう時間はとれません。ここにかいたことで、「それはちがうんじゃないか」とか、「それはこういう調査結果や実験結果がある」というかたがいらっしゃいましたら、メールでおしらせいただけるとたすかります。また、こういう作業をしごととしていま以上の給料・待遇でやとってくださるという奇特なかた、大歓迎です。


変更記録

第1.2版 (1999年12月31日)
第1.3版 (2000年8月4日)
「1-a 漢字は日本のものではない」の「漢字かぶれ」に関する記述を修正。
第1.4版 (2001年4月1日)
第1.4.1版 (2001年6月15日)
物理マークアップを論理マークアップに変更。
第1.4.6版 (2024年4月15日)
リンクぎれの修正。マークアップの修正。

版:
第1.4.6版
発行日:
2001年6月15日
最終更新日:
2024年4月15日
著者:
海津知緒
発行者:
海津知緒 (大阪府)

KAIZU≡‥≡HARUO