プロフィール


こんにちは。福田勝幸(44歳)と申します。
実は私は、10年前(34歳)までは、
とてもひどい花粉症に悩まされ続けておりました。

身の上話で大変恐縮ですが、
これまでの私の苦労と体験談に
少しだけお付き合いください。

    小学生時代


古い記憶で恐縮ですが、
小学校の4年生頃から春先になると、
鼻水と大きなくしゃみを連発していて、
友達からよく笑われていました。

その頃から母に連れられて
耳鼻科に通っておりましたが、
医者からは蓄膿症の一歩手前だといわれて、
「アレルギー性鼻炎」と診断され、
鼻の洗浄などをするために
よく通院していた記憶があります。

当時は、まだ「花粉症」という
言葉が一般では無く、
「アレルギー性鼻炎」とだけ診断されておりました。

そして、それは小学6年生の卒業式の最中でした。
どうしてもくしゃみが我慢できず、
体育館中に大きなクシャミの連発が響いて、
皆に注目されひんしゅくを買ったことを覚えております。

また、鼻水が止まらなくて、
新品の学生服の袖をテカテカに
してしまったという恥ずかしい経験があります。

    中学・高校生時代 


重度のアレルギー性鼻炎が全く治らないため、
母は心配して色々な治療や病院へ
連れて行ってくれるようになりました。

特に高校・大学受験のときなどは、
鼻水は止まらない、眼はかゆくて結膜炎になり、
頭がぼーっとして微熱がずっとあるような状態でした。

家で試験勉強するときは、
常に両方の鼻の穴にテッシュを詰め込んで、
ビチョビチョになると取り替える
ということをしておりました。

この頃は1袋500円もする漢方薬を飲んだり、
保険の利かない電気治療をしたり、
首に太い麻酔注射をする神経ブロック治療
など色々と試しましたが、
どれも効果はありませんでした。

    大学〜社会人時代(34歳で克服)


大学生時代は、3月〜9月頃まで
1日何度もくしゃみを連発して寮内に
響き渡るものですから、
また福田のくしゃみが始ったと、
ある種の名物になっておりました。

病院にも通って色々な薬を試していましたが、
全く効果はありませんでした。

中国のお茶が効くからと友人に教えられて
何種類か飲みましたが、
全く効果はありませんでした。

1つだけ完璧に症状が治まる
薬(副腎質ホルモンの錠剤)がありましたが、
副作用の眠気が強すぎて仕事にならず、
とても服用できるものではなく中止しました。

抗ヒスタミン剤も、薬の副作用が強い体質の私には、
眠気が強くて仕事にならずに
使えるものではありませんでした。
熱はないのですが常に微熱があるような
感じになって体がだるくてたまりませんでした。


社会人になると、一生治らないのかと
半分あきらめモードに入っておりましたが、
下記のようにあまりにも症状がひどいため、
色々な病院にダメもとで行きました。

そして私はやっと花粉症の症状を
克服する方法にたどり着き、
この10年間は花粉症の
症状から「さよなら」できています

                 
                                  <<私が花粉症時代の症状>>

そのため集中力がなく仕事の効率も明らかに落ちていまし、とにかく体がだ  
 るくて仕方がありませんでした

●鼻をかむと鼻水に血が混ざっていました
(鼻の粘膜の毛細血管がむき出しになっているためです)

●鼻をかみすぎて鼻の下がヒリヒリし、痛くて仕方ありませんでした

●会社の机にはティシュの箱をいつも置いて、帰宅するころにはごみ箱は大量
 のティッシュの山になっていました

●喉チンコの横当たりがかゆくてたまらず、あくびのような感じで口の中の筋
 肉を伸ばしていたので、周りからへんな目でみられることがありました

●両方の目じりがかゆくて我慢できず、結膜炎も併発しました

●鼻をいつもかんでいると、鼻水ではなく最後はタンのような黄色いものがズ
 ボッと出てくるようになりました。そうなると鼻は通るのですが、鼻の中の 
 湿り気がなくなり、鼻の中が乾燥しすぎて痛くて仕方ありませんでした

●寝るときも鼻が詰まっているため、口呼吸をしていました。すると、朝起き
 たときに舌が乾燥してカチカチになっていて、舌が普通に戻るまで朝食も食
 べれずとても辛い思いをしていました

●仕事中は鼻水がとまらないので、両方の鼻にティッシュをつめてマスクで隠 
 し、ティッシュが先っぽまで濡れてくると、またティッシュをちぎって詰め
 直しておりました。

●ご飯を食べている最中に、どうしてもクシャミがしたくなり、我慢すること
 ができず、食べ物を噴き出してしまいました(汚い話ですみません)
●おいしいご飯を食べていても、鼻詰まりのために全く味がわかりませんでし
 た。