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な が れ

つぶやき いきてる 回想日誌

くどう ひろし / KUDOO Hirosi


2018年12月27日から 年末年始 しばらく やすむ。

2018年12月26日。「水!」は 未開展句、「水もが」が 喚体句、「のまばや」は (略体) 述体句、「のみてしがな」も (転換) 喚体句 という 区別は、國學の 存在/希望の 白日夢。古代における 分析(熟語)形式「ま(く) ほし」や、中世における 複語尾「たし」の 述体句に よる 用法についても、尋常の 歴史的な 研究に したがわない。喚体の 無理で 述体の 道理が ひっこむ 図。『論』と『概論』とで ちがう「たし」については、國學の 時間ばなれの 本性が 露呈したと いうべきだ。山田は、明治 大正 昭和と 人事は つくして、老年の 危機に 《あるべかりし おこり》を「祈がふ」噴出と なったのだ。

2018年12月25日。一語文=喚体句を 言語の つたえあいの 原点として かんがえてもいいが、語と 文とに 分割できないのが、道具制作の 文化を もてない 動物の 信号であり、語と 文とに 分割できて、二語(構造)文を もつのが、文化展開を もつ 人間の 分節言語である という、社会的に 本質的な ちがいを 承認した うえでの 議論ならば、である。山田文法の「喚体句」は、一語文ではない。一語文に あたる ものは、「未開展句」であって、「喚体句」は 古典として 形式を ととのえた 句形式であり、特有な 構造(述体)句である。名詞止めとも いえない「希望喚体句」を ふくんで、「ゆるがぬが 國體」。

2018年12月24日。山田文法は、品詞を「本性論」で 不動のものと し、動詞/形容詞を 時間の 有無によって 峻別する。しかし、述語用法の 動詞は ウゴキ(有時間)であり、連体用法の 形容詞は サマ(無時間 性質)が「本性」であるが、アリサマ(時間内 状態)は 動詞の 連体用法(ex. いたむ 歯)と 形容詞の 述語用法(ex. 歯が いたい)とを 用言の 構文的な「運用」として 区別する。品詞は 本性論と 運用論とで あつかう べきなのである。「〜としての 区別」も、運用としての《構文的機能》が 別に はたらく ものを、本性論の なかに とじこめる ための 便宜である。語は 文の なかでこそ はたらく のだ。

2018年12月23日。用言のうち 動的な 用言と 静的な 用言とが 交錯して、「ある ― ない」「ちがう ― おなじ(だ)」といった ぐあいに あらわれたりして、おおくの 学者を なやませてきた。さらに「動詞 ちがう > 名詞 ちがい > 形容詞 ちがくない」といった 新交錯も うまれてくる。ちがいの おこりは、うまれる/発生する ほうが うごき/変化として とらえて いわゆる 動詞と なり、他方は 結果の 状態と みて いわゆる 形容詞と なる。現象は 二分ではなく、動詞は ウゴキ(有時間)、形容詞は サマ(無時間)は 本務であるが、アリサマ(時間内)は 無変化の 動詞と 述語用法の 形容詞とで 分担する。

2018年12月22日。おなじ 連体と いっても 「おなじ 本・こんな 本・かうべき 本」の ような《連体修飾》の かたちの ほかに、「値段が おなじのに・値段が こんなので・あれを かうべき 場合」の ような《連体述語》の かたちを もつ 特例が ある。「おなじ・こんな・べき」という もともと 連体の かたちに 連体述語性を 強調する「な」が 付加される 形式の 例である とともに、異同・指示・当然 といった 連体限定において 特異な 意味である ことも 気になる。少数の トリビアル(瑣末)な 例外例に すぎないのか、「かみは こまかな しごとに やどりたまふ」神髄/神技 のだろうか。

2018年12月21日。『広辞苑』を 「国民的」な 中辞典と うりだした(1980年代)のは、国民的な 人気を ほこる アイドル歌手と 同義だった のだろうか。「国民」が 人気絶大の「国民的」に 変質する「大衆社会」の 言語現象は、基本的に 意味の 希薄化だ。「全国区/地方区」の、芸能界における 人気度の 意味変化は 愚劣すぎる。大出版社の メインの 辞書の キャッチコピーが、「市民的な 文化 / 大衆的な 芸能」の 時代から 「家庭的な テレビ / 国民的な 天皇/皇室」の 時代へ、という イメージ・フィーリングの ファッションに ながされた わけか。天皇も 百恵も おなじで、漱石も ? 広辞苑も ??

2018年12月20日。だが、国語辞典の ましな ほうが「べき だ (連語)〔助動詞「べし」の連体形に助動詞「だ」の付いたもの〕」(大辞林)と いう ものだ。『広辞苑』は 「べきだ」の みだしすら ない。「べし」に、「口語では、論理的な固い感じの文章や慣用的な表現で用いられる」と ある。わたしの 近代語データベースでは、「べきだ」だけの 検索で 12,968例。明治の 漱石よりも、昭和戦後の 流行作家のほうが はるかに おおいし、翻訳小説や 新聞記事にも 圧倒的に おおくて、たしかに 近代語の なかでも 新興勢力である。しかし「論理的な固い感じの文章」という 評価は、同時代の ものではない。

2018年12月19日。「きれ(い)くない・Nみたくない」と 否定形として いう わかものが いると きいては いたが、なんの うたがいも もたない 学生に であった。念のためだが、「綺麗だ・Nみたいだ」の 否定形は「きれいでない・Nみたいでない」の ように 形容動詞(ナ形容詞)の 否定形だが、「きれ(い)くない・Nみたくない」と 形容詞(イ形容詞)の 否定形の ように いう のだ。いわば 少数派が 多数派に 同化される 例と いえるが、逆に「べき」は、「@ べし>べき>べい A べし>べきなり>べきだ」の 2支流が あり、@は 終助詞化して 関東方言に、Aは 形容動詞型活用で 標準語に 定着した。

2018年12月18日。グレップの「正規表現」については 技術的に こまかな 問題が あたらしく うまれてくるが、正規表現という いわば 群集合的な 数学の 問題に あたまを なやます よりは、少数の 基本的な 語形、つまり 用言の 終止述語用法に 焦点を あてて くわしく 研究し、複語尾の 用法全般として「べき」という 語幹形で 全語形も 検索し、大局的な 概観に てぬかりの ない ように 注意すればいい。つまり、機械(概要)と 頭脳(基幹)との つかいわけに 注意を はらう。機械の 開発期には 必要と なる 作業である。パソコンの 開発には 資金ぐりも 必要で、新製品が ボーナス時期に にぎわった。

2018年12月17日。「べきだ」の ばあい、文法分析においては「べきだ・べきである・べきです」や「べきだった・べきでした」などの 語形ごとに 用法の 記述を して、それらを まとめて あとで 集計 分析すれば いいのだから、最初から「べき」で グレップ検索を かける 必要もない。不注意な 語形の わすれを 確認する グレップの 必要がある だけで、それも なれてくれば、必要も ひくくなる。複雑な グレップを 必要と するのは 表記の 変異であって、文法的 資料づくりは 比較的 単純に すむ。ただし「(たぶん|多分) … だろう」などの 共起には 特別な 正規表現も いる。最初は ドタバタだった。

2018年12月16日。「べきだ」と「しなければならない」の 各活用形を 検索しようと、 |べき| や |なければならな| で グレップ検索を かければ、かるく 1万例を こえる 用例数が えられるが、外形別に (機械的に) 整理する だけで (精神的に) つかれてしまって、ていねいな 用法別の 試行錯誤には すすまない。外形的に きれいに 配列されている 用例リストが プリントされた だけで 満足してしまう 卒論執筆者も いたりする。そんな 世論調査の 集計表や グラフづくりと 言語研究を とりちがえている ような 学生が、パソコン研究 初期には いた。年度はじめの 提出願締切(変更不可)が 勝負だった。

2018年12月15日。国語研に いた ときは コンピュータ研究が 花形で、個人的には とくに「電算機」に 関心を もたず、ペンと ノートと カードの 研究だったが、東外大に うつって 授業を はじめたら、わたしの 板書の 文字が よめないと クレームが おおかった。とくに くずし字が 評判わるく、めんどうなので 「文豪」という ワープロ専用機を 購入して、板書が 必要な 文言は それで プリントを つくる ように した。パソコンに かえたのは Windows95 以後で、用例検索用の 資料も 電子化して 検索は 楽に なったが、記述の 質に関しては、まだ カードを いじって 分析する ほうが 自信が もてる。

2018年12月14日。家庭的な 事情や わがままで、国家有用の 人材を 養成する 大学に 移籍した 以上、ほかには みられない 授業を しなくてはいけないと おもっていた。個人的には、副詞と 叙法性と きめていたが、そう いっては 学生に ありがたみが つたわらないので、陳述成分と 状況成分と 述語成分との 構文関係を 専攻と した。補語〜対象語 または 連語論は サービスの つもりだったが、途中から 広義の「連用」の 対象(object) 限定 状況 陳述などの あいだの 関連に 関心が むけられていった。授業案 準備のために 勉強したのは、奥田靖雄の 連語論と、E.サピアの form と pattern だった。

2018年12月13日。国民設置請願の 国立国語研究所から、国家有用養成の 東京外語大の 日本語学科へ。家庭的な 事情も あったが、個人独立の 研究室が ほしかったのだ。移籍の 条件に 明示して、まわりの 先生に 迷惑も かけた。ひとりに なって、かんがえたかった。学生にも やさしく なく、孤高を 気どっていた。新規学科の 一期生には かわりものが おおく、卒論指導に 4人も きた。研究所そだちな もんで、教育の ことは なにも しらないので、もちまえに あかるい 学生たちから いろいろ おそわった。おしえかたは へたくそだが、授業内容は 最高級の つもりだった。ひとりで 気負っていた。

2018年12月12日。忘年会に あまり いい 記憶が ない。とくに 渡世の 義理で 出席した ばあいは、不愉快でしか ない。私憤だが、多少 公的な 事情も からむので、ゆるされたい。東大の 国語研究室会の 忘年会だったと おもう。東大 国語研 双方の 大先輩 Y氏が 酩酊後「東大紛争で 国語研究室会を つぶした うえに、おめおめ 国研に つとめている ような おとこは くびに しろ」(趣旨)と 爆発発言。良識派は にやにや 溜飲を さげ、最後は 林大国語研所長の とりなしを ひきだす 趣向。……… 反応が わかかった。東大国語研究室会には 以後 参加せず、事務妨害の 嫌疑の 国語学会からは 手を ひいた。

2018年12月11日。国語学の 歴史と いうのは、分化・統一の 進行方向への 展開の 記述・説明には ならなくて、淵源・成立の、ことの 由来の 解明・解説ばかりである。由来が わかって 安心する ルーツ志向も わからなくも ないが、習俗的に 一般化している 「神前結婚式」も、明治33(1900)年に さだめられた 様式だ という。「古式 ゆかしく とりおこなわれる」行事は 「ゆかしい」だけであって、古来の 歴史性が ある わけではない。平安神宮も 明治神宮も、ピカピカだ。《過剰同調》性が 日本社会に ねぶかく なる 過程は、安丸良夫1979『神々の明治維新』など 由来は ふるくはない のかもしれない。

2018年12月10日。「ものを しって、なにかを する」行為の 連鎖と、「ことが わかって、ことが おさまった」できごとの 収拾。知識と 行為とで あたらしい 事態を つくるのを 生活改善だと おもうか、叡智と 修理とで もとからの 状態を つづけるのが 天地自然だと おもうか。國學が いいのは、もちろん「自発〜無事」の 社会である。山田孝雄は、自身の 研究は もちろん、国語学全般の 西欧化も 極力 阻止したかった のであろう、『国語学史要』(1935 全書版)も「国語擁護の大恩人」馬場辰猪の 叙述で おえる。福井久蔵1934『増訂 日本文法史』の 書目解題 年次列挙の 真逆を ねらった のであろう。

2018年12月09日。ゲシュタルト心理学、場の理論(物理学)の 活躍に、論壇は 20世紀前半は わきたっていた。要素と 構成から なる 統覚の 時代から、構造と 機能との システムの 時代へ。言語学でも、文全体の 種別が 一般〜類型(特殊)的に 研究される とともに、その 部分としての 語の 文法手段として 動詞述語の 活用システムが 個別的に 研究された。日本では、19世紀以来の 文献学的な 研究が すすみ、諸種の 写本 校本の 整備や、口語資料として キリシタン資料 訓点 抄物の 発掘が すすめられたが、国語学の 世界的な 関心は、系統論と 音韻論とに かぎられ、他の 新潮流には 閉鎖的だった。

2018年12月08日。山田は 西洋の 文法範疇を 全否認した と いっても、格 提示(係り) 接続 間投など、構文的な 機能自体を 全否定した のではなく、その 表示の しかたが、パラダイム的 重義的な 語尾による 屈折語か、一覧的 単義的な 助詞 複語尾による 膠着語か、という 従来から あきらかな ちがいを 詳説したに すぎない。単独には「して あり>したり」から「した」への 要素の 変化が、「する・している」と くみあわさる《システム》の 構成力によって、用言の 複語尾(要素組織)から 用言複合体(河野六郎)を へて、用言活用形(奥田靖雄)が うまれる、と みとおす《構想力》が 必要なのだ。

2018年12月07日。山田孝雄の 戦後は、連歌道の 実践と 芭蕉俳諧の 語彙集づくりに ちからを そそいだと いう。対象指示的な 意味より、比喩的な 連想、もしくは 付け合い(対人関係)的な 交流に 重点を おいたか。戦後 増補の『俳諧文法概論』が あるが、「… よこたふ 天の川」に 言及は ない。「運用」中心で、「自他の 混用」などは 否定しただろうが、自/他動詞は 文法関係としては 否定的だった。ほかにも、性 数は なく、格〜自他は 助詞によって、動詞の ボイス アスペクト テンスは 複語尾の 統覚/陳述で 表現し、係り 接続など 独自の 助詞も あると、山田は 西洋の 文法範疇を 全否認した。

2018年12月06日。シナ語は、通常「君 弑せられ、臣 誅せらる」と 訓読する「君 弑、臣 誅」という 文も、より 直訳的には「君は 弑なり、臣は 誅なり」と 名詞文的に よんだ ほうがいい のかもしれない。いわば、主君は 切腹で、家来は 死罪だ、といった 構文であろう。「愛」という 語の ばあい、「愛情・情愛」と 名詞に「もの的」に 訳しても、「このむ」と 動詞に「作用的」に よむ ことも、「すきな」という 形容詞に「状態的」に よむ こともある。シナ語の「横」と、日本語の「よこたえる よこたわる」と、英語の "lay, lie" の 形式の 用法を みくらべるのが、言語対照の 文化比較の 基礎だ。

2018年12月05日。旧版古典大系46『芭蕉文集』(補注 p.218)、宮本三郎1966「校註 おくのほそ道」(p.159)から、宮本三郎の 主唱と 推定。かれの「自他の混用」は、言語的な 検討ぬきの、文学的な 解釈の 混乱である。シナ語には 自他の 区別も 名詞 動詞 形容詞の 語形別も なく、文法は 語と 辞の 配置に よる。現代日本語は 格助詞でも 自/他動詞でも 区別するが、古代日本語では、格助詞の 使用は すくないが、自他動の 区別は 語彙・文法の 基礎であり、文の 構図である。「自他の混用」など、国文学者の 漢文ぼけの 和漢混同であり、それを 批判できない 国語学は 日本語学としても 失格である。

2018年12月04日。西洋文法と 国学とを 折衷したのが 大槻文彦で、西洋文法を 十分に 摂取しながら、日本語独自の 近代的な 文法体系の 樹立に 成功したのが 山田孝雄だ、と 井の中の 論功行賞。「荒海や佐渡に横たふ天の川」では 「よこたふ=よこたはる」の 破格という、井の中で 半世紀以上 つづく 定説。名詞「荒海・天の川」に 格表示は なくて よく、動詞も 他動詞=自動詞だって、正気かい。漢文知識も 孤立語の 構文を 理解した うえで、膠着語の「身を横たふ=横たはる」再帰他動=全身自動の 解釈なら、挙例が 必要だ。補注例は 主客疑義。「荒海ガ佐渡ニ天の川ヲ 横たふ」も「簡勁」だろ。

2018年12月03日。19世紀の 言語学は 比較文法の 成功も あり、伝統的な 西洋古典学の 常識も もっていて、「文法範疇」は、ムード テンス アスペクト、格 ボイスに しても、ラテン文典の 分類法から まぬかれては いなかったが、米大陸の フランツ ボアズ1911『ハンドブック序説』の "Grammatical categories" は 《言語ごとに 独自の もの》として 規定された のである。「みとめかた」は もちろん、自発〜受身も 使役も「たちば」だし、「やりもらい」や「もくろみ」も 近代日本語の 文法派生範疇である。山田も、西洋文法を 軽視せず、日本独自の 積極的な「時の歴史」を といても よかったのだ。

2018年12月02日。山田孝雄を なざしての 批判ではないが、川端善明1965「喚体と述体の交渉 ―― 希望表現における述語の層について ――」も、亀井孝1970「"こくご" とは いかなる ことば なりや」、1974「天皇制の言語学的考察」(独語原版=1969の 抄訳)も、根柢的な 批判であろう。《歴史文法》の 言語史批判は 意外だが、奥田靖雄1953『正しい日本文の書き方』、1954「日本語の文法的クミタテ」が、単語の カワリカタ(形態論)と ナラビカタ(文章論[のち構文論])に わけ、実例なおしを しつつ 検証的に ルールを 概観したが、それが 歴史社会的に 発展分化する という 説明法は 画期的だった。

2018年12月01日。神州不滅の 国語学を 批判していた 戦後世代らが 議論して、21世紀はじめ 学会名としては 日本語学会に かえた。数年後に『日本文法論』刊行100周年を 記念しての シンポが 開催され、『山田文法の現代的意義』も 刊行された。「山田文法の有する現代的意義」が かかげられ、批判の 言辞が ほとんど なかったのは おどろくべき ことであった。まじめな 研究者は 寡黙に、解説者は 饒舌に が 世の ならいで、死者を けなさぬ 日本的な 美徳が、処世的に 解説を にぶらせたか。亀井孝、奥田靖雄 といった、おそれを しらぬ 批判家が 生前 山田を 論じなかった こと自体、事件であった。

2018年11月30日。2600年前の事実=中心の年輪 …… 神武天皇=昔話。この 点線「……」の 関係は、ふつうの 真偽の《意味》の 喚起ではなく、にたもの の《たとへ》の 喚起である。和語の「たとへ」は、ふるくから 例示と 比喩との 多義を もち、「比喩的内部言語形式」(A.マルティ)を 二重に もつ。具体的な 類同(例示=なかま)と 具体的な 相似(比喩=にせもの)との ふたつか、その 混同である。例示が 知的に さぐり もとむ 行為だとしたら、比喩は 信的に いのり つなぐ 行為である。「Aは Bだ」の 構文が、同類の 関係説明か、別物の 相似描写かは、語の 意味が 知的に 規定する。信では ない。

2018年11月29日。山田孝雄『論』においては、空間時間の 形式は 体言として 組織され、その 様相は 情態修飾の 一部として 位置づけられ、用言の 陳述の 種類としては 否定される のである。代名詞や 数詞と おなじく、「時詞」は 形式体言の 一部として 記述しても よかったのに、「時間形式」の「形式」と「形式体言」の「形式」とでは 異質で、意味の 問題として 文法から 捨象した。「二千六百年前の事実がこれを輪切りにすれば中心の年輪として存在してゐる………神武天皇様の御代のことは昔話としてでなく、現に存在してゐるのである。」(1943年中央公論。丸山眞男著書より まごびき)と いのる。

2018年11月28日。山田1908『日本文法論』にとって、「文法上の時の論」「時及処の副詞につきて論ず」の 2か所で 時(tense)否定に ふれているのは、おまけではない。古代を 闡(宣)明する 國學文法の 大成にとって、テンス アスペクトの 否定、西洋文法 西洋心理学との 対決は 重要な 案件であった。西洋の《陳述=叙法+時制+人称》に対して、日本の《統覚=(述体+喚体) > 陳述(≒叙法)》を 対峙できて、日本精神の 精華たる「てにをは」、《助詞+複語尾》の 二大組織が まもれる。逆に 日本文法学としては、山田の《喚体(体言)+時論(用言)》の 日本特質論を ただしく 批判しなければならない。

2018年11月27日。アスペクトの 完了/不完了 という ペアも、到達=点相か 途上=線相か という 動作局面〜観点の 差だろう。「アスペクト論」とかの 精密な つかいわけについては 詳解の 説明書に なるのだろうが、「はえぬき」は くわしい 説明は できなくても、行為的に 無意識に つかいわけている のである。はえぬきが 直観的に 納得できない ような 説明は、学者=観察者の (無数に 可能な) 理論的な 帰結群であるが、はえぬき=表現者の たちばからの 用法確認を うける「仮設設定(abduction)」が いい。個々の morphemes でなく、構文の patterns と types とが《もとめる めあて》である。

2018年11月26日。自/他動詞を 基礎として 区別する 言語は、日本語のように 語彙形態的であったり、英語のように 構文位置的であったり するが おおい。また、ロシア語や アラビア語のように 完了(体)/不完了(体)動詞を 基礎に 区別する 言語も 有名だが、意志/無意志動詞を 基礎区別に する 言語は、あまり 一般には きかない。日本語では、自他(格関係)の つぎに、古代語の「ぬ/つ」「る/す」など 無意志/意志動詞 分割が 位置する。ついで 「自他の詞 六段」など たちば性(diathese)と、文陳述としての 叙法性(modality)とが 分化する。aspect は 中世以降だ。山田文法は 國學として 無視した。

2018年11月25日。「こまった ときの 副詞だのみ」で、話題に こまった ときは 副詞の エピソードで ごまかしてしまう ことに するが、自分から よみもの化は しない ように したい。「副詞研究は、今期も論文数の多い領域のひとつである」という 学界は よろこばしい ことなのか。別の 展望者には「テーマが細分化されてきた印象が」ある としたら、期待は もてない。「はきだめ」や「ふきだまり」として 調整・ガスぬきされている だけかもしれない。「学界展望」とは そもそも 大局を みとおす つもりなのか。1908年の 山田文法に 匹敵する ような、新世紀への 地殻変動の きざしは みえないか。

2018年11月24日。「つい やってみた/みたくなる」ことは 《できれば さけた ほうがいい 事態》だろう。「つい うっかり 手を はなして」と いえば、手を しっかり はなさない ように 注意すべきだったのに、注意力 散漫で という 意味あいだが、「うっかり」を のぞいて いえば かならずしも 責任を とう ことには ならない。「つい うとうと してしまった」こと自体は、せめる 意味は ないと おもう。だからこそ「つい うっかり …」とか 「つい 気を ゆるして …」とか、評価的な いいまわしが つけくわわる のだ。「つい」も「ふと」も、スル行為ではなく ナル状態であって、老人描写に おおい。

2018年11月23日。ふと かわった こと、副詞の あそびを やってみたく なった。ふと、無意志的事態と 意志的な 行為とを 相互に 交換する 文を つくってみたく なった のだ。「ふと やってみた」という 文は、無意志の できごとなのか、意志は あるが、目的が さだかではない ことなのか。「ふと うっかり おとして、わってしまった」のは、行為自体は 反意志(不注意)的だが、社会的な 責任は とわれるだろう。「わった」人間が おとな か こども かでも、責任の とわれかたも かわってくる なんて めんどうだし、時代とともに、語頭音も *P→Ф→Hと かわり、意味の 着眼点も 微妙に 移行した 語だ。

2018年11月22日。副詞は、東京外語では 一度も 講義しなかった。演習の 時間に いくつかの 論文を 意味論の 論文として よんだ ことがある だけだ。助詞 助動詞、せいぜい 動詞形態論が 文法の 定番の 時代だった。擬声語 擬態語が 留学生教育には いちばんだ という 貴重な ご経験の 老教師が いたので、黒板いっぱいの うつしとりを 強制される オノマトペアの 授業は、もう みたくも ないと 留学生から 先制パンチを くらっていた のである。テレビの 番組で「ショムニ(<庶務二課)」が かっこよく はやっていたが、職場の 実態は 「窓際族」職員の ふきだまり という 感じ(=副詞)であった。

2018年11月21日。叙法性 modality を 主題目とした 講義は、この 最終年度と、学科1期生が 後期課程に すすんだ 最初の 1987年度だけだった。その他は 日本文法概説の 解説授業。日本語教育に あまり やくだたないと 評判の 授業だった。自分の 勉強に という ことで、去年は 概説+格(約1/3)だったから、今年は 概説+ボイス・やりもらいで、来年は 概説+テンス・アスペクトだ という ぐあいに、すこしづつ かえていった。

2018年11月20日。わたしが 脳幹出血で たおれた 2008年って、山田孝雄没後50周年、『日本文法論』刊行100周年だったんだね。きょうが 山田の 命日。2008年度後半は 週1日 水曜日のみ勤務に 軽減、産業医/看護師の 診察/連絡日に された。2009年4月からの 定年前 最終年度の 講義準備に 専心できた(「しごと」に 講義プリント 掲載)。気力だけは はりきっていたので、体力も ついてくる ように リハビリ日課の 水平歩行と 階段上下に まじめに とりくんだ。あれから もう 10年 か。「一病息災」という もじりの ことば、いつごろから 辞書の 見出しに あったのかなぁ。わたしには「新語」だった。

2018年11月19日。『文法と意味 U』は どう なっていたかな と ウェブを さぐっている うちに、へんな はなしを おもいだしてしまった。―― わたしの「尾上」は、(歌舞伎のとは ちがって) オノウエと よんでください という 元気な 新3年生が いた。「をの うへ > をの へ」と ことばは 縮約する ものと おもいこんだ 図式復元らしい。のちに、同音語回避の 語形伸張も 想定する 川端善明の 活用(文法)成立論との 遭遇は、さぞかし「回心」的だった ことだろう。まわりにも 縮約論に 批判的な 研究者も いたのだが、大野晋+岩波文化「市民」連合は、学界を こえ fashion づくりが うまかった。

2018年11月18日。そんな 大層な ことばの《発声》器官と いっても、それを 専門に する 器官は 原音を つくる 声帯以外には ないのだ。原音に 調節を くわえて 分節音の くみあわせに 調音(調理)する、口は 飲食用、舌は 味覚用、鼻は 呼吸用 という わけで、動物器官としては 生命維持機能から 派生した 機能なのだが、《協働》機能の 《配置》効果が おもわぬ 交配を うむか。なんか、《構文》に にてくる んだよねぇ。

2018年11月17日。知覚可能な ことばの 音形と、知覚不能な 心理(意味)作用とが 習慣的に「喚起〜連合」しあう だけの ことなら、「種族保存」に 適する 程度に「つたえあえ」ればいい のであって、すべてが 通じあえる 必要も ない。場面しだいで むすびつきかたも ちがっていき、「習慣・しきたり」の 歴史的な うつりゆきも 当然だろう。「価値」を しって、境遇・状況に応じて 価値のために 生き、自滅のための 大量殺戮と、生命改変のための 遺伝子くみかえ・クローンの 技術まで 明示的な 記号として もってしまった 人間だけが、暗示的な 智恵の ことばを もつ という、せすじの こおる 冗談。

2018年11月16日。「名をもて 物を ことわり、よそひをもて 事を さだめ、かざし・あゆひをもて ことばを たすく」―― 「ことがら」を 分析して 対象=体言「もの」を わりだし、用言「よそひ」で 「できごと」を さだめる。補助語「かざし」と 助辞「あゆひ」とが 「ことば」(文の ほねぐみ)を たすける。―― 病死を 覚悟した 冨士谷成章(1738-79)が 後世に 口授した「ことだま」の 説。むだを 極限にまで そぎおとした 抄。「里言」で 学問を きりひらいた 最初の ひと。解説を 無用に したい。

2018年11月15日。山田文法の「希望喚体」という 体言句の あつかい、「文法上の時の論」という 用言複合体の 古色蒼然とした 複語尾=陳述曲折の 2つの 話題については、「最後の 国学者」に 敬意を はらって、こんご 直接には 論じない。剣術にも「寸止め」が あるのだから、学問にも「見て見ぬふり」が あってもいい。それとは べつに、馬場辰猪、大槻文彦、松下大三郎、佐久間鼎、三上章、奥田靖雄 といった ながれを みとめる ことができる のである。相互に 批判しても、状況(時間 空間)、存在、主体、規準、希望 などの、「価値」に かかわる 抽象概念は 通じあい/つたえあいが できるのか。

2018年11月14日。「なにか したい」気もちは いきていくのに 大切な ことであって、希望の 目標状態性を もった 動詞句述語である。喚体性や 終助詞性を 中心に 分析表現「ま(く)ほし」も もつ 古代語とは、おおはばに ちがう。中世以降の 動詞句「したい」を 中心とする システムとは 歴史的変化と みるのが ふつうだが、山田は そうは いわない。喚体性は「国粋の華」だと いいたい のだろう。「喚体性」は じつは 名詞止めの 普遍的な 表現なのだが、「(連体句が 不要の) モノもが」という 古代歌謡の「希望喚体」の 様式美と、疑似一語文「水だ/を!」の 未展開性とを 巧妙に 配合した のである。

2018年11月13日。太平の世のなかで このまま しんでいきたい。うまれるのは ははおやからだが、しぬのは どこか、ともかく ひとりだ。事故による 大量死でも、心中でも、死は 平等に ひとりづつに くる。失敗も ありうる。「しにあう」ことは できない。孤独死か どうかは、いきのこった まわりの 人間の 問題で、かんがえても しょうがない、とまでは かんがえて、やめる。頭脳の 浪費だと おもいつつも、ときおり おそってくる 煩悩だ。だが、かいてるより たべる ほうが たのしい。きょうは ○○を たべよう/たべたい と おもわなく なったら、おしまい かもね。この おやつも けっこう いける ねぇ。

2018年11月12日。逆に、「はなしあい・たすけあい」など まともな 意味で 大切な 対人関係も、一日一善的に おしつければ、「せけん」の「しきたり(し来り)」の「過剰同調」に なってしまう ような 気がする。上部では 上意下達の 一方通行、下部では 町内の「話し合い」と 隣組の「助け合い」なんて じっさいに あったのだ、無限無責任の 天皇制 社会組織を 総点検しないと、絶対専制の もとでの「はなしあい・たすけあい」は、「おしつけあい・もたれあい」の 《同調精神》で しなだれかかってくる ような 気もする。形式民主という「なれ-あい」も 厳重注意で、ぬるま湯も ファシズムの 温床だ。

2018年11月11日。「通じ-あい・つたえ-あい」は 心理面/情報面への かたよりを もちながらも、どちらも、inter- とか com- とかの、接頭辞の あらわす 関係的な 意味を 日本語にも あらわしたいのだが、和語「つたエ/ワる」 漢語「伝-・-達」にしても、情報出発地点から 到着地点への 移動を 比喩的 意味関係として 表示している。「伝達・通達」が きらわれる 理由は、官僚的な 上意下達の 一方通行社会に ある わけだから、言語意味論としては 言語の 意味というより、connotation(言外の意味) の 問題である。「伝達」が まともに つたわらない 元凶を なおさないと、おなじ くりかえしだろう。

2018年11月10日。「いいたい ことを つたえる」「つたえたい 内容が きちんと 伝達できた」という ときの「つたえる・伝達」という ことばに 不都合は ない。「ふたりの きもちは よく つたわっていた」にも、問題は ない。「言語の 伝達性」と あらためて 規定すると、「つたえあい」(西江雅之)と 交互性を 強調したく なる。官僚社会の 一方的な「○○賞の 伝達式」や「指令の 通達」が はばを きかせて、人間の 社会性の 根拠としての ことば行為の《交互性》に ねづかない「上意下達の 一方通行社会」だからか。「通じあい」(1957 西尾実 国語研初代所長)の 研究も 提案されたが、ねづかなかった。

2018年11月09日。この「ながれ」も そろそろ 4か月に なる。律儀すぎる かな。なんたって、中高一貫私立校の 6年間、無遅刻 無欠席の 皆勤賞だったんだから、ねっから こり性なんだろうね。まるで 排便、でないと おちつかない っていう 性格は、なおせる ものなら なおした ほうがいい よな。ときに「ながれ」を やすんで、山田孝雄批判を まとめたり、つっぱりたい 時期は 奥田 集団研究 疑義を かきなぐったり、もう ちっと 自在度の たかい サイトの 運営も かんがえてみたい もんだ。ながさも、たまには みじかくたって いいんぢゃ ないか。と いいながら、どうでもいい ことを 字数あわせに …

2018年11月08日。としを とると、おおきな はなしを つくる ことが かんたんには できなく なる。全角 140字以内という 「つぶやき」が、こまぎれながら ぼろが でにくく、回転の おそい 頭脳に ちょうど いい「ちいさな ものがたり」なのだろう。消極的には、ひとりぐらしの としよりの ぼけ防止の ことばわすれを ふせぐ ために、ちょうど いい ながさなの かもしれない。「神は こまかき しごとに やどりたまふ」という 信心は、としよりに みあった「たてられる 日々の 目標の おつとめ」なのであろう。おおきな チャレンジは あきらめて、こまかな エピソードの つみかさねに 努力しよう。

2018年11月07日。「対象は 研究者が つくりだす」は、むろん 比喩である。「研究対象に なる 素材は、研究者の 観点によって きりとりかたが ことなるから、研究者の 研究対象は 観点ごとに ことなり、人間が つくりだした ような ものだ。」というのが、すなおな 解説であろう。人間は 自分の ために つくった 時計に しばられる ことも ある。研究者の つくった 語や 形態素という 単位(道具)が、うまく はたらかない ばあいも ある。補助語も 語には ちがいない、と わたり(移行性)を みとめず、自立語2語の 連合と 自立語と 補助語との 補助結合との ちがいを みおとしたら、研究の 自縄自縛だ。

2018年11月06日。「ふったろう」は 1語で 過去推量形だが、「ふった だろう」は 2語で、動詞過去形+付属語推量形の 結合だ という、宮田 寺村に 共通する ような 解決法は、「後続動詞〜判定詞」の 発見は 一歩前進だが、文中での 部分としての 機能を みそこなったのは 二歩後退である。"hutta daroo" が どうして 1項の 述語として 文のなかで はたらくか、自立項と 補助項とを 識別し、あらたな 結合を 法則化すべき なのだ。山田の「情態副詞+存在詞」分断、時枝の「詞辞非連続」と おなじ 純血主義=混血の 異端視は、《形式分担×機能統一》は 新勢力に なれない 反進歩の 思想なのだ。

2018年11月05日。前/後置詞、接続詞(つなぎ)、助動詞(むすび)の 3大補助語は、おおくの 言語に みられるが、構文機能が 普遍的なのであって、形式は 言語的に さまざまだ。英語の 前置詞が 語前置なら、節前置なのが (従属)接続詞であって、じっさい "as" "than" など 両用法を つなぐ ものも 存在する。日本語でも 「Nの ために」は 後置用法、「Vする/した ために」は 接続用法に あたる。機能分類と 形式分類の ズレは つねに 問題と なり、「のだ・ので・のに」を、三上は 準詞「のだ」の 諸活用形と みたが、奥田は 「のだ」は 文末 むすび、「ので・のに」は 節末 つなぎと 区別した。

2018年11月04日。品詞(話部 parts of speech)は すべて 単語で なければならない のだろうか。ネイティブが 常識的に、自立語と 付属語(機能語)や 助詞(助辞)などとを 区別する 言語において、それらを 対等に 1語づつだと する 普遍的な 根拠は ある のだろうか。たまたま 印欧語が 語尾屈折の 形態が 同格並置に 配列される 言語だったから だけなのかもしれない。近代的な 補助機能に 特化した「冠詞・後置詞」などを 他の 語と おなじ「単位」に しなければならないのか。「品詞=語」が 「記号素(形態素)」に 統一されて、たとえば《自立語 補助詞 付属辞 …》の 多層的な 組織に なったか。

2018年11月03日。人文科学における 共同研究の 問題は 『思想の科学』や 京大人文研や 国語研も 問題が いろいろと 論じられたが、『国語副詞の史的研究』も、浜田敦と 大阪市立大の 共同研究者との あいだにも 微妙に 論調が ちがった。浜田の 論文には かならず「やうやう」と「やっと」の ほか 「やはら・様々」など、語彙的な 関連が 積極的に とりあつかわれる のに対して、塚原・井手ら 共同研究者は 遠慮なのだろうか、他語との 比較が ない。「あながち−せめて」「あながち−かならずしも」についても、浜田は 言及するが、わかいひとは 言及しない。外部、たとえば 渡辺実にも 伝播しない。

2018年11月02日。気象通報の 威厳を たもって「あめも ふりましょう」と 文語体で いうのを「ふるでしょう」に かえた ほうがいい という「ことばなおし」の 実践のなかで、歴史的な 規範文法を めざす『正しい日本文の書き方』(1953)は、「ふったろう」ではなく「ふっただろう」を 採用する。共通語(東京語)の 用法優先であって、形態つくり優先ではない。田丸文法や 宮田文法の ローマ字文法とも この点で ちがう。Energeia(フンボルト) としての「文法的な 形」(サピア)を 組織化する「文法的な カテゴリー」(ボアズ)が 奥田言語学の 基本形成(form)であり、Ergon としての 形態(morph)ではない。

2018年11月01日。1)の 係→格の 変化は 山田孝雄も 認識したが、格 対照(副)関係の 明示を 発展と みず、係結び組織を 尚古的に 解明した。山田1908『論』以降 国語学主流も 音韻面に 局限し、形骸の 歴史。2)の 用言活用は 奥田靖雄が 1953年に 図式化した。形式的には 「む」の「V-う」と「Nなら-う」への 分化だが、機能的には 「する⇔しよう」「する⇔するだろう」という、動詞文の 叙述/意志、断定/推量の 叙法対立に なった。「する⇔した」と「する⇔している」の 時制(存在変容)の 二重対立も 並行した。3)の 副詞も、おなじころ 浜田敦が 中世以後の 特質と みて、共同研究も 組織した。

2018年10月31日。日本語史の 3大近代化としては:1) 体言は 係り(結び)から、格+対照(とりたて)の 二重システムに、2) 用言は 複語尾複合体から、叙法+時制の 2重対立パラダイムに、3) 副用語は、2種3類の「制限詞」の システムに 分化し、とくに 情態副詞ならぬ 様相詞が あらたに 成立する。結果としては、4)「あゆひ」は 個々の 要素から カテゴリ化して 整理され、あまり〜のこりは 制限詞に 独立して、「かざし」(補強語彙)として 「先行放出」された ものと みられ、付着混合性より 成分組成性が たかまる。河野六郎の 言語類型論に 言語接触・収束発達に よる 小修正を くわえたい。

2018年10月30日。様相詞は、動作様相、行為様相、行動様相の 3つを かんがえている。中世以降の 近代日本語に めだって ふえた 動詞文の 用法制限としては、無意志的な うごき面を 《とき》の 様相で「やうやう・やうやく・やっと」とか; 生産など 行為を ヒトの 《意志》と コトの 目的との 関連で「ひたすら・かまへて・ふと」とか; ヒトの 行動が 他者と どう《構成》されるか で「たがひに・それぞれ・ぢきに」とか; 限定する。「しづかなり」は、情態副詞+存在詞でも、体言+陳述辞でも、形容動詞でも いいが、動詞文成分に 新成分の 様相詞を 発見できない 歴史眼ぢゃ どうにも いけない。

2018年10月29日。脳幹出血で 生死を しばらく さまよい(2008/07)、かくのは いきのびた いまでしょ! と なったのが、「様相(副)詞」である。いまも おぼえている、大学定年退職(2010/03)直後の 4月第1日曜日中に 出版社に メール添付で 送付した のだった。尋常ならざる 送付状だったのか、わかちがきも 用字法も、斉藤編者と 松本編集長の 英断で 《原稿どおり》と みとめられた。身体障害(長嶋茂雄と 脳・半身とも 左右 逆)の 60歳代なかばの 年金生活者と なり、研究所の「ノート」が よかったのか、量的には 生涯 いちばん 生産的だった。職業倫理は すて、文筆は 気まま・気楽が いいのか。

2018年10月28日。森重の「程度量副詞」のなかには、現実程度量の いわゆる 程度副詞の ほかに、実現程度量の 対象性の ものとして いわゆる 陳述副詞も あるし、実現程度量の 作用性の ものとして ヒトの 意志と コトの 実現との 関連の ものや、「副詞に独自なもの」として「時の副詞」も ふくむ。本人も いう ように「程度量副詞は 意味分化が 特に 複雑である」のは、いわば 少数の 副助詞の、しかも 古代語の 分類に、比較的 多数の、中世以降の 副詞分類を あわせた からだ。「○○の 程度量」は、古代ではなく、明日の 必要も みて、今日に 展望すべき なのだ。原因は 過去に、目標は 未来に。

2018年10月27日。「副詞」の 相方は 「助詞」や 「あゆひ」ではなく、「体言結合体」や「用言複合体」なのである。「副詞・助詞」の ような 品詞=文の要素(部品)ではなく、文の部分論という 構文=文の構造(部分)なのである。[体言+静辞]+[用言+動辞] による 核文の まわりに ちりばめられた 小詞(particle)である。無数の 語彙と 少数の 文法との 中間に、文法機能に 特化して 先行する「半閉」の 補強語彙である。「つ・ぬ・り/き・けり」の これまでを 物語る「助動詞」が 不要に なり、「ふと・かまへて/かねて・やっと」など これから(時/意志)を 定める 副詞が 必要だった のだ。

2018年10月26日。ああでも ない、こうでも ない の 連続であった。副詞が 「程度量」という 量的な 面を 表現し、動詞述語が 「陳述」という 質的な 面を 表現するのは 森重『通論』の 体用相機構と 副詞助詞機構とで おおよそ わかったが、動詞文「せむ」は 「しよう−するだろう」とに 分化し 「した φ/だろう」は 措定(知覚)/推量(思考)という 認識差に あらわれるが、名詞文「ならむ(だろう)」は 分化せず、断定/推量という 判断の 確実度に 移行すると 奥田述語論が 内部展開するのを みて、品詞(話部)を 基礎に、用言が 文法範疇を、副詞が 語彙種別を しめすと 文の 大局は 理解できた。

2018年10月25日。しばらく 観念弁証法の 代表 森重敏と、唯物弁証法の 代表 教科研文法(奥田+鈴木)との 両方を とらえてみたい という 野望を もってしまった。時枝文法と 教科研文法との 弱点であり、同時に 西洋文典の 争点でもある、「副詞」論に 焦点を しぼっていった。というより、「(名詞)格関係」「(動詞)陳述範疇」を 基礎に 文法の 骨格を つくっている、教科研文法(普遍文法型)、時枝文法(入子型)、西洋文典(天秤型)の 手うすな 研究領域に ねらいを さだめた といった ほうがいい かもしれない。「副詞」と いっても、「社会福祉?」と ききなおされる 時代だった。競争も なかった。

2018年10月24日。『広義「連用修飾」…』には「主語論」も 当然 はいる。森重 敏『日本文法 ― 主語と述語 ―』に対する 鈴木重幸(+奥田靖雄)の 書評と その「反論外」の 関係も あり、また 三上章や 渡辺実や 橋本進吉の 問題も あって、おおきく あつかったが、その後は なるべく さけて とおった。主語問題は 特殊日本語の 形式として 収斂する よりも、認知的基盤としての 普遍文法の 機能として 拡散する ように おもった。研究の 対象と 方法の 面で 範囲を しぼっていったが、森重敏と 川端善明は、副詞の 見識性の たかさで はずせなかった。橋本・時枝は、常識的で 検証不要だった。

2018年10月23日。零記号 シーニュ・ゼロが 外形的な 記号の 有無という 現象、欠如的対立 有標/無標が その 現象が「対立」関係に ある ことに 注目するが、音韻論では minimal pair を 指摘する ように、純一な 関係が もとめられた のに対し、文法論では 意味機能が「なん重にも」かさなる 統一=重層的な システムである。南不二男は 文における「段階性」を 主張しだしていた。『広義「連用修飾」の諸問題』と 題した 卒論は 諸問題の 指摘として でしか ないが、眺望だけは ひろく みわたした。結論の さだまらない 諸議論を みすてなかった 松村明先生には 感謝。自由で 絶妙な 放牧だった。

2018年10月22日。零記号(時枝)、シーニュ・ゼロ(ソシュール)、欠如的対立(トゥルベツコイ)、有標/無標(ヤコブソン)といった 構造主義の 系列と、教科研の「動詞の文法的な形の体系」の なん重にも かさなった カテゴリーの 統一だという 理論とを、いろいろ 比較して 考察した。構造主義的と 構造的との ちがいが 部分的には 理解できたが、これが 服部と 奥田との 体系の 差だ とまでは つかめなかった。鈴木重幸の 論文に おもに よったが、『読み方教育の理論』(1963 国土社)は、実質 奥田靖雄編著と よぶべき 述作であった。麦書房新版(1974)以降、べに(紅)が 奥田主要著作に つかわれていく。

2018年10月21日。「言語は … 主体的な活動それ自体である」「言語に対する主体的立場」「主体的経験として 把握する」など 「主体的(性)」は、少年にとって それ自体 魅力的な 語であった。大学の 後退局面において「主体性」は いろ さめていき、「観察的な立場」の 分析が 必要に なった。言語過程説は 京城帝国大学で「国語=日本語」が 中立に とかれ、構成主義とは ちがうと いうが、植民地は、対象に 沈潜し 主体的に 把握しても、「余剰的利潤を 相応に 誠実に 追求する (交互的)経済的過程」なのだ。外形と ちがう「零記号」は、重要な 機能を みえなくする「主体的な把握」でも あった。

2018年10月20日。1969年1月 早々に 安田講堂の 実力排除したのに、その としの 卒業も 入学も なし。教育制度の トコロテン・システムが 完全に ストップした。いなかからの しおくりも ストップされた 学生も おおかった。が ときは 高度経済成長中の 大都会で 授業も なく、アルバイトで あらかせぎして 優雅に あそびくらしていた 学生も いた。機動隊の かわりには「民青(日共)行動隊」が 出動して、大学正常化に はしっていた。ノンポリ学生から 一般学生に、理論か パトスが つよけりゃ 暴力学生に、新聞論調も 平常無事に かわっていった。処分は「消去」= ないことに しよう だった。

2018年10月19日。いそぎすぎた。1968年秋の 文学部団交での はなし。最終年度の 服部四郎が 司会者に (文処分に関して) 意見を もとめられた のに対して 「コミュニケーションは 通じない ものなのだなあと つくづく おもいました」と こたえて、司会者に「なんだ、この じいさん」と 唖然と させた 一幕も あった。一週間以上に わたった「カンヅメ団交」に 警察力介入も ことわった 林健太郎学部長は 学生より 元気で、最後は 解放だったのは まだ 知的な 交渉だったが、文部大臣の 制度的脅迫に 屈し、総長代行は 不法占拠を 排除する。法・権力と その 暴力警備は 法の 秩序しか まもらない。

2018年10月18日。「機動隊導入」に 1968年夏以降 安田講堂前に テント村が できた。また 研究室は 図書を 模造紙で 象徴的に「封鎖」(封印)した。古典的な 本は よめなくなった。喫茶店や 友人宅の 読書会が 中心に なって、よむ 種類も かわった。時枝文法も いろんな よみかたが あるんだと おどろいた。『原論』すら よんでいない 解説者は 敬して とおざけた。吉本言語美主義者とは 議論できたが、三浦つとむ信者とは かみあわなかった。三浦も 反スタ(ーリン主義)?? 時枝も 反スタ!! 翌69年6月に 言語過程説を よみなおし、文法を くみなおす 必要が できた。奥田靖雄に 論破されたのだ。

2018年10月17日。永野賢といえば、なんといっても『現代語の助詞・助動詞 ―― 用法と実例 ――』(1951 国語研報告 3)であろう。名称「複合辞」は のちに 簡約化して 流布するが、連接形式「〜なければならない」だけではなく、「〜くらい〜はない・よほど〜ないと」といった「呼応形式」の 実例掲示は 底力を みせつけた。『語彙分類表』と ベスト・ロングセラーの 双璧だろう。参考書も 国語学標準の ものと ずいぶん ちがう ことに おどろいた。鈴木・南・宮地らの『話しことばの文型(2)』(1963)と ほぼ 同時に 大学後半に よんだが、窮屈な 実証国語学とは ちがう 世界を 現代に みいだした。

2018年10月16日。当用漢字、現代かなづかいの 国字改革の 実務を になったのが 文部省嘱託の 林大だとすれば、顔とも なり 新制参議院に 立候補して 文化委員長として 国語国字改革に 尽力したのが、作家の 山本有三である。三鷹日本語研究所の あやかった「三鷹国語研究所」の いわば オーナーである。自宅内に 安藤正次所長の 研究所を 設立し、運動の 基地と した。所員 石垣謙二(病弱)は 西尾実(初代国語研所長)依頼の 副産物だろう。娘婿 永野賢の『山本有三正伝』は 上巻のみで、国語国字には ふれない。「フリガナ廃止」問題も「これで おぼえた」流の (学校ぎらい)経験主義の 標的だ。

2018年10月15日。橋本進吉の 最初の 弟子 岩淵悦太郎(第2代国語研所長)は 橋本述の『新文典(別記)』の 実質的な 執筆者である。国定中等文法の 実質的な 執筆は「林大君だ」と、質問に こたえる 岩淵所長の 目は 三代目に ゆずる 気に みえた。林大本人 90歳ごろの ききがきでは 文部図書編修官の 湯沢幸吉郎の 参画を ほのめかした。本人の 執筆は 肯定も 否定も せず、記憶が さだかでない ふぜい。国定教科書は、執筆者を 云々する 著作では ないのだ。『分類語彙表』(1964)も 最後まで 国語研著作物であった。いわば 国定シソーラスである。「お国のため」は、口だけでは なく、自負でも あった。

2018年10月14日。軍事費は どこの くにでも 膨大だ。戦前、国民を 困窮に おいこんで、国家予算を 湯水のように つかっていた以上、半官半民の 中島飛行機の 技術が 戦後 国産旅客機に、満鉄の 技術が「夢の」新幹線に つかわれたのも、敗戦 はさんでの 投資還元なのだ。予算の 多寡ではないが、陸軍幼年学校のこと、当時 世間では 文部省(国定)の 国文法が つかわれていたのだが、実習部分に 新工夫を くわえた『國文法教程 全』(1942年)を 別に 作成できた。国定教科書は、橋本進吉が 監修、林大(娘婿)が 執筆、湯沢幸吉郎(図書編修官)が 編修と みられる。国定教科書に 異種の 試行版が あるのだ。

2018年10月13日。亀井孝は 一橋大(旧商科大)の 専任だった ため、いわゆる 弟子は つくらなかった。田中克彦(モンゴル学)は 民族語問題などで 活躍していて、保科孝一の「国家語」論文について 国語研(某)に 照会が あった。老師に なぞかけでも されたか。亀井ほか編の『日本語の歴史』には 保科の 記述は ない。その 亀井孝が 田中克彦に「誰か保科さんの仕事を顕彰してくれるひとがいるといいね」と いった という はなしが、イ・ヨンスク『「国語」という思想』の「あとがき」(初版本)に あるが、亀井なら、顕彰ではなく 検証だろう。あとがきにまで のこる 誤解は、本論に 波及しないのか。

2018年10月12日。国語学と 日本語学、なんどか かまびすしく 議論されたが、昭和の 戦前から 亀井孝の 提起や 佐久間鼎の 実験も あり、いまさらとも おもったが、明治百年の あと(1970年代)から、外国人の 日本語教育には 実用的な 日本語学、日本人の 国語教育には 教養的な 国語学、といった すみわけを はかる 妥協も あり、学科名も 国語国文 全盛時代だし、東外大 日本語学科(1985発足)としては 懸命な 宣伝が 必要だった。自己紹介も えらく 気負っている。質問の トップは「外国語大学に なんで 日本語学科?」だった。いまや「国際日本語学部」だそうだが、少子化日本の サバイバル策?

2018年10月11日。かつての 国語研は いまや ない。旧国語研は 回顧する 資料すら 公的には ない。新サイトの うすっぺらな「沿革・歴史」、旧サイトは「廃止」。「なつくさや つはものどもが ゆめのあと」 場所は、東京北区の 旧陸軍 兵器補給廠あと。赤羽駅と 兵器廠との 貨物線の 線路も まだ 部分的に のこっていた。秘密の 地下室/通路が あった ともいう。映画『砂の器』(丹波哲郎主演)の ロケも あった 戦前の 建造物を とりこわし、「日本語教育センター」の 新設(1975)で、新スタートを きりたかったが、じつは 林大氏は センター長 所長として 戦後改革(漢字)の「あと始末」であった。

2018年10月10日。2008年夏 脳幹出血の 入院時、薬物治療ゆえの 奇妙な ゆめに「天啓」を えた。戦後国語問題施策を 清算したい 自民党の 意向を 察した、組織改変の 官僚作文に はじまる。省議も とおり、「第三者の」専門家委員会の 審議を へて、連立 公明党の ねまわしも わすれぬ、戦後改革組織の 抹殺である。「当用漢字」の 理念末梢(1981「目安」化)は、かな-漢字変換の 上首尾で、林大所長時代に すませていた。「国語」組織改変は、戦後うまれの 所長が ねらわれた。渦中の 所長には 偶然と みえる 必然だ。戦後抹殺の 国語研究所に 設置目的など ない。無定見な 長が のぞまれた のだ。

2018年10月09日。「あそびを せんとは うまれけむ / たはぶれ せんとや むまれけん / あそぶ こどもの こゑ きけば / わがみさへこそ ゆるがるれ」法皇撰の 今様だが、「あそび」は うたの あそびで、「たはぶれ」は サイコロの ふざけ(遊戯)では ないか。下句の「… こゑ きけば、わがみ … ゆるがるれ」は 上品な おままごとでは おこらない。「たはぶれ」は「てごう」とも うたわれ、いまも 関西方言に のこる「てん-ご/がう」の ことで、もとは すごろく(サイコロばくち)の 手まねでは なかったか。『梁塵秘抄』は 遊女と 博徒とに 後白河の 関心が あつまっていてね。これ 偶然?

2018年10月08日。一時は 閉塞状態から 脱出を こころみる わかものたちが おおく 結集したが、「標準理論」(1965)が 路線を 整理しはじめると、一流は 標準から はずれ、二流の 優等学者が 調整に 活躍した。いまや「悟り」深遠な 密教だ。一党独裁:レーニン主義、スターリン主義。ぐっと ちいさく 学界一色:ブルームフィールド主流、チョムスキー主流。「いろは にほへど ちりぬるを、わがよ たれぞェ つねならむ」 いまや 国語研究所長 言語学会長も、時勢に さおさしたと いうか、つごうの いい「偶然」に のるのだ。「-長」は でたら-め だから。プロフィールは 近来の 傑作だ。

2018年10月07日。サピアは「物質的な 先進/後進を とわず、人間直観の シンボル表現は 100の 方法で (in a hundred ways) 自身の すがた(基礎形式)を あらわす」と のべる (Language p.124)。《基礎形式》foundamental form と 経験に もとづき 帰納/演繹を くりかえす 研究は、生得能力 → 普遍機構の 連想で おもいつく《普遍文法》では、くらべるのも おろかである。サピアは 普遍性だけでなく、多様性にも 注視するし、「直観」は、感性と 知性とを つなぐ、空間・時間・数量などの 知覚わくで、カントの 命名以来 「知覚〜認知」と 関心を ひろげつつ 具体的に 研究されている。

2018年10月06日。初期の チョムスキーは「(幼児は) 驚くほどの短期間に言語獲得に成功するが、これは言語の初期状態である普遍文法を生得的に備えているためである」と かんがえていた。(ヒト)種としての 生得能力は たしかに あるが、赤ん坊は だまって 母親を きている わけでもなく(「スピード ラーニング」の うそ)、「ドイッチ おいしいね ―― エッ?」「あれでも クマじゃなくて 犬」などの ことばなおしも、かぎりなく つづく。子育ての 経験は「驚くほどの短期間」ではない。「普遍文法を生得的に備えている」という 仮定は 子育てを した/みた 人間の 仮定とは おもえない。

2018年10月05日。20世紀、意味は さけられ とおざけられた。心理的な 意味に 直接 ふれないで 記述しようとする、ブルームフィールドの 外面的な「帰納手順」が しばらく 風靡した。戦後 しばらくして その 反動で、演繹的な「変換規則」によって 記述を 代行して、言語現象の 容認性と 文法性だけ「母語話者の(理想的な)直観」に 判断させる、「生成科学」の 言語ゲームも 流行した。「わたしの 直観では ……」と、具体的な ゴールが つねに さきおくりされる バブルゲームである。はじける まえに、精鋭信者の 密教と なった。俗人の 言語経験には あわない《生得能力 信仰》だった。

2018年10月04日。20世紀前半は 意味の 受難の 時代だった。サピア1921『言語』では meaning を 学問的な 文脈では つかわず、機能か コンセプトで すませようとした。オグデン+リチャーズ1923『意味の意味』は 意味の 奔放な 諸用法を 分析批評した。第1章で ボアズが 「観念 idea」を あつかって 「態度・欲求・志向」などと 区別しない ことを 弱点と し、そこに つけた 原注3で サピアの concept も「現在の哲学界の混乱に煩わされた語彙」と 批判した。meaning の かわりに concept を つかう 日常語の「かんがえ」や "idea" を おもいつかない、西欧中心主義的な 論評であった。

2018年10月03日。ボアズも サピアも 奥田も、「文法(範疇)」や「文法(コンセプト)」や「文法(対立)」を 論じても、「形態(論)」などは 論じなかった。「形態(論)」に ふさわしいのは Bloomfield〜Bloch 流の morphemics だし、その ローマ字文法への 適用であった。この差は、言語の 意味機能の 探求か どうかである。形式的な 語への 固着ぶりではなく、文表現の いきた 機能や コンセプトである。サピアの concept < conceive は、哲学上の 概念だけではなく、文法上の 機能内容 ≒ 意味である。シーニュより シンボルを つかうのも、擬声用法を 基本手段として みとめる からだ。

2018年10月02日。「無標形式(当時は 零記号■と いった)」なんて、のちの 整理整頓で いったが、じつは 1969年6月に 奥田靖雄と であって、わたしは 理論彷徨〜挌闘期に はいっていたのだ。当時は @時枝主観主義の 批判、A無標項こそ 基本項、という 2点で、時枝文法からの 脱却を はかっていた 時期であった。「零記号」は その 時枝過程説の 詞辞矛盾を かくす「強力な武器」でもあって、服部四郎の 言語学概論(67年度最後)によって、「記号ゼロ」(ソシュール)、「欠如的対立」(トゥルベツコイ)、「無標/有標理論」(ヤコブソン)などとも 関連づけ、理論基礎挌闘期に いたのだ。

2018年10月01日。むかし、松村明先生が 著書で、「水を飲みたい」と「水が飲みたい」とは「古くから並行して行われてい」て、表現価値の ちがう 文型として どちらも 正当だが、「を」のほうが「が」より「ずっと多く現われている」と いわれていたのに対して、卒論執筆の 学生が 「飲みたい■水」とか「水■飲みたい」とか 無標形式(当時は 零記号■と いった)を 調査しないのを 方法として 批判した。零記号の 例も おおく、有標形式だけを 比較するのは まずい。零記号は「が」に ちかく 形容詞文型と 想定される。「を」が おおいのも、零記号の 例への 対抗と 解釈すべきだ と。
【松村教授が 院入試で おとそうと せず、主格表現も、「が・は」だけでなく、零記号(松下文法の 単説/平説一般格)も あつかう べきだったかな と いわれたのは、もうひとりの 助教授の 作業手順のみの 実証主義より、研究者として 立派に みえた。あれは、1970年 異例づくめの 5月だった。】

2018年09月30日。「文法的範疇」は「表現しなくてはいけない(must)」という ボアズの 見解は かえなくていいが、程度的な 変種として「した方がいい 適切表現」や「しがちな 好尚表現」にも めくばりしておきたい。ヤコブソンの「文法=義務」という 構造論的定式化は、近代言語学に どう 作用したか。使用しないと「日本語らしさ」を そこなう《適切》表現に「してしまう/しておく・してある/してもらう・してくれる」などの 対人行為表現、つかわないと ただの 事実確認かと おもわれる《好尚》表現に「したい・すべきだ・してもいい」などの 情/意的な 評価が 必要ではないか。

2018年09月29日。どこまで かくべきか、よみての かおが みえないのは しょうがないが、たよりない 関係だ。たとえば、テンスは《過去/非過去》、アスペクトは《完成/不完成》、過渡に《完了/未完了》の 対立だ、と いってみる。つまり 表示は 逆転しても、肯否と 類同の 関係だ、で わかるか。「物語り文」の ことがらの 焦点が《格態 diathesis》《動作様相》であり、「品定め文」の 陳述の 原点が《肯否》で、品種別が《叙法》で、《時称》が 媒介の 境界に 位置する。この 用語法は、佐久間鼎から まなんだが、いいたて(述語)文の 分析の やりなおしだと なっとくできるか。

2018年09月28日。河野六郎の 印欧語型と アルタイ語型との 類型学的な 対比は みごとである。事典解説としては ほぼ 完璧だが、このタイプの 言語には 歴史変化は ないのかと まぜっかえしてみたくも なる。類型図式として 純粋 pure すぎる。日本近代語に《無標を まきこんでの 範疇対立》が どう 発達したか が、国語国文の「史的課題」なのではないか。「文法範疇」が「義務」(must)的な 表現に なれるのは、有標/無標の 対立が 表現領域の 全体を 相補的に カバーする からである。《肯定⇔否定》述語の 対立系列(有標どうしも)は ふるくも あり、発達の 故郷に なっただろう。

2018年09月27日。西欧型と ずいぶん ちがった アメリカ先住民語の『便覧序説』(1911)で ボアズは、「文法的な 範疇」を "must be expressed" と 表現した。その弟子 サピアは、文法を「表現の 経済」と よび、ラテン(教科)文法の 品詞を 批判して、それぞれの 言語は "its own scheme" を もち、自身の 認識する "formal demarcations(区分)" に よると いう(Language p.119)。屈折や 膠着やの プロセスの ちがいは「形式」の つくりかたに あって、「文法範疇」の 性質差ではない。分析形式「して いる/する のだ/だろう」でも いい、使用頻度=形式の機能負担量が たかければ。

2018年09月26日。「ひこ/ひめ・むすこ/むすめ」など 数語の ペアを「文法的」とは おもわない はずだが、性・数・格の 体言noun、人称・数の 用言verb のように 重義的に「屈折」する 西欧型と ちがって、一義的に「膠着」する アルタイ型の ばあい、「複語尾」が どれだけ 文法的か 問題だ。「つ・ぬ・たり・り/き・けり」と その複合の 物語り文的な「時間表現」に たけた 古代語と、「する/している・する/した・する/するだろう・する/するのだ」の 範疇対立と「してしまう/しておく・してある(計画)/していく・してくる」の 派生態を 階層構造化する 現代語とは、異質だ。

2018年09月25日。日本語の「ひこ(日子)」に あたるのは 男子名に おおい「○彦」で、山で ヤッホーと こたえてくれる「やまびこ(山彦)」も 山の神だ。「をとこ(若子>男)−をとめ(若女>乙女)」の ペアも おなじで、「子」は 男女差について 無標だが、「日子」の 意味は「男」だ。《無標的な対》という。「こだま(木霊)」が 男女差と《無縁》なのと ちがう。ふるくは 「いざな−いざな」「おな(翁)−おな(嫗)」のように どっちも 有標な ときも あったが、女系から 男系階級社会への 過渡なのだろう。いづれ 日本語の 性差は、西洋の 文法対立に対して、語彙的な ペア=対だ、

2018年09月24日。秋分の日を すぎて ようやく おちついたが、ことしは 異常な 猛暑だった。異常気象と いえば、エルニーニョ現象と ラニーニャ現象とは 何度 きいても おぼえられない ひとも いる。ところが "El Niño" "La Niña" と 表記されれば、意味が わからなくても、定冠詞と 語末母音とで ジェンダー(性)の 差だと わかり、さきの 男性名詞が 水温異常上昇だと おぼえておけば、あとの 女性名詞が 水温降下だと おぼえていられるだろう。来歴は「おさなごキリスト」らしく 故事的には 女性名詞は いらないが、ペア現象に「ひ-め(日女>姫)」を《文法的に》あてたらしい。

2018年09月23日。連用の「に」と 連体の「な」は、有標的な 相方の「と」と「つ」が 成立してくる までは 単独に しめす だけで、「ことがらの中の ものの 位置」「全体の中 部分」と「同語反復」的に いわざるをえない、primitive な 成分である。語源的な 関連語は 具体的には うかばない。「は・も」の 機能は、primitive な 唇音に 発生し、刃や 喪が さきとは かぎらない。舌先音でも、Nの 鼻音性に 容器(容量)性、Tの 破裂性に もの(指名)性は 想定できるだろう。ひとの 論評よりは、語源の 推測は 気が 楽だ。「階層性」の 文法の 大局には、太平遊民には なれない。

2018年09月22日。「は・と・か」は 唇・舌先・奥舌の 破裂音、「も・な/の/に・が」は 唇・舌先・奥舌の 鼻音/鼻濁音だ。「が」は 破裂性と 鼻音性を 橋渡しする。「と」は、「か」とともに 「と-かく・とも-かくも」が 端的に しめす ような 指示副詞性と、「み-な-と・あ-と(跡)・ま-と(的)」などの 場所名詞性を もつ。副詞関係が さきで、名詞自立-格関係は のちの 成立だろう。「修飾格」が さきに 「卓立(係り)」も 名詞格に 先行するだろう。西洋の "case" は 両義的である。折口信夫の「副詞表情の発生」(全集19)の「信念の表白」も、文法的に 解説できたら いいが。

2018年09月21日。「連体の古形 つ・な」であるが、古代当時、「な」は 複合語内部のみ、「つ」は 複合語と 慣用的な 連語のみで、「つ」より「な」が ふるいと『奈良朝文法史』も みていた。新形「つ」は おもに「領域的所有」の 連体であり、連用と 同様、N−T対立した。その 連体に 所有的「指定」の「が」が 介入する。結果は 「つ」は のっとられ、「な」は「の」に 交代する。「の」は、「が」との 対照、「も」との 同調で、関係を 回復する。前身「な」の 古参連体から、「が」介入を へて、「は−も/が−」卓立システムに、いわば ひきずりこまれた のだ。

2018年09月20日。「接続節 平板論」の 積極面は、述語構造は 階層的でも いいが、従属句と 他句との 関係は 階層的ではない という 指摘だ。A類:他の 修飾に なったり、B類:他と 条件帰結関係(B1) 、因果関係(B2)に なったり、C類:他と 根拠-説明関係に なったり、さまざまだ。しかし、階層でなければ 平板だとは けっして ならない。その 文法的な 諸関係の 発展を 語彙的・表現的な 増大に うちやって、文法は 《発展なき 内容ぬき 構造》に とじこめた。『話し言葉の日本史』を 阪倉篤義「条件表現の変遷」から 橋本進吉「連文節論」の レベルに 逆行させなかったか。

2018年09月19日。接続節が「平板」に みえるのは、形式識別力も 内容解釈力も 貧困だからだ。国文法レベルの「活用形」接続でも、連体:〜ナ ので/のに、終止:〜ダ が/から、その他:〜シ ながら・〜シ たら・〜スル と・〜スレ ば、の 区別は できるが、橋本晩期の「連文節論」は、区別して 図示できない。戦後の 林大(娘婿)が 苦心した ところだ。文法カテゴリ対立が みえる 日本語教育レベルなら、テンス(ル/タ)、ムード(ノダ/ダロウ)、肯否(ル/ナイ)などの 対立に 接続するか どうか(以前/後)で、4種には 区別できる。形象化は、学会シンポ(2005)に こころみた ことがある。

2018年09月18日。「ちがいを もった くりかえし」 これが 創造の 基盤だろう。「泣く泣く・木々」などの 畳語形を はじめ、「Aして Bすれば、Cし Dしたれば …」や「Aの Bと Cが Dと …」の ような、用言体言の くりかえし、ことの 連鎖や ものの 包摂(入子)や 並列でも、「語彙の ちがいを もった 文法の くりかえし」で、平板ながらも 創造力の 獲得であろう。が、「わが おもふ つまの いのる すがた …」といった 連体節の 発生によって、文の 構造が 階層的な 回帰性を 獲得する。体言の 位置に 種々の 形式名詞が 代入されて、接続節にも 階層性が 付与されていく。

2018年09月17日。「か」の 濁音と いえば、すなおな 仮説は「か」の 強調の 連濁だ という ものだろう。「-れ」(遠称の ひと もの)や「 いき -く いき みつれども …」(指示副詞)といった 用法の「か」が 未発達ながら あった。「ありか・すみか」の 場所名詞用法も あり、文末述語に つき "上昇音調" と ともに 《疑問》辞用法も もった。さらに「雨も あらぬか > 雨もが」「見てし あらぬかな > 見てしがな」と 連濁し 《欲求》辞にも なった。なら、文中補語に かかって「これこそぞ …しる(領)」所有だと《指定》する 卓立(係)助辞に なってもいい。連体ではない。

2018年09月16日。《連用格成分》が 2つに対して、《連体格成分》は 「の・が/つ・な」の 4つも あると 国語学では 喧伝されるが、後者の 2つ「つ・な」は 上代 すでに 化石的で、「まつ-げ(睫毛)・まな-こ(目な子)」や「天つ 神/乙女・水な 底/面」などの 複合語や 慣用連語に のこる だけだ。当時 活動的だったのは「の・が」の 2つであり、直観的に いえば、「の」は 所属(に ある)を 基礎に 領域(ありか)の 限定、「が」は 所有(が しる)を 基礎に 地点(しるし)の 指定、の 対(ペア)ではないか。「が」だけが 奥舌濁音であって、他は みな 舌先音である 音義に 留意する。

2018年09月15日。古代語では ガ主格も ヲ対格も 表示未発達なので、述語用言に かかる《連用格成分》は 「に・と」の 2つだけだった。その 2つが、舌先の 鼻音と 破裂音なのである。ラ行音も 舌先の 弾き音で、擬態成分では「まだ-らに・ちら-りと」の (内容/外貌の) 別であり、指示成分「これ・それ」では 実体化する。「完了の助動詞」は 「つ・ぬ」の 相補的な ペアを なす。述語の 自他動(成分結合形式)を 基礎に、意志性の 有無(連語統合意味)の ペアだ。文法の 基盤は 形式整合的だ。比較文法も 文法の 比較であって、恣意的な 借用 ある 語彙の 対照リストではない。

2018年09月14日。「名詞+そ」「形容詞+し」という「品定め文」は、単純な 措定だけで、さまざまな のべかた(陳述)が ない。そこを かえたのが「なり・たり」だ。「に/と+あり」で、ラ変「あり」を つなぎに「なりき・なりけり/ならず・ならむ」といった のべかたが できる。形容詞は 「く+あり」の カリ活用だ。動詞文の「連体準体法+なり」という /物語り+品定め/ の文も でき、さらに 準体法に かわって、種々の 体言化辞の「やうなり・ためなり;-げなり/のだ・ものだ;べきだ」などが、従属句末「つなぎ」や 主文末「むすび」に もちいられ、文の パタンを ふやす。

2018年09月13日。舌先の 位置では、摩擦S 破裂T 鼻音N 弾き音R 半母音Y と 分化する。まず サ行音は、聞き手領域指示が「そ」だ。会話に 必須な コ−ソ対立は ふるくから あるが、遠称(他称)[か>あ]は 未発達だった ようだ。「し」は「そ」の 文脈的交代形で 名詞の 強調に はたらき、動詞語尾接辞「す」は モノ他動〜ヒト使役として はたらき、形式用法(ex. … こえ す)も おおい。過去助動詞連体形なる「し」も、サ変連用「きかた」からだろう。さらに 「うまし国 … 大和の国は」「大和し うるは」の ように、指示から "措定" の《品定め文》を 形式化したのだ。

2018年09月12日。記号の「恣意性」は 記号全般の 特質であって、「でたらめ」に 複合せざるをえない 造語の 結末であるが、基本文法の 経済の 原理からは、音形と 意味機能とが 関連性を もつ 「擬態」性も 無視できない。M P音が 両唇音だとすれば、反対の 奥舌音は K音だ。現場指示の「こ」を 基礎に、「いづく・そこ・ありか」など《場所》の 接辞に なり、さらに「か」は 文末で 上昇音調とともに 《疑問》点の 助辞に なったのだ。移動としては 「ここ、こ」と 命令できるのが「く(カ変)」だし、過去の「-き」も カ変連用の「き(ている)」現状の 確認からであろう。

2018年09月11日。霊魂の「魂」を たましいと 訓読するが、これが「たましひ=玉し霊」であって、「たま(木霊・言霊)」という 玉に シンボル化した 霊力と、日に シンボル化した ふるい 霊力が あった。日が 照らして、「な(菜) いな(稲)」が "なり"、実や 穂が "みのる" 植物穀物が 中心の 霊である。名詞接尾の「ふ(生)」は「桐生 柳生 芝生」など 植物中心だが、動詞語尾は「会ふ 言ふ … 舞ふ 酔ふ」など 人間の 基本動作だ。「住まふ 語らふ / 言はふ のろふ(呪<宣)」は、語彙的な 接尾に とどまった。名詞には「Nは」という、pa(歯 刃)と「引き分けて こと-わる」助辞だ。

2018年09月10日。「m-む」生産霊は、動詞語尾としても「編む 忌む … 読む 笑む」の ように 生産的であり、半独立して 複語尾として「せ-む」という 仮想形(人称により 意志〜勧誘〜推量)を 構成するが、名詞に 付属したのが 「Nも」という「引き入れて」(冨士谷成章) 言う 卓立助辞である。「格 case」でない ことに 注意。ergative は 格と 訳して いいか。「喪」は 一定期間 死者と「伴」にする ことだし、「萌えいづる 芽」に 《ふくめ あわせる》いきおいも 感じられよう。「くさむす・こけむす」などの 「むす-ひ」は、もうひとつの「日pi」に もとづく 霊力である。

2018年09月09日。「髪」の「み(霊)」については、接頭的な「道(<み-ち路)・宮(<み屋)・岬(<み崎)」に かくれた ものや、「み-こ(御子 巫女)・み-き(御酒)」など 比較的 みやすい ものも あるが、のち 美称(ex. み雪)を のこして 「おほ-・お-」系統に かわった。ところで 事物の 獲得には、「た(て 手)」に よって「とる」モノと、「ま(め 目)」に よって「みて える」コトとが ある。行動「ま(目)-ぐはひ(合)=す・得てしがな 見てしがな」の 欲求も、「花見・国見」の 行事も、「(生 う-)(-す 産)」の 生産霊力を 得る 願い(祈がひ)や 祝い(言はひ)を 信じていたのだ。

2018年09月08日。「か(毛)-み」が さきで、「かみ(上)」が あとだ というのは、具体的に いえば、身体の「髪の毛」と「下の毛」とを わけたり、「カミは 八又の 頭を もち、シモは 一身の やまたの おろち(大蛇)」の 比喩で 治水神話が さきに つくられて、「川の、上つ瀬に … 下つ瀬に …」という 貴族の 古都回想が あとである。また 「か(香)」や「かぐ」も 「か(毛)」から うまれたか。毛(だ)物は くさい。「汗の香」が「枕草子」に のこる。髪・体臭や 衣(染料)・食事などの 生活の 匂いが さきで、「梅の花 香を かぐはしみ …」「移り香」の 趣味は 当然 あとだ。

2018年09月07日。学生時代、白土三平の『カムイ伝』という 劇画が はやった。カムイは アイヌ語の「神」の 意であって、劇画の 主人公や 狼に 「かしこき かみ」(宣長)が すけて みえた。同音の「紙」は 漢語「簡」に i を つけた もので、「ふみ」も 「文」からだと いう。どちらも 漢字原音の -ni と ならず、-mi と なったのには 江南 または 朝鮮半島を へた 借用だから であろう。のこった「かみ(髪)」は《か(毛)-み(霊)》(→ 長髪/かみゆい)であろう。「神・紙」は 文化として 借用されやすく、「かみ(上)」の 派生も 位置の 抽象化である。「合理」的啓蒙は 倒立する。

2018年09月06日。「場と場面」は、時枝誠記の 言語過程説の 重要な 構成要因であり、佐久間鼎・三上章・高橋太郎の コソアド論でも 中心課題であったので、その「場」の 音訓の 感覚が くるっていた ことは、大事件であった。「貴様」の 「きみ-さま」からの 由縁話とは ちがって、「ドヂ(土地/閉ぢ/擬音)を ふんだ」のだろう。「気」と「け」との 交錯の 問題 ――「気配=けわい/けはい」「気(味)/け がある」など ―― にも 匹敵する 事件であった。「きく(菊 -k)」や「国<郡+i」も 字音であった ことは、歴史の なるほど感も うんだ。「きみ(君)」も、朝鮮の 古漢語か。

2018年09月05日。「場所・場面/場の理論」などの「ば」は、「場」の音訓の 音だと おもいこんでいた。日本語に 語頭濁音が すくなくても、漢字音は 例外で「美・善・情」など おおいから、訓とは ついぞ おもわなかった。それが「には(庭) > nba > ば(場)」に 変化した という ことは、言語学概論で ならって、「国語学者の卵」は ショックを うけた。「には」は 元来 しごとばであり、「には-か・やにはに」などの 情態(様相)表現を うむ、活動・変化に とんだ 場所であり、「にひ-(新)」も 新穀が 原義で、神事の「にへ(贄)」と なり、その 古形(被覆形)が「には」である。

2018年09月04日。「矢庭」(矢を射る場所→猟場)からは、現在「やにわに にげだした」の ように 「だしぬけに・いきなり」などの 副詞用法も ある。京文化人の 文献には、「矢庭に その場で」とも いいかえられる、原義の のこる 場所名詞の 副詞的用法(量・時・空に 多用)の 例が おおいのだが、江戸後期の『東海道中膝栗毛』の 長屋の けんかの 場面では、「やにはに (戸を) そとより ひつぱづして はいると」の ような「猶予なく・だしぬけに」の 用例が ある。軍記物→講釈師(太平記読み)→江戸町人には、状況変化の 即座性や 無猶予性が 副詞化の 着眼点に みえたのか。

2018年09月03日。擬音的には「ちゃうど・ちゃんと」は「ちゃと」の 強調二重形である。「ちゃっと」も ありうるが、きこえ的に「さっと」と 類音で 交錯したか。cf.「茶=チャ/サ」「○○ちゃん/さん」。そうとすれば、母音相通の「ちょ(っ/い)と」が "すきま" を うめたとも みられる。中止か 継続かで もめた「八ッ場ダム」(やんばダム)。「やんば」の 語源「矢庭」(猟場)が 撥音化した「矢ん場」を 強調形と みて、「八ッ場」と 意味不明に 表記するのが 官吏的なのだ。「やんば」は 地域の 口承。いまは 「すごく」を「すんごく/すっごく/すうごく」と、自由に 強調している。

2018年09月02日。「大手を振って歩く」は 「大手(肩から手先まで)を振って」とも、「手を大きく振って」とも、かんがえうる。「母の墓参り」という 連語は、《母の+(先祖の)墓参り》とも、《母の墓+(息子の)参り》とも 分割しうる。前者は 連語と 複合語の 分割は 一致しているが、後者は「参り」という 複合語後項が「母の墓」という 連語を 複合語前項に している。語と 語基(複合)と 接辞(派生)との レベル交錯の 問題で、ありうる 現象だが、印欧語中心の 語構成/文構造術語は アルタイ型言語には 簡潔すぎないか。「オッカムの剃刀」で へらせる 変則なのだろうか。

2018年09月01日。「小手・大手」は それぞれ「肘と手首との間/手首」「肩から手先まで」と 実体・合理化も 工芸面では すすむ。が 「小足・小股/大足・大股 で 歩く」のは、モノではなく、コト/サマであろう。モノの「大男の大足・小男の小足」は 脚ではなく、foot だが、区別の 認知は どうだったか。「小声」は 状態名詞だが、「小耳に挟む」は モノではなく、副詞用法だろう。「おほ-」は「大きに/多き」に 自立化したが、「こ-」は「ちょっと・すこし/すくな(く)」に わかれ、自立用法は そだたなかった。擬音表象「ちょ(い/っと)」が、「こ」の 基底機能だった のか。

2018年08月31日。「小腹が減る・大手を振る」は、「小腹・大手」と 連濁する 派生〜複合語に みえるが、そういう モノが ある わけではなく、機能は「ちょっと減る・大きく振る」の ように 副詞的に 動作修飾する 点に 古色を のこす。「高山・高行く・高光る(日 枕詞)」の ように、形容詞語幹・情態言が 連体的にも 連用的にも つかえる 時代も あったのだ。慣用表現には 古語・古用法を 伝承する。「(武士は食わねど)高楊枝」も 楊枝つかいが「高く」で、これみよがし なのである。「高飛車」も、"飛車を高く出す" 戦法「飛車(づかい)」に 連濁=一語化する 気だろう。

2018年08月30日。「娘っこ・わんこ(そば)」も 指小辞なら、「小娘・小分け」も 「小腹が減る」も そう かんがえて いいかと 問題に するのは、一歩 前進だが、「小石・小手をかざす」も そうで、「大石・大手を振る」は 指大辞だとまで いえば、二歩 後退だろう。語の「生産」力の 問題が ぬけている。「犬/ワンころ・石ころ」しか おもいつかない「-ころ」や 「虫けら」だけの「-けら」を 指小辞かと いうのも この 問題だ。「こぎれい・小腹が減る/おおホラ吹き・大手を振る」は、チョット かわった「接頭要素」の 多機能の 問題であり、生産的な 語構成の 問題ではない。

2018年08月29日。幼児語には 擬音語が 活躍する。「ワンワン・ニャンニャン」の くりかえし(畳語)形は、「おめめ・おてて」も ふくめて、幼児語の 基本語形だ。「わんこ・にゃんこ」や、シーといって「おしっこ」、ウーンと きばって「うんこ」なども 常用で、おとなも つかえる。「にゃんこ」の 古形が「ねこ」だ。「ね」が 古語/方言周圏分布的に 拗音 ニェに ちかいと しれば、なるほどと おもう。東北方言で 牛を「ベコ」と いうのも、東北人の「べ」は ンビェ(ー)に ちかいのを きくと なっとくする。子牛を「べべ(こ)」と いう 方言も ある。指小辞「-こ」の 分立だろう。

2018年08月28日。「うぐひす」は 萬葉・風土記に 東西で かわらない。むろん 後半「ひ」は P音の 鳴き声、「す」は「からす・ほととぎす/きりぎりす」など 鳴き声に 特徴の ある とり/むしである。未詳は「うぐ」だが、「うごく(動)」も 「ウゴめく」とも おなじ 擬音語出身だ。「うぐ」は その 母音交代形で、「ムング」と うごきだす、生命力の よみがえる 春の「サワき ハタらき」の 擬音ではないか。馬の 動体擬音だが「うぐつく」も ある(cf.ドタ/マゴつく)。「むべ」の ように「む(ン)ぐひ-す」に なりえた 擬音だろう。「擬態」か より、「心の 声」が ききたいのだ。

2018年08月27日。【山川】は、「やまかわ」という「山と川」の 並列例と、「やまがわ」(連濁)という「山を流れる川」の 限定例とを 別の みだしに した 辞書も おおい。【谷川】は「谷間を流れる川」の「たにがわ」だけだが、谷川徹三/俊太郎 父子は 「たにかわ」を なのっていた。谷川健一/雁 兄弟は「たにがわ」だった。連濁に 「谷=たに/や」の 東西差も からんで、「谷川」は 「たにがわ・たにかわ/やがわ・やかわ」が ありえた。「矢川」は「谷川」の あて字ゆえに いきのこったか。熊谷は ふるく、谷中 入谷 渋谷も がんばり、京文化 鶯谷に 周圏分布は されない。

2018年08月26日。イロハ47文字と 濁点補助符号とで、ガ・ザ・ダ・バ行音 20文字を 別の かなとして つくらずに すんだのは、すごい「経済」だ。しかも 戦前までは、その 濁点を つけずに「この土手に のほるへからす (警視庁)」と 立看板を だせたのだ。音パタンとしては「上るべからず」としか よめない。語頭濁音「土手」が 漢字で かかれれば、他は 連語型と音型で 見当 つくから、濁点が なくても よめる。「田原」は タハラ(連接)か タバラ/タバル(連濁)か タワラ(転呼)か きまらないが、漢字表記が きまれば それで いいと、こえなき みてくれの 習俗は いまも ねぶかい。

2018年08月25日。東京練馬の 最低気温は 27.7℃ (03:58)だ。「あづさ○号」などと 濁点を つけて 冗談も いえない。これが ほんとの 語頭濁音だと、ダマ ガラ、ぼける など、いい 意味に ならない。連濁は、複合語中だから、「くすだま・おてだま」は わるくないが、みずに よく とけない 小麦粉の 玉が ダマだ。「人柄・職業柄」は いいが、「ガラが __」は まず よく いわない。「ほける」より「ぼける」のほうが 強烈だが、逆に「あふれる」は 「あぶれる」から 派生した 語だ。"ハ行転呼音"では「あうれる」の はずが、「あひる」とともに、すくない ワケありなのだ。

2018年08月24日。濁音も、ふるく 語頭には たたないと された。都会そだちの こどもは、「バラ」を 外来語と 信じきっていた。中学で 英語では rose だと おそわっても、英語が bread でも 「パン」は 別の 外来語なのと 同様だ。「バラ」が、茨城県や 茨木市と、さらに「いばら(の道)」と むすびついたのは、高校生ごろだろう。「ば(場)」も「場所・場面」など ふつうの 漢語で、「市場」の「シジョウ」は 漢音で、「イチバ」は 古音かと おもったが、「ば」は《<nba<ni(土?)-pa(端≒原 浜) ← ゆ-には(斎庭)》と、「い-ち」も 7/17, 8/22の 推定方向に 分解できるだろう。

2018年08月23日。ラ行音は 東部ウラルアルタイ語族と 同様に 語頭に たたず、ふるくは ロシアのことを オロシャと いった(藤岡勝二)。語中では 活躍で、阪倉篤義によれば、名詞と 動詞(ex. 開/墾る)との 関係で 「はる:春 ⇒ はら:原 ⇒ はり:新治」の 順が、未分化(不定法) ⇒ 情態言(被覆法) ⇒ 独立化(中止法)と 仮定される。副詞法では 「はるばる」「はだらに」「はらりと」が 対応し、「れ」は 「これ/われ/いづれ」などの 指示語尾である。語尾/接辞「る」も 動詞「あり」も 活用されるが、その アは 「オロシャ/(濁)うべ・いづ-」と 同様の 語頭わたり音だろう。

2018年08月22日。「母」は pa-pa で 「浜」は pa-ma で、P-M音で 唇を とじて、破裂するか、鼻音化する、初発的な 音だ。基礎助辞の「は・も」も この 音だ。開拓関連も、「ひら-く」は 動詞、「ひろ-し」は 形容詞、「ひら(平)・はら(原)・ほら(洞)」は 種々に ひらけた 場所名詞であろう。ラ行音は たなあげ しておけば、「浜」は、うみべの「ひろ-ま(広間) 〜 はら-ま(原場)」ではないか。「父」も 舌先 破裂の 基本硬音で、ti(ティ)の 畳語だ。"ti" は、乳・血/霊・道であり、いち(市)・まちを 派生する。「力」も /ti-から/ だ。"pi"も "ti"も、神名では 霊力だ。

2018年08月21日。「呪術は人間が自然物や他者を直接的にコントロールすることによって、願望を遂げようとする行為であり、…」とは、土橋寛『日本語に探る古代信仰』の かきだしである。「直接的に」とは、ことばと 身体とによって 願望実現を もとめる という ことだ。達意の 名啓蒙であるが、「ひ(日・霊)・ほ(火・穂)」「はら(腹・原/祓)・ひら(平/開)」「はた(旗)・ひらひら(擬音)」も、「ふゆ はる (なつ あき)」の 四季の 語源も、ハ行音が もと P音(両唇 破裂)である など 一般に 発声法や、動詞 名詞の 構成法が 活用できれば、もっと 説得力を ますと おもった。

2018年08月20日。むかし 長男の 二語文に「ヌーピー、ない」を みとめた。「ヌーピー」は 「スヌーピー」の ぬいぐるみで、よる ねる とき だいて ねるのだった。「もう ねなさい。ヌーピーは?」と いわれて、おもちゃばこの 下方に 半分 かくして、「ヌーピー、ない!」と、いいはった。わたしは ヌーピーを ひっぱりだして、「いたよ。さあ、ねよう」と、ねかしつけた。「へたな うそを ついて」と おもったが、「ない!」の 述部は、事実報告か、「なかれ・ないない」の 願望(呪文)か、陳述タイプは 未分化だった のかもしれない。呪文(願望〜交感)に 「うそ」は ない。

2018年08月19日。「ブンブ!」と いえば たいてい のめるし、「ママ!」と よべば たいてい きてくれる。こどもが ころんで なくと、ママは「なかないの」と はげまして、「いたいの いたの とんでいけ」と 呪文も かけてくれる。「とんでけー!」と 自分でも いっていると いたみも わすれる。ことばは 呪文みたいだ。みんな 願望が かなう。きらいな にんじんも 「ないない」と 呪文を となえれば、だれかが かわりに たべてくれる。二語文以降の こどもが よく うそを つくと いうが、願望と 事実の《のべかた》が おとなと おなじ ようには わかれていない のかもしれない。

2018年08月18日。「ぼく、ここー」の 文パタンについて。「ぼく、」という 読点は、二語文の 主題部の 音調と ききとったのだ。もとは 「ママは どこ?」といった おとなの 疑問と 「おにわ」といった こどもの 一語文の 返答とで なりたっていた はなしあいが、いわば ひとりで 自問自答して、「ママは(主題) ― おにわだ(解説)」という《構造》を もったのが 二語文である。一語文段階では、たとえば「ブンブ」という 返答が 「さましゆ」なのか「のむ」なのか、未分化な ばあいも あったろう。が この 二語文では、「ここー」という 長音は、《述辞》「だ/よ」の 分出派生の きざしだし、「ぼく、」の 読点は、主題提示「は」相当の 機能を うむ《中断持続 卓立音調》なのである。疑問の 文末上昇と 比較すべきだろう。

2018年08月17日。《ここ いま わたし》を 原点と する、交代可能な はなしあい(会話行動)において、ゆびさす ように さししめす 指示場の 語によって 千変万化する 無数の 場面を 少数の パタンに まとめる ことは、日常言語には ひろく みられる ことであって、表現の 経済に かなった「文法」の てだてである。他方で、固有名詞の 存在の 必要と 同名の 問題や、一般の 同音語の 許容か いいかえかの 問題も あって、言語の シンボル化の「でたらめさ」にも みえるが、この 解決も、場面の タイプと 文法の パタンとに よって、やはり 一般的な 方法で はかられるのだ。

2018年08月16日。名前を 連呼されて、行方不明の こどもの 返事は、「ぼく、ここー」だった という。「話者自身、話者の いる 場所」を 指示する だけ。語としては なにも 特定対象を なざしせず、「真偽値意味論」なんかの 対象にも ならないが、言語表現としては 切実な ことばで、発声行動自体が 意味を もったのだ。はじめて きく こどもの「こえ」が 発見に つながった。ふだんの 電話なら、ききなれた「こえ」で 「モシモシ おれだけど …」で はじまっても いいが、それを 悪用したのが 「オレオレ詐欺」だろう。人称と 指示の 表現の ない 言語など、きいた ことが ない。

2018年08月15日。短信ページに 改装して、きょうで 1か月 つづいた ことに なる。ちと おおぶろしきを ゆるされたい。アスペクトの 完了/進行などと、テンスの 過去/未来に 関連して、have 動詞や be 動詞の 文法化(助動詞化)に よる 言語も あれば、「ある」存在動詞や「いる・しまう・おく」などの (状態)設定動詞の 文法化に よる 言語も ある。だだ 「した」と「している」の 変容は、同一には 反復しない。「かれは/が 30年まえに いった」が 過去の 事件の 物語りなら、「かれ 30年まえに いっている」は 現状の 経緯の 品定めである。変容の 場も セットも ちがう。

2018年08月14日。ことばの 時間には、生活の 時間と 歴史の 時間とが ある。生活の《はなしあい》のなかで 「いま」に 関心する 面と、歴史の《かたり》のなかで 「いつ」に 着目する 面とが ある。生活では "用件"が 「もう」すんだか 「まだ」か、「いま・これから」は どうするか、など 現在・未来に 関心が あり、歴史では "事件"が「いつ」はじまって おわったか、A事件が B事件より まえか あとか、などに 注目し、時点・期間と その前後・因果関係が きりだされる。では 「このごろ・ちかごろ・最近」は、近過去と みるか、(ひろげられた)現在と みるか。

2018年08月13日。"このところ"、「この さき、この まえ、この あと、この つぎ」と わけて、由来の 説明を してきたが、アクセントや きれめは 1語化を しめす ものも おおい。「このあいだ」(平板の 1語)は、さらに「こないだ」と 連母音を さける。「このごろ」と 連濁して 平板4拍では 「最近」という "広げられた現在" だが、「この ろ」と 2語として 後半 頭高なら 「この 当時」という "場面時間" の 副詞句に なる。こうして、あたらしい《ときの副詞》が うまれていく。佐久間鼎・大石初太郎・金田一春彦らには 着目されたが、国語学は 現代の 動向には 鈍感だ。

2018年08月12日。時間的な 語は 空間的な 語からの 転用が おおい。それ自体 みえない 時間を、みえる 場面に 生じる できごとから 転用・転義する ことは 自然である。「いま」という 原点も 《いきる(息・生) ま(間)》であろうか。生活は、時間であって、時刻ではない。「いま ついた/あっている/むかう」は 《いま》の 完了/持続/予見でも あるのだ。「こんど きた/くる 先生」は どうか。「前回/今回/次回」は 系列化できても、*前度/今度/*次度とは いえない。「こんど」は 「いま」であって、「今後」でも「この つぎ」でも ない。過去は 時点化されるが、未来は どうか。

2018年08月11日。「さき(先)」は「時間的な 前途・将来に つながり」などと かいたが、「先に 述べた ように」とか「さっき/先ほど いった ように」とか 「副詞」的に つかうと 過去のことを さす。「この さき、どう なるのだろう」では 「この」事件の「さき」は 将来・未来である。前者は はなしての 視界であり、後者は できごとの 局面である。「まえ(に)/この まえ いった ように」は どっちも 過去であって、話者・発話時基準である。「まえ」は ひとの 身体基準 [<まへ(目辺)] が もとであって、できごと基準は ない。未来も「あと(で)/この あと」(<足跡)に なる。

2018年08月10日。「花咲」と かいて 「はなさき」と よむ 地名も あるが、その「さき(咲・崎・先)」も、かたちは《情態言「さか」+i》であり、意味的にも 開花事象から、空間的な 前方・先端や、時間的な 前途・将来に つながり、現代の「さいわい(幸)」も 《さき+はひ》からである。酒の 古形の「さか」も、旧語「き」(ex. み-き)が すでに あり、繁栄の「さか」に ちなんだ 命名ではなかったか。「さか(坂・境)」は 別系統で、天上(あ-まツ)より さ-がり ひらいた「さ-と(里)」が、地下(よもツ) [⇔ やまト(山処 大和)]とを《割く 境ひ》ではなかったか。cf.「よもつヒラ坂」

2018年08月09日。昔話の「はなさかぢぢい(花咲か爺)」が 「さか」なのは 7拍だからか などとも おもったが、それなら 江戸の 赤本の ように「はな さかせ ぢぢ」と すれば いい。伝承に 注目すれば 「枯れ木に花を咲かせ、… さくらの花盛りになり、… 殿さまにごほうびをもらい、栄えた」と、漢字は ちがうが、「さか-す さか-る さか-ゆ」と 動詞語基「さか-」を 執拗に くりかえす。「さか」という "情態言" (阪倉篤義 ex. むら あか はら …)が まだ 基底に ありえたと 空想する。用字「花咲か」は せますぎるか。「開く> 明 赤」とは、語頭S音の 有無の 差である。

2018年08月08日。韻文の 音数律に 関連しては、つぎのような 仮説も 可能だ。「48文字の いろはうた」。いろはうたは 平安時代の 47文字で、
   いろは にほへど   ちりぬるを
   わがよ たれぞ    つねならむ
   うゐの おくやま   けふ こえて
   あさき ゆめ みじ   ゑひも せず
(七+五)調×4連=48文字の「今様」形式らしいのだが、47文字しか ない いろはうたとしては、「わがよ たれぞ」の句が 6拍に なっている。ここを 音声的には 引き音調で、「わがよ たれぞエ」と 7拍に 仮定する。文法的には、ア行のエ(衣)の 間投(助)詞。「けふ こえて」句の「こえて」は、終止形「越ゆ」だから、ヤ行のエ(江)の 下二段連用形。みごとな 学問的な 推論だと おもう。これは、かの 橋本進吉の 一番弟子 亀井孝の わかきころの 臆説だが、論文集にも のこっていない。つぶやき(落首)としては ながすぎて、後半入力不能の 世か。前半確認を 省略だった、かな。

2018年08月07日。標語の 音数律と いえば、季節はずれだが、「火の用心 マッチ一本 火事の元」というのを おもいだす。「夜回り」には こどもも かりだされて、ひょうし(拍子)木に あわせて、その後に「さんま やいても、いえ やくな」などと、「まぜかえした むだぐち」を いれる。大阪枚方市では、「やき肉 やいても、いえ(うち?) やくな」が おおかった ような 気がする。さて「火の用心」は 標準律では 6拍で、初句 字余りだが、口調は いい。「ヒノ ヨージン」の ように 5拍と みなすのか、「ヒノー 用心」の ように 引き7拍の 名調子なのか。つまり 七七五調 (??)

2018年08月06日。文法つながりで、交通安全標語「飛び出すな 車は急に止まれない」を おもいだした。もう 半世紀まえ 1967(昭和42)年の ことだ。否定の 問題であって、速度の 副詞は【[すぐに とまれ]ない】と 否定され、時間量の 副詞は【しばらく [うごけない] 】と 否定状態全体を 限定する。文法ルールとしては 単純だが、交通標語としては 「急(=緊急)ブレーキ」的に「止まれない」と いいたい のだろう。「急に」は 事態急変で、「急に止まることはできない」「急に 止まれないのだ」と 変化前提に 分析表現する 傾向(かざし化)が あるが、標語は 音数律を 優先する。

2018年08月05日。あつくて アクセントも ゆらぐ。/にも・つも/の 頭高型(太字が 高)が 疑問詞の 標準だが、/なにも(しらない)・いつも(=いつでも 元気だ)/と 「副詞」化した 用法は、平板型に なりやすい のだが、内省では 語によって(「いつも」)も、ゆらぎが おおきく、副詞化の 程度の 差か。しかも、「いっぱい」は /っぱい/で 数詞、/いっぱい/で 量副詞だが、「ふだん」は 逆で、/だん/で 副詞「普段」、/ふだん/で 「不断の 努力」だし、「けっこう」は /っこう/で 副詞、/けっこう/で 「文章の 結構」だ。「文法(きまり)は どれも もれるのだ」(サピア)

2018年08月04日。けさの 4時の 東京府中市の アメダス実況は 26.0℃、昨夜の ゲリラ豪雨とやらに 地面が すこしは ひやされたのか、でも 26度、熱帯夜だ。研究所は、ノンストップの エアコンの なか、電気代は かえって やすい。始動時の 熱交換が 電気を くうのであって、常時オンなら、熱交換は 少量なのだ。米も、てまは 大変だが、エネルギー交換率は たかいのか。「いな(稲)」を か(刈)り こ(扱)いて、もみ(籾)つきの「よな倉」[<よ(吉)+(い)な]に たくわえ(<た・くはふ)、くふには、もみを うすに ついて こすりあはせて、しらげた「こめ」を あら(顕)ひて たく。

2018年08月03日。けさの 4時の 東京府中市の アメダス実況は 27.9℃、ひどい。この ひどさで、かいものも ままならない。主食の こめだけは 宅配便で まとめて 配送なので、こまらない。ところで 「こめ屋」は 「こま屋」とは いわないね、「さかや(酒屋)」の ように。「稲穂・稲田」は「いな」(農作物)で、「米田」は「よね」、「米倉」は ふるくは 「よなくら」とか。「よね」(もみよね=穀物)は 中間的だが、脱穀後の 食材名「こめ」は、余剰農産を 徴収 交換する 時代で、露出形(-e)標準の 時代だったか。「高麗(こま)産」に ちなんで 「こめ」と よんだ、ってか(??)

2018年08月02日。未明の 4時の 東京府中の アメダス実況で 27.6℃、あつい。あつさゆえの くちから でまかせ、しばらく ゆるされたい。「あつい(暑 熱)」は「なつ」と 関係ありと みる。n音の 有無は、「なる(成)−ある・り(生 有)」「nag-u/a(投 薙 / 流 長)−ag-u/a(上)」「なに(何)−あに(豈)」や 「な(汝)/あ(吾)」「なし/あり」など、おおくは ないが、関係は ふかい。「あつ-む」は ないが、「あたた-む」に なる。「あた-み(熱海)・あつ-た(熱田)」で つながるが、評価が ちがう。「あたた-」という 畳語形が 上評価に なるのは 「すず-し/む」も おなじだ。

2018年08月01日。7月が やっと おわったが、猛暑は 8月も しばらく つづく もよう。6月末に つゆあけして、猛暑と 豪雨が つづいたので、夏が すんだ ような 錯覚に おちいるが、まだまだ つづく らしい。水不足では ない ようなので、農作物は (ナリも) たち そだつ「な-つ」(ナル他動の古形か)が つづく。農作物も 人間の 熱中症も、水分補給が 肝心だ。なえた(なゆる) 状態を ならせる(なつ>なす) 必要が ある。「なゆ」は、貴族ら 消費者は、なにかが よわまった 結果状態に 着目するが、農民にとっては、生育「なる」前の 可能態(dynamis)では なかったか。cf.「なよ竹」

2018年07月31日。『日本古典対照分類語彙表』(2014)によると、「くだもの」は 蜻蛉以降には あるが、万葉には ない。「けだもの」は 古今以降に あるが、「けもの」は まったく ない。「くだ-」という 古形が 万葉には なく、宮廷文学には ある。なにか なぞが あろう。『分類語彙表』の 分類番号を 付加した『日本古典対照分類語彙表』が 資料CDつきで 出版されて、便利に なった。たとえば「和語副詞頻度.xls」なんて、他の 部分に フィルターを かけた 改編の 文書も つくれ、合計・作品数などの 順序に ならべかえも できて、「副詞」語彙の 出現の しかたは みわたせる。

2018年07月30日。台風12号は 現在 九州の 南西の 海上で ほとんど 停滞している らしい。ホテル食堂の ガラスの 破損、海岸道路の 高波被害など、ふだんと ちがう 高波被害も あったが、たいした 二次災害も なく、よかった (ようだ)。食堂事故から「く(木)だもの・毛だもの」へと 連想。「だ」は「な/つ」系の 連体助詞とか、なぜ この 2語だけに のこったのか。用法が 近代とは ちがい、かつて クダモノは 木の実や 木の子(茸)、ケダモノは シシ(鹿・猪)などの 食肉 といった、さかな(酒菜)や くすり(奇)に ゆるされた 俗語の 話題だった、か。では、ケモノは 毛皮か。

2018年07月29日。台風12号は、(国際)名称は JONGDARI(ジョンダリ)。わたしが 記憶しているのでは、「記録」前では キティ台風(1949 東日本)、ジェーン台風(1950 西日本)なんてのが 有名だった。みんな 英語の 女性名が ついていた。もともと 女性名詞だったし、いまも 代名詞は "she" を つかうんだと、英語教師に のちに ならった。「米軍の 兵隊も みんな おとこだしな」などと、いまなら 問題に なりかねない 発言も あった。気象庁が 命名した「伊勢湾台風」(1959年)にも 国際名:ヴェラ[Vera]が ついていた。ところで "JONGDARI" は 女性名なのかな。もう やめたのかな。

2018年07月28日。猛暑日つづきから 一転、台風12号で 20℃台 前半の 気温。「台風12号は本州付近を東から西へ横断する見通しで、記録が残る1951年以降、初めての経路」だ そうで、寒冷低気圧が西へ、チベット高気圧が台風の北上を妨げる らしい。この「チベット高気圧」が、猛暑にも 台風にも 関係している ようで、ふだんとは 逆に、「台風が西進する場合、… 通過した後の地域では 南から湿った空気が流れ込んで」豪雨・暴風や 高波などに 警戒が 必要だ そうだ。なお、1951年以降の「記録」というのは、朝鮮戦争時代の「進駐軍」情報に よる ものなのだろう。

2018年07月27日。成章の『あゆひ抄』は、「名(名詞・体言)をもて 物を ことわり、装(動詞・用言)をもて 事を さだめ、…」という 有名な ことばで はじまる。《名詞で コトを(から) モノを 割り出し、動詞で コト(ことがら・ことのは)を 定め、」と 直訳しておく。《物を 事割る》という 表現、つまり 《こと・事態を 分割して、もの・産物を 取り出す》という いいかたに 注目する。いわば「穴を/に 土(を)掘る」「草木に/を 土(を)飼う」に にて、変化前と (行為)後の 結実とを 両方 とらえる。「ものを わける」行為が 「ことが わかる」理知を うむ「ことわり」と なる。

2018年07月26日。成章の ことで、おもいだした ことが ある。むかし わたしが まだ 大学院生だった ころ、論理・統計に つよいと みられていた 国語学者が、「が」を 「"それが"と さす 詞」と 定義するのは、「同語反復」で 「定義上の虚偽」だと、おおまじめに 論難していた。蝶ネクタイも シャレていたが、成章が 苦心して いいたい ことは わからない。「が」という 辞にしか 目が いかず、"それが" という 強調句に なっている「こころ」も よみとれない。「ものざねを あらせて」という 文の 焦点的な 修飾機能などは、意に 介さない。ことばとの つきあいかたは 輸入できない から、言語の「舶来科学」は、対象ぬきの、操作的な 手法(技術)だけに なる。モダニズムは、対象(伝統)と すれちがう ばかりだった。

2018年07月25日。猛暑の 予報も きえた らしい。富士谷成章『あゆひ抄』は、「五属」(文末助辞)は 「ながめ(詠嘆)」・うたがひ(疑問)・ねがひ(願望)・あつらへ(命令)・いさめ(禁止}」と 機能に したがって 分類するが、「十九家」(文中助辞)以降は、順序が 分類を 暗示する にせよ、語形別に すぎない。「が」は、「の」の 一項に すぎず、「脚結五部」にも たたない。死病に さとった 成章(41歳没)が、未完成で 不足を 感じても、遺作として 公刊した ものであろう。「が」については、「その うけたる ことに 物ざね(実)を あらせて "それが"と さす 詞なり」と 《指定》機能の 本質を みぬいている。「を」も 「ぞ」と「は・も」との 中間に 位置させ、「が・を」の 《格》移行も、「(後の)里」として 言及する。

2018年07月24日。「は」と「も」の まぼろしを おう。助辞「も」が 母音変化(活用)して 動助辞「む」と なり、「ふ /pu/」が 接尾して「もふ(思)」という 動詞に なる。「おもふ」が あとで、「重し」や「面ふ」の 語源説は、あっても 逆だろう。内面が 外面に あらわれる。「舞ふ」も、呪的な おどりと みるべきだろう。「もつ−まつ」(+前舌破裂音)は、いまより 動作的で、「(呪的に) 手に入れる」に ちかかっただろう。助辞「は」が 活用して「ふ」という 動詞接辞と 動助辞(継続)を (う)む。しかも「あふ・いふ・おふ・かふ・くふ・こふ …」と 生産的で、「語らふ・住まふ」などを 語彙化に とどめたか。文法の 継続は 別に 反復する。語根は「はゆ−はる」(+前舌流音)の《春〜葉》的な 自他ペアである。

2018年07月23日。「ま」が 場所である ことは 「居間・広間/タラま(多良間)島」などで あきらかだし、「ぬま(ヌま)・しま(領ま)・くま(隠ま)・やま(八/弥?ま)」などで 全体の 意味は 未詳でも、「ま」が 領域的な 場所である ことは ほぼ たしかであろう。このさきは 論証不足の 臆測なのだが、両唇鼻音ア韻「ま」の 音韻交替の オ韻「も」(重低拍)が、領域に「引き入れて」 包含(合説)の 助辞と なり、その 対照として、両唇破裂ア韻「は /pa/」が、領域を「引き分けて」 分離(分説)する 助辞に なると みる。係り結び(呼応)より、宣長・山田の「ただ(徒)」を へて、成章・松下の「は・も」(二大提題)のほうが 日本語の 根幹を みぬき、複文の 順逆接続も みとおす。「品詞論 名詞」「体言の 運用」と、大海に 二滴。

2018年07月22日。「か」が もと《場所性名詞》である ことは「ありか・すみか」で うたがい なかろうが、「さか・つか・はか・をか」も 分析できるか。「かく・かれ」などに のこる 単独の《指示用法》も ふるく あったが、これが 文末の 述語用法の 名詞や 用言準体形に 後置し、おそらく 上昇調と ともに、疑問点を 指示する 《疑問辞〜詠嘆辞》と なる。文中では、名詞に 後置 連濁し、「が」は 所有を 強調する《指定辞》に、鼻音の「の」は 所属範囲(<にある)を 包括する《従属辞》に なる。「が・の」の その後の 変遷は いうまでも あるまい。さらに 文末では、「Nも あらぬか / Nもか / Vてしか」などから 連濁し、「もが・(て)しが」の 《欲求辞》(希求〜願望)と なった。「希望喚体」は 河清 百年か。

2018年07月21日。猛暑が 妄想を (う)む。場所性の 語に「と・か・ま」などが ある ことは うたがいないとは おもうが、さらに、その 助辞化の 妄想である。まず 「と」については、「やど かど まど / さと (そ)と / あと まと もと」などから 推測される 地点性が、「とにも かくにも」に のこる (外)指示用法を うみ、大阪弁の「……、そう 言うねん」と おなじ つかいかたで 引用辞に なり、「に(の)」の 場所(包容)性との 対比で、一時的な 相手辞や 繋辞(判断賓辞)に なった のではないか。「か・ま」にも つづくが、「と・か」は 破裂音、「ま・に(の)」は 鼻音だ。

2018年07月20日。35℃以上の 日を 猛暑日と よぶ 習慣も 最近 追加された ばかりだと おもっていたが、もう 一段うえの 表示も 必要に なってきた ようである。猛暑日と ほぼ 同時期に 新聞などでは つかわれていた「酷暑日」が また 候補に なっている ようだが、まだ 40℃以上の 日は めったに ないので、人間の 体温の 平均は 36.5℃くらいだ とすれば、37℃以上を 酷暑日と よぶ 可能性も あるだろう。そとまわりの ひとなどに さかんに つかわれている らしい。公認新語も 誕生か。これで とまらないと、ほんとうに 「命に かかわる」ことだろう。いまの 限定が …

2018年07月19日。「いぬ(往)」と「しぬ(死)」、「うつ(棄)」と「すつ(捨)」、「あぐ(上)」と「さぐ(下)」など、S子音の 挿入が 「あお → まっさお」のような 強調だけでなく、基本語彙の 分化にも はたらいている というのに 気づいたのは、留学生からの 質問によって だった。「上げる」と「下げる」とは、別語の 反対語だと おもいこんでいた。漢字表記も じゃまを していた。「ふる(振)」は 左右で 区別すまい。前後の うごきは、「まへ(目方) ― あと(足処)」「あち ― こち」と 場所方向として 区別する。「あま(天)」と「さか(境)・さと(里)」も、つながるか。

2018年07月18日。きのうに つづけて。語源の 択一に 執着しない こと、意味の 多重化を 積極的に みとめる こと。言語の 多重奏か。たとえば「背広」の 語源は、文化由来の ルーツ探索が かえって トリビアルに なりかねない。外来語の ばあい、原語の 由来と、日本語化の 事情の 両面に 着目すべきだ。日本語は、多義語の 択一よりも、多重性を たのしむ 性向が ふるい。出雲「おう(意宇)」郡の 地名語源伝承、「あつま>あづま(東)」の 記紀別伝「中つ目・吾嬬」の 矛盾しない 多重伝承、そして「あがる あつまの ひたち ⇔ さがる さつまの ひむか」という 位置。

2018年07月17日。かく ことの ない 日も あろう。いいたりない 日も あろう。1日1回とは かぎらなくても いいだろう。――― 冬ごもりは 別として、春と 夏とが 農作関連だと すれば、ただ ひとつだけ イ段名詞の 秋も、一段 おそい 農作業であろうか。農耕民にとって まず「あく」は 「とし(年=稲)が 明く」であろう。新年(=春)が 明けるのは、暦の 国家時代の ことだろう。農作業暦では、農作業が 明いて、手も 田も 空くのが 秋ではないか。豊作(飽き?)を いわい、市(物々交換)も 開き、空き地の 歌垣に 男女は うたいおどった ことだろう。言語的 明証の ない 臆断。

2018年07月17日。このさき 1週間は 猛暑日が つづく とか 気象庁が 注意を よびかけている。「なつ(夏)」の 語源の 妄想が わいてしまう。冬は「振る―振ゆ」の 自他ペアから 《ものが 震(振る)える》 季節で、春が「はる―はゆ」の 自他ペアで、《(芽が/を) 張る ← (芽が) 生える》季節だと すれば、夏は 「* なつ―なる」という「なす―なる」より ふるい 自他ペアを 仮定し、《実に ならせる ← 実が/を なる》の 作為他動詞を 再構するのだ。「なる(成長の) まえ」が 《実が 萎えた ← なゆル》状態か。「見す―見る―見ゆ」などは、自他二項では すまないのだ。

2018年07月16日。21世紀に はいった ころからか、温帯地方の 四季の 季節の うつろい というより、亜熱帯地方の 二季の 交代 という 感じが しだした。移行期間の つゆあけには さいきんでは 豪雨が おそい、台風期にも 災害を ともなう 暴風雨が まいとし やってくる。寒暖の エネルギー放出 交換が、やや 急に 一度に つづけて おこる ように みえる。地球の「温暖化」に 関係するか どうか は、しらぬが ほとけ かな。

2018年07月15日 さっそく。まだ 7月だ というのに、連日の 猛暑日。ゆうがた かいものに いくのにも、30℃を くだらず うんざりだが、もう 冷蔵庫の 食材も そこを ついてきた。たまには かんづめや レトルトも いい ものだが、去年 台風で 移動が できなかった とき以来か。意を 決する ときか。としを とると、たべる たのしみ くらいしか ない もんで ……

2017年11月ごろ以降、この 更新記録の ページは つかわず、ちいさな 改訂や 加筆を した ばあいは、その 箇所に ひづけを かきこむ ように してきたので、この ページは 開店休業に なっていた。そこで、心機一転、改装開業して、気楽に 「つぶやき」的に おもいつきを かきこんでみる ページに してみる。くらしの「ながれ」と いちおう こじつけるが、さて どう なるか。(2018年07月15日)


2017年10月17日「品詞論の はなし」の「制限詞(かざし)・補助詞(あゆひ)」は、加筆では すまない。改訂は 中断し、しばらく やすむ。

2017年09月16日「ノート」の「品詞論の はなし」を よみなおし、加筆訂正を はじめる。(こんご おわるまで 記録しない。)

2017年09月14日「データ」の「民科関連資料」の『言語問題と民族問題』の 奥田の 執筆時と 編集関与を 推定。

       <2016年末 転倒、脊髄打撲(脳神経不調)。以後 療養 リハビリ>

2016年12月07日「文法研究ノート抄3」に 『《補助述詞》(Auxiliaries) 』を かきいれる。

2016年12月06日「文法研究ノート抄3」に 『「補助動詞」(橋本)』を かきいれる。

2016年12月05日「文法研究ノート抄3」の 『「形式名詞」(松下)』全体に、表現を なおしたり 例を くわえたり して、文章を しあげる。

2016年12月04日「文法研究ノート抄3」に 『「形式名詞」(松下)』の 第4節までを かきくわえる。

2016年12月03日「文法研究ノート抄3」に 『「形式名詞」(松下)』の 第2節までを かきいれる。

2016年03月26日「文法研究ノート抄3」の 『「べきだ」と「したい」』の 第4節を かきあらためる。

2016年03月17日「文法研究ノート抄3」の 「相言の 装用(修飾)」に 第3節を かきくわえる。

2016年03月16日「文法研究ノート抄3」に 「相言の 装用(修飾)」を かきいれる。

2016年03月14日「文法研究ノート抄3」の 「体言の 運用(提示)」の 第3節の 自他の 部分を かきなおし かきたす。

2016年03月13日「文法研究ノート抄3」の 「用言の 活用(叙述)」を かざりつける。

2016年03月12日「文法研究ノート抄3」の 「用言の 活用(叙述)」を ねりあげる。

2016年03月11日「文法研究ノート抄3」に 「用言の 活用(叙述)」を かきいれる。

2016年03月09日「文法研究ノート抄3」の 「体言の 運用(提示)」の 全体を ねりあげる。

2016年03月07日「文法研究ノート抄3」の 「体言の 運用(提示)」に 第3節を かきくわえる。

2016年03月06日「文法研究ノート抄3」に 「体言の 運用(提示)」を かきいれる。

2016年02月25日「品詞論の はなし」の「第5章:動詞述語の パラダイム」の 活用表を 一部 てなおし。姿勢を より鮮明に 作表した。

2016年02月11日「文法研究ノート抄3」の 『「べきだ」の あつかい』に 注の リンクを つけて、全般に 表現の すがたを ねりあげ。

  (以後数日)         題名を『「べきだ」と「したい」』に もどして、古稀を ふりかえって、おもいでの 文とも リンク。

2016年02月09日「文法研究ノート抄3」の 『「べきだ」の あつかい』第4節の 補注部に「のりを こえた」かもしれぬ 注を 補強。もう やめた。

2016年02月07日「文法研究ノート抄3」の 『「べきだ」の あつかい』第1節の 補注部に おもいでばなしを 増補。もう どうにも とまらない …

2016年02月06日「文法研究ノート抄3」に 『「べきだ」の あつかい』第4節を 加筆。

2016年02月05日「文法研究ノート抄3」に 『「べきだ」の あつかい』を おぎなう。

2016年02月03日「文法研究ノート抄3」の 『「ただしい」と「すぐれた」』の 末尾部分に さらに 加筆。

2016年02月02日「文法研究ノート抄3」の 「品詞の 提示順」に 第2節を おぎない。

2016年02月01日「文法研究ノート抄3」に 「品詞の 提示順」を (予定を かえて) おぎない。

2016年01月31日「文法研究ノート抄3」の 『「ただしい」と「すぐれた」』に 加筆。

2016年01月29日「文法研究ノート抄3」に 『「ただしい」と「すぐれた」』を おぎなう。

2015年12月24日「サピア『言語』を よむ」の エピローグの 部分を 改訂して、ひとまず ふでを おく。

2015年12月23日「サピア『言語』を よむ」の 第4〜6章の《形式・構造の 部》を みなおし、数か所 訂正して、かきなおし/加筆。

2015年12月19日「サピア『言語』を よむ」の 第1章と 第2章との《総論部》を みなおし、かみくだいて 部分的に 加筆。

2015年12月18日「サピア『言語』を よむ」の「まえがき」の 部分を より明確な 意見の かたちに 改訂。

2015年12月16日「品詞論の はなし」の「第8章:制限詞の 二段システム」の 全般に 改訂加筆。

2015年12月13日「品詞論の はなし」の 第6章 形容詞に 付節を くわえて、英語の「副詞」の あつかいの 臆説を 増補。

2015年12月06日「品詞論の はなし」の 第5章 動詞の 過去補充法と、第6章 形容詞の 意味分類の 節を 削除。

       議論が 思弁 リクツに はしっていて、問題の 発展性が みこめない からだ。

2015年12月05日「品詞論の はなし」の「第1章:文の はたらきと くみたて」の 全般に 加筆。

2015年11月30日「品詞論の はなし」の「第3章:文の 階層性と 対立性」の 第1節 言語の歴史に 関連して 加筆。

2015年11月28日「品詞論の はなし」の「第3章:文の 階層性と 対立性」の 第2節 対立関係の 部分を 訂正し 加筆。

2015年11月27日「品詞論の はなし」の 最後の「むすび」の しめの 部分に 加筆。

2015年11月26日「品詞論の はなし」の「第7章:描写詞 ―― ゆとりとしての 品詞」の 第2節の 「指示詞」に 補注を 付記。

2015年11月25日「品詞論の はなし」の「第6章:形容詞 ただしくは 状詞(相言)」の 第2節の 連用形の 部分に 加筆。

2015年11月24日「民主主義科学者協会 言語科学部会 関連資料」の 奥田靖雄『正しい日本文の書き方』の 部分の 注を 訂正 加筆。

2015年11月23日「品詞論の はなし」の「第4章:名詞の 関係構造の 変化」の 第3節の 補助詞化の 部分を 改編 加筆。

2015年11月19日「品詞論の はなし」の「第5章:動詞述語の パラダイム」の 第2節の 活用の 部分に 改訂 加筆。

2015年11月12日「品詞論の はなし」の「第3章:文の 階層性と 対立性」の《図式分類》に いちぶ 増補。

2015年11月07日「品詞論の はなし」の 終末部に 本文と 参照文献を 増補。

2015年10月31日「日本語文法の かなめ」の 構想を 縮小して、「品詞論の はなし」に 改称して はなしを いったん 終了。

2015年10月30日「日本語文法の かなめ」に「第9章:補助詞の 普遍性と 個別性」を おぎない。

2015年10月29日「日本語文法の かなめ」に「第8章:制限詞の 二段システム」を おぎない。

2015年10月28日「日本語文法の かなめ」に「第7章:描写詞 ―― ゆとりとしての 品詞」を おぎない。

2015年10月27日「日本語文法の かなめ」に「第6章:形容詞 ただしくは 状詞(相言)」を おぎない。

2015年10月24日「日本語文法の かなめ」に「第5章:動詞述語の パラダイム」を おぎない。

2015年10月23日「日本語文法の かなめ」に「前篇:品詞論の 概観」「第4章:名詞の 関係構造の 変化」を おぎない。

2015年10月20日「日本語文法の かなめ」に「第3章:文の 階層性と 対立性」を おぎない。

2015年10月19日「日本語文法の かなめ」に「第2章:語の 語彙性と 文法性」を おぎない。

2015年10月17日「ノート」に 「日本語文法の かなめ」の 初回(第1章)を おぎない。

2015年10月03日「文法研究ノート抄2」に 「「副詞」論の 不毛」を おぎない。

2015年10月02日「文法研究ノート抄2」に 「「二語文」の 基礎」を おぎない。

2015年10月01日「文法研究ノート抄2」に 「「時間の表現」その後」を おぎない。

2015年07月01日「文法研究ノート抄3」全般に 字句の 訂補。

2015年06月24日「文法研究ノート抄3」に 「時間と 叙法と つなぎ」を おぎない。

2015年06月23日「文法研究ノート抄3」に 「ハ と モ ―― とりたて と 接続」を おぎない。

2015年06月15日「文法研究ノート抄3」に 「"つなぎ" の 近代性」を おぎない。

2015年05月22日「奥田靖雄論 ノート」の 「4)うたがい」全般に 加筆。

2015年05月19日「文法研究ノート抄2」に 「ゆとりとしての 副詞」を おぎない。

2015年05月15日「奥田靖雄論 ノート」に 「2つの modus」を おぎない。

2015年05月13日「奥田靖雄論 ノート」に 「2つの 動詞(ムード)論」を おぎない。

2015年05月11日「奥田靖雄論 ノート」に 「2つの "してもいい"」を おぎない。

2015年05月09日「奥田靖雄論 ノート」に 「説明(4) 会話「のだ」の なぞ」を おぎない。

2015年05月02日「奥田靖雄論 ノート」の 「言行為」に 字句補訂と 【追補】。

2015年04月29日「サピア『言語』を よむ」の「歴史的所産としての 言語 ―― ながれ ―― 」の 第5節の 副詞の 部分を かきなおし。

2015年04月28日「サピア『言語』を よむ」の 序章「ことばから 言語へ」に 第4節を おぎない。

2014年05月23日「サピア『言語』を よむ」に「言語と 文学」を おぎない。

2014年05月22日「サピア『言語』を よむ」に「言語と 人種と 文化」を おぎない。

2014年05月21日「サピア『言語』を よむ」に「言語の 相互影響」を おぎない。

2014年05月20日「サピア『言語』を よむ」に「歴史的所産としての 言語 ―― 音声法則 ―― 」を おぎない。

2014年05月17日「サピア『言語』を よむ」に「歴史的所産としての 言語 ―― ながれ ―― 」の 後半を おぎない。

2014年05月16日「サピア『言語』を よむ」に「歴史的所産としての 言語 ―― ながれ ―― 」の 前半を おぎない。

2014年05月14日「サピア『言語』を よむ」に「言語構造の タイプ」の 後半を おぎない。

2014年05月13日「サピア『言語』を よむ」の「言語構造の タイプ」の 前半に おぎない。

2014年05月12日「サピア『言語』を よむ」に「言語構造の タイプ」の 前半を おぎない。

2014年05月10日「サピア『言語』を よむ」の「言語の 形式 ―― 文法的な 概念 ――」全体を ねりあげ。

2014年05月09日「サピア『言語』を よむ」に「言語の 形式 ―― 文法的な 概念 ――」4)以降を おぎない。

2014年05月08日「サピア『言語』を よむ」の「言語の 形式 ―― 文法的な 概念 ――」3)までに おぎない。

2014年05月07日「サピア『言語』を よむ」に「言語の 形式 ―― 文法的な 概念 ――」3)までを おぎない。

2014年05月06日「サピア『言語』を よむ」の「言語の 形式 ―― 文法の みちすじ(手順) ――」を (一般論 部分のみだが) ねりあげ。

2014年05月05日「サピア『言語』を よむ」に「言語の 形式 ―― 文法の みちすじ(手順) ――」を (一般論 部分のみだが) おぎない。

2014年05月04日「サピア『言語』を よむ」に「言語の おと sounds」を おぎない。

2014年05月03日「サピア『言語』を よむ」に「ことばの 要素 ―― 語 と 文 ――」を おぎない。

2014年05月02日「サピア『言語』を よむ」の「ことばから 言語へ」に 補注を いれる などして、全体を ねりあげ。

2014年05月01日「サピア『言語』を よむ」に「ことばから 言語へ」を おぎない。

2014年04月29日「サピア『言語』を よむ」の「まえがき」に 補注を いれる などして、全体を ねりあげ。

2014年04月28日「ノート」の ページに「サピア『言語』を よむ」の「まえがき」の 部分を おぎない(未完)。

2014年04月18日「日本語学外史ノート抄」の「馬場辰猪と 山田孝雄」1)の「福井久蔵」の 段落と、4)の 節の 最後とに 補筆。

2014年04月16日「日本語学外史ノート抄」の「馬場辰猪と 山田孝雄」に 最終的な 補筆。

2014年04月15日「日本語学外史ノート抄」の「馬場辰猪と 山田孝雄」全般を ねりあげ。

2014年04月14日「日本語学外史ノート抄」の「馬場辰猪と 山田孝雄」に 5)(余説)を おぎない。

2014年04月13日「日本語学外史ノート抄」の「馬場辰猪と 山田孝雄」に 4)を おぎない。(啄木の 命日に)

2014年04月12日「日本語学外史ノート抄」の「馬場辰猪と 山田孝雄」に 3)を おぎない。

2014年04月11日「日本語学外史ノート抄」の「馬場辰猪と 山田孝雄」に 2)を おぎない。

2014年04月10日「日本語学外史ノート抄」に「馬場辰猪と 山田孝雄」を おぎない。

2013年06月19日「文法研究ノート抄(その2)」の「蓋然性と 確率性」を いちぶ 訂補。

2013年06月18日「文法研究ノート抄(その2)」に「蓋然性と 確率性」を おぎない。

2013年06月18日「文法研究ノート抄(その2)」に「行為の 開始局面」を おぎない。

2013年06月15日「文法研究ノート抄(その2)」に「アスペクトと もくろみ」を おぎない。

2013年06月06日「文法研究ノート抄(その2)」の「アスペクトと 評価」に おぎない。

2013年06月04日「文法研究ノート抄(その2)」に「アスペクトと 評価」を おぎない。

2013年01月05日「文法研究ノート抄(その2)」の「連語論と 陳述論」に みじかい 注記を おぎない、いちおうの しめくくり。

2012年12月29日「文法研究ノート抄(その2)」の「連語論と 陳述論」の 2)「連語論の 方法の 基本」に おぎない。

2012年12月28日「文法研究ノート抄(その2)」の「連語論と 陳述論」に 2)「連語論の 方法の 基本」を おぎない。

2012年12月16日「文法研究ノート抄(その2)」の「連語論と 陳述論」に おぎない。

2012年12月15日「文法研究ノート抄(その2)」に「連語論と 陳述論」を おぎない。

2012年06月28日「文法研究ノート抄」の「かざし ノート」に「文構造の 二重性」を おぎない。

2012年06月27日「文法研究ノート抄(その2)」に「テンスの 変質」を おぎない。

2012年06月25日「文法研究ノート抄(その2)」に「推想態・複述語構文と 動作様相」を おぎない。

2012年06月16日「文法研究ノート抄」の「奥田靖雄論 ノート」の 末尾に「現実・可能・必然と まちのぞみ」を、

       「しごと」の「語と 文の 組織図」の 付録に「あゆひ の システム」を、おぎない。

2012年06月15日「文法研究ノート抄」の「かざし ノート」に「程度性・評価性と 叙法性」を おぎない。

2012年06月13日「文法研究ノート抄(その2)」に「不変化助動詞」を おぎない。

2012年06月10日「文法研究ノート抄」の「奥田靖雄論 ノート」の「説明」の 末尾に「用例 おそるべし」を 追記。

2012年05月23日「日本語学外史ノート抄」の 石垣謙二「第三国字論」を 全体に てなおし。

2012年05月20日「日本語学外史ノート抄」に 石垣謙二「第三国字論」を おぎない。

2012年05月17日「文法研究ノート抄」の「形式名詞/吸着語/つなぎ むすび」の 第1節末尾に【追記】を おぎない。

2012年05月08日「文法研究ノート抄」の「文法的な 意味の ありかた」の ふたつめの 補注を 一歩 ふみこんで 改稿。

2012年05月05日「データ」の『ことばの科学』の「総目次」に「発行にあたって」(奥田 口述 部分)を 注釈つきで おぎない。

 第6・7集の 執筆者 名義の 変更にも、ある よみかたが 必要だろう。毛沢東ではないが、奥田 晩期の 混迷を 予感させる。奥田靖雄論も、第二稿を そろそろ 用意しなければならない 気もする。没後10年、いくつかの 事実も あきらかに なってきた。

2012年04月15日「文法研究ノート抄」の「かざし ノート」に「現代かざし抄 ―― なおがき ――」を おぎない。

2012年04月02日「文法研究ノート抄」の「奥田靖雄論 ノート」の「言行為」に 補記を 2か所 加筆。

2012年03月18日「文法研究ノート抄」を 全体的に かたちを ととのえる。

2012年03月11日「文法研究ノート抄」の「文法的な 意味の ありかた」と「推想態 (evidentials)」に 補記を 加筆。

2012年03月06日「文法研究ノート抄」の「文法的な 意味の ありかた」の 後半を おぎない。

       【先週 地盤改良工事が おわった。躯体工事(1年間)の 騒音は 気にしない ように するしか ない。】

2012年02月19日「文法研究ノート抄」の「形式名詞/吸着語/つなぎ むすび」の 第0節と 第1節などに 補記。

2012年02月11日「文法研究ノート抄」の「形式名詞/吸着語/つなぎ むすび」の 第4節を 増補し、全体に 字句を 補訂。

  【先月末、近隣の マンション新築工事 開始。地盤改良工事の 期間、平日は ちかづけない。トラウマなのだ。】

2012年01月25日「文法研究ノート抄」の「形式名詞/吸着語/つなぎ むすび」の 第5節の 補注を、

                   ある 指摘や 反応を うけて、おおはばに かきかえ、

       「文法研究ノート抄」の「分節 と 二重分節」に 補注を おぎない。

2012年01月18日「文法研究ノート抄」の「形式名詞/吸着語/つなぎ むすび」に 新4節を おぎない、全7節 じたてに。

2012年01月17日「文法研究ノート抄」に「分節 と 二重分節」を おぎない。

2012年01月16日「文法研究ノート抄」に「恣意性 と 一般性」を おぎない。

2012年01月12日「文法研究ノート抄」に「無標と ゼロ記号」の 後半を おぎない。

2012年01月11日「文法研究ノート抄」に「無標 ゼロ記号」を おぎない。

2012年01月07日「文法研究ノート抄」の「推想態 (evidentials)」に 後半(補注)を おぎない。

2012年01月05日「文法研究ノート抄」に「推想態 evidentials」を おぎない。

2011年12月30日「文法研究ノート抄」の「形式名詞/吸着語/つなぎ むすび」の 第4・6節 末尾を 補訂。

2011年12月28日「文法研究ノート抄」の「形式名詞/吸着語/つなぎ むすび」の 末尾に 回顧の 段落を 増補。

2011年12月25日「文法研究ノート抄」の「形式名詞/吸着語/つなぎ むすび」に、むだぐちに ならない よう 注意しながら、

       教育的な 言辞(注)を 補筆。

2011年12月23日「文法研究ノート抄」の「形式名詞/吸着語/つなぎ むすび」の むだぐちと おもわれる 表現を 削除。

2011年12月15日「文法研究ノート抄」の「形式名詞/吸着語/つなぎ むすび」第1節末尾の 論理の 短絡ぎみの 飛躍を

       「外史」的に より明確に 修正。また、全般に 推敲して、「むすび」を 独立させ、第6節じたてに 変更。

2011年12月13日「文法研究ノート抄」に「形式名詞/吸着語/つなぎ むすび」(3〜5)を おぎない。

2011年12月12日「文法研究ノート抄」に「形式名詞/吸着語/つなぎ むすび」(0〜3)を おぎない。【解体工事 終了!】

2011年12月07日「文法研究ノート抄」の「テンス・アスペクトの概要」の「5') (動詞体系図式)詳細分布図」を 補訂。

2011年11月27日「文法研究ノート抄」の 項目(ノート)の 配列 編成を かえて、便宜的な 整理を ほどこす。

2011年11月26日「文法研究ノート抄」に「文法的な 意味の ありかた」を おぎない。

2011年11月03日「文法研究ノート抄」の「-素 -eme と かた pattern」に 補注などを おぎない。

2011年10月30日「文法研究ノート抄」の「-素 -eme と かた pattern」の 後半を かきあらため。

2011年10月23日「文法研究ノート抄」の「-素 -eme と かた pattern」に おぎない。

2011年10月16日「文法研究ノート抄」に「-素 -eme と かた pattern」を おぎない。【解体工事 開始。日祝のみ 更新。】

2011年07月28日「文法研究ノート抄」に「Geist / genius / ことだま」を おぎない。

2011年07月25日「文法研究ノート抄」に「ながれ drift」を おぎない。

2011年07月24日「文法研究ノート抄」に「きれつづき」を おぎない。

2011年07月19日「文法研究ノート抄」の「山田文法批判 ノート(初稿)」の 脱線転覆的な 部分を 削除。

2011年06月22日「文法研究ノート抄」に「ことばの しなじな」を おぎない。

2011年05月18日「文法研究ノート抄」の「山田文法批判 ノート(初稿)」の 第3章の 節の たてかたの 整理と 語句の おぎない。

2011年05月13日「文法研究ノート抄」の「山田文法批判 ノート(初稿)」の 3-2節の 補注に 脱線転覆的な おぎない。

2011年05月09日「文法研究ノート抄」の「山田文法批判 ノート(初稿)」に 校正的な てなおしと 脱線(補注)的な おぎない。

2011年04月18日「文法研究ノート抄」の「山田文法批判 ノート(初稿)」の「ムード・モード」の 部分(2-4節)に、

        説明的な 用例を おぎなって、解説を より ていねいに する。

2011年04月13日「文法研究ノート抄」の「山田文法批判 ノート(初稿)」の 字句を てなおしして、初稿として しめくくる。

2011年04月11日「文法研究ノート抄」の「山田文法批判 ノート(初稿)」の 文章の ねりあげ。

2011年04月06日「文法研究ノート抄」の「山田文法批判 ノート」に 字句の なおしと おぎない。

2011年04月05日「しごと」の「「情態副詞」の 設定と 「存在詞」の 存立」に 解説的な 字句や リンクの おぎない。

2011年04月04日「文法研究ノート抄」の「山田文法批判 ノート」に 解説的な 字句や リンクの おぎない。

2011年03月24日「文法研究ノート抄」の 山田文法批判 ノート の 岡澤鉦次郎の「時間式・動作式」の 部分などの 補訂。

2011年03月10日「文法研究ノート抄」の 山田文法批判 ノート の 解説的な 字句の なおしと おぎない。

2011年01月31日「文法研究ノート抄」の 山田文法批判 ノート の 文章の ねりあげ。

2011年01月29日「文法研究ノート抄」の 山田文法批判 ノート の 文章の ねりあげ。

2011年01月28日「文法研究ノート抄」の 山田文法批判 ノート の 文章の ねりあげ。

2011年01月27日「文法研究ノート抄」の 山田文法批判 ノート に 字句の おぎない。

2011年01月26日「文法研究ノート抄」の 山田文法批判 ノート に おぎない。

2011年01月25日「文法研究ノート抄」に 山田文法批判 ノート を おぎない。

2010年11月09日「文法研究ノート抄」の 奥田靖雄論ノートの 文章の ねりあげ。

2010年11月02日「文法研究ノート抄」の 奥田靖雄論ノートに 現実・可能・必然 を おぎない。

2010年10月28日「文法研究ノート抄」の 奥田靖雄論ノートの 説明 に 字句の てなおし。

2010年10月27日「文法研究ノート抄」の 奥田靖雄論ノートの 説明 に 注を おぎない。

2010年10月26日「文法研究ノート抄」の 奥田靖雄論ノートに 説明 を おぎない。

2010年10月25日「文法研究ノート抄」の 奥田靖雄論ノートの 全般に 字句の なおしと 文章の ねりあげ。

2010年10月25日「文法研究ノート抄」の 奥田靖雄論ノートに はたらきかけ と もようがえ を おぎない。

2010年10月25日「文法研究ノート抄」の 奥田靖雄論ノートに 文の 人称性 を おぎない。

2010年10月24日「文法研究ノート抄」の 奥田靖雄論ノートに 体系と 構造 を おぎない。

2010年10月24日「文法研究ノート抄」の 奥田靖雄論ノートに 言語活動と ことば を おぎない。

2010年10月23日「文法研究ノート抄」の 奥田靖雄論ノートの カテゴリカルな意味 に 例と 説明を おぎない。

2010年10月22日「文法研究ノート抄」の 奥田靖雄論ノートの 言行為の おわりに 補注を おぎない。

2010年10月20日「文法研究ノート抄」の 奥田靖雄論ノートに カテゴリカルな意味 を おぎない。

2010年10月19日「文法研究ノート抄」の 奥田靖雄論ノートの 形態論に おぎない。

2010年10月18日「文法研究ノート抄」の 奥田靖雄論ノートに 形態論を おぎない。

2010年10月14日「ノート」の ページの くみたての もようがえ。

2010年10月05日「しごと」の「研究会の 注記」の 最後に おぎない。

2010年09月18日「文法研究ノート抄」の 奥田靖雄論ノートの 文章の ねりあげ。

2010年09月17日「文法研究ノート抄」の 講義ノート 関係の よそおいを あらため、を格の 連語 一覧 を おぎない。

2010年09月17日「文法研究ノート抄」の 奥田靖雄関係の みっつの よそおいを あらため、ことばを てなおし。

2010年09月14日「文法研究ノート抄」の 奥田靖雄関係の みっつの 字句の てなおし。

2010年09月13日「文法研究ノート抄」の 奥田靖雄の「言行為」に おぎない。

2010年09月12日「文法研究ノート抄」の 奥田靖雄関係の みっつの 文章の ねりあげ。

2010年09月11日「文法研究ノート抄」の 奥田靖雄関係の みっつに 字句の なおしと 文章の ねりあげ。

2010年09月10日「文法研究ノート抄」の 奥田靖雄と 宮島達夫 に 字句の なおしと おぎない。

2010年09月09日「文法研究ノート抄」に 奥田靖雄と 宮島達夫 ―― 「主観と客観」をめぐって ―― を おぎない。

2010年09月09日「文法研究ノート抄」の 奥田靖雄の「言行為」に 字句の なおしと おぎない。

2010年09月07日「文法研究ノート抄」に 奥田靖雄の「言行為」を おぎない。

2010年09月03日「ノート」の『日本語学外史』ノート抄 の 『日本語の根本問題』読書ノート に 字句の なおしと おぎない。

2010年09月02日「ノート」の『日本語学外史』ノート抄 に 『日本語の根本問題』読書ノート を おぎない。

2010年08月28日「文法研究ノート抄」の 奥田靖雄と「構文論的アプローチ」に 補注 おぎない。

2010年08月24日「文法研究ノート抄」の 奥田靖雄と「構文論的アプローチ」に 字句の なおしと おぎない。

2010年08月23日「文法研究ノート抄」の 奥田靖雄と「構文論的アプローチ」に おぎない。

2010年08月22日「文法研究ノート抄」に 奥田靖雄と「構文論的アプローチ」を おぎない。

2010年07月24日「しごと」の「研究会の 注記」に おぎない。

2010年07月21日「しごと」の「日本文法学 としての しごと」に ふるい ものを ふたつ おぎない。

2010年07月18日「しごと」の「日本文法学 としての しごと」と 「研究会の 注記」に おぎない。

2010年07月18日 閉鎖した 大学の サイトの 授業プリントを「しごと」に ひとつ 復活。

2010年07月17日「しごと」「ノート」の ページの くみたてを もようがえし、

       「しごと」に ひとつ、「文法研究ノート抄」に ふたつ、おぎない。

2010年07月16日 この「ながれ」に 【前史 略】を おぎなう。

2010年07月15日「データ」の「日本語学外史 年表 (未定稿)」に 稲富・佐久間 関連の おぎない。

2010年07月13日「データ」の「日本語学外史 年表 (未定稿)」に リンクはり。

        ただし、この 年表の はじめと おわりは、もう かわらない と おもう。

2010年07月10日「しごと」の「研究会の 注記」に おぎない。

2010年07月09日 へや(ページ)の なまえを かえるなど おおはばに もようがえ。

2010年07月08日「散策」との すみわけを はかり、研究的な ものは この 研究所の サイトの ほうに のこし、

       「散策」(現「としよりの くりごと」)の ほうは それ以外の 一般の ものに かぎる。

2010年07月05日「研究集録」の「日本文法学上の 仕事」に おぎない。

2010年06月24日「日本文法学の散策」(現「としよりの くりごと」)の ミラーサイトとして とりあえず 出発。


 【「ゲート」前史 略】

2006年02月02日「諸事雑録」の『年報』雑筆抄 に追補。

2005年09月14日「研究集録」の 日本文法学上の仕事 に追補。

2005年02月24日「諸事雑録」の『年報』雑筆抄 に追補。

2005年02月20日「研究集録」の 日本文法学上の仕事 に追補。

        奥田 靖雄「言語過程説について(1)」の翻刻ミスを、10カ所 訂正。

2004年02月10日「諸事雑録」の『年報』雑筆抄 に追補。

2003年12月07日「諸事雑録」から「イラク戦争への おもい」と「国立大学法人法案についての意見」を削除。

2003年06月30日「ぷらら」サイト廃止。このサイトに 全面移行 完了。

2003年06月08日「ぷらら」のミラーサイトとして、とりあえず出発。


 【「ぷらら」前史 略】

2003年04月15日 <表紙の画像と音楽> と「イラク戦争への おもい」を もようがえ。

2003年04月12日「諸事雑録」に「イラク戦争への おもい」を 抄録。他を 旧に 復す。

2003年04月06日 ゲーム感覚の 戦争・集団殺人報道に やりきれない おもいで、<表紙の画像と音楽> を 更新。

2003年04月01日「休憩の間」に ミュシャの リトグラフのコピーを 一対 掲載。

2003年03月30日「研究余録」を「研究集録」に、「自己紹介」を「諸事雑録」に、それぞれ 改称し、編成がえ。

        くわしくは「散策域図」を見てください。

2003年03月21日「保安官」気どりの我利我利亡者(がりがりもうじゃ)への おもいを こめて <表紙の画像と音楽> を 変更。

       「研究余録」に「国立大学法人法案」に対する 意見や声明への リンクを はる。

2003年01月14日「研究余録」の「年報 雑筆 抄」を 更新。

2003年01月08日「散策域図」を 新設。

2003年01月07日 新年の よそおいを はずす。「休息の間」を「花の部屋」に改称。

2003年01月06日「研究資料」の「日本語学外史年表」の 1945年の項に 補注。

2003年01月03日「研究資料」の「日本語学外史年表」の 1953年の項に 50年前における機能主義の台頭を示す著作を 追補。

       「研究資料」に「言語学研究会『ことばの科学』総目次・内容別分類」を 追加。

2003年01月02日「日本語学外史年表」の 1943年の項と 吉村 康子「言語過程説の主体的意識」の小引に 補注。

2003年01月01日「はじめ」などを 新年の よそおいに。どこかに おとしだま(?)が …… ニャーン チャッテ。

2002年12月23日「随想・追憶 抄」に「奥田靖雄先生との 出会い」を 掲載。

2002年12月21日「研究余録」に「随想・追憶 抄」を 新設し、「東大国語研究室 創設百周年に 寄せて」を 掲載。

2002年12月15日「日本語学外史年表」(1945年の項)と そのリンク先の「有三記念館」に それぞれ 補筆。

2002年12月11日 いくつかのページの レイアウトや 壁紙などを 変更し、「日本語学外史年表」(1964年の項)に 補注。

2002年12月08日「研究余録」の「語と文の組織図」の注に 追記(◆)。

2002年12月05日「研究余録」の「語と文の組織図」を 補訂し、注に 補筆(▼)。

2002年11月13日「……花たち」を「休息の間」として 独立させ、「休憩の間」の新設工事を 開始。

2002年11月12日 吉村 康子「言語過程説の主体的意識」の小引を、関係者の証言に もとづいて、一カ所 訂正。

2002年11月02日 奥田 靖雄「言語過程説について(1)」の誤読を、一カ所 訂正。

2002年10月27日「研究資料」の「民主主義科学者協会 言語科学部会 関連資料」に 2論文(復刻)へのリンクを はる。

2002年10月13日「研究資料」に「日本語学外史 年表 (稿)」を 試験公開。

       「研究資料」の「民主主義科学者協会 言語科学部会 関連資料」に補筆。

2002年10月06日 大学の個人サイトとの機能分化をはかり、「お知らせ」と「講義資料」とを削除。

2002年9月08日「研究資料」の「近代語データベース」と「近代語データベース ファイル(作品)名一覧」を更新。

2002年8月12日「研究資料」に「民主主義科学者協会 言語科学部会 関連資料」を新設(ただし いまだ工事中)。

2002年6月13日 はじめに カウンターを設置。

2002年1月30日「研究資料」の「テキスト化ツールなどへのリンク」を更新。

2002年1月23日「講義資料」の「日本語構文論 入門(下) レジュメ」の後半を更新。

2001年12月31日「研究資料」の「近代語データベース」と「近代語データベース ファイル(作品)名一覧」を更新。

2001年12月29日「研究余録」の「語と文の組織図」にリンクを付加し、「『年報』雑筆 抄」へのリンクを追加。

2001年9月18日「研究余録」に「文法研究ノート 抄」へのリンクを追加。

2001年9月07日「プロフィール」略歴欄の<居住歴>を一部訂正して加筆。

       「研究資料」から「近代語データベース ファイル(作品)名一覧」を別ページにし、[付記]を加筆。

2001年9月02日「学内用掲示板」に、「開講科目の概要」と「卒業研究への案内」を追加。

2001年8月30日「研究資料」のページに「近代語データベース」の解説を掲載。

2001年8月15日「ぷらら」に、東京外国語大学の個人サイトのミラーサイトとして、開設。


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