■梅棹忠夫のローマ字論断片集

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■以下は、梅棹忠夫先生が日本ローマ字会の会長をしておられたときに、会誌Rômazi Sekai(99式発表後はRoomazi Sekai)にかかれたり、講演会でおはなしになったことの記録から、ローマ字論に関する部分を引用・要約したものです。最後の「注意がき」を無視しないでください。

目次


寄稿文

『会長就任にあたって』からの引用

梅棹忠夫(著). 会長就任にあたって. Rômazi Sekai. Syadan hôzin Nippon Rômazikai. 1993年7月, No.603, pp.1-2. からの引用です。

(略)

日本語をどのような文字でかきあらわすかについては、さまざまな方式がある。現在、世のなかでおこなわれている漢字かなまじり方式のほかに、カナモジやひらかなだけ、あるいはローマ字がきもありうるのである。わたしはこの問題にずっと関心をもちつづけて、さまざまな方式を実践してきた。そして、最近はまたけっきょく、ローマ字が日本語にはいちばん適しているというかんがえをもつにいたったのである。ちょうどそのときにローマ字会会長のはなしをうけたので、よろこんでおうけしたのであった。

しかしながらこの50年のあいだに、日本語をとりまく状況はおおきくかわっている。外国語、とくに英語が日本語のなかに大量にはいりはじめたこともその変化のひとつである。また、世界における日本語の国際的地位もおおきくかわりつつある。日本語を学習するひとの数はひじょうにおおきいものになり、ますますふえつつあるのが実状である。ローマ字がき日本語に対する潜在的需要は、はなはだおおきいものとかんがえなければならないだろう。

日本語の内部でもはげしい変化がおこった。ワープロの出現と普及によって、漢字かなまじり文がいっきょに機械化された結果、ローマ字の機能的効率性という論理が説得性をうしなってきている。

これらの状況の変化は、伝統的なローマ字論の基礎をゆるがせはじめているのである。いまはローマ字論そのものの再点検と理論的再構築をはからなければならない時期であろう。従来の論理のままでは万人のなっとくが得にくいのである。

以上のことをかんがえあわせると、現在のローマ字運動はひとつの転機にさしかかっているといわざるをえないであろう。従来の路線の延長線上をゆくだけではすまなくなっているのではないか。わたしはたいへんな時期にローマ字会の会長をひきうけたのである。

(略)

『老人たちはいま』からの引用

梅棹忠夫(著). 老人たちはいま. Rômazi Sekai. Syadan hôzin Nippon Rômazikai. 1993年11月, No.607, pp.1-3. からの引用です。

(略)

エネルギーにみちたわかい世代の人たちに戦列にくわわってもらわなければならないのだが、実状をきいてみると、その肝心のわかい世代の人たちはローマ字論などにはまるで関心がなく、興味をしめさないという。現在おこなわれている漢字かなまじりシステムで、なんの不自由もないのに、なぜローマ字をつかわなければならないのか、まったくわからないというのだそうである。じっさいは「なんの不自由もなく」ではないのである。高等教育をうけた人たちでも、日常の新聞や雑誌が完全に読めているとはいえないのである。読めない文字や読みちがえはいくらでもある。書けない文字はいくらでもある。事態は1948年におこなわれた「日本人の読み書き能力調査」の時代と本質的にあまりかわっていないのである。わかい人たちに、現行の表記システムがいかにむつかしいものであるかを、具体的に自覚してもらうことからはじめなければならないだろう。

(略)

『長音記号の再検討』からの引用

梅棹忠夫(著). 長音記号の再検討. Rômazi Sekai. Syadan hôzin Nippon Rômazikai. 1994年4月, No.612, pp.1-4. からの引用です。

日本語の母音には長短の区別がある。短母音と長母音の別は、意味の区別をともなう。たとえば、鳥(とり)と通(とおり)とは、まったくちがう語である。人名でも森さんと毛利さんとは、はっきり区別しなければならない。これを混同すれば、めちゃくちゃなことになる。

かながきの場合には、短母音と長母音ではいつもはっきりとかきわけられている。ア音とイ音の場合は、たとえば「おかあさん」「きいろ」のように、長音は「ああ」、あるいは「いい」とかく。ウ音とオ音の場合は、「くうき」「がっこう」のように、長音は「う」をそえて「うう」「おう」となる。エ音の場合、「けいざい」のように、原則的に「え」「い」である。外来語の場合は、たいていは長音は音引き記号(ー)であらわす。たとえばカーテン、メートル、コートなどとかく。

ローマ字の場合はどうなるであろうか。日本式の場合は伝統的にヤマガタ(^)を母音のうえにつけて、長音をあらわしてきた。また、ヘボン式では母音のうえにバー(¯)をつけてあらわしてきた。日本式の系統をひく訓令式では、一時、バーで長音をあらわすことを許容したが、もともとはヤマガタであったはずで、現在もそれがみとめられている。

ところが、現実に日本語をローマ字でかくときに、少数のローマ字主義者をのぞいては、いずれもこれらの長音記号をかかないのがふつうである。たとえば、東京は Tokyoであり、大阪は Osakaである。これではこまるではないか。

日本語の発音には短音と長音があって、文字においてもそれを区別してかかなければならない。こんな自明のことをなぜ人びとは実行しないのだろうか。日本式ないしは訓令式のローマ字の訓練をうけたひとは注意してかきわけているが、一般のひとではまずそういう注意はみられない。ローマ字がきの名刺をみても、光太郎と小太郎とはおなじなのである。

長音符をつけるという習慣がなぜおこなわれないのか。ひとつには、めんどうだからである。印刷所でもこれらの記号のついた母音の活字をもっているところはすくない。校正のときに、ただしくこれらの記号をつけさせるのにはまったく苦労する。

言語によっては、ふつうのアルファベットのほかに、さまざまな記号をつけて音韻的な区別をあらわす場合がすくなくない。ドイツにはä、ö、üなどのウムラウトがある。フランス語にはアクサンシルコンフレックス(^)、アクサンテギュウ(´)、アクサングラーブ(`)がある。それはそれでなれてしまえばよいのだが、日本でいちばん普及している英語には、そのような付加記号がまったくない。ひとつにはこれが日本語において長音記号をつける習慣が成立しない理由であろう。

日本式ローマ字がつかわれはじめた当時は、今日のように英語は普及していなかった。だから、そのころは英語の影響などということは、あまりかんがえる必要はなかったのかもしれない。しかし、今日では事情がかわってきている。英語にない記号を付加することには、そうとうな抵抗があるのである。逆にこの長音記号、とくにヤマガタをつけなければならないということが、ローマ字がき日本語の普及をさまたげるひとつの原因になるのではないだろうか。今日のローマ字会の会員のみなさんは、このことをどうおかんがえであろうか。

英語の場合は短母音と長母音の区別があいまいなので、長音記号はかえってわずらわしい。言語によっては日本語とおなじように、短母音と長母音が明確に区別されているものがある。そのような言語では、なにかの記号をつけて、両者をはっきりと区別しなければならない。たとえば、ハンガリー語とチェコ語の場合がそれである。このふたつの言語では長母音は母音のうえに、ななめ右うえから左したへのアクセント記号でしめされている。ハンガリー語ではöの文字があるが、それが長音の場合はそのウムラウト記号がダブルアクセントőになる。この方式はヤマガタやバーよりは簡便で、実際的であったかもしれない。

そのような付加記号で長音をあらわすよりも、もっとも簡明な方法は母音をふたつかさねてかくことである。訓令式の現在の表記法でも、iの長音はiiとかくことになっている。たとえば「ちいさい」は tiisaiである。この方式をすべての母音の長音の表記にもちいるのである。

この方式をとっている言語もある。フィンランド語である。たとえばフィンランドの通貨の単位はマルカアであるが、それはmarkaa とかく。「こんにちは」は Hyvää päivää である。[引用者注: "Hyvää päivää" は英語の "Good day" に相当する。]

おなじ方式を日本語に適応したらどうなるか。これなら、鳥toriと通toori が混乱をまねくことはまったくない。森 Mori さんと毛利 Moori さんとは、はっきり区別ができる。

これはたいへん合理的なのだが、現実には猛烈な抵抗に出あうであろう。たとえば東京はTookyoo となり、京都はKyootoとなる。これはふつうに見なれているTokyo やKyoto とはかなりちがった印象をあたえるので、抵抗がおおきいであろう。大阪のほうは訓令式ではOosakaとかいていたので、まだしも抵抗がすくないかもしれない。

ほんとうは日本語の伝統的な音韻に則して、東京をかながきどおりにToukyou とかき、京都をKyoutoとかくべきであったのかもしれない。よみかたはかながきの日本語とおなじで、長母音でよめばよいのである。この方式は日本人にはまことにもっともで、かながきから自然にローマ字がきに移行できる。しかし、外国人や訓令式ローマ字になれたひとにとっては、やはりかなりの抵抗をまきおこすであろう。

このようなことは、日本語をローマ字がきにするうえではもっとも基本的な事項であって、いまごろ問題にしなければならないことではないはずだろう。じっさい、田中館愛橘先生のころには、もちろん疑問の余地もなく、解決ずみのことだったにちがいない。しかし、その後の世界の状勢がかわり、日本語をとりまく状勢もかわった。現代において、ローマ字がき日本語を再出発させるにあたって、わたしはこの点を再検討しなければならないとかんがえている。ローマ字会の会員のみなさまのご意見をうかがいたいものである。

『ローマ字教育がはじまったころのこと』からの引用

梅棹忠夫(著). ローマ字教育がはじまったころのこと. Rômazi Sekai, 1994年8月, No.616, pp.不明. (ja). (2010年6月, No.806, pp.1-6. に再掲されたものを参照). からの引用です。強調表示は筆者の意図によるものです。

講習会テキスト

1946年 5月、わたしは大陸からの引揚者として日本にかえってきた。京都大学に籍をおいたままであったので、そこに復帰したのである。

帰国して、いくつかのあたらしい仕事にとりかかった。そのひとつがローマ字の勉強であった。ちょうど戦後さまざまな文字改革がおこなわれようとしているときで、それらのうごきにつよい関心をもっていたので、その一環としてのローマ字研究であったかとおもう。

わたしが熱心に研究した「教科書」は、田丸卓郎博士の『ローマ字文の研究』であった(註)。田丸博士の場合、つづり字は田中館愛橘博士以来の伝統的な日本式で、その文法はドイツ文法に範をとったものらしく、たとえば、名詞は大文字ではじめるのである。全体としては、かなりむつかしいシステムであった。わたしはそれでも、そのシステムを理解して、自由にローマ字で日本文がかけるようになった。

文部省が「小学校におけるローマ字教育の実施要項」を発表したのは1947年 2月であった。じっさいにローマ字教育が小学校で実施されたのは、その年の 4月からであった。実施にあたっては、小学校の先生がたは大恐慌だったのではないかと推測している。とにかく先例のないことで、なにをどうおしえるのか、とまどったひとがおおかったのではないか。京都でも、あちこちでローマ字教育に関する研究会や講習会がひらかれた。

この段階でローマ字がき日本語についての知識と経験をもっていたのは、日本ローマ字会の会員たちであった。京都にはその支部があった。京都でひらかれたローマ字教育の研究会や講習会には、日本ローマ字会京都支部のメンバーが講師としてよばれて、ローマ字がき日本語の手ほどきをした。わたしはすでにその会に所属していたので、なんどかローマ字講習会の講師をつとめることとなった。

もちろん、体系だった教科書などはなかった。わたしは自分で講習会用のテキストをつくり、ガリ版ずりのものを用意した。現在、手もとに数部のこっているが、それにはローマ字で『ローマ字講習会テキスト』と書かれている。日づけがはいっていないので、発行年月日は不明であるが、たぶん1947年の春につくられたものであろう。あるいはローマ字教育の実施をみこして、1946年末につくられたものかもしれない。内容は、忠実に田丸文法にしたがっている。たとえば、sannin no Oyasanninno Oya が書きわけられているのである。前者は子どもが3人であるのに対して、後者は親が3人いるという意味である。こういう点は、じっさいの講習会の講義の際には、説明にかなり苦労した。こんなむつかしいものが小学校教育にもちこまれて、ほんとうにだいじょうぶだろうかと心配になったのをおぼえている。

(註) 田丸卓郎(著) 『ローマ字文の研究』 1920年11月 日本のローマ字社

東大システム

日本語をローマ字でかこうという運動は、もちろん戦前からあったものである。筋金いりのローマ字主義者がたくさんおられて、わたしもそのうちの幾人かのひとと知りあいになった。日本ローマ字会京都支部の中心人物は斎藤強三氏で、ほかに薮内清、岩倉具実、西村浩、遠藤嘉基などの諸氏と知りあった。東京からも高名なローマ字主義者が続々と京都にこられた。土岐善麿、佐伯功介、鬼頭礼蔵、堀内庸村の諸氏である。京都でのローマ字教育の研究会にも、その人たちが出席して講演されることがあった。

これらの人たちは「筋金いり」といわれるだけあって、理論的にも実践的にも強靭きわまるローマ字論者であった。しかも、おしなべて田丸文法の信奉者であり、田中館博士以来の伝統的な表記法をとっておられた。

ところが、ここに一大異変が起こった。東京大学の柴田武氏が京都にこられ、わたしは京都大学の人文科学研究所でかれにあった。そしてそこで、いわゆる「東大式」といわれる表記システムの解説をうけた。それは、まことに簡明きわまるシステムであった。これなら学校教育に持ちこんでも、じゅうぶんに活用できるものとおもわれた。わたしはさっそくに東大システムに転向して、その方式で文章を書きはじめた。

小学校においてローマ字教育がはじまったころには、おびただしい種類の教科書が出版された。しかし、そのおおくは、ずいぶんいいかげんなものであった。ローマ字がき日本語についての先人の努力の結果も、まったく知らずにつくったとおもわれるようなものもすくなくなかった。

斎藤強三氏を中心とする京都ローマ字会では、しっかりした教科書をつくろうということになって、その作業にとりかかった。1946年 9月には、京都大学に京大ローマ字会というのができて、かなりの会員があつまりつつあった。その人たちが京都ローマ字会に協力して、小学校用の『ローマ字教室』という教科書をつくった(註1)。やがてその続篇がつくられた(註2)。それとはべつに、わたしはもうすこし高級な文法書をつくった。それが『ローマ字研究読本』というB6判48ページの小冊子である(註3)。これらの教科書はすべて東大システムでかいたものである。

小学校教育にローマ字を導入することは、ローマ字運動にたずさわってきた人たちには永年の夢だったはずである。そして、それが1947年春には実現したのだから、これは大勝利であったと言わなければならない。これで日本のローマ字運動は大躍進をとげるものとおもわれた。ちょうどそのころから、わたしは本業のほうがいそがしくなって、ローマ字運動にさく時間がへりはじめていた。しかし、ローマ字教育が教育の現場に導入されたのだから、ローマ字運動の前途には洋々たるものがあるとわたしは安心していた。

  • (註1) 社団法人日本ローマ字会、京都ローマ字会、京都帝国大学ローマ字会(編) 『ローマ字教室(基本編)』 1947年 3月 都新聞社
  • (註2) 社団法人日本ローマ字会、京都ローマ字会、京都帝国大学ローマ字会(編) 『ローマ字教室(第二編)』 1947年 9月 都新聞社
  • (註3) 京都大学ローマ字会(著) 『ローマ字研究読本』 1948年 6月 6・3書房

ローマ字教育の衰退

ところが、教育現場ではかならずしもわたしが期待したようなことはおこらなかったようである。熱心な先生もすくなかったであろうが、なかにはローマ字教育などというものを迷惑視するひともいると聞いた。文部省のほうでも、ローマ字教育にはあまり熱をいれることもなかったようである。

現在、わたしの手もとにおもしろい文書がのこっている。「ローマ字教育の廃止に反対する共同声明書」で、日づけは1956年 5月である。その内容をみると、当時、文部省では小・中学校におけるローマ字教育を廃止すべしという意見がおこなわれていたという。それに対して、この声明書は「廃止すべきでない」ということを主張しているのである。発起人として荒正人、江戸川乱歩、羽仁五郎、兼常清佐、片山哲、桑原武夫、中島健蔵などの高名な知識人が名をつらねている。

この文書をみると、このころすでに文部省は、ローマ字教育の推進にほとんど熱意をしめさなくなっていたようである。そして、教育の現場においても、ローマ字教育はすでにしだいに低調となり、熱心な先生の数もへりはじめていたようである。せっかく初等・中等教育のなかにローマ字教育が導入されていながら、これはいったいどうしたことであろうか。

わたしは教育現場の人間ではないから、初等・中等教育の現場でどういう変化がおこっていたのか知らない。それにしても、たいへんふしぎな気がする。せっかく条件がととのいながら、ローマ字教育はさかんにならなかったのである。ローマ字教育は上記の声明書が心配しているように廃止にはいたらなかった。しかしその後は、率直にいって衰微の一路をたどったようである。現在でも細々とはつづいているらしいが、その初期にくらべてさかんになったとは、とうてい言いがたいであろう。

なぜ、ローマ字教育はおとろえたのであろうか。それにはいろいろな要因がからんでいるであろうから、一概にはいうことはできない。この点については、教育の現場におられたかたがたの率直な感想と意見をききたいものである。

いろいろなことがかんがえられるが、ひとつには現場の国語科の教員たちのおおくが日本語そのものに、ほとんど興味をもっていなかったのではないか。日本の国語教育は、伝統的に鑑賞を主とする文学教育であって、言語としての構造や表記の問題などに興味をしめす言語教育ではないのである。もし、国語科の教員たちが日本語を言語としてとらえる習慣が確立しておれば、結果はもうすこしちがったものになったのではないかと、わたしはかんがえている。

多難なる前途

教育界も一般社会も、日本語をローマ字で書くことについての基本的な認識が欠けていたのではないかと、わたしはみている。これは国語の問題である。あるいは日本語の問題である。にもかかわらず、なんとなくローマ字というものは、英語教育との関連において理解されていたのではないかとおもわれるふしがある。英文のなかに日本語を混入させるときにつかうぐらいのことしか、かんがえていなかったのではないか。とくにローマ字などは英語科であつかうものであって、国語科であつかうべきものではなかろうという気もちが、教師にも一般社会にもあったのではないだろうか。

日本語をローマ字で書くことには、つよい文明史的自覚とそれなりの理論が必要なのである。しかし、文部省も教育界も一般社会も、その理論と方策を構築する努力をあまりしてこなかったようにおもわれる。その点は現状においても、たいしてかわっていないであろう。ローマ字がき日本語の前途はなお多難である、といわなければならない。

『ふたたび長母音について』からの引用

梅棹忠夫(著). ふたたび長音について. Rômazi Sekai, 1995年5月, No.625, pp.1-3. (ja). からの引用です。

日本語の母音には短母音と長母音の区別がある。短母音か長母音かによって単語の意味が区別されるために、このふたつは厳密に書きわけなければならない。ローマ字で書くときには、田中館愛橘先生の日本式、およびのちの訓令式のつづりかたでは、長母音のうえにヤマガタ(^)をつけることになっている。ヘボン式ではバー(¯)をつける。たとえば「古墳」kohun と「興奮」kôhun などがその例である。

わたしはまえに『Rômazi Sekai』第612号でこの問題をとりあげ、長母音の書きあらわしかたの再検討をうったえた。これらの記号を付加するよりも、長母音の場合はその母音をふたつかさねて書く方式を提案した。たとえば kôhun ではなく、koohun とするのである。

この方式には、たちまち賛成者があらわれた。『Rômazi Sekai』第614号の松本恭輔氏の「やめたい長音記号」と、おなじ号のみやざわよしゆき氏の「長音=母音字×2に賛成」という論文がそれである。ほかに口頭でこの方式に賛成の意見をのべられたかたがなんにんもあった。

ここでは、この問題を別の角度からかんがえてみたい。

日本式表記も訓令式表記もエ列およびイ列の長母音については、もともとまるでちがった方式を採用している。たとえば「経営」は kêê ではなくて keiei とかく。「ていねい」は teinei である。漢字音でのイ列の長母音をふくんでいるものは、きわめてすくない。わたしはいま弑逆(しいぎゃく)くらいしかおもいつかない。和語の場合は「ちいさい」tiisai の例がある。

これはいったいどういう理由にもとづくものであろうか。オ列やウ列はヤマガタで処理しながら、エ列とイ列はなぜ副母音方式で書くことにしたのであろうか。その理由がわたしにはまったくわからないのである。あるいは田中館先生の時代には、「東京」は完全に tôkyô であったのに、「生命」の場合は seimei とi音が意識にのこっていたのかもしれない。しかし、現代の日本語の日常の発音ではどちらも完全に長母音化している。

このまえ提案したように、長母音を母音のかさね書きであらわすとすれば、たしかにエ列音には奇妙なつづりが続出して、まことに異様な感じをあたえるであろう。たとえば、「経営」は keeee となり、「営々と」は eeeeto となる。

この現象はオ列音においてもあらわれる。「法王」は hoooo となり、「往々にして」は oooonisite となって、奇妙な感じをあたえる。

この長母音をどう書くかということが問題になるのは、主として漢字の字音についてである。純粋の和語でも長母音がいくつかあらわれるが、その場合は、たとえば「姉さん」は neesan で問題ない。漢語に由来する語において問題が発生するのである。

さいわいなことに、現代の日本人にはまだ漢語の字音の意識がのこっている。それによって、われわれは漢字にふりがなをふることができるのである。たとえば「校長先生」は、ただしく「こうちょうせんせい」とふりがながつけられるのである。

わたしはこの現象を利用すれば、日本語の長母音をあらわすために統一的な方式でおこなうことができるのではないかとかんがえている。つまり、おなじ母音をふたつかさねるのではなく、漢字の字音のふりがなのとおりにローマ字をつづるのである。たとえば「東京」は Toukyou であり、「校長先生」は koutyou-sensei である。

この方式なら、さきに例をあげたようなoが4つつながったり、eが4つならんだりする現象はさけられる。「法王」は houou であり、「経営」は keiei である。

これについては、有力なささえる[引用者注: <る>は原文ママ]になる現象がある。それはワープロである。現在、ワープロはたいていのひとがローマ字で入力しているようだが、そのときはだれでもこのふりがな方式によって、ローマ字のキーをたたいているのではないだろうか。つまりこの方式のローマ字つづりは、現代ではほとんどすべてのひとが習熟しているのである。これをワープロで、漢字変換をかけないままでうちだせば、そのままあたらしい方式のローマ字日本語ができあがるのである。

もっとも和語の場合は、オ列音の長音は「おう」とかいてよい場合と「おお」と書くべき場合とのふたとおりある。たとえば「お父さん」は「おとうさん」であるのに対して、「大きい」は「おおきい」である。「氷」は「こおり」である。つまり、日常、口頭ではおなじように長母音で発音していても、書きわけなければならないケースがあるのである。

この点は、新かなづかい制定のときも問題となった。つまり旧かなの表記を知らなければ、新かなは書けないのである。このことは当時から批判の対象となっていた。いまふりがな方式のローマ字表記を採用するとすれば、この問題をそのままひきついでしまうことになる。

以上の点についてローマ字会の会員諸兄はいかがおかんがえであろうか。

『情報と日本文明』からの引用

梅棹忠夫(著). 情報と日本文明. Rômazi Sekai, 1995年11月, No.631, pp.1-4. (ja). からの引用です。強調表示は筆者の意図によるものです。

21世紀において一国文明の衰退の鍵をにぎるものは、科学技術であろうとわたしはかんがえている。すべての産業も交通通信も医療保険でさえも、科学と技術のうえにたって展開するのである。科学と技術の重要性は20世紀にくらべて、はるかに比重がおおきなものとなってゆくであろう。

その科学と技術を根底からささえるものは、すべて情報なのである。われわれの知識や経験は情報というかたちで蓄積され、運用される。情報の蓄積、加工、流通、利用が未来の文明の展開をささえるのである。これらの情報の諸過程の効率化をはかることは、文明におけるきわめてたいせつな要件となるにちがいない。

言語はこれらの情報の諸過程のなかで、もっとも重要な媒介物となる。しかも、それが記録され蓄積される過程は、すべて文字にたよっている。文字による情報処理の効率化は、21世紀文明の最大の条件となるであろう

その点に関しては、従来の日本語の表記法は根本的に再検討を必要とするのではないかとおもわれる。現在の漢字かなまじりという表記システムは、千数百年にわたってわれわれの祖先がそだて、歴代の国民がなれしたしんできたシステムである。従来の情報処理はこれでかたづいたであろうが、未来の日本文明をかんがえるとき、このままではたしてうまくゆくのであろうか。あるいは国際競争に勝てるのだろうか。

従来もちいられてきた漢字かなまじりというシステムは、情報処理における蓄積、加工、流通、利用の各段階においてさまざまな問題点をはらんでいるが、ここではそのなかから流通と利用の問題にかぎってかんがえてみたい。

流通にはさまざまな形態のメディアが利用されるのであるが、日本語の場合、はなはだ不都合な問題が生じている。日常会話や電話、放送等においても、難解な語彙がもちいられて、意味の通じにくい点がすくなくない。それは現代の日本語がもっぱら文字言語として発達した結果、音声言語としての洗練をいちじるしくさまたげられたからである。わたし自身視覚障害者であるので、日常のニュースそのほかは、もっぱらラジオなどの音声言語にたよっている部分がおおきいが、しばしば意味がとりにくいことがある。視覚障害者も日本語によって生活する日本人である。この人たちのためにも、文字にたよらないで伝達の可能な日本語をつくりだしてほしいものである。

情報のかなりの部分は、今日おいては[引用者注: <こんにちに>ではなく<今日>なのは原文のママ]電気的装置によって伝達される。おびただしい量の情報が、電流というかたちで電線のなかをながれているのである。それはちょうど管のなかをながれる流体にも似ている。粘性係数がひくくて流動性がおおきく、また夾雑物(/rp>きょうざつぶつ)がすくない流体は、それだけなめらかに管のなかをながれるであろう。電線のなかをながれる情報は、この流体にもたとえられるのではないか。その場合、意味のかたまりである漢字は、いわば石ころなどの夾雑物にちかい。土管のなかを土石流がながれているようなもので、管壁をきずつけたり、つまったりする。流動性がすくないことは、とりもなおさず情報伝達の効率のわるさを意味する。

もうひとつ、情報利用という段階で決定的な問題が存在する。それは現代の日本語表記法では情報の蓄積はできても、そのなかから必要なものをよりだして利用することがひじょうにむつかしいという点である。それは漢字という表意的要素と、かな文字という表音的要素が混在しているために、情報をひとつの原理で一元的に配列できないからである。

これもわたしの経験にもとづくことであるが、先年わたしは「梅棹忠夫著作集」(全22巻、別巻1)の刊行を完了した。本巻22巻の編集もながい年月と労力を必要としたが、もっとも苦労させられたのは別巻の総索引の作成であった。漢字語とかな文字語の見だし語を全巻のなかからひろいだして、漢字語についてはその読みかたを確定し、かな文字語とともに発音という一元的原則によって配列するのである。コンピューターの発達にもかかわらず、この作業は大部分を手作業によらなければならなかった。したがって別巻の総索引の作成だけで、1年以上の歳月を必要とした。

ヨーロッパやアメリカの諸言語では語の選出がおわれば、あとは機械が処理してくれる。日本語の場合はそうはゆかないのである。ヨーロッパやアメリカの学術的文献はすべて索引をともなっている。索引のない本はよむ必要がない、とまでいわれているのである。それに対して日本語の文献は学術的なものといえども、索引がついている場合はきわめてすくない。わたし自身の著書においても、従来索引をつけた例は少数にとどまる。日本語の文献に索引がないのは、もっぱら索引作成にひじょうな時間と労力を必要とするからである。

この点は日本文明の未来にとって、きわめて重要な意味をもつ。日本文明には情報の生産と蓄積の仕くみはいちおうはできあがっている。そして、日本語による科学技術の情報蓄積はかなりの量にのぼっているとおもわれるが、蓄積するばかりで、そのなかから必要な事項を検索することはほとんどできないのである。このことは日本文明の将来にとってなにを意味するか、ふかくかんがえてみる必要があるであろう。

『Zikkou no toki』からの引用

Umesao-Tadao(著). Zikkou no toki. Roomazi Sekai, 1999年7月, No.675, pp.1-1. (ja). からの引用です。強調表示は筆者の意図によるものです。

1996-nen 4-gatu Nippon Roomazikai wa, zassi "Roomazi Sekai" ni oite atarasii roomazi tuzuri o happyou sita. Kokoromi to site, kono tuzuikata o motiiru koto o kaiin no minasama ni osusume sita no de aru.

Sonogo 3-nen no tamesi kikan no aida, kaiin no minasama wa kono tuzurikata no zituyousei o samazama na bamen de tamesareta koto de arou. Maituki no reikai ni oite mo, komakai bubun dewa iroiro to mondai ga giron sareta ga, oosuzi ni oite wa kono tuzurikata wa kaiin no syounin o eru koto ga dekita you ni omou. Sono zisseki ni motozuite 1999-nen 4-gatu no souyoriai de, kono housiki wa seisiki ni Nipon Roomazikai no mitomeru tuzurikata to site happyou sareta. Sosite, kono tuzurikata no namae wa 99-siki to suru koto ni natta. Yomikata wa kyuukyuusiki to iu no ga yorosikarou to omowareru. Motiron kore wa, kono housiki ga syounin sareta 1999-nen kara totta mono de aru.

Kono tuzurikata wa, zyuurai okonawarete kita roomazi no tuzuri to hotondo onazi da ga, tigatte iru nowa, nobasu on no kakikata de aru. Zyuurai tukawarete kita ^(yamagata) o yamete, hurigana o sono mama roomazi ni okikaeru no de aru. Sono ten dewa kono tuzurikata wa hurigana housiki to yobu koto mo dekiru de arou. Tumari, kanzi-kanamaziriun ni katakana mata wa hirakana de hurigana o huru no to mattaku onazi yarikata da kara de aru. Zissai, gendai ni oite wa, waapuro ni utikomu baai niwa, hotondo subete no hito ga kono housiki ni yoru roomazi de nyuuryoku site iru hazu de aru.Sono imi dewa, kono housiki wa mottomo teikou ga sukunai mono to kangaete yoi de arou.

Nippongo o roomazi de kakiarawasu koto wa, konniti ni oite wa mohaya giron no ziki wa owatta to kangaerareru. Ima wa zikkou no dankai de aru. Sudeni ikutuka no zassi nado ni oite roomazigaki Nippongo no ran ga arawarehazimete iru. Kono keikou wa kore kara masumasu huete yuku de arou. Kouiu zidai o me no mae ni site, atarasii touituteki na tuzurikata ga kimerareta koto wa, makoto ni yorokobasii. Iroiro na tuzurikata ga katte ni motiirarete, detarame na kakikata ga hanran suru mae ni, tasika na yoridokoro to naru sisutemu o seken ni simesu koto ga dekita no de aru.

Naganen roomazi o tukainarete kita hito ni totte mo, kono atarasii housiki de kaku koto niwa, kanari teikou ga aru ka mo sirenai. Kore wa sikasi, narete simaeba nandemo nai koto de aru. Wareware zisin ga atarasii housiki de bunsyou o kaku koto kurikaesite, itiniti mo hayaku kono housiki ni nazimi, nareru you ni sinakereba naranai.

Kunrikaesi iu ga, giron no toki wa sugita. Ima ya zikkou no toki ga kite iru no de aru.

『Menyou to kaikyou』からの引用

Umesao-Tadao(著). Menyou to kaikyou. Roomazi Sekai, 2001年8月, No.700, pp.1-3. (ja). からの引用です。強調表示は筆者の意図によるものです。

Saikin "Karakorumu" to iu eiga o miru kikai ga atta. 1956nen ni huukiri sareta hurui eiga de aru. Sore wa 1955nen ni okonawareta Kyouto Daigaku no Karakorumu Hinzuukusi Gakuzyutu Tankentai no kiroku eiga de aru. Watai zisin sono tankentai ni sanka site kono eiga no seisaku nimo ikuraka kankei sita node, eiga "Karakorumu" no koto wa motiron yoku syouti site ita. Kore o miru no wa 45nen buri de, watasi ni tottewa taihen natukasii eiga na no de aru. Ongaku wa Mayuzumi-Tosirou si to Dan-Ikuma si no hutari ga tantou si, nareesyon wa Imahuku-Syuku si de aru. Imahuku si wa NHK no anaunsaa to site touzi hyouban no takakatta hito de aru.

Kono Imahuku si no nareesyon no naka de, konniti dewa tukawanakunatta kotoba ga hutatu atta. Hitotu wa "menyou" to iu kotoba de ari, mou hitotu wa "kaikyou" to iu kotoba de aru.

Menyou to iu no wa, merino-syu (メリノ種) nado no ke wo karu tame no hituzi no koto de aru. Touzi wa hituzi no koto o subete menyou to yonde ita no ka dou ka, watasi zisin mo kioku ga hakkiri sinai. Sikasi tasikani menyou to iu kotoba wa hutuuni okonawarete ita. Eiga no naka dewa hituzi no mure ga sibasiba arawarete kuru ga, sore ni taisuru nareesyon wa subete "menyou" to natte iru.

Menyou to iu kotoba wa motomoto tyuugokugo de arou. Sore wa "sanyou"(山羊、ヤギ) ya "reiyou"(羚羊、カモシカ) nado to tairitu situtu, "you"(羊) to yobareru doubutu no guruupu o katatidukutte iru no de arou. Sikasinagara genzai dewa kono kotoba wa nitizyouteki niwa hotondo motiirareru koto wa nakunatte iru.

Genzai hotondo tukawareru koto no nakunatta mou hitotu no kotoba wa "kaikyou"(回教) de aru. Genzai dewa, "kaikyou" to iu on de arawasareru no wa Tugaru Kaikyou ya Kanmon Kaikyou no youni, rikuti ni hasamareta semai umi no miti no koto o omou no ga hutuu de arou. Sikasi kono eiga dewa subete isuraamukyou no koto de aru. Tasika mukasi wa kono syuukyou no koo o "kaikyou" to yobi, sono ziin wa "kaikyouziin" to itta. Sarani mukasi wa, kono syuukyou no koto o "huihuikyou" to yonde ita. Watasi wa sensou mae niwa Tyuugoku no Kahokusyou (河北省) no Tyoukakou (張家口) to iu mati ni sunde ita ga, kono atari niwa isuraamukyouto ga takusan ite, nipponzin tati wa karera no koto o hoimin(回民) to yonde ita. Karera wa buta wa zettaini tabenai node, karera no syokudou wa ippan no tyuugokuzin no tame no syokudou towa kibisiku kubetu sarete ite, sono ryouri wa hoi ryouri to yobarete ita.

Konniti no Tyuugoku dewa, karera wa "kaizoku" (回族) to yobarete iru. Karera ga tasuu sunde iru Neika tihou (寧夏地方) wa Neika Kaizoku Zitiku (寧夏回族自治区) to yobarete iru. Sikasi, gendai no nippongo dewa, kono syuukyou wa "isuramu" naisiwa "isuraamu" to yobareru koto ga ooku, "kaikyou" to iu kotoba wa amari kikarenakunatta.

Menyou mo kaikyou mo 50nen mae niwa tasikani nitizyou no kotoba to site ikite ita. Sore ga konniti dewa hotondo mimi ni suru koto ga nakunatte simatte iru. Dotira mo kikitoriyasui kotoba ni okikaerarete simatta. Watasi wa kono henka o nippongo no tame ni konomasii mono to kangaete iru.

Nippongo o roomazi de kaku toki no ookina mondai no hitotu wa nippongo no naka ni motikomareta obitadasii kazu no kango--tyuugokugo kigen no kotoba no atukaikata de aru. Korera no kango wa nippongo no naka ni takusan no douon-igi no kotoba o tukuridasite simatta. Hatuon ga onazi de imi no tigau kotoba de aru. Sitagatte roomazi de kaku to, imi no kubetu ga wakaranaku natte simau.

Kono mondai o katazukete kara de nai to nippongo o roomazi gaki ni suru koto nado wa dekinai no dewa nai ka to iu iken ga aru. Sono youna iken no hito ni taisite watasi wa tugi no youni iu. Sore wa koto no zyunzyo ga hantai da. Douon-igi no kotoba no mondai ga katazuite kara de nai to nippongo no roomazi gaki wa dekinai no dewa naku, nippongo o roomazi gaki ni sinakereba douon-igi no kotoba no mondai wa kaiketu sinai to iu no de aru. Kanzi kanamaziri de kaite iru kagiri, mozi ni tayoru kara, itu made tattemo douon-igi no kotoba wa nakunaranai. Roomazi gaki o zikkou srueba, iya demo douon-igi o sakeru tame ni tigatta kotoba o erabu youni naru no de aru.

Meizi irai kanzi no kotoba ga obitadasiku haitte kita tame ni, nippongo wa mimi de kiita dake dewa mattaku wake no wakaranai mono to natte simatta. Kindaiteki na gengo to site wa kore wa taihen komatta koto to iwaneba naranai de arou.

Sikasinagara koko ni toriageta "menyou" to "kaikyou" nado no rei o miru to, imi no magireyasui kotoba o sakete magirenikui kotoba o erabu to iu koto ga sirazusirazu no aida ni okotte iru you de aru. Dare no tie ka wa wakaranai ga masani taisyuu no syuudanteki na tie de arou.

Kono yuona gensyou ga dono teido no han'i ni oite okotte iru no kawa wakaranai. Mizikai zikan no aida dewa ki ga tukinikui ga, 50nen kurai o tan'i ni site kangaeru to, angai kou iu gensyou ga ikutu mo hakken dekiru no ka mo sirenai. Sou de areba, nippongo no seimeiryoku mo madamada suteta mono de nai no kamo sirenai.

『問題は長音の書きかたにある』からの引用

梅棹忠夫(著). 問題は長音の書きかたにある. Roomazi Sekai, 2004年1月, No.729, pp.1-2. (ja). からの引用です。強調表示は筆者の意図によるものです。

 ローマ字運動がはじまってから1世紀以上の月日がたった。そのあいだにローマ字はどれほどひろまったか。現在、日本人のおとなで、自分の名まえをローマ字で書けないというひとはほとんどいないであろう。これはたいした成功ではないか。

 もっとも、この成功はローマ字運動のせいとは言えないだろう。これはむしろ英語教育のもたらしたものであろう。

 英語教育のなかでおしえられるローマ字は、ほぼまちがいなくヘボン式である。ヘボン式ローマ字をもローマ字運動の成功のあかしとかんがえると、日本のローマ字運動はたいへん成功していると言ってもよいだろう。

 しかし、英語教育のなかでおしえられるヘボン式ローマ字では、とても日本語の文章を自由に書くことはできない。いちばんの問題は、つづり字よりも長音の書きかたである。99式の特徴は、つづり字よりも長音の書きかたにある。その点は、日本式も訓令式もうまくできなかったことである。符号をつかわないで、ふりがな表記をそのままローマ字にするという点で、99式は画期的な方式なのである。

 このことは、現在99式を主張しておられる日本ローマ字会の会員のみなさんも、はっきりした自覚をもっていただきたい。99式の特徴は、なによりも長音のとりあつかいかたにあるのだ。

 そうだとすれば、ヘボン式と99式の関係も、いままでとは変わってくるはずである。ふりがな方式を採用するかぎり、ヘボン式も敵ではなくなるであろう。極端な言いかたをすれば、長音の書きあらわしかたがふりがな方式であるかぎり、つづり字はどの方式でもよいのである。

 この見かたにたって、もういちど日本のローマ字のありかたをふりかえってみると、どうなるであろう。この立場でローマ字の教科書をくみたてなおしてみる必要があるのではないか。

『世界共通文字』からの引用

梅棹忠夫(著). 世界共通文字. Roomazi Sekai, 2005年4月, No.744, pp.1-9. (ja). からの引用です。強調表示は筆者の意図によるものです。

 地球上に人類というものが発生してから、ほぼ100万年といわれている。そのあいだに人類は共通の財産として、なにをつくりだしてきたのであろうか。

 人類のつくりだした文化は、じつに多様である。なぜ、このように多様なものがつくりだされたのであろうか。まことにふしぎな気がする。つくりだされたものは、それぞれ全部ちがう。あるいはひとつのものが発生すると、たちまちにしていくつもにわかれてしまう。文化分化であるといわれる。文化は、なにひとつ統一にむかうことなく、さまざまなものにわかれてしまったのであろうか。

 生物のひとつとしての人類は、比較的決定的な分化ができなかったようにみえる。生物学的な分裂は人類の発生である。人種の分化は意外にすくない。生物としての形質のちがいは、なにほどのこともない。こまかい差異は無数に生じたが、人種としては、それほどたくさん区別するまでもない。常識的には、黒人種、白人種、黄色人種など、いくつかの人種をかぞえることができるにすぎない。

 人種にくらべると、文化のちがいは、おそろしくおおきいものになってしまっている。とくに人間がグループごとに集団を形成するようになってからの文化の分裂には、はなはだしいものがある。国家という組織が発生して国民という集団が形成されてから、集団間相互の対立がおこり、その差異化は際限もなく増大したかのようにみえる。人間の文化とは、もともとそういう性質のものであろうか。

 一般に人種民族国民はしばしば混同されている。日本の場合は、日本人種と日本民族と日本国民のそれぞれの範囲がほぼ一致するので、その三つの概念が混同してもちいられる。「日本人は」というとき、それが日本人種の問題なのか、日本民族の問題なのか、あるいは日本国民の問題なのか、いっこうにはっきりしない。はっきりしないままで話が進行する。しかし、人種と民族と国民の概念は、明確に区別しておく必要がある。人種というのは、髪の毛の色や皮膚の色などの生物学的な形質の特徴をいうのである。それに対して民族の概念は文化的なものである。たとえば、日本民族の特徴としてあげられるものは、言語風俗習慣などであって、髪の毛や目の色などの生物学的な特徴とは別問題なのである。もうひとつ、国民という意味での日本人というのは法律の問題であって、これまた人種論や民族論とは別の話である。この人種、民族、国民の三つの概念を、すくなくとも話者の意識において厳密に区別しておかなければ、話が無用の混乱をまねいてしまう。

 人類はひたすら細分化をくりかえしてきた。そのよい例が言語である。人類の言語はいくつかの系統に分裂し、結果において、いくつもの国語が成立した。しかも、そのひとつの国語のなかに方言という地方的小集団がうまれ、階級的ないしは職業的小集団が発生し、最終的には家族単位にまで分裂してしまう。

 しかしながら、このような際限のない細分化は、実際的にははなはだしい不便をひきおこすであろう。極端にいえば、それの正反対の極、すなわち細分化に対する統一化が実用の理想としてかんがえられる。人類共通言語の実現は、その究極の理想である。それをめざして、たとえばエスペラントのような人工的統一言語が現在までに数十種も考案されている。しかし、その理想に接近できたものはほとんどない。

 はなしことばはともかく、書きことばにおいて、いますこし共通化がはかれないものであろうか。

 言語にくらべて、よほどすくいがあるようにおもえるのは文字である。文字はギリシャ文字、ローマ字、アラビア文字、漢字、キリル文字、デーヴァナーガリー文字、タイ文字、ビルマ文字そのほか、いくつかのちがったものが発生したが、言語そのものにくらべて、はるかに細分化がすくない

 しかも、どの文字でも、本来の言語のほかに、ある程度ほかの言語をも表記することができる。たとえば日本のカナモジも、まがりなりにそれを音標文字ふうにつかうことによって、ほかの言語を表記するのにつかえないことはないのである。

 その点で、多様な言語を書きあらわすことができる最良のものは、音声学的に発音を表記するためにつくられた音声記号であろう。しかしこれは、まったく学問的な用途にもちいられるだけで、まるで実用的な用途にはつかわれていない。

 多様な言語を表記するのに、もちいることのできるのは、ローマ字、キリル文字、アラビア文字ぐらいのものであろう。なかでも一等群をぬいておおくの言語に適用されているのはローマ字である。ローマ字にもおおくの欠陥があり、どの言語でも正確に表記できるとはいえない。たとえば日本語は、かなりの程度にローマ字で表記できるが、カナモジの「ン」に該当するローマ字はない。ふつう小文字の「n」で代用し、言語学的には大文字の「N」がつかわれることがおおいが、完全なものではない。近似的な(おん)はあらわせてもどの言語にも独特の発音上のくせがあり、ローマ字をもってしても完全ということはありえないのである。

 しかし、どの言語でもローマ字でその(おん)を近似的に表記できるというのは、おおきなすくいである。ローマ字をもって、ただちに世界文字にするという発想はゆるされないであろうか.

 言語というものは、すべて人間の声帯による音声をもっている。音声をもたない言語は、さいわいなことにありえないのだ。しかも人類の発声器官は、人種による差がまことにすくないのである。すべての(おと)を文字で書きあらわすことは、とうていできないことだが、たとえば、ガラスの割れる音、谷川のせせらぎや鳥のさえずり、そのほかの自然に存在する音は文字では表記できないし、する必要もない。

 いますぐ、文字の世界共通化などはのぞむべくもないが、音声学がいっそう精密化されて、世界言語の共通音素への分析が可能になれば、世界文字もできるはずである。

 いまのところでは、各言語について、それの正確なローマ字表記の確立が期待できる。そういうものができたあかつきには、世界の文字の共通化の可能性がでてくるであろう。

 人類は、言語というまことに便利な意思発表手段をもちながら、それの共通化ということはまったくできていない。こういうことをかんがえるのは夢想にすぎないであろうか。言語の共通化などはとおい夢だが、表記文字の共通化ぐらいは可能性がないわけでもなかろう。ローマ字の存在は、それにおおきな夢をもたせるものである。

講演録

『大東文化大学における講演会 ==これからの日本語==』からの要約

[著者不詳]. 大東文化大学における講演会 ==これからの日本語==. Rômazi Sekai. Syadan hôzin Nippon Rômazikai. 1994年5月, No.613, pp.1-29. からの要約です。強調表示は筆者の意図によるものです。

言語について関心をもつようになったいきさつ

わたしはわかいころから民族学、あるいは文化人類学のフィールドワークをかさねてきた。むかしの民族学者は現地語を習得しないまま通訳を介して調査をおこなっていたひとがおおいが、われわれの世代からは現地語主義になった。その土地の言語で質問をして、ノートをとってゆく。これまで世界各地でしごとをしてきたので、いやおうなしに現地語をまなばざるをえないという経験をかさねてきた。いつのまにやらいろいろな言語をわたりあるくようなことになり、言語という現象についてふかくかんがえさせられるようになった。

漢字が日本語にあたえた影響

そとからみる日本語

外国のフィールドワークから日本にかえってきて、いままでわれわれが学習してきた日本語についてかんがえてみると、いろいろな問題点がうかびあがってくる。外国語を媒介として日本語をみなおすということだ。

漢字のはんらん、中国かぶれ

青年時代に、ほんとうにこまったことだとおもったのは、漢字のはんらんである。漢字というのは、きりがない。漢和辞典をみても、ものすごい数の漢字がある。こういうものをつかって日本語を表記してゆくという習慣、これはむかしからあるわけだが、こんなことでよいのかと憂慮した。日本語において漢字をつかうことをやめようという議論は、明治のはじめからある。

漢字というのはいわば中国かぶれだ。平安時代にすでにそうとうの漢字かぶれがおこっているようだ。文学といえば、漢字による文学であった時代がずいぶんながい。

その後も、日本語の表記に漢字というものがふかく浸透してくる。とくに江戸時代、17世紀から19世紀にかけてはものすごく漢字がはびこった時代で、教養のあるひとというのは要するに漢字の読み書きができるひとであるということになっていた。このころの日本語の文章は漢字かなまじりではなく漢字ばかりで、いわゆる候文というのはほとんど全部漢字で書いてある。それにちょいちょいと記号がくわわっているという時代が何百年間もつづいている。

漢字廃止論と言文一致運動

ようやく明治になってから、これではぐあいがわるいということに気がついて、しだいに漢字をやめようという運動がはじまる。幕末から明治の初期にかけて活躍した郵政次官、「郵政の父」として知られる前島密(まえじま・ひそか)が、「漢字御廃止の儀」という建議書をだしている。漢字はやめたほうがよいという、堂々たる文章だ。漢字廃止論はそのころからすでにある。その後、明治期を通じ、19世紀後半から20世紀にかけて、日本語から漢字をなくそうという運動はずっとつづいている。

江戸時代に完成した、漢字を主体とする日本語表記法に対する疑問から出発して、漢字をへらしてゆこうということで運動がはじまり、明治から大正にかけては、ずいぶんと整理がすすんだ。

途中で言文一致運動というのがあった。それは、口でいう日本語と書きことばの日本語をできるだけ一致させようという運動だ。それまでは、口語文というのは文章語にはなかった。口でいうときには、はなしことばの日本語でしゃべっているわけだが、それが書けない。書くシステムがなかった。この言文一致運動は、明治・大正期を通じてかなりすすむ。日本の文学も漢文調ではなく、口語体の文章がふつうになってきた。

これらのながれについて一貫していえることは、これは中国文化ばなれだということだ。日本文化の独立、つよいことばでいえば、ふかく中国語に毒されていた日本語が、しだいに中国語から解放されて独自のものをつくりあげてきた時代だとおもう。この中国ばなれはずいぶんと浸透し、われわれの青年時代には、まだかなり漢文調・文語調がのこってはいたが、日常で書く文章は口語の文章だった。漢字もずいぶんへった。

漢字の減少というのは、百年以上まえから一貫した傾向だ。漢字かなまじり文のなかで、漢字がしめる比率というのはすくなくなってきた。

とくに戦後は、当用漢字、現代かなづかいといった一連の国語改革が文部省主導のもとに進行した。あたらしい書きかたや漢字制限がかなりつよくおこなわれた。この漢字制限のひとつのおおきな原動力はジャーナリズムだ。ジャーナリズムは、明治期にこの漢字の重圧にたえかねていた。むかしふうの文章を書くためには、ものすごい種類の漢字の活字をそろえておく必要がある。しかし、使用頻度がきわめてすくない漢字もたくさんあって、新聞社がその活字をすべてそろえておくことに悲鳴をあげていたのだ。戦後の国語改革というのは、こうしてジャーナリズムあるいは一般大衆にたいへん歓迎され、現在おこなわれているような漢字かなまじり文、漢字がかなりすくなくなった日常文章が成立した。

ワープロと日本語

時代逆行

むかしは「漢字に電気は通じない」などといって、漢字は機械にのらなかった。印刷の機械化をすすめようとすると、漢字の存在が邪魔になる。やはり漢字はこまるということになる。ところが、ワープロという機械が出現し、漢字に電気が通じた。漢字が機械にのった。これはおどろくべき革命だ。えらいことがおこってきた。

ワープロでは、どんなむつかしい漢字でも、第一水準、第二水準とあげてゆくとほとんどでてくる。ワープロによって、漢字かなまじりの文章が書かれはじめた。そこでどういう現象がおこったかというと、いままでなんとか中国ばなれをして、日本文化の独立性というものをつよめてきたのが、一気にもとにもどってしまった。これはものすごい反動だ。たいへん残念なことだ

よく、ワープロが日本文化に対しておおきな貢献をなしたというひとがあるが、同時にひじょうにおおきな害毒をながしたと、わたしはみている。

ワープロの発明以来、わたしにおくられてくる手紙、とくに企業方面からくる手紙は、じつに悪文になっている。ひどい文章が横行している。読めない。読めない漢字が平然とつかわれるようになった。みなさん、あのむつかしい漢字はほとんど書けないとおもう。ただ、ワープロがかってにうちだしてくれるからつかっている。そのため、ここしばらくは日本語の文章がひじょうにわるくなっている。読めない字、書けない字が書かれている。手紙をもらったこちらとしては、どう読んでいいかわからない。これはワープロのこまった影響である。今後どうなってゆくのか。

わたしはワープロにしばりをかけろといっている。ある一定水準の当用漢字しかでてこないワープロはできるはずだ。すでに教育界ではそういうソフトがつかわれているようだ。しかし一般には、たくさんの漢字がでてくる機械が上等だと、ひじょうにまちがった観念がワープロ界に横行している。とくに、ワープロをつくっているメーカーにきいてみると、みんなそうなっている。つまり、いままで明治以降、営々とつみかさねてきた日本語の改革運動、簡素化運動が、すべてご破算になった。そして、江戸時代のような漢字一辺倒の文化に逆もどりした。これはたいへんこまったことだ。

これは日本語にとって、けっしてよい結果はうんでおりません。よくわかる日本語という点では時代逆行だと、わたしはみている。

日本人の読み書き能力

ついでにいうと、1948年に「日本人の読み書き能力」という膨大な調査がおこなわれたことがある。この調査は進駐軍の指令によっておこなわれたといわれているが、日本人がいったいこんにちの漢字かなまじりの文章をどこまで読みこなしているのかをしりたいということで、おこなわれたものだ。全国的に無作為抽出で何万人かの日本人をえらび、そのひとたちに一定の問題をあたえて、それが読めるか、あるいは書けるかといったことを調べた。この調査は、日本語を読み書きするためには、最低限この程度の文章を読んだり書いたりできなければこまるという、その最低水準のテストだ。これを全国的にやった。それまで、日本人は識字能力がひじょうにたかいといわれいた。そして、文盲はほとんどいないと、世界でもっとも識字率のたかい国であるとみなはかんがえていた。テストをやってみると、たしかにそうで、文盲というのはほとんどいない。1%にも満たない。わずかだ。しかし、反対に読み書きが完全にできる人はどのくらいかというと、たしか6%ではなかったかとおもいます[筆者注: 満点を「literacyをもつとみとめられるもの」として、6.2%]。つまり、最低限これだけは読み書きができなければこまるというテストをクリアしたひとが、6%しかいなかった。これはどういうことか。

筆者注: 「日本人の読み書き能力」については[日本語史研究資料 [国立国語研究所蔵]]を参照のこと(2024年5月24日参照)

1948年当時で、日本人はその程度にしか読み書き能力がなかった。みんなまちがいだらけで、読めない、書けないという文章でやっていた。その後45年たったがまったく改善していない。こんにち、ワープロの出現により、この傾向はますます拡大している。読めない日本語、書けない日本語が横行している。

読めない書けない日本語

わたしは盲人なので、すべて耳からきいている。耳からきくために、いろんなひとに本をよんでもらったり、テープにふきこんでもらう。そうすると、じつにまちがいがおおい。知識階級のみなさんでもそうだ。10人がひとつの文章を読めば、10種類の回答がでてくる。これは学力がひくいからではない。日本語そのものがそういうものなのだ。日本語がじつに複雑で、一定した回答がでないような構造になっている。だから読めない、書けないという現象がおこる。それにワープロという機械をいれることによって、読めない、書けない現象がいっそう進展した。わたしは、日本語表記という点では、現在、まことに憂慮すべき状態にきているとかんがえている。

そんなことは信じられないとおっしゃるかたがおられるかもしれないが、何ならいつでもテストしてさしあげる。みなさんお読みになれない。かならずまちがう。まちがうのは、それはみなさんがわるいからではない。もともと、どちらに読んでよいのかわからない単語がいくらでもあるからだ。そういうものなのだ。

耳できいてわからない日本語

わたしは、いまは活字がみえず、本や新聞、雑誌もよめない。テレビをみることもできない。たよりになる情報源はラジオだけだ。ところが、ラジオで現在の日本語をきいていると、おどろくべきことがいくらでもでてくる。ニュースはまだよい。こんにちの国会中継のなかで代議士先生がたのしゃべる日本語というのは、じつにひどいものだ。耳できいてわからない。わたしのような盲人でも、日本人だ。日本語で生活している。せめて、盲人にもわかることばをつかってほしい。字をみないとわからないようなことばが、どんどんとびだしている。

例をあげると、「キョウチョウをキョウチョウする」。これは「国際的になかよくするということを強調した、国際協調を協調した」ということ。「コウエンでコウエンすることをコウエンした」、これは「公園で講演することを後援した」ということだ。こんなことが平気なのだ。「ゼイセイのゼセイ」ということばがしょっちゅうでてくる。「税制の是正」だが、これくらいならましなほうだ。とにかく、同音意義、おなじ発音でちがう意味のことばが横行している。とくに政治論議の場合はひどい。民主化ということばがそぐわしいかどうかわからないが、こういうことでは、政治的民主主義がおこなわれるとはとうていかんがえられない。みんな、わけがわからずきいているだけだ。いちいちかんがえて、あっ、こういうことかとかんがえなおして、だいたいわかったようにおもうのだが、はたしてほんとうにわかっているのかどうかわからない。日本語は字をみないとわからないような構造になっているのだ。

言語というものは、そもそも音声言語が基本。音声言語をもとにしてその表記法がおこなわれているので、日本語のように音声ではわからない、字をみないとわからないという、じつに奇妙な表記システムをつくりあげた国というのはたいへんめずらしいと、わたしはおもっている。これではこまる。わたしは、せめて盲人がきいてわかる日本語にしてくださいということをうったえつづけているのだが、放送局のかたもそういうことはあまりかんがえたことがないようで、ひじょうにぐあいがわるい。

ワープロは、もちろん、ネガティブなことばかりではなくて、おおきな貢献をしたことは事実だ。しかし、一面でいまのような、ひじょうに反動的なぐあいのわるい面があるということを、みなさんもおかんがえになっていただきたい。

頭字語(アクロニム)

日本語をローマ字で略記する方法はむかしからある。いちばんよい例がNHKだ。これは、日本方法協会のかしら文字をとったもので、この種のものはわりにある。

筆者注: NHKのサイトの「NHKの概要」のページには、正式名称 日本放送協会 (にっぽんほうそうきょうかい NIPPON HOSO KYOKAI)とある。(2024年5月24日参照)]

わたしは、これは進歩的なやりかただとかんがえている。つまり英語をとらなかった。日本語のかしら文字をくみあわせてあたらしいことばをつくった。英語を直接導入することをしなかったわけだが、わたしはむしろよかったとおもっている。NHKを英語になおして、そのかしら文字をならべられたのではたまらない。たとえば現代のJRなどがその例だ。これはよくないことだ。

ただ、NHKにも問題はある。NHK(エヌ・エイチ・ケイ)というこのローマ字の読みかたは、これは英語読みだ。なぜ日本のNHKというものを英語読みでいわなければならないのか疑問だ。べつのいいかたもいろいろできるはずだ。アルファベットの日本式のよびかたもいくつかくふうされている。ア・ベ・セ・デ…というふうなものだ。

筆者注: 英字の日本式よびかたの案については、このサイト内の■ローマ字教育の指針とその解説—2-5を参照

外来語

原因は漢語

たくさんの外来語、カタカナ語がはんらんしている現象は戦前からある。いまは野球というのがふつうだが、戦前はベースボールといっていた。戦後にむしろ野球ということばが定着した。このようにあたらしくいいかえられてカタカナ語でなくなっているケースもあるが、戦後、カタカナ語がいちじるしくふえたのは事実だ。

なぜカタカナ語がひじょうにふえたか、その原因のひとつは漢語にある。漢語の熟語。これは、耳できいてもわからない。そもそも漢語というのは、中国語を導入した、中国かぶれであった。ところが漢語は、耳できいて意味がわからないことがおおい。それで漢語のかわりにきいてわかるカタカナ語、英語におきかわった。これは、中国かぶれから英語かぶれにスライドしたというだけで、外国語かぶれという点ではおなじことだ。このようなことばは、やはりきいてわかる日本語におきかえてゆく必要があろうかとかんがえている。

外来語とローマ字

日本語の音韻論にもとづいて、日本語をローマ字で表現することは、いともやさしい。ローマ字でなら、きっちりとした日本語が正確にかける。しかし、いちばんこまるのはカタカナ表記の外来語だ。外来語は、ローマ字では原則的に書けない。これをどうするか。現状のようにひじょうに外来語がはんらんして、とくに英語を語源とするカタカナことばがふえてくる。これをローマ字で書きあらわすとなると、ちょっとひとくふういる。だいぶ苦労する。

たとえばいま、英語でいう/f/音や/v/音のような音がはいってきて、こんにちでは国語審議会でもこれをみとめる方向にかわってきた。いままでのローマ字では「f」と「v」はありません。ところが、フィルムやヴァイオリンなどの例のように、日本語のなかにとりいれられてしまったら、/f/音や/v/音をあらわさなければいけない。とくに、このごろおおはやりのカタカナことばのひとつで、「何とかフェスティヴァル」というのがある。あれはひどいことばで、一語のなかに「fe」「ti」「va」「l」と、日本語にない音韻が4つはいっている。だからこれは、ふつう日本語では簡略化して「ヘスチバル」という。これを「ヘスチバル」と書いてよいのかどうか。ローマ字で「hesutibaru」とは書ける。しかし、「フェスティバル」というのは、日本語の音韻組織にないので、原則としてローマ字で書けない。だから英語のつづりをもってくる。

そうすると、やっかいなことがおこる。日本語に大量の英語がはいってくる。とくに、いまは英語教育が普及しているので、英語のつづりがわかっているひとがひじょうにおおい。もちろん、正確な英語の発音ではなくて、日本語ふうにかえた英語の発音だ。それでしゃべっている。たとえば、いまの野球のボールを日本語ふうに「booru」とは書ける。しかし、"ball"という、この英語のつづりは、全然発音もできないし、発音をきいて、もとの英語のつづりを再現することもできない。ところが、ローマ字化がすすむと、おそらくこういうものがはいってくる。そして、ワープロによる漢字の弊害とおなじようなことがおこる。いったい、これはどう読むのか、読めない、書けない。そういう日本語の単語が日本語のなかに大量に導入される。

そこのところが、いまのカタカナというのはたいへん巧妙にできていて、あれはべつに正確な発音をしなくても、日本語ふうに発音するとよろしいように書いてある。なぜならば、いまのカタカナ、ひらかなは完全に日本語の音韻組織のうえにのっているからだ。日本語の音韻組織のうえにのっているかぎり、みなさんは読める。発音もできる。ところが、そうでないつづりがはいってきた場合には、ほんとうにやっかいだ。

この問題をどう解決するか、日本ローマ字会として真剣にとりくむ必要がある。のばなしではひじょうに危険な状態になる。何語かわからないような、それこそ読めもしない、書けもしないことばがたくさんでてくる。元の英語のつづりで書けなんていっても、書けるものではない。英語を専門としておられるかたはべつだが、一般庶民は、高校卒業ぐらいの学力ではとうてい英語は書けない。まちがいだらけになる。

国際化と日本語

英語は不要

わたしはことしの3月まで国立民族学博物館の館長をつとめていた。在任中、この博物館で、展示品の表示をどうするか激論をやったことがある。わたしは一貫して、現在おこなわれている日本語表記を主張して、英語はいらないというかんがえでとおした。ところが、英語を併記せよという声がたかいのだ。いまは館長を退任したので発言権はないわけだが、英語の併記はやはり必要ないとかんがえている。だいたい、独立国の博物館で外国語を併記しているところがどこにあるか。もと植民地であった国にはある。しかし、たとえば、フランスで英語を併記しているか、あるいはアメリカの博物館で日本語を併記しているだろうか。そういうところは、わたしのしっているかぎりでは、まずない。

一国の国立の博物館で、展示品の表示に国語以外の言語をいれるということはいけない、というのがわたしの主張なのだが、現実には、英語を併記すべきであるという主張が根づよくある。なぜ、英語を併記する必要があるのか。それは、外国人のために便宜を図るということなのだが、わたしは、それははなしが逆転しているとおもう。今後、国際化がどんどんすすんでゆくが、国際化とは英語をつかうことではない。むしろ、英語をつかわなくすることが国際化への道だと、わたしはかんがえている。英語をつかえばつかうほど、国際化からはなれてゆく。変なことがいっぱいおこる。博物館の表示の問題だが、これをもし英語で表記したら、まことにはずかしいまちがいがいっぱいおこるにちがいない。それくらい、外国語というのはむつかしいものなのだ。外国語を正確に書くということは、まず、ふつうではできない。

じつは、そういう例がある。国立民族学博物館は、大阪の千里の万博公園のなかにあるのだが、1970年に大阪で日本万国博覧会がひらかれて、そこでずいぶん国際的な、それこそヘスチバルをやったわけだ。そのときに、あちこちいたるところで、英語の看板の表示をだした。それを、あるイギリス人が克明に点検してくれて、これだけまちがっていますよとしめしてくれた。ものすごくまちがっているのだ。それぞれ英語に自信のあるひとの目をとおしてつくったはずだが、じつにこっけいなまちがいが無数にあった。そういうものなのだ。ひとつの言語というものを完全に、まちがいなく表記する、あるいはそれを読むということは、きわめてむつかしい。そのことをかんがえると、うかつに英語表記をとりいれるということをやるべきではない。うっかりやると、ほんとうにはずかしいことがおこる。わたしは、看板などの標識については、現在国内でおこなわれている日本語表記というものを中心にしてかんがえたほうがよいとおもっている。

国際化と日本語教育

こんにち、国語教育と日本語教育はちがう。国語教育というのは、日本人に対して日本語をおしえる、あるいは教育する。日本語教育というのは、外国人に日本語をおしえることだと、そういうふうにつかいわけている。日本語教育、これをどんどんやればよろしい。何国人にかかわらず、日本で生活する以上は、日本語をマスターするのは当然のことだ。外国人とみたら、日本人は英語をつかいたがるが、だいいち、英語のできる外国人というのはきわめてすくない。日本人が国際化をするのに英語をやればよいというのは、まったくまちがいなのだ。英語をやって通用するのは、ごくひとにぎりのひとでしかない。

その種のことについてのこっけいなはなしは、いくらでもある。このまえ神戸でひらかれたユニバーシアードのときのことだ。主催者がわは通訳に英語のできるひとだけを用意した。ユニバーシアードだから、世界各国の大学生がくる。大学生だから当然英語ができるとおもっていたというのだ。なんという認識不足、世界中で英語が通用する国はごくわずか。ほとんど通用しない。人口の大部分は英語を知らない。大学生だから英語がはなせるだろうというのは、おおきなまちがいだ。現在は多少認識があらたまって、ほかの言語も準備されるようになった。これは当然のことだ。今後、この問題は、まだまだいろいろな珍妙な現象をひきおこすとおもう。

日本で、いわゆる国際化がすすめばすすむほど、いろいろたいへんなことがでてくる。現にいま国際化がすすんで、みなさんこまっておられるのはポルトガル語だ。ブラジルから大量のでかせぎ二世、三世がこられているわけだが、そのひとたちは日本語ができない。かれらの国語はポルトガル語だ。このひとたちが病気になったらどうするのか。あるいは雇用上のトラブルがおきたときにどうするのか。いちいちポルトガル語の通訳がいる。こういう現象が、いま日本国内でひじょうにたくさんおこっている。ペルーからもおなじようなでかせぎ移民があるが、このひとたちはスペイン語だ。

これもじっさいのはなしだが、大阪千里のすぐ近所に千里国際学園というのがある。ここは外国人および帰国子女を対象として、日本語に適応させるという教育をやっている。当初、ここの経営者や先生がたは、まあ英語だけなんとかやればよいだろうとおもっていた。ところが、はいってきたこどもたち、高校生だが、それぞれの母語をしらべてみると、7種類あった。そのなかには、スリランカのシンハラ語とか、フィリピンのタガログ語とかがはいっている。

こんにち、日本人の国際化はそういうところまできている。世界中にちっているので、そのひとたちが、みんなその土地のことばをもって日本にかえってくる。そのひとたちを日本語に同化吸収してゆく努力を、これからやらなければならない。ひじょうにやっかいな現象が、ますますおこってくるとおもう。

標準語、共通語

標準語はない

そもそも日本語とはなにをさすのか、どのことばを日本語というのか。地方差や階級差もあるし、職業差もある。男女差もある。

日本語に標準語があるとおもわれているようだが、これはひじょうにひろくおこなわれている誤解である。日本語には標準語がない。日本語に標準語が必要だという議論は、明治以来ずっとある。しかし、標準語をつくるという努力はいっさいしなかった。日本語というのはまったくのばなしの言語で、かってに民間でなるようになれと、だれも標準語をつくろうとしなかった。国語の教科書がむかしからあるが、あれは書きことばであり、はなしことばの標準語というのはつくられなかった。

井上ひさしという作家が書いた『国語元年』というじつにおもしろい戯曲がある。これは明治の初期に、近代日本語の口語の統一語、標準語をつくろうとしたひとのはなしだが、さまざまなこころみをやる。そのなかにでてくる登場人物として、江戸の下町から、山手の武家、東北から山形、名古屋、大阪、長州、そして薩摩と、いろいろなひとがでてきて、みんながそれぞれのおくにことばでしゃべるので、めちゃくちゃになる。文部省の役人である主人公は、いっしょうけんめいに口語日本語の標準語をつくりだそうと努力するが、ついにあたまがおかしくなって、瘋癲(ふうてん)病院で死んでしまう。けっきょく、標準語はできない。必要だということはみんなわかっているのだが、ついにできなかった。その点でも、日本語というのはきわめて得意なことばだというがおわかりだろう。

たとえば、わたしは、しばらくイタリアにいたことがある。イタリアの知識人にあうと、「わたしはイタリア語ができます」という。イタリア人がイタリア語をしゃべることができて、あたりまえではないかとおもうが、そうではない。イタリアには、トスカナ方言とか、ロンバルディア方言とか、ナポリ方言とかいろんな方言があるが、それらの方言とはちがう、イタリアーノという標準語が確立しているのだ。これは人口的につくったものだ。いわゆる、フィレンツェあたりのトスカナの方言を基礎にしてつくりだしたイタリア語だ。これがはなせますという意味なのだ。そういう意味の、イタリアーノにあたる日本語はない。各地の方言はある。階級的な言語もある。しかし、標準語はついにできなかった。つくろうともしなかった。現在はNHK語というのが、多少はいわゆる共通語として全国にいきわたりつつある。

統二現象

しかし、これで口語日本語が統一されてきたとはいえない。わたしは統一現象ではなく、統二現象だといっている。わたしなども完全に関西語だが、いま日本では関東語の東京語と関西語が平行して普及している。その意味でも、これが標準語あるいは共通語だというものは、まだできていない。個々の単語については、しだいに統一がおこなわれつつあるが、わたしが何度きいてもわからない関東語系統の語源の日本語がたくさんある。おそらく関西語を語源とすることばで、関東のかたにはわかりにくい現象もたくさんあるとおもうが、それは、いまのところまだ過渡期で、統一はできていない。

わたしの目がみえなくなったというので、みなさん、同情してくださって、いろいろな録音テープをもってきてくださる。そのなかには江戸落語や上方落語というのがあった。きいてみると、わたしはたいへんおどろいたのだが、上方落語は全部わかる。しかし、江戸落語はほんとうにわからない。単語がちがう。それから、もちろんイントネーションがちがう。発声法がちがう。これは、外国語にちかい。江戸落語というのは、わたしにとってはそういうものだ。とても標準語化、あるいは共通語化ができたとはいえない。

さきほど、イタリア語の例をあげたが、フランス語でも、英語でもそうだ。英語では Received Standard Language というが、あれも、やはり人口的に発達したことばだ。わたしは、ロンドンへはじめていったとき、ほんとうにびっくりした。わからない。ある程度英語がわかるつもりでいったのだが、ロンドンの下町ではなされているコックニーということばは、ぜんぜんちがう。ほんとうにわからない。それから、おなじコックニーの系統がオーストラリアにいっている。オーストラリアの英語というのは、わたしどもにはひじょうにききとれない。ずいぶんちがう点がある。あれでも英語は英語なので、その意味でも、いわゆる英語圏でも統一した共通語化というのは、かならずしもすすんでいない。世界の言語には、そういうやっかいな現象がたくさんある。日本の将来は、まだまだ前途遼遠というところだ。その意味では、たいへん原始的といえばしかられるかもしれないが、日本語は、のばなしの、みがかれざる言語であると、わたしはかんがえている。

日本語の表記、正書法

日本語に正書法はない

日本語には標準語がない。あるというふうにかんがえておられるのは、みな錯覚であって、日本語には標準語は確立していない。おなじように、たいへん不思議なことは、日本語には、orthography、ただしく書く方法、正書法というものはできていない。これは、近代文明語ならかならずあるものだ。英語でも、スペイン語でも、フランス語でも、イタリア語でも、全部ある。正書法がある。字びきをひくと、その正書法のつづりででてくる。ところが、日本語では正書法ができなかった。明治以後、正書法をつくろうという努力はほとんどおこなわれていない。文献がないのだ。これによればだいじょうぶだという、よるべき文献ができていない。文法が確立していない。正書法は音韻的なものだが、音韻にもとづいた正書法というものができていない。さきほど、知識人のかたに、新聞なり雑誌などを読んでいただくとしたら、十人十色の読みかたをなさるといったが、書くほうもおなじだ。ひとつの文章を読みあげて、それを文字で書いてもらうと、十人十色、百人百色になる。それくらい一定しない。全部ちがうふうに書けてしまう。たとえば、おくりがなが一定していない。「あかるい」というのは「明かるい」「明るい」「明い」、「これだけで3種類でてくる。ひらかな書きをくわえると、すでに4種類になる。すぐにそれくらいの差がでてくる。文部省では、いちおう、おくりがなの原則をだしたが、ほとんどおこなわれていない。じつにかってな表記法をやっておられる。国語の教科書のなかでも、多少統一の努力はおこなわれているようだが、原理的にできないことなのだ。もともと、漢字という活用のない言語の文字をもってきて、それを日本語の活用にあてはめたわけだから、あわないのはあたりまえで、おかしいことが無数におこっている。

わたしは、『梅棹忠夫著作集』全22巻を最近に完成した。いま、それの索引づくりをやっているのだが、この「著作集」をつくるのにほんとうに苦労したのは、やはり表記の問題だ。一定しない。わたし自身が一定しない。原則をきめてかなり統一的にやったが、それでもゆがみがでる。ずいぶんゆれがあって、索引づくりをやってみると、ますますそれがめだってきた。この語はこのように表記するというのがきまらない。みなさん、お書きになっているものを点検なされば、すぐわかっていただけるとおもうが、きまっていない。

近代文明語と正書法

これで、どういうことになるのか。正書法なき言語である。近代文明語として、こんな奇妙なことはないとおもう。日本語は動詞が活用するので、その活用する語尾をおくらなければならない。そのおくりがなの語尾をきめるという努力は、ほんとうにされていない。有名な例は夏目漱石(なつめ・そうせき)の文学だが、表記がめちゃくちゃなのだ。内田百閒(うちだ・ひゃっけん)というひとが「漱石全集」をつくるときに、漱石の原稿をもとに、ひじょうに苦労して「漱石辞典」をつくった。それで整理をしたのが、現在おこなわれている「漱石全集」の表記だ。しかし、それくらいのことは、どのひとにもある。

こんにち、日本の文学者といわれているかたは、みんなそうだ。表記は一定していない。そして、じつにむつかしい字がたくさんでてくる。なんと読むのかよくわからない。おくりがなのほうもふくめたら、ますますわからない。たぶん、著者ご本人にきいてもよくわからないのではないかとおもう。そういうような状態で、現在、日本語というものは進行しているのだ。

今後、日本語はこういうことで、いったいどうなるのか。あすの日本語、これからの日本語という問題だが、これは、とくに国際化ということがすすみだしたら、まずあたまをぶつけるのはいまの問題だ。外国人に日本語をおしえるときに、いまのように表記法が一定しないということは、外国人にはまず理解できないとおもう。なぜ、こうなるのか。それぞれのちがった書きかたが、それぞれ歴史的な背景をもっているわけだから、それがまかりとおる。なぜ、日本語は表記法が統一されないですてておかれるのか、このようなことは、外国人には、ほんとうに理解しがたいことだとおもう。

だいたい、近代文明語でのばなしのまま放置されてきたという言語はほとんどない。たとえば、中国語でも、こんにちローマ字化というのは、きっちりした方式が確立している。それにしたがって書くことができる。漢字は字画そのほかでかなりゆれがあるが、ローマ字書きというのはきちんとできている。これは戦後にできたもので、拼音(ピンイン)というよくできた方式だ。ヨーロッパ諸国は、もちろんきっちりとした正書法をもっている。

正書法もなく文法も確立していない、こういう言語が現代文明語として、はたして通用するものなのか。これを外国人におしえにいったとき、どういうことがおこるのか。

日本語はやさしい

一般に日本語はむつかしいといわれるが、わたしは、かならずしもそうはかんがえていない。日本語というのは、たとえば、動詞の変化ではロシア語などにくらべて、はるかにかんたんだ。日本語の動詞活用形というのは、基本的に3種類しかない。語尾の「う」が変化する動詞、語尾の「る」が変化する動詞、語尾の「うる」が変化する動詞だ。不規則動詞というのは「くる」(来る)の一語しかない。あとはすべて規則動詞だ。こんなかんたんな動詞変化をもった構造の言語というのは、むしろめずらしい。文法的には、日本語はなにもむつかしいことはない。

ただ、敬語表現などがあるので、いいまわしのむつかしさはべつだ。それは、世界中のどこの言語にもあることだ。文法的なむつかしさからいうと、日本語はたいへん単純化された、学習しやすい言語であろうと、わたしはかんがえている。ただ、外国人のみなさんがあたまうちになるのは漢字だ。漢字の字数がおおいのをいっしょうけんめいおぼえて、さらにこまるのは、それに音と訓がある。これをどうつかいわけるのか。しかも、訓の場合はおくりがなによって、いろいろと表記法がかわってくる。こういうやりかたで外国人にこの言語を強制するということは、ひじょうにむつかしい。よくしられているように、外国で日本語を学習するひとの数はひじょうにふえている。現在、すでに百万人をかぞえるかとおもわれる。ある意味で、日本語はすでに国際語のひとつになりつつあるのだ。しかし、その大部分のひとは、漢字かなまじりの文章が書けないし、読めない。

国際化のためのローマ字化

もし、これをローマ字でやるならば、いともかんたんだ。文法的なカテゴリーはごくすくないので、らくに理解できる。そして、ローマ字書きであれば、学習したみなさんが一年もすれば日本語の本がよめるようになる。とくに、こんにちの日本のように科学と技術、経済がひじょうに発達している国の文明というものをまなぶために、外国のみなさんがたは日本語を勉強したがっている。しかし、一年、二年たって、それこそ五年たっても、いまの日本語の表記システムなら読み書きはできない。だいたい途中で挫折してしまう。わたしは、せめて一年やれば自力で字びきをひきながら科学技術書を読むことができるという段階まで、もってゆくべきだとかんがえている。しかし、現在の表記法ではもはやみこみはない。そこで、日本がわが譲歩して、日本語の国際化をたすけるために、漢字ぬきのローマ字書き日本語というものを開発して行かなければならないと、わたしはかんがえている。

ローマ字書き日本語、これはじゅうぶんにできる。わたしはながいあいだローマ字で日本語を書いてきた。大学、大学院時代もノートはローマ字で書いていた。これはやさしいことなのだ。もし、そういう言語であれば、日本文明というものは、高度な内容はすでにあるわけだから、世界に通用する。しかし、それが国際化されないのは、やはり表記の問題だ。外国のひとたちは目のまえで、戸がぴしゃっとしめられたという感じをうけておられるとおもう。なかをのぞこうとおもったら、目のまえでとびらがしまったと。門前ばらいだ。それでも、なお、日本の文明にあこがれて、日本語を勉強しようというひとが何百万といる。これらのひとたちの熱意にこたえるシステムを、こちらで用意しなければいけないかと、わたしはかんがえている。

これからの日本語

日本語というのは正書法がない、あるいは標準語がないという、近代文明語としてはたいへんめずらしい性質をもった言語だとおもう。正書法、標準語をつくるという努力は、今後ともつづけていく必要があるとおもう。

それと並行して、国際化の問題だ。すでに日本語は日本人の独占物でなくなっているのだ。いまや日本語を国際交流のための有力な手段として、世界のひとたちのまえに提供しなければならない時代になりつつある。それくらい日本語熱というのは、世界中におこっている。一種の国際交流のための手段として、日本語をつかっていただきましょうというときに、いまのような表記法ではとてもものにならない。わたしは、ほとんど唯一の方法は、ローマ字書きの日本語を開発することだとかんがえている。といっても、それは現在われわれ日本人がつかっている日本語の表記を、いっきょに新聞から雑誌、すべてローマ字書きにせよということではない。それはできないことだ。しかし、同時並行的に、完全にローマ字化された正確な日本語をつくりあげる、この努力が必要だ。

じつは、1950年前後からローマ字教育というものがはじまって、小学校でローマ字をおしえはじめた。ところが、これでローマ字がおおいに普及するかとおもったらおおまちがいで全然うまくいかなかった。いろいろおもしろい実験はあったが、ついに挫折した。こんにち、ローマ字教育というものは、ほんとうに微々たるものだ。いまだに、ローマ字教育は日本語教育だということを理解していないひとがひじょうにおおい。ローマ字教育は、英語のためのものだとおもっているが、そうではない。ローマ字教育は日本語のためのもので、日本語をより正確に、より平易に表現するための手段なのだ。これは日本語の問題だ。その方向にむかって研究をかさねて、あたらしい日本語の開発をやらなければいけない。

ローマ字会の会長をひきうけるについて、そのことを会員のみなさんといっしょにかんがえてゆきたいとおもっている。あたらしい日本語の表記法を確立する。それはローマ字書きの日本語だ。これと、漢字かなまじりという現行のシステムのあいだで、しばらく競争をやってみたらどうか。競争をやれば、どちらがかつか、火をみるよりもあきらかだ。ローマ字がかつにきまっている。いいかげん、はやいうちにいまのシステムをあきらめて、ローマ字にのりかえたほうが賢明なのだ。しかし、文字あるいは言語というものは、きわめて保守的なもので、いまローマ字をつかいましょうといっても、のってくるひとはほとんどいない。現在の漢字かなまじりシステムで不自由はないんだから、これでよいというのが圧倒的におおいかんがえかただとおもう。しかし、将来の日本文明の前途というものをかんがえたら、この表記法ではうまくゆかないのは、はっきりしている。

もし、ローマ字書き日本語が開発されておこなわれるようになれば、21世紀は日本のものだ。日本の世紀になる。しかし、いまのままでは、日本文明は21世紀のなかごろでへこたれるんじゃないか。とてもうまくゆかないだろうとおもわれる。さきほど、ワープロのはなしがでたが、ワープロというのは電子機器としてはきわめて原始的なものだ。こんにちのコンピューターはひじょうに発達している。今後、いくらでも展開する。そのときに、こんなすごい手段を手にいれているのに、その手段を運転する言語が、いまの日本語のような貧弱で粗雑なものではどうしようもない。

だから、21世紀なかごろに日本文明はへたばるんじゃないかと、わたしは危惧の念をもっている。これをいきのびるためには、抜本的な方法をかんがえないといけない。それは、多少、いたいめをともなう。しかし、未来のためにはやむをえない。未来のために、やはり改革を断行すべきだとおもう。いっきょにきりかえようということは、できもしないし、かんがえてもいないが、すくなくともパラレルにそういうシステムを開発して、それによる日本文明というものをつくりあげる。現行の方策と並行してつくりあげてゆくということだと、わたしはかんがえている。

『日本の将来は日本語のありかたにかかる 梅棹会長、11月5日、東京の大東文化大学で講演』からの引用

みやざわよしゆき(著). 日本の将来は日本語のありかたにかかる 梅棹会長、11月5日、東京の大東文化大学で講演. Rômazi Sekai. Syadan hôzin Nippon Rômazikai. 1993年12月, No.608, pp.11-13. (ja). からの引用です。質疑応答の部分を録音から文章にしたものです。カナは質問者の名字、敬称は省略。

(略)

  ヤマドイ 視覚言語といわれている日本語をローマ字で書いたら同音意義がおおくてわからなくなるのではないでしょうか。

  会長 同音意義は英語、スペイン語などにもありますが、日本語ほどはんらんしている言語はめずらしい。 これを整理しないとローマ字表記はできないというが、整理する唯一の方法がローマ字がきを実行することです。 これをやると同音意義がふえてこまるんです。 こまればやめます。 あすの日本語をきずきあげるためには漢字システムをつかっていてはだめだということです。 音を中心にした日本語を考えていく必要があります。 ローマ字がきを常用してきたわたし自身のばあいでは同音意義のことばはへっています。 現状を固定して考えてはだめだと思います。

(略)

  ナカシマ 日本に導入されたコメ、稲作が江戸中期以降の日本人の精神構造ないし発想の根本にあたえた影響はおおきいと考えています。 日本語へのローマ字表記の導入もこれとおなじく日本人の発想の根本をおおきくかえると期待してよろしいでしょうか。

  会長 どこがどう変わるのかはわかりません。 わたしが考えるのは、ある種の危機感からきています。 いまなにもこまらないと、いわれますと変革の必要もないことになります。 しかし、いまの表記のままでは21世紀のなかばに日本文明は競争にかてずに、へちゃげることになると思っています。 なんらかの変革をはからないことには危機にさしかかると見ています。 変革が日本人の伝統的精神のどの部分を変えていくのか予測はむずかしいが、変革がよい方向にすすむのを期待しての発言です。


  ニシオカ ローマ字をはじめるとしたら、なにから、どこからはじめたらよいでしょうか。

  会長 いまほとんどのひとがワープロをローマ字入力しています。 ですから、変換をせず、ローマ字のままにしておけばいいわけです。 ただ正書法からいうと文法が必要になりますから、そのための文典やわかちがきの本は普及させねばなりません。 司会の松浦さんのご先祖の田中館愛橘さんが明治にローマ字運動をはじめられ、物理学者の田丸卓郎さんがわかちがき方式をだしたがむずかしかった。 戦後、いま東大名誉教授の柴田武さんが指導して東大システムをつくられ、これがとてもわかりやすいが、いま普及していない。 学生たちが保守化し、日本語の将来、表記の将来に興味をもたず、需要があまりないからです。 しかし、きょうはおおぜいの若いひとたちが集まってくれ心づよく感じます。 たのもしいかぎりです。

(略)

注意がき

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変更記録

第1.1版 (2024年6月2日)
新規作成。

版:
第1.1版
発行日:
2024年6月2日
最終更新日:
2024年6月2日
著者:
海津知緒
発行者:
海津知緒(大阪府)