1−A2
基本的に、私の中にある記憶は、ふとした拍子に思い出すというような形で表層意識に上ってくる。
それは、ずっと幼い頃の記憶など、普段の生活では早々思い出すことがないのと同じである。
また自分自身の性格形成の中に関わっていない、あくまで知識としての記憶なので、自ら思い出そうと努力する方法もなく、実質、受動的にならざるを得ない。
そのため、私自身がはっきり自覚している記憶は非常に断片的なものになってしまう。
また、記憶が浮かび上がってくる順番は時系列に沿っているわけでもなく、それも若い頃の記憶しか浮かんでこない。
結局、記憶の主体である人物については想像するしかない部分がかなり多いのだが、それでも思い出した記憶が蓄積するにつれてある程度のことは徐々に分かってくる。
そうした中身を整理してみると、記憶の主体となる人物は、具体の年数は分からないのだが時代はおそらく江戸時代初期、堺ではないかと思われる街に住む、家具職人を親に持つ娘らしい。
祖父母や母親は物心つく前に既に亡くなっており、他に兄と弟がいる。
ただし父親の仕事を次ぐのは兄と決まっており、弟は後に丁稚奉公に出たため、途中から家には自分を含めて3人での暮らしとなった。
また家具を作るための工房は家とは別に街の外れにあり、毎日そこに通うのが普段の生活パターンであり、正直変化に乏しい生活をしているように思える。
まあそれは、単に私が刺激の多い現代に生活しているからこそ持った感想であって、当時としては一般的な生活なのだろうが。
また、浮かんでくる記憶はその人物の若い頃のみということを言ったが、正確には数えで17歳になる手前で途切れており、また何故それ以降の記憶がないのかについてもおおよその見当はついている。
一番有力なのは、彼女は16歳までしか生きていなかったという線である。
ただ、その死因に関しては残念ながら思い出すことが出来ないのだけれど、死に際の記憶など持っていてもうれしいとは思わないだろうから今のところ気にしてはいない。
ただし、私がこの記憶を持つことになった理由がその死因にあるかも知れないので、場合によっては是が非でも思い出したいと考えるようになるかも知れないが。
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