「米をつくれ。」「船をつくれ。」「飛行機をつくれ。」と、人々はおお声で叫んでおります。もちろん、今日の日本においては、これらのものに最も力をつくさなければならないことは、いうまでもない話しであります。しかし、それにも劣らず大事なことは、「人物をつくれ。」という声ではありますまいか。有三が、こんなはしがきを添えて「米百俵」を書いたのは1943年のことだった。越後の小さな藩の話は、全国版になった。当時の情報局国民演劇参加作品として東京劇場で上演されたが、間もなく絶版になってしまう。
<以下 略> (銀)[asahi.com : MYTOWN : 多摩(2001/09/07)より]
東京都 三鷹市 玉川上水ぞいに ある 山本有三記念館
敗戦直後、この もと 私邸の 一隅に「三鷹国語研究所」が おかれた。所長 安藤正次、所員(嘱託) 石垣謙二。
また、一時期 国立国語研究所の 分室が おかれた 時期も あったと きく。
(が、国立国語研究所の「沿革」や 「年表」には 記載が ない。非公式の ものだったのだろうか。)