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[涼を訪ねて 玉川上水]

(9)米百俵 三鷹で誕生「反戦戯曲」

 小泉純一郎首相の所信表明演説で、にわかに脚光を浴びた「米百俵」の話は、作家の山本有三が終戦前、三鷹に住んでいたころに戯曲として発表したものだった。
「米をつくれ。」「船をつくれ。」「飛行機をつくれ。」と、人々はおお声で叫んでおります。もちろん、今日の日本においては、これらのものに最も力をつくさなければならないことは、いうまでもない話しであります。しかし、それにも劣らず大事なことは、「人物をつくれ。」という声ではありますまいか。
 有三が、こんなはしがきを添えて「米百俵」を書いたのは1943年のことだった。越後の小さな藩の話は、全国版になった。当時の情報局国民演劇参加作品として東京劇場で上演されたが、間もなく絶版になってしまう。

 「その内容が平和と教育の理想を深いところで訴えかけていたせいか、時の政府や軍部から、『反戦戯曲』のレッテルをはられたのが原因だったようです。」武蔵野女子大名誉教授の山蔦(やまつた)恒さんは、そう説明する。

 長岡藩に伝わる話を有三が知るきっかけとなったのが、「真実一路」だった。この小説をドイツ語に翻訳した長岡出身の旧制高校教授に教えられたそうだ。

<以下 略>   (銀)[asahi.com : MYTOWN : 多摩(2001/09/07)より]


東京都 三鷹市 玉川上水ぞいに ある 山本有三記念館

敗戦直後、この もと 私邸の 一隅に「三鷹国語研究所」が おかれた。所長 安藤正次、所員(嘱託) 石垣謙二。
また、一時期 国立国語研究所の 分室が おかれた 時期も あったと きく。
(が、国立国語研究所の「沿革」や 「年表」には 記載が ない。非公式の ものだったのだろうか。)


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