1999年10月30日(土)

今日、中学時代の同級生であるIWTK(あだ名の略式)と会うことになっている。彼の勤める会社の本社が三宮にある為、研修等で関西に来るときにはおいらの自宅に泊まっていくのだ。(寮だけどね!)

彼が言うには「14:00には仕事が終わる」ということなのだが、14:00以降何をするかは決めていない状態だ。夜は"一緒に飲む"ことにしているので、それまでをいかに過ごすかだ。美味しいものを食べさせてあげたいが、「ふむふむ」と悩んだ結果、自宅で"キムチ鍋"と思ったが、本人から「他が良い!」と言われてしまった。とほほ。(今週の月曜日に試作キムチ鍋の予行演習をしていたのに...。残念!)

13:30頃、IWTKから「終わったじぇ!」と(携帯で)連絡が入った。職場の仲間、同期が傍に居るらしく騒がしかった。"IWTKの職場の仲間"ということもあり、お茶会に参加させて頂いた。

待ち合わせ場所に着くなり「おっ!久し振り!」「遅いよぉ〜!」で始まる挨拶(注:かいわ、と読む)...。お互いに「お主中々でごじゃる!」風だった。なんせ初対面だから。

メンバーは、かん(老中、20年後の町内のおばさんともいう)、クイーン(うめ、キングともいう)、まどか(下っ端、裏番ともいう)、IWTKそしてFJKN(ラビスタの鷹、迎春太郎ともいう)というメンバー(計5名(左から、か・ク・ま・I):FJKNカメラマン)だった。IWTK以外は(当然)初対面(左から、ま・か・う)だったが、問題無し。IWTKの暴露話で盛り上がった。

さて、後で知った話なのだが、IWTKの暴露話をおいらが余りにも楽しそうにしていた為、隣の席に座っていたお客さんが違う席に移動したとのこと。ん〜ん、滅茶苦茶うるさかったのだろう。ごめり。(よく、廻りに居る人達が「クスクス」笑っている時もある!)

IWTKと一緒に飲む予定だけだった為、夕方は5人(左から、ク・か・ま)神戸ポートタワーを見学しに行った。おいらにとっては約20年振りだったので、懐かしく感じた。展望室からの眺めは想像以上に美しく、のんびり出来た。すぐ傍にはモザイクがあり、「ここだったんだ。結構近いんだ!」と驚いた。次回は是非モザイクに遊びに行きたいものだ。ね。夜は夜でまたまた綺麗!

IWTK以外のメンバーは"私用"の為、名古屋に帰った。おいらとIWTKはそのままアバンシア○○園へ。自宅に戻る前に焼き鳥屋へ行き予約し、21:00に入店することにした。まずはIWTKの着替え(スーツ → 私服)の為、○○圜104号室へ!すると、何度も宿泊しているIWTKはシャワー → 仮眠をとり始めた。(既に自宅気分でくつろいでいる!)

21:00から23:00まで呑んだ。今までの思い出の反芻、今後の展開をイメージした。まだまだ話し足りない。お店が閉店の為、次はゲームセンターへ。彼はよく"鉄拳3"をするらしく、対戦をしたところ、あっという間に負けた。訳がわからず、技もわからん。でもね、おいらは百戦錬磨のFJKN!そこから勝ち上がり!閉店時間直前、他のお客が乱入してきた。「おいおい!初心者に何すんじゃ!」と思ったが、ゲームは進む。あいては滅茶苦茶技を出してくる。それも連続技でしかも強力な技を...。おいらは技がわからない為、小技と意表を突く攻撃で勝ったりもする...。楽しくかった。ゲーム終了後、「Thank you!」と海外でゲーム対戦した時と同様にお礼を言って店を後にした。あいつも中々だったぜ!

帰宅後、IWTKと焼酎を飲んだ。この焼酎、現在品薄で中々手に入らない商品で、価格もちょっと高い。焼酎独特の臭みもなく、このFJKNもすいすい呑めた。明日も仕事だと言うのに、2:00過ぎまで呑んでしまった。

やっぱりIWTK、寝に入った。今日はおいらは寝袋だ。お客のIWTKにベットは譲った。4:00頃、ふとベットを見るとIWTKが腹(へそ)をだして寝ていた。かわいそうなので布団を掛けてやった。やれやれ、俺も寝る。


10月27日(水)

今日、東京から通信教育が届いた。3ヶ月ものと5ヶ月ものだ。丁度、11月から20:00閉店になるので今までよりも1H時間の余裕が出来る計算で受講依頼を出したのだ。

先日まで販売士の勉強をしていたのだが、試験が来年ということもあり、ペースが落ちていた。今回の通信教育ダブルブッキング計画で、普段よりもペースを上げなければならないのは必至だ。まぁ、最初の3ヶ月だけ同時進行なので、そんなには心配していないし、今日1日で1つの今月分はほぼ終わらせたので大丈夫だろう。勉強を再開するが、脳みそのしわは増えてくれるだろうか?見てみたい。

さて、来月の社内誌にFJKNの原稿が掲載されるはずだ。内容については内緒だが、題名が凄い!なんとその題名は「やる気があるなら来い!」だ。「誰が行くかい!」という声が聞こえてきそうだが、結構ブラックが効いている内容だ。お店の内容についても、勝手にそろそろ提出する予定なのでお楽しみに!


10月17日(日)

今日は来週の為の商品をMNBさんと一緒に積んでいた。私がある冗談をしたところ...。MNBさんから思わぬ言葉が...。それは懐かしい、「ひっど〜い、FJKN鱈!」だった。大山さん、下記の通りになりました。普及活動がじわじわと広がって来ています。広報部長の責任を今もしっかり自覚し行動しています。

<挨拶>

□980518−023
 「ひっど〜い!!」万国普及のために、B777で極西に旅立ったフヅケソ。成田のエスカレーターを降りて行く彼の煤けた背中は、かすんで最後まで見届けることができなかった。 ...でも、消えたと思った瞬間、前陣速攻中国ペンの黄金の右手で、親指と小指をいっぱいいっぱいに天に伸ばし、「キャローン!!」。

 僕は、力の限り「ペイース!!」で応えたが、この想い、フヅケソは受け取ってくれただろうか。ついでだが、西宮NTTのゴミメールは、削除してくれただろうか。

この事実を早くお知らせしたかったのですが、ついつい美味しいものは最後まで残してしまうもので。そうそう大山さん、ホームページ更新してましたね。嬉しかったです。


10月15日(金)

さて、今日は「立花まつり」が開催された。この祭、毎年行われているただのコ○プまつりとはちと違う。立花に○立花の存在を再認識してもらう、競合への宣戦布告の序幕なのだ。

当日、9:00前に出社し、米の品だし、試食用の炊飯器の用意、そしてみかん缶などの陳列を行なった。産地の方々もいらっしゃって、盛り上がらなければならない。

出だしも途中経過も上々!来客数はとても多く感じられた。私も減農薬の柿売り場でみっちり声を出して頑張った。他にもみかん、缶詰、も売っている。

組合員様が主体のこのまつり、現地の方々、そして組合員様が実際に話しをされることに意味があるのだろう。しかし、実際のところ、このまつりの意味を知って来店した組合員様はどのくらい居るのか?それは気になる。「祭で安いから!」という方々がほとんどではないだろうか?来月、新しく競合店が出店されるが、来客数の減少を食い止めることは出来るのか?不安ではあるが、他では買えない○ープ商品を大切にしていきたい。

私は実際にデータを採り、チラシ配布の無意味さを説いた。チラシ料金だけ損をしているのだ。無駄な経費を使っているのだから、早く廃止して欲しい。さて、チーフ、店長、人事に提出した書類の影響力はいかほどか?楽しみである。


10月14日(木)

明日は「立花まつり」が開催される。これは○ープ委員さんの主催のイベントであり、○ープの存在意義を世間に知らせる為の大切な行事である。店長は気合入りまくりである。

が、私は内容をまったく知らない。「私は」というよりは、「食品部門は」と言った方が良いだろう。はっきり言って、全く説明を受けていない。変な意味で緊張をしている。段取り通りに行かないのだろうね。そもそも、段取り自体があったのかも知らない。やれやれ。明日のFJKNの爆裂振りを楽しみにしていてくれ!


10月2日(土)

今日は後輩の高井くんの結婚式だ。日帰りだが、千葉県柏市にある柏玉姫殿まで行ってきた。彼と出会ったのは高校時代で部活の後輩に当る。(私の卓球の恩人である鎮目くんもここで結婚式を挙げた。思いで深い式場である。)

部活の後輩ということは、もちろん卓球部ということになる。彼は初心者ではっきり言って上手くは無かったが、私の厳しい練習によく2年間耐えたものだ。(私はめちゃくちゃ卓球が好きだったので日曜、祭日でも練習をしていた。顧問の先生が「FJKN、今度の日曜日は休みにしてくれないか?」とお願いしてくる状態だった。学校では野球部よりも練習する卓球部と有名で、野球部より早く練習を始め、野球部より遅く終わることもしばしばだった。校内マラソン大会でも上位に食い込み(3年連続1位はこの人です。名前は高山くん)、体力には自信があったし、部員の成績もほとんど上位30位には入っていた。私の卓球部時代は部員数が多い時に50人を越えたが、ハードな練習と、危険な暴力的な先輩のしごきにより3ヶ月で男子10名、女子5名程になってしまった。(とうとう女子は1人を除いて結婚した!みんなおめでとうな!浅野さん、葉書ありがとうね!)

ワイルドなFJKNを知る、数少ない人間である高井くん、口封じにいかなくては...と思い、彼のスキャンダルを山のように持っていった。あ〜、平成のピュアボーイ、高井輝也も世帯を持つのか...。彼と出会って13年、逞しくなっていた。3年前に会った時にはまだまだ頼りない後輩に見えていたが、この記念すべき日にはとても男らしく見えた。

東洋1とも言われる柏玉姫殿での挙式(13)、滞りなく進む式(1ええ加減にせんかい!われ!)、彼が眩しく見えた。13年、この長い間に彼とはいろいろな思い出がある。特にここ7年は結構遊んでいた。集合時間はいつも23:00頃だった。「おい、高井くん、今からドライブするぞ。ちょっと出てきて!」こんな毎日、彼とは恋愛、受験、就職、入社してからもいろいろな話しをしてきた。

挙式中、色紙がまわってきた。私が彼に贈った言葉は「後輩から友人へ」という言葉だ。出会った頃は確かに先輩、後輩の関係だったのかもしれない。しかし、13年も関係が続くというのは先輩、後輩だけの関係ではないと思うのだ。私にとって彼の存在はいつの間には後輩ではなく、友人になっていたのだ。これからも良い付き合いをさせて頂きたい。高井輝也くん、礼子さん、永くお幸せに!そしてこれからもよろしく!