The biography of Gou Yuehua

07-01/14

1.(ノータイトル)

   青春時代は、思索に富み、どんなことにも挑戦してみようという勇気を持ち、はつらつとして心身共すこやかに成長する時期で、どんな深刻なことや、失敗にぶつかってもすぐに立ち直れるのもこの時期なればこそだ。粘り強さ、情熱、未来への夢などが若さのために犯した誤りをも改めてくれるものだ。

 しかし、私がピョンヤンで開かれた第35回世界選手権でショックを受けたのは論外とすべきだろう。というのは、当時の私は年齢と共に、精神的にも成熟してきていたし、あやふやな目で周囲を見ることも無くなっていたからだ。

 現実に目を向けなければならないと分かっているのに、いつもその勇気に掛けていた。立場が変わったせいか、それまでのような冒険や探索を楽しむという新人の態度で勝負や損得を考えることも出来なくなっていた。

 自分はおろか、観客や、ファンもかなり厳しい目で私を見るようになった。

 35回世界大会が終わってまだピョンヤンを離れないうちから、国内のファンから匿名の手紙が殺到した。「国と人民から最も期待されているのに、あなたは不名誉にも敵前逃亡の役目を演じたね」と私を厳しく非難し、「ピョンヤンから走って帰るがいい」という手紙さえあったくらいだ。

 肉離れした股は繃帯できつく巻きつけられて、ちょっとでも動くと刺すような痛みが走る。しかし、動けなくても、私は心の中で泣いている。"無念"、"悔恨"、"屈辱"の思いで私は取り乱し、周囲の空間もぐっと狭くなったように感じた。

 ある記者が駆けつけて来て、中国チームに対する好意から、「あなたのレシーブは保守的過ぎた」とアドバイスしてくれたが、私は「人間誰でも平等だ。相手が私のサーブを上手く返せない時があるなら、私が相手のサーブを上手く返せない時もあるのは当たり前だ、どうして非難を浴びなければならないのか」と口答えをしてしまった。このことについて後で済まない気持ちで一杯になった。

郭躍華自伝07***新しい技術の誕生***

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