The biography of Gou Yuehua

05-05(Last)/14

5.最も苦しく困窘だったこと

 飛行機が厚い雲の中に入り、しばらく何も見えなくなっていたが、ヨーロッパ大陸だけは私の脳裏に鮮やかに浮かび上がっている。私は去年のスカンジナビア選手権の雪辱をしなければならなかったのだ。

 毎年スウェーデンで開かれているスカンジナビア選手権は"小型選手権"とも言われている大事な試合で、それに来年の第34回世界選手権バーミンガム大会を間近に控えた時とあって今度の大会では各国の強豪が勢揃いし、お互いの様子を探りながら準備を整えるという緊張した空気が漂っていた。

 ところが私は寒気にやられ、熱を出してしまったのだ。「よりによって」と悔しくてならなかった。団体戦は仲間達が頑張って、何とか勝ち抜いたが、今度は個人戦が始まるので、"出るか、やめるか"の二者択一の選択に迫られたが私は出ることにした。

 朝鮮の金昌炎との一戦ではフルセットに持ち込まれ、私は2対5とリードされていたが逆転勝ち、ハンガリーのヨニエルとの一戦では3セットまで2対1とリードし4セット目も20対15とマッチポイントを握っていたのに、とられてしまった。フルセットに持ち込まれると、頭に裂けるような痛みが走り、咳をするごとに体が痙攣を起こし、全身に力が抜け、体力はもう限界に来ていると感じた。最後まで持ち応えられるだろうかと心配になったが「とにかく頑張るしかない。最後の1セットだけだ、頑張ろう」という信念が先行し、それに支えられて、私はだた機械的にボールを拾って、そしてサーブ、レシーブと繰り返しているだけだという感じだったが、ついにヨニエルにも勝ち、決勝戦に進出した。

 決勝戦では強敵のセクレタン選手にあたったのだ。しかしその時、御互いの心の中の天秤はすでに傾いた。この"卓球芸術の大家"の眼差しに「かつて私に負けたこの人がどうやって決勝まで来たのだろう」という疑いの色がうかがえた。

 さて1セット目は、彼の得意の中陣、後陣攻撃とうって変わって、もっぱら前陣ドライブに、3球目攻撃や速攻を交えた攻め方で私の出鼻を挫こうとした。14対19とリードされ、もう半ば諦めていたが、その時思わぬ機会が訪れて、試合の内容が逆転した。つまり彼は絶好のロビングをミスしたのだった。15対19と私の方に1点増えた。

 その後、私はフォアサイドへ誘い込んでおいて、バックサイドをつくという作戦を貫き、一気に7点もとって1セット目を先取した。2、3セット目も試合をスムーズに運び、3対0のストレートでセクレタン選手を破った。

郭躍華自伝05***思い出の日本遠征***

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