The biography of Gou Yuehua

05-04/14

4.忘れがたい先生のご恩◆

 徐総監督の徹底的な分析とその鋭く揺るぎ無いまなざしに、私は賢明でないとも言われたこの冒険を試みる勇気が沸いて来た。

 徐寅生先生はとっておきのラケットまで私にくれて、あらゆる機会を利用して、練習相手をしてくれたり直接指導にあたっていた。御陰で私はついに技術的に成功への道を探り当てたのだった。

 又、これによって、かつて自分が崇拝してやまなかったが、自分が向かない卓球から抜け出すことが出来たのだ。私は捨てる事の良さを知り、名選手に挑む勇気も沸いて来た。崇拝は若い人なら誰でもするものだが、それは心の中に持つ尊敬の気持ちであって、行動で盲目的に崇拝してはならない。

 自分の崇拝している者以上の魅力を持たない限り、更に高い目標を目指すことが出来ない事が分っていた。

 パナマ、コスタリカ、ホンジュラス、メキシコ、イギリス、フランス、1974年に私はこれらの国を訪れた。イギリスでの試合では私は調子が出なかったが原因も直ぐ分った。つまり"卓球芸術の大家"と呼ばれるフランスのセクレタン選手に逆転負けした瞬間、「相手を重く見過ぎた」と夢から醒めたようで大分経ってからも、「本当に20対18でリードしていたのか」と信じられないくらいだった。

 又、1975年ルクセンブルグでのひとこまは今でも頭に焼き付いている。

 その時、地元政府の要請で、私と黄亮選手が模範試合をやることになったが、試合中観客は狂ったように興奮し、帽子を投げたり、踊ったり、賛美歌を歌ったりの大騒ぎだった。私達のプレーに最大表現の喝采を贈ってくれた。

 ところが、ルクセンブルグ卓球協会の会長は、あまり感心しないような顔で私達の監督に言った。「それはショーに過ぎない。玄人なら一目で分ってしまう。それならヨーロッパの選手の方がずっと上手いぞ」。

 この人を馬鹿にしたような言い方に私はぱっと頭にきた。民族の尊厳を守らなければならないという強い責任感を今更のように感じた。

郭躍華自伝05***思い出の日本遠征***

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