The biography of Gou Yuehua

04-01/14

1.根気さえあれば苦しみも楽しみに

 1971年4月1日、私は幸いにも福建省卓球チームのメンバーに選ばれた。それ以来苦しい練習が続いた。

 毎日、早く起きて1時間のトレーニングをやらなければならない。それから、月、水、金はフットワーク、火、木、土は上半身と腹筋を中心としたトレーニングもやっていた。一見、やさしそうなフットワークも要領がつかめるまでは大変だった。1回5分間やるのだが、コーチの陳仰安先生は、目を光らせていて、いい加減に済まそうものなら、すぐやり直しを命じられる。5回もやれば全身汗びっしょりになる。

 それ以外に、春夏秋冬を問わず6キロから10キロの長距離を毎週3回走らなければならない。それも2時間の多球練習、あるいは3時間半の技術訓練のあとやるのだから、なおさらしんどい。慣れないうちはトイレのあと、立ち上がるのも苦しいし、寝る時は寝返りも出来ず、笑う時さえ、腹筋が痛いほど身に応えた。

 しかし、このようなきついトレーニングは体力づくりに大変役立ち、おかげで3時間の練習が楽に出来るようになったし、ボールを拾う時も脱兎のように走っていくほど体力に余裕が出来た。

 新陳代謝の激しい青少年時代は、口では疲れたといっても、本当は疲れを知らないのだ。昼間流した汗がまだ乾かないうちに、夜は仲間と一緒に窓から鍵の掛かった卓球館に入って練習を続けたものだった。そのために始末書を書かされたこともあったが、白い紙と黒い字は卓球をやりたいという私の強い欲望に勝てなかった。

 私達は、毎晩"残業"を始める前に、じゃんけんをやって負けた者が先に窓から入り、翌日ばれた場合はその人が責任をとると約束した。

 「悔い改めようとうもせず、誤りを繰り返す中で自分を鍛える」。これが私に対する先輩達の評判だった。又、先輩達は、「こいつはまるで、おいしいものを貧るように卓球に目が無い」と言った。

郭躍華自伝04***大好きだった卓球***

MENU / BACK / Next