The biography of Gou Yuehua

02-03/14

3.嫉妬心こそ原動力

 世の中で、偶然なことと必然的なことがごちゃまぜになりがちだ。いつも思うことだが、もし、あの日の昼、学校で卓球をやっていなかったら、湯先生の目にとまることはなかったのではないか。これは偶然としかいいようがないかも知れない。いずれにしても卓球に縁があるのなら、その奥深い世界へ案内してくれる人がいるだろう。1965年、私は厦門市少年体育学校に入った。私を待っていたのは多彩な学校生活だった。

 ここで倪志欽選手からその成長の道についての報告をはじめて聞いた。大変感動的な話しで聞いているうちに目がしらが熱くなってきた。しかし、同時にいい成績をあげるのはなまやさしいことではないということも知った。

 ここで徐寅生さんの書いた"卓球をどう打つか"という文章を初めて読んだ。これは9歳の誕生日に湯先生からもらったプレゼントだった。示唆に富んだこの文章はまだ私には難しい話ばかりだったが小さいボールが生み出す色とりどりの世界への夢はますますふくらんでいた。

 又ここで初めて赤いユニホームを着た。"厦門4番"これが私の背番号だった。どこへ行ってもこの背番号のついたユニホームを着ていると一種の誇りを感じたものだ。ここではじめて"栄光"マーク入りボールをもらった。このボールを丁寧にハンカチに包み練習の後、必ず石けんできれいに洗って母や先生に見せ、目に入れても痛くないほど大事にしていた。真白なボールは純真な童心の象徴ではないだろうか。

 体育学校に入った日のことは今でも忘れられない。卓球館前のコンクリートの階段を登った瞬間、目をみはるような光景に出合った。卓球台がずらりと並び、緑のコートを白い線がくっきりと囲み、映画などによく出てくる天安門前のパレートの行列のように整然としていた。白いボールがコートの上を、美しい曲線を描きながら飛び交い、太陽の光に輝く無数の真珠のように見えた。コートの前では私より年上の生徒達たちが練習に汗を流していた。彼らの打ったボールはまるで爆弾のように次々と相手のコートに落ちては爆発し、そのすごい音に私はあいた口がふさがらなかった。こうした環境の中で、こうした仲間と一緒に新しい生活を始めたのだった。

 当時、仲間の一人に許正金という子がいた。私と同じ位の身長で湯先生に可愛がられた一人だった。知り合って暫くの間は仲よくしていたのに、いつしかライバル意識が二人の間に芽ばえた。普段は仲が良いのだがいざ勝負ごととなると一歩も相手にゆずらない不思議な仲に変わってしまうのだった。

 こんな私達二人のことを年上の生徒は”嫉妬しあい。前進しあう手本だ”といってからかった。

 たしかにその通りだった。朝は一緒に起きて、どちらが先に集合場所につくかを競争し、夜は夜で日記を書き終ったら字数を数え、どちらが長く書けたかを比べる。又ゲームをやっても勝った方はすぐ湯先生の所へ報告するという具合だった。

 故郷厦門は、海にかこまれた島で気候的にも恵まれているので海水浴が盛んだった。1934年に行われた第一回厦門海峡横断水泳大会がそれ以来ほぼ毎年行われているが、この年私も参加を申し込んだ。まだ水泳を覚えたばかりで50メートルのプールを一往復も泳げないのに海に挑戦する勇気など、どこから出たのだろう。それは許正金が参加する勇気がないのを知り、よし私が泳いで見せるぞと思って申し込んでしまったのだ。これには湯先生もOKを出してくれた。ところが試合が始まって、千メートルのコースをまだ半分もいかないうちに「もうだめだ」と弱音を吐いてしまった。湯先生は「そんなことを言うんじゃない。さめに食われても構わないなら置きざりにしてやってもいいぞ」と知らん顔をしていた。

 体の一番小さな私はくやしくてたまらなかった。涙をじっとこらえて、次々と押し寄せてくる波を乗り越え、やっとゴールにつくことが出来た。

 「歯を食いしばれば望みがある」これば9歳の私に海が教えてくれたことだった。

 ある晩、私と許正金さんは互いに悪口を言いあって、どちらも負けようとしない。そこへ年上の中間達が入って「二人は鉄棒にぶらさがってみろ、長く続いた方が勝ちということにしたらどうか」と提案した。

 許正全はこれをきっぱり受けた。彼は鉄棒が得意なのだ。体が軽いし、いつも楽に出来るようだが先方が受けた以上こっちも応じないわけにはいかない。ところが鉄棒ぶらさがったとたん、やすりでも握ったような痛みが走り、手の皮がむけそうだった。やめようかと思ったが許正全の何でもないような顔を見ると、頑張ろうと思って目をつむり、しっかりと手に力を入れた。針がさすような痛みが走るたびに「もう1ふんばり、もう1ふんばりだ」と自分に言いきかせた。

 パタンと許正全は落ちた。つづいて私も落ちた。

 これは取るに足りないことかもしれないが、これで私は歯をくいしばった後の楽しさ、幸せというものをはじめて味わった。

郭躍華自伝02***負けず嫌いだった少年時代***

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