The biography of Gou Yuehua

01-03/14

3.人生の進路を決めることこそ一番難しい

 父の厳しさ、母のやさしさが子供の時分から強く印象が残っている。兄弟四人の六人家族で、決して裕福な生活とはいえないが楽しい生活を送っていた。

 父、郭冷燃は教育者という立場から、よく私たち兄弟に色々な面白い質問をした。

 ある日「世間でどんなことが一番難しいと思う?」と聞かれてみな黙っていると「泣かないことが一番難しい」と妹の阿英ちゃんがいたずら半分に答えた。しかし父は妹を叱ろうとしなかった。「世間で一番難しいのは人生の進路を決めることだ。人生は一度しかない。自分に最もふさわしい人生の道を決めることほど難しいことはない」と意味深長に語った父の言葉は今でも胸に焼きついている。

 1982年の初夏、香港で開催されたマスターズで優勝した後、「もし卓球以外の道を選んでいたら、今どうなっているだろう」とある記者に聞かれたが、「私にも分からない。しかし、人間はどんなことでもたっぷり自信を持ってやらなければならない。自分の進路を決めるのも難しいが決めた道をしっかり歩みつづけることはなお難しい」と答えた。

 私と卓球との出会いはどんなきっかけがあったにしても、当時としては極めて自然の成り行きであり、最もふさわしい選択だったと言えよう。

 1963年プラハでの第27回世界卓球選手権大会が終わると「第28回大会で中国人に挑もう」「こんどこそ中国人を破ろう」が一部外国選手の合言葉となった。世界一の王座を狙っている人達が二回連続優勝の中国男子を目標にしていたのは言う迄もない。

 一方中国国内で、暖かい春風が運んできた優勝の喜びに、人々は沸き立ち、卓球ブームが忽ち中国全土に盛り上がった。

郭躍華自伝01***七歳でラケットを握る***

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