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1992年7月におけるヴェトナムの風景 各風景に対するコメント
ヴェトナムの米作は、年四回の収穫が出来る主要な
農作物です。街中の小売価格は、日本のほぼ十分の一位でしたから、農家の売値は、相当安いものと想像されます。特に、注目すべき点は、古い米が新米
より高く売られていることで、古米の方が品質がよいとされてことです。精米され色と香りで判別できるようでしたが、通訳が上手く行かず、この辺
の理由は分からず仕舞いでした。長い内戦で、米作は、輸入国になりましたが、1986年以降のドイモイ政策が効を奏して、1990年には、輸出国に
になっています。
朝の通勤ラッシュは、想像を絶する混雑ですが、これで事故が起きない(起きても不可抗力で処理されるのか)と通訳は言うが、主要な道路は何処も自転車とバイクと若干の自動車で、無法通行が当たり前
であった。
旧サイゴン時代からあったカソリック教会(聖母マリア教会)。フランスが統治していた植民地は、独立や内戦後も何処の植民地でも混乱を残して、国民に貧困以外の遺産を残していない。         これを英国の植民地統治と比較するとき、その
遺産は、教育や社会的インフラの整備という面で
如実に見て分かる。
旧サイゴンの米国大使館は、現在記念館(戦争証
跡博物館)になっており、未だに記憶に新しい所謂ソンミでの虐殺写真等は、ここに残っています。
記念館入り口での筆者 何故、私のホームページの1−2ページがベトナムになっているかは、北ベトナム(ホーチミン大統領指導下のベトナム解放軍)による南北統一から、30年を経て、今日のベトナムを北朝鮮の現在と比較して見る時、指導者の哲学と指導力が如何に重要であるかが分かるので、その思い入れを込めたいがためです。
又、その偉大なる指導者に応えて、昼間学校に行けない幼児がカーバイトの明かりの下で勉強している
姿を諸所の場所(日本の江戸時代の寺子屋もどき)で垣間見たとき、10年後のこの国の発展を確信
しました。