2 霊夢が神社に戻ってきた時には既に空は星の輝く時分になっていた。 馴染みの香霖堂へお茶を呑みにいったついでに、店主の頼みを聞いていたらすっかり帰りが遅くなってしまった。食事は済ませてきたので神社に帰ってきても、やることはあまりない。 「ま、のんびりできるからいいわ」 境内を歩きながら、大きくのびをする。 「そんなにのんびりしていいのかしら」 いきなり聞こえてきた声に、霊夢はさして驚きもせず横を振り向く。 宙に開いた空間のスキマから、窓をのぞくように上体だけを見せる妖怪がいた。フリフリの少女趣味の衣装と日傘を差した姿からは、とてもこの幻想郷の最古参の一人には言えない。 あらゆる境界を操る妖怪、八雲紫だ。 「紫……何しに来たの? まだ夜が始まったばかりなのに起きてるなんて珍しいわね」 「そうね。だからこそ意味があるわけなんだけど、あなた気づいてる?」 紫という妖怪はいつもこうだ。思わせぶりな言葉をささやいて霊夢を試す。 全てを見透かした上でのその態度が、霊夢にとってあまり気分の良い物ではなかった。 「異変が起こった、でしょ? 今度はなに?」 「さて、今回は果たして異変と言えるのかしらね」 おもむろに取り出した扇子を広げ、口元を隠しながら紫は微笑む。 「どういうこと?」 「言葉通りよ。それ以上の意味はないわ。ま、私から言えることは二つだけ」 と、紫は扇子を閉じて、その手の人差し指と中指を伸ばす。 「まず一つ目、責任はあなたが取りなさい。他の奴らに取らせてはダメ」 「責任? 私が一体何を――」 紫の言っていることの訳が分からなかった。詳細を問い詰めようとするが、スキマごと近寄ってきた紫に扇子で口を押さえられてしまう。 「年長者の話は最後まで聞くものよ、霊夢。そして二つ目、どうしても私の力が必要になったら頼りなさい。私はあなたの味方よ」 最後まで聞いても紫の言いたいことが何なのか、何が目的なのか理解できなかった。 紫は満面の笑みを見せ、霊夢の頭を子供をあやすように撫でてくる。だがそれを邪険に払う。 「味方なら教えなさいよ」 「味方だからわざわざ早起きして教えてあげたのに……」 わざとらしく口先をとがらせ、紫は拗ねた態度をとる。霊夢のはその態度が余計に不快だった。 「紫、そうやってあんまり人をくった態度を取ってると、いくら私だって怒るわよ!」 「もう怒ってるじゃないの。意外と短気なのね、霊夢って」 「ああいえばこういう……」 紫の言葉に振り回され、憤懣やるかたない表情で霊夢は自分の頭を無造作にかき乱す。 「あなたにお客さんが来たみたいだし、私はそろそろ失礼するわね。これから忙しくなると思うけど、頑張ってね」」 「あ、紫! まだ聞きたいことが!」 霊夢の言葉を最後まで聞かずに、紫はスキマの中へ消えていってしまった。 「ったく、好き放題言って……それにお客さん?」 紫の言葉を反芻していると、空から降り立つ人影が一つ。暗がりで誰だかわからないが、随分急いでいる様子だ。 霊夢の姿を確認するなり、その影は彼女に向かって駆け寄ってきた。 長く赤い髪に人民服、紅魔館の門番、紅美鈴である。 「博霊の巫女! お願いだ、力を貸してくれ!」 いきなり霊夢の両肩を掴むと、大声で頼み事をしてきた。 「大声で言わなくても聞こえてるわよ。それになんで私が妖怪の手助けをしなきゃいけないのよ」 「頼めるのはお前しかいないんだ。あの魔法使いを止められるのはお前ぐらいだろ!」 迷惑そうにしていた霊夢の表情が一転して険しくなる。 「あの魔法使い? パチュリーかアリスのこと?」 敢えて一番最初に思い浮かんだ名前を霊夢は出さなかった。パチュリーやアリスを止めるなら、わざわざ霊夢の手を借りるまでもない。自分の力が必要となる相手といったら一人しか思い当たらない。 「あの魔理沙だ! あいつのせいでパチュリー様は倒れるし、咲夜さんは行方不明になったんだ! だから私がレミリアお嬢様の使いとしてここに来たんだ」 「ちょ、ちょっと、わけがわからないわよ。一体、紅魔館でなにがあったのよ!」 美鈴の言葉に色々な情報が詰まっていたせいで、霊夢も混乱気味だ。 「私も現場にいなかったから詳しくは知らないが……」 と、美鈴はレミリアから聞かされた話を霊夢に聞かせた。 話の概要はこうだった。紅魔館に忍び込んだ魔理沙がパチュリーの封印しようとした禁書に手を出した。それからその禁書を使ってパチュリーを倒し、咲夜をおかしくした、と。 にわかには信じられない話だった。ただ今日の弾幕ごっこのことを考えると、そんな無茶をしてもおかしくないような気もする。 ただそれだけでは根拠に薄い。単なる思い込みかもしれない。 それに目の前にいる妖怪が、仲間とグルになって同士討ちを狙っているとも言い切れないのだ。 「それで私に魔理沙を懲らしめろって? 妖怪退治ならともかく、人間退治なんて私の仕事じゃないわよ」 「それは……そうだが、これは異変じゃないのか? パチュリー様に言わせれば、あの禁書はものすごく危険なものらしい」 「具体的には?」 嫌な言い方をしているのを自覚しながら、美鈴に問う。 「私は専門だから知らないし、パチュリー様は今危険な状態で会話もままならない」 「はっきり言うけど、協力はできないわ。頼るなら紅魔館以外の仲間を頼ったら?」 これ以上ないくらいに冷たい言い方だった。 今はこう言うべきだと霊夢の勘が告げていた。あまり説得力のない話だし、本人が見聞きしただけもない。否定するには十分なあやしさだ。 (私は妖怪バスターであって、何でも屋ではないわ) 「そうだな、人間に頼ろうとするお嬢様がどうかしていたんだ。パチュリー様が倒れて、咲夜さんがいなくなって気が動転してたしな。夜にすまなかったな」 そこでようやく肩を掴んでいた手を離し、霊夢に背を向ける。 「私抜きでどうするつもり?」 「それは後で考える。元々ここにはついでで寄ったんだ。パチュリー様の薬をもらうついででな」 ついでにここに寄ったというのは苦し紛れの言いぐさだが、その気持ちはわからないでもない。それよりも気になるのは彼女の行き先だ。 (永遠亭の永琳のところね) 薬をもらうついでに協力を仰げば、もしかしたら手を貸してくれるかもしれない。ただし無償での協力は期待できないだろう。 「……私が言うことじゃないけど、無理はするんじゃないわよ」 「妖怪退治の専門家の言うことじゃないな。じゃあな」 ぶっきらぼうに返事をし、美鈴は南の空へと飛び立っていった。その姿を見送ってから、霊夢は肩を落として大きくため息をつく。 「嫌われ役ってのも楽じゃないわね」 協力してしまったら、彼女を巻き込んでしまう気がして首を縦に振れなかった。 (それに、魔理沙はきっとここにくるわ) 予感ではなく確信。紅魔館をかき乱したのは、霊夢と戦うために起こした行動の結果だ。 「確かに忙しくなりそうだわ」 紫の言葉を思い出しつつ、大きく伸びをする。同時にあくびもでてきた。 これからすべきことは魔理沙が来るのを待つこと。明日の朝には今日みたいにまた勝負を挑んでくるだろう。それを返り討ちにすれば今回の事件は終わりだ。後はバカなことした魔理沙を囲んで、酒で全てを洗い流せばいい。 宴会で準備するものを頭に浮かべながら、霊夢は玄関へ向かっていった。 (……咲夜が行方不明ってのが気になるけど、魔理沙の持ってる魔導書をなんとかすれば戻ってくるでしょ) 二度、異変解決のために戦ったメイド長のことをふと思い出した。 その三へ続く |