第二章 〜魔法の森・霧雨邸前〜 1 再認することではないが、アリス・マーガトロイドは霧雨魔理沙とはウマが合わない。 それはお互いがよく分かっていることだった。 暮れなずみつつある薄暗い風景を何の感慨もなくぼーっと見ながら、アリスは物思いに耽っていた。 とにかく考えというか、思想が違うのだ。そのせいでいつも意見が食い違い、議論から発展して弾幕ごっこに落ち着く。 この場合、落ち着くと言って良いものか、とアリスは思案する。 (最終的にいつも同じ結論なんだから、落ち着く、でいいけど、弾幕ごっこはそもそも落ち着く雰囲気とはほど遠いし……) などと、下らない議論を頭の中で延々と繰り返す。家で人形を縫っている時に陥る思考パターンだ。アリスはそれを結構普通のことだと思っている。 同意を求めようと、そのことを魔理沙に言ったら一言でばっさり切られた。 気持ち悪いな、お前、と。 (気持ち悪いのは貴女が集めてるキノコの方でしょ。あんなもの変な形のものを集めるなんて……常識を疑うわ。でも魔法使いに常識は必要ないし、でもでも――) 額に手をあて、暗くなった天を仰ぐ。木々の隙間からわずかばかりの星の姿が見えた。 「あー」 思考が暴走しているのに気づいた時には、もう自分の愚かさを悔いていた。 (とにかく合わないのは仕方ない。……そういえばこの間、魔法使いになるかならないかでも意見が食い違ったわ) 少し前のことを思い出して、アリスはまた気分を一人で勝手に害す。 魔法使いにも二種類あり、職業としての魔法使いと種族としての魔法使いだ。 アリスは後者に当たり、魔理沙は前者にあたる。 元々アリスも魔理沙と同じ魔法使いだったが、修行の結果捨虫の法を習得し、種族としての魔法使いとなった。ただ紅魔館の魔女と違い、それほどキャリアがあるわけではない。彼女からすればアリスは新米みたいなものだろう。それでも自分の力にはある程度自信は持っている。 そんなアリスから見ても、霧雨魔理沙という人間は優秀な魔法使いだ。ウマが合わなくても、それは否定できない。現に弾幕ごっこするといつも負けるのはアリスだ。純粋な戦闘能力でいったら魔理沙に並ぶ者は多くないだろう。 その実力を認めた上で、アリスは一度だけ魔理沙を誘ったのだ。自分と同じ魔法使いにならないか、と。 決して悪い誘いではないとアリスは思っていた。食事を不要とする不老の体は誰しも求める人間の理想だと、今でもアリスは信じている。 魔理沙はそれを正面から否定した。 『そんなことしちゃ人生つまらないだろ。人間の人生は打ち上げ花火だぜ』 その言葉の意味を反芻して理解しようとするが、アリスにはわからなかった。 「何が打ち上げ花火よ。最後は散ってしまうじゃない」 散らない花の方がずっと美しいままでいられる。いずれ枯れてしまう花の儚さをアリスは残酷で、耐えきれないものと考えていた。 (まぁ、でも……) アリスははにかむ。 そういったものに真正面から向き合える強さを魔理沙は持っている。それが彼女の魅力であり、強さでもある。少なくともアリスはそう思っていた。 自分にはないものを持っており、それがすごく眩しいと感じることもある。たまにその眩しさに嫉妬してしまうこともあった。 そこから生じる意見のすれ違い、言葉の使い方のミス。そんな些細なことからいつも言い合いになる。いつものパターンと被ってくる。 (一番の原因は素直になれなくて、本当のことを言わない私) アリスは自分の手の平をじっと見つめ、それからぐっと握る。その手にわずかに感じる魔法の糸の存在。 人形を意のままに操れても、人の心は操ることも垣間見ることもできない。 いつも連れ立っている上海人形を自分の手元に寄せ、それと向き合う。 「魔理沙、遅いわね……」 とっくに家に戻ってきてもおかしくない時間にはなっていた。異変が起きているわけでもないし、特別な用事があるようにも思えない。 勝手な思い込みによる部分もあるが、魔理沙が意外と時間に律儀なのを彼女は知っていた。 魔理沙の身に何かあったのかと少し不安になっていた時だ。 一迅の風が駆け抜け、アリスの髪が乱される。それがやむとアリスの目の前には待ちわびた人物が箒にのって浮いていた。 「お、アリスじゃないか。私んちの前でなにしてるんだ? 空き巣か?」 「あなたじゃないんだから、そんなことしないわよ。それより帰ってくるの遅かったじゃないの」 「あ、ああ、今日はちょっと用事があってね……」 アリスから視線をそらし、ばつが悪そうに語尾を濁す。それだけでアリスは魔理沙が何をしていたのか検討がついた。 別段珍しいことではない。彼女の性癖のようなものだ。 「またあそこで魔導書を盗んできたのね」 あえて場所については明言を避ける。アリスはその場所が好きではなかったし、どうも馴染めなかった。 「盗んできたとは言いがかりだ。借りてきたんだ」 「で、返すのはいつなの?」 「そのうちだ。先のことなんてわからないだろ?」 わかっていても返さないのは目に見えているが、アリスはそれ以上追求するのを止めた。押し問答をしても仕方がないし、特にこの事に関しては何を言っても無駄だ。 アリスは話題を切り替えるために、わざと大きくため息をはく。 「まぁ、いいわ、そんなこと。それよりも魔理沙、今日これから時間ある? もしよかったら――」 「悪い、アリス。今日は忙しいんだ。またにしてくれるか?」 片目をつぶりながら、わりぃなと片手で拝むような仕草をとる。 「また出かけるの?」 家へ入ろうとする魔理沙の後ろからアリスは問いかける。 妙な感覚をアリスは受けていた。そこに魔理沙しかいないのに、もう一人いるようなおかしな感覚だった。 まるで何かに取り憑かれているような印象を受ける。 「ああ、これから夜の散歩だ」 打って変わって真剣な表情で、魔理沙は冷たく言い切った。 その言葉でアリスの胸の奥がざわつく。 ふと視界に魔理沙の持っている本が目に入った。魔導書のように見えるが、それにしては厚さがない。今まで気づかなかったが、アリスはその本にものすごく嫌な気配を感じ取った。 「あ、魔理沙……!」 呼び止めたが、魔理沙には聞こえなかったのか、そのまま家の中へ行ってしまう。 (なんなの、この気持ち悪さは? それに……) 魔理沙の持っている本だ。普段持ち歩いている魔導書ではない。アリスも初めて見るものだ。 自分の魔導書を持つ手に力がこもる。いつの間にか汗ばんでいた手のひらの水分を魔導書が吸う。 いてもたってもいられなくなったアリスは、魔理沙の家へ歩を進める。 今、この気持ち悪さの原因を探らなければ、何かが手遅れになると直感した。 扉のノブをつかもうと手を伸ばしたが、その前に扉が外から開けられる。家から出てきた魔理沙に変わった様子はない。 「どうした? 私がいるのに忍び込もうとしたのか?」 「ち、違うわよ! あなたの持ってるその本が気になって……」 「ああ、これか。しゃべる魔導書で、エルの書って言うらしいぜ」 「しゃべる……魔導書?」 パチュリーや魔理沙と比べてアリスはそれほど魔導書に詳しいわけではない。だが、しゃべる魔導書がどれだけ珍しいかぐらいは分かし、それ以外にも分かることがある。 しゃべるということは意志を持っていることを意味する。その魔導書を使った魔法において、術者以外の意志がその魔法に介在していると言っていい。それがどんな危険なことかアリスは知っていた。 (私が人形に意志を持たせないのと一緒。魔導書に意志を持たせてはいけないものなのよ) 一般的に禁書に分類されているものだろう。出所は先ほどの会話からも明白だ。ただ紅魔館から魔導書を持ち出したのではなく、封印されていたものを盗んできたとはアリスも思っていなかった。 「そんなわけで、これから試し打ちしてくる。用事はまた後で聞くぜ」 「ちょ、ちょっと、魔理沙!」 箒で飛び立つ魔理沙の後をアリスは一緒に飛び立つ。 加速前であればアリスでも魔理沙を掴まえることは難しくない。箒の先を掴み、アリスは魔理沙を止めようとする。 「おい、アリス! なにをするんだ!」 「待ちなさいって! その魔導書がどんなものか調べたの? しゃべる魔導書がどれだけ危険か――」 「邪魔をするなよっ!」 切実に訴えるアリスの言葉を、魔理沙は怒声を上げてかき消した。その迫力に圧倒され、箒を掴んでいた手を緩んでしまう。 「……魔理沙……」 アリスに魔理沙を追う気力は無くなっていた。どんどん遠ざかっていく後ろ姿を悲しそうに見つめてアリスは静かに下唇をかんだ。 日が沈み、肌に触れる風は冷たくなりはじめていた。熱くなった頭を冷やすにはちょうど良い風だった。 空は群青に染まり、星々がきらめきだしている。眼下に広がる人里も所々で火が灯り、煙がたちのぼり、夜の装いに変わってきていた。 「まったくアリスのお節介にもまいったぜ」 思わず怒鳴ってしまったことを悔いつつも、魔理沙はアリスのしつこさを思い出して嘆息する。 『汝を心配してのこと。嘆く理由はなかろう』 「今更しゃべるなんて都合の良い奴だな。アリスの前で、私は人畜無害な魔導書です、って言ってやればよかったんだ」 アリスを追い払ってから、すぐに語り出したエルの書に文句をぶつける。語ろうとしなかった理由は分かっていたが、それでも嫌味を言わずにはいられなかった。 魔理沙とて魔法使いだ、エルの書が危険であることぐらいは承知している。 その上で利用しようとしているのだ。自分の身に降りかかる災難はある程度覚悟している。 『邪魔をしては都合が悪いだろう』 「なんの邪魔だよ。適当なこと言うな」 はぐらかすエルの書にうんざりして会話を打ち切る。 懐から携帯食にしているきのこを取り出し、口の中に放った。ぱさぱさした食感だが、干してある分味は染みていて悪くはない。 (さて、これからどうするか) 咀嚼しながら、今後のことを腕組みをして考え始める。 すぐに霊夢のところへ行ってリベンジしたいという気持ちがある。しかし、それには一抹の不安があった。 本当にこのエルの書を使って弾幕ごっこで勝てるのかどうか。 「……」 脇に挟んだエルの書を一瞥する。会話を切り上げてからまただんまりだ。 魔導書としての実力は紅魔館で一度目の当たりにしている。ただそれだけでは分析が足りない。あれは弾幕ごっこではない。 弾幕ごっこにおいて、エルの書の実力を測りたかった。 (良い実験体がいればいいんだが。無茶をしても大丈夫で、かつ弾幕ごっこしてくれそうな相手……) 額に皺を寄せてうなるがいい相手が思いつかない。 「殺しても死なないような奴だと、妖精……弱いから意味ないか。あとは白玉楼の死人嬢か。あそこは結界超えなきゃいけないから、色々と面倒なんだよな」 うるさい楽団もいるしな、と小さく付け加える。 他にもっといい相手がいたはずだ、と魔理沙は深くうなった。 箒にぶら下がるように体を逆さまにし、頭に血を上らせて考えを巡らせようとした時だった。 進行方向のやや右の方向で赤い光が見えた。 「あっちの方角は……迷いの竹林。あっ、いた!」 今まで思い浮かばなかったのが不思議で仕方ないくらいの適役がいた。それも二人だ。不死の肉体を持った人間が。 今の光もおそらくその内の一人によるものだろう。 (今なら二人同時に相手にしてもおもしろいかもな) 「エルの書! またお前に活躍してもらうぜ。今度は本番だ!」 『委細承知した』 魔理沙の意志を汲んだエルの書の返答は早かった。その淀みない声に安心し、赤い光の元へ箒の先を向けた。 その二へ続く |