第一章

  2

 思いの外うまくいったことに、魔理沙は内心ほくそ笑んでいた。面倒くさがり屋の霊夢をいかに土俵に上げるかが一番の山場だったので、それだけでもう満足してしまいそうだった。

(これからが本番だ……)
 そんな自分を鼓舞するように、魔理沙は頬を張る。気を抜いていい相手ではないし、下手な妖怪よりもよっぽど手強い。

「ルールは1対1のスペルカードルール。1ミス、1ボムで良かったわよね」
 魔理沙と同じように空に浮かんでいる霊夢は祓串を魔理沙へ向けて確認してくる。

「おう。男と男の真っ向勝負だぜ」
「私たち女だけど……まぁ、いいわ。そろそろ始めましょう」

 祓串を気だるげに肩に構え、霊夢は空いている左手で霊符を数枚取り出す。
それに合わせて魔理沙も、ミニ八卦炉をスカートのポケットから取り出して、構える。

『霊符・無想封印・散!』
『魔符・スターダストレヴァリエ!』
 お互いのスペルカード宣言を果たし、二人の弾幕ごっこの火ぶたが切って落とされた。

 霊夢の無想封印・散は彼女のスペルカードの中では、彼女らしくないスペルカードだ。むしろ魔理沙のものに近い。
 霊札や陰陽弾を高速で放射状にまき散らし、相手に余裕を与えない。だが弾筋は素直で直線的に放たれる。

「手加減してあげるから、さっさと負けなさい!」
「奇遇だな、霊夢! 私も絶賛手加減セール中だぜ!」
 霊夢の霊撃を避けつつ、魔理沙はミニ八卦炉を持った右手で天を差し、周囲に展開していた七つの魔方陣を起動させた。その魔方陣からは色とりどりの星型の弾が渦を巻くように撒かれる。

「ああ、相変わらず星ばっかり!」
「出血大サービスでいつもより増し増ししておりまーす」

 隙間無く撒かれる星の弾幕を文句が多い割にはすいすいと避け、霊夢は魔理沙との距離を詰めようとする。だが魔理沙はそれを弾幕の層を厚くすることで阻む。

 一方で魔理沙は霊夢の霊撃を何度もギリギリで交わしている。高速で迫る霊札や陰陽弾の軌道は分かりやすいが、弾の隙間を抜けるのに難儀していた。挑発的な言葉で霊夢を揺さぶっているのは、少しでも彼女の手元を狂わせるためだ。

「鬼さん、こちら♪ 手の鳴る方へ♪」
「挑発には乗らない、わよ!」

魔理沙の言葉に対して、霊夢は確実に彼女を狙って霊撃を放つ。避けるのをそっちのけでからかう魔理沙が逆に危ない目に合うくらいだ。

「少しは乗ってくれよー。おもしろくないだろ!」
「私はさっさと終わらせたいの!」

愚痴っぽくなっているが、霊夢の攻撃は計算高く魔理沙の避ける場所に合わせて放たれる。
「うわっ、ムキになってきたな、霊夢!」

 そうは言いつつも、魔理沙が感じたのは正反対のものだ。本当に霊夢はさっさとこの弾幕ごっこを終わらせようと、冷徹なくらいに本気になっている。
(挑発が全然きかないなら、こっちにもやり方はあるんだぜ)

 無策で霊夢に挑むほど魔理沙も愚かではない。あらかじめ考えてある作戦の一つや二つはある。
「もっと増やしていくぜ!」
(攻撃は最大の防御!)

 魔理沙は更に魔方陣から放出される星を増やしていく。このままの状態が続けば、有利なのは霊夢なのは魔理沙自身が一番良くわかっていた。既に霊夢は魔理沙の弾幕のパターンを読み、最小の動きでかわし始めている。

 あれだけ挑発されて、なおかつ反撃していたというのに、その順応性には魔理沙も舌を巻く。そんな霊夢に対して、ここで次の手を打っておかなければ、ジリ貧で下手を打つのは魔理沙だ。
 魔方陣から溢れんばかりの星が展開されていくが、霊夢は一気に数を増した星の海に動じた様子はない。

 流れに逆らわず、一枚の木の葉のようにゆらりゆらりと魔理沙の弾幕を避ける。
 逆に焦ってしまったのは魔理沙の方だった。これ以上ないくらいに密度を高めた弾幕に動じない霊夢に、怖れすら感じてしまう。

(こうなったら、相打ち覚悟で突げ――)
「あっ……」
 覚悟を決める猶予すらなかった。

態勢を変えようとした隙に、霊夢の霊札は魔理沙の眼前にまで迫ってきていた。もう避けられないほどの距離だ。
 魔理沙の額に霊札が当たり、勝負はあっけなくついた。



「ててて……」
 零札が当たった額を右手で押さえ、魔理沙は境内の石畳に腰を下ろしてうなっている。血こそ出ていないが、額は真っ赤に染まっており、それなりに痛そうに見える。

「これで少しは懲りた? 異変も起きてないのに、簡単に弾幕ごっこしようとか言わない」
「痛いほど懲りてるぜ……」
「痛そうなのは分かるけど、懲りてるようには見えないわね」

 左手で親指を立てて返答する魔理沙を、霊夢は呆れた様子で嘆息する。
どうもいつもと調子が違うので、霊夢もついていけないところがあった。無理に明るく振る舞っているようで、なにか誤魔化しているような印象を受ける。

「相変わらず一切手加減なしだな。手加減するとか言ってたのに」
「当たり前でしょ。あれは方便よ、方便。魔理沙も嘘ばっかり言ってたじゃない」
「私は意外と本気だぜ?」

「どうだか。さ、いつまでもそんなところに座ってないで立ちなさい」
 魔理沙は差し出された霊夢の手を取り立ち上がると、スカートについた埃を払う。
「……ふぅ」
「ん?」

 やけに深いため息をついた魔理沙を訝しんだのか、霊夢の目線が彼女の表情に注がれる。
「なんだ、霊夢。私の顔に何かついてるのか?」
「いえ……強いて言うなら霊札の跡かしら」

 それよりも魔理沙の瞳が少し潤んでいたのが気になったが、霊夢は敢えて言わなかった。
それを言ったら魔理沙のプライドを傷つけてしまうかもしれない。言っても真面目にとりあうような性格ではない。

「乙女の顔に傷ついたら、一生モンだぞ」
「だったら最初から弾幕ごっこなんてしなければいいじゃない」
「それとこれとは話が違う」

 魔理沙のセリフに今度は霊夢がため息をつく。
どうもらしくない。それが霊夢の素直な感想だった。

「同じよ。あー、あなたと話してると喉が渇くわ。せっかくだからお茶出すわよ」
「いや、遠慮しておく。ちょっとこの後用事があってね」

 被っている帽子を目深になるように押さえると、慌てた様子で魔理沙は箒にまたがる。
「あ、ちょっと魔理沙」
「それじゃ霊夢、お茶はまた今度な!」

 霊夢の静止する声をかき消すように元気な挨拶をすると、魔理沙はあっという間に大空へ飛び立って言ってしまった。

「無理しないで頼ればいいでしょ……不器用なんだから」
 もう誰もいない空に向かって、霊夢はさびそうに小さく愚痴をこぼした。



 風の圧力を全身に受けながら、魔理沙は幻想郷の空を猛スピードで飛ばしていた。霊夢が簡単に追ってこれないように全速力でだ。これだけのスピードであれば、ついてこれるのは天狗か吸血鬼ぐらいである。

霊夢がわざわざ追いかけてくるような性格ではない。そんな野暮なことをしないのは魔理沙自身よく知っている。
(わかってたんだよ最初から、霊夢に勝てないのは)

上体を前傾姿勢にしているのは、帽子が飛ばされそうになるのを防ぐためではない。
 今まで霊夢とは何度か弾幕ごっこをしてきたことはある。そしていつも負けてきた。
実力の差はほどんどないと思っている。だけど勝てない。

魔法の森の入り口に店を構える店主に、自分と霊夢のどちらか強いかを客観的な意見を聞いたこともある。答えははぐらかされてしまったが、言わんとしたいことは分かっていた。
(埋めようのない差があるんだ……どうしようもないくらいに決定的な)

 それを認めたくなかったから勝負を挑んだ。同時に自分の努力が実を結んでいるはずだと信じて。
 でも結果は違った。残酷な現実があった。

 魔理沙は右腕で顔を乱暴にこすり、鼻をすすった。
目にゴミが入って、鼻がかゆかったからと自分の行動に言い訳をする。それでもあふれ出る感情の渦は止まらない。

(悔しい……)
 これ以上負けたくはなかった。これ以上差が縮まらないのは嫌だった。
今まで霊夢が解決してきた異変に首を突っ込んできた原動力は、あふれ出んばかりの好奇心だけではない。

 少しでも彼女に近づき、あわよくば出し抜き自分が上だという結果を一つでも出せればという思いがあった。

常に彼女の背を追ってきたのは、友人である彼女と肩を並べ対等であろうとしたからだ。
「強くなる……強くなってやるんだ……」

 どんな手段でもいい、どんな方法でもかまわない。
魔理沙は自分に言い聞かせ、己を鼓舞する。箒を握る手と奥歯に力がこもる。口の中で歯のきしむ音がやけに耳に響く。

(私ができることは一つしかない)
 うつむいていた顔を上げ、魔理沙は遙か先を見つめる。

 もうその瞳に悲観するような暗さはなかった。ただ並々ならぬ決意をみなぎらせた魔理沙の瞳は、見る者が見れば狂気に取り憑かれていると思うかもしれない。

 箒の向きを体ごと斜めに傾け、魔理沙は進行方向を修正する。眼下に広がる風景が森から湖に切り替わっていく。それに合わせるように、うっすらと霧が辺りに立ちこめてきた。
目指す先は決まっていた。悪魔の住まう館にして、魔導書の宝庫。

先ほどまで無我夢中で飛んでいたはずなのに、意外と近くを飛んでいたようだ。この調子なら目的地は目と鼻の先だ。
(いつもは片っ端から適当に借りてたが、今回は真剣に探す。とっておきの一冊ぐらい持ってるはずだ)

「ちょっと待った!」
 制止の声と共に幾重にも重なった極彩色の弾が、問答無用で魔理沙に向けて放たれた。
「っとと、危ないぜ」

 不意打ちにも関わらず、その弾幕を難なく避ける。この程度の弾幕なら魔理沙にとっては予測の範囲内だ。それが例え霧に覆われた湖の上であったとしてもである。

飛翔する速度を一気に落とし、不意打ちをしてきた人物に備える。
言葉遣いも普段通り。変に気取られるようなことにはならないはずだ。

「あれ? 侵入者?」
 間抜けな声を上げ、疑問符を浮かべる人民服姿の妖怪。名は紅美鈴。魔理沙とは見知った仲であり、一度こてんぱんにしたことのある肉体派の妖怪だ。そして目的地である紅魔館の門番を務めている。元々訪れる者が少ない紅魔館で暇をもてあましている様子がよく見られる。

 久しぶりの侵入者に気合いを入れすぎているのがよく分かった。
「それは私に聞くことじゃないだろう」
「そうか? 侵入者かどうか確かめるのは本人に聞くのが一番じゃないか」

「私は嘘をつくぜ」
 魔理沙の堂々とした発言に、美鈴の額に皺が寄る。

「それは困る。本当のことを言って」
「自己を含む命題は矛盾するんだぜ。それはナンセンスな質問だ」

「? 言っている意味が分からないわ」
 首をかしげる美鈴に対して、魔理沙は得意げに笑みを浮かべる。
「という話をこれからパチュリーとするんだ。だから通してくれ」

「パチュリー様からはそんな話きいてない」
「そりゃそうだ。予約なんてとってないからな。でも用件があるのは本当だぜ」
「う〜ん。あやしい……」

 いまいち魔理沙の言動が信じられないのか、いぶかしげに美鈴は彼女を見つめる。
 当の魔理沙はあやしむ視線を突きつけられても特に気にしていない。

「やっぱりお前は通せ――」
 そう言いかけたところで、美鈴は魔理沙の背後に何かを見て、あっと小さく声を上げた。
魔理沙もすぐにそれに気づいて振り返る。そこにいたのは、魔理沙もよく知った人物だった。

ヘッドドレスに紺のワンピース。その上に白のサロンエプロンをまとった姿は見まごうことなきメイド姿。波打つ銀の髪を肩口まで切りそろえ、もみあげの部分を三つ編みにしている容貌を見れば、この場にいる二人はすぐに彼女が誰だか分かる。

 紅魔館のメイド長にして、そこに住む唯一の人間、十六夜咲夜であった。
「美鈴、そんなところで世間話していたのね」
 咲夜はさぼっていたものと判断して、半眼で美鈴をみやる。

その態度に慌てて美鈴はすぐに反論を始める。ちゃんと仕事をしているのに、そういう扱いをされるのは誰しも嫌だろう。
「せ、世間話じゃありませんよ。私はこの魔法使いが侵入者かどうかを……」

「通せんぼしてもどうせ通るような輩にかまっていても時間の無駄よ。私はこれから人間の里に買い出しに行ってくるわ。私が帰ってくる頃にはちゃんと門に戻ってるのよ」

美鈴の言い分もろくに聞かず、一方的にまくしたてる。そして言い終わった次の瞬間にはその場から姿を消していた。

おそらく時間と空間を少しいじったのだろう。タネのない手品と称する奇術を、よく使う咲夜らしい行動だった。

「私に挨拶なしなんて失礼な奴だな」
 一瞥もくれず風のように去っていた咲夜に、魔理沙は細かいところを愚痴っている。

「きっとお嬢様に急ぎのお使いでも頼まれたのよ」
「吸血鬼の相手も大変だな。私には絶対無理だ」
「頼まれてもあんたにお嬢様の世話なんて任せないから安心しなさい」

「そりゃありがたい。で、通っていいんだよな? 咲夜がオッケー出したし」
 魔理沙のその言葉に美鈴は恨めしげに彼女をにらむ。
自分の主張が全く聞いてもらえなかったことに対して、それなりに根を持っていそうだ。

だがそのにらみもすぐに止め、美鈴は肩を落として大きくため息をつく。
「……まぁ、咲夜さんの言い分も分かるから、通っていいわ。行きなさいよ」
 煮え切らない思いがあったようだが、ここは大人しく引き下がることにしたようだ。

「次はもっとスムーズに通してくれよ。じゃあなー、門番」
 そんな捨て台詞を残し、魔理沙は紅魔館へ向けて再び飛び出した。背中からなにやら非難の声が聞こえてきたが、それは気のせいだと無視を決め込んだ。

(変な足止めくったな。咲夜が来なかったら門番と一戦交えてたかも)
 もしそうなっても圧倒的な実力差で排除するだけだ。スペルカードルール内であれば、魔理沙と対等に渡り合える妖怪はそれほど多くない。

少なくとも妖怪たちの間では、魔理沙は妖怪バスターの博霊の巫女と双璧を成す存在として認識されている。

(でも実際はそうじゃない。私は――)
 そこまで考えて、魔理沙は慌ててかぶりを振る。

今はそんなことを考える時ではない。そうならないための行動を起こしているところなのだ。それに水を差すようなことはしたくはなかった。

「見えてきたぜ」
 考えを切り替えるように、魔理沙はうっすらと霧の中から姿を現した紅魔館を見てひとりごちる。
 この霧の中、肉眼で確認できる距離であれば、もう紅魔館は目と鼻の先だ。

 魔理沙は速度と同時に高度も落とし、着地態勢に入る。博霊神社に行った時とは違って、非常にナイーブな行動だった。

(ここからは目立たないようにしないとな)
 草を踏む音さえ聞こえないくらいに静かに降り立ち、魔理沙はきょろきょろと周りを見回す。

 目的地は地下の大図書館。紅魔館の主の友人にして、不健康な魔女の住まう場所だ。
その魔女に見つからないように忍び込まなければ、おそらく目標は達成できないだろう。

誰にも見られていないことを確認しつつ、魔理沙は忍び足で館の入り口へ向かっていった。 

                                                      その三へ

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