──2001年の2月に、『灰夜』が出て以来、5年半。今回ずいぶん待たされました。
大沢 『狼花』をやろうというのが決まっていて、どんな話にするかが固まった時点で連載をスタートしました。
あと、僕自身のスケジュールの問題もあったので、そろそろだねと。
──『狼花』というタイトルの意味は最後に分かるわけですが、これは……
大沢 もともとヒロインのことをイメージして『狼花』というタイトルはつけたわけですね。
書き終わるまで僕自身気づかなかったけれど、これは『毒猿』と表裏一体の感じです。
『毒猿』に出てくる中国残留孤児二世の女性は善玉で、悲しいヒロインという構図だったんですが、
今回の明蘭に関して言うと、逆にどんどん強くなっていくというか、
ある種、彼女の成長ストーリー的な部分もあったりして。
特に、ラストはしたたかな感じを持つ。これでまた、自分は一つ成長するみたいなね。
──明蘭の強さというのは、主要人物全員が破滅するダークな結末のなかで大きな救いになっていますね。
大沢 女を書く時に、「女は弱い、優しい、保護すべきもの」として書くのはある程度ステレオタイプだよね。
次に、「女は恐い、魔物だ」というのもステレオタイプ。
そうすると、「優しい、可愛い、保護すべき」生き物が、「恐い魔物」になっていくというところが
一番現実的なんだろうなというところじゃないのかな。
──この明蘭にしても「魔女シリーズ」にしても、最近の大沢さんのヒロイン像はそういう感じですね。
最も引き込まれるのはやっぱり仙田と明蘭と
毛利の三角関係です。
まあ、仙田も毛利もすごい男だし、
その二人が争うんだから明蘭も魅力的でなければならない。
今まで黒幕的だった仙田の純情一途にはほだされますが(笑)。
この三人の造形がきちんとしているから、ドンパチではないサスペンスを感じましたね。ここが隙がなく息苦しいほどなのですが。
大沢 明蘭をめぐる
毛利と仙田の精神的な対決というのは非常に書きごたえがありました。
──鮫島側の場面に替わると、ほっとする。鮫島に脅かされて情報を吐き出す下っ端のヤクザとか、
ちょっとだけ出てくる人物というのがなかなかいいんですよね。
大沢 アハハ。このシリーズは、特にそういうところがありますね。
──それにしても、今度でこれまでの敵役は全部ケリをつけたことになりますよね。
大沢 そうですね。そういう意味では、本当に総ざらえ的な作品になりましたね。
それはでも、これを書きはじめたときから仙田と香田という、
敵役の二人と鮫島の関係が大きな転回期を迎えるということは、決めていたんで。
──誰が主人公だか掴みにくい。
大沢 生きるために戦っている、全員がそうですね。ある種自分たちの戦いがあって、それに対して皆必死。
全力で戦っている奴ばかりが出てきていて、毛利にしてももちろんそう。
仙田は、明蘭を揺り動かす。
毛利にしても香田にしても、
そういう全力闘争をしているところがあって、それが鮫島というところで一点集約するというか。
鮫島という存在によって、それぞれの闘争が一つの決着を見るという。
だから、鮫島は勝ったのか負けたのかという、勝って負けみたいな。勝ったけど、失ったみたいなところがありますよね。
──この作品は読んでのお楽しみという要素が多くて、読者の楽しみを奪わずに魅力を伝えるのが難しい。
大沢 そうですね。警察と巨大犯罪組織が手を組む。これは、言ってもいいと思います。
冒頭のほうで、「毒をもって毒を制す」という言い方をしているので。それを、鮫島が阻止するという。
──この話題はぎりぎりかな。鮫島が誰かを撃つ、というのは、前から決まっていたのですか。
大沢 今までの作品でもけっこう銃を撃ってはいるんですが、今回のような展開は初めてですね。
今までにない過酷な運命を鮫島に背負わせたというところですね。
──そうですね。慰めてくれる晶も出番が少ないし。
晶のファンは不満かもしれない。
大沢 その人たちには申し訳ないんだけど、晶の比重はどんどん薄くしています。
ロバート・B・パーカーのスペンサーとスーザンみたいに議論していてもしょうがないし。
やはり「新宿鮫」というのは鮫島の物語なんだと。警察やめて生きていくなら楽だし簡単だ。
多くの人たちが皆そうだと思う、生きていく過程の中で、ケツまくれたらどんなにいいだろう。
でも、家族があり、人間関係があるからまくるわけにいかない。
鮫島がそういう人たちのシンパシーを得られるとしたら、やっぱりそこだと思うんだよね。
──それはあるでしょう。
大沢 だけど、鮫島ばかり描いているだけでは物語は小さくなってしまう。
鮫島を描くということは、鮫島と関わっていくいろいろな人間たちを描くことなわけで、
ストーリーの中心が「バイキャラ」に交代するような展開のシリーズ作品もあるけど、
「それでも、『鮫島の物語』なんだ」という視点で「新宿鮫シリーズ」を見たときに、
今回の『狼花』というのは大きな分岐点になった作品だなと思います。
それは、読者にとっても鮫島にとっても、もちろん本に書いている俺本人にとっても、曲がってしまった。
ある角を曲がってしまったんだな、という思いが今すごく強くある。
この先が「新宿鮫シリーズ」の完結に向かっている角だったのか、まったく違う方向に継続していく
新「新宿鮫シリーズ」みたいなもののスタート地点になる角だったのかは、今は分からない。
──だから早く次作を読ませてください。
大沢 しばらく勘弁してください(笑)。ほんとに出し尽くした感じですから、今は。
大沢在昌(おおさわ ありまさ)
1956年名古屋市生まれ。1979年に「感傷の街角」で第1回小説推理新人賞を受賞してデビュー。
『新宿鮫』で第12回吉川英治文学賞新人賞と第44回日本推理作家協会賞長編部門受賞。
『新宿鮫シリーズ』は爆発的な人気を博し、第4作『無間人形』で第110回直木賞受賞。
2004年『パンドラ・アイランド』で第17回柴田錬三郎賞受賞。
構成:新保博久