ウインタブルック・ハウス通信

クリスティ・ファンクラブ機関誌

2004.9.15  NO.67

  67歳(1957年)のクリスティ。この年、ミス・マープル物の『パディントン発4時50分』を出版した。並行して走る列車の一方に乗っていた老嬢が殺人を目撃するという衝撃的なシーンから始まる作品だが、クリスティはその題名に苦慮したらしい。
 最初は「パディントン発4時15分」を考えたそうだが、その後「4時30分」→「4時50分」→「4時54分」と変わり、最終的に「4時50分」となった。「4時54分」を提案した理由は、読者から文句を言われないように(つまり実際の時刻表には絶対に存在しない列車となるように)するためであったが、「4時54分」では題名があまりにごたつくという出版社側のクレームで、「4時50分」に落ち着いた。クリスティは、細部にこだわって揚げ足を取ろうとするファンを結構気にしていた?!(S)


< 目  次 >

◎クリスマスにはクリスティのロンドン――――――――――――――――――阿部 純子
◎戯曲「見知らぬ人からの愛」(第二幕第二場)――――――――――――――原作:アガサ・クリスティ
                                                   脚色:フランク・ヴォスパー
                                                   翻訳:小堀 久子
◎落ち穂ひろい(その4)――――――――――――――――――――――――鳥居 正弘
◎ミセス・オリヴァーの作品について―――――――――――――――――――山田 由美子
◎「オリヴァー夫人の謎?」への雑想―――――――――――――――――――佐竹 剛
◎クリスティ・ファンの選んだクイーン・ベスト5 ―――――――――――――――杉 みき子
◎ミセス鈴木のパン・お菓子教室  第16回 オールド・イングリッシュ・マフィン――鈴木 千佳子
◎クリスティ症候群患者の告白(その36) ―――――――――――――――――数藤 康雄
◎ティー・ラウンジ
★表紙   高田 雄吉


クリスマスにはクリスティのロンドン

阿部 純子


 ロンドン。コナン・ドイルは「汚水溜め」と表現し、サミュエル・ジョンソンは「人生が与え得るものすべてがある」街と言っています(かなり古い引用句で恐縮ですが)。そして大袈裟に言えば、クリスティ・ファンクラブ会員にとっては、聖地の一つといってよいでしょう。クリスティが活躍していた1920年代から70年代までの彼女の足跡が、まだ十分に残っているからです。生涯に一度は訪れてみたい都市であり、毎年一回は行ってみたい街であり、一生に何年間は住みたい土地であります。
 ということで、会員によるクリスティ足跡巡りのロンドン・イギリス探訪記はすでに何回か掲載しているのですが、どの記事にもその時の英国の魅力が感じられ、飽きることはありません。今回の筆者阿部さんは、娘さんの英国留学をきっかけにしてロンドンを訪問したようですが、大いに楽しんでいる様子がわかるとともに、今後ロンドンを訪れる人の参考になるでしょう。
 自分の目で見た、肌で感じたロンドン・イギリス探訪記は、これからも大歓迎です。よろしく!(S)


 クリスマスのロンドンの旅……長年の夢が思わぬ形で叶い、ガイドブックと受験以来の英語を頼りに、おぼつかない思いで12月25日のヒースロー空港に降り立ちました。交通機関もお店もクローズしているクリスマス・デーに、唯一運行されているヒースロー・エクスプレスで約20分、暮れなずむパディントン駅に着いて見上げると、例の大時計がこの短い旅の始まりの時を刻んでいました。
 WH通信の記事や数藤さんのアドバイスを参考に、初めての海外旅行にもかかわらず、クリスティのロンドンを存分に楽しんできました。
 「さあ、あなたの旅行のことを話して」。
参考書
『英国ミステリ道中ひざくりげ』(若竹七海著)
"THE GETAWAY GUIDE TO Agatha Christie's England"(WH通信No.62 で紹介されていた本。イギリスでは£9.3)
"Street by Street LONDON"(ロンドンの明細地図のようなもの)
"The Mousetrap and Other Plays"( SIGNETのペーパーバック。Amazon.comで購入)
『ねずみとり』(ハヤカワ文庫)
WH通信の新谷さんや田中さんの記事(参考になりました)
訪問地
クリスティーの住んだCresswell Place 22番地とSheffield Terrace 58 番地の家
"Mousetrap"の観劇
セントポール大聖堂
劇場博物館
セント・マーティン・イン・ザ・フィールズ教会
マーダー・ワン(1944年刊の "Towards Zero" 6£)

ロンドンの家
 サウス・ケンジントンにあるCresswell Place 22番地の家(右の写真)は、自伝や評伝に「なかなか好ましい馬屋付きの小住宅」「厩舎を改造した小さな家」と書かれています。「かなりの重量級になっていたアガサがどうしてこんな狭いところで身動きできるのかと、みながいぶかしんだ」とあるのが頷ける、こじんまりした家です。アガサはこの家を1929年に買い、ロンドンに出てきた時の宿泊場所にしたり人に貸したりしながら、生涯持ちつづけました。それは彼女が自分の原稿料で買った初めての家だからだろうと言う人もいますが、私はもっとロマンティックな思い入れがあったからだと考えたい。
 アガサはこの家の借家人でもあったウーリー卿の発掘現場を二度目に訪ねた時にマックスと出会って意気投合します。帰国に際し大いにマックスの世話になった彼女は、お礼に彼をこの家の朝食に招待して再会し、その後アッシュフィールドへ招かれたマックスは滞在最後の日に、自室に引き取ったアガサの寝室を訪ねベッドの隅に腰を下ろして、プロポーズをしたのです。この家はマックスとの大切な思い出の家だったはずです。「クレスウェル小路」といった趣の静かな石畳の道に面した、可愛らしい家でした。


 映画で一躍脚光を浴びたノッティングヒルの入り口、ノッティングヒル・ゲート駅で地下鉄を降り、ポートベロ・マーケットへ行く人波と反対方向へしばらく歩くと、閑静な住宅街の一角に、Sheffield Terrace 58 番地の家があります。マックスが大英博物館へ通勤するのに地下鉄の便がいいので、戦時中に爆撃を受けるまで5、6年住んでいた家です。3階建ての白い大きな美しい家で、この家を見て「全く完全で、これまでのどんな家よりも住みたい気持ちになった」というアガサの気持ちがよく分かります。No.64に載った新谷さんの写真を見て、ブルー・プラークが何であんな上の方に付いているんだろうと不思議に思いましたが、立派な門と塀に遮られて、あの高さでないと通りから見えないんですね。アガサは「この家で生涯で唯一の自分の仕事部屋を持った。それ以外は食堂のテーブルや洗面台の隅が仕事場だった」と、我々主婦が共感を覚えるようなことを書いています。この家は1940年に爆撃を受けて地下室と屋根と最上階が破損し、玄関から入れずに梯子で出入りする羽目になるのですが、この経験が『満潮に乗って』に生かされたようです。


 アガサはこの他ロンドンでいくつもの家を移り住み、戦後はSwan Court 48に住みましたが、自伝に懐かしく楽しげに思い出が語られているこのチャーミングな2軒の家からは、家選びのセンスの良さと共に、家というものに注いだ彼女の並々ならぬ情熱と愛情が伺われました。

ねずみとり
 セント・マーティンズ・シアターは、完成当時「演劇のパトロンが友人達のお楽しみのために作ったプライベートな劇場のような」と評された、こじんまりしたクラシックな雰囲気の劇場です。50年間の続演の理由は永遠の謎ですが、「芝居というものを見てみようか」「芝居でも見に行こうか」という時に、程良い演目なのだと思います。ドレスサークルというとても良い席で7000円程。私の後ろの席の家族連れ、母親がやたら口うるさくて、娘に向かって「どうしてこんな席を取ったんだ」とか文句を言い通し。まるで舞台の上のミセス・ボイルそのもので、可笑しくなりました。
 売店で買った50周年記念誌の内容がなかなか面白かったので、紹介します。No.65に新谷さんが寄せられた表紙の写真があります。この中には、1952年11月25日のTHE TIMESの演劇情報のページ("AMBASSADORS. Comm.To-nt.,7.30.Shella Sim. THE MOUSETRAP. by Agathe Christie"とあります。この日のTV欄には、ニュースを含めてたった7つの番組しかありません)、初演のポスターとパンフレット、歴代の演出家達を始め様々な写真や記録、1955年にBBCで放送されたインタビューなど、50年間の歴史がギッシリと詰まっています。
 特に面白いのが、1年目から2002年の50年目までの年代記のページで、ページ毎にその年のキャストと主な出来事がリストアップされています。1年目の記事によると、「Mousetrap」は1952年10月6日、ノッティンガムのシアター・ロイヤルでの試演を皮切りに6つの地方都市を回り、11月にロンドンにやってきました。初代のトロッター刑事は名優、リチャード・アッテンボロー。既に舞台で人気を得ていた彼はスケジュールが詰まっていたにもかかわらず、奥さんのシーラ・シム(モリー役)との共演を提示され出演をOKしました。ご主人が奥さんの首を絞めようとする、という際どいシーンもあったのですね。リストによると、この年のレコード・オブ・ザ・イヤーはフランキー・レーン(懐かしの「ローハイド」!)、フィルム・オブ・ザ・イヤーは「地上最大のショー」、プレイ・オブ・ザ・イヤーはクリスティの「検察側の証人」です。ちなみに10年目(1962年)のフィルム・オブ・ザ・イヤーは「ウェストサイド物語」、20年目(1972年)は「フレンチ・コネクション」です。
 競馬ファンとして嬉しいことには、1966年にエクセター競馬場で「マウストラップ・ステークス」が創設されており、第1回の馬柱もちゃんと紹介されています。1982年にはウインブルドン・スピードウェイで「マウストラップ・クラシック」も行われていますね。
 なお、このパンフレットに載せられた興味深い記念品の幾つか……。サザビーのオークションで600ポンドで落札された初演時のピストル、千回目の上演日とロングランの最長記録を作った日に観客全員に配られたシルクのプログラム、書き込みがいっぱいあるoriginal prompt script(初演の時のプロンプター台本?)、エリザベス皇太后が25周年に寄せた祝電等々の実物は、コヴェント・ガーデンにある「劇場博物館」で見ることが出来ます。入り口を入るとリチャード・バートンの大きな肖像画の下に、これらが陳列されています。
 「Mousetrap」を見たら、この芝居のキーパーソン、クリストファー・レンの設計したセントポール大聖堂を見ないわけにはいきません。見学に行った時にはちょうど日曜日のミサが行われていて、お説教と聖歌隊の素晴らしい讃美歌を聴くことが出来ました。また、ナショナル・ギャラリーの前にあるセント・マーティン・イン・ザ・フィールズ教会は、クリスティーの追悼式が行なわれた所です。地下にお洒落なカフェがあります。
 芝居がはねた後に少し飲み食いして、ホテルの部屋に戻りテレビを付けたところ、奇しくも「大脱走」が放映されていて、ちょうどラスト近く、バートレット大佐以下が銃殺される場面が流れており、突然アッテンボローの顔が大写しになってびっくり。アガサのちょっとした悪戯だったのかしらと、思わぬ偶然に楽しい思いをしました。


戯曲「見知らぬ人からの愛」(第二幕第一場)

原作(短編「うぐいす荘」):アガサ・クリスティ
脚色:フランク・ヴォスパー
翻訳:小堀 久子

 WH通信No.63、65、66の続きで、五回連載の第四回目となります。例によって前回までの粗筋です。
 主人公セシリーは結婚のため、部屋を貸すことにした。だが実はセシリーと婚約者ナイジェルの仲はうまくいっていなかった。そこに部屋を借りたいという男ブルースが現れ、セシリーとブルースは何故かお互いに好意を持ってしまう。周囲はヤキモキするが、セシリーとブルースはナイジェルを置き去りにして、植物園に出かけた。そしてほどなく二人は結婚、田舎のしゃれた一軒屋を購入したのである。それまでいた庭師も雇い、素晴らしい新婚生活が始まろうとしていた。だがそこにお節介なおばが再登場し、ブルースは憂鬱な気分になる。それから数ヶ月後、第二幕第二場の幕が開く(S)。


第二幕

第一場

登場人物
エセル:メイド。庭師ホッジソンの姪。
セシリー:ヒロイン。数ヶ月前にブルースと結婚。
ブルース:セシリーの夫。
グリブル:村の医者。
ホッジソン:庭師。


 場面は第一場と同じ。時は九月初旬。よく晴れた日の午後。
 幕が上がると、エセルが台所から二歩ほど出たところ。ティーポットと、熱湯が入った水差しを持っている。それらをソファ脇のテーブルの上に置くと、フランス窓の方へ。
エセル:(叫ぶ)お茶でーす!(それから気がついて、しとやかに)奥様……ロベル夫人……お茶の準備ができました!

(どうやら返事がない。エセルは小さな出窓に置いてある、ずっしりとした真鍮のベルを手に取り、耳をつんざくほどの音量で、庭に向かって鳴らす。
 ブルースが地下室から上がってくる。彼の風貌や態度は、第一幕の初登場の姿と、全く同じではない。軽快な陽気さは失せ、顔つきはぼんやりとして無気力に見える。しかし、ふさぎこんでいるという風ではない。そうかと思えば逆に、笑いを無理にかみ殺しているような不敵な表情も見せる。彼は写真が入ったトレイを手にしている。エセルはベルを鳴らすのを止め、地下室の方へ向かう。後方、ステージ中央にいるブルースには気がついていない)
ブルース:(脅すように)どこへ行くつもりなんだ。
エセル:きゃっ、ブルース様! ビックリさせないでください!
ブルース:(静かに、含み笑いしながら)いいか、よく聞くんだ。お前には、いや、誰にも、わたしの暗室をかき回して欲しくない!
エセル:申し訳ございません、旦那様。ただ、お茶の準備ができましたと、お伝えしたかっただけなんです。
ブルース:(中央に)そうか。(なだめるような態度で)お前は賢い子だ。パンとバターをこんなに薄く切れるようになったじゃないか。三ケ月前には、どんなに分厚く切っていたか覚えているかい。
エセル:うちではそんなこと、誰も気にしませんから。
ブルース:きっとそうだろう。ご覧、先週お前とドンを撮った写真だ。
エセル:(ブルースの方へ舞台を横切り、写真を見る)まぁ、旦那様、良いお写真ですこと。
ブルース:そうだ、この犬はなかなかよく撮れている。
エセル:(真に受けて感心する)そうですか。
ブルース:何枚かやるから、おまえの取り巻きに配りなさい。
エセル:本当ですか、ロベル様!

(エセルは台所へ。ブルースはトレイを左手中央のテーブルに置くと、左下手の壁にかかっている鏡の方へ行き、自分の髪の生え際を丁寧にチェックする。急にセシリーのホッジソンを呼ぶ声が聞こえたので、慌てて舞台を横切り、ティーテーブル脇の肘掛け椅子に座り、手帳を取り出して見始める。セシリーが手袋を外しながら、フランス窓から部屋に入ってくる。軽やかな絹のスカーフをソファの肘掛に投げ、左中央のテーブルまで行くと、その上に手袋と帽子を置き、ブルースが座っている椅子の後ろに戻る)

セシリー:さあ、我が家のピープス大臣は、今日の出来事をなんて日記に書いているのかしら。[※ピープス:17世紀の英国海軍大臣。多難な時代を克明に記録した日記で有名]
ブルース:(笑う)見ない方がいい!
セシリー:H2O2って、どんな意味かしら。今日はそれだけ?H22って、何?
ブルース:今度試してみる新しい現像液の化学成分さ。
セシリー:(ソファの中央に座り、お茶を注ぎ始める)あー、あなたのややこしいご趣味の写真ね。ちゃんと休憩は取ったの?
ブルース:(いたずらを見つけられた小学生のように)いや、それが、その……
セシリー:ブルース! 少しも休まなかったのね!

(ブルース、きまり悪く頭を抱える)
セシリー:ブルースったら! 約束したでしょう! 何をしていたの?

(次の会話の間、セシリーは旺盛な食欲を見せている)
ブルース:(地下室の方を向いて)悪かったよ。でも、じっとしていられなかったんだ。 セシリー:お医者様に診てもらうなら許してあげる。
ブルース:でもいったん診察をすると、その週は毎日、医者がこの家に出入りするようなことになる。君は嫌じゃないのか。
セシリー:一度だけ来てもらいましょうよ。よいアドバイスを下さるわ。
ブルース:ダーリン、また話を蒸し返すのは止めよう。僕はもう完全に大丈夫だ。本当に。
セシリー:そうは見えない。ここに着いたあの日に、発作があってからずっと具合が悪そうだわ。だんだん悪くなっているみたい。
ブルース:君が太陽の光を連れて来たからさ。この夏は暑い。
セシリー:確かに暑いわね。でも、あなたはあらゆる気候に慣れてきているのでしょう。原因さえ分かったら何とかできるかもしれない。
ブルース:僕は自分の健康状態はよく分かっているから、心配は要らないよ。この通りぴんぴんしているだろう。前にもあったように、体の循環がおかしくなることが時々あるんだ。 セシリー:そんなことあったかしら。いつ? さあ、お茶を召し上がって。
ブルース:(曖昧に)あー、いや、時々だよ。
セシリー:何か心配なことでもあるのかしら。
ブルース:まさか。そう見えるかい?
セシリー:いえ、そうじゃないけど、たまに心ここにあらずという瞬間があるわ。
ブルース:(苦笑)考えすぎだよ! ……うかつだったな。
セシリー:つい口うるさく言ってしまうのは、あなたをとても愛しているからなの。この家はあなたに合わないのかしら?
ブルース:もしそうなら、今月末にはここをひきはらって出発したほうが良さそうだ。 セシリー:もったいないわ。
ブルース:なにが?
セシリー:ちゃんと整えたと思ったら、もう留守にするなんて。
ブルース:でも君はずっと旅にあこがれていたのだろう。
セシリー:そう言ったわ。今でも同じ気持ちよ。ある意味、楽しみで怖いほどよ。でもやっと落ち着いたところなのに、もう出かけるなんてね。
ブルース:そんなに落ち着きたいのかい! 世界中の冒険の物語を、あんなに語り合ったのを忘れたのかい?
セシリー:もちろん覚えているわ。でも二つの場所に同時に居られたら、どんなにいいでしょうね。最初にどこに行くか、決めてある?
ブルース:実をいうとね、君が庭にいる間に、いいことを思いついたんだ。
セシリー:なあに?
ブルース:どこの国にでも行けるようなビザを取っておいたらどうだろう。
セシリー:どういう意味?
ブルース:つまり、どこの国に行くのも、直前まで決めておかなくてもいいということさ。いきなり切符売り場に行って、目を閉じたまま、地図にピンを刺せば、そこが目的地なんだ。 セシリー:素晴らしいアイディアだわ、でも――。
ブルース:とても楽さ。身軽に旅ができる。
セシリー:あなたって、すごいことを思いつくのね。
ブルース:君が僕のひらめきのもとさ、マイ・エンジェル。(セシリーの手を取る)

(ドアの掛け金の音で体を離す。エセルが台所から、手紙を手に入ってくる。セシリーに手紙を渡そうとするが、はっとして、ステージ外へ戻る)
ブルース:どうしたんだ?
セシリー:しっ!

(エセル、手紙を盆の上に乗せて戻ってくる)
エセル:郵便でございます、奥様。

(一通がセシリー宛、三通がブルース宛)
ブルース:郵便というものは郵便配達人が玄関先に置いていくものだと思っていたがね。
エセル:(大いにもったいぶって)いいえ、ここではそうではございません、ロベル様。

(エセル、台所へと去る。ブルース、三通の手紙を一通づつ開けていく。三通目は長い封筒)
ブルース:おお、やった! (嘘をつく)代理人からだ。すぐにも僕の資金に手をつけられるそうだ。僕たちの出発前にできるといいが。君の手紙は、誰からだい?
セシリー:メイヴィスよ。外国から戻ったらしいわ。
ブルース:(微かに冷たい反応)そう。(しばらく間をおいてから)それで、なんだって?
セシリー:友達でいたいって。仲直りしたいそうよ。
ブルース:でも、喧嘩したわけじゃないだろう?
セシリー:ええ、そういうわけではないのだけど、でも……ねえ、あなたと彼女は、気が合わなかったみたいね、どう?
ブルース:どうだろう、僕は誠実に接したつもりだが。
セシリー:まぁいいわ。彼女、訪ねて来たいそうなの。
ブルース:いつ?
セシリー:さあ、分からないけど、花が終わる前に、この庭を見せたいわ。
ブルース:僕たちの生活に他人の干渉を許していいものか。
セシリー:いずれにしろ、彼女がそんなにしょっちゅう来られるはずもないわ。
ブルース:ああ、そうだね、忘れていたよ。(愛想の良い態度に変わる)とにかく君だって彼女にちゃんとさよならを言いたいのだろう。そうだな、日帰りで訪ねて来るとしたら……待てよ。(ノートを取り出す)20日、21日……25日はどうだろう、彼女に聞いてみてくれ。その日は金曜だから、今日から二週間後の明日だ。翌日の土曜日に僕らは出発しよう。(ノートに書く)彼女は僕たちの見送りなんてしたくないはずだと思うが、どうかな。僕だったらただ「見送る」だけなんて、そんなこと耐えられないだろう。
セシリー:私もよ。
ブルース:ルールーおばさんが港まで見送りに来るのは仕方がないとしても……
セシリー:あら、おば様はそこまでなさらないと思うわ。あなた、この前おば様をかなり手ひどくやりこめたのだもの。
ブルース:そうか。じゃ、メイヴィスには25日、ただし、日帰りだと伝えてくれ、いいかい?。
セシリー:(立ち上り右手へ)ありがとう、あなた。ちょっとでも和やかな雰囲気が作れたらいいんだけど。(しばし間をおいて)ここにナイジェルのことが書いてあるわ。
ブルース:彼は呼ばないのかい?
セシリー:メイヴィスは、彼が苛立っているのは私と会えないせいだと思っているようなの。だから一度、和やかな雰囲気の中で会えたなら、きっと彼だって……。
ブルース:ばかばかしい。
セシリー:あら、まぁ、分かったわ……あなた、やきもちを焼いているのね。
ブルース:そうかもしれない。
(セシリー、ブルースの方へ行き、彼の肩に片手を乗せる。ブルースはその手に、情熱的にキスをする。急に手を耳元に、何かに聞き入る)
ブルース:通りの端に車が止まったぞ。
セシリー:(あわてて) あっ、そうそう、忘れていたわ。
ブルース:(温和に) 何?

(セシリー、少し後退する。そしてあわただしい演技になる)
セシリー:ダーリン、怒らないって約束してくれる?
ブルース:(温和に)何のこと?
セシリー:とっても心配でたまらなかったの。
ブルース:(じれったそうに)ハニー、いいから言ってごらん。
セシリー:今朝あなたがいない間に、使いをやったの。
ブルース:使い?
セシリー:お医者のグリブル先生に。
ブルース:(突然怒りをあらわに立ち上る)なんだと! どうしてそんなことを!
セシリー:ブルース、お願い、聞いて!
ブルース:何度も何度も言っただろう、僕は医者なんて大嫌いで近寄りたくもないんだ! ろくでもない奴らばかり!
セシリー:だって耐えられなかったの。心配で、心配で。
ブルース:僕はここでは、誰からも口出しされたくないし、邪魔をされたくない。
セシリー:村では評判のお医者様なのよ。
ブルース:(怒りをみなぎらせながら、窓辺へと向きをかえる)評判だと。無知な田舎者の集まりが!
セシリー:診察を受けてくださる? ……私を喜ばすためだと思って。
ブルース:さて、どうやったら上手く追い出せるのか、わからない。

(玄関にノックの音)
セシリー:いらしたわ!(玄関ドアへ行き、開ける)
グリブル:(声)ロベル夫人ですか?
セシリー:ええ、ようこそ、グリブル先生。

(グリブル先生登場。60歳くらいで、愛嬌があり、包み込むような優しさに溢れている。医者嫌いのブルースでさえ、一目で圧倒される)
グリブル:(降りて来る)おやおや、こんなところに隠れていようとは!
セシリー:(グリブル氏の左に)主人ですわ、グリブル先生。
グリブル:(ティーテーブルの前を横切って)はじめまして。この通りにはこれまででも、二、三度しか訪れたことがありませんでね。
ブルース:かなりへんぴですが、静かでいいですよ。
グリブル:静けさ、ですか。この頃では得がたい贅沢なものになりましたなあ。……ホッジソンを庭師に雇っているようですね。
ブルース:なかなか愉快な男です。
セシリー:いい方ね。
グリブル:彼は実は昔から悪いやつでしてね、ご存知かな。ある時酒を飲み過ぎて、私がレッドライオンの店の中にいた時に、外から大声で私のことを、「患者を治すか、殺すかどっちかの、一か八かのヘボ医者だ!」なんて叫んだのだから、困ったものですよ。

(ブルース以外の二人は笑う。セシリーはその後の気まずい沈黙を破るように、次のせりふを言う)
セシリー:お茶はいかがですか。
グリブル:いいえ、けっこうです。家ですませてきました。さてと、奥様があなたを診てほしいとおしっゃるのだが、よろしいですか。
ブルース:本当になんでもないんですよ。女性ってものはしょうがない。
グリブル:時には精密検査を受けてみるのも、悪くはないと思いますがね。では、どの部屋で……?
セシリー:二階はいかがでしょう。
グリブル:(二階へと進む)どうも。(振り返ると、ブルースが動こうとしないので、彼に)案内していただけますか?
ブルース:わかりました。(二階へ)でもなんともないんですから、あなたには骨折り損をおかけするだけですよ。
グリブル:(後に従いながら)気になさらずに。本当の病気になってから医者を呼ぶより、普段から医者にかかっておきなさいと、いつも言っているんですよ。

(二人、退場)
セシリー:(台所の扉のほうへ行き、エセルを呼ぶ)エセル!お茶を下げてくれないかしら。

(エセル、盆を持って登場)
セシリー:そうだわ、エセル。あの古い方のスカーフを知らない? 今日の午後に使いたいの。
エセル:奥様はもうご存知だと思っていましたけど。
セシリー:何のこと?
エセル:昨日、ボロボロに引き裂かれているのを見つけて……。
セシリー:ええっ!
エセル:あのバカ犬の仕業です、奥様。またそれで遊んでいたんです。
セシリー:まったく何度言ってもだめね。
エセル:ほんとにそうです。ちゃんと叱らないとだめですよ。でもあの瞳で見上げられるんだから、奥様には厳しくなんてできないのでしょう。
セシリー:もういいわ。古いスカーフだったから。
エセル:ああ、本当にきれいだったのに。
セシリー:そう?
エセル:ええ。姉のネリーが持っていたものなんて……。

(ホッジソンがフランス窓に現れる)
セシリー:あら、ホッジソン。何を持っているの?

(エセルは台所へと退場)
ホッジソン:(土まみれの小袋を手に家に入る)奥様は、これをご存知かと思いまして。 セシリー:なあに?
ホッジソン:わかりません。だからお尋ねしようと思って持って来ました。南側の塀のところから掘り出したもので。
セシリー:隠された財宝かもよ。楽しみね。持ってきてちょうだい。見てみましょう。
(ホッジソン、小袋をテーブルまで持ってくる)
セシリー:新聞紙を敷きましょう。濡れてないわよね。(テーブルの上に新聞紙を広げる)
ホッジソン:この夏は雨が少ないせいで、土が締まっていなくて結構柔らかかったので、そんなに長く土に埋まっていたわけじゃないと思いますよ。
セシリー:ナイフを持ってきましょうか。
ホッジソン:(テーブルの右手で)手でできますよ、奥様。紐を切りたくないですから。取れた!(袋を開けると、小瓶が出てくる)瓶です。
セシリー:(舞台上手、テーブルの左端)何の瓶?
ホッジソン:さあて、このラベルにはなんて書いてあるんでしょう。か……か……。
セシリー:過酸化水素。他には何があるかしら?
ホッジソン:(いくつかの瓶を取り出す)秘密の宝物ではないようですねえ。
セシリー:そうね。
ホッジソン:空瓶ばかりだ。
セシリー:秘密はなさそうね、ホッジソン。
ホッジソン:でもこの私の知らない間に、どうしてこんなものがあそこに埋まっていたのやら。夜中にこっそり埋められでもしたのか。奥様は本当に何もご存じないので?
セシリー:ええ、何も知らないわ。
ホッジソン:きっとロベル様が……。
セシリー:たぶん彼の写真に関係したものかもしれないわね。
ホッジソン:なるほど、写真ですか。ゴミ置き場に捨てておきましょうか。
セシリー:いいえ、置いていって。旦那様が降りてこられたら、聞いてみるわ。今お医者様と二階にいるの。
ホッジソン:へい、お医者様がいらしたのを見ました。旦那様には、何にも悪い所がないといいですけど、奥様。
セシリー:何もないのよ。でもこの頃、ちょっと心配なことがあったから。
ホッジソン:空気が変われば、良くなりますよ。どんな医者よりずっといい。エセルから聞きましたが、外国に行かれるとか。
セシリー:ええ、今月末にね。
ホッジソン:そしたら、旦那様はすぐに良くなられますよ。

(ホッジソンは庭へと出て行こうとする。セシリーは新聞紙、袋、瓶をテーブルの下に片付ける。ちょうど終わった所にグリブル氏が階段を降りてくる)
グリブル:ホッジソンじゃないか。リューマチはどうだね。
ホッジソン:ああ、すっかり良くなりました。
グリブル:言った通りだろう。
ホッジソン:神様がお決めになった時には治るんですよ。(フランス窓から庭へと退場)
セシリー:いかがでしたでした?
グリブル:(中央へ)ご主人はすぐに降りてこられます。今、服を身に着けているところです。
セシリー:それで、どうだったのでしょう。
グリブル:(セシリーが期待しているほどには朗らかではない)ああ、ご主人は大丈夫ですよ。特に何が悪いということはない。
セシリー:まぁ、ホッとしましたわ。
グリブル:ただ一つだけ、奥様。ご主人は何か、心配ごとがありますか。……例えば、仕事では。
セシリー:いいえ。
グリブル:では何か、家庭内のどんな小さなことでも、もしあれば言ってください。
セシリー:いいえ、ありません。もし仕事の面でも何かあるのなら、きっと話してくれていると思います。
グリブル:私からも当然聞いてみたわけですが、断固として何もないと言い張ります。でも奥様なら何かご存知のはずと思いましてな。
セシリー:いいえ、何も知りません。何故そんなことを?
グリブル:実を言いますと、……断っておきますが決して深刻な話ではありませんよ。ただご主人は、やや心筋梗塞の気があるようです。
セシリー:なんでしょう、それは。心臓ですか。
グリブル:いかにも。しかし恐れることはありません。ただがんばりすぎてはいけません。脈拍が120ありますから。
セシリー:それはかなり多いということですか。
グリブル:いや、そうでもないが、これ以上数値を大きくしてはいけない。彼はカッと頭に血がのぼるタイプでしょう。
セシリー:いいえ、違います。たぶんこの頃少し神経質になっているのだと思いますわ。 グリブル:ふむ、専門家に見てもらってはいかがかと勧めたのですが、かなり興奮状態になりましてな、まったく意見を聞こうとしなかった。
セシリー:旅行は大丈夫でしょうか。今月末から外国へ行こうと思っているのですけど。
グリブル:ああ、大丈夫でしょう。その間穏やかに過ごせるというのであれば。後で薬を届けさせましょう。(あたりを見渡し、書棚に目を止め本を見る)なかなか気持ちの良い部屋に整えておられますな、奥様。
セシリー:ありがとうございます。
グリブル:(本棚を見ている)「有名な判例」のシリーズが全巻揃っていますな。奥様は犯罪学に興味をお持ちとみえる。
セシリー:いいえ、主人のですわ。とても熱心ですよ。
グリブル:(興味を引いた様子)本当ですか。私もなんですよ。
セシリー:私には、気味の悪い学問としか思えませんけど。
グリブル:いや、そんなことはありませんよ。正しい心持ちで取り組むならば。
セシリー:科学的な目で、ということですか。私にはそんなお勉強は無理です。恐くなってしまいますもの。
グリブル:それは残念だ。うちにも少しばかりだが面白い犯罪学の蔵書がありましてな。何冊かお貸しできるし、ご主人と議論したいものです。
セシリー:それはご親切に。
グリブル:さて、もう失礼しよう。手術が一つ入っておった。明日にでもまた診にきましょう。
セシリー:(けげんに)それは必要なことなんでしょうか。
グリブル:ああ、わかりましたぞ。ご主人がまた、ヘボ医者には会わないと駄々をこねるのではないかと心配しているのですな。実際そう言われましたがね。まあ適当にあしらっておきましたから、お任せください。我々は、実に気があって、仲よくできそうだ。
セシリー:では先生、どうもありがとうございました。お気をつけてお帰りください。
グリブル:(右手、玄関ホールで)あの二度咲きのアンセリウムは素晴らしいですな。
セシリー:でも一度目の方をお見せしたかったですわ。
グリブル:(遠くから)うちの今年のダリヤは、なかなかいいですぞ。もし旅行に出かけないなら、ぜひ見に来てください。
セシリー:(戸口で)喜んで伺いますわ、もし行かないなら……。

(セシリー、口ごもる。グリブルに言われて、旅行の中止もありうるかと考える。ブルースが階段を下りてくる。ジャケットのボタンを留め、ネクタイを締めている)
ブルース:なかなかの偏屈じいさんだな!
セシリー:気が合ったようね。嬉しいわ。
ブルース:(心から)ああ、そうだな。(我にかえって)しかし、しょっちゅう来る気じゃないだろうな。
セシリー:まさか。そんな必要が無いように祈りましょう。
ブルース:何か君が怖がるようなことを言ったんじゃないだろうね。
セシリー:いいえ、そうでもないわ。もう少しおとなしくしていた方がいいとおっしゃっただけよ。
ブルース:すぐに良くなるよ。約束する。
セシリー:(彼のもとへ)ブルース……!

(舞台中央で抱き合う二人)
セシリー:見て、ホッジソンがこんなものを庭から掘り出してきたのよ。(テーブルの下から例の瓶を取り出す)
ブルース:なに?(気軽に目をやるが、見た瞬間に凍りつく)
セシリー:(ボトルに注目している)古い過酸化水素の瓶がこんなに。ホッジソンが言うには、そんなに前からそこに埋めてあったわけじゃないらしいの。(間) おかしいとは思わない? (ブルースを見る)
ブルース:(静かに)そうだね、とても不思議だ。
セシリー:これには少し残っているわ。
ブルース:本当に? もったいない。(その瓶をテーブルの下に置く)
セシリー:何か知っているの?
ブルース:いや、そんなわけはない。
セシリー:つまり、この世の新たな未解決の謎、というわけね。ゴミ置き場に持って行くわ。ホッジソンと、隠された財宝だったらって、空想していたのよ。(ブルースがよけた瓶以外を全部まとめる)さぁて、日が暮れる前に仕事を片付けないと。ホッジソンに薔薇の剪定の仕方を教わっているのよ。
ブルース:一緒に行って手伝うよ。
セシリー:だめよ、ダーリン。グリブル先生がなんておっしゃったか、忘れないで。座って本でも読んでいるのがいいわ。いい子にしていると約束したでしょう。覚えている? (庭用の手袋を取り出す)
ブルース:わかったよ。あまり遅くならないでくれよ。

(セシリーはフランス窓から庭へ。一人残されたブルースは、ソファの肘掛に置かれたスカーフにそっと近づき手に取る。感傷的にスカーフの上にかがみこんで、そっと顔を擦りつける。それからゆっくりと顔を上げると、表情が極端に恐ろしいものに変わっている。そしてじっと立ち尽くしていたかと思うと、だんだん激しく体を震わせながら、スカーフをビリビリと引き裂いていく……)


落ち穂ひろい(その4)

鳥居 正弘

 お馴染みとなったクリスティ作品における古典の引用を調査したエッセイの第4弾。WH通信No.60とNo.65、No.66に続く連載です。クリスティは古典をよく読んでいたことがわかります(S)。


2)"The Secret of Chimneys"(『チムニーズ館の秘密』)
Chapter 16:
'Mr Fish,' said Anthony, 'had quite a peaceful morning.'
Mr Fish shot a quick glance at him.
'Ah, you observed me, then, in my secluded retreat? There are moments, sir, when far from the madding crowd is the only motto for a man of quiet tastes.'
Thomas Gray(1716-71)の名詩"Elegy written in a Country Churchyard" 19参照:
Far from the madding crowd's ignoble strife,   狂える群衆の恥すべき争いを離(さ)かりて、
Their sober wishes never learned to stray;    彼ら一途に節を守りて、さ迷わず、
Along the cool sequestered vale of life      人生(ひとのよ)の谷間の涼しき籠り処(ど)で
They kept the noiseless tenor of their way.   静けくも世を過したりき。  (矢田部良吉訳)
 T. Grayの公にした詩作十三篇のうち最も名高いもの。1751年発表。非常な成功をおさめた作。T. Grayは詩人と記憶されているが、ケンブリッジ大学の歴史と近代語の教授であった。引用の詩はウインザー城の北のストーク・ボウジス村の教会を詠んだといわれる。訳は明治15年(1882)の『新体詩抄』に載った植物学者矢田部良吉の訳。明治期の人口に膾炙した名訳。T. Gray自身もこの墓場に眠っている。
 なおT. Hardyに"Far From the Madding Crowd(1874)"(『遥か群衆を離れて』)という作品がある。
3)
@"Murder on the Orient Express"(『オリエント急行の殺人』)(米国版"Murder in the Calais Coach")
chapter ]V:
M. Bouc made a despairing gesture.
"But I understand nothing - but nothing of all this! The enemy that this Ratchett spoke of, he was then on the train after all? But where is he now? How can he have vanished into the air? My head, it whirls. Say something, then, my friend, I implore you. Show me how the impossible can be possible!"
A"The Three Act Tragedy"(『三幕の悲劇』)
Second Act, seven:
"He was a new man. Sir Bartholomew had only had him a fortnight, and the moment after the crime he disappears - vanishes into thin air. That looks a bit fishy, doesn't it? Eh, what?"
B"The Labours of Hercules"(『ヘラクレスの冒険』)の中の短編
"The Girdle of Hyppolita"(「ヒッポリュトスの帯」)
Japp added in an exasperated manner:
"She just disappeared - into thin air! It doesn't make sense, M. Poirot. It's crazy!"
(注:"vanish(disappear, melt) into thin air"については、研究社新英和大辞典参照のこと。)
The Tempest W,@,148-158参照:
Our revels now are ended. These our actors,
As I foretold you, were all spirits and
Are melted into air, into thin air:
And, like the baseless fabric of this vision,
The cloud-capp'd towers, the gorgeous palaces,
The solemn temples, the great globe itself,
Ye all which it inherit, shall dissolve
And, like this insubstantial pageant faded,
Leave not a rack behind. We are such stuff
As dreams are made on, and our little life
Is rounded with a sleep.

なぐさみはもうすんだのだ。あの役者共は、さきにいうたようにみんな精霊で、空気の中へ、薄い空気の中へ溶け込んでしまった。そしてこのまぼろしのいしずえもない建物と同様に、あの雲をいただく樓台も、輪奐の美を極めた宮殿も、おごそかな宮殿も、大地球その物も、いや、此地上にある一切の物も、悉く溶けて、今消え去ったまぼろしと同じくあとには何一つ残さないのだ。われわれは夢と同じもので作られ、われわれのささやかな一生も眠りで終わりを告げるのだ。

「上記のpassageは恐らくShakespeareの作品の中で一番有名なもので、中でも152-156(即ちThe cloud-capp'd towersからLeave not a rack behind迄)は圧巻の句というべきであろう。
 Westminster Abbeyの南外陣(South Transept)の東側にあるPoet's Cornerには狭い所に甚だせせこましくシェイクスピアの立像を始め、チョーサー('The father of English poetry')、スペンサー('The prince of poets)、ベン・ジョンソン、ミルトン、ドライデン、グレー、アディソン、バーンズ、マコーレー、サッカレー、ディケンズ、テニソン、ブラウニングなど英文学の大物が重なりあって並んでいる。
 シェイクスピア像左の手に持っている軸にはテンペストの中の有名な句、彼の最後的な人生観を現わしている句が刻まれており、……像の台座にはElizabethTとHenryXとRichardVの似顔が見られる……」
(以上「 」は市河三喜著(小山林堂)の随筆からの抄録が中心)
 George Gissingは"The Private Papers of Henry Ryecroft", summer, ]] Zで上記の句をShakespeare's final view of lifeといっている。ただShakespeareの人生観については、上記以外に知っているところでは斉藤勇著『シェイクスピア概観』(東京新月社)に「シェイクスピアの人生観」という一文があり、違った見方がされている。

 最後になりますが、前々回の「落ち穂ひろい(その2)」の中に引用しましたWordsworthのLucy poemの最後のくだり、即ち
  But She is in her grave ,and ,oh,
    The difference to me !
の訳例を追加いただきたいと存じます。
@岩波文庫、田部重治訳「乙女はとわに眠りけり、
                       あわれわが身のはかなさよ。」
A岩波文庫、山内久明訳「地下に眠るルーシー、ああ、
                       かけがえのないルーシー。」
B研究社、斉藤勇著『英詩概論』「されど今は墓にあり、ああ、
                       われにはそのけじめこそ。」


ミセス・オリヴァーの作品について

山田 由美子

 クリスティが創造したアリアドニ・オリヴァー夫人はクリスティ自身によく似ています。二人とも探偵小説作家で、リンゴが好きで、外国人を探偵にしていることも同じです。オリヴァー夫人がどんなミステリーを書いているかといいますと……(S)。


 英国の女流探偵小説家、アリアドニ・オリヴァー夫人の作品は、イギリス・アメリカでベストセラーになっただけではなく、日本やエチオピアにまで翻訳されている。彼女は書くことだけにとどまらず、実際の殺人事件にもかかわること幾度かあった。だが幸運なことに、アリアドニにはあの高名なベルギー人の探偵、エルキュール・ポアロという友人がいる。彼女は一度だけ尾行中、何者かに「頭を殴られる」というハプニングもあったが、その他には生命の危機にさらされていない。
 アリアドニの作品に登場する探偵はフィンランド人のスブン・ヤルセンである。彼が初めてアリアドニの小説に登場したとき、この探偵は35歳だった。だが彼女がポアロと『マギンティ夫人は死んだ』の殺人事件にかかわっていたころには、すでに30年も経っていて、スブンの設定は60歳になっている(劇作家のロビン・アップワードは彼女の作品を劇化するにあたり、スブンを若返らせ恋愛させようとしたが、アリアドニの強い抵抗にあった)。
 アリアドニには後悔していることが多々ある。そのなかでも特に大きい後悔は、この主人公の探偵を「フィンランド人で菜食主義者のいやみったらしい男」にしてしまったことだった。何せ、アリアドニ・オリヴァーはフィンランドという国について何も知らなかったのだから!
 前出のロビンには、なんと「実際にスブンにあったら片付けてやりたい」とまで語っていて、どうも最近ではこの探偵をもてあましているようである。
 ここで彼女の作品を紹介することにしよう。
『読書室の死体』:シャイタナ氏のパーティで、ミス・メレディスはこの作品の名前を挙げた。
『蓮花殺人事件』『蝋燭の謎』:この二つの作品は「同じような構想」とポアロに指摘された。一つは内閣の非公式なパーティで盗まれた書類の話で大臣が犯人(どこかで聞いたような?)、もう一つはボルネオのゴム栽培者の小屋で起こった殺人。
『排水管の中の死体』:錯綜した筋。これを書いていたとき、アリアドニは5ポンドもリンゴを食べた。
『二番目の金魚』:シャイタナ氏殺人事件の渦中で、ローダという娘に、他の作品よりまし、とアリアドニは言っている。後にマギンティ夫人が殺された村の郵便局でも「これはなかなかよくできている」と話している。自信作か。ある青年は「きっと高貴なお方に違いない」とファンレターまでよこしている。
『猫は知らなかった』:吹き矢の長さを間違えた作品。博物館員に手紙でそれを指摘される。
『白いオウム』:若い友人・歴史家のマーク・イースターブルックに協力した〈蒼ざめた馬〉事件の渦中で考え、書き上げた。
『初演俳優の死』:アリアドニいわく駄作。初めから終わりまで不可能殺人の連続。探偵の登場まで8人が死ぬ。
『森の中の夫人』:デボンシャーのナス屋敷で、ポアロとハロウィン・パーティの殺人事件に関わり、ヒントを得て3年後に書かれた作品。
『瀕死の金魚』:招かれたハロウィン・パーティの準備中、一人の女の子がこれを面白かったと言った後、話が変な方向にそれて、同席していた別の女の子が後に殺される。

 以上、できる限り彼女の代表作について並べてみた。
 ポアロ物の、「別の意味の」最後の作品『象は忘れない』よりミセス・アリアドニ・オリヴァ−の言葉――「自分は多くの人が読みたいと思うものを書くこつを身につけた、幸運な女なのだ。素晴らしい女なのだ」 そう、本当に素晴らしい。アリアドニ。


「オリヴァー夫人の謎?」への雑想

佐竹 剛

 小生は、クリスティの作品は『オリエント急行の殺人』『アクロイド殺し』『そして誰もいなくなった』くらいしか読んでおらず、他に映画やTV及びクリスティ研究書でしか知識はないのですが、聞くところでは、ある作品では「トミーとタペンス」の協力者だった人が、別の作品では「ハーリ・クィン」の協力者になっているとか、あるいは「ミス・マープル」の協力者だった人が、別の作品では「パーカー・パイン」の協力者になっている、というようなキャラクター遊びをやっている(何故か「ポアロ」と「ミス・マープル」をつなぐキャラクターはいないようですが)とのことです。
 これは、あの偉大なマンガ家手塚治虫氏が使った「スター・システム」と同じ手法ではないか、と思います。例えば『ロストワールド』(これはコナン・ドイルの小説とは直接の関係はないようです)、『来るべき世界』(これもH・G・ウェルズの小説とは無関係です)、『メトロポリス』(これもフリッツ・ラング監督の映画とは直接の関係はないようです)の、いわゆる「手塚マンガ初期SF三部作」の人物である「ヒゲオヤジ」「ロック・ホーム」「レッド」「アトム」「ケン一」「お茶の水博士」「アセチレン・ランプ」「ハム・エッグ」「力有武」「スカンク草井」「サボテン君」「佐々木小次郎」「メイスン」「ぞろろ」「百鬼丸」「写楽保介」などの、おなじみのキャラクターをゲスト出演(特にヒゲオヤジなどは何回も)させている、とかいうものです(蛇足ですが、手塚氏のメジャー・デビュー作『新宝島』では主人公は「ケン一」ですが、彼をサポートする大人のキャラクターは「ヒゲオヤジ」ではなく、のちに『ロストワールド』の悪役として出てくる「ブタモ・マケル」です)。
 ちなみに『そして誰もいなくなった』で「ミス・エミリー・ブレント」が「ミセス・オリヴァー夫人」だと思っていた女性のファーストネームとミドルネームは「ユナ・ナンシー」なので、「アリアドニ・オリヴァー夫人」とは別人でしょう(これもクリスティ一流のお遊び?)

追伸:『新宝島』は戦前から関西児童マンガ界の重鎮だった酒井七馬氏の原案を基に、新人だった手塚氏がマンガ化したもので、酒井氏とは関わりなく描かれた手塚氏の第二作『火星博士』でも「ブタモ・マケル」と「ケン一」を主人公にしたところ、酒井氏から手塚氏にクレームがついて(おそらく酒井氏は『新宝島』の登場人物を勝手に使われたように思ったのでしょう)、第三作『地底国の怪人』から「ヒゲオヤジ」と「ケン一」のコンビになったそうです。でも手塚氏が戦前、旧制中学生だった頃に習作として描いた『ロストワールド私家版』では、すでに「ヒゲオヤジ」が主役、「ブタモ・マケル」が悪役だったので、酒井氏のクレームがなくても、いずれは「ヒゲオヤジ」が出てきたでしょう。

クリスティ・ファンの選んだクイーン・ベスト5

杉 みき子

 恥かしながら私はクイーン作品をあまり読んでいないため、「クイーン・ファンの選んだクリスティ・ベスト5」に対する返歌(?)を募集したところ、早速杉さんが原稿を書いてくれました。感謝!
 ところで私は、杉さんが本名で早川ミステリ・マガジンに頻繁に投稿していた60年代末に杉さんと知り合ったため、杉さんが児童文学の世界では"知る人ぞ知る"人であることをまったく知りませんでした。まあ、エンジニアには、児童文学界などは異次元そのものの世界でしたが……。
 その杉さんの実像を知ることが出来る格好のDVD「雪の町に生まれた物語 杉みき子の世界」(高田文化協会制作、2100円)が発売されました。杉さんが炬燵に入って執筆している姿や杉さんの書棚も見られますし、「はんの木のみえるまど」などの杉さんの朗読やインタビューも収録されています。2003年11月の発売なので、残部があるかどうか不明ですが、関心のある方は下記の所に問い合せてみてください。
春陽館書店(〒943-0832 上越市本町4−1−8)tel:025-525-2530 Email:syunbook@viola.ocn.ne.jp(S)。


【第一位】 『オランダ靴の秘密』
 『フランス白粉の秘密』と共にガチガチの本格のだいご味。国名シリーズのうち何度読み返しても飽きないのがこの二冊です。「思いがけない人物どうしが夫婦であった」というトリックは『死者のあやまち』、『終わりなき夜に生まれつく』などと共通。
【第二位】 『フランス白粉の秘密』
 麻薬密売組織が出てくるという点で『ヒッコリー・ロードの殺人』か。かなり苦しいこじつけ。
【第三位】 『Yの悲劇』
 あまりに傑作だ傑作だと刷り込まれた呪縛からついに逃げられず。これは説明をはばかりますが、『ねじれた家』。と言うだけでさえ、まずいかも。
【第四位】 『災厄の町』
 クリスティのセント・メアリ・ミード村に匹敵するライツヴィル初登場の作品。クイーンの一転機となった深みのある作品
【第五位】 『エラリイ・クイーンの冒険』または『犯罪カレンダー』
 短編好きとしては欠かせない一冊または二冊。斉藤氏のおっしゃるようにクリスティの作品では『ヘラクレスの冒険』をすぐ思い出します。『エラリイ・クイーンの冒険』の中に「双頭の犬の冒険」がありますが、『ヘラクレスの冒険』の最後の「ケルペロスの捕獲」と、地獄の犬の雰囲気がよく似ています。


ミセス鈴木のパン・お菓子教室

第16回 オールド・イングリッシュ・マフィン

鈴木 千佳子

はじめに
 イギリスの名を冠したものといえば、なんといってもふわっと山が出来ているイギリスパンが一番でしょうが、我が家で人気があって、重宝しているのはオールド・イングリッシュ・マフィンです。丸くて平べったくて、コーンミールがまぶされて、二つくらい一緒に袋に入れられてお店で売られているのをよくみます。周囲からフォークで突き刺して半分にし、バターやジャムをのせていただくのが正式な食べ方だといわれていますが、少々まどろっこしいですね。我が家では、ナイフで4枚にスライスしてレタスやきゅうり、ハム、チーズ、卵などを挟み、お弁当用のサンドイッチに使います。手ごろな厚さとサイズで、作りやすいし、食べやすいし、三角や四角のものに比べてちょっとおしゃれだし……。

材料

12個分
 強力粉・・・・・・・・・・・・350g
 キビ砂糖・・・・・・・・・・・14g(どんな砂糖でもよい)
 イースト・・・・・・・・・・・・9g
 あら塩・・・・・・・・・・・・・7g(精製塩の場合は、9g)
 スキムミルク・・・・・・・・21g
 水または、ぬるま湯・・・224gくらい(夏は水道水、冬は40度くらいのお湯)
 バター・・・・・・・・・・・・・42g
 コーンミール・・・・・・・・少々

作り方

  1. 材料を量る。
  2. 強力粉、イースト、砂糖、塩、スキムミルクをボールに入れ、よく混ぜる。
  3. 水分を加えて、木じゃくしでしっかり混ぜ、全体がなじんだら、手でこねていく。テーブルの上でたたいてもよい。
  4. ひとまとまりになったら、バターを練りこんでいく。バターがなじんで塊が見えなくなったら、再びこねたりたたいたりしていく。(生地を薄く延ばすと、ちぎれたりしないで、向こう側が透けて見えるくらいまで、しっかりした生地を作る。この間、だいたい15分から20分)
  5. 油脂をぬったボールに出来た生地を入れ、ラップをして暖かいところに置き、30分ほど休ませる。(乾燥させないこと。生地温度が28から30度を越さないように気をつける。温度計があると便利)
  6. ガス抜きをして12に分割し、丸めてキャンバスなどしっかりした布の間にはさんで20分ほど休ませる(乾燥しないように、キャンバスの上に絞った塗れぶきんをかけるとよい)。……ベンチタイム
  7. 天板にクックシートを敷き、内側に油脂を塗ったマフィン型を並べ、コーンミールをふりかけておく。
  8. 生地のガスを抜かず、そのままマフィン型に入れ、上から押さえてガスを抜き、20分ほど仕上げ発酵をさせる(湿度と温度が必要なので、発泡スチロールの箱かビニール袋にお湯を入れたマグカップなどと入れておくとよい)……マフィン型より上に生地が出ないように気をつける。
  9. コーンミールをふりかけ、クックシートをのせて天板ものせて生地を挟むようにし、予熱をしておいたオーブンに入れて、200度で10分ほど焼く。焼き上がったら、網の上で冷ます。マフィン型がなければボール紙で直径8.5cm高さ2.5cmの筒を作り、アルミ箔を巻いて代用するとよい。

 以上は、一般的な作り方ですが、コーンミールの代わりにゴマや粉チーズをふってもいいと思います。ただし、平たくするには、どうしても天板の間に挟まなくてはならないので、天板が二枚必要です。一度に全部のせられないときは、半量をベンチタイムで待たせて時間調整をすればいいでしょう。ベンチタイムに関しては、時間が多少ずれてもそんなにひどく味が落ちないですむと思います。


クリスティ症候群患者の告白(その36)

数藤 康雄

×月×日 今回新訳された早川書房の『メソポタミアの殺人』(石田善彦訳)を読んでいて、あれ?と思う文章にぶつかった。それは、ポアロが事件を解決し、物語も終わるという最後のところで、「ムッシュー・ポアロはシリアにもどり、一週間後にオリエント急行で英国に帰る途中、また新しい殺人事件に巻き込まれた」と訳されていたからである。この「新しい殺人事件」とは、もしかしたらラチェット氏が殺された"オリエント急行の殺人"ではないかと。
 『オリエント急行の殺人』の出版は1934年。一方『メソポタミアの殺人』は二年遅れの1936年に刊行されているので、普通に考えるなら、ポアロの事件簿の年代順は、"オリエント急行の殺人"が先で、"メソポタミアの殺人"は後に起きたとなるであろう。これまで私はそう解釈していた。それがひょっとすると逆ではないか、という文章に出くわしたわけである。
 そこで手元にある別の訳書を調べてみると、早川書房の旧訳(高橋豊訳)は「ポアロはシリアにもどり、一週間ほどしてオリエンタル・エキスプレスで家に帰り、また新しい殺人事件に手をつけはじめた」で、東京創元社の『殺人は癖になる』(厚木淳訳)は「ポワロさんはシリアにもどり、一週間後にオリエント急行で帰国したが、またまた新しい殺人事件に巻きこまれてしまった」となっていた。つまり、石田訳ではポアロは英国に帰る途中で新しい殺人事件に巻き込まれたのに対して、高橋訳では明らかに帰国後に新しい事件を自ら手掛けることになり、厚木訳では帰国後か帰国途中かはっきりしないまま殺人事件に巻き込まれる、という三者三様の訳になっていた。
 こうなると、英語に弱い私でも原文をチェックしてみたくなる。クリスティの作品は英米版で文章が異なるものもあるようだが、米版の新しいペイパーバックによると"M. Poirot went back to Syria and about a week later he went home on the Orient Express and got himself mixed up in another murder."となっていた。どうやらこの原文を見る限りは、石田訳は勇み足的な訳で、厚木訳が一番無難そうである。
 しかし、別の角度から考えてみると面白いことに気づく。それは、ポアロはなぜ"オリエント急行の殺人"に巻き込まれたのか、ということである。『オリエント急行の殺人』の冒頭によれば、ポアロはシリアに駐留するフランス陸軍の不名誉な事件を密かに調査するように依頼され、約一週間かけて見事に事件を解決し、その後シリアからロンドンへの帰途にオリエント急行に乗ったために事件に巻き込まれたのである。一方ポアロが"メソポタミアの殺人"を手掛けることになった経緯は、本の中盤(新版の文庫では149頁)に書いてあるが、シリア軍部内の不正事件の調査を終えたポアロが、シリア→バグダッド→シリア→ロンドンとなる旅程のうち、バグダッドへ行く途中で事件の解決を頼まれたためである。
 つまり"オリエント急行の殺人"が"メソポタミアの殺人"より先に起きたと考えると、ポアロは短期間の間に二回シリアを訪問したことになる。一回目はフランス陸軍の事件を解決し、その帰国途中にオリエント急行の殺人に遭遇し、その二年後の二回目のシリア訪問ではシリア軍関係の事件を解決し、バグダッドに行く途中で発掘現場の殺人事件を一件落着させて(ほぼ三日間を費やす)、シリアに戻って英国に帰国したことになる。私がこれまで考えていたポアロの事件簿は、もちろんこの順番であった。
 ところがシリアの歴史を調べてみると、シリアの独立は1944年で、それまでは仏領であった。したがってフランス陸軍の不名誉な事件はシリア軍の不正事件と同じものと考えることもできないことではない(かなり苦しい説明だが、どちらの事件も約一週間で解決した点に注目!)。すると、ポアロはシリア軍(実はフランス軍)の事件を調査し、その後メソポタミアの殺人事件も解決し、再びシリアに戻ってオリエント急行内で殺人事件に遭遇した、と解釈することも可能である。この場合ポアロはシリアを一回訪問するだけで二つの事件を解決したことになり、"メソポタミアの殺人"の後に"オリエント急行の殺人"に遭遇するという石田訳でも、矛盾がないことになる。名探偵ポアロの実力なら、この程度の過密(?)日程は問題ないであろう。会員の皆さんは、どちらの解釈を好ましいと思いますか?
 もっとも、「また新しい殺人事件に巻き込まれた」という事件が、『オリエント急行の殺人』で起こる"ラチェット氏刺殺事件"であるという確証はなにもないのだが……。
×月×日 本号が出る頃には多くの会員はご存知であろうが、ついにクリスティ作品がTVアニメ化されることになった。「アガサ・クリスティーの名探偵ポワロとマープル」というシリーズ物で、制作・放映はNHK。7月上旬より日曜日の午後7時半から8時までのゴールデンタイム(つまり大河ドラマ直前の時間帯)に予定されている。現在はNHKアニメ劇場として「火の鳥」が放映されており、その後継アニメとして選ばれた(来年3月末までの39回)。
 コリンズ社から本を出すようになってからのクリスティは、ポアロのイメージが具体化されるのを嫌って、ポアロやミス・マープルの肖像を本の表紙に載せるのを許さなかったが、実質的な著作権管理が娘から孫、孫から知的所有権管理会社へと移行することで、ついに世界初のTVアニメ化が実現することになったようだ。もちろん単にビジネスのためだけではなく、その裏には「千と千尋の神隠し」に代表される、日本はアニメ世界一という実績が評価されたのも事実であろう。
 NHKの広報資料によれば、子供から高齢者まで楽しめるアニメにしたいということで、原作を忠実になぞるアニメ化ではなく、内容はある程度変わるらしい。もっとも目新しい点は、ポアロとマープルを結び付ける人物として、レイモンド・ウエスト(作家で、ミス・マープルの甥)の娘メイベルを創造したことである。16歳で、好奇心旺盛で活発な行動力の持ち主らしい。またお供のアヒルの言葉や考えが理解できる能力もあり、メイベルとアヒルが主に子供向けのギャグを担当することになるのだろう。
 放送予定作品としては「ABC殺人事件」、「スタイルズ荘の怪事件」、「パディントン発4時50分」、「雲をつかむ死」などが挙げられている。長編は4回で完結、短編は1回完結とのこと。一家三代で見ても楽しめるアニメを目指しているそうだ。大いに期待したいものである。


ティー・ラウンジ

■私は、もちろんクリスティ大好きです。そしてお芝居を見ることも大好きです。過去十数回、お芝居を見るためにロンドン通いをしています。「マウストラップ」は2回見ています。キーホルダーも持っています。今年も正月休みを利用して、約9日間イギリスへ行きます。シュルーズベリーへショート・トリップする予定で楽しみです。以前の号に載っていた「蜘蛛の巣」の舞台の劇評を、「蜘蛛の巣」に出演されていた増沢望さんに見せましたよ。「蜘蛛の巣」は好きな作品の一つですが、残念なことに私は見れなかったのですが……。増沢さんは俳優座所属の俳優さんで、私は彼のファンでもあります。彼も、もう40歳。ピパのような子供がいてもフシギではない年齢なのですが、若くみえます(小西由紀子さん)。
■会員の住所の件ですが、多分数藤さんのその会員の住所は番地が違うのでしょう。ベテランの配達夫は、番地が違っていても、「二番地になっているが、宝堀田ハイツなら一番地にあるから、これは書き間違いだろう」と考えて、そちらに配達してくれるのです。ところが、ベテランがやめて、新人やバイトになると、彼らはそんなことは考えずに、すぐ「宛先不明」扱いにしてしまうのです。これは、私の実体験に基づいています。以前、クイーンFCの会員からの手紙の住所が間違っていた時、配達夫が「クイーンFCならあの番地だ」と考えて、ちゃんと届けてくれたのですよ。こんなことがあるから、私は郵便番号を増やすのには賛成できません。番号だけに頼ると、書き間違いに対応できないのですよね(斉藤匡稔さん)。
■鳥居さんの記事を読んで思い出したのは"Out, out brief candle!"で終わる短編です。フレドリック・ブラウンの作品でアンソロジーに入っていたような気がします(多分早川ミステリ)。もう忘れてしまっていたので、また暗誦しようと思います。ところで私はA駅から電車に乗ってC駅で乗り換えてZ駅まで行くのですが、途中のB駅から幼稚園児を連れた若い男が乗ってきてC駅で夫婦らしい男女と合流します。子供はそのカップルの息子のようですが、「謎」です(原岡望さん)。
■先日TVの2時間サスペンス物(見ていたのではなくて、何故かつけっぱなしになっていた)で、「アガサ・クリスティが安楽椅子探偵なら、俺たちは温泉探偵だ」というセリフが出てきました。こたつでTVを背にして本を読んでいた私は、思わず振り返って「クリスティは作家よ! それに安楽椅子探偵ったらネロ・ウルフが代表でしょ!!」とTVにつっこみを入れてしまいました。誰の脚本か知りませんが、こんな物知らずがシナリオを書いているから、TVのサスペンス・ドラマの質が低いんだと、変な納得をしてしまいました。まぁ、それだけクリスティの名前が著名なんでしょうね(岩田清美さん)。
■うち(注:山口県下松市)の近所に「ポアロ」というお店があるのを雑誌で知りまして、土地勘も無いのに車を転がしてやっとこ捜しあてました。そこは食べ物屋さんです。しかし珈琲やサンドウィッチの類いではなく、何と! ラーメン屋さんなのです。ポアロ・ラーメンとかいってチョコレートが浮かんでいたらどうしようとか、はたまたゆで卵がポロンと丸々浮いてるかもとか、おそるおそる入店しましたが、ごく普通のおいしいラーメンで、メニューも格別"ヘイスティングつけめん"とか"味噌マープル"とかもなく、強いてあげれば店長さんのおヒゲが由来なのでしょうか。しかしそれも、ポアロ風というより、レスラーの蝶野風のような……。店内は男の方も多く、かけだしオバタリアンとしては「どうしてポアロなの?」なんてお尋ねするのも気後れしてしまい、由来は不明でした。でもポアロに相応しいのは、やはり洋食関係のような気がします。例えば、ポアロセット(ホットチョコレートと市松模様のクッキー)、ヘイスティングセット(インドカレーとダージリン)、ミス・レモンセット(キュウリのサンドウィッチとレディ・グレイ)、ジャップセット(豆とじゃが芋がドッサリ添えてあるお肉のソテーとビタービール)、オリヴァーセット(りんご丸ごと1個とお水)。うーん、流行りそうもありませんね(中嶋千寿子さん)。
■「クリスティ文庫」刊行を機に、彼女の全作品に挑戦してみようと思い立ち、『火曜クラブ』から始め、現在『牧師館の殺人』を読んでおります。スーシェのポアロ物のドラマも好きです(間島健さん)。
■8歳と2歳の息子に振り回されてバタバタとした日々を送っていますが、先日上の息子が少年探偵団の本やルパン・シリーズを図書館で借りてきているのをみて、久しぶりにクリスティの本を手にとりました。まずは短編からと『おしどり探偵』を今読んでいます。息子も早くクリスティの世界に来てほしいと思います。ミステリーの世界に足を踏み入れたから、きっとその日も近いはず?(村田有規子さん)
■長女が大学受験です。受験勉強のストレスからか、煮詰まったときは読書をしています。推理小説も好きなようで、本棚からクリスティも出して読んでいます。ただ、それが私の高校時代の本で、昭和四十年代の版で、茶色くなっているのや、表記がやたら古めかしいものやらで、過ぎた時を思って、それはそれで感慨にふけりたくなります(薄正文さん)。
■受験生(中3)の娘が反抗期というので思いの外手強くて、そちらの方の傾向と対策に追われる一年でした。トホホ……というわけで、ハヤカワ文庫の中で残り少なくなった未読の作品(主に短編集)を読みました。中でも『パーカーパイン登場』は面白かった記憶があるのに、オリヴァー夫人のことは覚えがありません。ダメですね。集中していなかったのでしょう。ところで、ハヤカワ・ミステリ文庫のクリスティ作品は、新しい全集が刊行されることで無くなる運命なのでしょうか? 真鍋博さんのカバーデザインが好きで、ほとんど全部持っているのですが……(高橋顕子さん)。
■ミステリーを読む場所は――年中旅しているこの寝台特急の個室ほどふさわしいところはありません。乗車してしばらくは黄昏の車窓の風景を楽しみながら駅弁を開き、ゆっくりと夕食タイムです。日もすっかり落ちた頃、車窓のカーテンを閉め、さあー、ここからが本番の読書タイム。個室ですので誰に気遣いもなく、私ひとりの密室の出来上がり。時々夜汽車特有の汽笛が鳴り、列車の心地良い振動も読書のリズムになってくれます。時折りはテーブルにあるウーロン茶(まるっきりの下戸です)と詰め合わせたっぷりのチーズをつまみながら、もうクリスティの世界にどっぷりです。この醍醐味を知ったのは、かの有名な『オリエント急行の殺人』を札幌行きの「北斗星」の個室ででした。なかなか雰囲気のある食堂車で夕食をすませ、それからの長時間我を忘れた時間でした。5月のきらめきのなか札幌駅に降り立った日のことを忘れることはありません。旅にはミステリーを!! そして絶対、寝台特急の個室を――。
         事件こと有りやミス・マープルの春手套      ひろこ       (土居ノ内寛子さん)
■以前は街をふらつき試写を見て歩くのが好きでしたが、TVを買いBSに加入してからは自室のカウチ(実はベッド上の万年床)でトリップすることが多くなりました。BSだと実に様々な映画を効率良く沢山見ることが出来るので、悲しいことだけれど映画というものの神秘性が失せ、これもまた商品なのだと醒めた目で見るようになる。つまり感性が成熟し老いるのですね。老いてもなおBSにハマりTVの前に根が生えちゃっているんですから、アタシもやっぱ、引きこもり老人だあ。
 BSは映画そのものだけでなく、新作情報、授賞式の中継など映画に関する様々な情報をリアルタイムで提供してくれます。昨年のアカデミー賞授賞式の中継を見て驚いたのは、どう見ても脇役顔のエイドリアン・ブロディの主演男優賞受賞です。私、この人好きでして、「マリー・アントワネットの首飾り」で初めて彼を知り、「戦場のピアニスト」はわざわざ劇場まで足を運んで見ました。その彼が有名スターを押しのけて"主演"男優賞を受賞したのですから、もう嬉しいやら、びっくりするやら。少し年をとったら、その面白い顔でぜひ『ABC殺人事件』のA・B・カスト氏を演じ、今度は助演男優賞を受賞して欲しいですね。わりと老けやすい顔なので案外早く実現するかもしれない。オバサンは待っているぞ。
 ついでに書かせて頂くと、ポアロ役者の次期候補として、私はジャン・クロード・バンダムを考えています。ベルギー出身だからということもあるけれど、彼のアクションスターにしてはノンビリ、おっとりした雰囲気がポアロに合うように思えて。彼の眉は薄いけれど、ベルギー人らしいくっきりしたアーチ形の弧を描いている。それを濃くなぞって口髭をつけたら、アルバート・フィニーばりのちゃーんとしたポアロの顔になりますぞ。逃げる犯人に回し蹴りをかませたり、180度開脚を見せたりするポワロもいいのではないか。B級映画に出まくるアクションスターの生活は、ナマ傷が絶えず内臓にも負担が多そうでとても大変なものだと思う。心臓に爆弾を抱えたシュワちゃんが、ハラが出てもハゲになっても責められない知事さんになりたくなった気持ち分かるので、中年期を迎えたバンダムも何とかしてあげたくなり、ポアロ役者への転身という花道を勝手に考えたんですが、これ、いらないお世話だった?(泉淑枝さん)
■今年の私のお正月映画は、ジム・シェリダン監督の「イン・アメリカ 三つの小さな願いごと」にしました。基本的には甘い、甘いファンタジー映画なのですが(もし本であったら、まず読み通せなかったでしょうが)、映画だと素直に楽しめました。まあ、たまに食べるモンブラン・ケーキがおいしいのと同じか?(S)
■クリスティ作品がついにアニメ化されましたが、別の情報によると世界初の双方向性PCゲーム版の製作も発表されたとか。クリスティの世界は拡大の一途ですが、今後もよろしく!


 ・・・・・・・・・・ウインタブルック・ハウス通信・・・・・・・・・・・・
☆ 編集者:数藤康雄           ☆ 発行日 :2004.9.15
  田無市XX町XーXーX          ☆ 会 費 :年 500 円
☆ 発行所:KS社              ☆ 振替番号:00190-7-66325
                        ☆ 名 称 :クリスティ・ファン・クラブ


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