ウインタブルック・ハウス通信

クリスティ・ファンクラブ機関誌

2001.9.15  NO.61

 61歳のクリスティ。『バグダッドの秘密』を出版。この小説はバグダッドを舞台にし、冷戦を背景にしたスパイ・スリラーで、嘘をつくのが得意な女性主人公が活躍する。しかしこの年のトピックスは、なんといってもエラリイ・クイーン・ミステリ・マガジン(EQMM)の読者投票によって"現存のもっとも偉大な十人のミステリ作家"の一人に選ばれたことであろう。"ミステリーの女王"という呼称が嘘でなかった証拠でもある。
 なお余談ながら、昨年(2000年11月)のバウチャー・コンでは"20世紀の最高の作家"部門の投票で、クリスティはトップになっている。(S)。


< 目  次 >

◎クリスティ関連書の紹介――――――――――小堀 久子・安藤 靖子・数藤 康雄
◎クリスティとミステリー・マンガ――――――――佐竹 剛
◎TVの中のクリスティ――――――――――――川端 千穂・山崎 岳麿・伊東 絹子・泉 淑枝
◎グリルルーム―――――――――――――――加藤 武男・和賀井 みな子・安藤 靖子・濱田ひとみ
◎クリスティ症候群患者の告白(その30) ――――数藤 康雄
◎ティー・ラウンジ
★表紙   高田 雄吉


クリスティ関連書の紹介

小堀 久子・安藤 靖子・数藤 康雄

 最近のクリスティ関連本の出版状況については、先号(No.60)の"クリスティ症候群患者の告白"で簡単に触れました。ここ数年の間に出版された9冊ほどの本の内容を数行で紹介したわけですが、今年も"Agatha Christie (Modern Critical Views)" Harold Bloom(編集)といった本が出ており、年一、二冊のクリスティ関連本の出版は当り前になったようです。
 今号では気のきいた特集が思い付かなかったため(そして我が家の近くのパソコン量販店で安いスキャナーが入手出来たため)、情報の鮮度は多少落ちますが、クリスティ関連本を表紙付きで詳細に報告することにしました(S)。


"Love From A Stranger"(1936)

By Frank Vosper

紹介者  小堀 久子

 翻訳されていないクリスティの戯曲は、"Akhnaton"や"Fiddlers Three"といったオリジナルな戯曲、あるいは『ナイルに死す』や『ゼロ時間へ』といった長編ミステリーを戯曲化したものなど、まだ何本かあります。本書も未訳の戯曲ですが、珍しい点は短編ミステリーを脚色していることです。短編の場合は長さの関係で脚色者が内容を膨らませる必要があり、原作にない創作部分が半分近くにもなっています。そこが大いに興味ある点で――(S)。


  "Love From A Stranger"というタイトルの戯曲が手に入りました。『リスタデール卿の殺人』(早川書房)という短編集に入っている「ナイチンゲール荘」(東京創元社版では『クリスチィ短編全集2』中の「うぐいす荘」)の戯曲化です。
 この戯曲は全3幕6場面と、原作をやや膨らませたものになっており、登場人物数で言えば、原作では主人公のアリクスとその夫ジェラルド、以下アリクスの元恋人など5名に対し、戯曲では名前や設定が多少変更されていて、原作メンバーに主人公のルームメイトやおしゃべりな叔母などが加わり、総勢8名となっています。
 原作では、舞台は終始ナイチンゲール荘の敷地内で、主人公のアリクスが結婚するまでのいきさつや、他の主要人物についての説明などはすべて彼女の回想によるものです。戯曲では回想にばかり頼っていられないのでしょうか、第1幕で、主人公のセシリーが友人と住んでいるアパートを舞台にし、ビクトリア時代を引きずっているおしゃべりな叔母まで登場させて、夫との出会いと婚約、それに伴なう別れなどが表現されています。第2、3幕はセシリーと夫の新居で、かつては旅館であったという周囲から隔絶された古い屋敷を舞台に、電撃的に恋に落ちて結婚した二人が、お互いの過去を知ることで生じた疑心暗鬼から、ついにあるクライマックスにいたるという過程がサスペンス豊かに構築されています。戯曲版ではここに医師が登場します。夫が心臓病を患っているという設定のためですが、このことはご存知のように事件の解決に大変重要です。また医師は殺人事件についての資料収集が趣味で、主人公らに、恐ろしい連続殺人事件が過去にあったことを気づかせるきっかけを与えるのです。
 細部の違いを取り上げればきりがありませんので、後は次号からの全訳でお楽しみいただくことにしましょう。
 S氏曰く「原作は傑作だが、これは他人がクリスティの原作を脚色した珍本であるに過ぎない」とのことですが、なかなかどうして、今年カナダのトロントで8月から11月まで上演されるそうで、今でも'現役'のお芝居のようです。
 またこの戯曲は、わかっているだけで過去に3度、1937年イギリス、47年アメリカ、67年ドイツで、映画化されています。37年のイギリス版では、私たちにはおなじみのジョーン・ヒックソンが、おそらくはメイドの役で出演しているようなのが愉快です。
 最後に、作者はフランク・ヴォスパーという1899年ロンドン生まれの俳優兼作家で、この戯曲が36年にロンドンのニュー・シアターで初演された翌年に、37歳で亡くなっています。俳優としては30年代のヒッチコック作品などに出演していた記録がありました。


"The World of Agatha Christie"(1999)

By Martin Fido

紹介者  安藤 靖子

 著者ファイドー氏は『オックスフォード版シャーロック・ホームズ』の編者ロプソン氏のもとで学び、英国内外の大学で教えた後、最近ではフリーのアナウンサー、観光ツアー・ガイドとしても活躍しているという。実際、手元にある英国版の見返しにも、アメリカのミステリファンのためにクリスティゆかりの土地を訪ねるツアーなどを企画し、自ら案内役もつとめていると書いてある。「切り裂きジャック事件」に関する研究では特に有名で、著書『ロンドン殺人ガイド(Murder Guide to London)』はよく知られているが、19世紀の大作家ディケンズやJ・オースティンについての著作や記事も多く、同じカールトン社から『シャーロック・ホームズの世界』(北原尚彦氏の翻訳あり)、『チャールス・ディケンズの世界』が出版されている。
 本書は見開き2ページで1テーマを扱う編集で、どのページにも必ず写真をのせ、クリスティの生涯(第一章)から作品、登場人物、映画、演劇及びその主役(第四章)に至るまで、副題(The Facts and Fiction Behind The World's Greatest Crime Writer)の示す通り幅広くクリスティにまつわる「事実とフィクション」について書いている。第二章の終わりに「謎解き(Solving 'em)」の手引きがご丁寧に箇条書きでまとめられているあたり、初心者の為のガイドブックのような気がしないでもない。第一章「生涯」は、自伝やモーガンの伝記の内容をおさらいしている感じで、目新しい点といえば失踪事件(Eleven Days Wonder)の中で1998年に出版されたJ・ケイドの著作に言及していることぐらいであろう。
 第二章「作家」では『スタイルズ荘の怪事件』で作家デビューする前後から成功をおさめるまでを、当時の時代背景に触れ、著者お得意のドイルやホームズとクリスティおよび彼女が創り出した探偵たちとを比較させながら筆を進めている。ポアロとミス・マープルにとどまらず、トミーとタペンス(The Beresfords)、クイン氏とパーカー・パイン氏、オリバー夫人についても独立した項目を設けて論じている。オリバー夫人をクリスティが創作した中でも「おそらく最も楽しい人物」と賞賛し、クリスティ自身が色濃く投影されていると主張している。また、その他のテーマの中でも、共に「黄金時代」を築いた作家達、セイヤーズ、マーシュ(この二人の写真を本書で初めて見た)、アリンガムとクリスティの比較を論じた「ライバルたち」はおもしろかった。
 第三章(The Mind of Agatha Christie)では旅行、考古学と古代史、音楽、美術、文学、政治、宗教の順に主にクリスティの高い教養について語られている。冒頭には反ユダヤ主義的傾向や政治的無関心についての批判もある。この章の終わり「宗教」の中で著者は、クリスティの作品の源には他人の罪深さを決して裁かないクリスチャンの精神があり、この寛大さこそが道徳主義を標榜したライバル作家達の作品以上に読者から受け入れられた理由なのだと分析している。生誕110年、没後25年を迎えたアガサ・クリスティは特に若い読者にとっては伝記中の人物になりつつある。しかし、その作品の多くは今も私たちに心地よい「クリスティの世界」を与えてくれている。全章を通じて著者の偏見ではないかと思えるところ、表現のあからさまなところも少なからずあったが、私たちファンにとって本書の内容がどうであれ、今もなおこの様な本が出版されるということは、彼女の人気の高さを物語っているに他ならない。


"The Lost Days of Agatha Christie"(1995)

By Carole Owens

紹介者  数藤 康雄

  著者は臨床ソーシャルワーカー。専門は心理学のようで、本書は、1926年に起きたクリスティの謎の失踪について、心理学の専門家という視点から考察したものである。
 クリスティの失踪について書かれた作品としては、キャサリン・タイナンの『アガサ 愛の失踪事件』が有名であるが、『アガサ 愛の失踪事件』がフィクションそのものであったのに対して、この本はノンフィクションのような見掛けをもつ(しかし内容はフィクションという)作品だ。
 著者は、ジャネット・モーガンの伝記『アガサ・クリスティーの生涯』にある以下の文章に触発されて本書を書いている。それは「その後、長年にわたって、アガサはそのおぞましい十日間の記憶を再現できぬことを悩みつづけ、第二次大戦後になって、著名な精神分析医でもあるオクスフォードのある牧会神学の欽定講座担当教授を訪れ、診察を乞うた。その教授は、専門家として実地に診療にあたってこそいなかったが、それでも、助力をもとめて自分にすがってくる人びととの相談にのることは、大学での自分の義務のひとつだと考えていた。伝えられるところによると、教授はアガサに、彼女の体験はきわめて深刻なもので、自分にはその失われた時間を埋めるお手伝いはできないが、彼女の自責の念を克服する手伝いならしてみよう、と答えたといわれる」(深町眞理子・宇佐川晶子訳)という文章である。
 つまり著者はここで若いアメリカ人の精神科医を創造し、彼がオクスフォードの欽定講座担当教授の学生として研修中に、クリスティが教授のもとを訪れてきて、その若いアメリカ人がクリスティの相談にのるという設定である。1946年の雨の月曜日で、彼はクリスティと対話しながら、彼女の失われた記憶を呼び覚まし、失踪の理由を探し始めた。
 ただし対話するといっても、著者は生前のクリスティに会っていないため、実際の対話ではないのは当然のこと。クリスティの自伝の内容をもとに作り上げた想像上の対話である。
 ここで著者がもっとも重要視したのは、クリスティが4歳の時によく見た"ガンマン"の悪夢である。自伝の中に出てくる半頁ほどの挿話で、「旧式のマスケット小銃のようなもの」を持ち、「髪粉をつけたさげ髪に、角が三方に突きでた帽子をかぶった」"ガンマン"が現われ、クリスティはその男の薄青い目に会うと、いつも悲鳴を上げながら目をさます、という夢である。
 5歳を過ぎるとクリスティはこの悪夢を一切見なくなったが、著者はこの悪夢に注目する。そして対話をしながら、この"ガンマン"がクリスティの兄のモンティであり、クリスティの夫アーチーも"ガンマン"になったであろうと結論づけている。
 最終章ではクリスティが催眠療法を受けて、失踪時の記憶を思い出すことになっている。まあ、この本が翻訳されることはまずないと思うが、著者の失踪の理由を勝手に公開するのは遠慮すべきであろう。興味のある方は原書を読んでみてください。ただし著者の結論はそれほど意外性のあるものではない。ジャレット・ケイドの場合とは異なり、出版されても遺族が問題にしなかったのは当然といえようか。
 なお本書は、クリスティを例としてとりあげた精神分析の入門書的な性格も持っている。精神分析というと、単純な理系人間には"眉唾"的学問に思えてしかたなかったが、なんとなく精神分析がわかったような気分にしてくれるところもある。


クリスティとミステリー・マンガ

佐竹 剛

  最近、若い書評家が薦めるミステリーがさっぱり面白くないことが多くなってきました。単なる好みの違いなのか、世代の差なのか、よくわかりませんが、少なくとも翻訳ミステリーの場合は、こちらもそれなりに読んでいるので、別に困ることはありません。
 しかしマンガとなると、大人になってからは手塚治虫と白土三平の代表作ぐらいしか読んでいないので(まあ、チビまるこちゃんも娘から借りてちょっとだけ読みましたが)、たまに若い人のマンガ評に目を通したとしても、知らない固有名詞(マンガ家の氏名や本の題名、主人公の名前)ばかりで困惑してしまいます。マンガに関しては化石人間となりました。
 ここには佐竹さんの2本のエッセイを載せていますが、化石人間が校正しているため、多少のミスがあったとしても許されよ!?(S)


クリスティ作品のマンガ化
 アガサ・クリスティ・ファンクラブ員の小生ですが、日本シャーロック・ホームズ・クラブ会員でもあるので、つい比較してしまいます(同時にマンガ好きでもありますので)。
 ホームズの場合、くもん出版に小学館でジュニア向けマンガ全集が出版され、やや大人向けでJET氏がマンガ化(「ぶなの木立ち」及び「ギリシャ語通訳」)しており、また、金田一耕助が一人の頃、影丸穣也氏、ささやななえ氏、つのだじろう氏などがマンガ化していて(最近では、やはりJET氏が『獄門島』、『八つ墓村』、『悪魔の手毬唄』などをマンガ化している)、アルセーヌ・ルパンも、一峰大二氏が、やはりジュニア向けシリーズを出版(やはりくもん出版で)されています。また、またもやJET氏が『エラリー・クイーンの冒険』のマンガ化をしています。
 これらに比べ、クリスティ作品がマンガ化されていないのは何故でしょうか?
 ポアロ、ミス・マープル、トミーとタペンス、ハーリ・クィン、パーカー・パインと探偵が多すぎてシリーズ化しにくいのと、逆に『そして誰もいなくなった』『検察側の証人』など、名探偵が出てこない作品があってマンガ化しにくいと言う、一見矛盾するようなクリスティのミステリーの特性で、マンガ化になっていないのでしょうか?(『そして誰もいなくなった』は映画化に際しては、容疑者の中に名探偵を設定し、真犯人の罠にはまって殺されたふりをして、クライマックスで再登場して犯人を追いつめる、と脚色していますが)。
 余談ですが、『アクロイド殺し』をマンガ化した時、予備知識なしに見たら、読者全てが驚倒するでしょう(いや『金田一少年の事件簿』なんかで「意外な犯人」設定に憧れている青少年は、そう驚かないかも……)。いずれにせよ、クリスティのミステリーのマンガ化(ジュニア向けでも、大人向けでも)が実現したら、早速購読するでしょう。
追伸:小生が投稿した拙文について日本シャーロック・ホームズ協会会員にして、ポアロなどにも詳しい文通相手のM・I女史から、「クリスティが自作のマンガ化を許さなかった」ことを聞き、拙稿は勉強不足だなと反省しております。
 M・I女史によると「クリスティは、ドイルの死後、シャーロック・ホームズを茶化したようなアメ・コミが猖獗を極めたためにポアロやミス・マープルが、そんな目に会わないように、予防線を張った」ためだそうです。良心的にポアロやミス・マープルを描きたいと思っている内外のマンガ家も、このクリスティの禁令によって、涙を呑んでいるとのこと。英国クリスティ協会でなんとか出来ないでしょうか?
 ホームズのマンガも、くもん出版と小学館でジュニア向けの「全集」が出ているし、JET氏という正典世界を忠実にコミック化しているマンガ家もおります。JET氏なら、ポアロやミス・マープルのコミック化をクリスティは許すのではないか、と言うレベルの持ち主です。M・I女史も「クリスティが健在なら審査・閲覧の上で2〜3人くらいのマンガ家に許可を与えても良いと思います。近年のマンガ文化は昔の演劇にひけをとらない。というより、勝るくらいです」とのことでした。

手塚治虫とエルキュール・ポアロ
 石ノ森章太郎氏が亡くなる少し前に、弟子の石川森彦氏に作画させ、自分は監修を担当した『シャーロック・ホームズ』のマンガシリーズを出版し、シャーロッキアンにも、そこそこ評価されているようである。
 そこで小生は「エルキュール・ポアロ」もマンガ化出来ないかと考えた。
 かねがね、あるマンガのキャラクターがポアロ役を出来るのでは、と小生は考えていた。それは、やはり亡き手塚治虫氏の名物キャラ「ヒゲおやじ」である。
 『鉄腕アトム』や『ブラック・ジャック』などでもおなじみの、このキャラクターは、一見キザなポアロと縁遠のようだが、チビ、デブ、ハゲで人の字ヒゲをはやしているところが、ポアロに似ている。
 それに「アトム」などでの曲がった事が大嫌いな江戸っ子、というイメージが強いのが「ブラック・ジャック」や「ザ・クレーター」では悪役や憎まれ役も演じて(?)いるから、案外キザで嫌味なポアロも出来るかもしれない(デビッド・スーシェ氏までいかないが、アルバート・フィニー氏やピーター・ユスティノフ氏よりは、ビゲオヤジ氏の方がポアロっぽく見えるかもしれない)。  そうしたら「ロック・ホーム」(別名、間久部禄郎)あたりがヘイスティング役にピッタリかもしれないし、ジャップ警部は手塚マンガの刑事キャラ(下田警部、中村警部、田鷲警部など)が演じるべきだろう(警視総監は「メトロポリス」でこの役を演じた「ノタクリン」がはまり役であろう)。残念ながらアトムやブラック・ジャックの出番はなさそうだが、犯人役を「アセチレン・ランプ」や「ハム・エッグ」、「スカンク草井」など手塚マンガの名悪役たちが演じればピッタリかもしれない(もっと大物の悪役なら「レッド公」だろうか?)
 ちなみに「ミス・マープル」は亡き長谷川町子女史の「いじわるばあさん」がピッタリかもしれない。姉妹社の社長である町子女史の妹の長谷川毬子女史――TVドラマ「マー姉ちゃん」のモデル――の許可が必要だろう(あ、手塚氏の場合も、夫人か息子の手塚真氏あたりの許可が必要か?!)。


TVの中のクリスティ

川端 千穂・山崎 岳麿・伊東 絹子・泉 淑枝

 昨年の暮、クリスティの「アクロイド殺人事件」(12月30日)と「エッジウェア卿の死」(同31日)がNHK総合で放映されました。たくさん投稿があるだろうと思ったのですが、それよりミステリチャンネルについてのメールの方が多くてビックリしました。私の出た座談会がまた放映されていたのですね。トホホホ……。
 ところで最近のミステリ・マガジンによると、なだいなだ氏がミステリチャンネルの警察ドラマにはまっているとか。その昔"娘の学校"シリーズや『人間、この非人間的なもの』などを愛読していた人間としては、クリスティ映画もぜひ観てほしいものです(S)。


スーシェのインタビュー(続編)

川端 千穂

 先号で紹介しましたスーシェ氏のインビューの件ですが、NHKの海外ドラマのHPに、その全容が出ていました。どうやら私が録画でミスった冒頭の部分が、思ったより長かったようです。TV放送の際には吹き替えで日本語訳があったのですが、何度か繰り返して聞き文字にしたので、私の迷訳?では決してありません(笑)。そのHPの訳を読んでみますと、言葉がかなり違っていました。内容的には違ったことを述べているわけではないのですが。音で流すのと、文字で表すのとの違いでしょうか。
 ミステリチャンネルの方のインタビューは、字幕の訳付きでした。たっぷり15分。ミステリ・マガジン2000年9月号掲載のインタビューとTVのインタビューを比べてみましたら、雑誌の方がかなり長くて、TVの方はその要約と言いますか、かなり省略していて、TVの字幕の性質上、雑誌とは少し言葉も違っていました。初めの3分の1くらいは以下のとおりです。

 アガサ・クリスティの遺族がポワロのテレビ・シリーズ化を計画中だ、と現プロデューサーのブライアン・イーストマンから聞かされたのは、1987年の事です。私はBBCの番組で以前ブライアンと仕事をしていましたし、クリスティの遺族はテレビや映画で私の演技を見てくれていたようです。私をポワロに適役だと判断した遺族の意見がきっかけで、ブライアンが私に打診してきたのです。コミカルな面が強調されがちな従来のポワロはもう必要ない、原作のポワロがそのまま飛び出してきたような、そんな演技のできる俳優が求められていたのです。その前に私はポワロ作品「エッジウェア卿殺人事件」に出演していました。とは言ってもポワロ役ではなくジャップ警部の役ですが。ピーター・ユスティノフ扮するポワロの脇役だった私が、クリスティの遺族の目に止まったのですから、運命の不思議を感じます。
 ポワロ役を引き受けるとプロデューサーに伝えた後、クリスティの娘のロザリンドから昼食に招かれました。私のポワロにとても期待していました。「あなたを見て視聴者が笑い出すのではなく、一緒に微笑みたくなる、そんなポワロを演じて欲しい」と真剣に話してくれました。
 ポワロ役を引き受けて嬉しかったのと同時に不安もありました。数々の名優が演じてきた大役ですから。古典演劇の世界でも同じような不安はつきものです。ポワロは小説や映画でも大人気なだけに責任重大でした。
 それでも引き受けた以上はクリスティの一族、そして自分のためにも先輩俳優に負けない完璧なポワロを演じようと決意しました。そして役作りも研究を重ねたのです。役作りは、まずクリスティの原作を読むことから始めました。ほとんどの作品に目を通したと思います。ポワロの特徴に関する記述を見つける度に、ファイルに書き込みをしていきます。ファイルは膨大な量になりました。彼は紅茶やコーヒーに砂糖を何杯入れるのか? ポワロが「英国製毒薬」と呼ぶイギリス産の紅茶は好きか? こうした項目で埋め尽くされたファイルをとても大切にしています。実は今日もファイルから100個程特徴を書き写して持って来ています。

 この後の部分は、役作りの苦労話、声編、歩き方編、ひげ編、全体のまとめ、と続いていくのですが、話は変わりまして、年末のポワロ新作のTV放送の件で、ヘイスティングス氏の吹き替えの声をやっておられた富山敬さんが亡くなられたので、今回は、安原義人という方が担当されるようです。声優さんについては明るくないので、どんな声なのかは全くわからないのですが、アニメ関係では知られた方のようです。
 マープルものに関しては、J・ヒクスンが亡くなる前に長編全部を撮り終えているようで、「予告殺人」と「書斎の死体」以外は全部(吹き替えは全て山岡久乃さん)見ているのですが、上記の2作は、今月のミステリチャンネルで放送予定で、もうすぐ手元に来ることになっていて楽しみです。でもこの2作は字幕で、しかも3時間近くあるようです(他の作品は90分〜100分)。山岡さんの吹き替えは、マープルの雰囲気にとても合っていて大好きだっただけに残念です。

クリスティの元日(その1)

山崎 岳麿

 元旦の日にミステリチャンネルを見て二日にメールしたのですがアドレスを間違えて(nが一つ多かったのです)、届きませんでした。改めて出します。あまりテレビを見ないし、番組を調べることもないのですが、元旦に何気なくケーブル・テレビの番組ガイドを見ていたら、元旦のミステリチャンネルが「クリスティの元日」になっているではないですか。残念ながら気の付いたのが夕方で「愛国殺人」から後しか見られませんでした。しかし後の座談会で数藤さんのお姿を拝見する事が出来ました。まだお若いのにびっくりしました。59号の中でWH通信をやめる時期を考えておられるようなことで、もっとお歳の印象でした。
 私はこの正月で数え79歳、6月に満78歳になります。クリスティが亡くなった時、いい歳まで書けたものだと感心していましたが、いつのまにかその歳に近づきました。作品は全部年代順に並べてあるので、自伝や色々の形の評伝と付き合わせながら、もう一度全作品を読み直したら面白いだろうと考えていましたが、その時間は無くなりました。殆ど英語のペーパーバックですから、一冊一月はかかります。他にも読むものはあるし、とてもかなわぬことになりました。
 座談会で数藤さんのクリスティとお会いになったときの話など面白く拝見しました。スーシェの話「髭をつけるとポアロの声が出る」との事、なるほどと感心。なお七、八年前にトーキイへ行き、二、三日滞在、うろついたことがあり、若竹さんの話でその時のことを思い出して懐かしく思いました。
 クリスティを英語で読む丸井さんが関西なら仲間になりたいと思いますが、手紙もこの歳でしんどいです。Eメールも始めたばかり、二日に失敗しました。これが着くかどうか心配です。


クリスティの元日(その2)

伊東 絹子

 去年の暮れにクリスティ・クイズを観てたら、お会いしたことのあるような方が画面にでてらして、はて、どなたかしらと思いつつ……。でもすぐにわかりました。WH通信をいただいた後でしたので……。それにしても、みなさんは凄いですね。あの編集長も1問ごとに さすがですね、を繰り返していましたもの。
 ところで毎週木曜のミステリチャンネルは、ルース・レンデルのウェクスフォード警部シリーズ(TVドラマ)をやっています。イギリスの映像はなんだろうが、全部好きです。とても重厚で(もっとも国そのものが重くて厚いですけど)、建物の壁の厚さを見るだけで嬉しくなってしまいます。そのルース・レンデルですが、不思議に好きな作家ですね。どれも、みんな面白くて、何度も読み返しております。やはり、クリスティの後輩に残した影響が大きいのでしょうか。  それで、ここで深町さんなんです。彼女の作を何冊か訳していますが、とても印象に残っている方ですね。女性が、女性作家の翻訳をすることのメリットは、計りしれないことですもの。そしてその日、見ました。中村さん、深町さん、数藤さんのゴージャスなトーク番組を。やはり、皆さんのお話は、ほんとに面白いですね。とくに、数藤さんのクリスティのお宅の様子など、興味津々でした。あの時たしか、クイズの順位をきめるため、数藤さんがどなたかにポアロに扮した俳優の名前は? と訊かれましたね。しっかりと拝見しましたので、もう、どんな雑踏のなかでも見失うことはないでしょう。これって一種のプレッシャーですね。子供のころからの探偵根性が身についてしまって、たいへん失礼をいたしました。
 No.60で未読のクリスティも残り少なくなって、とおつしゃる方がいましたが、これも私にとっては凄いおはなしでした。70歳になってこんなにエキサイトするなんてWH通信のおかげでしょうか。

年末のポアロ・シリーズ

泉 淑枝

 同封の切り抜きは月刊「Mテレパル」12月26日号のコラム。ポアロ役者、デビット・スーシェが初来日した際の際のコメントと印象を伝えていますが、この記事によればスーシェはドラマで見るよりスリムで美オヤジだとか。ポアロを演じる時はスーツの下に肉襦袢をつけているのだそうです。ああ、私の体の膨らみも肉襦袢であったなら、すぐにも脱ぎ捨てるのだがなぁ。彼主演の名探偵ポアロ・シリーズの中の2本、「アクロイド殺人事件」(12月30日、NHK総合)と「エッジウェア卿の死」(31日、同)が放映されるそうなので見てみようかな。テレビを見ない生活を10年続けてきたためスーシェのポアロ物はまだ見ていません。失業をキッカケにど迫力のフラット・ワイド大画面のテレビを購入、べッドの前にデーンと据えたので、ようやく見ることがかないます。会員の皆様は、この2作はもうとうに見ておいでと思いますが。


グリルルーム

今号も数多くの投稿があり、再びグリルルームを開店することができました。これらのお手紙がなかったらと考えると、冷や汗ものです。感謝! 感謝!!

阿部純子さんのベスト7に『笑う警官』が入っていてとても嬉しかった!!

加藤 武男

 マイ・シューバル&ペール・ヴァールー作による警官小説、マルティン・ベック・シリーズが始めて世に出たのは、1965年でした。
 『笑う警官』は、同シリーズ(全10冊)における最高傑作であり、1970年度のアメリカ探偵作家クラブ賞を取りました。
 出版された当初は、各誌より「史上、稀に見る秀れた警官小説である」と絶賛されましたが、時が経つにつれ、ハード・カバーで出版されたものは文庫本へとモデル・チェンジをし、また文庫本もいつの日にか、廃刊となって行くことでしょう。
 次々と本を出版し、売らねばならぬという出版社の宿命を考えれば、それも亦、止むを得ぬこと、とは思い乍らも、一抹の寂しさを感ずるのは決して私だけではないでしょう。
 その点、かのクリスティくらい有名になってしまえば、もう安心、という事なのでしょう。

 今冬久し振りにこのシリーズを読みたくなり、全10冊の9冊目を読み終えたところです。
 ミステリィとしての面白さは言うに及ばず、主人公マルティン・ベックとその親友レンナルト・コルベリなど個性的な刑事達が10年間の歳月(このシリーズは1年に1冊、刊行された)を重ねてゆく有様、そして変貌するスウェーデン社会の10年を鋭く描いた……殆ど社会小説と呼ぶにふさわしい格調の高さなど、誠に味の深いものがあり、未だに古さを感じさせません。
 繰り返し申せば、これだけの作品もいつしか誰の口にも上がらぬようになってしまうのか……と思っていたところへ、図らずもNo.60号の、阿部純子さんのベスト7の5番目に『笑う警官』を見つけ、大変嬉しく思いました。
 もし私がベスト7を選ぶとしたら、当然『笑う警官』を入れますし、第1位は阿部さんと同じく『Yの悲劇』なのです。
 好みが似ているのかな、とも感じました。
 そういうことで、嬉しさの余り、ついペンを執ったのであります。

98年のトーキイへの旅

和賀井 みな子

 1998年8月にあの美しいトーキイを訪れることができて、そこで憧れのクリスティさんのタイプライターと写真を撮って貰って帰ってきた事件を書かせて頂くつもりでした。No.60を目指したのに……。
 あそこの警備員? 大層偉そうなおじさま、ミスターP・G・Partridgeにタドタドしい英語で(本当はタ・タ英語です)、日本から来たファンクラブの一人だと話しましたら、ずっと廻って最後の部屋へ行った頃写真を写しに行ってあげる、と云ってくれました。ちゃんとよい時刻をみはからって来てくれて、彼自身が私を写してくれました。後で入って来た英国人は「幸運だったね、どう頼んだのか?」と不思議がっておりました。マァこんなこと……、後も続くのですね。パディントンまでの列車の不便さに大なげきをしながら、次の旅へ。家人はよく恥かしがらずあんな事が云えたものだ……と不満でした。ごめんなさい。劣等性のようなファンクラブ員で、少し会名にキズをつけたかしら? ここで謝らして下さい。
 その前にイスタンブールでヒラリー夫人と観光が同じ日になって交通規制で自由時間がなくなり、あのクリスティさんのホテルの一室を見に行けなかったことがありました。98年8月は幸運でした。

アムステルダムからベルリンへ

安藤 靖子

 昨年9月中旬に1週間ほどアムステルダム、デユッセルドルフ、ベルリンへ出かけてきました。「WH通信57,58号」でS氏が言及しているミス・マープルが好きな画家、ロレンス・アルマ=タデマの作品が3点、ゴッホ美術館一階(ここには19世紀に活躍したゴッホ以外の画家の作品が展示されています)に展示されているのを発見しました。これらの絵とゴッホの関係については、残念ながら日本語版案内書に何も書かれていませんでしたが、オランダ生まれでベルギーで学んだ画家であり、イギリスへ帰化したとはいえ、17年ほど年長のこの画家をゴッホは尊敬し、影響を受けたのかもしれません。大作1点と小さな作品が2点あり、その一つ彼の娘さんらしい少女をえがいた絵が特に印象に残りました。「WH通信」を読んでいなかったらこれらの絵は見落としていたはずです。なにしろそれまで彼は私にとって全く未知の画家だったのですから。これからオランダ旅行を計画している方は、是非この美術館を見学のコースに加えてください。(Van Gogh Museum P.O. Box 75366, 1070 AJ Amsterdam)
 9月23日から3日間滞在したベルリンは、「オリエント展」の次の開催地でもあります(5月15日〜9月30日)。着いたその日に「エジプト博物館」で、有名な「王妃ネフェルティティの胸像」を見てきました。ウイーンのオリエント展に出品されていたのは、明らかにレプリカだとわかりました。こちら本物は厳しい監視下に置かれていて、この博物館の「お宝」であることは容易に想像がつきました。さほど広くない展示室の暗がりの中に、ケースに納められた胸像が一つだけ置かれ、スポットライトに照らし出されて四方から見物できるようになっていました。高さ48センチ、王妃にだけ被ることが許された筒形の冠と、胸元に見られる装飾のモダンな色使い、全く左右対称に作られたという整った顔立ちには、アクナートン夫人の高貴な美しさが映し出されていたことをつけ加えておきましょう。

クリスティの香を尋ねて

濱田 ひとみ

 昨年はトーキイ情報を尋ねながら、なんの報告もなしに申し訳ありませんでした。先日イギリスのセーラからスコーン・ミックス(水を混ぜて焼くだけ)が送られてきたので、明治屋でクロテッドクリームを買ってきて、イギリスの紅茶でティータイムをしながら、数藤さんに報告をしていないことに気づき、ご報告させていただきます。
 2歳になる前に海外にでかけると、帰国時に2歳になっていても航空運賃がインファント料金(2割)で行けるので、昨年10月21日から28日まで、デボン州のタビストックに住む親友セーラの家に滞在しました。デボン州といっても広いので、トーキーまでは車で1時間ほどかかるということでした。アッシュフィールドのアガサの生家は残念ながらもう跡形もなく、別の建物に建て替えられて、確か庭の木も切り倒されて、どこだかわからないそうだと、数藤さんに教えていただいて諦めもついていました。しかし、No.59の英国クリスティ協会総会に参加された谷口多美恵さんの報告にあった、トーキイのゆかりの地、ビーチ、洞窟、アガサが寄贈したステンドグラスで有名な「セント・メアリー・ザ・ヴァージン教会」を是非尋ねて、クリスティの香をかいでこようと思っていたのですが、セーラに子供達(彼女の子供が3歳、7ヶ月、私の子供が2歳)を連れてクリスティの香はかげないよと言われたので、それもまた諦めました。ティータイムにスコーン片手に読んで下さい!
カントリーライフのこと
 今回滞在したセーラの家は、ヒースローからバスで4時間、デボン州のExeterまで行って、そこから1時間ドライブの後、Tavistockというとっても小さな田舎町の、そのまた小さなMary Tavyという村にある。TavistockにはMary TavyとPeter Tavyの二つのvillageがあり、Tavy川で区別されている。家の周辺はmow(乾草置き場)ばかりで、昔のmine(炭坑)で潤った村だった。今も炭坑跡が一カ所だけ残されていた。古き良き日の名残のように。
 目の前には羊の放牧。毎日雨が続くのに、どんよりと曇った空を背景に、羊は湿った緑の上、きれいなアイボリー色のフワフワした毛をまとって立っていた。
由緒あるTwo Bridge Hotelでのアフタヌーンティー
 アガサの好きだったデボンシャークリームとスコーンのお菓子とティーのセットをCreme Teaという。デボンシャークリームとイチゴジャムをたっぷりつけて食べるのは最高。そのホテルはTwo Bridgeという町にある。隣の町はPrince Townといい、チャールズ皇太子縁の地らしい。乗馬をするのか、よくこの町を訪ね、Two Bridge Hotelに滞在したチャールズ皇太子の写真がホテルに掲示してあった。まるで軽井沢のホテルのようだ。
 Prince Townといえば、天候がもっとも悪いことで知られており、prisonがあるため、土地の値段はそれだけで安いという。囚人が監獄から抜け出ても、霧などで逃げ切れず、寒さも高じて、監獄に戻るのだそうだ。クリスティの話の中に出てきそう。
家のこと
 セーラの家は200年前に建てられたもの。イギリスの家は古いほど価値がある。200年も前に冷蔵庫というものはない。この家のキッチンには食品庫のような部屋があり、そこの棚には大理石が敷いてある。そこにフルーツなどが並んでいたのだけれど、冷蔵庫替わりに大理石だったとはちょっとした驚きだった。コンロはエレクトリックだったので、うらやましいなと思っていたら、このど田舎にはガスが通っていないとか……。これまた驚き。
お天気のこと
 毎日雨続き。イギリスは過去400年でもっとも多い降水量で、鉄道のレールが水に浸かって交通麻痺状態なのだそうだ。バスは比較的、大丈夫であった。プリマスという港に行ったがその時は晴れていた。いえ、その時晴れていたと思っていた。晴れていたのはプリマスだけで、タビストックは雨だった。とっても信じられない地域である。
バスで4時間の旅のこと
 バスは空港から出ています。ダブルデッカーで、トイレ、喫茶付き。1階は4人がけのテーブル付きで、列車のようにサンドイッチを食べながら、ピクニック気分を楽しめる。バスのスタッフが喫茶の注文を取りに来てくれて、コーヒーを頼んだら、砂糖とミルクはと聞くので、砂糖2杯、ミルクたっぷりと答えたら、ちゃんと入れて持ってきてくれた。シュガーとコーヒーメートをくれる新幹線のコーヒーサービスに比べてサービス度は満点で、コーヒー一杯の値段は60ペニイ(90円)。日本の新幹線のコーヒーはそれに比べて高すぎる!
 トーキイに行かれる時は、是非空港からのバスをご利用下さい。
海を見に行ったこと
 アガサの好んだビーチとはほど遠いけれど、トーキイと同じように海に面しているプリマスを尋ねた。Plymourhは港町として有名だ。1620年メイフラワー号がアメリカに向けて旅立った最後の寄港地で、アメリカとの関係の深い土地らしく、アメリカ人の観光客も少なくはない。古い石畳のある旧市街地と、ホテル等が建ち並ぶ新しい町並みとが対照的であった。
 以上がデボンシャー滞在報告です。アガサの生まれ育ったトーキイには行けなかったけれど、まるでアガサ・クリスティの小説に出てくる村の香を感じることができました。そこに住んでいれば、ミステリーの女王になれそうです。
 私の住まいのある京都には、Pig & Whistleというロンドンのパブのブランチがあり、そこに入るとイギリスの懐かしさを感じられます。インテリアもそのまんま移築したようであり、店内は外人ばかり。まるでイギリスにいるような錯覚に陥ることができ、私のお気に入りの場所です。京都でもアガサの香がかげるんです


クリスティ症候群患者の告白(その30)

数藤 康雄

×月×日 年末にNHK総合でポアロ・シリーズが放映された。TV映画はほとんど観ないのだが、今回「アクロイド殺人事件」だけはしっかり観ることにした。というのも、1920年代に使われていたディクタフォン(口述録音機)が絶対に登場すると考えていたからだ。何回も書いているが、私が熱狂的なクリスティ・ファンになったのは、『アクロイド殺人事件』に使われたディクタフォンをテープレコーダと勘違いしてしまったためである。この際、当時の正しい(?)ディクタフォンを確認する必要があったというわけである。そしてその結果であるが、確かに録音媒体は磁気テープでなく円盤を使っていたものの、えせ専門家の目には当時のディクタフォンには見えなかった。形状がかなり小さかったし(鞄に入らないと困ることはわかるが)、撮影のために特別に作った玩具のようでしかなかった。本当の専門家の意見を聞きたいものである。
×月×日 R・L・スティーヴンスンの『箱ちがい』(国書刊行会)を読む。ホームズ出現の二年後にこのようなミステリーのパロディが書かれていたとはビックリだが、もっと驚いたのは、その本の中にギディアン・フォーサイスの『誰が時計を戻したか?』が登場していたこと。
 実は、WH通信No.55に掲載したトーキマーダの文章(「アガサ・クリスティを賛える」)にこの本が登場していた。文章の冒頭に出てきた未知の作家の未知の作品なので(そしてかすかに記憶のある題名であったので)、編者としては調べて注を付けたかったのだが、ヒュービンの"The Bibliography of Crime Fiction"にあたっても不明で、結局注釈はつけられなかった。
 それが、ギディアン・フォーサイスは架空の作家で、『誰が時計を戻したか?』は「数日間、鉄道の駅の売店を飾っていたと思ったら、これっぽっちの跡形も残さず地上から姿を消してしまった作品」とわかった。つまり『誰が時計を戻したか?』は駄作ミステリーの代表作だったのだ。
 不思議なもので、どんな本かわかったら、かすかに残っていた記憶から、昔読んだ『推理小説の美学』(研究社)に収録されているE・M・ロングの有名な評論「犯罪と探偵」(1926年)の中に『誰が時計を戻したか?』が出ていることもわかった。そうか、1920、30年代の探偵小説ファンなら常識として知っていて当然という本であったようだ。
×月×日 講談社の「青い鳥文庫」のクリスティ作品はうれしいことに売れ行き順調らしく、今回はポアロ物の短編集を出すことになった。短編の選択は一応任せてくれたので、翻訳権が切れているもののなかから私の好きなポアロ物の短編を6本選んでみた。「猟人荘の怪事件」「チョコレートの箱」「首相誘拐事件」「夢」「お庭の手入れはどうやるの?」「マーケット=ベイジングの怪事件」の6本である(題名は今回の新訳による)。皆さんのポワロ物短編ミステリーのベスト6はいかに? なおこの短編集の解説も書いたので(いつ出版されるのか正確にはしらないが、7月頃?)、興味のある人は読んでみてください。
×月×日 日本推理作家協会の会員で、日本バラ協会の会員でもある未知の人から、質問を受ける。それはクリスティの『杉の柩』でトゲなしのバラがトリックに使われているが、バラ仲間でも初心者はトゲなしバラを知っている人は少ないので、クリスティはどこからそのような情報をえたのか? またグリーンウェイ・ハウスの庭にはこのバラが植わっていたか? というもの。
 とても答えられない質問であったので、グリーンウェイ・ハウスの庭は今年中(?)に公開されるので、御自分で確かめられたらいかがですか、ということでカンベンしてもらった。
 その答えだが、実は高津真也氏という人は、「クリスティの夫は西アジアが専門の考古学者、西アジアはバラの原種の宝庫であるから、夫から情報を得たに違いない」と推測しているそうだ。質問者は、その結論は間違いで、クリスティは自分の家の庭にあるバラを見てトリックを思い付いたに違いないと考えたそうだ(というのも、トゲなしバラは英国ではポピュラーなものなので)。まあ、質問者の方が正しいような気がするが……。


ティー・ラウンジ

■昨年のミステリマガジンに、海外ミステリーベスト100の顔ぶれがあまりに古くさいのを嘆く記述がありましたが、こういうときの古典の存在感の大きさというのは、何なんでしようか。『シンプルプラン』や『クリスマスのフロスト』は相当いいと思っても、この顔ぶれの中に入れるのにはちょっと役不足な気がしてしまいます。「オールタイム・ベストを選べといわれれば、どうしても記憶に鮮明に残っている古典が上位に来るのは当たり前じゃないか」と怒っていますが、なぜ古典は記憶に鮮明なのでしょうね。新しい作品は時間の審判を経ていないという懸念でしょうか。それとも"過ぎにし日々はよき日であった"ってことでしょうか?
 先日、八ヶ岳高原ロッジという西武系のホテルに宿泊したところ、そこのロゴがWH通信のロゴとよく似ていました。関係ありや?(阿部純子さん)
■以前「日本のクリスティを探して」という企画があったと思うのですが、たまたまギャラリー・ガイドブックという雑誌に中に「ミュゼ・アガサ」というギャラリーを見つけました。場所は神戸市長田区で、JRの鷹取駅から徒歩2分と記してありました。アートギャラリー・小ホールがあってホールの名前は「アガサ・ホール」となっていました。一度訪ねてみたいと思っています。電話で名前の由来を伺ったところ、「アガサ・クリスティ」の大ファンなので、ということでした。それはそうと真鍋博さんの訃報、新聞で見つけました。ハヤカワミステリ文庫のイラスト、どの刊もとても良かったですね。改めて手持ちの本を手にとって見てみました(新谷里美さん)。
■<マイベスト7>の中にあった『幻の女』。実は私は、その時読んでいませんでしたので、さっそく手に入れて読みました。最後の展開には驚きましたが、一挙に読んでしまいました。入院中の友人にもこの本を一冊まぎれこませて届けたところ好評でした。クリスティの作品だけでなく、新しい世界にも触れる機会となりました(千葉真佐子さん)。
■クリスティは2−3年おきに全作品をいろいろな順番で読んでいます。85号までは私も元気に受け取りたいとは思っていますが、そろそろ残り時間も見えてきました。新しい本にはまったく手をつけないで、好きな本、空想的な物語(リアルでない楽しいミステリやファンタジー系の童話など)がほとんどですが、それを繰り返し読みます。ティー・ラウンジのトップの杉みき子さんは、きっと児童文学者の杉さんでしょうが、初めてのご本『雪の下のうた』から『かくまきの歌』、『さよならを言わないで』、『小さな雪の町の物語』、『小さな町の風景』、『がんぎの町から』など書棚にあります。いつも懐かしくお名前を拝見しています(佐々木建造さん)。
■一昨年ロンドンに行った折り、"Black Coffee"と題するクリスティの1930年にロンドンで上演されたポアロ登場のPlayの「小説」版がペイパーバックで出ているのを買いました。また昨夏ロンドンを訪れた時は"The Unexpected Guest"が刊行されていました。同じペーパーバック版で作者もチャールズ・オズボーン氏でした。
 読後感としては、正直いってPlayはやはりPlayで読むべきで、わざわざNovelにしなくてもよいのじゃないか、このPlayのままで刊行してほしい、と思いました。クリスティの味を出すことは、他の誰にも出来ないし、それのマネしたものを読んでもしょうがない、という感じでした(竹内澪子さん)。
■最近は中3なので、クリスティ作品はなかなか読み進めていませんが、今号でご紹介されたクリスティ関係本の1冊"Agatha Christie,Woman of Mystery"(by John Escott,1997)は、このシリーズの1作目を学校の宿題で読んで読めたので、冬休み中に読んでみようかなぁ、と思っています(ちなみに1作目は"Monkey's Paw"という気味の悪い物語でした)。またNo.59で発表された13年後の終刊!! すごくさみしいけれど、クリスティにあやかって、ということなので、私もそれまでには『カーテン』以外の全作を読んで、憧れの地イギリスに足を運びたいなぁ、と思っています。なので、これからも宜しくお願い致します(月舘希美さん)。
■最近は、近視・乱視だったところに老眼が入り、視野も少し欠けているので、長時間の読書はなかなか……というわけで、ビデオを楽しむ時間が多くなりました。繰り返して見ているのが「書斎の死体」「動く指」「バートラム・ホテルにて」「予告殺人」。ミス・マープル役は、このジョーン・ヒックソンが最高。そしてポアロもデビッド・スーシェがぴったり。「雲をつかむ死」「スタイルス荘の怪事件」の長編も、もちろん面白くワクワクして観ていますが、「クリスマス・プディングの冒険」とか「あなたの庭はどんな庭?」の短編も、イイナ、イイナと一人で喜んで観ています。ミス・レモン役のポーリン・モランが大好きです。
 最近出た作品ではモース警部シリーズやダルグリッシュ・シリーズ、そしてフロスト警部シリーズが面白い。でも、どうしてイギリスのTVドラマのビデオは高いのかしら? アメリカ映画なんて、もう、びっくりするくらいお安いのにね(庵原直子さん)。
■暮れのNHKTVで「エッジウェア卿の死」見ました。同時にカーの旧作『魔女の隠れ家』も再読したんですが、このどちらも面白かったこと。1930年代に書かれたこれらが、今でも、すべてをしのいでオモシロイのは、結局ミステリはクリスティ、カー、クィーンという3Kにとどめをさす、ということなんでしょうね(ただし全作ではない、あくまで30年代初期作のみ――3人とも)。新しいミステリなど、どれも遠く足元にも及ばないです、と再認識しました。この3人はホントに偉大です。感嘆しましたよ、改めて(加瀬義雄さん)。
■WH通信クリスマス号届きました。ティー・ラウンジに私の名前を見つけて大興奮! ありがとうございました。明日はクリスマス、ということで無性に『クリスマスプティングの冒険』が読みたくなったのですが、どうも実家に置いてきたようで見当たらず、関係ありませんが『予告殺人』を読んでいます。クリスマスプティングのイメージが頭を離れず、昨日はラム酒漬けのドライフルーツをたっぷり入れたフルーツケーキを焼きました。今号のクランブルケーキもぜひこのお正月休みに作ってみようと思います (坂元ゆかりさん)。
■WH通信の封筒が届くと、クリスマスが近いという気になります。ところで、朝日新聞に連載中の「三谷幸喜のありふれた生活35」にロンドンで上演中の「ねずみとり」の話が載っていました。私は、三谷幸喜の芝居が大好きです。この頃はなかなかチケットがとれないのと東京公演が多いのとで、観てないんですけど。良質のシチュエーション・コメディが書ける作家は日本ではこの人だけと思います。ぜひ、一度ご覧ください(池葉須明子さん)。
 年末のTVでクイズ番組に出演している三谷幸喜を偶然見ました。「ドイルは何の医者だったか?」という質問を間違えたようでしたが、朝日の連載エッセイは面白いですね(S)。
■メリー・クリスマス! 初めてメールします。いつも手紙を書こうかなあと思っているのですが。「クリスマスにはクリスティを」と、口ずさみながらテレビにかじりつくありさま……。来年こそはなんとか実現させたいものです(塩見友紀さん)。
■クリスティを読み始めた娘につられ、私も読み返してみたら、ずいぶん忘れてしまっています。ボケの始まりでしょうか。でもけっこう新鮮に楽しめてうれしかったです(松原優子さん)。
■去年のクリスマスにイギリス帰りの義兄の家でハロッズ製のイギリス風クリスマス・プディングを食べました。ブランデーをかけて火をつけるとなんともいえず素敵でしたが、味の方は……。ひたすらネチネチモチモチとした食感で、ケーキを食べていると言うよりドライフルーツを練りこんだぎゅうぎゅうの小麦粉団子といった感じでした。しかし、気分は『クリスマスプディングの冒険』でした。イギリス料理というのは林望さんの書くように出し方やセットアップは色彩感覚あふれムード満点ですが味は……?という気がします。でも食後に飲んだウイスキー(BOWMORE)は癖になる味でした。
 ところでグレアム・グリーン原作の『ことの終り』はミステリー好きにはなかなかいい感じのイギリス映画でした。クリスティの作品もこんな風に二ール・ジョーダンに映画化してほしいものです。私としてはミス・マープルもの『スリーピングマーダー』希望ですね(向笠聡子さん)。
■ただ今子育て中で本を読むまとまった時間もなかなかとれず、それでもこの時期『ポアロのクリスマス』を再読しています。ドラマの方では、いまいち(サグデンとその母の関係にどうやって気づいたのか)わかりませんでしたので……。わからないのは私だけ?(広瀬ちえりさん)。
■近所に立派な図書館ができましたので、みなさんのベスト7を見ならって、色々な本を借りています。問題は、アガサ・クリスティほどのめり込めない点です。女のサガか、パズルやナゾ解きに対してあまり魅力を感じず、登場人物の人間性やドラマティックなストーリーがないとタイクツしてしまいます。女性作家の方が、個性を会話に引き出せると感じるのは読みが悪いのでしょうか。ともかく何冊かは楽しい本を見つけられているので、今後も図書館の常連でいきたいと思っています(橋本弥佐さん)。
■いつも届いてから、あら、もうこんな時期に……と思うような幽霊会員ですが、WH通信は歳時記として自分の中に確立していることも実感します(佐藤春子さん)。
■この時期にWH通信が届くのは、とても嬉しい気分です。"クリスマスにはクリスティを"のキャッチフレーズが懐かしいですね(宅かずみさん)。
■私が会誌56号「クリスティとポアロをついでに訪ねる旅」で紹介したパリのティールーム"アンジェリーナ"のモンブランは、死ぬほど美昧でした。このケーキこそ、私にとっての"甘美な死"。こんなのを食べ続けたらデブになり、やがて死ぬことが分かっていても抵抗できないほどの美味しさですが、このケーキは東京でも食べられることを最近知りました。デパート、プランタン銀座の1階にも"アンジェリーナ"というティールームがあり、パリ店と同じモンブランがあります。ウェイターに「パリのアンジェリーナと提携しているのですか?」ときいたら、「はい、僕もパリ店で講習を受けてきました」。そうか、マクドナルドやモスバーガーが世界中にあるように、アンジェリーナもあちこちに有るのだな。で、クリスマスにはWH通信を読み、アンジェリーナのモンブランを頂くことにしています。銀座の舗道を彩るイルミネーションの輝きを眺めながら、死んでも侮いないほどの上等のケーキを頂く気分は格別です。"甘美な死"はチョコレートケーキですが、クりスティ・ファンの私は、ケーキもチョコレートよりクリの方がいいなあ。
 本誌の終刊予告にショックを受けた方がたくさんおいでのようで、土居ノ内さんのお手紙に今号は俳句がないのもその衝撃の故でしょうか。かわりに阿部さんが「ベスト7」のコメントに秀句を添えて下さってますが。私は毎号、土居ノ内さんの俳句を楽しみにしています。次のお手紙にはぜひ小気味良い一句を添えて頂きたいものです。13年先なんてまだまだ、今を楽しもうじゃありませんか。その内会誌の中に俳句のコーナーを設けては如何? 土居ノ内さんは「俳句は一点仰視の世界」とおっしゃっていますが、ミステリーも<犯人は誰か>という一点を凝視する世界。俳句と相性が良いかも知れんゾ。
 大森さんのお母様はクリスティとロス・マクがお好きでしたか。ミステリーの趣味も「一番の謎は人間」という思いも私と同じ。お母様のお手紙が本誌に掲載されたことはあったでしょうか? 教えて頂けるならバックナンバーを読み返してみたいです(泉淑枝さん)。
 No.6(1973年クリスマス号)に「クリスティと老後の楽しみ」というエッセイが掲載されています。そのエッセイの最後は「本を読んでいれば、人に迷惑もかけず淋しくもなく、年を忘れ、私は幸だと神様に感謝して居ります。若い時の苦労は忘れました。クリスティのおかげかもね」で結ばれています(S)。
■WH通信の封を開ける、この快感を失う時がいつか来る。この事実を分かっているのですが、今からもう何となく淋しい気持になってしまうのは私だけでしょうか……。"ティー・ラウンジ"で知り合った見も知らぬ沢山の方々と別れてしまうのが、こんなにもつらく思えるなんて……。「85号終刊」のニュースはやはりショックでした。が……、いきなりWH通信が来なくなるなんて事よりも、やはり知らされていた方が、ショックは柔らげられたと思っています。失礼ながら数藤さんとはTVの画面で一方的に私が拝見したのみですのに。何故か、もうずっと昔からファンの方々とも逢っている様なそんな錯覚をしています。これぞ正にミステリー!! それはこのWH通信に登場の皆様がとても心やさしく、とても暖かなハートで結ばれているような気がします。
   火酒片辺(かしゅうかたへ)佳境に入りし推理本     ひろこ       (土居ノ内寛子さん)
■アルク出版から刊行されている語学雑誌「CAT」(2001年5月号)にファンクラブの特集がありました。わがクラブもEメールのアンケートに答えたので、1/4頁ほどのスペースですが、紹介されています。特殊な雑誌のはずですが、機会がありましたら御覧下さい(S)。
■今年は暇になるはずが、なぜか公私ともに雑用が多く、まったく映画を観ていません。今号の編集はGW中に行っているので、編集が終りしだい観る映画はチャン・ツィイー主演の「初恋のきた道」に決めているのですが、上映館は渋谷だし、5月中旬で終りそうということで、はたして観られるかどうかアヤシイですが……(S)。
■次号には、ちょっと意外性のあるお知らせがあるはずですが、今後もよろしく!!(S)


 ・・・・・・・・・・ウインタブルック・ハウス通信・・・・・・・・・・・・
☆ 編集者:数藤康雄 〒189      ☆ 発行日 :2001.9.15
  東村山市XX町XーXーX        ☆ 会 費 :年 500 円
☆ 発行所:KS社              ☆ 振替番号:00190-7-66325
                        ☆ 名 称 :クリスティ・ファン・クラブ


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