ウインタブルック・ハウス通信

クリスティ・ファンクラブ機関誌

2000.12.24  NO.60

 60歳のクリスティ。この年『予告殺人』を出版。ミステリー作家マージョリー・アリンガムは1950年6月4日付けのニューヨーク・タイムズのブックレビューでこの作品を取り上げ、書評の最後では「クリスティが100冊目の作品を発表するころには聖者の列に加わり、疑いもなくナイチンゲールのような地位を占めているだろう」と予言している。
 それから45年後,集英社版学習漫画の"世界の伝記"では、ナイチンゲールとともにクリスティが取り上げられた。オー、なんとアリンガムの予言が日本で的中したのである! イギリスではどうなのであろうか?(S)。


< 目  次 >

◎ウィーンで見た「アガサ・クリスティとオリエント展」――――――安藤 靖子
◎落ち穂ひろい―――――――――――――――――――――鳥居 正弘
◎戯曲「そして誰もいなくなった」を観て ―――――――――――泉 淑枝
◎クリスティ・ファンのマイベスト<7>(第二回)――――――――大森 朋子・青柳 正文・阿部 純子
◎ミセス鈴木のパン・お菓子教室  第11回 クランブルケーキ――鈴木 千佳子
◎グリルルーム―――――――――――――――――――――丸井 幸子・川端 千穂・海保 なをみ
◎クリスティ症候群患者の告白(その29) ――――――――――数藤 康雄
◎ティー・ラウンジ
★表紙   高田 雄吉


ウィーンで見た「アガサ・クリスティとオリエント展」

安藤 靖子

 筆者の安藤さんは、ミステリチャンネルで放映されたクリスティ・クイズで優勝されるなど、本誌ではお馴染みのクリスティ・ファン。今回はウィーンを訪れて見た展覧会の報告です。オリエント展なので、発掘品を単に展示するだけかと思っていたのですが、安藤さんの報告を読む限り、いろいろ工夫を凝らしていて楽しめるようです。ウィーンまで行けない人はインターネット(おそらくリンク切れ:http://agatha.museumonline.at/agatha/start.htm)でも多少は楽しめます。
 なおこの展覧会は、2000年10月29日から2001年4月1日までスイスのバーゼルでも開催されています(S)。


 今年は、ゴールデン・ウィークを利用して4月27日から5月7日までの日程で、ドイツの三都市ビスバーデン、フランクフルト、ミュンヘンと、オーストリアの首都ウィーンを旅行した。今回ウィーンまで足をのばしたのは、民俗学博物館で4月13日から9月17日まで開催されている「アガサ・クリスティとオリエント展」(以下「オリエント展」と書く)を見学し、オペラ座で本場のオペラを鑑賞し、ハプスブルク家の支配したこの古都を見物したかったからである。
 ミュンヘンからウィーン入りした5月3日は真夏なみに暑い日であった。空港からタクシーで市内の宿、ホテル・アストリアにチェック・インしたのは午後4時近かった。このホテルはシュテファン寺院からオペラ座へ通ずる有名なケルントナー通り沿いにあり、エレベーターや水まわりの設備は旧式だが室内はゆったりとしていて、おまけにとても静かである。オペラ座に近いので、日本でもなじみの深いオペラ歌手、カレーラスやパパロッティもよく利用しているらしく、入り口にはホテルのスタッフが写した彼らの写真が額入りで飾られていた。
 かつてハプスブルク家の居城であった旧王宮に隣接する建物、新王宮の中に民俗学博物館があり、その一階で「オリエント展」が開かれている。ホテルから会場まではリング・シュトラーセと呼ばれる環状道路沿いに歩いて15分位である。暑さのため、新王宮前のヘルデン広場では、タンクトップ姿で芝生に寝そべって日光浴を楽しんでいる若者たちが目についた。春先の服装で出かけてきた私は、博物館の重厚な扉を開けて中に入ったとたん、ひんやりとした空気を頬に受けてほっとした。
 ジャネット・モーガン著『アガサ・クリスティーの生涯』によると、クリスティの二度目の夫であるマックス・マローワン氏の父方の祖父はオーストリア人で、かつてはこのウィーンで製粉所のオーナーとして成功したのだが、火事がもとで一家は没落しマックスの父はイギリスに移住して生涯そこを離れなかったという。このことからもマローワン氏にとってウィーンは縁の深い土地であることがわかる。会場入り口で入場料80シリング(約500円、「5.81ユーロ」と併記されている)を払って中に入ると、展示室へ向かう通路の前はソファーが置かれて応接室のようになっており、壁一面の大きな書棚にはクリスティの作品が並べられていた。ここはBritish Book-shopという書店の展示即売会場であった。店番の若い女性に「混んでいますか」と声をかけたら、「この天気なので入りはよくありません」とのこと。雨でも降れば混むのだろうが……。
 ここを通り過ぎると、突き当たりの壁にプロジェクターで展示品のいくつかが次々に映し出されていて見学者の関心を引くようになっている。左に折れて少し行くと展示室の入り口があり、最初の展示ケースの中には右手を頬に当ててほほえんでいるクリスティの写真(アンガス・マクビーン撮影)と、その下に彼女が使ったトランクが置かれている。濃緑のトランクにはいくつもシールの貼られたあとが残っていて、偉大な旅人としてのクリスティがしのばれる。
 正面にはシンプロン・オリエント急行とタウルス急行の宣伝用ポスターが数枚と、ツアーの元祖トマス・クック社の「エスコート・ツアー」のポスターが貼られていて眺めているだけでも旅心がかきたてられる。さらに、額入りのイスタンブールのパノラマ写真やオリエント・タウルス急行の走行地図とともに、イラクの発掘現場付近を示すイラストの地図や、タウルス急行の行き先を表示した古いプレートの展示もあって興味深い。この展示方法には入場者を旅行者にみたててオリエントの旅へと誘う意図がうかがえる。ここから右手にある狭い通路へと進んでいくと、その壁には中東の地図と並んで主催者トランプラー博士(英国クリスティ協会員)のコレクションによる『オリエント急行の殺人』の各国語版が七段にわたって展示されていた。本は全部で35冊あり、その中には真鍋博氏が表紙をデザインしたハヤカワ文庫のもの、私が大連で購入したのと同じ英語版をはじめとして、上海で見つけ博士に贈った中国語版も上から四段目の右端に展示されていて感激した。この本とはほぼ一年ぶりの対面である。35冊のカラフルな表紙は、中国語版と同様に汽車を描いたものが多かったが、その他にもいろんなデザインがあって見ているだけでも楽しめた。
 さて、いよいよオリエント急行に乗込んだというムードになるのが次の展示である。ランプのあるテーブルにロゴマーク付きの皿やグラスが並べられた食堂車、コンパクトな洗面台とソファーベッドのあるコンパートメント、映画ではジャン・ピエール・カッセルが演じた車掌が着ていたのと同じユニフォームが等身大の人形に着せられている。照明を絞ってあるので暗いのが気になるが、耳を澄ますとどこからか汽車の走る音が聞えてきて演出効果も充分である。通路を通り抜けるとそこは映画「オリエント急行殺人事件」の舞台になっていた。1974年シドニー・ルメット監督のもとオールスターキャストで制作されたこの映画の撮影風景がスライドで紹介されている。ポアロを演じたアルバート・フィニーや、ショーン・コネリーのポートレートとともに出演者一同のなごやかな集合写真もあった。向い側にはカメラや照明器具を前にして、背もたれに俳優や監督の名前のはいった布製の椅子が扇状にならべられ、さながら撮影現場に足を踏み入れたようである。映画の一場面からの録音も聞えてくるので、何度も見たこの映画を懐かしく思い出しながらさらに進んでいくと、いよいよ「オリエントの間」へ到着である。
 広い展示場内は私と夫のほか2−3人の見学者がいるだけで閑散としていた。おかげで、ゆっくりと静かに見学できてよかった。入り口から一見したところ、場内はモノクロームの世界で、色といえば中央のショーケース内に堂々と展示された遊牧民の民族衣装の赤だけである。映画「ナイル殺人事件」でユスチノフが着た背広も、タオル地のガウンも白である。しかし、「オリエント急行殺人事件」で女優が着た衣装のデザイン画は、かなりラフなデッサンだったが絵の具で彩色されていて印象深かった。実物の展示があるものと期待していたので少なからずがっかりもしたのだが……。場内にはガラスの展示ケースが縦三列に並び、展示品の説明がドイツ語と英語でそれぞれに記されていた。古代エジプトを舞台にした『死が最後にやってくる』の初版本が展示され、その上のボードにはこの作品が書かれるに至ったいきさつの説明があった。マローワン氏の友人、スティーブン・グランビル氏の勧めによるもので、ストーリーはニューヨークのメトロポリタン美術館のエジプト調査隊による発掘で発見された、第十一王朝時代の手紙からヒントを得たというものである。本を見て、「オリエント展」のパンフレットに印刷されているのはこの初版本の表紙の絵だということに気がついた。エジプト関係では、トランプラー博士が出品した戯曲『アクナートン』の初版本と、アクナートンの妃、ネフェルティティの胸像(ベルリンのエジプト博物館所蔵のものか?)も展示されていた。
 1933年、夫マローワン氏に捧げられ、翌年出版された『オリエント急行の殺人』については氏の『回想録』からの文章が引用されていた。ニムルドの発掘現場については『自伝』からの文章の引用があり、クリスティ自身がカメラで撮影した現場や現地作業員の写真が10点ほど展示されていたが、いずれも白黒で、時代を感じさせる。私はクリスティが使用した2台の古いカメラの前からしばらく離れられなかった。現在私たちが手にするようなポケットサイズではなく、かなり重そうで、特にライカ製のものはガッシリした革張りのケース付きで、博物館で展示されるにふさわしい貫禄をそなえていた。考古学者マローワン氏の手助けをしながらも彼女は作品を書きつづけた。黒くて、見るからに重厚なタイプライターは、ライカのカメラ同様、ワープロやパソコンを使用する現代人には骨董品のように見えることだろう。マローワン氏自身による、出土品の壷、土偶(?)、剣のスケッチや、自筆のノート、金銭出納帳や遺跡の発掘許可証などは、はじめて目にしただけに印象が強かった。展示室の一番奥にはテレビがあり、発掘現場で作業員たちと談笑しているクリスティの様子がめずらしくカラービデオで紹介されていた。室内には民俗楽器の演奏による音楽につづいて、クリスティの高い声とマローワン氏の静かな声が流れていた。どちらも何かを読んでいるような感じであるが、残念ながら内容はさっぱりわからなかった。しかし展覧会全体をとおして、オリエントで二人が共有した世界を、目だけでなく耳からも伝える工夫がこらしてあることはよくわかった。
 見学の記念に入り口の書店で昨年出版されたばかりの本、Martin Fido著 "The World of Agatha Christie" を買った。写真がふんだんに盛り込まれ、見開き2ページに一項目ずつ見出しが付けられていて、彼女のすべてが容易にわかるように編集されている。ちなみに、「趣味と教養仕上げ学校」のページを見ていてクリスティとオーストリアの関連をひとつ発見したので披露することにしよう。彼女のピアノの先生は遊学した国、フランスの人ではなく、終始一貫してドイツ人とオーストリア人だったそうである。
 この旅から帰って2週間あまりがたった5月23日、ジョン・ギールグッド氏の訃報に接した。映画「オリエント急行殺人事件」で執事ベドウズを好演していたその姿は、オリエント展のスライドでも見ることができた。昨年のヒクソンさんの訃報につづき、クリスティ・ファンにとっては大変悲しいニュースである。謹んで御冥福をお祈りいたします。


クリスティの中のシェイクスピア

落ち穂ひろい

鳥居 正弘

 世界中の総発行部数でいうなら、クリスティとシェイクスピアは、世界一、二位を競うライバル作家です。しかしクリスティは当然のようにシェイクスピアを愛し、数多くの台詞を作品に引用しています。
 このエッセイは,クリスティが引用したシェイクスピアの文章を丹念に調べています。鳥居さんは、「ドイルの主な短編を読んだあと、女史の作品を初めて読み出したのが1959年10月。その時の作品が『スタイルズ荘の怪事件』でした」という年季の入ったクリスティ・ファンのようですが、シェイクスピアに関する知識の豊富さには驚かされます(S)。


 アガサ・クリスティ女史の作品を読むと、『新版アガサ・クリスティー読本』に紹介されているように、女史もほかの英国作家のように――例えばMacbeth,X,v,19-28の10行の中から、近代の作家15名が、それぞれ作品の題名をとっている――おりおりに、シェイクスピアを引用し、題名をとり、そして触れている。英語を学び、英国の作品を読む者にとって、ぜひ素養を積んでおかなければならないといわれているシェイクスピア。今後この点に留意して、間口を広くして、女史の作品を味読したいと思っています。先ず手始めに、今までにわかっていることを、2例を除いて、簡単に出典を整理してみました(出典の行数は研究社版によっています)。
(1)『クリスティー読本』に触れられていないもの
@ 『スタイルズ荘の怪事件』10章:Hamlet V,i,56(有名な第三独白の冒頭をもじったもの);『七つの時計』4章:cf.Hamlet,T,ii,185 "in my mind's eye",16章:cf Hamlet,T,iii,50,"the primrose path of dalliance",29章:Hamlet,T,ii,232 "more in sorrow than in anger";『青列車の秘密』36章:Twelfth Night,U,iii,44,"Journeys end in lovers meetings"(小田島訳は「旅の終りはきみ慕う」);『死との約束』エピローグ:Hamlet,W,v,23-26とHamlet,W,v,29-32さらにCymbeline,W,ii,258-261;『動く指』8章:Sonnets 75;『オリエント急行の殺人』1部7章、2部6章、3部3章;『アクロイド殺し』12章に次のくだりがある。"Providence," declared Mrs.Ackroyd. "I have a devout belief in Providence - a divinity that shapes our ends, as Shakespeare's beautiful line runs"(最後のところの邦訳「……シェイクスピアが美しい詩にうたったように……」)。この出典は、Hamlet,X,ii,10-11の"There's a divinity that shapes our ends,/ Rough-hew them how we will ―" ハムレットが親友ホレーシオに語りかけているくだり(台詞)に出てくる。英語・英文学の権威、元東大教授の故人市河三喜、斉藤勇両博士の訳を参考のためにみると:
 「ハムレット  ……実際、われわれがいくらぞんざいに荒削りにして置いても、神様がそれ   をちゃんとうまく仕上げて下さるということを、つくづくと教えられるね。
  ホレーシオ  確かにその通りです」(岩波文庫、市河三喜・松浦嘉一訳)
 「我々がいかに荒削りをしようとも、神は我々の目的通り仕上げて下さる」(斉藤勇訳)
  ついでながら、世界に1500万部以上今まで売られているといわれるDale Carnegieの"How to win friends & influence people"(邦訳『人を動かす』)の第3部第1章にこの有名な2行にまつわる参考になる話しが載っている。
A 『自叙伝』:4例。その中『春にして君を離れ』:Sonnets 98。なおこの本の邦訳「14行詩の冒頭」とあるのは「14行詩98の冒頭」と要訂正。邦訳296頁にシェイクスピアの「リチャード3世」にふれたあと、「悪よ、おまえはわが善となるべし」という引用句の訳文があるが、これはMiltonのParadise Lost W,110 "Evil, be thou my good"が出典と思われる。
(2)『クリスティー読本』の整理
@ P.116『春にして君を離れ』(上記);P.195「ねずみとり」:Hamlet,V,ii,247(ここでmouse-trapというわけは、これを係蹄に王の良心を捕えようという謎といわれる)。この文の筆者ドロシイ・B・ヒューズは出典をHamlet,V,ii,232としているが、別のTextによっていると思われる。私の持っているDeighton版はV,ii,131。なおこの筆者はRomeo and Juliet,W,iii,14-16とMeasure for Measure,V,i,122-123を加えている。
A 小百科事典 5例。その中『カーテン』:Othello,V,iii,165-167とV,iii,330-333、『杉の柩』:Twelfth Night,U,iv,52-53
B 著作リストの『親指のうずき』の解説:作品からもわかるとおりMacbeth,W,i,44-45の"By pricking of my thumb / Something wicked this way comes"が出典。この第1行の詳注シェイクスピア双書の注釈は「私の親指がむずむずするところを見れば」、また坪内博士他マクべスの邦訳は「指がぴくぴくするところをみると」、「……むずむずする……」、「親指がちくちく痛む」といったたぐい。ただしこ句の意味がもう一つのみこめないため、調べてみると「リーダーズ英和」はこのマクベスの成句を引用して「虫の知らせで」とある。Oxford English Dictionary(OED)はこの成句の意味を次の通り説明:"an intuitive feeling or hunch, a premonition, a foreboding"。ロングマンのイディオム辞典にも同様の解釈が示してあるとのこと。この「リーダーズ英和」の訳文は日本語として、妥当な訳として、OED等を参照して、簡潔に意訳したものといわれる(ここの後半部分は研究社に念のため尋ねてみたところによる)。なお「身体の不意の痛みを事件の前兆とする昔の迷信」と注をふして「親指がきりきり痛む」と訳されているものもある。

 いずれにしても、英語・英文学科の学徒ではなかった素人の身、シェイクスピアの参考書といっても、今まで時間をかけて集めたとはいえ、研究社の英米文学叢書(詳注シェイクスピア双書を含む)は全部、その他若干の参考書程度しかなく、したがって多くは望めないと思われるので、女史の作品を読む楽しみに加えて、作品に出てくる引用句などを更に一つでも二つでも、その出典までさかのぼって拾うことが出来ればと楽しみにしています。


戯曲「そして誰もいなくなった」を観て

泉 淑枝

 戯曲「そして誰もいなくなった」の日本での初演は、1963年に東横ホールで行われた「十羽の烏」のはずです。今回の上演がそれから何度目なのか調べていないのですが,作家の筒井康隆氏が判事役を演じていることで記憶に残る公演となったことは確実でしょう。
 実は私は観てないのですが、データ的なことを書いておきますと、この劇は、2000年6月24日〜7月2日まで、天王州アイルのアートスフィアで上演されました。演出は山田和也で、主催はテレビ東京・大東新社でした(S)。


 雨宮良君主演(フィリップ・ロンバート役)の「そして誰もいなくなった」のチケットをゲットして観てきました。
 さて、その「そして誰もいなくなった」ですが、特定の劇団の公演ではなく、寄せ集め(なーんてハッキリ言ってしまっては申し訳ないようだけど)のタレントさんたちによる公演です。ヴィラ・クレイソーン役を藤谷美紀、元警部ブロアを東野英心、老婦人エミリー・ブレントを長内美那子が演じており、私の知っている役者さんはその位。一番異色なのは判事ローレンス・ウォーグレイブを時には役者もやる筒井康隆が演じていることです。主役の藤谷美紀や雨宮良を観にきた人より、筒井康隆を観にきた人のほうが多かったのではないかな。
 で、公演を観ての感想ですが、全3幕のうち1幕目は椅子からズリ落ちそうな格好になってグウグウ眠りこけてしまったし……、あんまり申し上げるべきことも資格もないんですよね。トホ。だって、全3幕といっても暗転して休憩が2回挟まるだけで、装置はまったく変わらず、殺人はみな舞台の外で起こるんですから。誰かが見えなくなると誰かが下手か上手へ探しに行き、「大変だあ、死んでいるぅーっ」と叫びながら舞台上に駆け込んでくる。その繰り返しです。それで10人のうち8人がいなくなり、残った2人が結ばれてオシマイ。
 クリスティの戯曲版と同じだから文句言いにくいんですが、全員がいなくなってしまうから不思議で不気味なのに、2人残るのはマズいですよね。どうしても2人残すのだったらタイトルを変えませんと。しかしタイトルを変えたら、観客は誰もいなくなるかもしれませんなあ。学芸会とか、どうしても何か舞台上でコナさなければならない時にこの脚本は便利かもしれない。一人、また一人と舞台から消え、消えた順に楽屋で弁当など食べられますから。
 クリスティの同作を下敷きにしたらしい「タタリ」という米製ホラームービーを試写で観ました。ジョエル・シルバーとロバート・ゼメキスが設立したダークキャッスルというホラー映画専門のプロダクション製作の第一弾作品です。これは結構面白かった。途中、やっぱり寝ましたけれど……。寝るのは仕方ないです。いくら名作といっても何回も何回も映画化されており、その殆どを観てるワケですから、嗚呼、長生きは不幸だなのではなく、似かよった凡作を物好きにも数多く観過ぎたことが不幸なのでしょうね。まっ、いいさ。どうせヒマですから。毒を食らわば皿までの諺もありますし。この映画でもヒーローとヒロインの二人だけ生き残ります。ヒロインが生き残る理由はクリスティの戯曲と同じですが、ヒーローの生き残る理由が少し面白い。どうして生き残るか、興味のある方だけ映画館でご確認下さい。映画館で観損なった方は、ビデオかTVででも。


クリスティ・ファンのマイベスト<7>

(その2)

大森 朋子・青柳 正文・阿部 純子

 クリスティ・ファンのマイベスト<7>の初登場は、WH通信No.58でした。EQ誌に掲載できなかった原稿を使ったのですが、これが大好評。さっそく続編を企画したというわけです。
 大げさにいえば、この種の原稿は、書いた人のミステリー人生が凝縮されています。それが非常に面白い点ですが、ミステリー・ファンなら、誰でも書けると思います。今後も継続する予定ですので、ぜひ原稿をお寄せください。コメントは200字という制限のみ(あと、できればクリスティ作品は最低一冊入れてください)。よろしく! (S)


大森 朋子

1 『闇からの声』(創元推理文庫) イーデン・フィルポッツ
2 『耳すます家』(別冊宝石) メーベル・シーリー
3 『そして誰もいなくなった』(早川ミステリ文庫) アガサ・クリスティー
4 『僧正殺人事件』(創元推理文庫) S・S.・ヴァン・ダイン
5 『ウィチャリー家の女』(早川ミステリ文庫) ロス・マクドナルド
6 『怪物』(早川ポケット・ミステリ) ハリングトン・ヘクスト
7 『幻の女』(早川ミステリ文庫) ウィリアム・アイリッシュ

 「究極のミステリーは人間そのものね」と母は云ったものです。結末を見、やおら第一頁から、これが母の流儀でした。クリスティに心酔し、R・マクドナルドを愛した母は、この三月亡くなりました。八十八まで生きた人のBest7。聞いておけばよかったと悔やまれて、昔語りをたぐり寄せてのメモリアルBest。あの世とやらで娘の感傷を一笑に付しているでしょう。
 ちなみに母はファンクラブ当初からのメンバーでもありました。


青柳 正文

1 『ファイル7』(早川ミステリ文庫) W・P・マッギヴァーン
2 『レアンダの英雄』(早川ポケット・ミステリ) アンドリュウ・ガーヴ
3 『代価はバラ一輪』(社会思想社文庫) エリス・ピーターズ
4 『わが子は殺人者』(創元推理文庫) パトリック.・クェンティン
5 『貴婦人として死す』(早川ミステリ文庫) カーター・ディクスン
6 『フレンチ警視最初の事件』(創元推理文庫) F・W・クロフツ
7 『葬儀を終えて』(早川ミステリ文庫) アガサ・クリスティー

 若き日に 熱血感じた『ファイル7』、男らしい 生き方に憧れた『レアンダの英雄』、ラストシーン 何度も読んだ『代価はバラ一輪』、巻を置く こと能わなかった『わが子は殺人者』、HMの 人情に泣いた『貴婦人として死す』、人柄も 話も良かった『フレンチ警視最初の事件』、忘れない あの場面あの言葉『葬儀を終えて』。


阿部 純子

1 『Yの悲劇』(創元推理文庫) エラリー・クイーン
2 『喪服のランデヴー』(早川ミステリ文庫) ウィリアム・アイリッシュ
3 『興奮』(早川ミステリ文庫) デイック・フランシス
4 『5匹の子豚』(早川ミステリ文庫) アガサ・クリスティー
5 『笑う警官』(角川文庫) マイ・シュヴァール、ペール・ヴァールー
6 『薔薇の名前』(東京創元社) ウンベルト・エーコ
7 『骨と沈黙』(早川ミステリ文庫) レジナルド・ヒル

 10歳の『奇巌城』に始まる30数年間のミステリー人生を思い返して、読んだ時の熱中と興奮が今なおまざまざと実感される作品を、読んだ順に並べました。何歳のどんな時期であったか、その季節、世の中の出来事までが、ポケミスや文庫・ハードカヴァーの手触りとともに鮮やかに蘇ってきます。我ながらロマンチストなのがよく分かるラインナップだ。
   「春の暮れ窓辺の読書きりもなし  純子」


ミセス鈴木のパン・お菓子教室

第11回 りんごのクランブルケーキ

鈴木 千佳子

 本誌では私の"告白"に次ぐ長期連載となっています鈴木さんの"パン・お菓子教室"ですが、今回は、久しぶりに原稿ばかりでなく、現物も送られてきました。
 さっそく編者の特権で賞味させてもらいましたが、カリカリッとしたクランブルの歯ざわりが絶品で、我が家では大好評でした。
 ぜひ試してみてください(S)。


はじめに
 "クランブル"には、粉々に崩れる(崩す)という意味があります。粉とバター(ラード)と砂糖を混ぜ合せ、それをまた崩して上面に散らしたケーキやパイをイギリスではよく作るそうです。最近は、近所のパン屋さんで、パンの上にクランブルを散らしたものを見かけることもあります。  昨年まで、ほとんど実がとれなかった庭のあんずに今年はこぼれんばかりの花が咲き、2kgの収穫がありました。そこで前々から作りたいと思っていたあんずのクランブルケーキを焼いてみました。膚寒さの残る日だったので、焼きたてが何ともいえぬおいしさで大好評でした。これは冬号のレシピにぜひ、と思ったのですが、今あんずは手に入らないので、紅玉で作ってみました。缶詰のあんずでもできますが、フレッシュのおいしさには勝てません。あんずの出回る時期に、ぜひ一回挑戦していただきたい一品です。
材料
クランブル

バター 40g
きび砂糖 30g
薄力粉 40g
アーモンドスライス 40g

その他

あんず 200g
紅玉 1個
バター 50g
きび砂糖 40g
1個
薄力粉 80g
B.P. 小さじ1杯
ひとつまみ
牛乳 15cc

作り方
1. クランブル生地を作る。
バターをクリーム状にし、きび砂糖をすり混ぜる。ふるった小麦粉とアーモンドプードルを加え、へらでさっくり合わせる。粉気がなくなったら、バットにパラパラほぐしながら広げてのせ、冷凍庫で冷やす。
2. 紅玉を洗って4つ割りにし、しんをとる。1〜2mm厚にスライスする。
(あんずは洗って皮をむき、2つ割りにして種をとっておく。)
3. ボールにバターを入れ、ハンドミキサーか泡立て器でクリーム状に立てる。きび砂糖を2回に分けて加え、混ぜる。次に、割りほぐした卵を3回に分けて加え、混ぜる。
4. ふるった粉類を2回に分けて加え、へらで切るように合わせる。粉気がなくなったら、牛乳を3回に分けて加え、なめらかな生地にする。
5. バターをぬったパイ皿に4.をのせ、ドレッチなどで平らにする。スライスしたりんごを重ねながらきれいに並べる。
(あんずは切り口を上にして並べる。)
6. クランブルを冷凍庫から出して、上面にパラパラと散らす。予熱しておいたオーブンに入れ、180度で20分、160度で10〜15分焼く。竹串を刺して何もついてこなければ、でき上がり。


グリルルーム

テー・ラウンジには収まりきれないお手紙の公開です。うれしいことに3通も届いています。今後もお気軽に投書をお願いします(S)。


クリスティと私

丸井 幸子

 私はWH通信を購読させて頂いておりますが、数藤様には私を「幸」にして下さる贈り物を届けてくれる方として感謝しております。年二回と言わず、もっと多くWH通信を読みたいと思っております。
 私はクリスティを読み始めて二十五年ほどになりましたが、その間にあったいろいろの悩みも苦しみも、クリスティのおかげで乗り越えられたと思っております。彼女の人間分析は適確であり、非常に勉強になりましたが、と同時にクリスティの人生をもかいま見る思いがして、時々は悲しくせつない思いもこみあげてくる時もありました。私は、その後遺症として人を見るとすぐ人間分析をする癖がついてしまい、ついつい人間博士になったような錯覚に陥ってしまうことがあります。
 先日古書店に参りましたら、次の本を見つけました。『漂う提督』(The Floating Adminal)のタイトルで出た本で、クリスティの所属する英国の「探偵クラブ」が複数の作家で一編のミステリーを書き上げたという本です。この本においてクリスティは第4章のみを担当しているわけですが、その1章が彼女の特徴を如実に現しており、と同時に孤立しているのです。第5章以降を担当した作家達は彼女の描写法およびその人物像を踏襲することなく、自分達の方法で話しを進めているのです。結果として彼女の章は浮いてみえるのですが、そんな所においてでも妥協しないクリスティの人生の生き方を範とすべきか、反面教師とすべきか、二十五年めにして考え込んでいます。またその特徴こそがクリスティを成功せしめた最大の要因であることもわかります。以前はクリスティと聞いただけで心踊らせておりましたが、最近はまた違った方向から読むことができております。最近は英語でクリスティを読むこともありますが、クリスティの言葉の遊びについていけず、理解が充分でありません。しかしクリスティの優雅な言葉づかいはなんとなく解り、これを普段の英会話で利用すべく勉強しております。そこでもし宜しかったら、この通信を通じて「クリスティを英語で」という仲間ができたらと望んでおります。くれぐれもお断りしておきますが、私は教えて頂く立場になりたいと思っております。どなたか私の「クリスティを英語で読む」先生か、仲間になってください。よろしくお願いします。


スーシェのショート・インタビュー

川端 千穂

 すでにご存知かもしれませんが、6月23日(金)の夜11時からの「BS23」(BS7ch)というニュース番組の中で、D.スーシェのスタジオインタビューがありました。「アクロイド殺人事件」のTV化の宣伝のため来日していたようで、「アクロイド・・・」の簡単な紹介(できあがった映像を映しながら)を含め10分弱の内容だったと思うのですが、残念ながら、頭の数分をビデオに録り損ねてしまいました。
(アクロイド殺人事件の映像が映っていて、そのナレーションの途中から)……引退し、イギリスの小さな村でトウガン作りに励むポワロ。村一番の資産家、アクロイド氏が殺され……、ポワロは、お得意の小さな灰色の脳細胞をフル稼働させて、事件を解決へと導きます。
(次から、インタビュー内容)
司会者:「アクロイド殺人事件」というのは、代表作ということでですね。撮影前、若しくは撮影中に特別に意識した点はございますか?
D.S.:この質問には慎重に答えなければいけませんね。種明かしになると困りますから。ストーリーについては触れない方がいいでしょう。本当に独創的な物語なんです。内容もとても面白いんですが、ここでその話をしちゃうと、犯人へのヒントを与えることになるかも知れない。んー、やっぱりやめておきます。(笑)
司会者:アガサ・クリスティーの最終作「カーテン」までですね、スーシェさんはこのポワロ役を演じ続けることになりますか?
D.S.:「カーテン」はとても素敵な話です。でもポワロは死んでしまうんです。悲しいですねえ。彼の死は、ニューヨークタイムズの一面に載った程の大事件でした。ポワロはそれだけ有名なんですねえ。私は、ポワロが登場する全ての事件を演じ、シリーズを完成させたいと思っています。実現したら素敵でしょうねえ。でもまだ22話も残っているんですよ。
司会者:スーシェさんにとって、「ポワロ」というのは何ですか?
D.S.:素晴らしい質問ですねえ。私にとって、ポワロは多くの事を意味します。'88にポワロ役を初めて演じた時、こうして東京に来てインタビューを受けたり、ポワロのシリーズを見てくれている人々に会えるとは、思ってもみませんでした。だから私にとって「ポワロ」とは、世界への道を開くプライベート・パスポートのようなものです。私もポワロも世界中の人々に会うことができ、ポワロは、「ハロー」と挨拶を交わすチャンスを与えてくれたんです。
司会者:今日はどうもありがとうございました。
D.S.:Thank you very much.
 それにしても、「かぼちゃ」ではなく「とうがん」とは!


日本語訳だけにある楽しみ

海保 なをみ

 先号掲載の、例のウンコ本もしくはゲロ本(?本の雑誌。あら、ゲロのほうは創作かしら)とも称すべき不愉快な本の、こちらは気持ちよく読めてすっきり納得できる林さんの書評を拝読いたしました。<本書の最大の欠点であり致命的なところは、アガサ・クリスティ自身がそこにいないこと>なんて、ほんとうにうまいこと言わはりますなあ。林さんは原本にあった取り柄の著作リストが訳本にはないことを指摘されていますので、原本にはなくて訳本にだけある、うなずきつつ気持ちよく読めるところを喜んで読んだ者がここにいたことを言わせてください。みなさまもうとっくにご存じとは思いますが、「訳者あとがき」です。
 林さんもおっしゃるように<作家は作品のみで評価されるべきだ>を活字にしたような本、『鏡の中のクリスティー』と『アガサ・クリスティーの真実』を著されている訳者の中村妙子さんがあとがきで、<「さあ、それはちょっと」と保留条件をつけたくなるところ>にいくつか反論されていますね。日本語訳の読者にだけ許された贅沢を楽しむには、しかし、ウンコ本に金を出さねばならぬ。このジレンマにお悩みの方には人からまたは図書館から借りるという手があります。掟破りのインターネット隆盛の折から、原本の著作リストと訳本の訳者あとがきだけ勝手に流すという手もあるよなあ、と大きな独り言(そういうことをすると本の売り上げが増えず、原著者やクリスティとつけば売れるから何でも出せという出版社にはザマアミロですが、訳者には申し訳ないことになる……そうだ、この訳者あとがきをただ読みした人は、もしまだ買っていなければかわりに必ず『鏡の中…』と『…の真実』を買うことにしましょう。前者の版元は早川書房、後者は新教出版社です)。当方ケチで横着者の中年オバンゆえ、ホームページを作ったりネットサーフィンをしたりする気力体力金力が不足しております。どなたかそのような結構なものを作成もしくは発見されたら、ぜひこの会報にてお知らせくださいね。どうぞよろしくお願いいたします。


クリスティ症候群患者の告白(その29)

数藤 康雄

×月×日 作家兼イラストレータの桜井一さんが亡くなったのは先号に書いたが,その桜井さんの遺作『今夜も月は血の色』(幻冬舎)を読む。今年の3月に出版されたようだが、日本のミステリーはあまり読まないので、最近まで知らなかった。短編2本に標題作の未完の長編から構成されている。
 桜井さんの作品としては平均作といったものだが、もっとも興味深かったのは、作家の内海隆一郎さんが巻末に書いていたエッセイ「追悼――街で出会った男」だ。桜井さんの処女作『男たちは北へ』の生原稿を最初に読んだときの驚きなどが記されているが、桜井さんの印象を「まもなく桜井さんのことが分かってきた。彼は世にも稀なほど人見知りが激しく、幼児のように恥かしがり屋なのだった」と書いているからである。
 私が桜井さんに会ったのは4回ほどである。それも一対一で会ったのは、粘土作りのインディアン島を清瀬の仕事場にもらいにいった1回きりしかなかったが、桜井さんが「世にも稀なほど人見知りが激しく、幼児のように恥かしがり屋」なのはうすうす感じていた。
 ご存知のようにクリスティは大の恥かしがり屋である。私の知っている数少ない作家の共通キーワードが「恥かしがり屋」であるとは! 
×月×日 某出版企画会社から、"The World of Agatha Christie"(By Martin Fido)が翻訳するのに適した内容であるかどうかの相談を受ける。昨年の秋からは引越し準備などで忙しく、うかつにもそのような本が出版されていることを知らなかった。
 さっそくAmazon.comで調べてみると、書評は★一つ。クリスティ・ファンは買うべきでないなどとコメントしている。どうもあまり芳しくない内容のようで、そのためか出版情報を見逃していたのかもしれない。
 早速注文したのだが、それが届く前に某出版企画会社からコピーが送られてきた。一テーマを見開き2頁にまとめている構成で、写真も豊富でそれほどヒドイ内容ではなかったが、確かにクリスティはナチに好意的であったとか、余計なことが書いてある。これは、著者が一九世紀の文学・社会に関する専門家であって、クリスティの研究家・愛好家でないためのようだ。
 まあ、そのようなことを相談者には電話で話したのだが、相手の態度は翻訳をあきらめるような感じであった。本当はどうなったのであろうか?
×月×日 上記のようなことがあったので、引越し後の本整理が一段落したところで、Amazon.comでクリスティ関係本を検索してみた。ところが出るわ、出るわというわけで、早速何冊か注文した次第。とても全部は読めないが、英米では相変わらずクリスティ関係本がよく出版されている証拠としてリストアップしておこう。
(1)"Who Killed Roger Acroyd?"(by Pierre Bayard,2000)
 著者は大学教授で心理分析医という肩書きを持つフランス人で、もともとはフランスで出版された。クリスティが書いた『アクロイド殺し』の犯人は、実はXXXだというもの。この結論は意外性があるし、かなりの説得力もある。どうやら翻訳されるらしいが、クリスティ・ファンには一読の価値あり、といっておこう。
(2)"The Life and Crime of Agatha Christie"(by Charles Osborne,1999)
 初版は1982に出版された。今回は増補版だそうで、購入しようかどうか迷ったが、結局買ってしまった。初版とは詳しく比較していないものの、多分テレビ化などの記述が増えた程度ではないかと思われる。資料的価値は高いが基本的内容はそう変わらないので、初版を持っている人はわざわざ買う必要はなさそうだ。
(3)"Agatha Christie,Woman of Mystery"(by John Escott,1997)
 40頁強の小冊子。クリスティの生涯が簡潔にまとめられている。Oxford Bookwormsシリーズの一冊。主に基本単語700語で書かれているので、英語の出来ない私でも辞書なしで読むことができるという中高校生向き(?)の本。
(4)"The Lost Days of Agatha Christie"(by Carole Owens,1995)
 著者は臨床ソーシャルワーカーで心理セラピスト(家族や結婚に関する)。前書きだけしか読んでいないが、心理分析的手法を用いてクリスティ失踪の謎を解明しようとしたもののようだ。ちょっと面白そうだが、これまで評判になっていないところをみると、おそらく常識的な結論なのだろう。いつ読めるか?
(5)"The Complete Christie: An Agatha Christie Encyclopedia"(by Matthew Bunson,2000)  これは期待した本であったが、内容をみてガッカリ。百科事典であることは間違いないが(第一部がアルファベット順の作品内容の紹介で、第二部がアルファベット順の登場人物の紹介)、これまでに出た本(例えば、"Agatha Christie A to Z"など)と同工異曲の内容。この種の本を一冊ももっていないというファン初心者向き。高くはない。
(6)"The Gateway Guide to Agatha Christie's England"(by Judith Hurdle,1999)
 クリスティに関係した観光案内書だが、これまでの案内書がトーキイ中心であったのに、これはロンドン近郊が中心なので参考になる。WallingfordのWinterbrook Houseがどこにあるかを示す地図まで入っている。実用的な本である。
(7)"Malice Domestic 7"(by Malice Domestic Ltd,2000)
 クリスティ作品に触発されて書かれた短編を集めたアンソロジー。パロディ集ともいえるもので、このうち3編は2000.9月号のHMMに翻訳されている。その他は読んでいない。
(8)"The Case of Compartment 7"(by Sam McCarver,2000)
 オリエント急行が舞台のミステリだそうだが、もちろん未読。
 これだけの本が手軽に検索できるうえに、簡単に注文できるのだから、インターネットは便利この上なし。後は素早く読めるようになればいいのだが……。
×月×日 インターネットを使っていたらブリタニカの百科事典が50日間ほど無料で試せるというHPがあった。さっそくクリスティで検索してみたら、すぐにヒットするものの、クリスティの誕生日が 1891.9.15 となっていたり、「推理劇『鼠おとし』 The Mousetrap (52) は世界最長のロングランを誇った。」などど書かれている。古いデータの原文を単に機械的に訳した内容のようだ。無料の情報とはいえ、これは困りものである。


ティー・ラウンジ

■自分は歳をとっても雑誌は歳をとらないように錯覚してましたけど、そうか数藤さんも歳をとったんだ! とあらためて認識してしまいました(失礼!)。85号の終刊、妥当なところであるようように思います。その年になると、そろそろ眼も頭もくたびれてくるので、WH通信も読めなくなる可能性があり、自分がそういう状態であるのに、WH通信がつつがなく発行されて若い会員の皆さんが楽しんでいると思えばシットの念にさいなまれ、それが昂じて殺人事件に発展するやもしれず(すごい飛躍!)、まあ犯罪予防の面でもそのあたりのカーテン引きが手頃かなあと思う次第です。ただし! そのころになってもまだ自分がカクシャクとしていたら、85号ではちょっと物足りないからポアロの没年(130?)、ミス・マープルの没年にしようとか(といっても彼女はまだ生きているはず? ですからつまりは無限大)、ソソノカスつもりです。という、まあ徹頭徹尾自己本位の意見をのべた次第であります。でもまあ終末が見えているということは、却って妙に明るいものですよね(杉みき子さん)。
■"クリスティ症候群患者の告白"は身につまされる事しきいです。持病もあるので(外野席では、そういう人が細々と長生きするなどと言っていますが)、どこで、結末というか、始末をつけるというのか、あるいは自然に消えるのか(これが理想のように思えますが、難しいでしょうね)、いろいろ考えてしまいます。今のところ、あと三年はがんばって、二十周年に何かささやかな集りをとは思っているのですが……(庵原直子さん)。
■WH通信の死の予告!! 旅から帰って来て、13通目に眼を通したこの文面。いつかは終刊の来るであろう事は予測はしていました。始めがあれば終りがある。この当り前をどのように受けとめるか……。
 クリスティを読まなくなって(読書そのものが大変に労力を必要と感じて)しまって、今はスカーペッタに夢中になっています。詩情豊かで読ませる古典より、やはり視覚に訴えてくる、つまり劇画的手法の移り場の早い読物の方が楽になってきた自分の年齢に哀切を感じています。俳句という一点仰視の世界に身を置いている毎日なのでしょうか、端的なものを求めてやみません。昔から舞台より映画人間の私には、もはやクリスティの世界は疲れるばかりです。若い頃本当にたくさん読んでいた事を今に感謝いたしております。クリスティ一色の、あの頃の自分をまぶしく感じている今日この頃です。13年後、どのようにカーテンが下りるのでしょうか。それまで"ファン"でありつづけたいと願っています(土居ノ内寛子さん)。
■このファン・クラブに連なっていられることをこの上も無く幸せに思っている私には、「85号終刊」のニュースは、大変ショックでした。本家英国の協会よりも歴史が長く、何よりも生前のクリスティに会われた数藤さんが始められたファン・クラブなのですから。これが来年でなく、13年先だということがせめてもの救いです。お互い健康には気を付けて長生きいたしましょう! 最近では恐ろしいニュースばかりで、日本の行く末が心配です。来年一月に孫が生まれることになっているので、特に、気になるのかも知れません。身近な知人が新聞やテレビのニュースに出てくることなどめったにないことですが、昨日、爆発物を送り付けられて怪我した弁護士さんは、私の知人です。幸い、軽症で済んだようですが、本当に怖い世の中です。そこで、59号を読んでその心地よい世界にひたり、しばし現実回避をしております(安藤靖子さん)。
■私事で恐縮ですが、この春転勤しました。4校目になります。何と今年は就職して20年めです。こんなに続くとは、思いませんでした。何でこんなことを書くかというと、WH通信があと13年、長そうに感じるけど、これまで、私が読ませてもらった年月より短いんですよ。だって、初めてお便りしたとき、私は学生でしたから。数藤さんは、結婚前でしたよね。となると、だめですよ、13年は。わたしは、まだ老後でないですから。もっと続けてください。突然来なくなったら、その時あきらめます。ということで、ご再考をお願いします(池葉須明子さん)。
■85号でおしまいというのは悪くないかもしれません。ただし今後はこのことには一切言及しないで、85号に暗号を仕込むのはいかがでしょう。といっても記憶力抜群の方々がいらっしゃるのでみやぶられるでしょうが(原岡望さん)。
■WH通信を85号でやめられると知り、驚きましたが、大切なことなのかもしれないと思いました。それにしましても、「カーテン」の下ろしかたが、さすがです。クリスティ愛好家の鑑! と思いました。これからも(たぶん85号まで)よろしくお願い致します(古川洋子さん)。
■私の拙訳をだいたいそっくりそのまま載せて下さり、ありがとうございます。でも読み返して、赤面しています。言い回しが変だとか、くどいだとか、意味不明だとか、ご意見や苦情が来るかもしれませんが、そのときは、是非私の方にも包み隠さず、お知らせください。
 ところで冒頭部分の、WH通信の今後は? にはどきっとさせられました。しかし後13年は続けられるということで、ほっとしました。13年は短いのか、長いのか?13年後というとずっと先のように感じるけど、13年前はほんのちょっと前です。ともかく、私も乗りかかった船で、最後までお付き合いさせていただきたいと思いますが、良いでしょうか(小堀久子さん)。
■WH通信の行く末――とても面白いideaですね。キレーにきまって羨ましいです。ROMも10期120号で一時代終えたいなと考えております。もう次の人の時代ですから、後進に道を譲る時なのでしょう。そして一人でミステリを楽しんでいきたいです。もともとミステリは一人で読んで楽しむものですしね(加瀬義雄さん)。
■S氏が「いつ機関誌のカーテンを下ろすか」ということについて書いておいでなので、私も「いつまで会員でいるか」について考えてみました。で、結論は「多分,S氏がやめるまで」です。"ティー・ラウンジ"で沢山の方のお便りをタマに読ませて頂くのは楽しいから。特定の方とペンフレンドになりたいとは思いませんが(飽きた時悪いもの)、会誌のちいさなコラムを通じ未知の方々と交流できることは楽しいです。よき場を提供して下さっているS氏に感謝しています(泉淑枝さん)。
 85号終刊についての反響です。半分はシャレ(したがって半分は本気)で書いたのですが、これですっきりした気分になれたのは事実です(S)。
■今の日本を代表する推理作家西村京太郎。毎年何冊かがベストセラーになり、赤川次郎と並んで小説部門の長者番付で常に1〜2位を争人気作家の作品の文章について、社会学者の鵜飼正樹さんが実にユニークな批判をされていた(朝日新聞紙上)。
 会話文のあと、改行して「と、十津川はいった。」で一行、というパターンがやたら目についたので調べたら、A作品で177回。B作品で168回。Cでは160回。「と、十津川は思った。」とか「と、亀井は聞いた。」などの類似表現を合わせると、それぞれ467回、469回、479回。ところがデビュー当時の西村作品では、このテの表現は十分の一以下。これは明らかに量産作家の"内容と原稿用紙の水増しだ"。そんな話でした。
 同感でした。初期の頃に比べ文章がズサンになっているのです。私は9ヵ所でエッセイを教えています。ワンパターンの表現こそ、悪文の典型、絶対に止めようと生徒さんに口を酸っぱくして注意しています。その生徒さんに「でも先生、西村さんの文は……」と反問されたら甚だ当惑。文章も作品のうち、と私は信じているのですが……(斎藤信也さん)。
■このたび35年ぶりに『ABC殺人事件』を再読し、記憶が相当に違っていたことと、思っていたよりも面白かったことの両方にびっくりしました。アレグザンダー・ボナパート・カストの挿話は記憶にありませんでしたし、この構成は読書欲をかきたてました。犯人もEあたりの人だったように思っていたので意外でした(小沢一豊さん)。
■59号の西村瑞枝さんの、「マクギリカディ婦人の身長は?」についてですが、TV版で見たところでは、ミス・マープルよりも少し高いくらいです。ただ、J・ヒクスンの身長がどの位なのか知らないので、一般的に言って、高いほうなのかどうかはわかりません。太りぎみのガッチリした体格、50代後半か60代前半の感じで、原声(?)も吹き替えの声も野太く、化粧気のない「田舎のおばさん」タイプでした(川端千穂さん)。
■通信はいつも楽しく、かつ興味深く読ませていただいています。今年の第一回目の通信の発行が送れているようですが、編集長のご多忙のせいでしょうか。それはそれでよい現象なのでいつまでも待っているつもりですが、他の理由、たとえば過労によるダウンとかではないかと心配をしています。今年4月に南仏にまいりまして、「オリエント急行殺人事件」のフランス語版を求めました。エクサンプロバンスの書店、その名もプロバンス書店の一角にクリスティのコーナーがありまして、ちょうどハヤカワミステリー文庫の旧版のサイズのシリーズがおかれていました。ポール・セザンヌの旧跡に満ちあふれているミラボー通りに位置する本屋で、たくさんの読書人が、その日も本を探していました(村上由美さん)。
■未読のクリスティも残り少なくなってきましたので、以前から持っているものを何度も読み返しています。犯人が分かっていても、何度読んでもやっぱりおもしろいですね! ただ『愛国殺人』だけは難解で、何度読んでも「?」という感じです。私のベスト3は『無実はさいなむ』『五匹の子豚』『ポアロのクリスマス』です。順不同です。『カーテン』と『スリーピングマーダ―』は最後までとっておくつもりです(坂元由香利さん)。
■御新居、トトロの森が見えるということで「トトロ好き」でもある私にはうらやましい限り。ところで『なぜアガサ・クリスティは失踪したのか?』を読んでしまった私はかなりショックを受けてしまいました。全く単純な人間なので「考古学者と結婚したら……」という言葉を結構気に入って、うまいことを言うものだと思っていましたし、「再婚後は、幸せに暮しましたトサ」というおとぎ話のように思い込んでいましたから。とても身近にいる生身の人間のように感じてしまいました。でもNo.59の林様の「心優しい人だったのだろう」という文章を拝読して、何となくホッとすることができました(小野裕子さん)。
■「スリーピー・ホロー」は、今は怪優(!?)となってしまったクリストファー・ウォーケンさまが、まさに怪演するだけでも面白いと一人でウケて、他の人に苦笑されています(川口明子さん)。
■「スリーピー・ホロー」に二人のクリス(クリストファー・ウォーケンとクリスティーナ・リッチ)が出ていると書きましたが、もう一人大事なクリスを忘れていました。英ハマー・フィルムの大スター、クリストファー=ドラキュラ=リー氏も出ていました! 三人のクリスが大活躍の上質なゴシック・ホラーをたっぷりと楽しんで、暫くは自分が失業中の哀しみも忘れ、幸せな気分です。  映画の内容は、怖い言い伝えの残る古い村を舞台にした連続殺人ミステリー。お伽ばなしや童謡の怖さをミステリーに盛り込む手法はクリスティや横溝と共通しています。クリストファー・ウォーケン扮するハンサムでチャーミングな首無し騎士の亡霊が自分の首を抱えてガハハ……と笑うシーンで、思わずわが「魔界転生」で天草四郎の亡霊を演じたジュリーが同じことをやっていたのを思い出し狂喜してしまった。オタクなバートンは、深作の「魔界転生」を見ているのだろうか?
 大枚500円はたいて買った同映画のパンフの中で、探偵役のジョニー・デップが次のようにコメントしています。"僕は2,3人の古い役者たちから演技のスタイルを学ぶことにした。まずアンジェラ・ランズベリー(ミス・マープルを演じた)、シャーロック・ホームズ役者として有名なバジル・ラスボーン、そして「ヘルハウス」等のロディ・マクドウェル。ポアロを演じたアルバート・フィニーではなく、「鏡は横にひび割れて」のA・ランズベリーの演技に学んだというのは、ちょっと???ですね。でも私には、ノホホンととぼけた探偵ぶりをA・フィニーのポアロに学び、アニメっぽいギクシャクした動きは「猿の惑星」のマクドウェルを模しているように見えた(泉淑枝さん)。
■心理的ストレスが高まった6月に、映画マニアに評判になっていた「スリーピー・ホロー」を私も突然観てしまいました。J・D・カーのミステリーを映画化したような作品で、カーのオドロオドロした部分が好きになれない私はいま一つ楽しめなかったのですが、最近のCGのスゴサには(なにしろ映画は年二本ぐらいしか観ないので!)圧倒されました(S)。
■実はつい最近ニ本目の映画を観ました。ハリウッドに集った中国人を中心に作った「グリーン・デスティニ―」。これこそクリスティとは無関係で、もうストレス解消のための手段です。HPなどをみるとアクション場面は武侠映画としては平均程度のようですが、なにしろこの種の映画初体験につき驚きました。CGもスゴイ。チャン・ツィイーもカワイイ。ストーリーがゴチャゴチャしてわかりにくいのが残念でした(S)。
■講談社青い鳥文庫のクリスティ作品は、まあまあという売れ行きのようで、第三弾『大空の死』が出るそうです。またポアロ物の短編集も企画しているようです。機会がありましたら、解説でも立ち読みしてください。
■一時は原稿が集まらなくて心配しましたが、今号もどうやら完成しました。いつも同じことを言っていますが、年内郵送は確実なので、メリークリスマス&謹賀新年!


 ・・・・・・・・・・ウインタブルック・ハウス通信・・・・・・・・・・・・
☆ 編集者:数藤康雄 〒189      ☆ 発行日 :2000.12.24
  東村山市XX町XーXーX        ☆ 会 費 :年 500 円
☆ 発行所:KS社              ☆ 振替番号:00190-7-66325
                        ☆ 名 称 :クリスティ・ファン・クラブ


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