ウインタブルック・ハウス通信

クリスティ・ファンクラブ機関誌

1997.12.24  NO.54

クリスティの十二支(その14)

 博士はかつて、ある女性が非常に危険な、スリルに富んだ芸を虎に仕込むのを見たことがあった。(――中略――)
 その虎使いは若くて傲慢な黒髪の美女だったが、目つきは同じだった。
 「そうだ、虎使いだ!」と、ジェラール博士は心の中でいった。

『死との約束』(早川書房、高橋豊訳)より


< 目  次 >

◎1997年英国クリスティ協会の総会に参加して―――――――新谷 里美
◎クリスティの幻の作品たち―――――――――――――――林 克郎
◎旅日記 ヨーロッパにクリスティとポアロを訪ねて――――――安藤 靖子
◎ミセス鈴木のパン・お菓子教室(第7回、バナナブレッド)―――鈴木 千佳子
◎クリスティ症候群患者の告白(その23)――――――――――数藤 康雄
◎ティー・ラウンジ
★表紙   高田 雄吉


1997年(第4回)英国クリスティ協会の総会に参加して

新谷 里美

 英国クリスティ協会の第4回総会は9月12日より3日間の日程で、クリスティの地元トーキイで開かれました。参加者はトーキイやダートマスばかりではなく、かつてのクリスティの別荘グリーンウェイ・ハウスも訪問したそうです。
 日本からは、会員の新谷さん御夫妻と谷口さんが参加されましたが、ここでは新谷さんに総会の様子を報告してもらいました。
 昨年に比べると盛りだくさんの内容で、うらやましい限りです(S)。


 何故このクリスティの総会に参加したかといいますと、今度の会場がクリスティゆかりのトーキイで開かれるということ。また時期が私達日本人(夫同伴です)に都合が良い9月の連休をはさむということが挙げられます。しかし何といっても、クリスティの生誕の地であるトーキイを一度、この身で実感したかったからに他なりません。幸運にも物理的な条件と本来の気持ちがうまく折り合って、9月11日関西空港を出発して、一路ロンドンに向かいました。
 9月12日にロンドンのパディントン駅を出発し、いろいろあって(旅行者特有の時刻表とか乗り換えのちょっとした問題です)、夕方6時過ぎに会場のトーキイのグランド・ホテルに到着しました。総会は7時に始まりました。
 事前の案内でトーキイ周辺に関連した作品

  1. 「窓ガラスに映る影」
  2. 『エンドハウスの怪事件』
  3. 『ABC殺人事件』
  4. 「レガッタ・デー事件」
  5. 『五匹の子豚』
  6. 『死者のあやまち』
  7. 『無実はさいなむ』
  8. 『運命の裏木戸』
  9. 『スリーピング・マーダー』

の中から自分の気に入った登場人物の扮装をして集まることになっていました。私達は大変頭を悩ましたのですが、私はしゃべらなくてもすむと『運命の裏木戸』のトミーとタペンスが飼っていた犬の”ハンニバル”に、主人は『エンドハウスの怪事件』から”マイクル・シートン”(飛行家)に扮することにしました。といっても私の場合は”ハンニバル”の写真を胸に付けていただけですが、主人は予想外に力を入れていて、パイロットのシャツを身に付け、クリスティ協会のネクタイを締めて、飛行機の形のネクタイピンを留めていました(もちろん現代風の飛行家ですが!?)。彼の場合も、皆さんご存知のように”マイクル・シートン”は実際には一度も姿を現さないので、しゃべらなくてもすむと考えたようです。
 周りの方々を見回すと、ざっと60名ぐらいでしょうか。各自お馴染みの登場人物に扮装してニコニコとした感じで集まっていました。受付で各自のネームバッチを頂き、自由に用意されていたテーブルに着きました。ご紹介頂いていたスネル美枝子さん御夫妻、また谷口多美江さんとも、この時お目にかかれることができました。
 会は、進行役のエレインさん(協会誌の編集者)の挨拶から始まり、特別ゲストのラーン教授(米国ハンターカレッジの女性教授)の紹介がありました。その後ビュッフェ・スタイルの食事をしながらテーブル毎に、どの作品のどの登場人物に扮したかを発表して、ベスト扮装者を選ぶ趣向になっていました。結局のところ『ABC殺人事件』の”アレキザンダー・ボナパート・カスト”と『エンドハウスの怪事件』の”ニック・バックリー”に絞られました。実は9名の方が”ニック・バックリー”に扮装していて、数と人気でベスト扮装者は”9人のニック・バックリー”ということになりました。後は各テーブルで自己紹介など談笑し、10時過ぎに感激の第1日目が終了となりました。
 翌日9月13日は盛りだくさんのメニューのスタートとなりました。会員は2台のバスに分乗し、ペイントン駅から蒸気機関車に乗り、チャーストンを経て、キングズウェイからフェリーでダートマスまで行きました。そこからグリーンウェイ・ハウスやボートハウスを見物し、昼食はダートマスのロイヤル・キャッスルホテルでとりました。メニューは”トリのクリーム煮”、デザートは”クロッテッド・クリーム付の果物のコンポート”または”チョコレート菓子”で、テーブルの上に置いてあったメニューにアガサ・クリスティゆかりの名前が付いていました。
 昼食後いよいよグリーンウエイ・ハウスに向いました。周りは野性味溢れる自然を生かした広大な庭で、信じられないくらい大きなマグノリアの木やコルクの木が立ち並んでいました。その木々に囲まれた白い建物の前に大柄なヒックス夫人とマシュー・プリチャード夫妻がニコニコと笑みをたたえて出迎えて下さいました。いままで自分の感覚の中だけで見知っていた人々と建物が、現実に自分の前に広がっていて、声が聞こえ、風が吹き、というように直接に自分の五感に訴えてくるということは、「今、ここに本当にいる自分が信じられない」とか「本物のヒックス夫人?」、「本物のグリーンウェイ・ハウス?」と不思議な気持ちで一杯で、私はただただ感激していました。改めてよくここまで来れたと感謝の気持ちで満たされました。
 中でお茶を頂く前に二組に分かれて、ラーン教授の案内で、グリーンウェイ・ハウスの庭の散策を兼ねて初秋の気配にひたりながら『死者のあやまち』のボートハウスや『無実はさいなむ』のゆかりの場所、そして『五匹の子豚』の”アミアス・クレイル”がスケッチをした場所などを巡りました。この教授は大変物静かな口調で説明され、上品な雰囲気の方でした。昨夜の扮装ではパラソルを片手に”ミス・マープル”に装っていらっしゃいました。
 この後、グリーンウェイ・ハウスの中でヒックス夫人手作りのビスケットやお菓子と熱くておいしい紅茶を頂きました(デボンシャー・クリーム付き)。中の様子は以前に本で目にしていたクリスティの机や家具が目の当たりに広がり、いたるところに色々な本や飾り物が無造作に置いてありました。以前アメリカ軍が駐留していた時に描かれたという”壁画”(?!)をマシュー・プリチャードとヒックス夫人が説明して下さいました。写真で目にしていた雰囲気と何ら変らない感じ、ここにクリスティが座って本を読んでいても何も違和感なく、自然でそのまま、いつまでも、いつまでもたたずんでいたい思いで私は一杯でした。予定より時間は、当然のことながらオーバーし、急いで皆様と名残を惜しんでグリーンウェイ・ハウスを後にしました。ホテルに戻ってからは、夜の行事の”マーダー・ミステリー”に備えました。
 この”マーダー・ミステリー”も始めての経験でワクワクしました。予め頂いた招待状をもって会場にディナー風に装って向いました。約束の時間に行くと、それぞれの役に扮した役者が勢揃いし、もう”劇”は始まっていました。出席者(会員達)をこの劇にうまく引き込み、”婚約披露パーティー”の招待者達になっているのです。粗筋は男性側の元恋人が大きなお腹をかかえてこのパーティーに乱入(!?)するということで、これだけでただならぬことが起りそうな雰囲気です。このパーティーにはプリチャード夫妻も同席されていました。
 パーティーでは婚約者達の家族がそれぞれの立場や利害関係を述べ、出席者(会員達)に色々、あの手この手で訴えるのです。もちろん芝居がかった調子で。その内一人が毒殺され、犯人を捜すという設定です。もうすっかりアガサ・クリスティの小説の世界に私達も引き入れられ、映画の一場面のようでした。この後各テーブル毎に犯人捜しの時間になると、それまで比較的物静かで表だって騒がなかった会員達が、とても熱心に声高に議論を始め、その迫力に私は圧倒されてしまいました。さすが議論好きの国の人達です。私達のテーブルも議論は伯仲し、こうなるとただただ聞き役(といっても半分もわかりませんが)に回るしかないといった感じでした。結局、各テーブル毎に犯人を発表し、その後正解が告げられ、出演した役者さん達と会員達が懇談を深め、夜も更け、第二夜も心地良い疲れの中に終りました。
 3日目はトーキイ周辺をラーン教授がクリスティに関連する所をまわりながら案内して下さいました。英国のリビエラといわれるだけあって風光明媚の地で、明るく散策にはもってこいの場所でした。天候にはずっと恵まれ、本当に気持ち良かったです。そして最後に、何とクリスティ協会のスタッフの方々がクリスティのお馴染みの登場人物に扮して各ポイント、ポイントに立っていたり、ベンチに腰掛けているのです。ミス・マープル、フランクリン・クラーク(『ABC殺人事件』)、トミー&タペンス、アリアドネ・オリバー夫人、そして人気のニック・バックリー(エレインさんが扮していました)、圧巻はトーキイ駅のポアロ。「ヘイスティングスは?」というと、グランド・ホテルのどこかでお茶を飲んでいるということでした。盛りだくさんのプログラムの最後の仕掛は本当にすばらしい、びっくりさせられるものでした。
 11時近く、グランド・ホテルのロビーで用意されていたお茶とお菓子を頂いて、各自自由に会員の方々と名残りを惜しみ、再会を期して、ここに3日間のプログラムは終了しました。翌9月15日はクリスティの107歳の誕生日。それぞれ世界のあちらこちらでお祝いのシャンパンが抜かれたことでしょう。私達は午後ロンドンに戻り、幸せな気分に満ちていました。
 クリスティのおかげで、何人かの方々と知り合え、思い切って出席して本当に良かったと思っています。私達はこれを”アガサ・クリスティズ・ハッピー・チャンス”と呼んでいます。報告が遅れてしまいましたが、あのグリーンウェイ・ハウスの木々もすっかり秋色の落ち着いた色に変っていることと思います。


クリスティの幻の作品たち

林 克郎

 今年の4月にはアメリカで、そして8月にはイギリスで、クリスティの新しい短編集が出版されました。収録されている短編の多くは、林さんが詳しく紹介されていますが、クリスティが1920年代に雑誌に発表したままで埋もれてしまった作品です。いずれ翻訳されるのは確実ですので、お楽しみください。
 なお筆者の林さんとは、前号に登場した永田さんの紹介でインターネット上で知り合ったのですが、某コンピュータ・メーカのエンジニアで、私と同じ数少ない理系のクリスティ・ファンです。ファンクラブのHPの題字を作ってもらったり、HTMLの文法を教えてもらったりと、別の面でも大いに助けられています(S)。


 本人が執筆した文章は本人のHPに掲載されています。以下のURLをクリックして下さい。
 http://www.cityfujisawa.ne.jp/~katsurou/mystery/christie/whtext.html


旅日記

ヨーロッパにクリスティとポアロを訪ねて

安藤 靖子

 アガサ・クリスティは十代の頃パリに留学しましたが、夫が空軍省に勤め始めてからはロンドンに住むようになりました。当然パリやロンドンにはクリスティの足跡が数多く残されています。安藤さんのこのヨーロッパ旅日記では、それらの足跡を丹念に捜し出しています。
 毎年、多くの会員が海外旅行を楽しんでいるようですが、新しい足跡を見つけた人はぜひお知らせください(S)。


7月26日(土曜日) 午後4時50分、シャルル・ド・ゴール空港に降り立った。1994年夏の英国旅行から3年目、今回はパリ4泊、ブラッセル、ロンドンに各1泊して8月2日に帰国するスケジュールである。パリはクリスティが今世紀のはじめ頃、ミス・ドライデンの経営する寄宿制の教養仕上げ学校で1年半を過した場所である。今日のパリは20世紀末、「西暦2000年まで889日」という電光掲示のあるエッフェル塔が青空にくっきりと映え、どこもかしこも観光客であふれている。日航ホテルにチェック・インし24階27号室に入る。二面が窓の「眺めのいい部屋」である。
7月27日(日曜日) 早めにホテルを出てエッフェル塔まで歩く。最上階からパリ市内を眺めた。風が強く、寒くてじっとしていられないほどだった。中年女性が運転するタクシーで凱旋門へ出る。クリスティの学んだ学校はこの辺りの「ボア街」というところにあったようだが、残念ながら私の地図では特定できなかった。自伝に載っていたパリ時代の写真はすでに立派なレディで、「仕上げ」が必要な少女とは思えないほどである。それとも仕上げの結果があの写真だったのだろうか。そんなことを考えながらシャンゼリゼの方へ歩いて行くと、車道は通行止で、両側の歩道には人が座って何かを待っているようである。「ツール・ド・フランス」のゴールを見にきた人達だとわかった。なんと、ここで前国連事務総長のガリ氏とすれちがった。小太りの中年男性と談笑しながら、夫と私の脇を足早に歩いて行った。交通規制で思うように歩けないので、シテ島でノートルダム寺院、コンシェルジュリー、サントシャペル教会を見学。ホテルに帰ってテレビをつけると、独テレコムチームのヤン・ウルリッヒ選手が優勝したニュースがトップで大きく伝えられていた。「ツール・ド・フランス」への熱気を実感した一日であった。
7月28日(月曜日) グエン・ロビンスの『アガサ・クリスチィの秘密』(吉野美恵子訳)には、クリスティがフランス史の講義をききにソルボンヌ大学に通ったことや、観劇や、ルーブルをはじめ美術館へも出かけたことが書かれている。ミラー夫人が娘アガサに会うため復活祭の休日を利用してパリを訪れ、ムーリス・ホテル(本文ではモーリス・ホテルになっている)に泊ったという一文に刺激されてこのホテルへ行ってみることにする。リボリ通り228はリッツの立つバンドーム広場からも近く、車道を越すとそこはもうチュイルリー公園である。間口もさほど広くないし、目立つ外観ではない。ドアを押して中に入ってみると、右側のフロントには男性が3人それぞれ忙しそうにしていて、私たちが入ったのも気づかないようだ。これ幸いとなかを見物させてもらう。重厚でいて豪華な雰囲気に驚く。大理石の等身大の像が目にはいった。サロンのシャンデリアの下には美しいビロード張りの応接セットがある。公園に面したレストランへの入口のところには、むかし身分の高い人をのせたと思しき駕籠のような形のリフトが飾られている。1811年の創設だというからすごい。
 ルーブルを見学したあとバスチーユ広場へ行き、牢獄の跡地に建てられたという新オペラ座をみる。ガラスを使った近代建築である。演目をみると「マダム・バタフライ」「リゴレット」「マノン」などおなじみの曲がかかっていた。今日のコースの締めはクリスティが聴講に来ていたというソルボンヌ大学。坂の途中のカフェでは、木陰に並べられた椅子とテーブルに大勢の客が陣取って、学生風の青年二人のサックスとベースの演奏を聴いていた。日本の大学街よりこぢんまりしている。
 夜7時半、といってもパリはまだ明るい。セーヌ川のディナークルーズを着いた日に予約しておいたら、観光会社の人がホテルのロビーに迎えにきてくれた。バトー・ムッシュというガラス張りの大型観光船でセーヌ下りをする。「カジュアルな服装はお避けください」とあったので、夫はスーツ、私はワンピースで出かけて正解だった。どのテーブルもドレスアップした男女ばかり。船上ではピアノとバイオリンがクラッシックやポピュラーの曲を演奏してムードを盛り上げる。「スキヤキ」として海外で知られる「上を向いて歩こう」と「里の秋」が演奏されたのは、私たちもいれて5−6人はいたであろう日本人客へのサービスかもしれない。クルーズの後は車で移動してリドのミッドナイト・ショーを午前2時まで見物する。
 すっかり夜も更けてホテルへ帰る時、チェリーさんというフランス人が車で私たちを迎えに来てくれた。日本で日本語を勉強し、日本女性と結婚してモンマルトルに住んでいるという。上手な日本語を話すわけだ。彼にムーリス・ホテルのはなしをすると、偶然にも高校を卒業してすぐムーリスで働いていたというので驚いた。「わたしがいた頃はサルバドール・ダリがずっと泊っていて、年とってよく歩けなっかったので体をささえてあげものです」と話してくれた。そこで、クリスティのお母さんのことを彼に尋ねると、「来たかもしれませんね。でも私は会ったことないですよ」と、大真面目に答えてくれたので思わず夫と顔を見合わせて笑ってしまった。彼によると、パリでは格式の高い古いホテルはムーリスのように玄関があまり目立たないものが多いという。
7月29日(火曜日) フランス滞在も今日一日となったのでベルサイユ宮殿を見学する。ホテルの最寄駅ジャベルから電車で約20分。ベルサイユで下車する乗客がほとんどで、その人波についていくと15分くらいで宮殿が見えてくる。月曜が休館日なので観光客が今日に殺到したらしく、「王の広場」にはくねくねと長蛇の列ができている。40分待ってやっと入場券売場にたどりつく。パリに来て韓国の観光客が多いのには驚いた。それも、たいていの場合4−5人のグループである。ここでも私たちの前には子供連れの若い夫婦が二組、話しながら、時にはぐずる子供をなだめながら番がくるのを待っていた。漫画「ベルサイユのばら」や遠藤周作の「王妃マリー・アントワネット」ですっかりお馴染みになった宮殿を一度みてみたいと思っていたが、「百聞は一見にしかず」であった。あまりの豪華さにすっかり食傷気味になり庭園へ出る。トラムで広い庭園を見ながらプティ・トリアノンを見に行く。王妃マリーのお気に入りの館はずっと小規模で、ほっと一息つくことができた。シテ島のコンシェルジュリーには、彼女がコンコルド広場で断頭台にかけられるまで幽閉されていた石牢がある。粗末なベッドわきの机に向って、黒い衣装で頭からすっぽり身を包んだマリーが祈りをささげている様子が等身大の人形によって再現されていた。このベルサイユ宮殿との落差に彼女を哀れに思った。早めに宮殿を出てホテルへ帰る。
7月30日(水曜日) パリ北駅からタリスという特急でポアロの故郷ブラッセルに向う(午前8時40分北駅発10時38分ブラッセル南駅着)。座席の向きが進行方向と逆になっている。車内でのアナウンスは仏・独・英の順で、ベルギーの国内に入ったあたりからは英語のアナウンスがなかった。同じ人が3カ国語のアナウンスをしていたが、ヨーロッパでは当り前らしい。前の席の乗客が携帯電話をかけているのが聞えてきた。「アロ、アロ」で始ったフランス語の電話はしばらくすると英語に切り替っていた。そのうち静かになったので座席の隙間からのぞくと、「ル・モンド」紙をひろげてクロスワードパズルをやっていた。斜め前の乗客も携帯電話を前座席の背の所にあるラックにはさんで、折畳み式の狭いテーブルの上で書きものをしていたが、それも軽食が給仕され始めたので中断された。若い男女二人が愛想良く飛行機の機内食と同じような軽食をサービスしてくれた。車窓から見えるのは赤レンガの建物と緑の木々と牛たちで、典型的な田園風景である。
 時間通りにブラッセル南駅につく。ホームにレオンさんの姿が見えてホッとする。今回の旅行のことは全てインターネットで連絡をとりあって、私たちの到着時間を知らせてあったので出迎えにきてくれた。彼は夫の仕事上の友人で日本にもよく来ているので、我家へもお招きしたことがある。私が会うのは二度目である。駅の外には奥さんのマディーさんが車をとめて待っていてくれた。
 挨拶もそこそこに、マディーさんの運転で「北のベニス」と言われるブルージュへドライブすることになる。市内を出ると約一時間、中世のヨーロッパに迷い込んだような雰囲気の町に着く。地上にまだこんな場所があるのかと思う。ホリデーシーズンのためヨーロッパ各国からの観光客でせまい道は込み合っていたが、教会の鐘の音や、観光客を乗せてゆったりと石畳を通っていく馬車の音、ひずめの音が耳に心地よかった。ベルギー人が誇るこの古都は11世紀には北ヨーロッパ随一の国際貿易地になっていたため、運河が町中を巡っている。ボートで運河巡りをすること約40分。出発前に運転手兼ガイドが、「英語で案内してほしい人は?」と乗客にきくと、私たち4人のほかに3−4人が手をあげた。ここでもまずフランス語の説明があり、その後で英語の説明があった。レオンさんとマディーさんはフランス語で話している。私たちとは英語で話すが4人で話すときには2人の会話も英語になる。聞くところによると、マディーさんはお母さんがイタリア人なのでイタリア語が話せ、スペイン語もできるというからスゴイ。
 マディーさんにきいてみた。「クリスティの作品はいくつぐらい読みました?」「12−3ぐらいかしら。16−7歳の時に読んだきりだからよくは覚えていないけど」「英語で?」「いいえ、フランス語で」「ポアロがベルギー人だってことはご存じですか?」「ええ、でもベルギーではまったく聞かない名前ね。クリスティが何故ポアロをベルギー人にしたのか、その訳が知りたいわ」そこで、クリスティの住んでいたトーキイの町とベルギーからの戦争難民について説明し、アン・ハートの著書 The Life and Times of Hercule Poirot から第1章のコピーを手渡した。レオンさんは、「ぼくの考えではクリスティにはベルギー人の恋人がいたんだと思う。ポアロが一生独身だったのはそのためだと思うよ。クリスティが結婚させなかった」と、自説を披露する。
 ブルージュからブラッセル市内にある宿、ソフィテル・ホテルに帰って着替をし、レオンさんの自宅へ案内される。高台の高級住宅地、静かな環境にあるアパルトマンの広いリビングルームで日本からのおみやげとして私が差し上げたのは、学習漫画世界の伝記「アガサ・クリスティ」。この本が大変気にいられて、「サインをしてくださいよ」と言われてしまった。「ベルギーでこの本を持っているのはぼく一人だよ。どういう順序で読むのかな?」「右から左へ、上から下へ」と、夫が指で示しながら説明している。「それより日本語を勉強するのが先だよ」と夫。日本のファン・クラブのリーダーがクリスティに会ったことを「解説」の中の写真で説明しておく。
 テラスで夕食をごちそうになる。マディーさんはこの日のためにイタリア人女性に頼んで料理を用意しておいてくれた。給仕もしてくれるから主婦には有難い。ラザニアが主菜のフルコースでデザートのティラミスは逸品であった。9時をまわっているのにまだ明るい。日が落ちて薄暗くなってきたころ、「これからグラン・プラスを見せよう」というレオンさんの言葉に、帰り支度をして車に乗る。アン・ハートによれば「ヨーロッパでもっとも美しくてなごやかな広場」グラン・プラス。「ここの市庁舎のてっぺんからは大天使ミカエルが市内を見おろしている。その昔、ミカエルは洗礼を受けに新生児を抱いて教会へ向うポアロ家の一行を見ていたかも知れない」という文がある。ポアロの誕生にまつわるエピソードである。ライトアップされた建物で広場は明るく、学生風の若者達が大声でゲームに興じていた。ジャケットを着ているのに寒かった。そこからすこし歩いて「マヌカンピス」こと「小便小僧」を見に行った。小さな像だった。
7月31日(木曜日) 寒くて町ではコートを着た人を見かけた。マディーさんによると、ベルギーの夏は涼しいがこれは例外だという。ユーロスターのチェック・インまで時間があるので市内を車で案内してもらう。欧州連合の本部をはじめ、ヨーロッパの中心としてのブラッセルには近代的な高層ビルが建てられ、旧市街と好対照をなしている。北駅の裏にはレオンさんいわく「ホット・エリア」があるというので見ていたら「飾り窓の女」街であった。ポアロが勤めていたことになっている警察は時間がなくて回れなかったが、そのかわり昼食にムール貝をごちそうになった。あのブルージュはムール貝の産地としても有名だそうだ。南駅前で二人と別れ、ユーロスターのチェック・イン。日本の出国審査とまったく同じ手続をふんで、やっと車内へ。空席が目立った。オリエント急行並に座席の窓のところに赤い電気スタンドがついているのは、ユーロトンネルで車内が暗くなるからだろうか。座席が広くてタリスより快適である。午後3時28分出発、ロンドンのウォータールーには5時43分到着の予定。タリス同様、発車してしばらくで軽食が出た。途中フランスのリールへとまる。その後ユーロトンネルを20分かかって通過する。トンネルに入ってから10分ぐらいして係官がパスポートのチェックに来た。英語を話すかどうかの確認をしたうえで、「イギリスには何日滞在するのか?」「目的は?」「その後は日本に帰るのか?」と、質問された。その場でパスポートに押された印を見ると「チャネル・トンネル」とあった。ケント州アシュフォードに停車したあとは終点になる。仏・独・英のアナウンスも英語だけになった。
 ロンドンでは雨が降っていた。タクシーでマーブル・アーチの近くにあるモントカーム・ホテルにつく。部屋に入ったとたんに電話がなったのであわてて受話器に飛びつくと、トーキイ博物館のリードさんからだった。「ロンドンまで会いに行こうと思っていたのに仕事が忙しくて、ごめんなさいね。今夜もこれからパーティーにでかける」のだと言う。エクセター大学の主催でクリスティについての講演がシリーズであるらしかった。10分間ほど私的な会話を交してから再会を約束して電話を切る。夜、明日のクリスティ協会訪問に備えて、エレインさんからもらったメールのコピーに目を通し場所を確認する。
8月1日(金曜日) 10時の約束に合わせてタクシーでスローン・ストリート141のゼネラル・トレーディング・カンパニーへ行く。「ブッカー・エンタテイメント」と書かれた所のブザーを押して名前を告げると、「最上階へあがってください」と、女性の声。その声の主がニューズレターの編集者エレインさんだった。目鼻だちの整った美人で、私が想像していたよりも若い女性だった。ここで7年半働いているが、スコットランドのグラスゴーの出身で、ご主人とはサリー州(ロンドンの南)に住んでいるという。会長のプリチャード氏(クリスティのお孫さん)はウエールズから週2日この事務所へ通って来るが、今日はアメリカからのお客さんとゴルフに出かけて留守だった。お子さんが3人あり(そのうちの一人はオーストラリアに住んでいる)最近二人目のお孫さんができて「53−4では、おじいちゃんとお呼びするのもね…」と、エレインさんが笑いながら言った。アメリカにクリスティ協会が出来たことや、9月のトーキイでの集りには日本からも3人の参加申込みがあったこと、新しくなったニューズレターについてなど、30分位のつもりが1時間以上も話込んでしまった。クレスウエル・プレイスの家への地図をコピーしてもらってお別れする。雨が降ったり止んだりするなかをタクシーで家探しにでかけた。薄水色のプラークにアガサ・クリスティの名が記されたその家は今も22番地にあって、静かに私たちを迎えてくれているようだった。午後6時、ANA202便で日本へ。



ミセス鈴木のパン・お菓子教室

第7回 バナナブレッド

鈴木 千佳子

 前回はお休みとなった本欄ですが、子供会やPTA、剣道の役員会の活動で忙しく、原稿が少し遅れたというわけです。秋には地元磐田市で展覧会を開くなど、相変わらず精力的な活動を続けている鈴木さんですが、今後もこの欄は継続するはずです。今回のバナナブレッドにも、ぜひ挑戦してみてください(S)。


はじめに
 イギリスには”ブレッド”と呼ばれるケーキがたくさんあります。パン種にドライフルーツやはちみつ、スパイスなどを混ぜて作ったものがケーキの始まりだったため、ジョートブレッド、ジンジャーブレッドなど”ブレッド”と名のつくケーキが残っているのです。
 わが家では子供達の大好きなバナナを熟すまで、いかに彼らの目から隠しとおすか……難問です。熟してくると、とてもいい香りが漂ってくるし……。大きな子供も油断できないし……。
材料 ф18cmのエンゼル型1台分

作り方

  1. バターをクリーム状にし、きび砂糖、塩を少しずつ加えてよく混ぜる。バターに空気を含ませるように丁寧に(ホイッパーか木べらで)。
  2. よくほぐした卵を少しずつ加える。多く入れすぎると分離するので、充分に気をつけること。
  3. バナナリキュールがあれば、ここで加える。
  4. ふるった薄力粉とB・パウダーを2回に分けて加え、ゴムべらで切るように合わせる。
  5. フォークでつぶしたバナナを加える。
  6. 砕いたピーカンナッツ(くるみでもよい)を加え、さっと混ぜて型に流す。この時、中心の穴の近くの種を低くしておくとこぼれにくい。
  7. 予熱しておいたオーブンで160゜、30〜40分焼く。竹串をさしても何もつかなければ出来上がり。
  8. アミの上でさまし、さめたら粉砂糖をふる。

★焼きたてより、一日置いたほうがおいしい。ただし、夏場は涼しい所に置くこと。
★バナナの変色が気になる人は、レモン汁をふりかけておくとよい(下準備の最後にバナナをつぶせば大丈夫)。
★型にはバターを塗り、強力粉をふり、余分な粉をおとして冷蔵庫で冷やしておく。


本号が送られた頃には、本屋の店頭にあるかどうかわかりませんが、朝日新聞社が出している「小説TRIPPER」(1997年冬号)には”女探偵の読み方”というミステリーの大特集があり、そのトップは「クリスティー大研究」になっています。この紹介文を書いている現在、まだ現物は見てないので正確な題名は知らないのですが、「クリスティの足跡を訪ねて」やら「ポアロやミス・マープルの肖像」といった文章(約30枚)は私が書きました。私の担当部分は、まあ、代わり映えしない内容ですが、カラー写真を多用しているはずなので、全体としては楽しい特集になっているはずです。担当編集者からはぜひともPRしてくれと強く(?)言われておりますので、よろしく!(S)

クリスティ症候群患者の告白(その23)

数藤 康雄

7月×日 困ったことだが、WH通信No.53は急いで作ったこともありミスが目立つ。例えば32頁のドロシー・サイヤーズはドロシー・セイヤーズの間違い(ローマ字入力の際、原綴りのsayersからsaと入力したため)。それらは単純な入力ミスだが、本をきちんとチェックしなかったための間違いもある。代表例は、34頁の 「" The Greenway"(by Jane Adams)を空港売店で買う。クリスティの別荘と同名の大きな屋敷で起きた神隠しのような事件を扱っていて……」の部分である。
 この作品はすでに早川書房から翻訳されていて、訳題は『小道で消えた少女』となっている。つまり少女が消えたのはグーリンウェイという屋敷ではなく、グリーンウェイという小道でした。グリーンウェイという言葉からついクリスティの別荘を思い浮かべてしまい、グリーンウェイ・ハウスの鬱蒼した庭でなら少女が忽然と消えても当然と勘違いしたというわけである。まあ、私の英語力もイイカゲンだが……。
×月×日 かなり前の話であるが、いつか書こう、書こうと思いながらスペースの関係で書けなかったものである。
 クリスティ生誕百年記念年であった1990年は、雑誌やテレビなどでクリスティが取り上げられる機会が増え、マスコミ関係者からのクリスティに関する質問も多くなった。それらの質問は一般にそう難しくはないのだが、ある女性プロデューサからの質問はなかなか答が見つからなかった。
 その質問とは、雑誌「ミステリ・マガジン」のスポーツ・ミステリーの特集で翻訳家の宮脇孝雄氏が触れていた、自転車をトリックに利用したクリスティのミステリーの題名は何か? というものであった。
 もちろんクリスティの作品はすべて読んでいるが、きちんとトリックを整理・分類しているわけではない。このときも即答ができず、調べてから返事をすることになった。しかし短編集まで調べても、自転車をトリックに使ったミステリーはみつからない。自伝を読んでもサイクリングを楽しんだという記述もない。どうも宮脇さんが勘違いしたのではないかと思い、その旨を返事した。
 でも私の調査もイイカゲンなので、当時「クリスティー小事典」の作成でつき合いのあった早川書房の編集者を介して宮脇さんにその作品名を教えてもらうことにした。しかし宮脇さんの答は「確か短編にそのような作品があったはずだが、いまは思い出せない」というもので、残念ながらそのままになってしまった。
 それが、数年前、某作品を読んでいたら自転車をトリックに使っているではないか。未読の人のために題名は書かないが、『書斎の旅人』という英国ミステリーの評論集を書いた宮脇さんなら、うっかり間違えるのも当然と納得した。クリスティに関する質問のうち、答えられなかったものがひとつ減ったのは嬉しいことだ。
×月×日 これも、スーペスが空いたときに書こうと思っていて、忘れていたことである。日本醫事新報社の『推理小説医学考』(角田昭夫著)は、医者・歯科医の登場するミステリーを紹介したもので、クリスティ作品を論じた章には、『スタイルズ荘の怪事件』から『カーテン』までの12の作品が取り上げられている。お医者さんを対象に書かれた文章だが、うれしいのは『アガサ・クリスティー読本』(新版)で本クラブ員がまとめた登場人物一覧表が引用されていること。でも、参考文献欄には旧版の『アガサ・クリスティー読本』が挙げられているではないか! まあ編集者の単純なミスであろうが……。
×月×日 集英社から出た『世界の名探偵コレクション10 ミス・マープル』を読む。雨沢泰さんの新訳で読みやすい。マープルを知ってもらう入門書として好適であるが、どうしても引っかかるのが、解説の「『牧師館の殺人』でミステリー界にデビューしたミス・ジェーン・マープルはいわば……」という文章である。厳密に言えば、「火曜クラブ」(1928年)でデビューしたミス・マープルが正しい。「小説TRIPPER」からクリスティ特集の原稿を依頼されたとき、その点だけは力説したいと、後のことはあまり考えずに喜んで引き受けてしまったというわけである。
×月×日 インターネット上の当会のHPは半年に1回しか更新しないのに、田中さんがカウンタを付けてくれたので、結構接続されているのがわかった。そこで最新号が出るたびにバックナンバー(電子データの残っているWH通信のNo.38以降)を載せることにした。ティー・ラウンジもすべて載せますので、ご了承ください。古い号でもインターネットに名前が載るのはゴメンダという方は、事前にご連絡下さい。No.39は来年の始めにはアップしたいと思っているのですが……。よろしく!


ティー・ラウンジ

■目下来春にミステリー文学資料館の開設が文部省の認可を得ましたので、その整理に追われています。「通信」も永久に保存する所存です(中島河太郎さん)。
 ありがとうございます。ただ継続しているだけでもありますが……(S)。
■「ミントンでティーイギリスの春かなた」なかなか行けそうにもないあこがれの国への思いをうたったつもりの一句です。お笑い下さい。けれどもようやく多少とも身軽になった昨年のこと。イギリスは南部にある小さな町ボーンマスを旅して来ました。住宅地を歩くと絵本から抜け出したような家が建ち並び、どの庭にも花が美しく咲き乱れていました。そしてクリームティーのおいしかったこと! この次には、このティー・ラウンジでも時々話題になるクリスティゆかりの地トーキイを是非訪れたいと思っています。イギリスが「遠きにありて思う」国でなくなったのは、私にとって本当に幸せなことです(日名美千子さん)。
■先日「日陰のふたり」というイギリス映画を見てきました。プログラムを読んでいたら、ラジオで「史上初のミス・マープルを演じた」女優さんが出演していたことがわかりました。4年前のことらしいですが、ラジオでもクリスティ作品の番組が放送されていると知って「国民的作家」なのだなぁ……と改めて感心しました。コピーを同封致しますのでご覧になってください(安藤靖子さん)。
 その女優さんはジューン・ホイットフィールド。英国を代表する喜劇女優の一人だそうですが、全然知りませんでした。放送は「牧師館の殺人」です(S)。
■パリー・パイクの弟が Agatha Christie:The Collector's Guide を執筆中の由。出版がいまから楽しみです。小生は先日、Parker Pine Investigates の米初版カバー付きを $250 という破格の価格で購入しました。英版ならおそらく、あっても百万円は下らないでしょうか。億万長者のコレクター(アメリカにはこういう連中がごろごろいる)ではないので、米版でせめて我慢するしかありません(森英俊さん)。
■夫からよく「またポアロ? おたくだねー」と言われ続けた私がインターネットのウェブサイトで「自選ベストテン」なんてHPをやっている似たような人が結構いるのをみて、どんなに嬉しかったことでしょう!! あまり他の推理ものは読まないので(やはりイギリスものが多い)、ファンクラブの存在はこれまで知りませんでした。もともとは「イギリスおたく」&「スペインおたく」で、写真だの本だの買ったり図書館で借りたり、その手の学校(つまり語学の学校)へ通ったりしました。イギリスにも半年程滞在したことがあって、トーキイへも遊びに行きました。当時はクリスティを読んでなかったので全然覚えてない……残念!! そのような下地があったから、クリスティにどっぷりはまって、イギリスの風景なんかを懐かしんでいるのかもしれません。独身時代の一番輝いていた頃の自分をも……。クリスティの小説って、そのようにひたれるところがあると思います(長谷川千恵美さん)。
■永田さんの「映画化・TV化リスト」が大変参考になります。映画「秘密と嘘」に出演してる俳優さんの演技力が全員素晴らしい。必見の映画です。「月下の恋」も悪くないですけど。今年前半のミステリー映画ベスト1は「真夏の出来事」です。ヒッチコック「ハリーの災難」を思わせる死体コメディで、少ない俳優で最後まで見せます(今朝丸真一さん)。
■いまROM誌の「黄金時代英国探偵小説吟味」のため、クリスティの『スタイルズ荘の怪事件』を再読しているところです。お話は楽しめるのですが、気になるのが翻訳。ペイパーバック片手に、ハヤカワ、創元、新潮の各文庫版に目をとおしてみたのですが、程度の差はあれ、どれも引っかかる箇所があります。一番困ったのが田村隆一訳のHM文庫版で、作者と訳者の組み合わせから、これは信頼できると思っていただけに誤訳の多さがショックでした。口直しに明るい話題。邦画の「誘拐」は、ミステリ・ファン必見の出来で、ひさしぶりに劇場で唸りました(塚田よしとさん)。
■今回の永田さんの記事には驚きました。ただ怠惰な一読者たる小生には縁のない世界ですが。最近は国書刊行会のシリーズと、何故かSFに(また)凝っていますが、我が家の小学3年生が『ABC殺人事件』だの『アクロイド殺し』だの、子供向きのものを楽しんで読んでいるようです(佐藤康則さん)。
■とうとう猫も杓子もインターネットがやってきましたか……。パソコン、ファミコン、ホームページの何やらソフト等々、私には異星語としか思えません。何故そんなに膨大な情報が性急に必要なのでしょう……。何故そんなに頭の中に知識をたたき込まなくてはならないのでしょう。まぁ、その様な職業の方ならいざしらず、私には分かりません。
 今に地球は頭脳革命を起し、人間は電子音で聴覚を破壊し、電子光で視覚を破壊し、人間は人間でなくなる時がきっと来るでしょう。奈良の当麻寺で、あの大曼陀羅の前に立った時、永劫の美と時空を越えた静寂に我身を置いたことに感謝し、満足を覚えた自分を大切にしたいと思いました。まあ〜、世界の行く末など、どうでもよろしい。夏には絶対R・レンデルです。何故夏なのか???
     観劇の幕間に忙し扇子かな     ひろこ      (土居ノ内寛子さん)
■この春、転勤で9年ぶりに東京に戻ってきました。バブルの前後で大きく変った東京という街の姿に驚いています。インターネットのホームページ、ちょくちょく覗いて楽しんでいます。仕事が少し楽なポジションになったので(早くも「窓際」か?)、またゆっくりマープル物でもひもとこうかと思っています(八代到さん)。
■小生は六十歳の大台を越え昨年退職となりました。歳をとったらクリスティでもゆっくり読み返してみようと思っていたのですが、目が案外ゆうことをききませんね。クリスティが女性なので、ファンクラブも落ち着いたミセスが多いような感じがします(三宅俊行さん)。
■年2回送っていただいて、懐かしく拝見しております。お客様で美食家のポアロの名前に引かれて泊りにみえる方もおり、そのたびに嬉しくなってしまいます。今は、ハーブをたくさん植えて、それを使っての料理に凝っています(木津谷洋子さん)。
 木津谷さんは伊豆のペンション「ポアロ」のオーナーです(S)。
■釈迦に説法ではありますが、ポアロの頭と顔の違いに言及したものは未だ無かったような気がしましたので……。あるいは小生が無知なだけかもしれません。お気づきのことをご教示くだされば幸甚です(矢野浩三郎さん)。
 『世界の名探偵コレクション4 エルキュール・ポアロ』(集英社文庫)の解説の中で、egg-shaped head は、素直に解釈するなら”卵形の顔”になるという新説を披露しています。ぜひ読んでみてください(S)。
■僭越ながら初めてのクリスティーを訳す機会を得ました。手ごわい相手でした。本人としては後半の作品のほうが、まだましな出来かと思っています。「風変りないたずら」の最終行のみ、従来と違った解釈にしました(雨沢泰さん)。
 『世界の名探偵コレクション10 ミス・マープル』(集英社文庫)のことです。新しい解釈とは? こちらもぜひ読んでみてください(S)。
■今までずっとマンションでベランダ園芸をやってきて、引っ越して、やっと本当に小さな庭を手に入れました。マープルのようにカタログを眺めて球根のひなさだめやら、苗の吟味やらしていると、ぜひともジキタリスを植えたいと思ってしまいます(あれは背が高くなるのですね)。クリスマスローズととりかぶとは植えたのですよ。どうして毒草を最初に喜々として植えるのか、一人で笑ってしまいますが。このごろイングリッシュ・ガーデンがはやりなので、マープルさんの庭とかが容易に想像できるので楽しいです(TVやビデオの影響が大ですね)(田中裕子さん)。
■5月に、「イングリッシュ・ペイシェント」を見てきました。アカデミー賞の作品賞、監督賞など9部門受賞のイギリス系の映画です。第二次世界大戦中の話で、イタリアの田舎の廃墟と化した修道院で、アフリカ戦線から運ばれてきた顔中にやけどをおった患者を看る看護婦の日々とその患者のアフリカ(砂漠)での追想、時間を超えてふたつのロマンスが交錯しながら描かれるわけです。その患者(イギリス人の患者、実はハンガリー人)の過去が、少しづつ明かになっていくのもミステリアスです。
 看護婦ハナがインド人の爆弾処理の兵士キップに、夜、教会に連れていかれ(蝋燭が点々と灯されているのに従っていくと、蝋燭のアーチがあり、キップが待っている、ここも美しい)、ロープに吊られて、松明の明かりで壁画を見るところなど、ファンタジックな映像です。それに、砂漠って、神秘的で、謎に満ち、幻想的です。日常を離れて、ロマンスが始まっても不思議ではありません(他にも砂漠のロマンス映画って多いですよね)。
 映画の始まりは、少し、ストーリーに入っていくまで、説明不十分に進められて、おやっと思うのですが、物語に入ると全部で2時間45分、まったく飽きることなく観ることができました(須山健史さん)。
■”浜松百選”(97年6月号)というタウン誌に<ミステリー図書室「アガサ」>の記事が載っていました。ところでコンピュータのできない私には、前号の内容についていけないところが多く、「皆さんすごいなあ」と思いつつも世の中の動きから取り残された気分でいます(小野裕子さん)。
■インターネットは門外漢の私にとっては、後ろのほうの人間臭いページ、毎度おなじみの、S氏の告白や「ティー・ラウンジ」の方が、とっつきやすくていいです。やっぱ。今号で感動したのは、斎藤信也さんのペンネーム、赤沢栗介です。クリスティにあまり似すぎた名前ではおそれ多いからと、”栗介”と名乗る程度で我慢する。その慎ましさ、愛らしさ! おまけにその名前で四百枚の原稿をモノにして応募されたそうで、そんなエネルギーの要ること、滅多に出来るものではありません。”栗介”には、白野弁十郎ことシラノ・ド・ベルジュラックを想起させるような古風なゆかしさもあり、感じ入ってしまいました(泉淑枝さん)。
■この秋は、「小説TRIPPER」(朝日新聞社、冬号)の原稿という予定外の仕事(?)が入ったうえに、EQ誌も年間の書評をまとめた別冊を出すというので追加の書評を書かなければならず、正直いってWH通信の編集にはたいして時間を割けませんでした。そのうえ週末は日本サッカーをテレビで応援していたので(野球より面白い!)、少ない遊び時間がますます少なくなってしまいました。でも、どうにか年内発送は可能と思われる状況になり(日本もフランスへ行けるので)、一安心です(S)。
■夏休みには映画を観にいけませんでしたが、平日の都心への出張の帰りに2本も観てしまいました。1本は6月に観た「シャイン」で、もう1本は10月に観た「ゴー・ナウ」です(忙しくなるほど観たくなるもので)。後者の映画は知らない人が多いと思いますが、心暖まる英国の青春映画です。では来年も、よろしく!!


 ・・・・・・・・・・ウインタブルック・ハウス通信・・・・・・・・・・・・
 ・☆ 編集者:数藤康雄 〒188      ☆ 発行日 :1997.12.24 ・
 ・ 田無市南町6ー6ー16ー304        ☆ 会 費 :年 500 円 ・
 ・☆ 発行所:KS社             ☆ 振替番号:00190-7-66325・
 ・ 品川区小山2ー11ー2           ☆ 名 称 :クリスティ・ファン・クラブ ・

ファンクラブのHPに戻る