ウインタブルック・ハウス通信

クリスティ・ファンクラブ機関誌

1996.12.24  NO.52

クリスティの十二支(その13)

 「内務大臣はこの難問題をアウゲイアス王の大牛舎の掃除にたとえましたが、じっ さいこれは大洪水のような猛烈な力を、大自然の破壊力を――言いかえれば奇蹟その ものを必要とすると思います」
 「ということは、ヘラクレスを必要とするわけですね」ポアロはさも面白そうな表情でうなずいてから、つけ加えた(『ヘラクレスの冒険』高橋豊訳より)。

< 目  次 >

◎蜘蛛の巣(WORLD WIDE WEB)の中のクリスティ―――数藤康雄
◎グリル・ルーム――――志津野直子、金田京子、浜田ひとみ、新谷里美
◎エッセイ紹介  キャロリン・G・ハートの「アガサ・クリスティ探求」――――安藤靖子
◎ミセス鈴木のパン・お菓子教室(第6回、パウンドケーキ)―――鈴木千佳子
◎クリスティ症候群患者の告白(その21)―――数藤康雄
◎ティー・ラウンジ
★表紙   高田 雄吉

蜘蛛の巣(WORLD WIDE WEB)の中のクリスティ

数藤康雄


 インターネットが面白い。これまでの私の帰宅パターンといえば、週に1回ほど本屋や古本屋に寄り道して帰宅が遅くなる以外は、仕事が終ればそのまま家に直行するというものであったが、インターネットに接続してからは、本屋への寄り道よりは、インターネット探検の方が楽しいというわけで、仕事が終ってもパソコンから離れられなくなってしまった。ネット・サーフィン(つまりあちこちのホームページ(HP)を渡り歩くこと)をしていると、帰り時間が毎日遅くなる。帰宅パターンが急激に変わったので、妻には浮気しているのではないかと疑われたが(ウソ、ウソです)、なにインターネットにちょっと浮気しただけである。本号が出る頃には、また週1回の本屋への寄り道という以前の帰宅パターンが復活していると思うが、ここでは、浮気の告白として世界各地のクリスティ関連のWWW(WORLD WIDE WEB)サーバを覗いた結果について簡単に報告しておこう。
 ただし会員の中で、日常的にインターネットを利用している人はごく少数と思われる。あのHPアドレス(URL)にはこんな情報があります、といったことを書いても、参考にする人はほとんどいないであろうし、第一インターネット上の情報は日々変化しているので、この雑文を書いている時のURLも、本号が完成する頃には消えている可能性もある。したがって迅速さが望まれるHPの内容紹介などは、半年に1回しか発行しないWH通信には最もふさわしくないものなのだ。インターネット未体験者のために、URLなどの具体的なデータを書くよりも、ネット上のクリスティ情報自体を詳しく紹介してみたい(なおインターネットそのものに興味をもたれた方には、立花隆の『インターネット探検』(文藝春秋)がお勧めです)。
 まず私にとってインターネットが最も有益だったのは、『アクロイド殺害事件』に登場するディクタフォン(Dictaphone)の情報が実に簡単に手に入ったことだった。私が熱狂的なクリスティ・ファンになったきっかけは、度々書いていることだが、磁気記録の研究を卒論のテーマにした関係で、『アクロイド殺害事件』に使用された録音機(Dictaphone)の性能を遊び半分で調べたからであった。そして当時の磁気記録装置の性能から判断して、ディクタフォンをトリックに利用するのは不可能だと結論づけたのだが、大きな誤りは、ディクタフォンを磁気記録の原理を応用した録音装置と思い込んでしまったことである。ディクタフォンは蝋管に機械的に溝を刻んで音声を記録する、いわばエジソンの蓄音器と同じ原理を用いた録音機であったのだ。
 このような間違いは、1970年代の中頃にアメリカのクリスティ研究家ラムゼイ氏からディクタフォン社の住所を教わり、アメリカの本社に手紙を出して副社長から返事を貰って初めて気付いたことであった。かなり苦労して入手した資料といってもよいが、それでもディクタフォンについての技術的資料としては不十分なものであった。それが、インターネットでは簡単に調べられたのである。
 インターネットには、いくつかの検索エンジンが設けられている。検索エンジンとは、世界中のHPは無秩序に増殖するため、HPの内容を整理・分類し、キーワードを入力することによって、それに関連するURLを教えてくれるというものである。そのような検索エンジンでもっとも有名なものは"Yahoo"であるが、私はアメリカにあるDECの"Altavista"を愛用している(なにしろ速いし、関連情報をたくさん表示してくれる)。で、この検索エンジンに"dictaphone"という単語を入力し、検索ボタンを押せば、数秒でディクタフォン社のHPアドレスがわかる。
 さっそくそのHPに接続してみると、結構詳しい情報が公開されている。特にディクタフォン社の歴史が面白く、以下のような内容であった。
 そもそもディクタフォンを開発しようと決意した人物は、電話を発明したアレキサンダー・ベルだそうである。彼は、電話の声を録音することを目的とした研究プロジェクトを1881年に発足させ、1886年には”Graphophone”と呼ぶ装置の特許をとった。この装置は蝋管に溝を刻みながら録音するもので、もう一度録音するためには、溝の刻まれた蝋の表面を削り取って新たに溝を刻む必要があり、一つの蝋管では30回しか録音できないというものであった。ディクタフォンの原理から考え、私はエジソンが発明者だとばかり思っていたが、ベルだったわけである。
 やがて1888年には、後のコロンビア・グラムフォン社にその特許が売られ、ディクタフォンが商標登録される。そして1923年には、再びコロンビア社から事務機器部門が独立してディクタフォン社が組織される。したがって1926年に『アクロイド殺害事件』に登場するディクタフォンとは、ディクタフォン社が積極的に事務機器として売り込みを開始した時期のものであり、クリスティが新し物好きであることがよくわかった。今でいえば、ハイテク技術を利用したザウルス(携帯用パソコン)をトリックに利用したというようなものか?
 ところが残念なことに、1930年代のディクタフォンについては記述がまったくない。そして1947年には記録材料を蝋管からプラスチックのDictaBeltに変更したと述べられている。つまりその年から、蝋管をやめて磁気テープを使用することになったというわけである。確かソニーの前身の会社がテープレコーダを日本で市販したのもその頃である。その後のディクタフォン社の歴史は、クリスティとはまったく関係なくなるので省略するが、今では会社の事務合理化全般を業務の対象として、しぶとく百年以上も生き延びているようである。
 このようにインターネットでは欲しい情報を簡単に手に入れられることがわかったが、とはいえ、それらの情報の多くは無料の情報である。必ずしも専門家が満足するような情報が提供されているわけではない。例えばアガサ・クリスティの情報を得ようと、クリスティとかポアロとかをキーワードにしてHPを検索すると、確かにかなりのHPがヒットするが、いずれも内容はたいしたことはなかった。
 というのも、アガサ・クリスティのHPと堂々と名乗っているのはただ一つで、その中味も、グエン・ロビンズの伝記をごく簡単にまとめたもので(写真もそのまま利用し)、私のようなクリスティ・ファンには目新しい点はなにもない。どうもHPを作成したのがコロンビア大学の学生さんらしく、HTML(HPを書くための言語の一つ)の勉強のために作ったと考えられるからである。
 この点は日本でも同じである。いや、むしろ、日本の方が目立つといった方がいいだろう。例えば京都大学の学生さんが作っているポアロのHPでは、ポアロの登場する作品の不完全なリストと自分のベスト5を載せているだけであり、信州大学の学生さんのHPでは、ごく簡単なクリスティの略歴とクリスティ自選のベストテンが載っているだけであるからだ。
 ちょっと困るのは、このクリスティ自選のベストテンである。これは、明らかに私がクリスティから手紙で教えてもらったもので、これにはいろいろな条件がついているが(自分の考えはよく変わると断ったうえでの、手紙を書いている現時点のという条件で作られたベストテンで、公表を前提としているものでもない)、そんなことは全く無視して載せている。ベストテンだけが完全に一人歩きしているわけで、少なくとも前提となる条件はきちんと書き添えてほしかった。
 このように玉石混淆な情報が含まれているインターネットであるが、クリスティというキーワードばかりを追いかけていると、思ってもみないHPにたどり着くこともある。あるとき『そして誰もいなくなった』の平凡な紹介が載っているHPにたどり着いたが、これはロスアラモス中学校の生徒さんの感想文であった。日本では百校プロジェクトとかいって、まずは全国の公立学校百校がインターネットに接続しているようだが、アメリカではすでにかなりの学校がインターネットに接続していることが、クリスティ作品の感想文からも窺える。なおアメリカのクリスティ協会"POSTERN OF MURDER"の創立者の一人Carolyn Burke さんはWilkes-Barre の小学校の先生のようだが、電子メールアドレスから考えると、彼女の勤めている小学校にもメールサーバがあり、インターネットに接続しているはずだ。インターネット発展の日米間の時間差は4、5年ではないかと思われるので、日本の小中学校の先生もパソコン操作が必須になる日はそう遠くないかもしれない。
 話がそれてしまったのは、ファンクラブ員に小中学校の先生が多いと思われるからだが、もとに戻して、いいかげんなインターネット探検の結果、クリスティについて多少参考になったのは、”ミステリー”というTVシリーズを放映しているボストンのWGBH(なんの略号かはわからないが)のHPぐらいであった。TV映画”ABC殺人事件”のHPには、スーシェの詳しい伝記が載っていて結構面白いし、クリスティの伝記も、コロンビア大学の学生さんが作っているHPのものより読ませる。私自身はTV映画のポアロやミス・マープル・シリーズをあまり見ていないので、これ以上TVシリーズの情報を追うのは中断してしまったが、暇になったら、また見てみたいHPではある。
 ということで、”蜘蛛の巣”上にはクリスティ・ファンにとって魅力的なHPはまだない、というのが1996年8月現在の結論であった。これは、イギリスのクリスティ協会がまだHPを作っていないからだが(電子メールはすでに受け付けているのに)、それならいっそのこと当会でHPを作ったら、とは積極的には考えずにいた(クリスティ・ファンクラブがないなら、勝手に作ろうといった若い頃の気力はもうありません!!)。ところがニューヨークの大学院に留学中の杉下さんから、英語版のHPでよければ大学のコンピュータを利用してクリスティのHPを作ってもいいという話が飛び込んできた。こちらは原稿を作るだけなら簡単だし、クリスティ自選のベストテンなどはきちんとした形で公表しておいた方が誤解されなくていいだろうと考え、英語版のHPを作ることにした。
 ところが不思議なことに英語版のHPを作る決心をしたら、それからなん日も経たないうちに、会員の田中茂樹さんから、日本語HP用のURLを提供してもいいという電子メールが届いたのだ。本来なら私がURLを確保しなければいけないのだが、まさか仕事で使用しているコンピュータを利用するわけにはいかず(すぐにバレてクビだ!)、かといってどこかのプロバイダーと契約して家に帰ってまでインターネットをする気はなく(本がまったく読めなくなる!)、日本語のHPは当分無理だろうと考えていた。有難いことである。
 ただし、英語版は杉下さんが勉強のため一人でHPを作ってくれることになっているが、日本語版はそうはいかない。私が自分でデザインを考え、HTML言語でHPを書かなければならない。その作業自体は自宅の古いパソコンでも可能であるが、画像データの処理やブラウザ・ソフトによるチェックなどは大変である。作業は進まないだろう。今年中に完成するかどうかあやしいが、次号までにはアドレスを発表できると思うので、乞うご期待。
 それにしても最近のHPはどんどん派手になるようだ。私はデザインに極めて弱い人間なので(その上、仕事では画像データを処理する必要がなかった関係でその種のツールを一切持っていないので)、これから作るHPも、WH創刊号の表紙と似たような貧弱なものになるはずだ。WH通信を創刊した25年前に戻るようだが、そういえば、誰かが、インターネット上でのHPによる情報発信は、ガリ版印刷によるミニコミ誌発行と同じようなものだと言っていたはずだが……。
 最後に、ごく少数派のためにミステリー関係の有益なHPのURLを書いておこう。実は1996年春号の"THE ARMCHAIR DETECTIVE"に"MYSTERY ON THE INTERNET"という記事が載り、その中に掲載されている次のHPに接続すれば、好きなミステリー情報にたどり着けることがわかった。URLは次のとおり。
The mysterious Homepage(古いのでURLは削除)
Cluelass Homepage(古いのでURLは削除)
 また国内のミステリー関連HPは以下のURLから自由に飛ぶことができる。
みすりん(北大推理研)(古いのでURLは削除)
 以上は、9月下旬までに下書きしていた文章を書き直したものであるが、その後確認のため11月に入ってから”みすりん”に接続してみると、クリスティ関連のHPがあるではないか。さっそくそこを覗いてみたら、ほぼ完璧なクリスティの作品リストが載っていた。インターネット上の情報は、急速に増加しながら、質も向上しているということなのであろう。
 なお我がクリスティ・ファンクラブのHPも、今号の版下が出来上がる直前に無事完成した。英語版と日本語版のURLは以下のとおり。
 英語版(古いのでURLは削除)
 日本語版(古いのでURLは削除)
 それにしても、WH通信の発行に加えてインターネット上で情報発信を始めたわけだから、いつまで続くかわからないが、例によって”のんびり”と”イイカゲン”で対処しようと考えているので、御協力のほど、よろしく!


グリル・ルーム

志津野直子、金田京子、浜田ひとみ、新谷里美

 前号で初めて正式にオープンしたグリル・ルームですが、前回の料理が好評であったおかげでしょうか、今回も4皿の料理を揃えることができました。いずれも淡白な味付けですが、これは本クラブ員の特徴のようです。あとは、男性料理人が登場してくれると嬉しいのですが(S)。


私の中のミス・マープル

志津野 直子

 前号でマコーリ加代さんのお手紙を拝見し、思わずうんうんとうなずき、とても懐かしい気分になり初めてペンをとりました。と申しますのも私がスコットランドに留学している時、妹夫婦が仕事でアイルランドに住んでいたことあり、休日のたびに訪れ、アイルランドの魅力にとりつかれていたからです。
 そして当時よりクリスティのファンだった私が、私の中のミス・マープルと出会ったのはアイルランドでした。それは友人のおばあちゃまで、上品で穏やかななかにも何か鋭いものがあり好奇心も強く、その上大変な噂好きでした。
 おしゃべりの中にもあまりにも色々な人々の名前が出てくるので、私はとても覚えられませんでしたが、皆同じ村の人々のことでした。いつもバックヤードの庭で、日なたぼっこをしながら編物をしている姿など、それこそミス・マープルそのものだったのです。一度彼女にそう言った時、彼女は嬉しそうに”私もアガサ・クリスティは大好き”と笑っていました。
 今は亡くなられていますが、私はミス・マープルに触れるたびに彼女の笑顔を思い出すのです。少々センチになってしまいましたが、アイルランドはイギリスとはまた違った味のある素朴で、人々がとにかく暖かく、その上ダブリン周辺でもそれほど観光化されていなくて、昔そのままの雰囲気が残っている所が多いのです。私も、イギリスに行かれたらぜひアイルランドまで足を伸ばされることをお勧めします。ブラブラ田舎町を歩いていたら、あなたもきっとあなたのミス・マープルに出会えるに違いありません。アイルランドは、そういう所なのです。


ミス・マープルはクリスティ?

金田 京子

 不変なモノが少ない昨今において、WH通信こそは、数少なき不変なモノと勝手に信じていた私にとって、50号で終りにしようかと考えられた数藤さんの告白にビックリ。でも私は”継続は力なり”だと思っています。  数藤さんの本業が忙しくなったとの告白(その20)を読み、思わずニヤリとした私。実は数年前まで、国の関連の某研究所に毎日お茶を飲みに(?)通っていたので……、お察し申し上げます。因みにEメールのアドレスを名刺に刷り込みたくて税金を使い込んだ人を知っているのであります(私もさっそく名刺を新しくして、Eメールアドレスを追加しました。ようするに理系人間なんて単純なんです(S))。
 マシュー氏のCD−ROM出版等の事業計画を知り、ああ、これが十年前だったら私は、すぐに飛びついていただろうな、と思いました。結局”登場人物の一覧表”の作成でお茶を濁してしまった私にとって、ヤレヤレといった感じ。ペーパーレス化を待ち望むMac派の存在は、レイ・ブラッドベリの『華氏451度』を思い出させるばかり。
 Marpelian(あまり使われない死語?)の私。なぜならミス・マープルがアガサ・クリスティとだぶって見えてしまうから。例えばA・L・ラウル氏いわく”つらい体験後、アガサは人間に対し幻想を抱かなくなった”というくだりは、『スリーピング・マーダー』の中で、ミス・マープルはこう言っています。”人を信じることは、大変危険なことよ。私はけっしてそうはしないわ”と。
 そしてクリスティの二面性についてのくだり。”外見は自信がなさそうだけど、内面は自信に満ちている”というのも、見方によってはミス・マープルもそう見えなくもないと思うのですが……。
 ミス・マープルの私への影響は思わぬところにでてきました。例えば犯人についての性格分析等において、ミス・マープルは村の誰それに似ていて、このパターンはどうだったとかやってますよネ。それと同じようなこと、私もよくやっていて、人の指摘で気付いたという訳なのです。
 いや〜ぁ、クリスティの影響って大きいんですネ。
 とりとめのない事ばかり書きましたが、私の言いたいのは、何もしないファンクラブと言われようが、本を書き続けたクリスティのように、WH通信もそうであるよう、願ってやみません。


クリスティの住んでいた家

浜田 ひとみ

 今年の夏休みには(大学教員の場合、夏休みだけが唯一の利点です)、一応研究という名目で、ロンドン、パリ、ニースに2週間ばかり滞在しました。ニースというだけでご想像がつくように、最後の1週間はコートダジュールでホリデーです。出発前には、ロンドンではSt.Martin劇場で「ねずみとり」を見る予定をたてていたのですが、同行した夫の興味はそこにはなく、今回のイギリス訪問の主目的である1930年代の建築見学に徹したわけです。偶然にもアガサ・クリスティが一時期住んだことのあるというフラットも見学リストの1つにはいっていたため、それだけでがまんしました。何と言っても数年前に2年以上もイギリスに住んでいた時には、マウス・トラップは見にいかず、ファントム・ジ・オペラなど新しいミュージカルや映画ばかり観ていたのですから。
 ということで、ハムステッドのそのフラットの情報を提供しようと思います。クリスティの自伝に書いてあったかどうか記憶にないのですが、短期間であったらしいということですが、数藤さんはご存じですか? 所在地はLawn Road,Hampstead,Londonで、1932〜34に建設されています。W.Coatsという建築家の作品で、Coats' HouseもしくはISOKONFLATと言う名前がついたフラットです(全然知りません(S))。今年の夏は改修されているのか壊しているのかわからないほどの工事をしていました。人が住んでいる気配はありません。建物が出来た当時は近代的で斬新な建物だったにちがいありません。ただ、クリスティが好んだ郊外の住宅とはまったく違っています。TVでみたポワロもののロケ建物にメンデルゾーンという建築家の建てた真白い住宅が使われていますが、それに似た感じのシンプルな白いフラットでした。スライドはとってきております。
 以前にミス・マープルもので、クリスティの小説にかかれた建築表現について分析しようと試みようとしましたが、結局途中で辞めてしまいましたが、今回は『ねじれた家』で場面設定に挑戦しようかと再び思いを募らせております。
 私も予期せずして文部省の科研があたり、お地蔵さんの調査をせざるを得ない状況であります。クリスティ研究のようなものにでもあたればいいのですが。


戯曲「検察側の証人」を観て

新谷 里美

 先日九月十二日に近鉄劇場に「検察側の証人」を観に行って来ました。今年はなるべく「無心」で行くように心がけました。といっても過去に何度か映画化された有名な戯曲なので、女主人公がどんな風に演じられるかが大変気になりましたが……。
 今年は女主人「ローマイン」役に、元宝塚出身の安寿ミラがキャストされていました。堂々としていて、宝塚歌劇のくせもなく、声の通りも良くて、「ドイツ女」の雰囲気を良く出していたと思います。成功!!
 青年役「レナード」の大沢健という役者も、パンフレットによりますと、コマーシャルに出ているそうですが、新鮮な感じで好演していたと思います(「情婦」のタイロン・パワーとはまた違った印象で)。
 残念に思ったのはロバーツ卿役の斉藤晴彦が少し貫禄不足というか重みに欠けていたように思います。むしろマイアーズ検事役の村井国夫と入れ替わっていた方がいいのでは、と思いました。声の調子も少し苦しそうだったし。しかし総合的には、あっという間に時間がたち、十分楽しめる公演でした。相棒の主人は、最後の最後の「どんでん返し」までは想像がつかなかったらしく、なかなか満足した様子でした。
 これで三回目の観劇になりますが、何となく九月にクリスティの観劇が恒例になりそうです。


エッセイ紹介

キャロリン・G・ハートの「アガサ・クリスティ探求」

安藤 靖子

 WH通信に十分なスペースがとれないことや著作権の関係で、原文の全訳を掲載することは難しくなってきました(過去には無断で翻訳したこともありましたが……)。そこで今後は、内容を要約して載せることにしました。興味を持たれましたら、ぜひ原文にあたるようお願いします。
 なお第1回は "Searching For Agatha Christie" written by Carolyn G. Hart (from "The Fine Art Of Murder-The Mystery Readers'Indispensable Companion" edited by ED Gorman,Martin H.Greenberg,Larry Segriffwith.Jon L. Breen    Carroll& Grof Pub.Inc N.Y.(1993))の紹介です(S)。


 「私たちは本当にアガサ・クリスティを知っているのだろうか?」という問いかけに対して、著者はまず、クリスティ自身と彼女を実際に知っていた人々の言葉を引用して、クリスティの性格、傾向を呈示している。両者に共通しているのは、八項目のうち「内気な」(shy)の一語にすぎないが、クリスティ自身の自己評価は当然謙虚であり、第三者のクリスティ評には好意的なものが多い。「彼女は愛情と幸福とを発散させていた。」という二度目の夫マローワン氏のクリスティ評は、彼女の人となりを知るにはあまりにも漠然としている。エッセイスト達のなかには、わざと謎めかして作品のうしろに身を隠してしまうクリスティのような作家を知ることはまず無理だと主張するむきもあるらしい。クリスティには自伝があり、伝記作家による伝記もある。しかし、ジャネット・モーガンの伝記にしても、ウエストマコット物に焦点を当てて書かれた「この種の本の中では最も暴露性の強い」ギリアン・ギル博士の伝記にしても、クリスティの本質に迫るものではない、というのが著者ハートの主張である。
 クリスティは一体どんな人だったのか、彼女の真の姿を知るために著者がすすめる方法、それは、クリスティ作品の再読である。この再読のすすめは、作家は作品のなかで登場人物を通して自己を語るものだという、自らも作家である著者の信念にもとずいている。長編8作、短編2作中、ミス・マープル、パーカー・パイン、オリバー夫人といったおなじみの人物のほか、7人の登場人物の言葉の中からクリスティが本心をのぞかせている部分を探り出し、著者なりの分析をくわえて人間クリスティ探求を試みている点で、このエッセイはとても興味深い。ここに、彼女自身の人生にかかわるいくつかを紹介しよう。
 アン・ベディングフェルド(『茶色の服の男』)の言葉……「私には自分のほうから冒険を求めていけば、冒険が途中まで迎えに来てくれるという信念があった。望むものは必ず手にはいるというのが私の持論である。」……冒険を求め、新しいことに次々と挑んでいく態度は、クリスティの生涯変わらぬ性格を最もよくあらわしている。この性格は後に人生のコースを変えることにもなった。最初の夫アーチーとの離婚後、西インド諸島での休暇を予定していた彼女は、出発の二日前に急遽その予定をキャンセルしてオリエント急行による旅行に変更した。結果的には二度目の夫マックスと出会うきっかけをつかむことになった。
 ジョン・クリストウから愛人である彫刻家ヘンリエッタ(『ホロー荘の殺人』)への言葉……「もし僕が死んだら、君は涙を流しながらもまず、悲しみにあふれる女性か、嘆きの像にとりかかるだろう。」この一節は、彫刻家と作家の違いはあれ、書くことは鍛錬の賜物ではなく、人生の核であり、作家とは書かねばならない存在であることを示している。
 モーリン・サマーヘイズ(『マギンティ夫人は死んだ』)の言葉……「私は食べる物とか、着る物とか、する事などは全然問題じゃないと思います。物は問題じゃないと思うんです。」クリスティは美しい家に住み,立派な家具調度を楽しんで生活していたが、大切なのは入れ物の家ではなく中身の家族だということをわきまえていた。
 ミス・マープル(『鏡は横にひび割れて』)の言葉……「子供は敏感なものですからね。まわりの人達が想像する以上に感じやすいものなのです。」ハートはフランスアルプスで家族と共に過ごしたクリスティの少女時代の思い出に言及している。ガイドが好意で帽子に付けてくれた蝶をめぐって、蝶の苦しげな羽ばたきとガイドへの気づかいのジレンマに立って苦悩する場面である。母親はただ一人彼女の気持ちを察知し、蝶をはずして逃がしてやる。
 クラブトリー婆さんから愛人ジョン・クリストウの死を嘆くヘンリエッタへの言葉……「思い悩む事はないわ。過ぎたことは過ぎたことよ。もとにもどすことはできないんだから。」これは、クリスティが一度目の結婚から学んだ知恵であった。彼女の前向きな姿勢がうかがえるバージニア・レベル(『チムニーズ館の秘密』)の次の言葉もあげておこう。「新しい経験を買うのは、新しいドレスを買うみたいに楽しいものよ。実はそれ以上かも。」
 ミス・マープル(『書斎の死体』)の言葉……「たいていの人は−警察の方々も例外ではありませんが−不正な世間を信用しすぎているというのが本当のところでしょう。人の言ったことを信じている。でも私は違います。私は自分で納得するまで調べるのが好きなんです。」クリスティは世間が自分の思いとしばしば違っていることを知っていた。彼女はアーチーとの結婚が終わることは決してないと思っていた。つまり、彼の愛情は永久に続くものと思っていた。だが、悲しいかな、現実はちがっていた。アーチーは子供のころ彼女を悩ませていた悪夢の化身となってしまったのだ。こうしたクリスティの認識は、多くの作品に生かされている。なるほど、ハート流に「クリスティの心を求めて」作品を再読することは、何よりも手っ取り早く、確実にクリスティを知る方法かもしれない。彼女の人生のストーリーを知るファンにとってはなおさらのこと、再読もまた楽しということになろうか。



ミセス鈴木のパン・お菓子教室

第6回 パウンドケーキ

鈴木 千佳子

 今回のレシピはパウンドケーキ。お手紙によりますと、「今回こそ、X'masプディングを……と思っていたのですが、他用(雑用?)に追われていつの間にか秋になってしまい、研究不足で間に合いませんでした。パウンドケーキは一般的なものですが、これからの季節、おいしくいただけるものだと思います」とのこと。ぜひ挑戦してみてください(S)。


はじめに
 パウンドケーキは1ポンドずつのバター、砂糖、卵、粉を使って作ったため、この名がつきました。ドライフルーツや木の実もたくさん加えるのでフルーツケーキとも呼ばれ、かつて世界中の植民地から様々なフルーツや木の実を集めることのできた大英帝国時代があったからこそ作られるようになったものと言えます。
 また、スパイスやお酒をたっぷりきかせてじっくり焼きあげたものは、最近流行のウェディング用シュガーケーキの土台ともなります。
 二年前、友人の結婚式用に作ったとき、冷凍しておいた二段目のケーキを一年後の結婚記念日にわけていただきましたが、全く味は変わりませんでした(いつか、TVの番組で取り上げていた五十年目のものは、さすがに味がなかったようですが)。保存状態さえ良ければ、とても長持ちするケーキです。ただ、これはお酒がたっぷり入っているので、大人向けの味。おやつ向きとは言えません。
 今回は、一般的なフルーツケーキの作り方をご紹介します。もっともお酒をきかせたい方は、ケーキが熱いうちにハケでブランデーかラム酒を打ち、冷めてから、お酒に浸したガーゼで包んでラップにくるみ、冷暗所に保存しておくとおいしくなります。一週間後くらいが食べ頃、熱い紅茶にとてもあいます。
材料 8×6×19cmのパウンド型1本分
バター―――――90g
砂糖――――――80g
蜂蜜――――――10g
卵―――――――90g
バニラ―――――少々
塩―――――――ひとつまみ
薄力粉―――――90g
B・パウダー―――小さじ一杯
フルーツ漬* ―――120g
スライス・アーモンド―――――少々
(*チェリー、アンゼリカ、オレンジピール、レーンズなどを、ラム酒かブランデーに1カ月以上漬けこんだもの)
作り方

  1. バターをクリーム状にし、砂糖、蜂蜜、塩を少しずつ加えてよく混ぜる。バターに 空気を含ませるように、丁寧に進める(ホイッパーか木べら)
  2. よくほぐした卵を少しずつ加える。多く入れすぎると分離するので、十分に気をつけること。
  3. バニラを加え、ふるった小麦粉とB・パウダーを二回にわけて加え、ゴムべらで切 るように合わせる(このとき、一部をフルーツ漬にまぶしておくと、焼いている途 中でフルーツが沈まない)。
  4. フルーツ漬の水分を切って、粉をまぶしておいたものを加え、さっと混ぜる。
  5. パウンド型(敷き紙をしておく)に流し、真中を少しへこませておく。
  6. 上面にスライス・アーモンドを散らし、予熱しておいたオーブンで190度20分、 150度30分と連続して焼く。竹串を刺して、何もつかなければ焼き上がり。型 から出し、アミの上で冷ます。
 表面が乾燥してしまったら、ブランデーかラム酒をハケで少し打つとよい。

クリスティ症候群患者の告白(その21)

数藤 康雄

×月×日 英国クリスティ協会の機関誌(Christie Chronicle)をまとめて読む。まず1996年春号では、1994年より「ねずみとり」の美術監督に就任しているデビッド・ターナーのインタビューが興味を惹く。現在の予想では、50周年記念年(2002年)には、2万公演に達し、1千万人が観ることになるという。またこれまでは毎年役者を変えていたが、1995年から6カ月で交代させるようにしたそうだ。したがって、1年に16人の役者が必要になるが、約4千人の応募があるそうだ。俳優にとっても「ねずみとり」はひとつの登竜門になっているのだろうか?
 次に1996年の夏号では、P・ソーンダース(「ねずみとり」の最初のプロデューサ)のエッセイが圧倒的に面白い。彼によれば、40年以上にわたってさまざまなインタビューを受けたものの、結局は5つの質問に集約できるとしているが、その質問に対する彼の答えが面白いのだ。例えば4番目の質問(この劇はどのくらい続きますか?)に答えて、彼いわく「終らせる理由など、どこを探したってまったく見つからないよ」。その他の質問と答えも笑いを誘う。
×月×日 EQ誌(1996.7月号)に載ったボアロー&ナルスジャックの「サットン・プレイスの謎」を読む。これはミス・マープルの贋作という珍しい短編である。ミス・マープルが少しおしゃべりすぎるきらいはあるものの、なかなか楽しいパロディになっている。クリスティ関係の贋作、パロディは数多くあるとは思えないが、そろそろきちんとしたリストを作る必要がありそうだ。雑誌などに掲載された作品で、覚えている作品があったら、忘れないうちに御一報を!
×月×日 詳しい説明は省略するが、2週間ほど仕事で欧州へ行くことになった。これまでは海外出張は可能な限り避けてきた。理由は簡単、英会話ができないからである。もちろん「入国目的は?」と聞かれて、「エー、アノー、ビジネス」と答えるぐらいは私にもできる。しかし、仕事ではそれでは勤まらないので、「私より適当な人がいる」、「私が行っても金のムダだ」、「飛行機にヨワイ」などなどさまざまな理由を挙げて断ってきた。
 だが今回だけは無理だった。英語が得意で海外出張いつでもOKという人がどうしても他の都合で身動きできないうえに、今年予算を消化しなければ来年行きたい人の予算がつかなくなると脅かされ、さらに必ず通訳者をつけるとか甘い言葉を聞かされて、私が挙げた理由がすべて反論されてしまい、結局行くことになったというわけである。まあ、今回の旅行のなかにロンドン3泊があったのが、最終的に妥協した最大の理由ではあるが……。
9月×日 日本をたつ前日、台風が関東地方に接近し、旅行延期か中止かと秘かに期待したが、確かに成田の出発ロビーは前日出発できなかった旅行者で大混乱していたにもかかわらず、私の乗る英国航空は定時に出発。この旅行は、どうも私にとっては悪い方、悪い方(他の3人には良い方、良い方)に展開しているようである。
 ロンドン、ヒースロー空港には定刻15:30に到着。専用車でホテルへ。4人のうち2人はイギリスは初めてで、中の1人がビッグベンと大英博物館のミイラだけは見たいという。そこで早速、24年振りのロンドンではあるが案内をかってでて、地下鉄オックスフォード・サーカス駅を降りて、適当にピカデリー・サーカス方面に足を運ぶ。怪しい案内人であったが、歩いていると何となく思い出してくるもので、モールに出て、テームズ川にぶつかり、どうやらビッグベンの一部が見える地点に案内することに成功した。やはりロンドンの中心部は1/4世紀を経てもあまり変わっていないようで嬉しい。
 帰りはレストランを探しながらということになったが、別に私が意図したわけではないものの(本当です!)、目の前にシャーロック・ホームズ酒場があるではないか。24年前には1人で入ったが、その時は昼間であったこともあり、二階のレストランに入るのはやめてしまった。そこで、このレストランは有名な観光名所だとか言って、残る3人の賛同を得て、ここで夕食をとることにした。
 本冊子はクリスティ・ファンのものであるから、これ以上の話はしないが、”シャーロック・ホームスお気に入りの料理”といえども、「イギリスはおいしい」と言えるほどではなかった。ただし24年前と同じビターの味はさすがに懐かしかった。
9月×日 ロンドン3泊のうち、自由時間がとれたのは3日目の午前中2時間のみ。3人には大英博物館のミイラ見物に行って貰い、一人ロンドンの中心部を歩く。
 まず「ねずみとり」上演中のセント・マーチン劇場の正面入口を見に行く。以前に劇を観たアンバサダー劇場は、細い道を挟んだ隣にあるのだが、もう劇を上演していないので看板などの飾りは一切なく、こんな小さな建物であったかと驚く。時代はやはり変わっていた。
 次は、最近開店したミステリー専門店"Crime in Store"に行く。間違いなく行けば時間にして10分もかからない距離にあるのだが、なにしろ初めてなので多少迷ってしまった。商店街というよりは事務所街といった静かな通りに面している。
 この書店については、森英俊さん("Murder by the Book"を主宰)がEQ誌などに紹介しているので詳述は避けるが、入って左側の本棚が新刊、右側の本棚が古本で、奥が事務所(低い本棚もあるが)。中央部には新刊のハードカバーが平積みされているのみで、思っていたより小さい。平積みされたハードカバーの中では、一時モース警部最後の事件かと話題になったC・デクスターの新刊が目を引き、次の日曜日にはサイン会があると書かれていた。
 開店は10時で、私が入ったのは15分後ぐらいだと思うが、平日なので客は誰もいない。もちろんレジの女性店員が一人いるものの、その後も誰も入ってこない。変なガイジンと思われるのはかまわないが、目があって話しかけられるのは困るので、お客がもっとこないかと、そればかり気になって落ち着かない。
 ざっと見たかぎりでは古本の方が興味深かったが、ただし"Murder by the Book"のカタログで懐かしい作家名、珍しい作品名をたくさん見ているので、思わず飛び上がるような本は目につかなかった。でも、15分近く本棚ばかり見ていて何も買わずに帰るのは気が引けるので、Westmacott名義の古本とP・Wentworthの古本を買う。レジの前をふと見るとクリスティ協会の入会パンフレットが置いてあるので、貰っていいかと聞くと、「どうぞ、どうぞ」と言われる。英会話が通じるときもあるのか。
 次に行ったのが"Murder One"。こちらは"Foyles"などの有名な本屋が並ぶチェアリング・クロス・ロードに面していて、ミステリー・ファンにはポピュラーな店である。名前から判断してミステリーばかり売っている本屋かと思ったが、入って左奥はロマンスのペーパバックスが中心で、ミステリーの本は全体の半分程度であった。ポピュラーな店であるせいか、客は結構多く、嘗めるように本柵を見ている変な人間がいても目立たないのはありがたい。新刊のペイパーバックが中心で、そう珍しい本があるわけではないが、イギリスだけでなく、アメリカで発行されている本(たとえばレオ・ブルースのペイパーバック)もきちんと集められていた。またレジの近くには"The Armchair Detective"を始めとするミステリーの専門誌、同人誌が売られていたのが珍しかった。
 2軒の本屋に立ち寄っただけですでに11時を回っている。急いで National Portrait Gallry に向う。ここには有名な英国人の肖像画、写真などが蒐集・展示されていて、クリスティの写真(Angus McBeanが1949年に撮影したもの)も購入されている。もしかしたら展示しているのではないか? と思って行ったのであるが、ざっと探した限りでは見つけることができなかった。
 クリスティの写真を求めて一階の展示室を探し回った結果、ミステリー関係の作家では、ドロシー・L・セイヤーズとグレアム・グリーン、P・D・ジェイムズの3人の肖像画を見つけた。このうちP・D・ジェイムズには、わざわざ Baroness of Holland Park という称号が書き添えてあった。写真は展示されていなかったが、クリスティの絵葉書は売店にあったので、喜んで買って帰る。
9月×日 今回の訪問地はロンドンを除くと、アムステルダムとハノーバー、ミラノである。そこで空き時間を利用して各市の大きな本屋に入り、クリスティ本がどの程度本棚に並んでいるかを秘かに調査することにした。調査結果は次号に……。


ティー・ラウンジ

■7月の下旬から8月のあたまにかけて南イングランドを旅行しました。残念ながらトーキーへは行けなかったのですが、訪れた町のどこもかしこもがすばらしく魅力的で、すっかり心を奪われてしまいました。イギリス旅行はこれで3度目です。どうしてイギリスしか行かないのかとよく尋ねられますが(実は飛行機のトランジット以外、他の国に上陸したことがないものですから)、そのたびに「治安がいいから」とかなんとか言って適当にごまかしてしまいます。「どうしてイギリスしか行かないの」と尋ねるような人にイギリスのよさを説明するのは面倒ですから……。
 「ねずみとり」は今年で44年目だそうです。残念ながら劇場へは行けなかったのですが、気の遠くなるような歳月ですね。クリスティとは関係ないのですが、ロイド・ウェバーの「サンセット大通り」はなかなかおもしろく出来ていました。ビリー・ワイルダーの有名な映画を忠実になぞった作品に仕上がっていて、あっけにとられるほど豪華なセット、耳に心地よい数々のナンバー、主演女優のペトゥラ・クラークのすばらしい歌声……、35ポンドの価値は十分あります。機会があれば一度ご覧になって下さい。ちなみに私は最前列で観ました(清水千香子さん)。
■私のつたない手紙を載せて下さってありがとうございました。たくさんの方々の投稿やお手紙があり、とても充実した感じになりましたね! 充実といえば、いよいよ当クラブもインターネット化!?とは、ご時世ですから当り前といえば当り前? うちでも夫がやっているので私にも何かできるかしらん、とちょっとワクワクしたりしました(小堀久子さん)。
■6月30日(日)日本テレビ午後9:00「知ってるつもり!?」で「アガサ・クリスティ」を取り上げていました。大変に感動しました。ミステリーの女王の何とミステリアスな素顔、少女時代から36歳の時の有名な10日間の失踪事件、「メアリ・ウェストマコット」の名で書いたもう一人のアガサ。再現ドラマの映像がとても美しく、時代を演出していました。アガサの人生そのものが、すでにミステリーだったのですね。彼女はこの世に生を受けて、本当は幸せだったのだろうか??? 確かにすべてに恵まれ、晩年は最高の栄誉も受けたけれど、彼女の本当のやすらぎは、死後の世界でしかなかったのではないかと(土居ノ内寛子さん)。 ■「知ってるつもり!?」という番組で、クリスティの特集をやっていました。ゲストの中には「クリスティの作品は数冊読みました」とか「まだ生きていると思っていました」とか、エーッという感じの方もいましたが、なかなか興味深かったです。クリスティの声やマローワン氏の声が流れたり、幼い頃の写真も見ることができました。
 また少し前ですが、ハヤカワ・ミステリアス・プレスの『クリスティー記念祭の殺人』(キャロリン・G・ハート)を読みました。舞台がアメリカで登場人物も多くがアメリカ人だったので、ちょっと雰囲気は違いましたが、「本当にクリスティが好きな人が書いた本」というのが伝わってきて、気持ち良く読みました、特に結末はさすがでした(金井裕子さん)。
■「知ってるつもり!?」見ました。予想通り最後の資料提供のところにお名前が。大阪毎日テレビで「二人で探偵を」が始まりました。もっとも昔のビデオ発売分ですけど。また「推理小説医学考」(角田昭夫、日本医事新報社、2000円)に、クリスティは作品数としては一番多く取り上げられています。映画は「ウェールズの山」も悪くないですけど、「ユージュアル・サクペクツ」が絶対のお勧め(今朝丸真一さん)。
■クリスティご訪問記も折りにふれ読み返し、親しい友人にはここを読みなさいと貸出し、でも本は人に貸すとなかなか返してくれないので、一週間ですぐ取り返し、大切にしております。先日は「知ってるつもり!?」で関口宏が「アガサ」を取り上げていましたが、よくありませんでした。表面だけのアガサで感心しませんでした(中子稲子さん)。
■偶然に今日はA.C.Societyからもnewsletterが届きました。日本人の会員が少なくとも二人、紙面に載りました。ファンクラブや「ミステリ・マガジン」、「EQ」等でPRして頂いた結果だと、うれしく思っております。昨晩はNTVの「知ってるつもり!?」でクリスティが取り上げられていました。最後のクレジットのところにプリチャードさん、ヒックス夫人の名前に混じって数藤さんのお名前が出ていました。「いつ見ても彼女の人生にはミステリアスな部分があって、そこがよい……」という私のような凡人の言葉をきいたら、彼女は何と言うでしょうか(安藤靖子さん)。
■みなさん本当に詳しくて、私のクリスティ作品の知識は恥ずかしくなってしまいます。数藤さんが観る予定の映画「ウェールズの山」はよかったです。笑えてホノボノとしていて。また冬も期待しております(浦このみさん)。
■創刊当時のお話、大変興味深く読ませていただきました。WH通信が創刊されたころはまだ生まれていなかった、とトシをごまかしたいところですが、私くらいが会員の平均年齢のようですね(25年前は中学3年生で、ミステリには興味がなくて、映画が大好きでオードリー・ヘプバーンに夢中でした)。私がミス・マープルの年齢になるまで、この会誌が続くことを願っております(桑原美穂子さん)。
■あの深町真理子さんの名前と並んで私の名があり、うれしく思っています。なにしろ初めて買ったポケミスが深町さん訳のクリスティ『親指のうずき』でしたから。あの作品、思えばクリスティ晩年の傑作だったと思います(高木康男さん)。
■EQの1997年1月号に未訳のポアロもの"Christmas Adventure"を訳出する予定です。後年、クリスティが「クリスマス・プディングの冒険」に書き直したものですが、こちらは長さが1/3程度。文章も中編とはまるっきり違います。お楽しみに!(森英俊さん)
■英国の小説家カズオ・イシグロの作品をお読みになった方は多いと思います。彼は決してミステリー作家ではありませんが、どの作品にもその内容に何となくもやもやしたものがあって、それでつい謎めいた思いにとらわれてしまいます。そんなことはともかくとして、『日の名残り』という小説の中で、主人公が初めての一人旅の途中、行きずりの老人にすすめられて、ある小高い丘の上に登り、周囲の景色を一望するところがあります。イギリスの田園風景の美しさは知る人ぞ知るところですが、このときその主人公が眺めた場所は、「イギリス中捜したって」みつからない程素晴らしかった、ということです。どの道順をたどればこの地に至るのか、目を皿にして同じ章をしつこく読み返したのですが、手がかりもヒントも少なく、残念ながら皆目見当がつきませんでした(日名美千子さん)。
■茶色になったペイパーバックの本、時々読み返して、大昔、4年程のロンドン生活を懐かしく思っております。英国も、よいところとよくないところを、子供ながら感じました。戦争直後、主人はシンガポールで捕虜になり、だいぶ痛めつけられましたとか。ポアロやマープルさんの言葉も、だいぶ変わりましたね。歳をとると、懐かしいことばかりです(田中美穂子さん)。
■先日、主人が知人からかけられた言葉に「お宅は2(ツー)ボールだから」というのがありまして、これは野球の話ではありません。昨夏我が家に次女が生まれましたことの感想です。二人授かっただけでもありがたいと思うのですが、やっぱり土地柄なんでしょうか。性別なんて問題じゃないと思うんですけど。それどころか(?)クリスティの『死が最後にやってくる』あたりを読むと、女性がいなくては生命がつながっていかないのよ、ウーマンリブなどと大声で叫んだりしないけれど、女性の力は大きいのよ、という静かなクリスティの主張を感じるのですけど。これってツーボール母の負け惜しみでしょうか。ちなみに私の実父はフォアボールの父でありまして、最後の期待の私が生まれ出た瞬間に立腹して産室から立ち去ったそうです(中嶋千寿子さん)。
■本の取り寄せに苦労されている塩見さんは、堀辰雄をお読みとは! 実は私もクリスティとはなーんの関係もない『美しい村・風立ちぬ』を読み返したばかりです。理由は軽井沢が好きだから。毎年夏になるとミステリーを数冊抱えて出掛ける軽井沢。旧軽の山荘に行くことが多かったのですが、娘が就職した広告代理店の保養所が追分にあり、ここは家族も一泊三千円で泊まれて夕食はフランス料理のコースという豪華版のため、最近はここに泊まらせて頂くことが多い。そのすぐそばに堀辰雄記念館があるので、思い出して『美しい村・風立ちぬ』を読み返したのです。私が読んだ新潮文庫の『美しい村・風立ちぬ』は、家の近くの古本屋の店先に二冊百円で積んでありました。「一冊だけ売って頂けますか?」と聞いたら、店番の品のいい女性が「どうぞ」とにこやかに一冊五十円で売ってくれました。その時の幸せな気分! 『邪悪の家』と『エンドハウスの怪事件』を同じ中味とは知らずに買って泣く日もあれば、堀辰雄を五十円で買って笑う日もある。会員諸氏・諸嬢も同じような喜びと悲しみのうちに日々を送っておいでのことでしょう。
 ところで堀辰雄記念館のそばに、何故かシャーロック・ホームズ協会の人たちが建てたホームズ像が建っている。ジョン・レノンは軽井沢が好きで良く来てましたが、ホームズが来たという記録は無いんだがなぁ。ブロンズのホームズ像の足元には何故かパイプならぬ煙草(ピースとか、マイルドセブンとか)が供えてあり、これもなんだか変だ(泉淑枝さん)。
■50号に書かれていた「じゅえる」を発行していた学生さんは北村薫氏のことでしょうか。まるっきり見当違いかもしれないのですが、5月に興味をひき、切り取っておいた新聞記事(読売新聞、5月26日(日)の「サンデーぶれいく」という記事)を読み返していると何だかそんな気がしたものですから。
 また51号の中では大学文学部の紀要のことについて書いてありました。私は先生方のことは知りませんが、卒業論文のテーマにクリスティを選ぶ学生は結構いるようです。私の通う大学では今年はことさら、そういう学生が多かったようです。とにかく、昨年、指導担当者との初顔合わせの時に、今年はクリスティの学生が多いが、授業で何かやったのかと尋ねられました。特別そんなこともなかったのですが、これもクリスティの人気の故でしょう(厚地智子さん)。
 「じゅえる」を発行していた学生さんが誰かという謎を解く手がかりとして、さりげなく『スキップ』を入れておいたのですが……(S)。
■書斎らしき部屋がちょっと広くなりましたので、クリスティ文庫本を全部、手の届くところに並べました。その横には二十年愛用のロッキングチェアを置きましたので、後はいつまた読み返すことができるか楽しみの一つです。テレビの放映は最高の楽しみで、再放送であれ、観ております。実は私、文学少女でしたが、ミステリーは娯楽で、きちんと読むものではないと言う偏見の持主でした。夫に勧められ手にしてから病みつきになり、今や愛読書として人生を(大げさな)豊かにしてくれています。趣味が昴じたと言いましょうか、数年前、銀婚式記念としてイギリスへ行ってきました。一回では物足らなくてまた翌年も、行く先々、クリスティの本の場面を思い、それはそれは心躍る旅でした。それ以来イギリス病(正しくはクリスティ病かしら)がどんどん重くなってきたようです。パディントン駅で会った貴婦人、フォートナムメイソンで見た老婦人、折りをみて文にしてみたいと思っております(寺尾恵利子さん)
■今年の後半は、海外出張にホームページの作成と、公私とも珍しいことをしたため、さすがにミステリーの読書量は減ってしまいました。今号の編集も、時間不足のため得意の泥縄式で、何とか間にあわせたしだいです。本当は、英国クリスティ協会の年次総会の模様などがレポートされるはずだったのですが、こちらの不手際で次号まわしになります。反省!
 映画は「ウェールズの山」も「ユージュアル・サクペクツ」も観ましたが、コージー派の私には前者の方が楽しめました。この11月には「エグゼクティブ・デシジョン」(D・スーシェが悪役!)まで観てしまいましたが、これが「スピード」以上に面白い。今号も年内発送ができそうです。 メリークリスマス! 謹賀新年!

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☆編集者:数藤康雄  〒188      ☆ 発行日 :1996.12.24
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☆発行所:KS社            ☆ 郵便番号:東京9-66325
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