ウインタブルック・ハウス通信

クリスティ・ファンクラブ機関誌

1994.12.24  NO.48

クリスティの十二支(その11)
 イノシシ! それはルマントゥーイュが手紙の中で書いた言葉だが、奇しくもそれはあるものと偶然に一致していた。
 ポアロは心の中でつぶやいた「「ヘラクレスの第四の難業だ。エリマントスのイノシシだ!(『ヘラクレスの冒険』高橋豊訳)

< 目  次 >

◎クリスティ劇場、東西対抗
「蜘蛛の巣」と「そして誰もいなくなった」を観てヲヲヲヲ中村英一、安藤靖子、中村千雅子、数藤康雄、庵原直子、新谷里美、ひらいたかこ

◎アガサ・クリスティ協会(米国)のその後と本家アガサ・クリスティ協会ヲヲヲヲ数藤 康雄
◎クリスティゆかりの土地を訪ねてヲホヲヲ安藤 靖子
◎最近の南西イングランド旅行ガイド総覧ヲホヲヲ大久保 美佐
◎ミセス鈴木のパン・お菓子教室(第2回、スコーン)ヲホヲヲ鈴木 千佳子
◎クリスティ症候群患者の告白(その18)ヲヲヲヲヲヲ数藤 康雄
◎ティー・ラウンジ
★表紙   高田 雄吉

クリスティ劇、東西対抗
「蜘蛛の巣」と「そして誰もいなくなった」を観て

クリスティ・ファンクラブ員有志

 クリスティ劇場1994と題して「蜘蛛の巣」が再演されるというニュースは前号のWH通信でお知らせしましたが、今夏には大阪でも、クリスティの戯曲「そして誰もいなくなった」が上演されました。これまで関西地区で上演されたクリスティ劇には、1970年代末から80年代始めにかけてNHK大阪放送劇団の連続公演がありますが、本格的なものは今回が初めてではないでしょうか。
 両方の劇とも、実際に観たクラブ員はそれほど多くなかったようなので、まずはキャストなどのデータから紹介しておきます。

演題 「蜘蛛の巣」 「そして誰もいなくなった」
公演日 5.10−5.22、5.24−5.27 7.14−7.31
場所 品川区アートスフィア
神奈川県立青少年センター・ホール
 大阪上六・近鉄劇場
出演者 藤田朋子(クラリサ)
秋野太作(ロード警部)
堀米 聡(ジェレミー)
上田忠好(エルジン)
内山森彦(ヘンリー)
菱谷紘二(ヒューゴー)
脇田 茂(ジョーンズ巡査)
高瀬哲朗(オリバー)
絵本真由(ピパ:Wキャスト)
樋口智恵子(ピパ:Wキャスト)
榛名由梨(ミルドレッド)
瑳川哲朗(ローランド卿)
市村正親(フィリップ)
涼風真世(ヴェラ)
若松 武(アームストロング医師)
神保共子(エセル)
田根楽子(エミリー)
入川保則(マッケンジー将軍)
三上直他(トム)
角間 進(フレッド)
浅野和之(アンソニー)
菅野菜保之(ウィリアム)
金田龍之介(ウォーグレイブ元判事)
加藤恭平 瀬戸川猛資
演出 鵜山 仁 釜 紹人
美術 石井強司 堀尾幸男
プロデューサ 平井道温 岡本義次・坂本義和

 なお「蜘蛛の巣」の演出家・鵜山仁は、前回のクリスティ劇場では「そして誰もいなくなった」を演出した人、「そして誰もいなくなった」の出演者・浅野和之は、前回の「ねずみとり」でジャイルズ役を演じた役者です。もっとも異色なのは、「そして誰もいなくなった」を訳した瀬戸川猛資(ミステリー評論家・映画評論家)といったら怒られるかな?

「蜘蛛の巣」を観て
○初めてクリスティ劇を観る機会を得た中村英一さん(横浜市戸塚区)
 5月19日に「蜘蛛の巣」を見てきました。昨年は四作品の割引きの案内をいただいたのですが、見るチャンスを失してしまいました。今年は幸いにも期間中、時間がとれて、クリスティの世界を堪能できました。見る前に粗筋を全然知らなかったので、3時間の長いドラマを飽きずに見ることができました。
 出演者は昨年とは変っていたようで、主演の藤田朋子は愛らしく、長いセリフを無難にこなし好演でした。また「ヴェルサイユのばら」の榛名由梨がコミカルな脇役を演じてたのが驚きです。他にはヒューゴー役の菱谷紘二がいい味を出して名演でした。来年は何をやるか楽しみです。
○毎回欠かさずクリスティ劇を観ている安藤靖子さん(埼玉県与野市)
 演技者の年齢が前回よりも全体的に若くなっていたためか、クラリサ役の藤田さんには剣さんのもっていた大人の女性の雰囲気には欠けているきらいがありました。でもその分、可愛らしさでカバーしていました。彼女が母親役ならピパは子供でなければ無理だったと思います。子役を使った点は評価したいと思います。
 ロード警部がローランド・デラヘイ卿の経歴を読み上げる場面で、「イートン校からケンブリッジのトリニティカレッジ卒」という、きわめてイギリス的な超エリートの経歴が披露されました。しかしそのすぐ後で、ジョーンズ巡査の名古屋弁(?)が聞こえてきて、観客席は笑いの渦と化しましたが、私にはちょっと下品な感じがしました。翻訳劇の演出の難しさでしょうか?
 他の点からみれば、今回もそれなりに楽しませてもらえて、まずまずだったと思います。来年は何が取り上げられるのか、知りたいです。
○地方在住のハンデを熱意で克服した中村千雅子さん(三重県津市)
 5月14日の「蜘蛛の巣」、観てきました。クリスティの芝居ということで、主人に許してもらい三重県から上京しました。
 席は一番前で舞台がよく見え、部屋の中に一緒に居るようでした。(机は本物かと思ったのですが、後ろにヒモを見てしまいました。)
 ジェレミーはミスキャストかと思ったのですが、結末を迎えて納得しました。クリスティの世界で十分楽しむことができました。来年も是非行けたらと思います。
○職場から2時間近くかけてやっと劇場にたどり着いた数藤康雄(東京都田無市)
 初日(5/10)の舞台を観たが、驚いたのは、品川は天王州のアートスフィア。小学校1年から高校3年までは品川区に住んでいたので(といっても、東京湾に近いほうではないが)、埋立地(?)にあのような高層建築物が建っているとは予想もつかなかった。劇場も完成して1年ぐらいらしく、立派なものでる。
 舞台の設定は前回とほぼ同じであったが、秘密の抽出がある机の場所が、前回の左手奥から右手前に変っていた。観客に仕掛けをはっきり見せようという演出のためであろうが、このような変更は観客にとって好ましいものである。
 劇そのものは、剣幸の「蜘蛛の巣」と比べると少し落ちるかな、という感じである。若々しい藤田朋子のクラリサは、剣幸とは異なる魅力があり、それなりに楽しめたが、欲を言えばもう少し演技に余裕がほしいところ。しかし、今回の劇が少し落ちるかなと感じたのは、主役の演技より、むしろロード警部やヘンリーなどを演じた脇役陣の演技の違いからといった方がいいだろう。この違いは、演出家が異なったためなのか、役者本来の実力の差なのか、私のような素人にはわからないが。
 もっともクリスティ劇についての私の評価は、前にも書いたが、どのくらい笑わせてもらえたか、たくさん笑えた作品ほど良いという単純なものである。実にイイカゲンな評価軸を用いているから、信用してもらうとかえって困るのだが……。

「そして誰もいなくなった」を観て
○私設図書室「アガサ」の主宰者として活躍中の庵原直子さん(静岡県浜松市)
 余談ですが、先日大阪まで「そして誰もいなくなった」の芝居を観に行ったのですが、ひどいものでした。宝塚ファンで一杯ですが、ミステリーのファンは、我々位なものでしょうか。ハッピーエンドの結末なんてつまらない!
○関西での公演がなかったために切歯扼腕していた新谷里美さん(兵庫県神戸市)
 7月28日(土)に、念願だったクリスティの演劇「そして誰もいなくなった」に行ってきました。この有名な原作がどのように演じられるか“わくわく”して参りました。相棒として主人を(自宅から近鉄劇場まで二時間位かかるので、少々難色を示していましたが、私の情熱に負けて)抜擢致しました。夕方の6時半から約3時間でした。結論からいいますと、思っていたより数段楽しく、迫力があり、よい公演だったと思います。
 キャストもそれぞれ適役で、特にフィリップ・ロンバートの市村正親、ヴェラの涼風真世、アームストロング医師の若松武、そしてウォーグレイブ元判事(金田龍之介)は風貌からしてぴったりだったと思います。皆様、それぞれ熱演でした。
 私は、舞台で何件もの殺人がどのように演じられるかが興味のあるところでしたが、視覚的効果を利用した気のきいた演出だったと思います。特に目を引いたのは、それぞれの衣装で、各役者の役割および性格を赤と黒と白で浮かび上がらせ、なおかつ英国調のものだったと思います。色調がしっくりきました。あと、もう一つ嬉しかったのは、今少し話題になっている英国の作曲家マイケル・ナイマンの音楽が使われたことです。この連日の蒸し暑さを忘れさせる3時間で、期待を裏切らない舞台でした。
 主人も大変満足して、念がわくば”神戸”で次回催されることを祈った次第です。
○画集『Christie』を出しているイラストレータのひらいたかこさん(東京都新宿区)
 大阪、近鉄劇場の「そして誰もいなくなった」に出演の涼風真世という人は、元宝塚の男役だったそうですが、私は詳しくなかったので、当日の劇場入口に”涼風真世”受付の紙が別に貼られていてびっくりしました。若い女のコが群がって開場を待ってました。
 劇場入口で、大阪在住の翻訳家、木村由利子さん(北欧語がご専門ですが、とても気がいい方で、無理やり私が誘ってしまいました)と落ち合い、かの涼風真世のファンらしい集団の波を呆然と眺めつつ、木村さんに「そんなに人気のある人なの?」と聞いたら、「なんとゆーても、元宝塚。それも男役やからねー。ワタシもあの世界は、ちょっとカンベンしてぇゆう方で、詳しくは知らないけど……。スゴイよー。ホラ、母親と娘……とか、三代でファンの家とかあるから。宝塚辞めると、よくスターやった人は東宝系の舞台に引っ張られるみたいよ。これもそういうケースやと思うけど……」とのことでした。もっとも市村正親も「ミス・サイゴン」で名前が出ちゃってから女性ファンは多いらしいので、両方の組み合せが相乗効果をもたらしたのだろうということでした。
 お芝居そのものは、結構楽しませてもらいました。演出家の方ががんばって、確かに視覚的に凝っていました。本の章立てのように、各場面ごとに暗転して紗幕に”何日の朝”とか”その日の夜”とか「「もちろん英文で、かっこをつけてですが「「文字を映して浮かび上がらせ、バックに子供の声で「8人のインディア〜ン……」と唄わせて笑い声も混ぜたテープを流して劇を始めたり、一人殺されるごとにインディアン人形がくるくる回っては1コづつ首をポテッと落としてみせたり、インディアンが斧を振り降ろす様子をシルエットで映したりとか。また役者さん達も結構がんばっていました。へたをすればただの茶番になるに違いない浮世離れした筋立てなのに、うまくユーモアを入れて、うまさで笑わせてくれたり(ただクソマジメに演じたら、どうしようもないですもんね、きっと)、若さで観せてくれたり……。「あっ、やっぱりお芝居って、役者さんの力だよねー」と思いました。
 仕事柄、舞台美術などには気になったこともありますが、いろいろなことをひっくるめて、大阪まで行っただけの分は楽しめました。後で木村さんから手紙がきて「あれから、レンタル・ビデオでついでに昔の映画を観たのだけど、あわてていて、吹替え版借りちゃって、なんとアズナブールの声が美輪明宏になっていたのには……!!」だそうで、へえ〜〜と思いました。知らないことって、いろいろあるもんですね。


海外ファンクラブ情報(その2)
アガサ・クリスティ協会(米国)のその後と本家アガサ・クリスティ協会(英国)

数藤 康雄


 世界初の公式なアガサ・クリスティ協会がアメリカに誕生したことは、前号のWH通信に報告しましたが、その後、協会主催者の一人D・カーさんから手紙やニューズレターの最新号(Vol.2 Issue 2、1994.7)が送られてきました。またイギリスにもアガサ・クリスティ協会が存在することがわかり、そのニューズレターもつい先日手に入れることができました。英米で相次ぎクリスティ協会が誕生したというのは面白い現象だと思いますが、まずはアメリカのクリスティ協会のその後から紹介することにしましょう。
 カーさんから届いた2通目の手紙の中で最も重要なことは " Agatha Christie Appreciation Society" という名前を正式に使用してもよいという許可書が同封されていたことです。我がクラブは、もうモグリではなくなったわけですが、モグリでないことを宣言するためには、我がクラブにグループ名を付けて、カーさんに知らせる必要があります。
 これまでのグループ名は
(1)"Postern of Murder"(カーさんたちのグループ名)
(2)"Partners in Crime"((バージニア州の先生たちのグループ名)
のふたつです。このうち(1)は、クリスティの実質的な最後の作品『運命の裏木戸』をもじった名前であり、(2)はクリスティの作品そのものをグループ名にしています。
 ここはやはり、クリスティ作品の題名にちなんだもので、なおかつ日本にふさわしいものが最適というわけですが、そのような名前をつけるのはなかなか大変なことです。ちょっと考えたのですが、適当な名前が思い付かず、カーさんには、このWH通信で名前を公募するのでそれまで待ってほしいというような返事を書きました。  というわけで、気のきいた名前を思い付いた方はぜひお知らせ下さい。この正月休みの宿題として、よろしく!
 なお、カーさんたちが『運命の裏木戸』のもじりの名前を選んだ理由は、それがクリスティの最後の作品であることとともに、この作品の中でベレスフォード夫妻が引っ越す屋敷の名前が”月桂樹荘”("The Laurels")になっていることのためと思われます。なぜなら、"The mountain Laurel"はペンシルヴェニア州の州花になっているからです。そしてカーさんたちの発行しているニューズ・レターの名前が"The Laurel Lines"という凝りようなわけです。
 この文章を書きながらですが、クリスティが作品の中で日本のことに言及していたことを一つ思い出しました。確か『ゴルフ場の殺人』の中で、ポアロが日本人レスラーの事件を扱ったと書いていたと思います。他にもあったかなあ?
 ところで、最新のニューズレター(vOL.2 Issue 2,1994.7)の内容ですが、今号の主情報は、メリーランド州のBETHESDAで行なわれた第6回「マリス・ドメスティック」(主としてコージー派作品を愛好する作家とファンの団体)大会の報告です。この大会では、キャロリン・G・ハートの"Dead Mans Island"が最優秀長編賞を受賞しましたが、この作品にはHenrie O という新しい主人公(一種の老嬢探偵らしい)が登場するようです。会場は盛況で、アガサ賞の受賞式会場には、ビクトリア朝の衣装やお気に入りの探偵の服装で出席するよう要請されていたそうです。
 またニューズレターの「私の好きなクリスティ作品と登場人物」のコーナーでは、『クィン氏の事件簿』が紹介されています。
 一方、本家イギリスのアガサ・クリスティ協会については、今号に英国旅日誌を書いている安藤さんより教えられたものです。早速入会申し込みをしたのですが、つい先日ニューズレター("Christie Chronicle")の創刊号と最新のNo.6号が送られてきました。この紹介は、それらのニューズレターを斜め読みしながら書いています。私の英文読解力はイイカゲンですから、誤りがあるかもしれませんが……。
 まず組織的なことからいいますと、こちらの協会の代表はロザリンド・ヒックス、副代表はジョアン・ヒックソンとデヴィッド・スーシェ、会長はマシュー・プリチャード、ニューズレターの編集者2人はいずれもクリスティ(株)の社員という構成で、クリスティの親族、関係者ばかりです。まかり間違ってもクリスティ作品の悪口が載ることはなさそうです。
 このようにクリスティ(株)の全面的な援助のもとに成り立っているクリスティ協会ですから、協会のニューズレターには、現在入手可能なクリスティ作品のリスト(ハーパー・コリンズ社だけで、ほとんどの作品がハードカバーでもペイパーバックでも入手できます)を始めとして、現在製作中のTV映画の撮影状況、上演中のクリスティ劇の様子、などの情報が数多く載っています。なにしろ会社の情報を流しているのですから、情報量が多いうえに正確でもあるので、ファンにとっては嬉しいかぎりです。例えば創刊号(1993年春号)では、劇「殺人は容易だ」が紹介されています。「ねずみとり」の初演に出たリチャード・アッテンボローの娘シャーロット・アッテンボローが主演しているのは何かの縁であるかもしれませんが、残念ながら一ヶ月の興行で打ち切りになったそうです。
 しかしそのような内容では、ニューズレターがクリスティ(株)からの一方的な情報で埋まってしまう可能性があります。このため読者の質問に答えたり、ファンの手紙を掲載することが編集方針の大きな柱の一つになっています。最新号のNo.6(1994年夏号)をみる限りでは、ドイツのファンがペンパルを募集していたり、『復讐の女神』の第10章にある「白きバラ色の若者、多情多感に、青白く、「「」という詩は、何からの引用であるか、わかる人は教えてほしいとか、細々とした情報が2頁ほど掲載されています。ちょうどWH通信の「ティー・ラウンジ」のようなものを想像したらよいでしょう。どうやらファンクラブの機関誌には、この種の情報交換欄、投書欄が大切であることが改めて確認ができました。
 その情報の中でもっとも面白かったのは、トーケーに展示されているクリスティの胸像(今号の安藤さんの写した写真を参照して下さい)の250体の特別限定品(青銅製で高さ23cm)が製作中であるという記事です。製作者はもちろん、本物を作ったオランダ在住の Carol Caims という彫刻家で、価格は450ポンドになりそうだとか。早川書房あたりでひとつ買って、喫茶店「クリスティ」に展示してくれないかなあ。
 ところでNo.6の特集は、5月にトーケーのグランド・ホテルで行なわれたファンクラブ員の会合の報告です。クリスティゆかりの地を訪ねるとともに、グリーンウエイ・ハウスにも立ち寄っています。またグランド・ホテルではチャールズ・オズボーンがクリスティ映画について講演したそうで、その講演記録も掲載されています。
 ただ少し残念なのは、ニューズレターがパソコンのDTP(机上出版)ソフトで編集、制作されていると思われることです。このためホテル玄関前での30人程の記念写真は画質が悪くて、顔の判別はほとんどできません(東洋系の女性が一、二人写っているように見えるのですが)。またニューズレターそのものが、A4版の版下8枚をホチキスでとめただけのもので、雑誌のような体裁ではありません。このあたりは、会員数が増えれば改善されていくと思われますが、派手さを嫌うクリスティの考えが生きているのかもしれません。
 現在の英国のクリスティ協会が発足したのは1993年の始めのはずですが、私の会員番号は580番でした。ニューズレターは年4回発行で、1993年の年会費は15ポンドになっています。全世界から会員を募集しているようなので、興味のある人はぜひ参加されることをお勧めします。問い合わせ先は最終行の通りです。問い合わせると応募用紙が送られてくるはずです。住所、氏名、年齢はもちろん、好きなクリスティ作品や紹介者を書く項目もあります。このあたりは、我がクラブとは大違いですが……。(追加:今日届いた1994秋号No.7は両面印刷で5枚でした。)
   Agatha Christie Society: PO Box 985, London, SW1X 9XA, UK


旅行日誌

クリスティゆかりの土地を訪ねて

安藤 靖子

 今夏クリスティゆかりの土地を訪れた安藤さんに旅行日誌の一部を公開してもらいました。文中に、ダート川を下る「フェリーからは、グリーンウェイ・ハウスが白い姿をチラっとあらわし」と書かれていますが、私がグリーンウェイ・ハウスの3階の部屋に泊まったときは、ダート川を行き来する船が窓からチラっと見えたものです。グリーンウェイ・ハウスの樹木は、今も昔(とはいっても20年前ですが)も変らずにそびえているのでしょう(S)。


8月1日 ブリクサムではジーン・リードさん(注:トーキー博物館の学芸員)と3年目の感激の再会を果たしました。彼女のお宅で、早速WH通信の47号と英文の要約、お送り頂いた百年記念の絵葉書と便箋を差し上げると大喜びで、特に百人のポアロには感心していました。
 グリーンウェイ・ハウスは年に一、二度庭を一般公開するそうですが、通常6月に行なわれるとのことで、今回は訪問出来ませんでした。ロザリンドさん(注:クリスティの一人娘)は現在75歳、リードさんのお母様と同年齢とのことです。昨年ジーンさん、ジーンさんの友人と三人で行ってご挨拶した時の印象をうかがうと「大きな声で話す方だけれど、もともとシャイ(照れ屋)なんではないかしら……」とおっしゃっていました。近々ジーンさんが会うことになっているので、46号(生誕百年記念展の彼女の記事が載っている号)と絵葉書、レターセット各一組づつを渡して下さるとのことでした。
8月2日 雨が降ったりやんだりの寒い一日でした。ペイントンの駅で11時に待ち合わせ、バスでトトネスへ出て、そこからダート川を下ってダートマスまで行きました。フェリーからは、けむる雨の中で、うっそうと茂った緑の木々の間よりグリーンウェイ・ハウスが白い姿をチラっとあらわし、あのボート小屋も遠くに見えました。
 夕方雨の中、ブルクサムのバス停で、トーキーへ帰る私と夫を見えなくなるまで見送ってくれた彼女のやさしさに私は胸が熱くなりました。
トーキーのパビリオン脇にあるクリスティの胸像
8月3日 トーキーをレンタカーで9時に発ち、ソールスベリのストンヘンジを見学。雨が降ってきたオックスフォードへ向かい、そこで一泊しました。
8月4日 タクシーでクリスティの墓参に出かけました。片道約30分、運転手のジルさんは初めてで不案内なため、土地の人に道を尋ねながら連れていってくれました。私達の見物の対象がアガサ・クリスティの墓であると知るや「私はデボン生まれだから彼女がトーキーで生まれたことは知っていたが、この辺に住んでいたことも、ここに埋葬されていたことも知らなかった」としだいに関心を示し、ウィンタブルック・ハウスへの途中では、わざわざ車から降りて、配達のために駐車していた郵便車のそばで配達人が来るのを待って道を教えてもらっていました。
 WH通信47号で田中さんも書いていらしたように教会は閉鎖され無人でした。小さな教区教会(パリッシュ・チャーチといってイギリスではよく見かける)でした。裏手の墓地へ出ると数々の苔むした墓石のずっと向こうに(右手奥という田中さんの表現はまさにぴったり)大きな白い石の墓標が目につきました。それがクリスティとマローワンの墓でした。墓地の向こうには牛が数頭群れて草をはみ、見渡す限り平らな緑の広がりで「牧歌的」とでも言うのでしょうか。そこにいるだけで幸福な気分にひたれるようでした。
 「ウィンタブルック・ハウス」はファンクラブの機関誌の名前にもなっているので、是非訪ねてみたいと思っていました。「ウィンタブルック・ロッジ」という表札のある家の前まで来たとき、ご近所の夫人がお孫さんを連れて出先から帰ったところに出会い、ジルさんが例によって下車してきいてくれました。運が良いとはこのことで、この夫人が今の住人をよく知っていて、「あそこです」と指さして教えて下さいました。「ロッジ」の通りをへだてた向い側が「ハウス」だったのです。
 機関誌の名前になっているウィンタブルック・ハウス
 なんと今の住人は運転手と同じ「ジルさん」という方で、奥様は飛行機事故で亡くなられたとのことでした。運転手のジルさんはびっくりしていました。この親切なご夫人にお願いして車を前庭へ留めさせてもらい、煉瓦塀の左端にある私道を徒歩で入って写真を撮りました。この建物の左手に、芝生の美しい庭へ出る道があるのですが、こちら側から見た家は百年記念ブックなどでおなじみのものかもしれません。
 「オックスフォード・レイルウェイ・ステイション」から約1時間(往復)で、タクシー料金は43ポンド(約6700円)。思ったより安かったと思います。
8月5日 夜、42年目の「ねずみとり」を見に行きました。今回は”アパーサークル”と呼ばれる二階の最前列(14ポンド、約2200円)で見ました。劇場の外の左側から階段を登って上がるようになっていて、座席も一階より少し狭くなっています。手すりがちょっとジャマでした。キャストは、ボイル夫人以外はすべて39回目(1991年)とは違っていました。今回特によかったのはパラビチーニ氏役のポール・ベイコンという俳優の演技でした。他の人達は3年前の方が私には印象が深かったのですが、それは初めて見たからかもしれません。
 というわけでイギリス人の親切に支えられて7日間の滞在も無事に過ごすことが出来ました。



資料解説

最近の南西イングランド旅行ガイド総覧

大久保 美佐

 クリスティ生誕百年記念年にあたる1990年からと思いますが、トーキーを筆頭にしてクリスティゆかりの土地が、一般的な旅行雑誌やパンフレットに度々紹介されはじめました。大久保さんが収集された資料を一読すれば、それがいかに多いか、よくおわかりになるでしょう。なお一部は旭京子さんから提供された資料も含まれています(S)。


 これまでのWH通信には「AERA」や 「 Charactor Britain 」、「 Literary Britain 」のことが紹介されていましたが、他にも幾つか、クリスティゆかりの地に関する記事を見つけましたので、遅くなりましたが、コピーなどをお送りします。  イギリスがブームだったせいでしょうか? 今まで日本ではほとんど無視されてきたクリスティゆかりの地が、昨年になって、旅行誌に、BTAのパンフレットに、パックツアーにと次々に登場したのには驚きました。今年は、ごく普通の英国周遊ツアーでも、トーキーやバー島を回るものが幾つかあるようです。クリスティが注目されるのは嬉しいのですが、4年前の生誕百年祭の時、一つ一つ現地のツーリスト・インフォメーション・センターに問い合わせて、あまりの交通の便の悪さに時間を浪費しつつ、ゆかりの地を旅行した、あの苦労を思い出すと、ちょっと複雑な気分です。
(1)「地球の歩き方マガジン」1993年夏号、P10-13
 「ロンドン・ウォーキング・ツアー」が主宰する1泊2日の”アガサ・クリスティーの愛したデボン週末旅行”を紹介したもの。1人195ポンド(ただしデボンまでの往復汽車賃は各自負担)で、ダートムアからトーキー博物館、メモリアル・ホールのあるトア・アビーまでをガイドしてくれるそうだ。便利なのにビックリ!(S)。
(2)「AB・ROAD」1993年5月号又は「英国のカントリーサイド」(BTA)
 BTAのパンフレット「英国のカントリーサイド」は「AB・ROAD」の特集”あの人と一緒が楽しい英国のカントリーサイド”と全く同じものです。  内容はデボン州の観光案内(S)。
(3)「Ladies Britain '94 for Free Travelers」(BTA)
 南西イングランドの観光案内(S)。
(4)「Oggi」1994年1月号、P97-102
 「アガサ・クリスティが愛した神秘とロマンの故郷」という題で、斉藤木綿子さんという人がデボン州をイラスト付きで紹介している記事。イラストがいい(S)。
(5)「旅の友」(近畿日本ツーリストの月刊誌)1993年8月号
 南西イングランドのごく簡単な紹介(S)。
(6)「Bart」1991年(何号かは判りません)P80-86
 WH通信No.45のペラパラスを読んで(とても面白かった!)、数藤さんの前書きにこの記事のことが無かったので、一応お送りしました。ペラパラスは2003年に博物館として保存される予定と、ある旅行社のパンフレットで読みました。
 「ポアロが案内するイスタンブール」と題したイスタンブールの紹介記事。イイカゲンこのうえないのは、クリスティが失踪中にペラパラス・ホテルに滞在していたという仮説を立て、その事実を証明するためポアロがイスタンブールに赴いて調査を行なった。結果は、謎は解けなかったが、おかげでイスタンブールには滅法詳しくなったので、そのポアロにこの町を案内してもらいましょう、という設定である。変に凝っているわりには内容はあまり面白くない(S)。
(7)「The Visitor's Guide to Devon」(1988年) 「Walks 4」(Dartmoor National Park,1985年)
 昨年まで、ウィディコムがセント・メアリ・ミード村のモデルとは全く知りませんでした。コピーは一般のガイドブックのもので、もちろんクリスティには触れておらず、何の役にも立ちませんが、ウィディコムがどんな所か雰囲気ぐらいは判るかと思いまして。「Walks 4」によれば、バスは毎週水曜だけとか……。ちなみに、ヘイ・トアは週2日です。
 ウィディコム=セント・メアリ・ミード村という説は、どうも近年の観光開発で作られたような気がするなあ(S)。
(8)「四季それぞれの英国」(BTA、旭京子さんからの提供)
 名古屋は松坂屋本店の「大英国展」で入手したとのこと。60頁もある大部な英国観光案内パンフレットで、写真の印刷はイマイチだが、緑の多い英国の美しさはよくわかる(S)。
(9)「アガサ・クリスティの故郷デボン州を訪ねて」創元推理5 P166-177
 「AERA」に「アガサ・クリスティの故郷を訪ねて」を書いた津野志摩子さんによるトーキー近郊のクリスティゆかりの土地・建物の案内書。トーケーの近くに住んでいる人のようで、かなり詳しく書かれている。これからトーキーを訪れたいと思っている人は、一度は読んでいた方がよいだろう。
 なお、冒頭部分を読むと、著者もクリスティ協会の会員であるようだ。グランド・ホテルの玄関での記念写真に写っている東洋系の女性(本誌p19参照)は津野さんなのかも知れない(S)。


ミセス鈴木のパン・お菓子教室

第2回 ブラウニー

鈴木 千佳子

 好評なイギリスお菓子の手作りシリーズの第2弾。前回はスコーンでしたが、今回はブラウニーです。ぜひ挑戦してみて下さい(S)。


はじめに
 スコットランドの伝説(夜中にこっそり現れ、掃除や打穀など、農家の手伝いをする)に出てくる小さい妖精の名から取ったとも言われるブラウンのお菓子です。昔からのイギリスの家庭の味ですが、今ではアメリカでもよく作られるポピュラーなおやつでもあります。
 クッキーとバターケーキのハーフのようなお菓子で、天板に流して焼くだけなので手間いらず。ビターのチョコレートやカラメルソースを加えると苦味のきいた大人の味に、子供向けにはスイート・チョコレートやココアだけを使い、ラムレーズンを普通のレーズンに変えるとよいと思います。
 香ばしいくるみの歯ざわりとラムレーンズの香りを楽しみつつ、秋の夜長クリスティ作品を読みふけりたいものです。
材料
バター      80g
スィートチョコ  20g
砂糖(ブラウンシュガー) 70g
薄力粉      80g
B.パウダー    2g
ココア       20g(薄力粉以下は3回ふるう )
バニラ     少々
卵(M玉)   2ヶ(バニラと一緒にする)
ラムレーズン  100g(一週間以上ラムに漬ける)
くるみ    100g(ローストし、粗みじん切り)
(カラメルソース 200g…砂糖、生クリーム半々)
作り方

  1. なべにバターとチョコレートを入れ、弱火で湯せんにかけて溶かす。
  2. 砂糖を加えて溶けるまでよく合わせる。
  3. ふるった粉類を加え、切るように合わせる。
  4. バニラと卵を一緒にして、数回わけて加え、合わせる。
  5. ラムレーズン、くるみを加え、さっと混ぜる。
  6. 敷き紙を敷いた天板に流し、平らにならす。
  7. あたためておいたオーブンに入れ、160゜Cで35分間焼く。
  8. 冷めたら天板からはずし、適当な大きさ(3cm×5cmくらい)に切る。

クリスティ症候群患者の告白(その18)

数藤 康雄

×月×日 仕事(?)でワシントンDCに滞在しているファンクラブ員の海保さんから写真が送られてきた。スミソニアン博物館で開かれているAmerican Historyの特別展示《Information Age》にあった古い録音機と、一般展示の片隅(Time Keepingという区画内)にあった録音機を写した写真である。私が、ミステリーに登場するディクタフォンの世界で唯一の研究者(なにしろ、こんな無益なことに関心を持ちつづけている人間は他にはいないはず!?)と知って送ってくれたのであろう。ありがたいことである。感謝、感謝。
 コロンビア社(アメリカ)のディクタフォンが一番興味深いが(写真を載せるつもりが、編集の際の勘違いで頁数が不足し次号になるが)、これは1907年頃の製品であるそうだ。したがって真空管による増幅器はまだ使われておらず、音をスピーカ(ラッパの部分)に伝える伝音管が1mほどもある。『アクロイド殺し』の出版は1926年であるから、その当時のディクタフォンにはすでに真空管アンプを使用していたと思われる。これほどの長い伝音管は不要で、全体の大きさはもっと小型であったと予想しているが、記録媒体を塗布している円筒部分の構造はそう違ってはいないであろう。やはり、医者の鞄に入るほどの大きさとは考えられないのだが……。
 なお、今年出版された某ミステリーには、記録媒体が円盤のディクタフォンが登場していた。記録媒体は、円筒から円盤、テープへと変化していったようだ。
8月×日 毎年夏休みには映画を1本観ることにしている。今年は「ピアノ・レッスン」を予定していたが、残念ながら8月まで続映されなかった。仕事では韓国づいているので、では「風の丘を越えて」と思ったが、こちらは個人的な理由で断念(10月には観たが)。結局「永遠の愛に生きて」に落ち着いた。
 「永遠の愛に生きて」にした理由は、監督がリチャード・アッテンボローだからである。御存知の人も多いかと思うが、リチャード・アッテンボローは「ねずみとり」の初演では主役を演じた役者で、彼の活躍がなければ今日の「ねずみとり」はありえなかったはずである。クリスティ・ファンにとっては、やはり気になる人物といってよいだろう。そしてもう一つの理由は、物語の舞台がオックスフォードであること。オックスフォードといえば、クリスティの夫マローワンが勤めていた大学のある所だし、二人が住んでいたウィンタブルック・ハウスはオックスフォード近郊にある。
 観終った感想はといえば、映像の緑はそれなりに美しく、損した気分になるような映画ではないが、満足したというわけでもなかった。実は、アッテンボロー監督の映画は、「ガンジー」やら「遠い夜明け」など、これまでにも観る機会はあったはずだが、なんとなく真面目な映画という感じがして、食指が動かなかったというのが本音である。でも今回は、クリスティ・ファンとしての義務感が強く働いて観たわけだが、やはり予想どおり真面目な映画だった。私は根がマジメなので(ホントかね?)、真面目な映画は、どうしても苦手なのである。
9月4日 フジテレビの「ワーズワースの冒険」を観る。田村隆一氏がセント・メアリ・ミード村を探すという趣向の南西イングランド紹介の番組である。お金をかけた贅沢な旅番組であることがわかるような作りで、バー島のハイランド・ホテルやそのホテルに行くために海の中を走るシー・トラクターが登場するシーンなどは興味深かったが、面白さはイマイチであった。
 なお、ファンクラブ員の今朝丸真一さんから、田村隆一氏が「リテレール」10号に書いた「アガサ・クリスティ作品の舞台を探しに英国の旅」のコピーが送られてきた。内容はその番組の製作裏話をユーモラスに語っているもので、テレビよりよっぽど面白い。テレビでは、田村氏の個性が十分に生かされていないからであろう。
×月×日 井上良夫の『探偵小説のプロフィル』を読む。著者は主に戦前に活躍した探偵小説の評論家・訳者で、評論集が本になったのは今回が最初とか。中に1934年頃に雑誌「ぷろふいる」に掲載されたクリスティに関する文章がある。当時は『リンクスの殺人』(『ゴルフ場の殺人』のこと)と『アクロイド殺し』、『青列車殺人事件』しか訳されていなかったが、クリスティの評価は、今とそれほど変っていない。クリスティは日本にデビュー当初から正当に受け入れられていたようだ。
 面白かったのは、クリスティは1893年に生まれたと紹介されていたことと、クリスティが「クリスチィ」と表記されていたこと。東京創元社のクリスチィという表記は戦前からあったわけだ。
×月×日 早川ミステリマガジン1994.12月号で、直井明氏がスウェーデンのミステリー状況を紹介しているが、興味深いデータは、1985年の公共図書館からの貸出し件数のリストである。実にクリスティはトップで(627000)、2位のマクベインを倍以上離している。公共図書館が発達しているイギリスやスウェーデンでは、本があまり売れないらしく、貸出し回数によって著作権料を払っているようだ。確か、数年前のイギリスのリストでは、クリスティは2位か4位になっていたはずだ。死後十年以上たってもクリスティの人気はまったく衰えていないよい証拠だろう。
×月×日 会員の関根由紀子さんから「アガサ・クリスティー、リウマチと闘う 2」というパンフレットが送られてきた(監修、塩川優一、製作、(株)スタンダード・マッキンタイヤ)。製薬会社が作った無料PRパンフレットだと思うが、リウマチにかかりながらも優れた業績をあげた人間の一生を紹介しながら、その人がかかったリウマチを専門家が解説するという内容の8頁ほどのもの。
 その第2回がクリスティというわけだが、クリスティがリウマチにかかっていた証拠の一つに、私が「ポアロと同様にリウマチに起因する心臓衰弱と思われる」と書いた文章が挙げられていたのにはビックリ。ポアロとミス・マープルがともにリウマチにかかっていたのは間違いないことから、クリスティもリウマチだろうと想像しただけで書いたものである。専門家の解説ではその可能性もあるそうだが……。


ティー・ラウンジ

■「世界初の公式なアガサ協会」の記事、嬉しく拝見しました。それにしても四頁とはがっかりです。ファン雑誌はこれでいいのかもしれませんが「(中島河太郎さん)。
■「早川書房の方へ」の原稿を面白く感じました。田村隆一氏の次の頃かと思いますが、神田多町のあの辺の土地所有者が川津という人で、川津書房という出版社を道楽でやっており、私はしばしば出入りしましたので、一寸、懐かしい土地でした。ずいぶんと昔のことです(九鬼紫郎さん)。
■今号では早川書房の喫茶店クリスティ探訪エッセイが抜群に皮肉が効いて面白く読ませていただきました。あーゆー店員を置いているだけで、ハヤカワの做慢ぶりが躍如!(島内三秀さん)。
■「早川書房の方へ……」の文中のバーテン氏との会話の部分はアンサー(A)とクェッション(Q)を全部逆に書いていました。読んで「オヤッ」と思った方は、原稿がフロッピーで送られたことを御存知ないから、筆者じゃなくて、ワープロを打った人が間違えたのだろう……と思ったりして。スミマセンデシタ。今号は細かな、それぞれ個性豊かな情報が満載されていて、なかなか楽しいですね(泉淑枝さん)。
■赤木かん子さんの「女性のためのミステリー・トーク」お送りいただき、有難うございました。さっそく読ませていただき、次回に自分の読む本を決める参考にしました。まだまだ読んでいない名作が沢山あると思うとワクワクします(上地恵津子さん)
■「女性のためのミステリー・トーク」届きました。どうもありがとうございました。なかなかよかったです。「「というのは、女性ってわりといろいろな読み方をするんだよなーという所がズバッと書いてあったからです。「エド・ハンター君がカッコイイ」「ハーレクィンはハーレクィンで読みたい時も……」など、男性が書いたのでは絶対出てこないセリフですから。いろいろなミステリ案内があってもいいですよね(根村ひろみさん)。
■今年は江戸川乱歩生誕百年で、また乱歩を読み返しております。これが本当にオモシロイ!!大正時代のロマンの香りがたまりません。私の憧れの時代です。この時代に私は生まれていたかった。耳に飛び込んでくる電子音、カタカタと鳴るワープロのキーの音。もう、本当に大嫌いです。
 ”胡桃の中に部屋がある”といった俳人がいましたが、私は鏡の中に、もう一つの自分の部屋があることを信じてやみません。
    出走を企てもして梅を干す   寛子
 「早川書房の方へ……」(泉淑枝)は大変おもしろく拝見しました。特に早川時代のエピソードのくだりの社屋の描写に思いをはせました。私の俳句の師、藤田湘子(しょうし)の句にあります
    蝿生る神田のとある出版社   湘子
「とある」とあるからには、決して有名な大出版社ではない。晴れた日でも何故か、いつも饐(す)えた匂いのする水たまりの路地のどんずまりに急な階段を見上げている私は、少し考えながら、ぎしぎしと音をたてて階段を上がると、「○○出版社」と達筆な墨の文字が半ばすりきれた板の上にかろうじて読めるドアを開け、返本の山の向こうから鼻眼鏡の社主の上目づかいに目をくれる……、とまあ、こんなシーンが思い起こされる私の一刻の白昼夢でありました(土居ノ内寛子さん)。
■私は短歌が好きで「短歌研究」(短歌研究社刊)という月刊誌を購読しているのですが、今年の7月号になんとクリスティとポアロが登場する短歌が載っていました。
  秘密ふかきアガサ・クリスティのごと逃げきりし一生すでに遠くへだたる
  卓に残るグラス一個に皿一枚一目にて解かむポアロならずとも
 作者は北澤郁子さん。でも横書きの短歌って妙なものですね(槙千冬さん)。
■WHNo.47のp.40の「英国にもラベンダーがあると知ってちょっとびっくり」を読んで、ひっくりかえるほどびっくり!! だって、ラベンダーはどこの家の庭にもあるありふれた草花で、見て楽しみ、干して香りを楽しみます。ちなみに、私が7年間暮らしたウィンブルドンでは雪が融けて、スノードロップ・クロッカス、水仙、れんぎょう、さくら、しゃくなげで、春から夏、秋の一年の半分以上を薔薇、紫陽花で楽しめます。8月の終りは、夜暖房を入れる日があるほど、秋です。あー返りたい、帰りたいよぉ……(関口礼子さん)。
■主人の夏休みにアイルランドに里帰りしています。天気に恵まれ、毎日会う人に”You're very luckey!”と言われています。でも寒い! 何といっても三十度の仙台から来た私は、セーターを着て暖炉に火を入れています。ところで、私達は、エアラインはイギリスのバージン・アトランティックにしたのですが、イヤホン・チャンネル(TV)に「アガサ・クリスティー・アワー」があるのを御存知ですか? 私は何度乗ってもイヤになる飛行機に悩まされながら、アスピリンを2回も飲みつつ「E・ロビンソンは男なのだ」を楽しみました(マコーリー加代さん)。
■英語の勉強ということで、NHKラジオの『英会話入門』を聞いています。そのテキストには英語圏の国々のことを写真入りで紹介するページがあり、8月号からはイギリス編です。8月号は「サリー州 B&Bの旅」、9月号は「ハイゲートのお墓ツアー」で、10月号ではいよいよ「ハロゲート アガサ・クリスティー・ミステリーを追え」というわけです。例の失踪事件の謎です。クリスティが滞在したオールド・スワン・ホテル、マウストラップを上演している劇場、などが紹介されています。ついでに、11月号は「イギリス 紅茶物語」です(高木康男さん)。
■他の作者の作品を読んでいる時に、その中にクリスティの名前や、ほのめかしがあったりすると楽しさ倍増ですよね。米国の作家シャーロット・マクラウドの作品にもよく登場し、書店を経営している夫婦のくだりには「一日中アガサ・クリスティにかこまれてヘビーな一日を過ごした後は「「」云々で、また別の作品には「アガサ・クリスティ風手作り保温カバー」などという一行があったり。その存在の大きさにあらためて感心します。  ところでモリナガさんから出ている珈琲・紅茶用のワンポーション・タイプのクリームは「クリスティ」というのですが、全然関係ないでしょうね、きっと。(中嶋千寿子さん)。
■図書館で『伯爵夫人はスパイ』(アーリーン・ロマノネス著、小泉摩耶訳)を借りました。元モデルの女性がCIAのスパイになります。第二次大戦中にスペインにおけるナチスの活動を探る任務について、危ない目にあいながらも任務を果たし、仕事中に知り合ったスペイン貴族ロマノネス伯爵と結婚します。
 スパイをやめて20年後、CIAの元のボスから再び仕事を依頼されます。すでにヨーロッパの上流社会に確固たる地位を獲得していた彼女は、パリに住む親友のウィンザー公爵夫人の協力を得て仕事をします。あと少しでその仕事が解決という時に、一緒に仕事をしていたスパイ仲間(スパイ名トップ・ハット)が誰かに殺されます。
 この本を読んだあと、アメリカで二重スパイが捕まりました。夫婦でCIAのスパイだったのですが、実はソ連にも情報を流していたとわかったそうです。彼等はCIAのスパイを何人もソ連に売ったそうですが、なんとその中にスパイ名トップハットが含まれていました。それを知ってゾッとしました。アメリカの一女性がシンデレラ物語のようにスペイン有数の貴族夫人になり、ヨーロッパの上流社会を舞台にスパイ活動をするという華麗な面にばかり目を奪われてましたけど、本当は死と隣合わせだったんだと改めて思いました。
 映画「陽の名残り」を2回観ました。私の想像していた型のイギリスがありました。できたらまた観たいです(関根由紀子さん)。
■大学の頃、おくてだった私は、同じゼミの女の子に初恋をしていました。その橋渡しというか、コミュニケーションの手段だったのがクリスティのミステリーでした。その片思いも、告白して消えてしまいましたが。田舎から出てきた(お互いに)、いかにも文学少女っぽい女の子でした(薄正文さん)。
■昔、istanbulのペラパラスホテルへは行ったことがあるんですよ。もう8年も前のことです。そのときはクリスティとの関連なぞ全然知らなかったんですけど……。ひょっとしたら、会員じゃ自分が一番最初にこのホテルへ行ったんじゃないかって思いました。随分クラシックで由緒ありげなホテルでした(あのすごい旧式のエレベータにも乗りましたから)。懐かしかったです(加瀬義雄さん)。
■大正六年生まれですが、洋書を読むのが唯一の楽しみです。子供の頃ロンドンに四年居りましたので貧しいながら英国の本(小説)は一寸した本屋位あります。クリスティは勿論、デュ・モーリア、P・G・ウッドハウス、モーム等々。円高なのに丸善や伊ノ国屋では一寸も安くないので、皆ペイパーバックの安本ばかり。買ふ度に「高いわね」等と言ふので嫌な婆サンと思はれれているでせう。テレビでたまに見る「クリスティもの」も、私のイメージと違ふ事が多いですね(田中美穂子さん)。
■『女性のためのミステリ・トーク』(赤木かん子著、自由国民社発行)は、前号で希望者を募りましたが、まだ6冊残っています。今回は先着6名で締切りますので、希望者は早急にお申し込みください。希望者が6名に満たないときは、こちらで勝手な抽選を行ない、当選者には勝手に本を発送しますので、遅れてきた正月のお年玉と考えてお受け取り下さい。よろしく!(S)
■夏休みに観る予定をしていた映画「風の丘を越えて」は、10月に新宿で観ることができました。初めて経験する韓国映画ですし、パンソリという韓国の古典芸能が全編に流れるので、当初はちょっと戸惑いがありましが、それでもすぐ物語に引き込まれてしまいました。単純な物語ですが、語り口はうまいし、映像も美しい。主演女優の呉貞孩(韓国美人の典型のような女性)と父親役の金明坤も熱演。韓国で最大のヒットを記録したそうですが、なるほどと頷ける出来映えでした。ただし主題である”恨”については、理解はできても納得はできないなあ。
 とまあ、クリスティに関係のないことをダラダラと書いてきたのは、この欄が埋まらなかったからである。やっと、あと6行になりました。
 今号も半分以上はお手紙で構成しました。きちんとした原稿が送られてこなくとも、なんとなく一号が完成してしまう点では大変嬉しいことなのですが、でも原稿があるにこしたことはありません。「クリスティ・ランドの素敵な人」や「身近かな世界のクリスティ」の原稿をぜひお寄せ下さい。またクリスティ協会のグループ名についても、よい名前を思い付いたら、ぜひお知らせ下さい。
 今号も年内発送ができそうです。ではメリー・クリスマス & 謹賀新年

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☆編集者:数藤康雄  〒188      ☆ 発行日 :1994.12.24
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