ウインタブルック・ハウス通信

クリスティ・ファンクラブ機関誌

1992.12.24  NO.44

クリスティの十二支(その9)

 オリヴェイラ夫人はしゃべりつづけた。彼女は、(いわばめん鶏だ)と、ポアロは思った。大きい肥っためん鶏。オリヴェイラ夫人は、まるで自分が銅像になったように尊大な様子で戸の方へ歩いていきながら、しゃべりつづけた。(『愛国殺人』加島祥造訳)


< 目  次 >

◎40年目の「ねずみとり」 ・・・・・・・・・ピーター・ソーンダース・ 槙 千冬訳
◎バー島(BURGH ISLAND)の正体・・・・・・・大久保 美佐
◎映画「昨日消えた男」あれこれ・・・・・・・泉 淑枝
◎約束と、かぎ煙草・・・・・・・・・・・・・塚田 善人
◎クリスティ症候群患者の告白(その15)・・・・・・・・・・数藤 康雄
◎ティー・ラウンジ
★表紙   高田 雄吉

40年目の「ねずみとり」

ピーター・ソーンダース・槙 千冬訳


 1992年11月25日より「ねずみとり」の興行は41年目に入りますが、今夏のイギリス旅行でこの劇を観た会員の杉下さんから、"THE MOUSETRAP STORY"というパンフレットが送られてきました。この文章はその冒頭に載っているものです。
 以前、「ねずみとり」33周年記念のパンフレットを会員の斎藤さんよりお借りしたことがあったのですが、そのパンフレットの冒頭の文章と、細かな数字を除いては、同じ内容ではないかと思います。したがって新鮮さはあまりないのですが、何はともあれ、40周年記念年のお祝い!です(S)。


 申し訳ありません。著作権の関係で掲載できません(S)。


バー島(BURGH ISLAND)の正体

大久保 美佐


 読売新聞夕刊(1989.10.31)の文学紀行によると、『そして誰もいなくなった』のモデルはバー島になっています。しかし写真で見る限りは、島の形状はインディアンの横顔のようには見えません。なぜモデルと言われているのか疑問に思っていたのですが、それ以上は調べられませんでした。
 ところが、同じ記事を読んだ大久保さんは、実際にイギリスのバー島まで出かけて、その島のホテルに泊まってきたそうです。おかげで、どういう島なのか、その正体がはっきりしたというわけです(S)。


 今回お手紙を差し上げたのは、WH通信No.39の”クリスティ症候群患者の告白”の中に、読売新聞の記事に関連して、バー島のことが出ていたからです。「もう少し調べてみることが必要だ」とありました。なにぶん2年も前の機関誌ですから、その後、いろいろとお調べになったに違いありません。いまさら、私などが手紙を出す必要がない、と迷ったのですが、あの記事を頭から信じて、実際にバー島まで行ってしまった人間としては、どうしても気になります。でも、数藤さんは「初耳」と書かれていましたがジャネット・モーガンの『アガサ・クリスティーの生涯』に、インディアン島のモデルはバーグ島だと書かれていましたよね(原書を見たことはありませんが、同じ島だと信じています。ちなみに、私はブルフ島と書かれた記事を見たこともあります)。
 御参考までにと思い、他にバー島について書かれたものを捜してみました。
 まず、ひとつは、クリスティの泊まったというBurgh Island Hotelのパンフレット。もうひとつは、Torbay Helalud & Expressが生誕百年に発行した『The Agatha Bygo-nes』(1990年9月8日)という新聞の一部です。バー島は、『そして誰もいなくなった』だけではなく、『白昼の悪魔』の舞台でもあることが、どちらにも出ています。ホテルのパンフレットには、島の歴史が書かれていますので、結構、興味深いと思います。
 他には、1990年2月にBTAが発行した『British Features』の中に、クリスティゆかりの地を折り込んだ『Agatha Christie Centenary』(by Nicholas Cole)という読み物があり、バー島は以下のように紹介されています。

 海岸沿いの、ビッグベリー・オン・シーの外れに、26エーカーのバー島があり、満潮時にはシー・トラックという珍しい乗物が連絡用に利用されています。優雅なバー・アイランド・ホテルに泊まった客の中にはアガサも含まれており、そこで彼女は2冊の小説を書いた・・その中の一冊『白昼の悪魔』はバー島を舞台にしているようです。アール・デコ調のインテリアを使用しているホテルに入ると、容易にポアロやミス・マープルの時代に戻ったような気分になるはずです。

 それから、次のものは、『Agatha Christie's Devon』(by Jane Langton,1990, Bossiney Books)という本からの抜粋です。

 サウス・ハムズ海岸沿いに浮かぶバー島のホテルを初めて訪れたことが、『十人の黒人』、他には『そして誰もいなくなった』として知られる作品のアイディアをクリスティに与えることになったようである。その滞在の後も、島とその周辺は当時の魅力をそのまま伝えているので、クリスティ作品をドラマ化した際の舞台として利用されてきた。

 蛇足ですが、生誕百年の際、イギリス国内では、Wesse Heritage という旅行社が、クリスティゆかりの地を訪ねる数種類の"Aniversary Tour"を企画しました。資料を見るとそのうちの一つにはバー島の観光(the setting for "Evil Under the Sun"の説明で)が含まれていたようです。(私はこれに参加したわけではありません。一人旅でした。念のため。)
 バー島について簡単に説明いたします。バー島は、ゆっくり歩いても、1時間で一周できる小さな島です。島にあるのはホテルが一軒、家が二軒、パブが一軒、それが全てです。ホテルのパンフレットを読むと、島自体をホテルのオーナーが所有しているようですが、ホテルの周囲を宿泊客以外立入禁止としているだけで、あとは誰でも自由に観光することができます。
 島は、パンフレットの地図でお判りの通り、デボン南部にあり、この辺り一帯は South Hamsと呼ばれています。非常に交通の便の悪い所で、Bigbury-on-Seaへは、プリマスから夏期限定のバスが週2日のみ、1日2〜3本走っているだけでした。(それも毎年必ず走るわけではなさそうです。)私はこのバスを利用して島に行き、ホテルに一泊、翌日はバスがないのでタクシーを利用しましたが、「タクシーを呼んでほしい」と頼むと、「来るまで1時間かかる」と言われる始末でした。
 バー島の特徴は、満潮時には海に囲まれているのに、引潮になると海が二つに分かれてBigburyと陸続きになることです。(『白昼の悪魔』のスマグラーズ島のように、コンクリートの遊歩道はありませんが。)引潮時にはBigburyから島まで徒歩5〜6分。満潮時にはSea Tractorという奇妙な乗物が島とBigburyを結んでいます。
 ホテルは、全部で14室と小規模ながら、その全てがスィート・ルームという豪華ホテルです。特に、ディナーの時は、男性はジャケットにネクタイ(私の泊まった時は全員タキシードでした)の着用が決められており、クリスティの世界というか……。とにかく壮観でした。
 数藤さんは「とてもインディアンの横顔には見えない」と書いていらっしゃいましたが、私も同感です。インディアン島のイメージはありませんでした。でも、確かに、スマグラーズ島とは似ているのではないかと思います。


映画「昨日消えた男」あれこれ

泉 淑枝

 映画「昨日消えた男」は、『映画千夜一夜』という本の中で山田宏一氏が『オリエント急行殺人事件』を時代劇に翻案した傑作と指摘している映画です。
 ”狂”の付く映画ファンである泉さんは、この映画を東京は池袋の文芸座で観たそうで、さっそくリポートしてもらいました(S)。


 6月26日から7月11日まで、池袋文芸座で開催された「マキノ雅広・ワンマンショー」で、ようやく念願の「昨日消えた男」を観ることができました。『映画千夜一夜』という本の中で、山田宏一氏が『オリエント急行殺人事件』を時代劇に翻案した傑作・・と指摘し、「列車を長屋に置きかえたあたりが見事な脚色」と評した、あの映画です。
 文芸座のパンフによると、マキノ雅広(雅弘、正博とも)は1908年、日本映画の父、マキノ省三の長男として京都に誕生。1926年「青い眼の人形」で監督デビューして以来、72年の藤純子引退記念映画「関東緋桜一家」まで、45年間に、実に261本の映画を撮っています。261本のうち、現存するプリントは85本。そのうち貸出不可のものを除く56本を「マキノ雅広、ワンマンショー」の通しタイトルで一挙連続上映することになり、「昨日消えた男」は、その5日目に「待っていた男」と併映されました。
 舞台は江戸時代末期の長屋。ケチで冷酷なことから”鬼勘”とアダ名される家主の勘兵衛が、ある日、何者かに殺された。長屋の住人全員が勘兵衛に恨みを抱いており、全員が怪しい。さて、殺したのは誰か? 長谷川一夫扮する遊び人の文吉こと遠山の金さんが真相を探り、最後に全員をお白州に集めて、鮮やかな謎解きを展開する・・といったようなお話。『オリエント急行・・』で殺されるラチェット氏が勘兵衛、遠山の金さんがポアロ、そして列車は長屋に置きかえている・・と言われれば、「なーるほど」と思わないでもないですが、言われなければ気がつかないほど、ウマく換骨奪胎しています。原作と違って、最後に意外な(でもないか)犯人が一人、明らかにされます。お人好しの長屋の住人たちは、真犯人の存在を知らぬまま、お互いにかばいあって、死体に細工をしたり、ヘンな証拠品を投げ込んだりして捜査を撹乱するんですが、そのヘンのところも、『オリエント急行・・』しているかな。
 驚いたことに、マキノ監督はこの映画を9日間で撮りあげたんだそうです。そのせいか、作品はスピード感にあふれた楽しい娯楽作品に仕上がっています。併映の「待っていた男」も、マキノ正博・小国英雄が脚本を担当したミステリー時代劇。「昨日消えた男」よりも喜劇的な要素が強く、やはりスピード感あふれた娯楽作品です。戦後東宝に入社し、マキノ監督の助監督(スケカン)についた岡本喜八監督が「両作品とも、外国ダネ」と言っていますから、「待っていた男」も、もしかしたら、クリスティ作品の翻案かもしれません。長谷川一夫と山田五十鈴の目明かし夫婦が、旅先で殺人事件に遭遇。エノケンの地元の目明かしを助けて解決するといった筋立てなので、トミーとタペンス物あたりの翻案かも。トミーとタペンスには冷淡な読者の私には、見当がつかないのですが……。
 「昨日消えた男」は、1941年製作の東宝映画。長谷川一夫、山田五十鈴、高峰秀子など、当時の人気スター総出演のオールスター・キャストで大ヒットしたお正月映画です。このヒットを受けて、翌年42年には「待っていた男」も作られています。41〜42年といえば、戦中の暗い時代。本誌37号の44頁に掲載していただいた滝田ゆう「寺島町奇談」の時代考証は、やっぱり確かでした。
 この時代は国策映画の全盛期で、軍部による台本のチェック、作品の検閲が相当にキビしかったハズです。それでも誤摩化しようはあって、「伊那の勘太郎」は勤皇派を支援する憂国のやくざということで検閲をパスさせたとか(キネマ旬報「東宝60周年記念企画」号)。では、敵国作家の原作の「昨日消えた男」などは、どのような理由をつけて検閲をパスしたのでしょうか?
 文芸座にこの映画を観に行ったのは平日の昼間だったので、空いているだろうとタカをくっていたのですが、とんでもない。満席で、立見も何人かいました。暗闇に目が慣れてくるにつれ、座席からのぞく、お客様の頭のほとんどが白髪であるのが分かり、感動。みんな、辛い時代に自分たちを楽しませてくれた映画のことを、忘れていなかったのです。  なお、この映画は「東宝60周年記念企画」(「キネマ旬報」7月上旬号)のジャンル別ベストテンで、ミステリ映画の部の第1位に選ばれています。選者の石上三登志氏が「本格謎解きの先駆的な意義あり。”捕物”に化けさせてクリスティをやっちまうなんて…!」と言っていますから、原作がクリスティというのは、映画関係者の間では周知の事実だったかも。

 その後、マキノと小国英雄について知りたくて何冊か本を読むうちに、映画「昨日消えた男」について分かったことを、以下、ご報告します。
 『マキノ雅弘自伝・映画渡世』天の巻、地の巻の2巻は、プログラム・ピクチャーのファンなら誰だってワクワクするに違いない快著ですが、同書によれば、マキノ・小国コンビが「昨日消えた男」を撮ることになったのは、偶然のキッカケからのようです。昭和15年末、正月公開の東宝映画「家光と彦左」を長谷川一夫と古川ロッパの主演で撮るはずだったマキノと小国は、クランクインの当日にロッパが急病で出演出来なくなったため「長谷川一夫の作品が正月に出ないと大変だから、別の物で間に合わせてくれ」とプロデューサーに泣きつかれ「出来ん!出来ん!」と苦しみ抜いたあげく、土壇場で誕生したのがこの作品だそうです。マキノがもうこれ以上は駄目だと思った時、小国が「英国の本を読んでいたら、こんなんできたぞ」と言って「昨日消えた男」の脚本を見せに来るのですが、その「英国の本」が『オリエント急行殺人事件』であることは、同書では明かされていません。この自伝の原稿整理や口述筆記をつきっきりで手伝った山田宏一氏が、「昨日消えた男」は『オリエント急行殺人事件』の翻案だということを『映画千夜一夜』の中でちょいとしゃべってくれなかったら、この事実を知る人は少なかったんじゃないかなと思い、一読者として山田氏の功績?に感謝しています。
 山田氏は「列車を長屋に置きかえたあたりが、見事な脚色」と語っていますが、それについては斎藤忠男著『東宝行進曲』(平凡社刊)に面白いエピソードが紹介されていました。昭和13年に東宝に入社し撮影所の宣伝課勤務となった斎藤氏は、島津保次郎の「時の花形」という下町の貧乏長屋を舞台にした現代劇の宣伝をまかされますが、氏の奮闘空しくこの作品はヒットせずに終ります。ところが、「時の花形」が20日間で撮影を終えた後、その長屋セットを時代劇ふうに飾りかえ、わずか10日間で正月用の大作を仕上げて大ヒットしたのが「昨日消えた男」だというのです。うーん、ストーリーをクリスティからパクッただけでなく、セットも他の作品の使い回しだったとは! その逞しさと頭の良さには、感じ入ってしまいます。
 「昨日消えた男」は正月第2週封切の作品でしたが、その隣のセットでは第1週封切の「熱砂の男」を、マキノと負けず劣らずの速撮りで知られた渡辺邦男が撮っていて、両方の主役だった長谷川一夫の体の奪い合いで取っ組み合いが始まり、2作品の衣装を抱えた長谷川が仲裁したとか……この2つの本には「昨日消えた男」に関する痛快な話がたくさん紹介されていますので、機会があったらぜひお読みください。
 なお、「昨日消えた男」という現代劇ふうの洒落たタイトルは、ロッパが病気で消えたことにひっかけて小国が考えたのだそうです。この作品のヒットを受けて、翌年マキノ・小国コンビで撮った<男シリーズ>第2弾「待っていた男」は、小国の脚本が出来るまでマキノが待たされていたことから思いついたそうで、「洒落も入ってんです。小国っちゅうのはそういう馬鹿ですから」と、第16回湯布院映画祭のシンポジウムで、マキノが回想しています(大枚500円もはたいて買った湯布院映画祭のパンフに書かれていました)。  マキノ監督の作品はリメイクが多く、「昨日消えた男」も戦後2度リメイクされています。1本めは昭和31年、マキノ・小国コンビでリメイクした「遠山金さん捕物控・影に居た男」(東宝)で、「オリエント…」のポアロにあたる遠山の金さんは中村扇雀が演じています。2本めは昭和38年に森一生・小国コンビでリメイクされ(タイトルは「昨日消えた男」)、この作品ではポアロは金さんから将軍吉宗に変えられ、市川雷蔵が演じています。山田宏一・山根貞夫編『森一生映画旅』(草思社刊)によれば、この時、前と同じじゃ嫌だから金さんを吉宗に変えようと言い出したのは、やはり小国だそうです。こうして、自分の知らないうちに遠いジパングの国へ渡り、金さんにされたり吉宗にされたりしたことを知ったら、ポアロもさぞビックリしたことでしょう。しかも演じているのはアルバート・フィニーやピーター・ユスティノフといった、どちらかと言ったら不格好なオッサンではなくて、日本の代表的な美男スターです! このことをポアロに教えてあげたかったと思うのは、私だけでしょうか?
 というわけで、1974年のシドニー・ルメットの「オリエント急行殺人事件」を入れると、『オリエント急行……』は実に4回映画化されていることになり、これは『そして誰もいなくなった』の4回と並ぶ記録です。私はまだ衣笠貞之助監督・小国英雄脚色の「ある夜の殿様」(東宝、昭和21年)は見ていませんが、小林信彦氏が『セプテンバー・ソングのように』で指摘されたように、この映画も『チムニーズ館の秘密』の翻案であるとするなら、日本製のクリスティの翻案映画は、野村芳太郎監督の「危険な女たち」(1985年、松竹)を入れて、分かっているものだけでも4本です。小国には「待っていた男」とか「狙われた女」とか、ほかにもクリスティくさい作品が何本かあるので、そのへんのところをご本人に確認できるとよいんですが……。
 百年後に早川の『クリスティー読本』が改訂出版されるようなら、「アガサ・クリスティー映画」の章に、ぜひ、小国翻案の和製クリスティ映画も加えて欲しいものです。  実は、もう一つ、クリスティに関してちょっとした発見があるのですが、私以外にもお気づきの方が多いと思いますので、次号のWH通信を拝見してからお手紙させていただきます。


約束と、かぎ煙草

塚田 善人

 クリスティ・ファン・クラブの会員は、クリスティ作品以外では、どのようなミステリーを愛好しているのでしょうか。S氏は、イギリス・ミステリーであるならば、コージー派ミステリーはもちろん、冒険小説やスパイ小説でも、なんでも愛読しています(でも、D・フランシスの競馬シリーズが一番かな)。
 本稿の著者塚田さんは、本格ミステリー(それも1960年代以前の作品)の大ファンで、本格ミステリー・ファンのためのファンジンROMの熱心な同人の一人です。塚田さんだからこそ、取り扱えた主題といえるでしょう(S)。


 クリスティ、クイーン、カー、こと長編ミステリに関しては、筆者のフェイヴァリットは、小学生の頃から、このビッグ3で決まり。それぞれの持ち味、得意技を、それぞれに愛しています。
 しかし、世の中にはやはり、クリスティは面白いけどクイーンは好きになれないとか、J・D・カー最高、クリスティなんか興味なし、という人もいるでしょうね。本格物というレッテルを貼ったところで、作家の個性が違う以上、ファンがわかれるのは当然ともいえます。
 このアガサ・クリスティ・ファン・クラブでは、クイーンやカーは人気があるのでしょうか。新米会員としては、気になるところです。なんとなく、クイーンは受けがよさそうな気もしますが、カーとなると……?
 とはいえ、カーのミステリでも、おそらく『皇帝のかぎ煙草入れ』だけは、かなり読まれているものと思います。クリスティが、「このトリックにはさすがの私も脱帽する」と述べたらしいとあれば。
 筆者はカーのアクの強さも大好きですが(『曲った蝶番』や『一角獣の怪』あたり、こたえられませんゾ)、プロットの素晴らしさで一つだけ選ぶとすれば、やはり1942年の『皇帝のかぎ煙草入れ』になります。
 WH通信43号に、クリスティが『皇帝のかぎ煙草入れ』をホメた文章の出所をめぐる、青木零さんのお手紙が掲載されていましたが、とても興味深く拝見したした。「バンコランもフェル博士もH.M.も出てこない『皇帝のかぎ煙草入れ』だけは、クリスティーの"cozy"の世界に一番接近しているから、クリスティーも特に気に入ったんじゃないでしょうか」(P.12)という結びの一文にも、ナルホドと思いました。
 しかし、もしクリスティが、とりわけ『皇帝のかぎ煙草入れ』を推賞したのであれば、『皇帝のかぎ煙草入れ』のだましの手口、プロットに自分と共通のセンスを感じたことが大きいのではないか、と筆者は思うのです。語り口のトリックが採り入れられていることもそうですが、以前、自分が使ったことのあるアイデアが応用され、見事にしてやられた嬉しい驚きが、絶賛になったのでは、と。
 実は、『皇帝のかぎ煙草入れ』は、クリスティのある作品によく似ている、というか、それからインスパイアされて生まれたのが『皇帝のかぎ煙草入れ』ではないか、という小説を、クリスティは書いているのですね。
 1938年のポアロもの、『死との約束』がそれです(『死との約束』と『皇帝のかぎ煙草入れ』を未読の方は、◆のところまで飛ばしてお読み下さい)。

 ストーリーのアウトラインでなく、プロットの共通点を見るなら、
@家庭内の犯行と思わせて、犯人をあくまで部外者の証人とみせかける構想。
A一見つながりのない、被害者と犯人を結びつけるため、もと刑務所の職員と囚人という過去を設定し、犯行動機をつくっている点。
B犯人が、暗示にかかりやすい第三者を誘導し、犯行後も、まだ被害者が生きていたように信じこませる計画。
 そして何より、
C犯人の”目撃証言”のなかにミスがあり、確認できるはずのないものを確認してしまったことから真相があばかれる、という段どり。

◆同一主題による変奏(ヴァリエーション)といえるでしょう。先行作に目をつけて改良するテクニックは、クリスティに劣らずカーも抜群のものがありますし、当然、カーはクリスティの作品を読みこんでいたでしょうから、『死との約束』から派生したアイデアを、4年後(ほとぼりがさめた頃?)、自分なりにまとまてみたのが『皇帝のかぎ煙草入れ』ではないか、という気がします。
 そして、フーダニットのテクニックに関していえば、『皇帝のかぎ煙草入れ』が『死との約束』以上の完成度をしめしていることは、疑いないでしょう。それはたとえば、犯人の証言内容のミスが、『死との約束』では、必ずしも致命的なものとはいえないのに対し、『皇帝のかぎ煙草入れ』となると、まさに犯人を決定するものに工夫されていることからも、明らかです。同趣向の作を書いたことのあるクリスティが読んだら、ヤラレタ、と思わないわけがありません。
 しかし、そんな傑作といえる『皇帝のかぎ煙草入れ』も、登場人物の魅力にとぼしいきらいがあるのは、確かです。ドラマの前提を設定する導入部がわずか1章で、それがまったくの説明調なのは、弱点でしょう。この辺り、さすがにクリスティは巧みで、事件発生前の人間関係のサスペンスが、『死との約束』を面白い読み物にしています。
 いつもと違う、クリスティ風の日常的作品世界を描くのであれば、カーも、状況設定にもう少し筆を費やすべきだったでしょう。探偵役が介入するまでの、いわば”発端”のしめる割合は、『死との約束』が全体の約40%、『皇帝のかぎ煙草入れ』はおおよそ25%です。おうような姉と、気ぜわしい弟といったところでしょうか。
 まあ、単純に数字だけでわりきれる問題でもありませんが、メロドラマをあしらわせたら、やはりクリスティのほうがウマい。エンディングを見ても、『皇帝のかぎ煙草入れ』は、探偵役のラブ・シーンがいかにもギコチなく、ハッピー・エンドの高揚感に欠けます。『死との約束』は、事件解決から数年をへて、その間に成長したり結婚したりした、被害者の家族の面々をポアロと再会させるエピローグが、とても印象的。
 プロット、アイデアにおいて共通する2作だけに、読みくらべると、作家の料理法の違いがわかって、なかなか興がつきません。
 それぞれに良さがあり、どちらも筆者のフェイヴァリット。うーん、結局、アレも好き、コレも好き、という、ただのだらしない読者だったりして。


クリスティ症候群患者の告白(その15)

数藤 康雄

×月×日 東京は世田谷区にある住民図書館から、ミニコミ誌に関する調査表が送られてくる。ミニコミ総目録を作りたいので、WH通信の内容を知りたいというものであった。調査は1988年から実施しており、あるミニコミ誌の存在がわかると、そのミニコミ誌に調査表を送り、そのミニコミ誌の主催者が知っている他のミニコミ誌を紹介してもらう手法で、データの収集・増大を行ったらしい。つまり一種のイモズル式調査である。誰がWH通信を紹介したのかしらないが、この調査の締切一ヶ月程前に調査表が届いたから、イモズルの一番先端にかろうじてぶら下がったことになる。
 今から考えると恥ずかしいの一語だが、真っ赤な表紙のWH通信創刊号(1971.8)には「ミステリー版ミニコミを目標としています」などと書いたうえに、当時の革新の旗手であった美濃部東京都知事に送ったりしたのである(クリスティと革新都知事とはどんな関係があるのかと首を傾げる人も多いと思うが、美濃部さんは一応ミステリー・ファンと言われていた)。それが20年以上たったとはいえ、ミニコミ誌として認知(?)してもらえそうだというのだから、ある意味では本望である。喜んで調査表にデータを書き込んだ。  調査結果は立派な本になって5月に発売されたようだ(住民図書館編、平凡社発行『ミニコミ総目録』9800円)。”ようだ”と書いたのは実物を見ていないからだが、驚いたのは、この『ミニコミ総目録』の宣伝パンフレットに掲載されている内容見本例(文化・宗教の部)に、ウィンタブルック・ハウス通信がバッチリ載っていたことである。ミニコミ誌の並べ方がアイウエオ順であったので、ウィンタブルック・ハウス通信は3番目となり、見本に出てしまったという次第。最後にやっと潜り込ませてもらったのに見本に出てしまうとは申し訳ない気がするが……。
 それはともかく、この調査が縁で、住民図書館にWH通信を納めることにした。これまでは図書館といえば、浜松市の私設図書館「アガサ」と神奈川県立婦人図書館にしか送っていなかったが、これで東京地区の図書館でもWH通信の閲覧が可能となったわけでる。実際に閲覧する人などいないと思うが、やはりうれしいことだ。
×月×日 クリスティの戯曲4本を連続して上演するという、クリスティ・ファンにとってはビッグなニュースが飛び込んできた。本号がお手元に届くころには、詳しい情報が明らかになっていると思われるので、ここでは簡単に事実だけを書いておこう。  企画製作はフジテレビジョンと平井事務所で、製作協力が松竹。上演題目と期間、出演者などは以下のとおり。

(1)「そして誰もいなくなった」(93年1月14日〜1月27日)
   かとうかずこ、岩崎加根子、西本裕行、新井康弘、柄沢次郎 滝田裕介 他
(2)「ねずみとり」(1月30日〜2月12日)
   荻原流行、金沢碧、佐古雅誉、沖田浩之、花王おさむ、馬淵晴子 他
(3)「ホロー荘の殺人」(2月16日〜2月28日)
   野口五郎、久野綾希子、中原ひとみ、江藤潤、大輝ゆう、江原真二郎 他
(4)「蜘蛛の巣」(3月3日〜3月16日)
   剣幸、内田稔、左時枝、湯浅実、辻萬長、土屋嘉男 他
場所は東京、池袋のサンシャイン劇場。

 なお、この件については、平井事務所から、クリスティ・ファン・クラブ員には割引チケットを案内したいので、クラブ員の住所氏名を教えてほしいと頼まれた。クラブ員にとっても、いいことではないかと勝手に判断してパソコンのプリントアウト(確か8月末現在のもの)を郵送した。クラブ員全員に案内がいったかどうかは不明であるが(なにしろ僕のところには割引案内がこなかったので!)、購入した人は、ぜひ観劇のレポートをお送り下さい。
×月×日 日経新聞(1992.6.26)のコラム「同好同志」に、本クラブのことが紹介された。新聞のコラムであるだけに、ごく小さな記事である。取材の記者とは30分程度しか話をしなかったためか、正しい情報が伝わっておらず、紹介文を見ると”バートラム・ホテル”が”バートランドホテル”になっていたり、僕がしゃべったとは考えられないようなことが書かれていてる。単に喫茶店で雑談しただけなので、仕方がないか。
 しかしこの記事のおかげで、問い合わせは40通以上、入会された方も30人近いのではないかと思う。再び会員数は定員一杯(一応250名前後としている)になってしまった。あらためて、マスコミの影響力の大きさに驚くとともに、クリスティ・ファンの裾野の広さにも驚く。
×月×日 会員の方から、「アクロイド殺し」という劇の公演パンフレットが送られてくる。アマチュア劇団がクリスティの「アリバイ」を上演するのかと思ったら、違っていた。和田周という人の作で、パンフレットのコピーには「アガサ・クリスティーなんか恐ろしくない 初めての本格探偵劇 アクロイドの館に乗り込む狂人ポワロ 初めての狂気推理劇」と書かれている。完全なオリジナルな劇というわけだ。パロディなのは間違いないとことだが、どの程度の推理劇なのであろうか。
 夜の樹+文芸座ル・ピリエ提携第9回公演(12月1〜6日)とある。本号が出る頃には終っているが、池袋の文芸座で催されるわけだから、どうやらここ当分は、東京の池袋はクリスティ劇のメッカだ(とはオオゲサだが)。
×月×日 仕事の関係で今年の10月にまたまた韓国のソウルに行く。昨年の5月に初めてソウルに行って以来、これで3度目である。それまでは15年近くの間、国外にはまったく出かけなかったのだから、急に海外に出るようになったのは我ながら不思議だが、おかげでソウルがすっかり好きになってしまった。
 僕が好きになる都市の条件は簡単である。まず地下鉄ないしは市電で(バスではない)市内のどこにでも自由に行けて、不安感なしに歩き回れる都市である。そして市内を大きな河が流れていれば(海に面しているのではない)申し分ない。つまりロサンジェルスのような都市は一番嫌いで、ロンドンのような街がお気に入りということになる。ソウルはその条件を満足しているうえに、市内で日本語をしゃべっても、地下鉄で日本語の本を読んでいても、なんら不愉快な経験をしなかったからであろうか。
 それはともかく、今回も韓国一といわれる書店(教保書店)をちょっと覗いてみた。店内が改装されていて、前より一段と雰囲気がよい。ただし売場が大き過ぎて、ハングルが読めない人間には、どこにどのような本があるのかさっぱりわからない、というのがぜいたくな欠点か。その点、韓国貿易センタービル近くのソウル・ブック・センターは程良い大きさで、ミステリーやSFをひとまとめにして置いてあり、わかりやすい。『羊たちの沈黙』や『氷の微笑』といった映画で評判になった本は当然のように翻訳されており、もはや日本と同じであった(宮沢りえの写真集も発売されていた)。クリスティーの本については前々回報告したとおり、ほぼ全作品が翻訳されているばかりか、本棚にすべて揃っていてすぐに購入できる。J・モーガンの『アガサ・クリスティーの生涯』も新作として出版されていた。人気は本物であるようだ。


ティー・ラウンジ

■別館ティー・ラウンジの海保さんのお便りを興味深く読ませていただきました。中国語で「鐘」とは時計のことだそうです。しからばと思って、"The Clocks"(『複数の時計』)の出だしの部分を見ると、The afternoon of the 9th of September was exactly like any other afternoon となっています。瑪戴小姐の小姐は「嬢」(Miss)だと思うので、「マーティ嬢」とは? と思ってみると、Miss Marfindaleが前半だけチョン切られたかたちではないかと見えるし、伊娜・布蘭特はEdna Brentなんじゃないかと思えてきます。柯林・藍姆的叙述は、Chapter 1,4,他のColin Lamb's Narrativeでしょう。
 もっとも後はまったく分かりません。海保さんが解読なさったのを「なるほどー」と思いつつ、口をポカッとあけて感心しています。「啓事」って何でしょうね。「容易だ」という意味はないのでしょうか。『死灰復燃』って「焼けぽっくいに火がついた」みたいな意味なんでしょうか。そうだとすると、Murder in Retrospect(= Five Little Pigs)とか、Remembered Death(= Sparkling Cyanide)とか、かな。Elephants Can Remember もそんな内容だったけ? とか、ずいぶんと楽しませていただいています(木宮加代子さん)。
■海保さんの件、私見では
10 鐘(zhong) 時計→『複数の時計』
11 謀殺啓事の啓事(gishi)声明→『予告殺人』
14 白馬酒店の酒店(jindian)→バー・ホテル、ですので、文句あり。『バートラム・ホテルにて』では。
21 死灰復燃→一旦勢力を失ったものが再び復活する→?
5 魔子――と7 謀海は完全にお手上げです。(原岡望さん)
■「お荷物お持ちいたしましょう」と、ボーイさんにかしずかれるようにして、私は案内された部屋に通ります。「ごゆっくりどうぞ。」うやうやしい言葉と共に、彼が室外に消えるのを待って、改めて見回すと、美しくベッドメーキングされた寝台、書物机、小卓、椅子、その他の過不足なく備えつけられた調度品が、「さあ、これから心ゆくまでこちらでおくつろぎ下さい。」と話かけてくるようです。すでにお察しのように、私は、あるホテルに落ち着いたところです。ドアに鍵をかけ、旅装を解くと、あとはチェックアウトの時間まで、このかりそめの住まいの快適さを思うままエンジョイできるのです。
 アガサ・クリスティの『バートラム・ホテルにて』第5章の冒頭では、ミス・マープルのさわやかな目覚めの様子と、ルーム・サービスのおいしそうな朝食のメニューが詳述され、ホテルで迎える朝の幸せの極致を、読者も共に味わう恩典に浴します。確かにホテルは、私達をいっとき日常の煩雑さから隔離し、リッチな気分へと導いてくれるミステリアスなところだと思います。
 WH通信43号で、田中弘さんの「バートラム・ホテルのモデル」を読ませていただいですぐ、本棚の隅に眠っていた『The Historic Hotels of London』(Thames and Hudson)を取り出し、はやる思いでページをめくりました。残念ながら、フレミングス・ホテルの紹介はなくて、ブラウンズ・ホテルの方は、かの、名にしおうアフターヌーンティーの大写しが目にとびこんできました。そしてウェジウッドのティーセットで、今では絶版になっているハザウェイローズの古典的な絵模様に、しみじみ見入ったことです。それにしても、お仕事上の旅行とはいえ、足しげくロンドンを訪れることのできる田中さんには羨望の思いを禁じ得ません(日名美千子さん)。
■「我が母、アガサ・クリスティ」大変感動の読物でした。偉大な母親を持った子の重厚の様なものもあまりなく、淡々と語られているのがうれしい印象でした。最後の章の”母は人を楽しませるために書いていたと思うのである”。本当に私達は、どれだけ胸を踊らせて作品に触れたことでしょう。ドキドキしたあの感動を与えてくれたこの素晴らしい才能にあらためて感謝の辞を述べたい(土居ノ内寛子さん)。
■ちょっと古い話になりますが、1990年の12月に”クリスティ生誕100年”の行事として「アガサ・クリスティのミステリー王国展」がありましたネ。招待券を送っていただいたので、船橋まで見に行きました。そこで「ポアロに挑戦! あなたも名探偵」というコーナーがあったのですが、「犯人が誰だったのか?」 WH通信にも答がのっていなかったような気がしますが……。”ルシアス殺し”の犯人は誰だったのでしょうか? ちょっと気になります(金田京子さん)。
 僕はクリスティの手紙を出品しただけで、謎解きクイズにはまったく関係していません。どなたか御存知でしょうか(S)。
■クリスティ読み直しを口外しましたところ、気にとめてくださった方もありましたようで・・。1992.7.16現在、『アガサ・クリスティ読本』の作品リストに従って、63『象は忘れない』まできました。ただし、犯人を覚えていたのは『アクロイド殺し』だけではなく、『無実はさいなむ』『終りなき夜に生まれつく』もあったことが読んでいてわかり、『終りなき・・』の方は、気が重くて途中でなげだしましたから、完読とは言えません。始める前に予想していたとおり、読んだハシから忘れてしまい、やっぱり今もこれが健康なミステリー小説であり、その読み方なのか、単に老人ぼけなのか、判然としないでいます。でも今回は、一冊一冊細部を楽しんで読みました。何年か先、読む気力、体力(眼力)が残っているうちに三度目を読むのも老年の消暇として悪くないなと思っています(水田冨美さん)。
■小生も30年前からの愛読者ですが、この10年は仕事の忙しさもあって、伝記などを読む程度になっておりました。幸い来年には定年退職になりますので、愛読を再開したいと楽しみにしているところです(福島隆明さん)。
■実は、私は『そして誰も……』や『オリエント……』は筋立てが大袈裟なため、また『アクロイド……』はトリックがルール違反であるため(あると思われるため)、あまり好きではありませんでした。どうして皆があんなに騒ぐのか、不思議でした。そして、私のクリスティ観が変ったのは『カーテン』以来です。意外にイイジャないかと思い、以後、早川のPMBに出ている約100冊の内、70冊ばかりを古本屋にて入手しました。で、クリスティの魅力の第一は、文章の美しさ、格調の高さにある、と私は考えます。人物の表現、状況の説明が実に丁寧で、かつ簡潔で無駄がありません。それは文学というか一般の小説(例えばS・モームとかE・ヘミングウェイ)と比べて遜色がありません。要するに読んでいて楽しい!!他のミステリーの大半、いやほとんど全てが筋立てやトリックに汲々としているのに比べて見事なものです。
 そういう意味からは、私はどちらかと言えばマープル物の方が好きで、これまでの私のベスト1は『予告殺人』なのであります(加藤武男さん)。
■ところで今年(1992年)は「ねずみとり」の40周年なんですね。私の手元に30周年のプログラムがあります。観たのは1984年でしたが、幕間に売りにきたのは30周年のものだったのです。セント・マーチィン劇場のプライベート・ボックスが£25.0、3人で観ましたので、その安さには驚かされました。さすが文化国家だなぁ、と感心したものです。開幕前に飲んだ一杯もおいしかった! ああ、また行きたい!!(小川淳子さん)。
■私は回文(上から読んでも下から読んでも同じとなる文章)を作ったりするのが趣味で、ごく簡単ですが、クリスティを主題に作ってみました。
 ついに推理(すいり)成(な)しえ、ポワロは吠(ほ)えしなり椅子(いす)に居(い)つ
 遠(とお)く日々(ひび)見(み)ゆアガサが歩(あゆ)みひびく音(おと)

(落合正子さん)。

■ロザリンドさんの手記、興味深く拝見しました。私と同じ年齢と思います。あの頃の英国の生活を思い出し、なつかしくなりました。私の一生は余りよい一生と思いませんが、クリスティの本全部を読み、いまだに繰り返し楽しんでいられるのは一つの幸福ですね(人に貸した三冊は、とうとう返ってきませんが……)。また8歳の時、トーキーへ両親と静養に行ったのも、何かの縁でしょうか。ルース・レンデルやシドニー・シェルダンも殆ど読みました。アガサより品が落ちますね(田中美穂子さん)。
■西尾忠久氏の著作「ミステリー風味ロンドン案内」(東京書籍出版)という本、ご存じでしょうか。海外ミステリーに登場したロンドンの街や建物、商店をイラストで紹介。「街を、老舗をミステリーを心ゆくまで楽しむ本」というサブタイトルもついていて、内山正画伯のイラストがとても素晴らしく、このほどパート2も見つけて、二冊そろって楽しんでいます。一冊めでは我がクリスティはシャーロック・ホームズ等とともに古典あつかいで引用されていなかったのは残念でしたが、パート2では『バートラムホテルにて』のモデルといわれているとしてブラウンズ・ホテルの項に、ハロッズの項に『フランクフルトへの乗客』のまえがきが紹介されています。でも少ないですね(今枝えい子さん)。
■WH通信NO.43、興味深く読みました。そして自らの不勉強をなげかわしく思っています。というのも、私は1983年4月から90年4月まで、丸7年間ロンドンのウィンブルドンに住んでいまして、ピカデリーやニューボンドのあたりも何度となく行っているのに、ブラウンズ・ホテルもフレミングス・ホテルも、前を通りながら、一度も足を踏み入れたこともなかったのです! ましてやチャリングXの本屋も知らず、もっぱらウィンブルドン駅前のWHスミスやフィルダーズでペーパーバックを買っていたのです。
 もっとなさけないことに、日本ではクリスティのものは読んだこともなかったのです。きっかけはBBCテレビで、素敵なミス・マープルを見てファンになり、読みはじめたのです。もちろんLWTのポアロも日曜の夜、寝室のベッドの上で見たものです。あの終りのテーマソングを聞くと、「あすから月曜だ」と今でもつい思うくらいです。まさに私はテレビっ子のクリスティ・ファンです。でも、送ってくださたWH通信で「私は、母がミス・マープル役のジョアン・ヒックソンを見なかったのが残念でならない。母はあの役のヒックソンを気に入ったと思う。BBCテレビのミス・マープル・シリーズは、母の作品を基に作られた中では一番だと思う」のところで、私も本当にそうだと思います!! 私のようなファンも多いらしく、ウィンブルドンの書店では、クリスティの本を積んで「BBC放映中」と張紙していたくらいですから(関口礼子さん)。
■テレビでアガサのものをやる時は時間を合わせてはよーく見ています。筋は勿論ですが、風景、室内の配置、その頃の文化や服装のデザインなどなど、すべて楽しみです。何回見てもあきない感じです(駒形千代子さん)。
■実は昨秋(11月)トーキーに出かけた際、クリスティ展の会場となっているトーキー博物館のReid(リード)さんと仲良くなって文通を始めました。彼女が前任の館長Mr.Berridgeと二人でこの展覧会のおぜん立てをしたとのことでした。先だって(6月下旬)届いた手紙には、次のようなことが書かれていました。
・生誕百年を記念したクリスティ展は本年の10月末で終ること。
・3年間で世界各国から数千人の訪問者があったこと(ちなみにこの私もその一人です)。
・4−9月までの期間に”Agatha Christie Murder Mystery Competition”というものが行われ、1等には100ポンドの賞金が与えられるとのこと。1990年には日本人の若い男性(Ichiro Togashi埼玉の人、会員でしょうか?(注:違います (S))が2等をとって本を賞品として持ち帰ったとのことでした。
 実際に訪ねてみるとわかるのですが、会場の一角に、等身大の人形を使って作品の中の殺人現場を再建したガラス張りのコーナーがあり、そこにちょっとした手がかりを置いて、作品名を当てさせるというものなのです。この中のセッティングを考えて来訪者に手がかりを与えるのもリードさんの仕事です。彼女がクリスティ・ファンだということは言うまでもありません。
・彼女は準備のために今もダート川沿いのグリーンウェイハウスに住むロザリンドさんを訪ねた時のことを次のように書いてくれました。
 「……グリーンウェイ・ハウスはダート川を見下ろす高台にあり、庭にはいたるところに椿ともくれん(マグノリア)の茂みが見られる美しい邸宅です。ロザリンドさんは、母親のようにかなり照れ屋(シャイ)で、これもまた、母親のように小さな犬を数匹飼っていて、そのうちの一匹は私のそばにきて、私がコーヒーを飲む間じっとすわっていました。10月にクリスティ愛用の人形(クリスティ展の入口のところに、この人形とこの人形を抱いた子供時代の彼女の絵が展示されていました)を返しに行くことになっているので、その時にまた、ロザリンドさんに会えるのを楽しみにしています……」
 ところで、スコンを召し上ったことがありますか? 私はロンドンへ帰る電車(インタシティ)を待つ間、トーキーの駅の隣にあるグランドホテルのボーターズバーという所で、無理を言って(2時すぎのお茶の時間帯にしか出ないことになっているというのを)食べさせてもらってきました。小さな握りこぶし大のパン風のもの二つに、デボンシャクリーム(クロッテットクリーム)と小さなびんに入ったジャムが付いてきて、その両方を割ったスコンにぬって食べるらしいのですが、クリームの甘さが大変強く、元来カラ党の私も、この甘さには参りました。先日ある大学の先生をしているOxford出身のイギリス人にこの話をしたら、「クリームというのは本来甘くもなく、つまり生クリームみたいなもので、それはおかしいよ」と言われました。だから私も負けずに「これはトーキーのクリームだからでしょう」と言ったら笑っていましたっけ……。しかし素敵なティーカップに自分でポットから注いで飲む紅茶は最高でした。イギリスの紅茶はどこへいっても香がよくておいしいのでありました(安藤靖子さん)
■また新しい会員が大幅に増えました。定員250人はほぼ満杯になりました。前号は230部しか印刷しなかったので、実は新会員の方にはほとんど送っていません。前号と重複するのですが、会費の件などについてもう一度書いておきます。
 まず年会費500円(1冊500円ではありません)の件ですが、もともとWH通信は最初は無料でした。それが現行の印刷(外部に発注)に変更したのを期に、現在の年会費500円となりました。つまり、昔から赤字覚悟、イイカゲンなものでカンベンしてもらう、という考えで一貫して製作していますので、現在の会費設定になっているわけです。ご了承下さい。
 次に、会費切れの場合は、「今号で会費が切れます」と書かれた小さなメモ用紙がWH通信と一緒に同封されます。また、宛名の右下に*(「今号で会費が切れます」という意味)、**(「先号で会費が切れました」)、***(「先々号で会費が切れました」)が打ち出されるはずです。*に注意しましょう。
 なお会費の郵送は、郵便局の振替が一番安くて確実ですが、郵便局へ行くのが面倒な方は現金を直接同封されても、少額の切手を同封されてもかまいません。ただし、できましたら2年分(1000円)をお願いします。
 今年の夏休みには映画「氷の微笑」を観るつもりだったのですが、なぜか「仕立て屋の恋」に変更しました。原作よりも出来のいい映画だと感心しましたが、”猫に未来はない”ように、”中年男にも未来はない”ことがよくわかりました。というわけで、いささか落ちこんでいますが、来年の”アガサ・クリスティー劇場”でも観れば元気がでるでしょう。11月に急に雑用が舞い込み、年内郵送は微妙ですが、まずは、メリー・クリスマス!  そして謹賀新年(S)。

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☆編集者:数藤康雄  〒188      ☆ 発行日 :1992.9.15
 田無市南町6−6−16−304       ☆ 会 費 :年 500円
☆発行所:KS社            ☆ 郵便番号:東京9-66325
 品川区小山2−11−2          ☆ 名称:クリスティ・ファン・クラブ
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