クリスティ名義の最初の短編"The Wife of Kenite"の翻訳

 数年前、クリスティの初期短編がオーストラリアで見つかったという情報を目にしましたが、題名が不明だったこともあり、深追いすることはありませんでした。ところが今年(2024年)の7月、その題名が"The Wife of the Kenite"であると知り、その原文もフリーで読めることが分かりました。 内容の紹介は省略しますが、この短編がクリスティ・ファンにとって特に興味深いのは次の2点です。

  1. クリスティがプロ作家になって最初に書いた(雑誌に発表した)短編であること。つまりクリスティはすでに十代の頃から短編を何本か書いているものの、それらの短編が手直しされて商業雑誌に掲載されたのは1920年代の中盤以降なので、本短編はアガサ・クリスティ名義の最初の短編となる。
  2. 掲載誌はオーストラリアで発行されていた季刊誌"The Home"(1922年)の秋号。クリスティ夫妻は大英帝国博覧会のPRのために1922年に南アを訪問しているが、この短編はその滞在中に書かれた。異国で執筆され、異国の雑誌に掲載された結果、本国では忘れられた短編になってしまったようで、米国ではすでにパブリック・ドメイン(無料で読める)になっていた。

 このような短編なので、ぜひ多くのクリスティ・ファンに読んで貰いたいと思い、メルマガで翻訳者を募集したところ、驚いたことに多くの希望者がありましたので、希望者全員の翻訳を掲載することにしました。唯一残っていた未訳のクリスティ短編を各訳者がどのように解釈して翻訳したか、多くの翻訳に目を通して頂けたら幸いです。なおいずれの翻訳もhttps://archive.org/details/the-wife-of-the-kenite/mode/1upのデータから訳出されています(掲載はファイル到着順です)(S)。

@ 「ケニ人の妻」 アガサ・クリスティ著 萩尾景子訳
訳者序文:
 アガサ・クリスティの死後数十年経ってから発掘された本作品は、クリスティ作品に多くみられる探偵小説ではなく、『死の猟犬』などの短編集に収められている、結末は読者にゆだねられていて、ほのめかされた結末にゾクゾクする怪奇幻想小説に似ていると考えられます。また、時代背景に加え、聖書の知識がないと少し理解が難しい作品でもあります。そのため、作品のタイトルでもある「ケニ人の妻」に該当する聖書の物語のあらすじを訳注で補足しました。この内容を念頭に作品を読むと、登場人物の感情と行動の意味、そして結末をより深く理解することができ、作品のスリルを味わうことができると思います。
 没後数十年での発見は大変な驚きですが、その作品にこのようなかたちで関わることができたという事実はさらに大きな驚きであり、この巡り合わせを心から光栄に思います。ケニ人の妻よろしく、私は『クリスティ・ファンの中で最も恵まれた女』という思いです。
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A 「ケニびとの妻」 アガサ・クリスティ著 鳴原あきら訳
訳者序文:
 鳴原あきら(Narihara Akira)と申します。
 ベルギー、そして戦地から流れてきた男、というところで、反射的にポワロが思い浮かびましたが、イギリスにはベルギーからの難民も多かったとききますので、クリスティにとっては自然な題材のひとつだったのでしょうか。シェーファー氏は当然の報いを受けたと思いますが、こんなところまで流れてきてこのような目に遭うことは予想できなかったでしょう。一世紀前の短編ですが、戦争とは何かということを改めて考えさせられました。
 私は普段は小説を書いておりまして、翻訳は、ハイスミス『キャロル』 (河出文庫)の下訳以来です。調べ物がおいつかず、行き届かないところもあるかと思いますが、読みやすさを心がけましたので、クリスティ・ファンの皆様に楽しんでいただけましたら幸いです。
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B 「ケニ人の妻」 アガサ・クリスティ著 野上浩三訳
訳者序文:
 印象に残ったのは次の二点です。
題材について:旧約聖書の士師記の第四章にヒントを得て書かれていることに驚きを覚えました。幼い時から敬虔なクリスチャン・ホームの環境で育てられたことが窺われます。
既述方式について:説明的な個所が無く、淡々と事実が述べられています。それでいて、読者に恐怖を覚えさせます。後年のクリスティは程度を示す副詞(fairly, quite, rather)を多用していますが、この作品には全く使っていません。印象に残りました。
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C 「カイン人の妻」 アガサ・クリスティ著 香山(渡部)はるの訳
訳者序文:
 「カイン人の妻」はクリスティには珍しくホラーの要素が強い。作品の前半では、復讐心を秘めたフラマン人の女性と状況を理解していないシェーファーとのやりとりに込められた皮肉、後半では、シェーファーが漠然と感じていた不安の謎が解け、サスペンスが高まっていく様子を表現するのに苦心した。また、物語は三人称で書かれているが、実際にはシェーファーの視点から多くが語られている点にも留意した。
 シェーファーのキャラクターは、第一次世界大戦時ベルギーに侵攻したドイツ軍の残虐行為を訴え、国民の戦意高揚を図った英国のプロパガンダを思い起こさせる。例えば子供を惨殺したというシェーファーの行為や、女性の肉体に向けられた彼の視線にそれは示唆されている。クリスティが積極的にプロパガンダを推進したということではないが、1920年代前半に書かれたこの短編には人々の心に残る生々しい戦争のイメージが鮮烈に映し出されている。
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D 「ケニ人の妻」 アガサ・クリスティ著 N.Suzuki訳
訳者序文:
 翻訳の経験も何もない私がどうして急に「やってみたいです!」と言い出したのか……。いまにして考えればなんと無謀なと思いますが、なにせクリスティが好きなもので、とにかく挑戦してみたかった、というのが正直なところです。
 まずタイトルから日本語にしてみようとして手が止まりました。……ケナイト? 初めて聞きます。何を表しているのでしょう。ケナイト……? わからないのでGoogle先生に聞いてみますと「ケナイト族。ヘブライ語聖書にしるされた遊牧民族の名前」とのことです。なるほど! ただ、本文を読み進めていくと、単にケナイト族の訳ではなんだかしっくりこないところが出てきました。うーんうーん。さらに調べてみると、旧約聖書に出てくる「ケニ人」がケナイト族のことを指しているように思われてきました。では「ケナイト族の妻」ならぬ「ケニ人の妻」で進めてみよう……。タイトルだけでこの調子です。こんな感じでトライ&エラー、エラーエラー&トライ+サーチ、という具合でなんとかそれっぽくなったかな、というところでタイムアップでした(時間はたっぷりいただいていたはずなのですが……)。
当の本人は、実際、楽しく作業させていただきましたが、読んでいただくのも恐縮なレベルの仕上がりです。皆様の脳内ペンケースから赤ペンを取り出していただきつつ、お読みいただけたらと思います。(赤ペンチェックが入ったところ、あとでそっと教えてください)。
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