3回目のお墓参りと初訪問のウォリングフォード博物館
(5日目)
 数藤康雄

 『パディントン発4時50分』によれば、ミス・マープルの住むセント・メアリー・ミード村は鉄道駅のあるミルチェスター(Milchester)から9マイル離れていて、そのMilchesterにはロンドンのPaddington駅発の列車で2時間ほどで行ける(距離にすると約100q?)。その条件だけでMilchesterに相応しいロンドン南西部の実在の都市を探すと、あまたある中の一つにソールズベリー(Salisbury)が含まれる。一方トーマス・ハーディの有名な小説『テス』の主舞台は、そのSalisburyをモデルにしたメルチェスター(Melchester)だ(ちくま文庫版『テス』巻末の地図より)。クリスティは当然『テス』を読んでいたはずだし、言葉遊びの好きなクリスティのことを考えると(例えば『予告殺人』のロティーとレティー!)、MilchesterはMelchesterと同じ街と言ってもよい。つまり私の妄想的推理によれば、セント・メアリー・ミード村はSalisburyから9マイルの距離に位置する、というわけなのである。
 ではSalisburyから9マイルの距離にセント・メアリー・ミード村のモデルは実在するのか? もちろん実在しないのだが、勝手な解釈ではジョアン・ヒクソンがマープルを演じたTV映画のロケ地ネザー・ウォロップ村(Nether Wallop)はSalisburyに比較的近いと言えなくもないので、村の雰囲気を味わうには格好の土地であろう。さらにOxfordからマイクロバスでSalisburyに行く際には、『ABC殺人事件』に登場するAndoverを通過することもわかった。そう、Salisburyを訪問先に入れれば、セント・メアリー・ミード村ばかりでなく、ついでに世界遺産のストーン・ヘンジや『ABC殺人事件』の第一殺人現場も見られるわけである。これぞクリスティ・ファンに相応しい旅行ではないかと自画自賛していたが、マニアック過ぎるうえに実施すれば強行軍になるのは明らか。初参加者には不適切な計画と言わざるを得ないので、最終的には恒例となったチョルジー(Cholsey)のマローワン夫妻のお墓参りとウォリングフォード(Wallingford)の本宅Winterbrook Houseや博物館を見学することに変更した。
 当日は私たちの旅行では珍しい曇り空。雨を心配しながらホテルを9時前に出発し、バスでOxford駅へ。切符は数日前にPaddington駅で買っていたので問題はなかったが、ちょっと困惑したのが駅構内の列車案内板表示。予定していた9:37発の列車が、Cholseyの一つ前の駅ディドコット・パークウェイ(Didcot Parkway)行きとなっていたからだ。急遽変更かと不安になったものの駅員に訊ねたところでは、Didcot Parkwayで別の列車に乗り換えればOKということで、予定通りに乗り込み、駅には10:09に到着。4年ぶりのCholseyである。
 マローワン夫妻のお墓があるSt. Mary's Churchへの行き方は前回の特別号に詳しく報告されているので省略するが、印象的だったのは、夫妻のお墓は4年前以上にきれいに清掃されていたこと。そしてお墓の近くには参拝者の氏名などを記入する用紙がボードに挟んで置かれているうえに、国・地域別に整理された前年の参拝者数がわかる資料もあったことだ。


きれいになった(?)St. Mary's Church
 名前をローマ字で書いた後で統計データを眺めたが、写真を撮っていないので正確な数字は記憶していないものの、国籍・地域ではやはりイングランドが最高で200余人。日本も6位ぐらいで数十人はいたと思う。今や教会はCholseyの観光名所になったのだろう。9月第一週というクリスティ・フェスティバル週間に近いこともあったためか、私たちの前にも参拝者が数人いたし、私たちが教会の門を出た時にも新しい参拝者がお墓に行くようだった。クリスティ亡き後40年以上たってのこの人気は、やはり本物なのだろう。
 教会から三差路に戻り、ここからWallingfordへ向かってまっすぐな道路を40分ほど歩く。4年前にも同じ道路を歩いたが、その時はほとんど疲れずにWinterbrook House近くの環状交差点に着いた記憶があるが、今回はその直線道路がかなり長いと感じられる始末。やはりこの4年間で歳をとったことを実感する。
 正午前にはマローワン夫妻の本宅Winterbrook Houseの正面玄関前に着く。前回は、外壁を改修するための足場が組まれていて写真を撮るには相応しくない状況であったが、今回はその点では問題なく撮影できた。ちょうど女性配達人が郵便物を届けに来たこともあり、この建物には現在も住民が住んでいることがわかる。
 クリスティの自伝によれば、この屋敷の裏庭には大きなレバノン杉が一本あり、夏にはその日陰で読書やお茶を飲むのを楽しんだそうだ。前回はその大きなレバノン杉を見たいために、屋敷の裏側を眺められるテムズ川沿いの歩道(Public Footpath)まで足を運んだものの確認はできなかった。今回の旅行では再挑戦の意気込みで再びテムズ川沿いのPublic Footpathに回り込んだが、やはりはっきりしない。散歩している現地の人に訊いても、建物の裏庭までよく分かる人はいなかった。男性1名と女性2名の探偵団は諦めかけたが、幸運にも最後に訊ねた男性が、自信を持ってここですと教えてくれたのが以下の写真。

Winterbrook Houseの裏庭
 確かに一本の大きな木が聳え立っている。写真でははっきりしないが、その向こうにはWinterbrook Houseと思われる建物も確認できた。最終的にWinterbrook Houseの裏庭はここと判断したが、現在の屋敷の持ち主は広大な裏庭までは管理できないのであろうか、草原のように草が生い茂っている。クリスティが愛していた裏庭がかなり荒れ果てていたのには少しがっかりした。なお裏庭探索に参加した女性は二人で、残りの二人の女性は、歩き過ぎて疲れたためテムズ川を眺められるベンチに座って休んでいた。でも休み中でも、時折テムズ川を行き来するナローボートや遊覧船の乗客に投げキスをしたり、乗客からの投げキスを受けたりして楽しんでいたそうで、それはそれで楽しい思い出になったとのことだった。
 ということで当初の目的は叶ったので、再び全員でWallingfordの中心部に向かって歩き出し、午後1時前にTown Hallの直近にあったピザ屋PizzaExpressで昼食をとることに。私たち以外の客はほとんどいなかったことと、Town Hallから徒歩5分程度のところにあるWallingford Museumの開館時間は午後2時からなので、ゆったりとした昼食をとることができたのは幸いであった。
 博物館は独立した建造物ではなく、長屋形式の角の建物を再利用したようで、入り口に看板がないと気づきにくい。一応今日から3日間は「Agatha Christie Weekend」と題してクリスティの特別展示をしていた。開館直後の入館なので、私たち以外の入館者はいなかったが、その後数名は入館したようだ。一階受け付けにいた高齢の女性は日本からの訪問者に大喜びで、女性陣との会話は大いに弾んでいた。クリスティに関する展示は、受付裏側の空間にこじんまりと纏められていたが、1960年代以降にクリスティが出した手紙類が多かった。私だけが特別に手紙を貰ったわけではなく、他のファンにも丁寧に返事を書いているのがよくわかった。その他には、正直言って特別目新しいものはなかったが、2020年に新しいファンジン(ファン向け雑誌)を出したいという女性が新雑誌のPRを熱心にしていたのが興味深かった。

Wallingford Museumの入り口
 Oxford行きのバス停は博物館前とは知らずに時間をロスしたが、午後5時半にはOxfordのバス・ステーションに到着(40分ほどか)。George Stをぶらつき、パブ・レストランWIG&PENで夕食をとったが、くつろげる店だった。夕食後はタクシーでホテルに戻る。
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