パディントン(Paddington)駅探検から
オックスフォード(Oxford)へ(3日目)
 竹村モモ子

 クリスティのミステリー『パディントン発4時50分』(ハヤカワ文庫、松下祥子訳)は次のように始まる。
 「ミセス・マギリカディはスーツケースを運んでくれている赤帽のあとを追って、あえぎあえぎプラットフォームを進んでいった。(略) あれこれの包みを山ほど抱えていた。クリスマスの買い物に一日費やした成果だ。(略) 赤帽がプラットホームのはずれまで行って曲がったとき、ミセス・マギリカディはまだ直線コースにいた。
 一番ホームは、汽車が一台出て行ったばかりだったのでそのときさほど混んでいなかったが、その先のコンコースでは人波が同時にいくつもの方向へ流れていた。(略) ミセス・マギリカディと買い物の包みはもみくちゃにされながらも、ようやく三番ホームの改札口に着いた。」
  これを読んだ時、ミセス・マギリカディは、いったいあの駅のどこを歩いたのかと私は不思議に思った。2015年にクリスティ・ツァーでPaddington駅に行った時は南東のプリード・ストリートからまずコンコースに入りそこから各プラットホームに行った。また北側の12番線寄りの方からも外に出られたがいずれもプラットホームから出入りするのではない。買い物を済ませてPaddington駅に着いたミセス・マギリカディはまず1番線を歩き(?)、ホームの端で曲がり、コンコースを歩き3番線の改札に到着している。『パディントン発4時50分』は1950年代の話であるが、その頃から現在までPaddington駅にプラットホームの位置が変わるなど構造的な大きな変化はない。インターネットで調べていると、National Railwayのホームページに駅の構内図があり、1番ホームには閉鎖された出入り口とコンコースから一番遠い端に駐車場への通路があるらしいことが判った。このどちらかをミセス・マギリカディが通ったのだろうか?
 そこでこの疑問を解決すべく、Paddington駅1番線ホームを皆で探検することにした。10時にホテルを出発、スーツケースを転がして徒歩でPaddington駅に到着。1番線ホームを進むと、まず熊のパディントンのベンチがあった。これは初めて見るものでパディントンが座っている絵が描いてあり、座るとパディントンと並んで座ったように見えて楽しい。少し先に以前からあるパディントンのブロンズ像があるが、写真のようにそのあたりはホームから大きく引っ込んで空間があり、頭上の左上の案内板に出口閉鎖(Exit Closed)とある。ここかも知れないが前述の構内図に寄れば先の方にもうひとつ出入り口があるようなのでさらに先に進んだ。


パディントン君とのツーショット


1番線ホームのパディントン像と閉鎖出口
 かまぼこ屋根の破風に当たる部分の優美な鉄の格子細工が印象的であるが、その下を過ぎるとホームの床の材質が変り、この先はあとから継ぎ足されたものらしい。かまぼこ屋根が終わった先は配管むき出しの低い天井で殺風景である。さらに先は屋根がない。そのあたりの案内板に駐車場(Car Park)への矢印と出口(Way out)を示す矢印がある。しかしここを通るのは掃除人とかゴミ収集の車とかで乗客は全く通っていない。

ホームの端から見たPaddington駅
 どうもここではなさそうだ、第一かまぼこ屋根の先はミセス・マギリカディが通ったころは無かったかもしれない、やはりあそこだとパディントン像のところに戻った。Exit Closedの案内板のある空間をあらためて眺めると奥の壁にエスカレーターや行き交う人々が描かれ、まるで奥がビルに続いてそこから人が入ってきそうに見える。奥のベンチにオレンジ色の作業服の男性が3人座っている。早速永嶋さんがインタビューすると、この出入り口は8年前に閉じられた、2年後にまた出入りできるようになる、とのことであった。これで疑問解決! ミセス・マギリカディはこの壁の外のどこかにタクシーで到着、山ほどの荷物を抱えてここから1番線ホームを歩きコンコースへ、さらに3番線改札へと歩いたのだ。そして多分クリスティもトーキーに帰るためここから入って来て1番線ホームを歩いたのだろう。
 めでたく探検終了。我々5人は11:20発の列車でOxfordに向かい、12:20に到着した。大きなスーツケース持参だが、ホテル(Best Western Linton Lodge)はバス停から徒歩5分弱なので路線バスを利用することにして、24時間券(City Centreを中心としたSmart Zone内で何度でも乗れる)を購入した。
 ホテルはOxford駅から北へバスで10分弱、周囲は大きくてりっぱな古い住宅が並んでいるが、多くの建物は会社のオフィスやレストランなどとして利用されているようだ。ホテル内のレストランで遅めの昼食を取ったが、サンドイッチなどボリュームがあり過ぎて食べきれず、シェアすればよかったと後悔した。
 午後3時半にホテルを出発。バスを中心部のMagdalen Streetで下車し、Broad Streetを東へ行きTourist Information Centerで地図など入手した。Broad Streetをさらに東へ行くと左側に書店Blackwellがある。ここは数藤さんが嘗てクリスティなどの原書を日本から注文した書店とのこと。入店し各自好みの本を購入。私はHarperCollinsの"Miss Marple´s Final Cases"を買った。

宿泊したホテル(Best Western Linton Lodge)


Blackwell's Bookshop
 その後Catte Streetを円形の建物ラドクリフカメラを右に見ながら南下、High Street (The High)を左折するとオール・ソウルズ・カレッジ(All Souls College)の入り口がある。クリスティの夫マックス・マローワンは1947年にロンドン大学の西アジア考古学の教授となり1962年にはこのAll Souls Collegeのフェローの称号を与えられた。ここは学生のいない大学院生以上のメンバーのみの研究施設である。アラビアのロレンスと言われたトーマス・エドワード・ロレンスもここのフェローだったとのこと。今回は終了時刻午後4時半を過ぎていたため入場できず、入り口から中の写真を撮った。受付の男性は親切で閉門後だったのにAll Souls Collegeの色々な資料をもらうことができた。
 
ALL Souls Collegeの中庭         Collegeの紋章
 その後The Highを西へ進み有名なカーファックス・タワーの角を曲がって(こ の辺りは観光客で特に賑わっている)、St. Aldates (通り)を南下しクライスト・チャーチ(Christ Church)へ。ここも建物には入れなかったが南側の庭園に入り、イングリッシュ・ガーデンとツタの絡まる美しい建物メドウ・ビルディング(The Meadow Building)などの風景を楽しんだ。

カーファックスタワー


Christ Churchの南側の庭


Christ ChurchのThe Meadow Building
 6時ごろThe HighでThe Chequersというパブをみつけ入った。花や緑に囲まれた中庭のテーブルを囲み、昼食が重かったので一人半パイントのビールとリンゴ、ルバーブ・プディング、レモン・メレンゲ・ケーキ等々のデザートで夕食を済ませた。
 店に掲げられた盾の形のボードの説明によると、このパブの歴史は13世紀まで遡ることができ、店の名前はここで営業していた金貸しが「The Chequer board」というサインを使っていたことに由来するとのこと。宿屋兼飲食店になったり色々な珍しい動物を展示したり、ヘンリー8世(1491-1547)が修道院を解散させたときには数人の修道士がこの建物から道の反対側の建物に通ずる地下室に閉じ込められ生き埋めにされたと言われている。しかし証拠は何も見つかっていない。7時半頃パブを出てバスセンターに向かった。バスセンター(Oxford Bus Station, Gloucester Green)はカーファックス・タワーの北西の方でGeorge Streetの北にあり15分くらい歩くことになった。ホテルに8時15分ごろ着いたが、まだ外は明るかった。

パブThe Chequersの入り口

パブThe Chequersの中庭

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