謎の土地、ニューランズ・コーナー(Newlands Corner)へ
(2日目:その1)
数藤康雄

 今日訪れるNewlands Corner (新天地?)は地名からもわかるように、以前より景勝の地として知られていたようだ。だがクリスティ・ファンにとって忘れ難いのは、クリスティが1926年12月の夜に自宅スタイルズ荘(Styles)を出発したまま行方不明となった謎の事件において、置き去られた彼女の車が発見された土地であるからだ。この事件は、当時の新聞などが大スキャンダルとして詳しく報じていて、車の発見場所も特定できているのだが、目撃者はゼロなので、車を放棄後にクリスティがどのような行動をとったかは判っていない。
 いつかはこの地を訪ねて、この辺りを彷徨っていたクリスティの心理状態を少しでも共有してみたいものだと漠然と考えていたのだが、平井杏子著『アガサ・クリスティを訪ねる旅』にもNewlands Cornerは紹介されてはいないので、訪問は大変だろうと後回しにしていた。だが数年前にGoogle Mapで検索してみると、Newlands Cornerはギルフォード(Guildford)駅から車であれば20分程で行けることを知った。そして頂上にはVisitor Centreやレストランもある。旅行者が軽装備で訪れても問題なさそうなので、ウォーキング好きな私としては、半ば強引に今回の旅行計画に組み入れたわけだった。
 当日はホテルを9時半に出発しLondon Waterloo駅へ。そこから10:15発のSouth Western Railwayの列車でGuildford駅へ(10:50着)。Guildfordといえば、クリスティと同時代のミステリー作家F・W・クロフツが『ギルフォードの殺人』(”Crime at Guildford”、1935)という地名の入った題名の作品を書いているので、それなりに名の知られた都市だと想像していたが、駅前の賑わいからも地方の中核都市であることが判る。5人乗り大型タクシーを捕まえ、まずは竹村さんが事前に衛星写真と地図から存在場所を推定した石灰岩発掘跡(クリスティの車が発見された場所)に向かう。推理の結果が正しかったかどうかは次の(3)でわかるが、その後同タクシーでNewlands CornerのVisitor Centreに到着。12時をかなり過ぎていたが、道路を挟んだ向かい側の小さなレストランThe Plucky Pheasantで昼食をとる。あまり食べ過ぎないように注意し、ついに今回の旅行の本番開始だとの高揚した気分で、チルワース(Chilworth)駅を目指して単独で歩き始める。


丘の頂上付近からChilworth方面を眺める
 ところでクリスティ失踪事件を改めて紹介すると、1926年12月3日(金)の夜(午後11頃と午後9時45分の二つの説がある)、クリスティは一人でサニングデール(Sunningdale)のStylesから車で外出したまま行方不明となったが、翌朝Newlands Cornerの石灰岩発掘現場でクリスティの車が見つかり、11日後の12月14日(火)にハロゲイト(Harrogate)のSwan Hydro Hotel(現在のOld Swan Hotel)での滞在が確認されたというもの。その後の警察の調べで明確になったのは、(1)4日の午前中にクリスティらしき女性がロンドンの有名高級百貨店ハロッズ(Harrods)の貴金属売り場で指輪の修理を依頼したこと、(2)同じくその日の午後7時頃、Harrogateのホテルにミセス・テレサ・ニール名義でチェックインしたことの2点である。
 そしてその事実から派生して、(1)クリスティはどのような手段でNewlands Cornerからロンドンに行ったのか、(2)ロンドンからHarrogateにはどのような交通手段で到着したのか、という二つの疑問が生じる。このうち後者については素人探偵でも長距離列車を使ったであろうことはわかるが、前者については目撃情報がほとんど残っていない。もちろんクリスティは完全な記憶喪失状態だったようで、自伝には一言も触れていない。逆に様々な伝記作者は勝手な推測で書き立てているが、ここでは主要な三人の説を紹介しておく。
 まずクリスティ家公認の『アガサ・クリスティーの生涯』(1984、早川書房)を書いたジャネット・モーガンの推理は次の通り。12月3日、午後11時頃Stylesを自動車で出発。外出の理由は不明だが、夫のアーチーがいると思われる彼の友達の家に向かった可能性が高いとした。だが心身喪失状態であったためか、道に迷い挙句の果てにNewlands Cornerの石切り場で自動車事故→脳震盪の発生→真正な記憶喪失となる。そして現場から4マイルほどのGuildfordまで徒歩か、または早朝のバスを利用し、Guildford駅からは早朝のミルク・トレインに乗ってロンドンのWaterloo駅まで行ったというもの。
 次に『なぜアガサ・クリスティーは失踪したのか?』(1998、早川書房)を書いたジャレッド・ケイドは、クリスティが夫のアーチーを貶めるために計画的に失踪したという陰謀説を唱え、モーガンの説に真っ向から反論している。つまり12月3日午後9時45分頃、車でStylesを出発(モーガン説より1時間以上早い)。計画通りにNewlands Cornerに車を乗り捨て、徒歩でウエスト・クランドン(West Clandon)の駅へ。そこでロンドン行き列車に乗り、その夜にロンドン市内の義理の従姉(この女性が共犯者)の家に泊まった、という主張。
 三番目の"Agatha Christie An English Mystery"(2007、未訳)を書いたローラ・トンプソンはモーガン説に近い立場をとっている。彼女の説は次の通り。3日夜午後11時頃、Stylesを車で出発。目的はアーチーが滞在していると思われた彼の友人宅(Guildford近くの町Godalmingの郊外)を訪ねることであったが、道を間違えたり、それらしき屋敷に到着しても犬に吠えられたりして、夫には会えなかった。Newlands Cornerはそこから十数マイルの地点なので迷い込んでしまったのも不思議ではない。そして事故→脳震盪→早朝Chilworth方面に歩き始める。辿り着いたChilworth駅では朝7時半の列車に乗り、9時にWaterloo駅に着いたというもの。
 またトンプソンは、失踪当日の夜にクリスティがロンドンに到着というケイド説は困難とし、次のように反論している。まずStylesからNewlands Cornerまでは32Kmで、現在の車でも40分程かかる(当時の車ではもっとかかるはず)。夜9時45分に出発したら、早くても失踪現場への到着は10時半になる。そして車の乗り捨て工作に最低でも5分。さらにWest Clandonの駅までは3.6Kmあるから、速歩でも30分以上はかかる。一部は走ったとしても、冬の深夜では迅速な行動は出来ないし、恐怖心も考慮すれば、最短でも11時過ぎでないと駅に到着できない。ところが1926年12月の時刻表では、ロンドンへの最終列車は10時56分発だ。つまりクリスティがどんなに努力しても、ロンドン行き最終列車には間に合わないので、ケイド説は破綻していると。


Newlands Corner近辺の地図(Google Mapより)
 以上が、旅行前に私が予習した、いかにしてクリスティはロンドンに辿り着いたかの三人の説である。上図を見れば三人三様であることが明らかだが、私の結論は、(1)Guildfordまで徒歩で行くには遠すぎる、(2)クリスティがWest Glandonへ歩いて行ったことはありえないとトンプソンが証明している、(3)したがってクリスティはChilworth駅に向かった可能性が高い、というものであった。
 Newlands Cornerはなだらかな草原の丘といったところで、頂上らしき地点に立っても360度の展望が得られるわけではない。前面の風景には収穫後の農地や点在している農家しかないが、山のないロンドン近郊では、この程度の高さと展望でも、十分楽しめると言えるのであろう。平日なのに結構な人たちがいた。
 Visitor CenterからChilworh駅へ向かう道はいくつかある。最短コースは、クリスティの車が発見された場所近くを歩いて下るものだが、頂上からその地点までは歩道を短時間歩けばよく、そこからChilworth駅までは午前中にタクシーで通った舗装道路なので、改めて歩くほどの魅力は感じない。そこで頂上から右側の尾根道を進んで林の中に入り、多少時間はかかる迂回コースでChilworth駅に向かった。
 その標高差は150メートルほどで、登りはごく一部(高低差は10メートル程度か)。近くに乗馬クラブがあるようで、一部の歩道は砂利道で馬糞もあり、少し歩きにくかったが、歩行路の2/3程度はPublic Footpathなので一人でも安心して歩くことができた。実は2年ほど前に『ウォークス −歩くことの精神史−』(レベッカ・ソルニット著)という本を読んでからイギリスのウォーキング運動に興味を持ってしまい、今回の旅行では秘かにPublic Footpathを歩いてみたいと考えていた。そしてここ以外でもブレナム宮殿の外周とWallingfordのテムズ川沿いのPublic Footpathも歩き、その上踏み越し段の上り下りまで体験できたのは望外の喜びであった。
 頂上出発から80分ほどでChilworth駅に到着。予定していた列車は15:59発なので、余裕のゴールであったが、驚いたことにこの駅はまったくの無人駅。切符などもちろん売っていないし、不正乗車の場合は罰金1000ポンドと表示されている。切符は前日に買っておいてよかったと、英会話の出来ない人間は胸を撫でおろした。列車は10分ほどでGuildford駅に着き、16:47発の列車に乗り換え、17:27にWaterloo駅着。夕食は、ロンドンで唯一安心できる(と思っている)Paddington駅構内のカフェですましてホテルへ。イギリス一人旅はやはりスリルとサスペンスに富んでいると納得しながら、ベッドに入るとすぐ熟睡してしまった。

人気がまったくないChilworth駅

元に戻る